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2009年10月31日 (土)

遙かなる白根 第136回 子どもたちの叫び

その間、

「俺は相変わらず不良交友を続け、仕事もせずぶらぶらしていた」

そんなある日のこと、U君は町で偶然、あの好きだった女の子を見かけたのだ。

U君は、はっとして胸が高なるのを覚えた。家に帰ってからもいてもたってもいられない。U君は当たって砕けろ、という思いで電話をかけた。いつものU君らしくなく緊張して、やっとのことで会って欲しいと告げた。彼女は、最初戸惑っている様子であったが会うことを約束してくれた。約束の日が来た。本当に彼女は来てくれるのか。U君は不安と期待で胸が張り裂けるようであった。

約束通りに彼女は現われた。白のスカートにピンクのセーター、ショートカットの彼女は、しばらく見ぬ間に娘らしく成長し、美しかった。二人は新宿をブラブラして喫茶店に入った。中学の時の話や世間話をいろいろして別れるとき、彼女は、U君に向かって言った。

「ずい分昔と変わったのね」

U君は、この時、彼女が言った意味が分からなかった。別れるとき街角のショーウインドウのガラスに写った二人の姿を見てU君は思わず笑ってしまった。髪をリーゼントにして金髪に染め上げ革ジャンを着た自分と、ごく普通のどこにでもいる高校生の彼女。あまりにもちぐはぐな二人の姿がそこに写し出されていたのだ。しかし、それが何を意味するのか、まだU君は気付かなかった。

いく日かが過ぎて、U君はオートバイを走らせ、彼女の家の近くから海へ行かないかと電話をかけた。オートバイに彼女を乗せて海に行くことが中学の時からのU君の夢だったのだ。U君は受話器を握って、彼女を後ろに乗せてオートバイで浜辺の波打ぎわを走る姿を想像していた。彼女の髪とスカートが風になびく様がちらついた。しかし、受話器の向こうから伝わる言葉はショッキングなものであった。

★この連載も、1121日で終わります。次の連載は拙著「炎の山河」です。「地方から見た激動の昭和史」という副題がついています。恩師の林健太郎先生が「すぐれた歴史叙述」と評価してくれました。どうか、ご覧下さい。

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2009年10月30日 (金)

「死刑執行後の再審請求!」

◇前橋地裁でも近く裁判員裁判が開かれる。裁判員裁判を身近にして誰もが恐れるのは、死刑が問われる裁判の裁判員に選ばれる事であろう。いずれは、そういう事態が現実となり世の中が大騒ぎする日が来るに違いない。

 自分が決定に関わった被告人が縛られ、もがき泣き叫びながら死刑台に引きずられていく姿は耐えられない。しかも死刑が冤罪だったとしたらどうするのか。想像するのも恐ろしいことだ。過去には、死刑判決が再審で覆った例が少なからずある。八海事件、免田事件、財田川事件、徳島ラジオ商殺し事件などだ。これらは、死刑執行前に無罪となったが、無実のまま死刑を執行されてしまったら取り返しがつかない。

 この度、死刑執行後の再審請求が福岡地裁に対してなされた。小学1年生の女児2人を殺したとして死刑判決をうけ08年に執行された飯塚事件である。弁護団は、死後の再審を準備していると表明していたので、私は、6月24日のブログで取り上げ、その成り行きを注目していた。

 この飯塚事件(福岡県飯塚市で起きた)は、現在再審がおこなわれている菅家さんの足利事件との関係でにわかに注目されるようになった。菅家さんを有罪にした、今から見れば精度の低いDNA鑑定方法と同じ手法のDNA鑑定の結果を有力な証拠として死刑判決を下しているからである。今回、再審が認められれば、死刑執行後の再審としては初めてのものになるという。従って、その行方は、裁判員裁判及び死刑制度の存続をゆるがすことになる。注目したい。

◇荒れる海で船が転覆し、船底で4日間生き抜いて救出された3人の事が報じられている。八丈島近海で消息を絶ったのが24日夕、救出されたのは28日昼頃という。この間、台風20号が通過し、波の高さは10mにも達した。逆さになった船底の空間に空気があったため助かった。救助隊が上を向いている船底をたたくと中から反応があった。こんな報道に接して荒れる海の淒さ、転覆した船内に閉じ込められた恐怖を想像した。船内の人は助かり転覆後船外に出た4人は行方不明である。船の名は幸福丸。船内の人は幸運に助けられた。

◇前原国交相は、6都県の知事との会談で、八ッ場ダムにつき、治水利水につき、しっかりと再検証することを明らかにした(27日前橋ウェルシティーで)。再検証するという以上、その結果によっては中止の方針が変わるのではないかと私たちは思うのだ。

石原知事は、「その結果によっては、(ダム)中止を中止することもあり得るのか」と質問。前原大臣は、「予断を持たずにやる」と述べた。また、大澤知事は、「このダムは国の国策としてやられたダムであるということを大臣はしっかり認識して取り組んでいただきたいと最後のお願いです」と発言。大臣は、「大澤知事の発言は重く受け止める」と答えた。1都5県の団結の力が今後のカギとなる。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「遙かなる白根」を連載しています。

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2009年10月29日 (木)

「新型ワクチンの接種始まる。県立病院の決意」

「新型ワクチンの接種始まる。県立病院の決意」

◇新型インフルエンザの全国推定患者は300万人を超え、最近1週間に受診した全国の推定患者数は約80万人、そして、重症患者は198人となり、死者は遂に35人に達した。群馬県でも新型インフルエンザ注意報が発令された。大丈夫だ、大したことはないと言っている間にじわじわと敵の包囲網が縮まっている感じだ。地域の会合に出たら、「騒ぎすぎだ」という人と「中村さんの言うと通りになってきた」という人がいた。

 私は早くから議会の内外で警鐘を鳴らしてきた1人である。何もないときから鐘を鳴らしている者として、今日の状況のもとでは、慎重かつ的確に鐘を打たねばならないと思う。

◇ワクチンの接種が始まった。必要とする人全員に一度に接種することは物理的にも不可能だから優先順位に従わねばならない。第一位の医療従事者に対して今月21日から接種が始まった。

 次に「11月上旬」から、入院中の基礎疾患を持つ人、その後、入院中以外の基礎疾患を持つ人、妊娠中の人の接種が開始される。これらの人は接種の開始時期が間近かになったので、希望者は、かかりつけ医等に相談の上予約をして欲しいと県保険予防課は呼びかけている。

 また。基礎疾患を持つ人の中でも特に重症化リスクが高い人から比較的リスクが低い人(こちらは12月上旬頃)へと段階的に接種を開始する。自分がどちらに該当するかは、かかりつけ医に相談して欲しいと同課はいう。

◇該当する基礎疾患は次の通りである。

 慢性呼吸器疾患、慢性心疾患、慢性腎疾患、慢性肝疾患、神経疾患、神経筋疾患、血液疾患、糖尿病、疾患や治療に伴う免疫抑制状態(ガン、HIV感染症もここに)、小児科領域の慢性疾患(重症心身障害児者もここに)。

◇続く優先順位者の接種開始時期。

○12月上旬一幼児(1~6歳)、小学低学年

〇1月上旬、一歳未満児の保護者

〇1月中旬、小学高学年、中学生

〇高校生と健康な高齢者(65歳以上)は、輸入ワクチンで対応予定。時期はおって知らせる。(以上、保健予防課感染症危機管理室の資料による)。

◇県立病院が多くの医療事故数を公表したことは、良質の医療を提供し、県民との信頼関係を築こうとする群馬県病院局の病院改革における「成果」と「決意」を示すものだ。ここまで徹底して公表するところは、群馬・徳島・神奈川の3県だけである。かつては、一般に、ミスを隠そうとする傾向があった。それでは進歩は生まれない。県立病院では報告体制と報告事例を管理する体制を整備した。どんな些細なことでも報告させ、それを分析し再発防止の資料とする。身内はどうしてもかばいあう。そこで、病院局では、弁護士などの外部委員から成る医療事故調査委員会を設けている。「成果」と「決意」とはこのような体制から生まれるものを指している。    (読者に感謝)

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2009年10月28日 (水)

「訪中団の結団式・県立病院の医療ミス」

◇来月から行われるに日中議員連盟による山東省訪問の結団式を行い私が団長になった。目的は、孔子生誕の地曲阜市に孔子ゆかりの「宥座の器」を届けることである。今年の4月山東省の人民政府を訪ねた時、宥座の器のミニチュアを示し、やがて孔子と等身大のものを届けることを約束した。現代の名工・針生清司氏が心血を注いで完成させ、約束を果たす時が来たのである。結団式に参加した針生さんは、宥座の器について語った。56年間の板金工の人生の途中、25歳で宥座の器に出会い夢中になった。中国にも機能する「器」がない事を知り、それを作ることを思いたったのだ。「私の人生は狂いました」と針生さんは笑った。

 孔子は、満ちて覆らない者はいないといって、この宥座の器で中庸の徳の大切さを教えた。宥座の器では、4本の支柱に支えされた横木から鎖で壺が下げられている。八分目位水を入れると正しい姿勢になり、いっぱいにすると傾いて水はこぼれてしまうのである。飽くことなく欲望を求めて自滅する現代人を象徴するようだ。現在、中国で孔子の論語がブームになっていることは、中国でも物質万能の拝金主義に対する反省が起きていることの現われと思われる。日中両国で共通の社会的背景があることが、今回の「贈呈」を進めることになった。贈呈式は、11月9日午前曲阜の孔子研究院で行われる。

 なお、この日の午後、私は、山東省政府の要請を受けて曲阜師範大学で記念講演を行うことになっている。群馬の自然、産業、文化など紹介し、今後の交流の基礎に出来ればと願っている。大学はその国の知性と文化を現し、学生の姿はその国の前進する姿を示すものだ。それに接することに意義を感じる。

 思い出すのは、昨年11月、大連外国語学院で群馬県立女子大との連携の調印式の後、同大学で記念講演をした時のことだ。大連市から旅順市へ移った広大なキャンパスでは、身を切るような寒気の中で多くの若者が生き生きと動いていた。私の話に私語をする者もなく耳を傾けていた。私は彼らの姿に新生中国のエネルギーを感じた。曲阜師範大学で私を待つものは何か。未知との遭遇に私の胸は高鳴るのである。

