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2009年10月15日 (木)

「裁判員裁判の本県1号が近づいた」

◇裁判員裁判が身近に近づいてきた。県内の裁判員裁判第1号が前橋地裁で行われる。初公判は12月8日。12月11日には判決が言渡される。いよいよという感じだ。この制度を定める裁判員法が国会で成立したのは04年(平成16年)で、スタートしたのは今年5月であった。この間、一般市民が重要な刑事事件の裁判に参加するというこの制度の是非をめぐって激しい議論が行われてきた。

 そして、全国初の裁判員裁判の開廷は今年の8月3日に行われた。この時、東京地裁では、58枚の傍聴券を求めて2382人が列を作ったといわれ、これは、この制度に対する人々の関心の高さを示すものであった。

 裁判員裁判が開かれる度に、マスコミは大きく取り上げ、裁判員の様子なども報じてきた。前橋地裁で裁判員裁判が開かれるのを機に振り返ってみると、当初、危ぶまれたこの制度も次第に定着し、司法改革の上で大きな効果をあげてきたことを感じる。

 裁判員制度の目的は、裁判に一般市民を参加させて正しい裁判を実現することである。司法の分野だけは、主権者である国民から離れたところにおかれ、それが当然と思われてきた。その結果、捜査から判決に至るまで、手続きは形式化し慣例に流されてきたといえる。私は、菅家さんの冤罪も裁判員制度の下では生じなかったのではないかと思ってしまう。

◇本県における裁判員裁判の代1号となるのは、民家に押し入って金を奪い人を傷つけた強盗致傷事件である。前橋地裁は、裁判員候補者名簿に記載された6千人の中からくじで80人を選ぶ作業を行ったと伝えられる。その中から6人の裁判員が選ばれる。

 裁判への市民参加によって私たちは、犯罪、刑罰、人権等に対する理解を深めることが出来る。良い裁判員を育てることは、健全な市民社会の前提である。その責務の一端を教育が担うべきであるが、中学、高校は、そのことを意識した公民教育を行なっているか疑問だ。学校は、現実の裁判員裁判を生きた教材として利用すべきではないか。

◇民主党が官僚支配の打破を叫んでいる。私はテレビである人が「官僚はおだてて、木に登らせてうまく使うべきだ」と発言していることに注目した。決して官僚を軽蔑しているのではなく、むしろ官僚の優れた点を認めた上での発言なのである。私は官僚の側もそのプライドを尊重してうまく使われることを期待しているに違いない、そしてこの事は地方においても同じだと思った。官僚を使いこなせない政治家は、官僚を支配したつもりで実は支配されている。猿芝居の猿は、権力におごり、惰性に流される政治家であった。この事が長く続くと、役人と政治家の間に八百長に似た構造が出来上がってしまう。自民党の大敗はこの点を突かれたことが原因だと思う。群馬県政においても、政治家が謙虚に足もとを見詰めないと大変なことになる。(読者に感謝)

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