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2010年3月28日 (日)

第三章 満州の嵐

―開拓民の苦難と中国人の抵抗―

 また、関東軍内部では、石原莞爾中佐らが北満移民を検討していた。そして、この石原中佐の下で、満州移民に大きな役割を果した人が東宮鉄男大尉であった(後に大佐となる)。東宮鉄男は勢多郡宮城村苗ヶ島の出身で、前橋中学校を経て陸軍士官学校を卒業し、若い時から大陸に関心を持っていた。

 実は、私は小学校一年生の時から、この東宮鉄男のことは良く耳にしてきたのである。私が宮城村の小学校に入学した時のクラスに東宮文雄という腕白がいて、私は彼と仲良しになった。そして、彼がいつも自慢していたのが東宮大佐のことだった。「俺んちの本家は東宮大佐だ」と彼からよく聞かされて、どういう人だか知らないが偉い兵隊さんなのだろうと子供心に思っていた。

 東宮文夫は、現在、宮城村苗ヶ島湯之沢の赤城温泉の当主である。また、私の妻の実家は宮城村の大崎家であるが、妻の祖父佐四郎は、苗ヶ島の同じ東宮家から大崎家に入った人であった。私は、このように身近に感じてきた東宮鉄男が満州移民において果した役割を知って驚いたのであった。

 関東軍司令部付満州国軍事顧問東宮鉄男は、1932年・昭和7年5月(満州国建国はこの年三月のこと)、北満の平野を滔と流れる松花江を下りハルピンに至り、松花江の両岸に広がる沃野を眺めて、「大和民族の大量移住地はここだ」と叫んだという。東宮は、北満の松花江一帯を調査し、意見具申書を関東軍に提出する。

 石原莞爾、加藤完治、そして、東宮鉄男たちの考えは、日本農民を満州に永住させて、民族の協和を図り、王道楽土を実現することであった。これらの人々の考えは政府の移民政策の基礎となった。また、彼らの行動は、政府の政策をリードしていったといえる。

 この頃、日本の政府・会議も満州移民政策の推進に大きな一歩を踏み出す。1932年・昭和7年3月に満州国が成立すると、この年8月、「満州試験移民」の計画が政府から発表され、この月の臨時議会では総額20万余円の予算も認められ、直ちに移民の募集がなされ、この年の末には基礎的訓練を受けた者が満州を目指して東京を出発するというスピードぶりであった。

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

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