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2009年9月 9日 (水)

「松沢睦先生の死に思うこと」

◇松沢睦さんがお亡くなりになった。78歳、突然のト報に驚いた。健康を害されていたことは聞いていたが、それ程悪くはないと思っていた。先日の衆院選では、1区の尾身さんの情勢を心配されて私に電話をくれた。しっかりした声であった。長年選挙戦の中をくぐって来た人の感で危ないと見ていたのだろう。私に公明党対策をしきりにすすめていた。松沢さんの心配した通りになってしまった。

 老練、百戦練磨、慧眼の人、そんな表現があてはまる人で、自民党の全盛時を統括した人だった。喧嘩上手で策士といわれたが見識と哲学があったから上滑りすることはなかった。時代が大きく変わりつつある観点からすれば、どちらかといえば古いタイプの政治家で、このような人は、二度と現れないであろう。私は、県議会は、松沢さんの退場で一つの時代が終わったと見ていた。

 振り返って、私は松沢さんとはつかず離れずの関係にあったと思う。価値観、政治信条の点では必ずしも相容れないところもあって、近づき難く思っていた私を松沢さんの方も煙たく思っていたかも知れない。

 ある時、松沢さんと語り合って、その内面の基盤をのぞく思いをした事があった。松沢さんがキリスト教と関係があることは聞いていたが、御尊父は救世軍のメンバーであった。松沢さんは、昔、その筋の女がよく逃げ込んできたこと、また、救世軍の山室軍平が松沢家に出入りしていたことなどを語っておられた。

◇救世軍はプロテスタント協会に基礎を置く社会活動の組織である。イギリスのウィルアムブースが創始し、社会の巨悪と戦うために軍隊的組織を採用した。明治時代、日本に上陸した救世軍が始めたことは娼婦の解放運動だった。

 私はかつて群馬の廃娼運動を研究した。楫取県令や二代目県会議長湯浅治郎などが活躍し群馬は日本で最初の廃娼県となった。湯浅治郎がクリスチャンであったことが示すように、廃娼運動にはキリスト教徒が深く関わっていた。救世軍は、そういうキリスト教徒の特別な姿であった。タイコをたたいて遊郭に乗り込み女郎を救う救世軍の戦いは世の注目を集め次第に大きな成果を上げるに至った。

 松沢家が福祉事業を始めたことは、そういう救世軍活動ともつながる社会的弱者を救済するという思想に基づくのではなかろうか。そして、県議時代の松沢さんの強さを支えるバックボーンとなっていたものに、親から受け継いだ救世軍運動の思想があったのではないかと想像する。

 松沢さんがこの世を去ったと知って改めて松沢さんの確かな足取りの大きさを感じる。そして、松沢さんと比べて政治家としての自分の小ささを思う。「棺を覆って事定まる」という諺が松沢さんの姿と重なる。松沢さんは、政権交代時代の県議会を心配していたに違いない。焦るな、雌伏の時は耐えて力を養う時だと松沢さんが天から呼びかけている。松沢さんの死を乗り越えて進もうと思う。偉大な先輩のご冥福を祈る。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「遙かなる白根」を連載しています。

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