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2009年10月 4日 (日)

遙かなる白根 第128回 子どもたちの叫び

 自分もそうだが、行き場に困って山にやって来る者が多い。行き場がないまま何となく居着いてしまうが、納得していないので、耐える力を出せず、脱走に走ってしまうのだろうとK君は考える。

 K君には、開善学校に来て楽しかったことと苦しかったことがある。まず苦しかったことは55キロメートル強歩だった。7月3日、朝から雨の降る日、榛名湖から学校まで歩ききった。K君がそんなに歩いたのは生まれて初めてのことだ。雨に濡れて辛かったけど、歯をくいしばって頑張った。この学校に入って初めて満足感を味わった。そして、文化祭の前夜は午前3時まで頑張った。この学校に入って満足感を味わった。そして、苦痛を乗り越して、幸せな気分を味わったのは生まれて初めてことだ。楽しかったことは文化祭だった。K君は、毎晩12時まで仲間と準備した。そして、文化祭の前夜は午前3時まで頑張った。K君は前にいた中学校でも文化祭を経験したがこんなに頑張ることはなかったのだ。仲間と力を合わせてこんなに頑張れる自分が不思議だった。何か目の前が開けていくように感じた。こんなことをさせる開善学校は変わった学校だ。知らないうちに頑張ることを教えるのがこの学校なのか。何だか力が湧いてきたような気がする。K君はそう思った。夢中で過ごした開善学校の一年間は辛いことも沢山あって、本当に長い長い一年だったと振り返る。

 - 白根開善学校の寮では、今日でも、お菓子の持ち込みが禁止され、学校から出される決まった量のお菓子をめぐって、もっと増やすべきか、質素を貫くべきか議論されている。また、開善学校の在校生も卒業生もほとんどの人達が「強歩」には特別の思いを抱いている。K君の頃は榛名湖から学校までの55キロメートルだったのだ。現在100キロ強歩を平然とやってのける開善学校の凄さ。それを支えるのは、K君達先輩の努力の積み重ねで作った伝統である。K君の言うように、開善学校は変わった学校なのである。その変わりぶりをどう理解し、また、どう受け止めるかに開善の子になれるかどうかが懸かっている。入学した初めの一年は、戸惑いの一年であったろう。都会からいやいややってきたK君にとって、さぞ長い一年であったと思われる。振り返れば周平にとっても、親の私にとっても同じように長く苦しい最初の一年であった。

◆土・日・祝日は、中村紀雄著「遙かなる白根」を連載しています。

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