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2010年3月21日 (日)

遂に日中全面戦争へ

炎の山河また、この年11月の通常県会では土屋正三知事が開会に当り次のように挨拶した。

「目下帝国は未曾有の非常時に際会致しまして、我が忠勇なる皇軍は、或は北支に、或は上海の方向に、暴戻(ぼうれい・荒々しく道理に反すること)なる支那軍を懲して、赫たる武勲を中外にあらわしております。此の時局に対処しまして、特に国防に関係ある産業の振興を図り、出征軍人遺家族の生活の安全を期することは、銃後の護りに任ずる国民と致しまして、最も緊要なることと存ずるのであります。これらに関する諸般の方策につきましては、政府の方針に順応致しまして、地方の行政におきましても、できる限り努力を払わねばならぬのであります。」

このようにして、地方社会においても、戦争への準備が進んでゆき、やがて国を挙げての臨戦体制へと突き進んで行った。

ところで、中国大陸では、このように、全体を後戻りできない泥沼に引き込むような事態が進展していたが、それに引きずられるようにして、一般の国民が中国大陸の黒い渦の中に、それと知らずに巻き込まれてゆく。それが、満州開拓農民の姿であった。

私がこの原稿を書いているある日、元塾生の木村誠と中国人の李沢民が訪ねてきた。3人は、あの傍聴の日の出会い以来、何となく意気投合し、時々会ってお茶を飲みながら日本や中国の歴史について、あるいは、私が今書いていることについて話に花を咲かせていた。

「中国の人は満州という言葉を今も使うの」

「いや、使わない。満州と言う時は、偽満(ウェイマン)と言うよ。本当の満州ではなく、日本が勝手につくった偽の満州ね」

 私の質問に対して、李は即座に明快に答えた。私はこれを聞いて、この偽満という言葉は日本の満州進出の本質を衝いていると思った。

「先生、日本が不景気で農家の人や失業者が困っている時、満州という国ができて、みんなどっと出て行った。しかし、それは、現地の人に歓迎されなかった。そのわけは、本当の満州国ではなく、偽満だからなのですね」元塾生の木村が尋ねた。すると、李沢民がすかさず口をはさんだ。

  

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

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