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2009年10月24日 (土)

遙かなる白根 第134回 子どもたちの叫び

―学校生活の中で心に傷を負う子ども達は多い。それは今も昔も変わらない。他人の弱点や欠点を攻撃することについては、子どもはある意味で大人よりストレートで時に残酷である。子どもは、大人のように自分の心に映ったことを迎えたりすることができないからだ。しかし、子ども達の心の奥には純粋な同情やいたわりの気持ちが小さな根をおろしている。殺伐とした現代社会は、子ども達の心にそういう人間的な芽が成長することを困難にしている。受験競争の激しい下界の学校は、競争に強い者が勝者であり、競争に敗れた者は人間的にも敗者と見られるような傾向がある。こういう世界は、障害を持つ子にとって辛いところである。Yさんは、そういう世界を逃れ、白根の山に何か温かいものを求めて登ってきたのであろう。白根の山もその願いを十分に叶えてくれる程甘い世界ではなかった。しかし、良い友を得て、人を信じ、自分を信じることができるようになって、大きく成長してゆくYさんの姿を私は想像するのである。

 弁論大会に現れる子ども達の心の中は実に様々だ。都会が恋しい、山の生活が耐えられないという心の叫びが伝わってくるような文面がある。耐えきれずに脱走する子ども達の姿が瞼に浮かぶ。また、多くの子ども達の主張に見られるのが、学校に対する不満である。お菓子がもっと欲しい、テレビがもっと見たいというものから始まって、精神的なもの、人間関係についてのものまで、彼らの欲求不満の中味は様々だ。これは、解決することの困難な、白根開善学校にとって永遠の課題かもしれない。

 彼らが、白根の山で生まれ育ったのであれば質素で厳しい環境に耐えることはそれほど苦痛ではないだろう。しかし、子ども達は、物質万能の、また欲望や刺激の渦巻く都会生活の中で育てられてきた。厳しい人間関係に耐える力も身につけていない。それが全く別の世界に準備もなしに、放り込まれるのであるから戸惑うのは当然といえる。

◆土・日・祝日は、中村紀雄著「遙かなる白根」を連載しています。

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