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2010年3月20日 (土)

遂に日中全面戦争へ

 ここで、中国における日本の行動の筋道を大まかに整理しておく。1931年(昭和6年)、柳条湖で、関東軍が鉄道を爆破し、それを中国のしわざだとして攻撃、ここに満州事変が始まり、関東軍は次々と満州の支配を進める。1932年(昭和7年)、満州支配のために満州国を建国する。満州国の建国は中国民の反日感情を刺激し、また、国際世論の非難を浴びた。その影響は大きく、まず、ソ連は極東の軍備を増強させる。そして、中国の抗日ゲリラは、ますます勢力を広げ満州国を脅かす。また、米英との対立はますます厳しくなっていった。軍部はこの行き詰まりを打開するために遂に万里の長城を越えて華北の支配を目指す。そして、このことが原因で日中全面戦争へと進んだ。

 この日本の行動は、明らかに中国に対する侵略行為だった。最初の侵略行為が中国の反撃を招き、また、諸外国の非難を生み、行き詰まり状態をつくり出す。そして、これを打開するために、次の軍事行動を起こす。この連続だった。

 最初の行為が侵略でなく自衛だと説明されている国民に、その後の一連の行為がすべて自衛のためと見えるのは当然のことであった。事実、日本国民のほとんどは、日本が中国を侵略しているとは思っていなかったのである。

 当時の群馬県議会の様子を見ると、そのことがよくうかがえる。

 昭和12年8月の臨時県会では、まず、星野元治議長は、「不幸にして7月7日北京におきまして、日支の衝突に端を発した実に容易ならざる時局に立ち至りました」と事変について触れ、続いて、同議長が将兵に対して感謝の電報を送りたいとはかり、次の電文が全員賛成の下で打電された。「帝国政府の毅然たる決意と照応し、灼熱を冒し重大なる任務に就き日夜、皇軍の威武を輝かされつつある閣下、並びに将兵各位の御労苦に対し、ここに群馬県会は満場一致の決議をもって謹んで深甚なる謝意を表し併せて武運の長久を祈る。呉ら県民は一致協力誓って銃後の護りに万全を期す。   群馬県議会議長 星野元治」

 

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

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