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2009年7月20日 (月)

遙かなる白根(103)100キロメートル強歩序曲

本吉氏と共に山に残った人々の覚悟と決死の姿を知って、世の人々は、次第に、これは本物に違いないと見るようになった。群馬県の行政も、そのような見方に変わっていった。「生徒諸君、君達の前には、新しい道が開きました。私たちの山の学校の希望は実現しつつあります。勇気と希望をもって前進しましょう」 開校式の晴れの場で呼びかける本吉校長の言葉を、生徒は目を輝かして一語一語受けとめた。そっと涙をふく父母の姿もあった。開校式のあと、草津のホテルヴィレッジで祝賀会が開かれた。地元の関係者も多く参加し、乾杯の音頭は、山口仙十郎さんがとった。和気あいあい、なごやかな雰囲気が続くなかで、本吉氏は、自分の父親を紹介する。窮地を脱した息子のことを目を細めて喜ぶ老人の姿を見て、本吉氏を裏で支えた家族の苦労に、人々は胸を熱くするのであった。昭和56年4月から5月にかけて、東京地裁に係属していた二つの訴訟は解決に向って動いていた。裁判長は、双方に和解をすすめたのである。このような事件は、一刀両断、判決で白黒をつけることは必ずしも適当ではない。学校も良い方向に進み出していることだし、双方が歩みよるかたちで争いを終わらせる方がよい。これが和解勧告の趣旨であった。学校側が返すのは納入金の45パーセント、しかも3年間の分割払いという、学校側にとって有利な和解であった。「良い学校なのだから頑張って下さい」裁判長は本吉氏に言った。本吉氏の胸には、万感迫るものがあった。訴訟の場で、和解という形であるにしろ、自分が貫いてきたものを評価してもらえた、という思いがあった。「よし、これから、本当に、理想の学校づくりに全力を尽くさねば」本吉氏は身内に新しい力が湧くのを感じながら決意を固めるのであった。 ◆土・日・祝日は、中村紀雄著「遥かなる白根」を連載しています。

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