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2009年11月30日 (月)

議員日記・人生フル回転・「鳩山開館を見る。鳩山一郎の決意。中国からのメッセージ」

◇毎月1回の後援会のバスツアーのコースに今月は鳩山会館を入れた(29日)。通称音羽御殿といわれているところだ。日本の近代の政治の舞台であった点に興味があった。大通りに面した門の奥は木立が茂る森である。太い桜の古木の間を斜面の道は上に伸び、途中をくの字に曲がると、頭上のもみじの紅葉の間に洋館が姿を現す。庭に入ると、背の高い皇帝ダリアが大きな白い花をつけその下には赤いバラが咲きその先には実をつけたミカンの木が見えた。

 目を転ずると庭の一角に鳩山一郎とその両親である和夫、春子の銅像がある。現在一般公開されている鳩山会館は、関東大震災の翌年、1924年(大正13年)に建てられたもの。資料室に入ると、和夫の研修ノートが目についた。びっしりと自筆の英文が記載されている。鳩山和夫は、アメリカのエール大学を首席で卒業した日本で最初の法学博士で衆院議長を勤めた。

 1つの部屋に古いテーブルとそれを囲む数個のイスがあり、その1つのイスには、鳩山一郎が愛用したという説明があった。このテーブルで、河野一郎等と日ソ交渉の秘策を練ったのかと私は想像をめぐらした。

 私はバスの中で、シベリヤ抑留と鳩山一郎の日ソ交渉の関係を次のように簡単に話した。鳩山一郎の首相としての悲願はソ連との国交を回復して抑留者を帰国させることであった。昭和20年8月の敗戦直後60万人を超える日本人がシベリヤに強制抑留され、寒さと飢えと重労働で6万人以上が亡くなった。抑留者の多くは昭和25年頃までに帰国したが、長期抑留者は望郷の思いにこがれながら10年もの歳月を過ごしていた。鳩山一郎は脳梗塞後の不自由な身体であるにもかかわらず、決死の覚悟で自らモスクワに乗り込み日ソ国交回復を成し遂げた。昭和31年のことである。そして瀬島龍三ら多くの長期抑留者の帰国が実現した。今、テレビで、瀬島をモデルにした山崎豊子の小説のドラマが放映されていることも付け加えた。バスの中からは、おじいさんと比べ、今の首相には指導力がない、メッキがはがれてきた、などのつぶやきが聞こえた。

◇今月、9日、中国山東省曲阜市師範大学で講演したことは、このブログで書いたが、その時の学生からメールが届いた。素晴らしい話を聞けて嬉しかった、話の後に交流の時間がなくて残念だった、仲間の学生があんな質問をしたことに驚いた、失礼は許してください、というような中味である。

 講演の題は「経済大国日本の挫折と再生の課題」であった。あのような質問とは、講演後、一人の男子学生が手を挙げて「竹島問題をどう考えているか」と発言したことである。私は特別な質問とは少しも思わなかったが、会場の前席にいた人民政府の人は慌てたようであった。メールで学生たちの受け止め方も分かった気がした。自由な言論がまだ制限されている中国の一つの断面をかいま見た気がした。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「炎の山河」を連載しています。

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