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2009年9月27日 (日)

遙かなる白根 第126回 子どもたちの叫び

悦理君は、脱走は問題の解決にはならないと考えながらも、それへの理解を次のように示す。

「脱走とは、病人が何はともあれ,自分の周囲、内面に目を向け思考していることの現れであって、この点は認めねばならない」と。自ら脱走の経験者として、彼はその時の心境を振り返っているのかもしれない。

 そして、悦理君は次のように論文を結んでいる。

「開善学校に生徒の欲求を一般的に解決する新たなシステムが誕生しない限り、脱走病は、今後も“自由への願望”をバックボーンにして開善学校に棲息しつづけるであろう」と。悦理君が卒業して10年が過ぎた。白根開善学校は、設備などの環境はすっかり整ったが、今でも時々脱走はある。悦理君の予言のように、自由への願望は永遠のものである以上、脱走病の原因は今でも棲息しつづけているのであろう。

作文と弁論大会にみる彼らの真実

 白根開善学校の主役は、そこで学び生活する子ども達である。いろいろな角度から開善学校を取り上げてきたが、この学校の真の姿を知るためには子どもたちの真の姿を知ることが第一である。私の長男、周平のことを書いてきたが、それは、開善学校で生きる子ども達のほんの一例にすぎない。周平のような子もいれば、いわゆる頭脳優秀な子もいる。親子ともに受験戦争に矛盾を感じ、それに疲れ果て新天地を求めて白根の山に登る子どもも多いのだ。また、いじめから逃れるため、あるいは非行から立ち上がる契機を求めて等々、実に様々な子ども達が全国から集っている。彼らの叫び、彼らの現実の姿は、現代日本の社会の矛盾や病める教育界の一面を象徴しているようにも思える。

 白根開善学校の創立期から続いている恒例の行事に、弁論大会がある。国語の授業の一環として書かせた作文の中から代表者が弁論大会で発表する。学校や先生を批判する内容も、生徒は平気で文章にし堂々と発表する。学校もそれを許している。これはこの学校の懐の深さを示す点でもある。そこでは、生徒の悩みや苦しみや喜びが、ありのままに語られる。

◆土・日・祝日は、中村紀雄著「遥かなる白根」を連載しています。

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