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2010年2月 8日 (月)

「『ヒロシマモナムール・二十四時間の情事』を観る・シネマの国・ぐんま。山本雅雄氏の告別式」

◇劇場で映画を観るのは実に久しぶりの事だ。「シネマまえばし」で「ヒロシマモナムール」(二十四時間の情事)を観た(6日)。隣りの席に友人の鈴木安雄さんが座る。フランス・日本の合作映画で、監督は映像の魔術師といわれるレネ。登場人物は日本人の建築技師の男性と広島の映画を撮るために日本に来たフランス人女優。2人は行きずりの情事で離れられなくなる。女が日本を去る迄のタイムリミット・24時間の葛藤を描く。冒頭の広島の惨状は実物の紹介で息を呑む凄さ。これは戦争で傷ついた過去をもつ2人の男女の心の背景となっている。女は「ヒロシマの全てを見た」といい、男は「君はヒロシマの何も見ていないのだ」という。白黒の90分は静かに重く私の心に沈殿した。

◇「シネマまえばし」は、廃墟に近い前橋中心街に芽生えた小さな希望の灯である。かつて、映画は、中心街の賑わいのシンボルだった。また、県都前橋の精神文化を支える柱だった。まちの活力が消滅しようとする時、名画座・シネマまえばしが誕生したことの意義は大きい。

 県は、近く「ディスティネーションキャンペーン(DC)」として、隠れた観光資源を掘り起こし、群馬を全国はおろか世界に売り出そうとして、企画を募集しているが、県都前橋に目玉がなにもないというのでは勢いがつかない。名画座は、それにふさわしいものだ。今、若者を中心としたグループが、「DC」に登場させる事業として、この名画座を取り込んだ企画を練っている。私もメンバーとして強い関心をもっている。

◇群馬にはシネマの国の伝統がある。明治36年前橋、高崎などで活動写真が巡回上映され、明治43年には前橋に活動写真の常設館として初めて、「みやこ館」ができた。それ以降、映画は庶民の文化、心のよりどころとして発展した。そして、戦後の動きとしては、昭和25年には日本初のカラー映画で、北軽井沢を背景とした「カルメン故郷に帰る」が作られる。また、昭和29年につくられた群馬交響楽団の物語、「ここに泉あり」は、戦後復興期の全国民に感動を与えた。さらに、昭和36年には上州安中藩を舞台にした「まらそん侍」が人気を得た。

映画が下火になる中、96年(平成8年)群馬県が製作した「眠る男」は国際的な注目を集めた。今、映画館で映画を観ることが除々に復活しつつある。精神の砂漠に恵みの雨が染み込むように。まちの砂漠化を救うオアシスになることを祈る。

◇山本龍君のお父さんの告別式に出た。吾妻渓谷は時の大雪で姿を一変させていた。ダムをめぐる争いも幻想の世界に包まれていた。

 式場は草津音楽の森国際コンサートホール。龍君のお父さんは型破りの地方政治家だったらしい。エピソードを聞いて龍君のルーツとDNAの一端を見せられた思いがした。

 山本一太さんの弔辞もよかった。「文章に書かず3分間でと龍ちゃんに頼まれた」と言っていた。一太さんは、その父山本富夫氏と龍君の父山本雅雄氏との交友のエピソードなどを語っていた。政治家を貫くには人間の熱い絆が不可欠である。一太氏の挨拶と龍君が実兄の「ゴンチャン」を立てる姿に、その事を感じた。午後、4時30分の県柔連の新年会に間に合った。(読者に感謝)

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