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2009年8月13日 (木)

「8月に腹を切った2人の日本人」

◇阿南陸相は8月15日の朝、腹を切って自刃した。藤田尚徳の自伝「侍従長の回想」によれば、ポツダム宣言受諾の誓断が下されたとき陸相は、天皇にとりすがるようにして慟哭し、天皇は、これに対し「お前の気持ちは分かっている。しかし、私には国体を護れる確信がある」と語りかけたという。

 国体とは天皇制のことである。阿南は天皇制を守るために本土決戦を主張した。しかし、ひとたび聖断が示されると、なお抗戦を叫ぶ将校たちに、「聖断が下った、不服の者は先ずこの阿南を切れ」と言った。

 鈴木貫太郎自伝には、陸相阿南惟幾が8月14日の夜ふけに挨拶に来たことが書かれている。それはポツダム宣言受諾の通告が連合国に発せられた直後のことである。「阿南氏は総理をたすける立場にありながら反対ばかりしたことをわびた。それから二、三時間後、阿南氏は見事に武人としての最期を飾って自決された」と。

 阿南は、8月15日未明、夜が明けてきたからそろそろはじめると言い、自宅の縁側で皇居のほうを向いて割腹した。58歳だった。このような責任のとり方があったのだと思う。

◇もう1人の男は大西滝治郎である。特攻作戦の生みの親といわれる。自決に際しては、おれは特攻で死んだ連中にわびるために苦しんで死ぬ必要がある、介錯は要らない、命を助けるような医者の手当ても要らないと約束させ軍刀で腹を切り夜半から未明にかけて半日以上苦しんで死んだ。

 特攻といえば知覧基地をすぐに思い出す。各地から集められた隊員の多くは17歳から22歳の若者だった。大西は、二千万人の日本の男を特攻で殺す覚悟をすれば、この戦争に負けないと本気で考えていた。

 敗戦は間違いないという状況下で、若者は特攻機で飛び立っていった。隊員が一番辛らかったのは、飛行機に乗り込むとき地面から足が離れる瞬間と開聞岳が見えなくなった時であったという。彼らは、この世との別れを体で感じたのだろう。

 戦争は国家の存亡と国民一人一人の生存がかかるものだから勝つためには手段を選ばぬことになる。しかし、特攻のような手段は、人権が尊重される国家では、いくら戦争でも考えられないことだ。

◇12日の産経に面白い記事がある。「日本はわれわれが思っている以上に世界の国々、人々から深く親愛され尊重されている。世界が日本を尊敬する理由の一つに神風特攻隊がある」、「この神風特攻隊を組織し指揮したのが大西龍次郎海軍中尉である」、「特攻は玉砕戦とともに米軍を震撼させた。その結果、アメリカは講和条約を緩和、日本は辛うじて亡国から免れた」。この記述には一面の真理があるが大きな錯誤もある。生きたい気持がかなえられなかった特攻隊員の死を無駄にしてはならない。(読者に感謝)

★土・日・祝日は、中村紀雄著「遙かなる白根」を連載しています。

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