◇県立病院の医療事故・ミスの多さに驚いた。08年で764件、ヒヤリ・ハットの例は3089件で、いずれも過去最多である。県民の生命を預かる県立病院は反省しなければならない。しかし、小さなミスまでオープンにして原因を究明し対策を立てる姿勢は評価できる。医療事故で最多は患者の転倒・転落で全体の4分の1を占める。これは、高齢者の増加を示すものであろう。医師・看護師の慢性的な不足も要因だ。これらを踏まえた上で、医療従事者のレベルアップ、及び、志気・使命感の向上が重要だと思う。私たちも共に頑張りたい。(読者に感謝)

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2009年10月27日 (火)

「酒井法子の涙は何を意味するのか」

◇一般傍聴席20席を求めて6615人が長蛇の列を作った。酒井法子の初公判を目当てにする人々である。傍聴席の抽選は日比谷公園で行われた。倍率は330倍で過去最高。これは、いかに世間の関心が高いかを示している。

 26日酒井法子の初公判が東京地裁で行われた。酒井は起訴事実を全面的に認め、軽率な行為により世間を騒がせ多くの方々にご迷惑をかけ申し訳ありませんでしたと述べた。

 検察側は、有名な芸能人の犯罪であることを考えれば非常に重い責任を負うべきだとして1年6ヵ月の懲役を求刑、一方、弁護側は、執行猶予付判決を求めた。

 美しい顔に涙して更生を誓う姿を想像すると心情として許してやりたくなる。しかし、そうあってはならない。もし、仮りに執行猶予となれば、その悪影響は測り知れないからだ。

 今、青少年の間に薬物が広がり深刻な社会問題になっている。その責任の一端は芸能界の薬物事情にあると思う。繰り返し、繰り返し、有名人が検挙され、大騒ぎになり、しばらくすると許されて芸能界に復帰するようなことが行われてきた。これでは、青少年が犯罪の重大性を認識せず、格好いいと憧れてしまうのは無理のないことといえる。

 私は、薬物依存症におちた人々を救う活動に関わっているが、体験者の話を聞くと正に地獄である。女性常習者の多くは性の快楽の奴隷になってしまうとも言われる。女性をそのように扱う暴力団員の存在も指摘されている。決して許される事ではない。酒井法子を厳罰に処せるか否かに、今日の日本の社会の薬物状況の動向がかかっているといっても過言ではない。

◇薬物に関する犯罪には重い刑罰が科せられることを社会は認識すべきである。酒井法子が問われている覚せい剤取締法は、その所持や使用に10年以下の懲役を定めている。また、大麻に関しては、大麻取締法が、みだりに栽培した者には7年以下の懲役、所持、譲り受け、譲り渡した者には5年以下の懲役、使用したものには5年以下の懲役をそれぞれ定めている。

 日本の刑は軽いといわれる。覚せい剤犯罪については、シンガポール、マレーシア、タイなどのアジア諸国では死刑を、アメリカでは無期懲役を、それぞれ最高刑として定めている。日本の最高刑は10年だから、これらの外国と比べたときの軽さは歴然としている。アジアから日本に薬物が流れ込むことには、このような刑罰の軽さが一因となっているかも知れない。

◇11月7日から中国山東省を訪ねることになった。孔子ゆかりの宥座の器を孔子記念館に納めることが目的である。現代の名工・針生清司さんが13年の歳月をかけて完成させた。日中議員連盟の仕事として行く。省政府の要請で、私は曲阜師範大学で記念公演をすることになった。ふるさと塾の要領で映像を使うつもりだ。そろそろその準備にかかろうと思う。(読者に感謝)

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2009年10月26日 (月)

「今月のふるさと塾は八ッ場特集だった」

◇今月のふるさと塾は「八ッ場ダムは何を訴えるか」がテーマだった(24日)。前回、途中から「八ッ場」の問題に入ったら熱心な議論になった。そして、多くの人が、一部の知識や情報から全体を問題にしていることを知った。そこで、新聞記事30数枚を映像にして映し、それぞれのポイントを取り上げて、「八ッ場」の問題を客観的に論じることにした。会場には群馬2区で民主党候補の選対幹部を務めた私の友人や、「労働新聞」の記者を名乗る2人の人物も参加していた。

 私は始めの部分で次のように話した。「八ッ場ダムの問題は、今日の社会の様々な重要問題と結びついています。それは、八ッ場ダムの論点ばかりでなく、民主党政権の特色、民主主義、地方分権、行政改革などです。県議会は、八ッ場ダムを調査する特別委員会を設けました。今日の話も、特別委員会につなげることを意識して進めたいと思います」

材料として取り上げた記事の主な項目を挙げてみる。

 ①「地方主権」の方針示す。前原国交大臣職員へ就任挨拶。②「国交相143ダム見直し」八ッ場の中止明言。③地元覆う怒り・困惑。④中止、高コストでも。国交相あらためて明言。⑤八ッ場治水利水代替案を検討へ。⑥ダム中止に補償法案。⑦知事「国交相は独裁者」⑧新政権の力量を見せよ(9月18日朝日社説)⑨公約至上主義には無理がある(9月24日読売社説)⑩利水も治水も効果がない(9月25日産経・オピニオン)⑪河川改修こそ必要(9月29日・群馬建設新聞)⑫治水も利水も不必要(10月2日毎日)等。

 ①では、国交相が、「政権交代で税金の使い方、国と地方の役割を変える。地域の潜在力の蓋を開けて起爆剤にする。革命に似た作業」と発言した点は賛成であるが、そこからストレートに八ッ場中止に結びつけることには問題があることを話した。

 ⑧では、朝日の社説が「地球温暖化による大渇水、大洪水の懸念は拡大している」と指摘している点を重視した。

⑩、⑪、⑫は、八ツ場ダム反対の急先鋒とされ、前原国交相等を理論的に支えるとさせる嶋津暉之氏があげる論点を紹介した。それは、水は余っている、そして、これから渇水は起きないから利水の点で八ツ場は不要である。最近の大洪水で八ツ場があったと仮定しても洪水対策として効果がないことが分かった、地滑りの危険が多くある等である。これらの点についても、異なるデータと理論がある。ことに、これから「渇水は起きない」と言っていること、及び今後の異常気象を考えていない点が問題だと思うと指摘した。

◇参加者から「複数の研究者の科学的な研究成果に基づいて八ツ場ダムが治水利水の面で本当に必要なのかどうかを検討すべきだ」という意見が出た。その通りだと思う。涼しさから寒さに向かう時期になった。八ツ場の人たちはどういう思いで年を越すのかと思ってしまう。(読者に感謝)

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2009年10月25日 (日)

遙かなる白根 第135回 子どもたちの叫び

白根開善学校は山奥の質素な、そして厳しい環境の中で物質主義の弊害を子ども達から洗い落とし、人間の本来の生き方、そして自分の行き方を身につけさせようとしている。しかし、下界から登ってきた子どもたちにそのことを分からせることは至難の技である。子ども達は、白根開善学校で体験した様々なことの意味をよく理解できないまま、この学校を去って行くが、体験から得たものは彼らの心の底に根を下ろし、じっと時が来るのを待っている。子ども達が世の中で様々な壁に突き当たる時、彼らは白根の山の生活を思い出す。この時、彼らの心の底の小さな根は、芽を押し上げ、彼らを支える力となって成長してゆくであろう。

昭和59年度高等部3年U君

―暴走族に、そして失恋

 これは、元暴走族の少年の純粋な失恋の物語である。白根開善学校に出会うまでの青春の熱い一コマが語られる。

「俺が中学生だった頃、隣のクラスの女の子を好きになった」

 これはU君の話の冒頭の一節である。U君は、この女の子に胸の中を打ち開けられなかった。U君は、中学生の頃は不良に憧れて突っ張っていたのだ。だから真面目に勉強するこの女の子を気にかけながらも、近づき難い距離を感じて胸の中を打ち明けられなかったらしい。他の女の子と付き合ったことも2、3回あったが、この女の子のことを忘れることは出来なかった。

 U君は高校へ進む。しかし、間もなく高校を中退してしまった。

「中退後は暴走族に入り自分で積木をくずしていった」

 U君の家庭に、またU君の心に何があったのか、そしてU君を暴走族にまで突き動かしたものは何か、U君は語らない。

“積木をくずしていった”と言っているが、この弁論大会の前年、昭和58年、テレビドラマ“積木くずし”が放映され話題を集めたことがあった。家庭内暴力、少女の葛藤、家庭の苦しみなどを描いたものであるが、U君は自分の荒れた高校生活を、この“積木くずし”と重ね合わせて振り返ったのかもしれない。

 高校中退後一年が過ぎた。

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2009年10月24日 (土)

遙かなる白根 第134回 子どもたちの叫び

―学校生活の中で心に傷を負う子ども達は多い。それは今も昔も変わらない。他人の弱点や欠点を攻撃することについては、子どもはある意味で大人よりストレートで時に残酷である。子どもは、大人のように自分の心に映ったことを迎えたりすることができないからだ。しかし、子ども達の心の奥には純粋な同情やいたわりの気持ちが小さな根をおろしている。殺伐とした現代社会は、子ども達の心にそういう人間的な芽が成長することを困難にしている。受験競争の激しい下界の学校は、競争に強い者が勝者であり、競争に敗れた者は人間的にも敗者と見られるような傾向がある。こういう世界は、障害を持つ子にとって辛いところである。Yさんは、そういう世界を逃れ、白根の山に何か温かいものを求めて登ってきたのであろう。白根の山もその願いを十分に叶えてくれる程甘い世界ではなかった。しかし、良い友を得て、人を信じ、自分を信じることができるようになって、大きく成長してゆくYさんの姿を私は想像するのである。

