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2010年3月 7日 (日)

誤導事件

 桐生駅からの先導役は、群馬県警部本多重平と見城甲五郎であった。二人は極度に緊張していた。その上、沿道は、歓迎の人で埋め尽くされ、町並みの様子も、練習の時のそれとは一変していた。そこで、彼らは曲がるべき角を間違えて、予定地の桐生西小を跳び越して30分も早く、桐生高工に着いてしまったのである。

 桐生高工の西田博太郎校長は、この時、本館の2階から校門の方を見ていた。彼の胸には、半年間の準備の苦労が去来していたであろう。日本中が注目している今日の一瞬に間違いは絶対に許されない。だからこそ、今日まで細心の注意を払って準備を進めてきたのだ。もう心配はない、全て予定通りに進むはずだ、と彼は自分に言い聞かせつつも、胸が痛くなるような緊張感に身を固くして時計の秒針が時を刻むのを聞いていたに違いない。彼の目の前では、生徒たちが整列を始めていたが、まだ、あちこちに散らばっている者もいる。しかし、彼らもすぐに列に加わり、練習の時と同じように定規で線を引いたような見事な隊列をつくる筈だ。彼がそう思いながらふと校門に目をやった時、彼は、おやと思った。異様な一団が校門を通過してくる。彼は目を疑い、まさかと思ったが、次の瞬間彼は、はるか彼方の校門の近くに生じたただならぬ気配を感じ取っていた。

 西田校長は、2階から転げ落ちるようにして玄関に立った。天皇はまだ車の中であった。天皇の車を運転する者が先導車の間違いに気付き、わざとスピードを落として玄関に近づいたために、天皇が着いたときに出迎えがいないという間違いは避けることができたのだった。西田は後で振り返って、「私が玄関御出迎えに間に合ったのは、誠に奇跡的でありまして、私が一秒遅れれば、大変な事件が起っていたのであります。」と述べている。

 本多警部は責任を感じ、御召列車の発車を知らせる花火と同時に、日本刀で自殺を図った(幸い命は取り止める)。彼の妻は、この時、おなかに子供を宿していたという。直接の責任者とはいえ、世間は本多警部に同情を寄せた。

 

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

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