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2010年3月14日 (日)

遂に日中全面戦争へ

その結果、満州における日本の兵力はソ連と比べ年と共に劣勢になっていった。しかも、ソ連は、中国国内で日毎に増大している共産党勢力と結んで満州包囲作戦を展開していると考えられた。

このような状況からすれば満州を守るために、いずれはソ連と戦わねばならない、そしてソ連と戦うためにも華北を支配することによってこの方面から満州国がゲリラに脅かされるのを防ぐ必要があった。

そこで、1936年、昭和11年、広田内閣は華北五省を日本の勢力下に置く方針を決定し、この地における兵力の増強を行った。しかし、日本のこのような行動は、中国の反日感情をますます刺激し、抗日運動は一層高まっていた。

中国の抗日救国運動の高まりの中でそれまで国内で争っていた毛沢東の共産勢力と蒋介石の国民党勢力は、手を結んで共に日本と戦う体制をつくりあげていった。また、日本が華北支配を進めることは、ここに利害関係を持つ米英との対立を一層深めることになり、米英は、中国側についてこれを支援する方向で動いていった。

このように、中国国内の反日感情が盛りあがる中で、北京で対峙する日中両軍は、何かきっかけがあれば、ブレーキがはずれて激突してしまうという、まさに一触即発の状態となっていた。

1937年、昭和12年7月7日、相対峙する日中両軍の間で起きた発砲事件をめぐり両軍は衝突し、ここから、日本は泥沼の日中全面戦争に入っていった。この発砲事件のあった所が盧溝橋という橋であることから、これを盧溝橋事件と呼ぶのである。これは、北京市の西を流れる永定河に架けられた石造りの橋である。

果てしない泥沼に足を踏み入れようとする時、政府では、戦争の拡大を抑えようとする意見もあったが容れられず、戦いは拡大していった。

 

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

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