 弁論大会に現れる子ども達の心の中は実に様々だ。都会が恋しい、山の生活が耐えられないという心の叫びが伝わってくるような文面がある。耐えきれずに脱走する子ども達の姿が瞼に浮かぶ。また、多くの子ども達の主張に見られるのが、学校に対する不満である。お菓子がもっと欲しい、テレビがもっと見たいというものから始まって、精神的なもの、人間関係についてのものまで、彼らの欲求不満の中味は様々だ。これは、解決することの困難な、白根開善学校にとって永遠の課題かもしれない。

 彼らが、白根の山で生まれ育ったのであれば質素で厳しい環境に耐えることはそれほど苦痛ではないだろう。しかし、子ども達は、物質万能の、また欲望や刺激の渦巻く都会生活の中で育てられてきた。厳しい人間関係に耐える力も身につけていない。それが全く別の世界に準備もなしに、放り込まれるのであるから戸惑うのは当然といえる。

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2009年10月23日 (金)

「市民に銃口を向ける工藤会、初の暴力団排除条例」

◇3日間の視察を終え自宅に近づくとナナがいち早く察してキューン、キューンと胸の奥から絞りだすような声で迎えた。我が家の忠犬ハチ公である。玄関に入る前に、飛びかかるナナを抱きしめてやった。トコはうずくまって静かに尻尾を振るだけである。尾の動きが最大限の感情の表し方かも知れない。

◇視察の最後の日(22日)を振り返る。朝、6時半から1時間走った。博多港に至って魚市場のわきを走る頃、街は一斉に活動を開始し活気があった。この日の視察のテーマである暴力団の動きは街の活気と関係があるのだろうかなどと想像してみた。

 福岡県議会庁舎の一角で、福岡県の治安について調査した。担当者は、工藤会の撲滅が福岡県警の最大の目標だと語る。機動警察隊の組織図には「特別遊撃係」があり、「工藤会関係者等に対する職務質問専門の部隊」と説明が添えられている。

 担当者の説明を聞くうちに、工藤会が並々ならぬ存在である事を感じた。「一般民間人に銃口を向ける凶悪性」、「過去に、警察官舎に爆弾をしかけた、スナックに手榴弾を投げ込んだ」、「学校で暴力団を非難すると、暴力団の子どもがいて、暴力団の親が学校に怒鳴り込む」等、こんな話が次々に出るのだ。工藤会の幹部が殺された事件を裁判員対象事件から外す動きがあることの意味が分かった気がした。構成員になる若者が多いことの背景には、川筋ものや任侠道に憧れる九州の風土も関係がある、と担当官は、私の質問に答えた。

◇このような暴力団の状況に対して官民一体で当たるために、福岡県議会は、今月13日、画期的な全国初の暴力団排除条例を全会一致で可決させた。私たちの調査はタイムリーであった。

 条例の概要について大まかに触れる。暴力団員に対する利益供与の禁止。暴力団が利益供与を受けることの禁止。中学生、高校生等を暴力団に加入させないための教育の推進。暴力団から危害を加えられる恐れのある者に対する警察による保護の実施。暴力団の排除に資する民事訴訟のための費用の貸付け等の援助等である。

◇利益供与の例として、いわゆる「みかじめ料」がある。飲食店等はツケの客に悩むことが多い。そんなとき、例えば、「うちは工藤会の世話になっている」と告げれば、ツケを回収し易いのだろう。こんな便益を受けるために、従来用心棒代を払うことが多かった。それが違法な行為であるとされれば、暴力団に対して断る理由にもなる。

 群馬県にとっても暴力団の事は他人事ではない。従って、このような暴力団排除条例は必要なので、私は、条例制定を働きかけていこうと思う。私のブログを本にした「議員日記」3巻を担当官に贈呈した。そこには、暴力団を県営住宅から排除するための条例改正の経緯も書かれている。成果のあった3日間であった。(読者に感謝)

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2009年10月22日 (木)

「宇部市の朝を10キロ走る。暴力団の襲名披露」

◇県外視察の2日目、山口県宇部市の朝を走った(21日)。走る事を予定して運動靴を持参していた。西国の日の出は群馬と比べて遅い。日の出直後の6時30分、ホテルを出て、きっかり一時間走った。距離にして10キロは走ったであろう。11月3日の県民マラソンでは今年も10キロを走る。その日のコースをイメージしながら走った。朝の空気はすがすがしい。朝日を背にして走ると宇部港に出た。霧が流れる朝の海に漁船がゆっくり動いていた。

◇この日は、県立下関中等教育学校と宇部警察署を視察した。全国で特色ある学校づくりが進んでいるが、中等教育学校は、中学と高校を一つにした6年一貫の学校である。高校受験を意識せず、6年間を有効に使って教育効果をあげることが出来る。群馬の中等教育学校と同じ時期にスタートしたので、その歩みは、大いに参考になると期待された。

 下関中等教育学校は素晴しい景観の丘の上にあった。見下ろす瀬戸内海には巌流島や壇の浦があった。また、反対側の展望台に立つと北九州の海がのどかに広がり、その先の韓国が極く身近かに感じられた。この学校は、アジアに近い地の利を活かして、アジアの学校と交流を深める中で国際社会に通用する人材教育を目指していた。上級生が下級生の授業を手伝うリトルティーチャー制も大いに参考になった。教室を回ると、生徒たちは生き生きと学んでいた。先生と生徒たち1つになって新しい学校の歴史を築く姿が新鮮に感じられた。

◇警察関係が調査の対象であることから、山口県の暴力団の状況が気にかかっていた。折から山口県下最大勢力の指定暴力団合田一家の7代目総長の襲名披露のことがテレビで報じられた。下関市の組本部事務所で行われ、県内外から暴力団関係者が集まり、県警は厳戒態勢をとったといわれる。県警は、ホテルや旅館での襲名披露を阻止するために市内の宿泊施設に協力を要請してきたのだという。このニュースを聞きながら群馬の暴力団の状況が気になった。暴力団に対して断固とした姿勢を示すという決意が群馬県民には不足していると思われる。

◇21日の夕刻福岡市に入った。そして、福岡地裁で強制わいせつ致傷の罪に問われた被告に対する裁判員裁判が20日始まったことを知った。前橋地裁でも、裁判員裁判が始まるが性犯罪の裁判員裁判では被害者のプライバシー保護が特に問題になるので私は注目していた。

法廷では、被害者の実名は伏せ犯行現場も最寄駅など被害者の特定につながる可能性のある情報は明示せず、福岡市内の遊歩道などと説明するよう配慮して進めるという。さらに、裁判員にも被害者の知人がならないように工夫した。福岡では暴力団工藤会幹部が殺害された事件が、裁判員裁判の対象からはずされようとしている。こちらは、裁判員を守るためである。福岡はいろいろな点でホットである。(読者に感謝)

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2009年10月21日 (水)

「山口県の視察で吉田松陰と出会う」

◇文教警察常任委員会の視察でやまぐち総合教育支援センターを訪ねた。人づくりに向けて県の総合力を高めていく試みが大変参考になった。教育力向上指導員、学校サポートチーム、やまぐち教育応援団など、この県の工夫を凝らした企画に接して、教育力とは、学校、家庭、地域社会に存在する要素を如何に「組み立てる」かにかかっている事を改めて痛感した。そして、その場合に重要なことは、教育力組み立ての基礎として、人々に夢と勇気を与える基盤を据えることだと教えられた。山口県がこの基盤に据えている柱は吉田松陰であった。21世紀の松下村塾にふさわしい施設を目指しているという。

 私は、2.3の質問をしたが、その際、次のようなことを述べた。「吉田松陰の生き様は、山口県の枠を超えて日本全体が教師の理想とすべきものだと思います。実は、群馬県も吉田松陰とはつながりがあります。群馬の初代県令楫取素彦は松下村塾を支えた人物であったといわれ、その妻は松陰の妹でありました。楫取素彦は、任された群馬県の発展を近代産業と教育によって実現させようとして尽力しました

 私は、群馬県も吉田松陰と関わりがあることを誇りに思いつつこう発言した。また、吉田松陰のどういうところを伝えようとしているのかという私の質問に、鬼村センター所長は、1人1人の人間を大切にする点、チャレンジ精神、先見性などをあげた。国禁を侵しても先進国を見たいと思い黒船に乗り込んで渡米を頼み込むという実践の姿こそ、教師の理想像なのだ。

 山口県では、小中学生のすべてに松陰の生き方を学ばせようとしている。郷土の偉人の生き方は子どもたちにとって最高の教材である。かつて、私は、教育委員会に、群馬の偉人を描いた副読本を作ることを提案したが私が思うようなものは作られなかった。

◇視察中のバスの中で、教育委員会の幹部から近く発表するという資料を頂いた。「ぐんまの子どもにすすめたい本200選」(平成21年度改定版ブックリスト)である。その中に、郷土に関わる偉人として、田中正造だけが取り挙げられているのは淋しいことだ。上毛カルタにも挙げられている、新島襄、内村鑑三、船津伝次平、関孝和等を初めとして、子供達が胸を躍らせる郷土の偉人は多い筈である。山口県が吉田松陰に力を入れるように、郷土の偉人の生きた姿を子ども達の胸に植え込むことには格別の重要さがある。

 郷土を愛せよとか道徳を大切にと言っても子ども達の心には響かない。命がけで生きた偉人の物語に子どもたちを引き込むことによって子どもたちの心に貴重な種を落とすことができる。その種は芽を出して人格を支える木に成長する。郷土を愛する人材を育てるために、郷土の偉人を200選の中で増やして欲しい。(読者に感謝)

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2009年10月20日 (火)

「ブラキチとは。県外視察の目的地に福岡県警」

◇ブラキチという懐かしい言葉に再会した。ブラジル気狂いの事で、ブラジルが狂おしい程好きな人を意味する。「ブラキチ賞」は、ブラジル移民を支えることに貢献した日本の家族に贈られた。群馬県海外移住家族会創立50周年記念式典のことである(16日)。

 私は平成17年に議長としてブラジルを訪問した時、県人会長の松田さんから3回来ればブラキチになる、先生はあと1回だから是非来て下さいと言われた。その言葉が懐かしく思い出されたのだ。第一回のブラジル訪問は、平成8年の県議会の行政視察の時であった。その時の県議のメンバーは、7人であったが現在議員として在職する人は山本龍君1人である。故金子泰造氏もメンバーであった。

