遙かなる白根 第140回 子どもたちの叫び
バッティングセンターで先生は、バントやバスターなど手をとって教えてくれた。危険を冒してまでこんなことをやってくれる先生に、O君は胸の中が熱くなった。「先生の気持ちに応えなければ」とO君は心に誓ったのである。
夏になると毎晩夕食後プールで千メートル泳がされた。T先生は毎日必ず25メートルのタイムを計る。O君のタイムは14秒だ。
「13秒台はなかなか出ないな」
先生は、こういって毎日こぼしていた。話によれば、負けず嫌いのO君は、先生の期待に答えようと真剣に泳いだ。そして、とうとう13秒台が出せた。先生がにやりと白い歯を見せて笑った。O君も笑い返した。
白根開善学校に入ると決まったある日、T先生は、O君の手をしっかり握って言った。
「お前はよく頑張った。希望をもって努力すれば必ず道は開ける。山の学校でも、しっかり頑張ってくれ」
O君は将来、教護院の教官になりたいという。不良だったどうしようもない者が教護院に来る。なんとか頑張って退院するもの者もいれば、自分自身に負けて脱走する者もいる。そんな連中とO君は一緒に生活してきた。T先生のかわいがった生徒が何回も脱走をくり返す、T先生は何度裏切られても生徒を信じた。O君は、そういうT先生をじっと見てきた。O君は、先生のそういう忍耐と努力に憧れた。
「入ってくる暴れん坊どものことを最後まで面倒を見て、社会に出ても立派な人間になれるようにチャンスを与えられる教官、それが私の夢です」
O君はこう結んだ。
―O君は教護院生活という貴重な体験をした。T先生との出会いを生かして貴重な体験を獲得したというべきだろう。人生の逆境、そして、人生の回り道は、本人の自覚と努力によって、素晴らしいバネを与えてくれる。O君は、白根開善学校に新天地を見い出して意義のある生活を送ったことであろう。その後のO君が教護院の教官になったかどうかは分からない。しかしいずれにしても、教護院と白根開善学校の体験を生かして、どこかでたくましく頑張っていることであろう。
★この連載も、11月21日で終わります。次の連載は拙著「炎の山河」です。「地方から見た激動の昭和史」という副題がついています。恩師の林健太郎先生が「すぐれた歴史叙述」と評価してくれました。どうか、ご覧下さい。
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