「体罰を考える。某高校の問題解決に向けて」
◇某商業高校で生じた体罰と生徒の不登校に関する私のブログは、わずかな量の記述にもかかわらず反響を起こし、多くのメールが寄せられた。私は同校の体罰の有無と程度について確かめたわけではない。しかし、バレー部の中で起きた事が原因で精神的に傷つき登校出来ない状態の17歳の少女がいるのは事実である。高校も教育委員会もなぜ早くこの生徒を救えないのかという疑問と憤りが私の中にある。8日、教育委員会の責任者と話し合ったが私のこの思いは変わらない。静かにうつむいた少女の横顔にはバレー部のエースとして活躍したことを偲ばせものがうかがえた。私は、少女の側に立つ弁護士とも話した。事態は、少女を救うという教育的見地からぶれることなく解決に向うと信じる。推移を見守りたい。
◇教員は、小学2年生(当時)の胸元をつかんで壁に押し付け、大声で「もうすんなよ」と叱責した。男子児童は精神的障害を被ったとして裁判になった。一審、二審は「体罰」に当たるとしたが、最高裁はこれらを破棄し、「教員の行為は、その目的、態様、継続時間などから判断して教育的指導の範囲を逸脱するものではなく違法性は認められない」とした。これは、今年4月28日の最高裁判決であり、大変注目された。
私は今年の5月の議会で、この判例を取り上げ、体罰の判断基準をつくるべきだと主張し教育長の考えを質した。教育長は、「今回の最高裁の判決で体罰の視点がしっかりと示されたので、スタンダードな体罰の基準を作っていくことが大切だと考える」と答えた。
◇私のブログに寄せられたメールで興味ある話が紹介されている。それは、「20年前の息子の話を少しさせてください」で始まる。息子は厳しい監督がいるバレー部にいた。手やスリッパでの愛の鞭が常だった。ある日生徒全員が自分たちは話してもらえば理解できるしそのように頑張ろうと努力するから鉄拳を減らして欲しいと言って先生と交渉した。先生は子どもたちと正面から向き合って自分が力で抑えていたことに気づいた。生徒と先生との間に、いっそうの良い関係が生まれたのであろう。メールの主は、先生は、現在も人生の生きたバイブルですと振り返っている。(良い話なので引用させて頂きました)
◇運動部の指導には特別の面があると思う。精神的にも肉体的にも限界に挑戦して練習に打ち込むことに意味があるのだから先生と生徒の間には厳しさは了解事項となっているのだろう。いわば信頼関係をベースにして契約が成立しているといえる。難しい時代なのである。部活を指導する先生は、体罰の規準を認識しつつ行過ぎを戒める心がけが必要だ。万一問題が起きたら直ぐに最善を尽すという謙虚さが求められる。
引用したメールの例は、部活は信頼関係に基づいて先生と生徒が一体となって築いていくものだという事を教えている。某高校は、部活の原点に立って頑張って欲しい。(読者に感謝)
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