 ブラキチ賞を授与した在伯群馬県人・文化協会の内山会長は、再会の握手を交わしながら、私の「望郷の叫び」を感動して読みましたと言っておられた。私が手土産として持参したものだ。

 ブラジルの思い出は尽きないが、議長の身に万一の事があってはと、県人会が3人の巨漢のボディガードを付けたことは忘れられない。その中のひときわ大きい黒メガネの男は暑い中コートを身にまとっていた。コートの中にいくつもの銃を持っているとのことだった。大げさではと思ったが、ブラジルの治安は私たちの想像以上に悪いのだ。先日、リオデジャネイロで犯罪組織の銃撃戦があり多くの死者が出て鎮圧に当たった警官のヘリが撃ち落されたことが報じられた。このニュースを聞きながら私は、ボディガードの意味が初めて分かった気がした。

 記念式典では16年のリオデジャネイロのオリンピックも話に出た。犯罪組織、犯罪をたくらむ者にとってオリンピックは絶好の稼ぎ場になるだろう。日系移民は、そんなブラジルで確かな地歩を築いている。真面目、勤勉、優秀という評価を受けている。私は、挨拶の中で、日系移民の方々は、優れた外交官だと表現した。彼らを精神的に支える役目を家族会の人々は果たしている。単なるブラキチとは重みが違うのだ。

◇今日から3日間、文教警察常任委員会の県外視察に出る。調査先に福岡県警本部がある。福岡県といえば広島県と共に暴力団対策の先進県である。07年(平成19年)、本県では、私が中心となって、県営住宅から暴力団を排除することを目的とした条例改正を行ったが、その時、私は福岡県の条例も調べた。同種の条例改正は、広島、福岡に次いで群馬県が、県条例としては3番目となった。議員発議としては本県が第一号であった。

◇福岡地検は、暴力団抗争の殺人事件を裁判員裁判の対象から外す請求を福岡地検にすることを検討中だという。北九州市に本部を置く指定暴力団傘下の組幹部が殺害された事件である。裁判員に危険が及ぶことを恐れたためという。福岡県警の暴力団対策について調査しようと思う。(読者に感謝)

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2009年10月19日 (月)

「去り行く人、新たに発つ人」

◇松沢宅を訪れ焼香した(18日)。広い庭の豊かな緑につつまれた屋敷は松沢さんの生前と変わらない。仏壇の遺影に対面すると、重厚な笑顔から政治に貫いた志と信念が伝わり感慨深いものがあった。

 奥様と暫く話をする時間を頂いた。「康夫さんが当選しました、睦さんが亡くなりましたという事になるからと強く反対したのですが、男には命をかけてもやらなければならないことがあるといってきかなかったのです」奥様が話すことは今回の衆議院選挙のことである。それまでに、入退院を何度か繰り返していたので夫の健康を心配していたのだ。松沢先生のしっかりとした使命感と共に、今回の選挙について、先生が大きな危機感を持っていたことがうかがえる話である。

 直接の死因は肺癌であったらしい。稀な種類の癌で発見されたときは手がつけられない状態で、入院3日間で他界された。可愛がっていた孫の手を握ってしっかり勉強するんだよと言ったという。話題がキリスト教、救世軍のことに及んだ時、奥様は「政治と言う生臭い世界におりましたが、聖書はよく勉強しておりました」と語っておられた。

 松沢睦といえば、強烈な個性と策士をイメージする人が多いが、バックボーンには哲学と宗教的信念があった事を改めて感じた。その人生に於いて様々な困難や敵に立ち向かい克服してこられた先生が、人生の最大の課題である死と如何に向き合い、受け入れていったのか、私は厳粛な気持ちで想像をめぐらした。

◇尾身幸次さんの「感謝の集い」に出た(16日)。マーキュリーホテルのホールをおよそ千人の人々が埋め尽くした。政界を去る人に三千円の会費でこれだけの人が集まることに驚いた。私は挨拶の中で、自民党の敗因として官僚任せの官僚支配という事が指摘されるが、尾身さんは官僚を巧みに使った政治家だったと述べた。時の風は国家にとって有為な人材も吹き飛ばしてしまった。尾身さんは、選挙の結果について、時代の流れという見方もあるが、新しい生き方をせよという天の声と受け止めている。そういう目で世の中を見ると、まわりの景色が全て違ってきた。これからは、ゆとりとうるおいを楽しむ人生をつくっていきたいと語った。

 私の目からみて息つく暇もない疾風のような生き方であった。尾身さんが「これからは家族のことも考えて」と語るのを聞き胸が熱くなった。これからは、科学技術を中心にして人類の未来を開くことに全力を尽くすという。その事が天声だと考えているのだろう。尾身さんは、人類は自然をコントロールするのでなく自然の一部だと語った。76歳にして人生の再スタート。その情熱と志は、政治家時代の行動が本物であったことを示すことになるだろう。新天地での活躍と成功を心から祈る気持である。(読者に感謝)

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2009年10月18日 (日)

遙かなる白根 第133回 子どもたちの叫び

それは、太股の所から皮膚を取り、足首の所へ移すというやり方である。その病院では、初めての手術なので回りの医師達は、成功するだろうかという感じで見ていた。手術は大成功だった。Yさんは歩けるようになって退院したが、太股の傷は残った。Yさんは成長するにつれ、太股の傷を心の負担と感じるようになった。

 小学校6年の時、体育で水泳があり、Yさんは仕方なく泳いだ。皆の目が太股に突き刺さるように感じた。男子に太股の傷のことを言われ、泣いて家に帰った。死ぬほど恥ずかしかった。とても辛い思い出だ。

 Yさんは開善学校へ来てからも、水泳合宿の時、いろいろな人が陰で太股のことを言っていると知らされた。開善学校に来ても、まだ太股の傷から逃れることはできない。Yさんは悲しかった。しかし、追いつめられて、自分が強くならなければならないという気持ちも湧いてきた。

「そのくらいではめげないぞ」

と心の中で自分に言い聞かせた。

 以前と違うのは開善学校に入って、とても良い友達がいることだ。

「傷を持たない人間はいないよ。皆どこかに、何か持っている」

ある友達は、こう言った。Yさんは、これを聞いて、ハッとした。目の前が開けるように思った。

またある友達は言った。

「今年の水泳合宿でそんなことを言ったやつがいたら私が文句言ってやる」

Yさんは嬉しくて胸が熱くなった。こういう友達がいれば、とやかく陰口を言う人がいても平気だ。Yさんは、こう思えるようになった。そして自分の心が明るく膨らんでゆくように感じられた。太股の傷より心の傷の方が重大なのだとYさんは気付いた。Yさんは寮生活が楽しくなった。開善学校に入って良かったと思った。

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2009年10月17日 (土)

遙かなる白根 第132回 子どもたちの叫び

― K君はとてもナイーブな神経の持ち主らしい。東京の学校では、何かで傷ついて登校できなかったのだろう。白根の山中で新天地を見つけたK君は幸せな少年だ。寮では人間関係が難しく、このことに悩む子ども達は多い。K君はタコ先輩のような優しい良い友を得た。K君は人間関係、友達関係の大切さを発見したが、同時にそれは新しい自分の発見でもあった。白根開善学校は、K君のように自分を発見するのに最適な環境なのである。K君の話を聞いて、私は100キロメートル強歩の、ある場面を思い出す。それは、先輩らしい生徒が後輩を励まし支えながら重い足を引きずっている姿である。K君もタコ先輩に助けられて強歩に臨んだのかもしれない。

昭和58年度高等部一年Yさん

― 太ももの傷は心の傷

 Yさんは活発で可愛い女の子だった。小学校1年の真冬のある日、学校で大火傷を負ってしまった。新しい学校生活にうきうきして、近くでストーブが真っ赤に燃えているのも忘れて友達とふざけていた。その時、Yさんのズボンがストーブに引っかかってしまった。ストーブは揺れて、その上でチンチンと勢いよく蒸気を吹き上げていたヤカンが落ちた。熱湯はたたきつけるようにYさんの足にかかった。あまりの熱さにYさんは夢中になって靴下を脱いだ。靴下と足の皮膚が一体となって、もう一枚の靴下を脱ぐようにペロッと皮膚がはがれた。Yさんは真っ赤な肉のかたまりのような足から目をそらした。

「痛い、痛い」

 Yさんは、この言葉だけを言い続けた。その痛さは今でも忘れられない。お母さんがYさんを毛布につつんで近くの病院へ連れて行った。毎日病院に通ったが、手のつけようがなく、別の病院を紹介された。その病院には週に一度東京から偉い先生が来ていて、その先生のもとで「皮膚移植」の手術をすることになった。

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2009年10月16日 (金)

「八ッ場ダムの特別委員会が設けられた」

◇9月議会の最終日は、早朝の朝食会で始まった。7時半からの食事をしながらの自民党議員の会議である。最終日にこのような会を開くのは異例の事だ。特別委員会創設、県連会長選任、総選挙大敗後の総括実施の件などが話し合われた。

 県連会長のポストが空席となっている。こんなに長く決められないのは異例だ。福田元総理に預けたことになっているが、なかなか結論が出ないらしい。その理由は、従来の選任の仕方に対して県会議員の中に強い批判があることを福田さんが承知しているからだろう。

 県連会長の決め方は、自民党の再出発を象徴するものだ。自民党は少しも変わらないと言われる事は何としても避けたいのである。小渕優子さんがもし会長になれば、イメージ一新をアピールするには最適だろうが本人が承諾しないらしい。県会議員の中からという意見もあるのである。会長人事は、来年の参院選、その翌年の県議選に直結する問題なのだ。朝の会議ではいろいろな意見が出た。皆、真剣なのである。

◇朝食会で議題となった特別委員会とは八ッ場ダム対策特別委員会のことである。この特別委員会の設置が、15日の議会で決まった。群馬県委員会条例は、特別委員会について、必要がある場合に議会の議決で置くと定める。

