遙かなる白根(97)100キロメートル強歩序曲
新たな展開・しかし、ついに裁判ざた
群馬県議会が動き出したころ、県の担当課である学事文書課は、次のように語っていた。
「すでに中学校の法人認可はおりており、手続きを踏んで高等学校設置の資金準備など進めてほしい。除雪、暖房など越冬対策について側面的指導も行っており、来年度予算に私立中学校として経常費補助も要求している」
高等部設置が行き詰まっている主な原因は資金であった。本吉氏が当初あてにしていた事業家の支援は得られなくなり、一般からの寄付もなかなか集まらなかった。本吉氏は自分の預金をはたいた。そして、本吉氏の親族はぎりぎりまで支援した。大阪でホテルを経営しながらぎりぎりまで寄付を続けた本吉氏の実父、老後のために用意していた金の全部を出した本吉氏の義父など。そして、父母や新入生などの負担、民間からの借り入れなど、山の学校の財政はまさに火の車であった。
このような状況の中、昭和53年12月18日、寄付金返還請求事件訴訟が東京地裁に提起される。そして昭和54年9月20日には、さらに入学金等返還請求事件訴訟が同じく東京地裁に提起された。
昭和54年9月21日の各紙は、一斉にこの裁判ざたを大きく取り上げた。例えば、
「白根開善学校、ついに裁判ざた、退学生家族が訴訟」(上毛)
「入学金など返還請求・新教育つまづく」(朝日)
そして、この訴えに対し、本吉氏は、記者の質問に答えて言った。
「真剣にこの問題を受けとめたい。日本の教育の現状の中で、理想の教育を少しでも実現することで訴えにこたえたい」。
また、学事文書課は、次のようなコメントを出した。
「県私学審議会の答申を受け認可したが、認可にあたり立地条件が厳しいので、安全のため地元と十分連絡をとるよう、また理科の実験材料などを充実するよう指導した。現在は新しい寮も出来、一室4人制になっており、55人いる生徒の父兄らは“だんだんよくしていこう”と話し合っているようだ。教育の見方の違いもあるようだ」
◆土・日・祝日は、中村紀雄著「遙かなる白根」を連載しています。
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