 議決されたことは、委員の定数、設置目的、付議事件等である。設置目的は、「八ッ場ダムの必要性と八ッ場ダムに関わる住民の生活再建について一体的横断的集中的に審査を行うため」となっている。私も委員の一人となった。

「八ッ場ダム」は面白い。やりがいのある大きな課題である。鳩山政権の特色が八ッ場ダムと結びついている。どう解決するかは民主主義の根幹に関わる。どこまでやれるか地方が試されている。そして何よりも、県会議員の調査能力が試されている。面白いというのはまずこの意味である。

 私が特別委員会に関わるのは、高木疑惑の追求を実質的に内容とした「県有地の取得・処分に関する特別委員会」以来である。「八ッ場」にはまだ首を突っ込んだばかりだが、私の前には、八ッ場に関する57年の歴史が広がっている。マスコミも、世間の人々も、表面的なほんの一部の事実にふり回されている。群盲象をなでるの感がする。そこに切り込んでみたい。これが、私をかき立てる、「面白い」の意味の第2である。特別委員会の進行に合わせて、八ッ場の歴史と物語をこのブログで報告したい。

◇「新型」が勢いを増している。10月5日からの1週間で本県における学校等の休校、学級閉鎖は63ヶ所であったが、全国では、この間6496ヶ所となった。そして、新型による死者は27人に達した。アメリカでは、「新型」で入院した大人の40%以上は感染前は健康だった。死者は600人以上の可能性があるという。日本も事態が深刻化することを覚悟して備えるべきだ。(読者に感謝)

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2009年10月15日 (木)

「裁判員裁判の本県1号が近づいた」

◇裁判員裁判が身近に近づいてきた。県内の裁判員裁判第1号が前橋地裁で行われる。初公判は12月8日。12月11日には判決が言渡される。いよいよという感じだ。この制度を定める裁判員法が国会で成立したのは04年(平成16年)で、スタートしたのは今年5月であった。この間、一般市民が重要な刑事事件の裁判に参加するというこの制度の是非をめぐって激しい議論が行われてきた。

 そして、全国初の裁判員裁判の開廷は今年の8月3日に行われた。この時、東京地裁では、58枚の傍聴券を求めて2382人が列を作ったといわれ、これは、この制度に対する人々の関心の高さを示すものであった。

 裁判員裁判が開かれる度に、マスコミは大きく取り上げ、裁判員の様子なども報じてきた。前橋地裁で裁判員裁判が開かれるのを機に振り返ってみると、当初、危ぶまれたこの制度も次第に定着し、司法改革の上で大きな効果をあげてきたことを感じる。

 裁判員制度の目的は、裁判に一般市民を参加させて正しい裁判を実現することである。司法の分野だけは、主権者である国民から離れたところにおかれ、それが当然と思われてきた。その結果、捜査から判決に至るまで、手続きは形式化し慣例に流されてきたといえる。私は、菅家さんの冤罪も裁判員制度の下では生じなかったのではないかと思ってしまう。

◇本県における裁判員裁判の代1号となるのは、民家に押し入って金を奪い人を傷つけた強盗致傷事件である。前橋地裁は、裁判員候補者名簿に記載された6千人の中からくじで80人を選ぶ作業を行ったと伝えられる。その中から6人の裁判員が選ばれる。

 裁判への市民参加によって私たちは、犯罪、刑罰、人権等に対する理解を深めることが出来る。良い裁判員を育てることは、健全な市民社会の前提である。その責務の一端を教育が担うべきであるが、中学、高校は、そのことを意識した公民教育を行なっているか疑問だ。学校は、現実の裁判員裁判を生きた教材として利用すべきではないか。

◇民主党が官僚支配の打破を叫んでいる。私はテレビである人が「官僚はおだてて、木に登らせてうまく使うべきだ」と発言していることに注目した。決して官僚を軽蔑しているのではなく、むしろ官僚の優れた点を認めた上での発言なのである。私は官僚の側もそのプライドを尊重してうまく使われることを期待しているに違いない、そしてこの事は地方においても同じだと思った。官僚を使いこなせない政治家は、官僚を支配したつもりで実は支配されている。猿芝居の猿は、権力におごり、惰性に流される政治家であった。この事が長く続くと、役人と政治家の間に八百長に似た構造が出来上がってしまう。自民党の大敗はこの点を突かれたことが原因だと思う。群馬県政においても、政治家が謙虚に足もとを見詰めないと大変なことになる。(読者に感謝)

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2009年10月14日 (水)

「八ツ場の現場で都議会議員と意見交換」

◇秋の晴天の下、私は、吾妻川に沿った国道を長野原町へ向けて車を走らせた(13日)。稜線を重ねた山々の間を分け入るように国道353は吾妻の奥地へのびる。この道は、私にとっては特別な道である。前方にそびえる山の彼方には、私が書いた「遙かなる白根」がある。それは、人生のハンディを背負った長男周平が学んだ、白根開善学校の世界である。そこへ通じる吾妻渓谷が、今、日本中の注目を集めている。「耶馬溪しのぐ 吾妻峡」と上毛カルタにもうたわれた天下の名勝がダムに沈むことは、個人の心情としては忍び難い気もする。

 この日は、都議会議員が「八ツ場ダム」の調査に訪れていた。八ツ場館に近づくと、新たな観光の名所となったダム建設の現場を見ようとする人々の姿があちこちに見られた。

 午後一時、12名の都議会自民党幹部の人たちと地元の人たちは、八ツ場館で対面して意見交換を行った。町長や町議に交じって、ダム推進議連の県議3人(中村、中沢、萩原)が地元側の席についた。

 この日の会議では、重要な論点が話し合われた。都議からは、ゼロメートル地帯の水害の恐怖、首都機能は水に頼っているのに東京都は渇水に耐える力が弱い、21世紀は水の時代だ、等の意見と共に、八ツ場ダムによる治水、利水の必要性が強く語られた。又、都議会自民党幹事長の川井しげお氏は、八ツ場ダム推進を国民運動として進めていくことが必要だと訴えた。

 私は、群馬県自民党の八ツ場ダム推進議員連盟会長として、挨拶の中で次の点に触れた。まず、「八ツ場ダム」の問題点は主に4つある。それは、第一に地元住民の救済であり、第2は、治水、利水のために八ツ場ダムは必要かということ、第3は、法律に基づいて初めてきたダム事業は中止するにも法律の手続きに従わねばならないこと、第4は、地元の意見も聞かずに作ったマニフェストを金科玉条のように固執することである。そして、力を合わせて国民運動を展開するには、正しい情報を共有し、国民に知らせることが重要だ、国は法の手続きに従っていないのだから、国に対して法的手段に訴える事も考えるべきだ、と。県議会では、八ッ場ダムを集中審議するために特別委員会が設けられることになった。ここで議論された事を有効に使って1都5県が連携を強めなければならない。

◇新型インフルエンザの集団感染が一気に増えた。一週間ごとの集計数が、183人、297人と推移してきて、10月11日発表分は805人となった。私は、ただ事でないと思う。多くは軽症なので深刻に受け止められていないが、全国的には20名の死者も出て、重症例も増えている。弱毒性だが感染力が強い。感染が拡大すればウィルスが変異する可能性も高まる。10月から11月にかけてピークを迎えるという予想の通りになってきた気がする。前橋市も感染者を出した学校等の数は19に達した。(読者に感謝)

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2009年10月13日 (火)

「南太平洋の巨大地震はただ事ではない」

◇自民党の歴史的大敗、日本の民主主義の歴史の上で初めてといえる政権交代、蜂の巣を突いたような八ッ場ダムの騒ぎ、じわじわと押し寄せる新型インフルエンザの恐怖等、次々と襲う衝撃的な出来事に対して私たちは、ほとんどなす術を知らない状態だ。ある魚屋のおじさんが、「今年は、ナメクジやカエルがうんと出ている、何か大変な事が起こるような気がしますよ」と言った。天変地異を指しているのだ。私は直ぐに大地震の事を思った。

 私のこの不安を増幅させるように、12日、2つの地震が報じられた。長野県木曽町地方の地震は、マグニチュード(M)3・6、震度4、福島県会津地方のは、M4・9、震度はやはり4であった。そして、これらの地震は、先日の静岡県駿河湾の地震を思い出させた。

 8月11日未明静岡県で起きた地震は、震度6弱で、マグニチュードは、6・5であった。死者1名、負傷者319名を生じ、御前崎市の浜岡原発が自動停止した。地震による原発の自動停止は、07年の中越沖地震における柏崎刈羽原発以来である。

 静岡市では、「ついに来た」と思った人が多かったようだ。必ず来るといわれている巨大地震、東海地震のことだ。気象庁は、「東海地震ではなくその前兆でもない」と発表した。人々の不安を抑えようとしていると思えるが、「近づいた」と受け止める真理を否定することは出来ないだろう。静岡県で震度6以上の地震は、1944年の東南海地震以来である。

 私は、これら国内の地震を、最近の世界の巨大時地震と結びつけて考えてしまう。素人の感覚としては、地球の球面を絶えず動き押し合っている壮大なプレートの影響と考えたくなるのは当然だろう。9月30日と10月8日に、日本の南方の南太平洋を中心に巨大地震がたて続けに発生した事はただ事ではない。

9月30日、2つの巨大地震が起きた。最初は南太平洋サモア諸島の西沖で、午前2時48分、マグニチュード8・4、二つ目は、インドネシアスマトラ島沖で、マグニチュードは7・6であった。これらの地震による被害の惨状はまだ記憶に生々しい。

 10月8日には、南太平洋で3つの大地震が相次いで起きた。パプアニューギニアの南東バヌツア近海でのこと。午前9時3分ごろ、マグニチュード(M)7・8、15分後には、7・7()その約1時間後に7.3(M)の大地震が同じ海域で起きた。バヌツアは、ポートビラを首都とする人口約16万人の共和国である。

◇南半球の巨大地震がプレートの相互作用の関係で、日本列島の巨大地震の引き金になり得ると説く人がいる。その兆候として、房総半島太平洋岸では磁気の大変な異常が観測され、それは、地殻内部のすさまじいプレートの圧力が原因らしいという。大自然の力をおそれる気持を大切にしなければならない。(読者に感謝)

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2009年10月12日 (月)

遙かなる白根 第131回 子どもたちの叫び

白根開善学校には、彼と同じ理由で入学してきた子もいるのでほっとすることができた。東京にいた時には学校に行かず、家でぽけーっとしていた。それは辛いことだった。誰でもいい。人と話しがしたかった。東京の学校では、あれほど嫌だった集団生活に、ここではすっと入り込むことができた。それは、友達のおかげだ。友達というのは不思議だ。伝わってくるのは家族とは違った安心感なのだ。自分が社会から認められたような幸福感を与えてくれる。友達は優しくて面白い。冗談を言い合ったりするのが何ともいえない程楽しい。K君は、東京の頃の生活と比べながらしみじみ、こう感じるのだ。

寮にはいろいろな人がいるが、K君のベッドの上にいるタコみたいな先輩は特に面白い。この先輩は一緒に遊んだり、勉強を教えてくれたり、またいろいろ世話をしてくれる。たまには、この先輩に学習室やトイレに閉じ込められたり、つねられたりもするが、とってもいい先輩である。

K君は時々、ベッドに入るとき、この先輩と翌朝のパンや牛乳をトランプで賭けることがある。負けた夜は、テーブルに出されるパンのことがいつまでも頭から離れなかった。

「約束だから」

翌朝、K君がパンを差し出した。

「いいよ」

タコ先輩は、笑いながらこう言って返してくれた。嬉しかった。K君は、この先輩が大好きなのである。

K君が寮の生活で気をつけていることは、友達の悪口を言わないことである。友達は大切だし、嫌われたくないからだ。しかし、向こうがK君の欠点などあんまりひどいことを言ってくると、とてもむかつく。しかたなくしかとすることもあるが、しかとするのはとても辛いことだ。K君はこの学校に来て、友達の大切さが分かったことがとてもよかったと思っている。K君は、これからも友達を大切にして、この学校の生活を送っていきたいと考えている。

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2009年10月11日 (日)

遙かなる白根 第130回 子どもたちの叫び

テストについてのN君の考えはこうだ。テストは授業が分かったかどうかを確認するためにもの。生徒が嫌がるとか、テストをやるのは自由ではなからという理由だけでテストをしないのは授業とはいえない。N君は、時々ふと普通の学校では今頃、期末試験がある頃だなと考える。あんなに嫌だった前の学校が懐かしいくらいだ。帰省して友達と話しているといつの間にか勉強のことや進学のことになる。すると、これが本当の学校の姿なのだと思い知らされる。N君は、この学校にいたのではとてもあのレベルに戻ることは無理だと思っている。だから、将来が不安なのだ。 ― 開善学校での勉強でN君のように悩む生徒は多いはずだ。下界の普通の学校で長いことせかせかと追い立てられるように勉強していた子ども達は、その習慣が脳味噌にしみ込んでいる。白根開善学校では時計の針はゆっくりゆっくり回っているのだ。下界の学校の時のように学校のスケジュールに身をゆだねていたのでは勉強ができないに違いない。勉強は人に頼らず自分でやってゆくものと気付いた時、白根の山中は理想的な環境を提供する。その昔、私は夜間学校で働きながら大学進学を目指したが、成功した原因は、このような自覚をしっかりと持ったことであると、N君の姿を想像しながら今しみじみと振り返るのである。N君も悩みながらも、その後、自分の道を探し出したことだろう。そして、長い人生の過程で「白根」の体験の意味を1つ1つかみしめることだろう。 58年度中等部2年K君の場合 ― 「私の一番大切なもの」 K君がこの学校に来て思ったことは友達の大切さである。彼は、東京の学校に在籍した時、学校へほとんど行かなかった。そのため彼は友達と付き合った経験があまりなく、自ら述懐しているように友達の本当の良さが分からなかったのである。 ◆土・日・祝日は、中村紀雄著「遙かなる白根」を連載しています。

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2009年10月10日 (土)

遙かなる白根 第129回 子どもたちの叫び

昭和57年度中等部N

― 開善学校に対する不満

N君がこの学校に来たのは前の年の8月27日である。朝6時半に横浜の親戚の家を出て、車に揺られること6時間、変な切り株の門をくぐり、赤い屋根の校舎に辿り着いた。

「俺はとうとうこんな僻地にまで来てしまったのか」とN君はみじめは気持ちになった。そして「俺はこんな学校へは入らないぞ」と思ったのだが、あれよあれよという間に、一年近くも経ってしまった。都会へ帰りたい気持ちとこの山にいたい気持ちとが自分の中で綱引きをしていたような気がする。N君は今でも“体入”が入学を嫌がっている姿を見ると一年前の自分を思い出す。そこには何か納得いかないものがある。この学校の目的というものが今1つ理解できない。このような学校が日本中から注目されること自体、社会がおかしいのかもしれないとN君は考える。N君は、この学校に来て嫌な場面をたくさん見てきたし、嫌な思いもしてきた。弱い者いじめは見飽きる程頻繁だし、物がなくなるのは日常化している。小さいことをあげたら十数冊のノートいっぱいになるだろう。また、これ程人間関係の難しさを見せつけられたのは初めてだ。途方もなく大きな家族の中に放り込まれたようだ。しかも、今までのような我がままも許されない家族である。その中で耐えてゆく自分が不思議なくらいだ。せめてこれが良い体験になればと思う。N君は、この学校が気に入らない。校長先生は偉いことを言っているが、どこまで信用してよいのか分からないし、この学校で何がつかめるのか不安だからだ。それは、この学校を出るまで変わらないと思っている。N君は、この学校にいて、いつも悩む。それは、一日一日がだらだらと過ぎてゆくこと。こんなことをしていてはいけないと自分をせき立てるように努める。授業は進んでいるのか止まっているのか分からない。教科書にも沿わないし、テストもないと言っても過言ではない。

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2009年10月 9日 (金)

「91歳、元首相の講演の重み」

◇91歳の老政治家はたっぷり1時間聴衆の心をとらえて離さなかった。自民党が企画した中曽根元総理の講演会で、題は「日本政治の将来」。1人2万6千円、25%の削減、1990年代、308対119、こんな数字が原稿を見ずによどみなく飛び出す。元首相の頭脳は老いていなかった。

 その語る言葉は、長く激しい政治歴に耐えた事を感じさせる重みがあった。私は最前列で耳を傾けたが心に残る言葉が多くあった。そのいくつかをここに記したい。

 「ようやく二大政党の時代に入る、これを発展させ安定した二大政党にしなければならない、鳩山首相は官僚政治の打破を叫ぶ、それが政党政治だ、政党人は官僚以上の政策力をつけて、官僚を使いこなさなければならない」中曽根さんのこの言葉を聞いて、これは県会議員にも当てはまることだと思った。

 自民党の国会議員を長く見てきてこの人は成長していないと思うことがあった。常に選挙で勝てる自民党の長期政権の下では、政治家は官僚任せで政策力を磨かなくてもやってこれたに違いない。それが官僚支配となり、そのつけが自民党の歴史的な敗北となってつきつけられたのだ。

 この事は、野党経験の大切さを語る元首相の次の言葉と合わせて考えると納得がいく。中曽根さんは自らの野党時代の経験を踏まえて、野党にある時の方が勉強になる、権力を持つと権力におぼれる、国民の気持ちは野党になって分かる、野党経験のない政治家は駄目だ、と言い切った。

 民主党政権が今、生き生きしているのは野党時代に蓄えた実力の故であろう。長いこと官僚任せにしてきた自民党との差は国民の審判を仰ぐ前に既に歴然としていたのである。私は、この事をはっきり認識することが自民党再生の第一歩になると思った。

◇中曽根さんは、民主党の個別の問題にも触れた。ここでは、「CO2」と「八ッ場」に関する元首相の考え方を紹介しよう。

 CO2の25%削減は、世界から拍手をうけたが実際は難しい。出来なければ世界の信用を失う、国民は国際関係を考えて協力することが必要であると述べた。八ッ場ダムについては、「群馬県の言うことを聞きなさいと言っている」として、住民の意志を尊重すべきだ、積み上げてきたものを元に戻すのは人情無視だ、今までの努力の結果を尊重すべきだと発言した。

◇最後に元首相は、日本の国はこうだという国家像を示すことの重要さを訴えた。そして日本の国家像は憲法の中に示される。現在の憲法には足りない部分もある、それをきちんと示すべきだと持論を展開した。

◇私は、新しい日本、自民党の再生には、地方の役割が非常に重要だと思うがと質問した。元首相は地方があって中央がある、憲法で地方が軽く扱われている、地方重視の憲法素案を作らなければと答えた。(読者に感謝)

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2009年10月 8日 (木)

「薬物から青少年を守れ。県警の大きな成果」

◇慶応大学、法政大学、関東学院大学、中央大学、第一工業大学、関西大学、大手前大学、京都大学、早稲田大学、東京理科大学、東京大学、同志社大学、芦屋大学、松蔭女子学院大学、上智大学、札幌学院大学、東北文化学園大学、大阪経済法科大学、関西学院大学、龍谷大学、東海大学、群馬大学、等。

 これは、最近、大麻事犯を起こした大学名である。7日の警察関係の常任委員会で薬物問題を取り上げる際の資料として私が委員及び県警幹部に配布した。県薬務課から入手したこの資料には検挙された学生数も記されている。

 酒井法子の逮捕で大騒ぎになっているが、芸能界や大学生の間で薬物が蔓延していると思われる。資料にある大学と検挙者も氷山の一角ではないか。芸能界や大学生の若者に対する影響力は大きい。若者の間に広がるのを何としても食い止めなければならないと思って、私は発言した。

 県内の今年の薬物検挙者は8月末で175名で初犯は54名、30・9%だという。初犯者が多いことは一般市民の間に広がっていること、その中には若者が含まれていることを意味していると思われる。薬物依存症になると脳に障害が残り完治は不可能だといわれる。青少年を薬物から守るためには警察だけでなく社会全体が取り組まなければならない。

◇振り込め詐欺が依然深刻である。県警によると、詐欺の被害者は、オレオレ詐欺では80歳以上の女性が9割を占め、還付金詐欺では65歳以上の女性が7割を占めるという。

振り込め詐欺の検挙は非常に難しいといわれる。しかし、罪の意識もなくビジネス感覚で人をだます卑劣な犯罪を厳しく取り締まらなくてはならない。この詐欺は、人々の、規範意識が薄れている、病める現代社会の象徴でもある。

県警は5日、還付金詐欺の実行犯逮捕という素晴らしい成果をあげた。県警による還付金詐欺の実行犯逮補は初めてだ。逮捕されたのは指定暴力団組員である。このケースでも被害者は65歳以上の女性だった。組員の男は、架空の社会保険事務局職員をかたって、医療費の還付金があると電話しATMを指示通りに操作させて現金をだましとった。県内では今年6月までに29件の還付金詐欺事件が発生していた。同一グループの犯行の可能性が高いという。

 関東地方中心に同様の手口の犯行が昨年から今年の6月にかけて約80件発生し、被害額は約7千万円に達するという。金がもらえるという情報に対して人はいかに弱いかが分かる。

◇暴力団対策は今議会でも重要な課題である。07年に私が中心になって実現させた県営住宅から暴力団を排除する事を目的とした「条例改正」のその後について質問した。この改正が契機になって県内市町村の全ての公営住宅につき同様の条例改正が行なわれたことが分かった。県議会の役割として、これからは条例作りに関わって行かねばならないことを改めて自覚した。(読者に感謝)

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2009年10月 7日 (水)

「三宅新教育委員長の登場。新型発生の学校名は公表すべきだ」

◇「政権交代で自民党は大いに反省していますが、問題は自民党はだけではありません、長く続いた体制の下で行政の側にも反省すべき点があると思います。教育行政しかりです。人づくりを目指す教育の役割は極めて重要です。教育行政の先頭に立つ委員長の決意と基本的な考えを聞かせて頂きたい」

 私の質問に対して、新たに就任した三宅豊教育委員長は、よどみない口調で、次のような明快な論理を語った。

「個性を尊重することは大切なことですが、その前に基本となることをきちんと育てることが必要です。それは忍耐力とか心の心棒とかです」と。

 私は委員長に教育の現場を見て現実を知ってほしいと要望した。「予告なしに学校に飛びこんで授業を見て欲しい」と言うと、委員長は少し戸惑ったような表情をしていた。教育委員長が現場を見るといえば、最大限準備され作られたものを見せられるのが普通ではないか。だから、歴代の委員長は、真実の教育の現場を知らないのかも知れない。私の心の底にはそんな思いがあった。そして、最後に、「教育委員会が形骸化しているという汚名を返上して欲しい」と発言すると三宅委員長は大きくうなずいていた。新委員長に期待するところは大きい。

◇新型インフルエンザについて、私は次のような発言をした。「これからが本格的な蔓延期になります。児童が重症化する恐れも出て来ています。対策として地域社会の協力が重要です。地域の協力を得るために、集団感染が出た学校名を公表すべきだと思います」

 毎週火曜日に集団感染の状況が発表されているが、学校名は発表されていない。前に実名を公表したら風評被害が発生したからだという。そういう事があるとしても、発表したほうが効果があるとすれば公表すべきだというのが私の考えである。風評など恐れたら人の命は守れない。

◇退職手当の支給を制限するための条例改正がなされる。公立学校の職員が在職中非違行為を行ない、退職手当をもらって、退職後にそれが発覚した場合、返納を命ずることができる。また、その職員が死亡している場合には、遺族に返納を命ずることが出来るとするもの。

 従来の条例では、このような措置が不可能だった。この改正は、退職手当制度の一層の適正化を図り公務員に対する県民の信頼確保に資することを目的とする。本会議で委員会に付託された条例案は、6日の教育委員会で全員一致で可決された。これを踏まえて15日の本会議で可決される見通しである。

◇夜半、雨が止んで芳賀グラウンドを20周した。先日満月の下を走った時と比べ大変な違いだ。自分との闘いである。ホイホイサッサ、ホイサッサ。今年も県民マラソンで10キロを走る。昨年は57分台だったが今年はどうなるか。マラソンは人生の縮図であり、日々の闘いの縮図である。(読者に感謝)

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2009年10月 6日 (火)

「教育委員会委員長、公安委員長は常任委員会に出席すべきだ」

◇今日は、常任委員会の日(6日)。私の所属は文教警察である。教育も警察も極めて重要な県政の課題を抱えている。教育委員会のトップは教育委員会委員長である。今日の常任委員会には三宅新委員長が出席する筈である。委員長は、制度上、特に出席の要請があった時だけ出席することになっている。おかしな事だと思う。

 昔は、本会議も委員長が常に出席する制度ではなかった。本会議は常時出席することになったが常任委員会は制度上はまだ昔のままなのだ。常任委員会では教育に関するホットな議論が行われるのに、教育の最高責任者がいないのはおかしい。その理由を聞くと、いきなり質問されても返答に困る、というものだった。多くの人は、なぜそのような人を委員長に選ぶのかと思うに違いない。教育委員が名誉職となっていて、教育委員会が形骸化していると批判されるのも無理はない。

 改革の時代である。人づくりを目指す教育委員会の役割は重大だ。教育委員に選ばれる人は、厳しい質問にさらされることを覚悟して欲しいと思う。私は、今日、委員長に基本的で重要な質問をしたいと思う。

◇同様な問題は警察の上に立つ公安委員会についても存在する。かつて、見識が疑われる御粗末な委員長が存在したことがあった。現在は大いに改められていると思える。警察関係の常任委員会は明日である。公安委員長に出席してほしいと思っている。

 県警が取り組む課題は多い。酒井法子が薬物で逮捕され、世の中がひっくり返る程大騒ぎになった。私たちが想像する以上に薬物は普通の市民の間に広がっているらしい。薬物依存症に陥ると完治は不可能だといわれる。「薬をやめますか、それとも人間をやめますか」といわれる恐怖の世界から青少年を守らねばならない。この事も、この委員会で質問したいことの1つだが、他に、私が関心を持つことに取調べの可視化という問題がある。民主党がマニフェストに掲げていることであるが、菅家さんのいわゆる足利事件で、偽りの自白を結果として導いた取り調べの過程が問題視され、その可視化が重要な課題となった。

 自白の強要は取調べの過程が外から見えない密室で行われることに原因があるのは分かる。しかし、可視化を徹底させると取り調べの過程が硬直して真実の追究がやりずらくなると取り調べ側は主張する。私は、一度警察署の取り調べ室に体験で入ったことがある。被疑者としてこの部屋に入れられた場合の重圧感は大変だろうと想像した。

◇菅家さんに検察官が直接に謝罪した(5日)。自白から無期懲役となり逮捕以来17年服役した。21日再審公判が開かれる。菅家さんは別の2つの女児殺害も自白していたが、その時の録音テープも弁護団に開示された。DNA鑑定の飛躍的進歩によって一挙に解決に向ったこの事件は司法の世界に大きな波紋を投げた。(読者に感謝)

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2009年10月 5日 (月)

「前原大臣に意見書を渡す。八ッ場ダムは熱く燃えた」

◇10月2日の長野原町の集会は、この町始まって以来の出来事だったのではないか。山村開発センターの前は小雨の中で、報道陣がごった返していた。谷垣自民党新総裁を中心とした国会議員団が地元の意見を聞く集いである。地元席には、大澤知事、町長、町会議員らが並んだ。

 「国は八ッ場ダムをダム見直しの金看板にすると言っている、金看板にするために地方を犠牲にするのか」、「地方は国を信頼出来なくなる。信頼が壊れたら日本はどうなるのか」、「ダム工事の発注を延期から中止にした理由として、延期していると業者に負担をかけるからだという。業者に配慮して住民に配慮しないのか」、このような意見が次々に出た。

 谷垣総裁は、「国会で十分に議論するつもりです。国会の討論を見守って欲しい」と決意を述べた。また、金子一義、前国交相は、「ならくの底に落ちたような辛い気持ちをよく受けたまわった。大きな手がかりを頂いた」と発言。

 最後に、私は、「国会の場で頑張ってもらうことが最も大切なこと、それが出来なければ自民党の再生は出来ないと思います」と訴えた。

◇この日、「八ッ場」を終えた後、原議長と私たち八ッ場ダム推進議連の幹部は、県議会が可決したダム推進を国に求める意見書を携えて国交省に向かった。前原大臣に意見書を渡した後、私は、かなり突っ込んだ発言をした。大臣との対話の主要部分を再現してみる。

中村、「国が約束した事を簡単に破ると国民は国を信頼できなくなります」。

前原大臣、「政権がかわれば、政策の変更があり得ることを一般論としては認めて欲しいと思います」。

中村、「はい、一般論としてなら分かります。しかし、八ッ場ダムは違います。政権がかわって政策が変更する場合は、住民が納得いくように説明するべきだと思います。反対派と推進派が異なった材料で議論していると思います。情報公開を徹底して共通の材料でダムの必要性を検証して頂きたいと思います」

 前原さんはうなづきながら私の発言に耳を傾けていたが、中止の考えを動かす様子は見られなかった。

◇白根開善学校の理事会に出た(3日)。議案の1つに「政権交代の影響について」があった。民主党が公立高校の授業料無料化を打ち出していることとの関係で私学助成がどうなるのか等が心配されているのである。白根開善学校は本吉校長の理念と執念で創られた学校であり、私は拙著「遥かなる白根」の中で詳しく書いた。本吉さんの表情は厳しい風雪に耐えた事を感じさせないすがすがしいものであるが、理事長と学園長を退任する時がきた。このことも議案として話し合われた。本吉さんは、死ぬまで、山の学校にいて生徒の相談相手をしたい考えだという。「八ツ場」を見下ろす山中に教育の旗がへんぽんとひるがえっている。(読者に感謝)

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2009年10月 4日 (日)

遙かなる白根 第128回 子どもたちの叫び

 自分もそうだが、行き場に困って山にやって来る者が多い。行き場がないまま何となく居着いてしまうが、納得していないので、耐える力を出せず、脱走に走ってしまうのだろうとK君は考える。

 K君には、開善学校に来て楽しかったことと苦しかったことがある。まず苦しかったことは55キロメートル強歩だった。7月3日、朝から雨の降る日、榛名湖から学校まで歩ききった。K君がそんなに歩いたのは生まれて初めてのことだ。雨に濡れて辛かったけど、歯をくいしばって頑張った。この学校に入って初めて満足感を味わった。そして、文化祭の前夜は午前3時まで頑張った。この学校に入って満足感を味わった。そして、苦痛を乗り越して、幸せな気分を味わったのは生まれて初めてことだ。楽しかったことは文化祭だった。K君は、毎晩12時まで仲間と準備した。そして、文化祭の前夜は午前3時まで頑張った。K君は前にいた中学校でも文化祭を経験したがこんなに頑張ることはなかったのだ。仲間と力を合わせてこんなに頑張れる自分が不思議だった。何か目の前が開けていくように感じた。こんなことをさせる開善学校は変わった学校だ。知らないうちに頑張ることを教えるのがこの学校なのか。何だか力が湧いてきたような気がする。K君はそう思った。夢中で過ごした開善学校の一年間は辛いことも沢山あって、本当に長い長い一年だったと振り返る。

 - 白根開善学校の寮では、今日でも、お菓子の持ち込みが禁止され、学校から出される決まった量のお菓子をめぐって、もっと増やすべきか、質素を貫くべきか議論されている。また、開善学校の在校生も卒業生もほとんどの人達が「強歩」には特別の思いを抱いている。K君の頃は榛名湖から学校までの55キロメートルだったのだ。現在100キロ強歩を平然とやってのける開善学校の凄さ。それを支えるのは、K君達先輩の努力の積み重ねで作った伝統である。K君の言うように、開善学校は変わった学校なのである。その変わりぶりをどう理解し、また、どう受け止めるかに開善の子になれるかどうかが懸かっている。入学した初めの一年は、戸惑いの一年であったろう。都会からいやいややってきたK君にとって、さぞ長い一年であったと思われる。振り返れば周平にとっても、親の私にとっても同じように長く苦しい最初の一年であった。

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2009年10月 3日 (土)

遙かなる白根 第127回 子どもたちの叫び

ここでは創立期の昭和57年から平成6年までの弁論大会の出場者から7人の生徒を選び、その作品の中味を紹介し、白根開善学校の実態に近づきたいと思う。

 まず創立期の生徒の中から。

昭和57年度中等部K君

  開善学校の楽しいこと辛いこと

K君が開善学校に入学したのは1年前の6月のこと。5月の末に体験入学で来た時、K君は、なぜこんな山の中に学校を建てたんだろうと不思議に思った。今まで生活してきた都会とは全く別の世界に入ってゆくような不安を覚えたのだ。周りは山と木ばっかりで、本当にひどい所に建てた学校だと思った。

体験入学の時、まず疑問に思ったことがある。それは、全寮制の学校なのになぜ食べ物を持ってきてはいけないのかということだ。寮の先生達の部屋にはビールや食べ物が結構あった。特にビールなんか山のように三箱ぐらい重なっていた。お腹が減ると、食べ物がにぎやかに並んだ都会のお店の情景がちらついた。先生がとてもうらやましく思えた。

「先生はいいね、ビールとかお菓子をたくさん食べられて」

K君が恨めしそうに言うと、

「先生さまはお疲れになるからいいんだ」

先生はちょっとだけおどけたように笑って答えた。

 後にK君が正式に寮に入ってから間もなく、ある夜、突然一人の先生が部屋に入ってきた。

「エサはどこだ」

と言いながら先生はベッドの裏までひっくり返して捜査した。食べ物だけでなく禁じられた物を持ち込むことに学校は神経を使っている。

 また、K君は、自分の入学を振り返りながら、この学校にはちょっと変わった入学の仕方があるという。それは体験入学で来ていて、そのまま何となく入学してしまうことで、こういうのをK君達は「だまされ入学」と言っている。その例は結構あって、そういう入学のさせ方をしている間は、脱走する生徒は減らないだろうとK君は言う。

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2009年10月 2日 (金)

「谷垣総裁と意見交換。前原大臣に意見書を渡す」

◇「八ッ場ダムの帰すうは群馬県がいかなる役割を果たすかにかかっています」、「このダムの推進は、国と1都5県が法律に基づいて実施している共同事業であります」「政党ではなく国が国民と交わした約束をマニフェストに書かれたからという理由で一方的に破ってもよいものでしょうか」私が、このように主張して提案説明した、国に対する意見書は、1日の本会議に於いて賛成多数で可決された。

 この意見書は、群馬県議長・原富夫の名で、衆議院議長、参議院議長、内閣総理大臣、総務大臣、財務大臣、及び、国土交通大臣にあてて提出することになる。あて先で一番重要なところは、国土交通大臣である。

 国土大臣も重く受け止めているのであろう、前原大臣、今日(2日)午後5時40分、意見書を直接受理すると言ってきた。八ッ場ダム推進議連会長の私は、他の幹部と共に議長に同行して国土交通省に向かうことになった。前原国交省に対し、意見書と共に私たちの決意を伝えたいと思う。

◇先月28日、自民党総裁に選ばれた谷垣禎一氏が、今日(2日)地元住民との意見交換のため長野原町を訪れる。場所は長野原町与喜屋にある山村開発センターである。与喜屋の地名は、その昔、源頼朝が狩りに来た折り素晴しい景色に心を打たれて、「よきや」と叫んだことに由来するという説がある。

 私は、吾妻川南岸の与喜屋林道を歩いたことがある。浅間山の北麓に当たるこのあたりは緑が海のように広がる静かな丘陵地帯である。今から226年前(天明3年)、浅間の大爆発によってあふれ出た泥流は、人馬も森も呑み込んで一気に吾妻川に流れ落ち渓谷を埋め尽くした。いかにものどかなこのあたりの景色から地獄のような光景を想像することは難しい。実は、いつかは繰り返される浅間の爆発と八ッ場ダムの関係を問題にする意見もあるのである。

 午前10時に開かれる意見交換会は大がかりなものになる。出席する国会議員は、谷垣総裁、石破政調会長、尾辻参議院議員会長、金子前国土交通大臣等、それに本県選出の佐田、中曽根、山本の各氏が加わる。

 意見と要望を述べる側は、大澤知事、長野原町と東吾妻町の町長や町議会議長の他、各地区のダム対策の関係者等である。

 八ッ場ダムは、国家事業として国が計画したものである。だから、国会議員には大きな責任がある。それなのに、国会議員は何もしないという批判があった。官僚が計画した事だと軽く考えるような議員がいるとすれば、それは、国会議員であることを自ら否定するのに等しい。自民党が大敗した理由の一つに、「官僚支配、官僚任せ」が指摘されている。倦土重末を期す自民党にとって、八ッ場ダムは試金石となる。そして、今日の意見交換会は正念場だ。この事は、県会議員にとっても同様である。この会議の成果を胸にして午後前原さんに意見書を渡す。(読者に感謝)

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2009年10月 1日 (木)

「群馬を売り出すには郷土を愛する心が必要だ」

◇八ツ場ダムの地元の人は、今、疲れきっているという。全国から電話やメールが押し寄せ、その中には誹謗、中傷のものも多く、また深夜長時間議論をしかけるものもあるらしい。「政権がかわったのになぜ政府に従えないのか」と責める声もあると聞く。電話やメールを寄せる人は集団で行動している意識はなくても受ける方は集中砲火にあっているような心境だろう。ある旅館業者は営業用の電話を切ってしまったとか。早く落ち着いた生活に入りたいと願っていた人々にとっては堪らない災難に違いない。変な風はじきに治まるから耐えて欲しい。

◇議会の休憩時間、テレビは南太平洋の大地震のニュースを伝えていた。人間界の混乱と自然界の異変は連動しているかのような不気味さを覚える。そんな中で小渕優子さん出産の話が議員の間でささやかれていた。朗報である。八ツ場を抱えた衆院5区で優子さんは、臨月のお腹で頑張っていた。「2人で頑張っています」という発言もしていた。神経をすり減らしている八ツ場の人々にとって勇気を与える話題だろう。八ツ場は、今、陣痛の苦しみに耐えている時かも知れない。

◇この日の議会で、天皇在位20年の慶祝行事が取り上げられた。県民の祝意を示すために本県に行啓された時の写真展を、県民ホールで開き、記帳のコーナーも設ける予定である。期間は11月1日から12日迄の12日間となる。

◇最近の大澤知事を見て思うことは、大澤カラーが板についてきたことだ。八ツ場問題について答弁する姿によくそれが現れている。

 昨日(30日)の議会では群馬の知名度に関して語る時それを感じさせた。「群馬の知名度は低い。上げるにはどうしたらよいか」という質問に、大澤知事は次のように答えていた。「群馬県人は群馬を知らない。尾瀬、谷川、水源など、また上毛カルタも、競技のために覚えたが本当の中味を知らない。群馬の伝統を愛する心が大切で、それは教育の問題です」、「おれのふるさとには尾瀬があると語れることが大切です」と。

 大澤知事の発言には本質的なことが含まれている。郷土を愛する心があれば誇りと自信をもってふるさとを語れる。メディアを通して群馬を発信する場合も心がなければ表面的になってしまい、相手の心をとらえられないだろう。群馬に欠けているものはこの点かも知れないのだ。

◇本会議が5時40分に終ると、直ちに産業経済の常任委員会が開かれた。八ッ場ダム建設の推進を国に求める意見書を採択するためだ。

本会議で提案説明した私は、ここでも提案説明をした。文案は原稿用紙約3枚を休み時間に書いた。説明者に対する質問は行われず、討論に入った。賛成多数で可決された。この委員会の結果を踏まえて本会議で可決される見通しである。委員会の議題は1件のみなので約30分で終了した。(読者に感謝)

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