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2009年6月30日 (火)

「DNA最新装置を本県に」

◇27日のふるさと塾のテーマは冤罪であった。菅家さん無罪の決め手となった新たな証拠は、最新のDNA型鑑定の結果であり、冤罪の決め手となったのは、20年程前の精度の低いDNA型鑑定の技術であった。4兆7千億人の中から1人を識別出来るこの最新の装置が、本県の科学捜査研究所(科捜研)に配備される予定である。7月6日から始まる3日間の臨時議会で、「配備」のために計上された1億1千2百万年の予算が審議される。

 菅家さんが犯人とされた足利事件の衝撃はすごい。最高検は全国の地検にDNAの資料を保存するように指示した。再鑑定の要求が予想されるからだ。しかし、冤罪を防ぐために重要なことは、第一線の警察の科学捜査である。菅家さんも、最初に現在のような優れた装置と技術で鑑定が行われたなら「17年を返せ」という悲惨な結果に陥らなかった筈だ。群馬県警の今回の予算措置は、二度と「足利事件」を起こさぬという決意の現われである。

◇最新の鑑定装置2式は国から交付金で配備される。1億円余りの予算は、DNA型鑑定棟新築やDNA型資料保存庫等を整備するために使われる。私は来月16日、文教警察常任委員会の調査でこの科捜研を訪ねる予定である。なお、今回のDNA型鑑定体制に備え科学鑑定に当たる職員の募集を行ったところ、2人採用予定のところ70数人の応募があった。

◇7月臨時県議会は、国の経済危機対策に呼応して緊急的、臨時的に必要な事業の予算化を図るもの。私が注目する他のいくつかのポイントをあげる。

 いくつかの新しい基金を設けるがその中に地域自殺対策緊急強化基金がある。自殺は深刻な地域社会の問題である。日本全体では11年間連続して3万人を超え、群馬県でも500人を超えた。地域が真剣に取り組めば自殺者を減らせることは、最悪といわれた秋田県が全力で対策を実行した結果大きな成果をあげた例が示している。本県は自殺対策基金条例を作り各種対策を実施する。積み立てる額は1億6千百万円で、そのうち、7百万円を取り崩して電話相談事業や普及啓発事業などにあてる。

プロ野球の公式戦を可能にするために敷島球場を大規模改修する。茨城、栃木の各県は出来るのに本県は出来ない。北関東自動車道の完成も間近いことから、本県で北関東シリーズを実現すれば、その効果は大きいに違いない。

低炭素革命を進めるための事業。炭素(C)系のエネルギーを使うことが炭酸ガス(CO2)を産み温暖化の原因となる。この度の低炭素革命は、太陽光発電を導入しようとするもの。住宅用太陽光発電設備補助、太陽光発電の県有施設等導入である。

◇群大生が大麻違反で逮捕された。大学生の逮捕は少年に対する影響が大きい。地域の努力で子ども達を守らなければならない。7月17日芳賀中学校では私の呼びかけで薬物乱用防止教室を実施する。(読者に感謝)

★土・日・祝日は、中村紀雄著「遙かなる白根」を連載しています。

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2009年6月29日 (月)

「私は警察署の取調室に入った」

◇にわかに政局が慌しさを加速させる中で、先週土曜日、いくつもの会議があった。「新しい政治をつくる会」は、コスタリカ方式をとる衆院選群馬第1区で、尾身、佐田両陣営が力を合わせることを目的とするが、その役員会で、7月2日の解散が濃厚だという見方が出された。その後の自民党総務会では、6人の衆院議員及び1人の参院議員の公認推薦を決定し、引き続いで開かれた選挙対策委員会は笹川尭県連会長を座長として、この7人を党本部へ公認推薦することを満場一致で決定した。

 この選対会議には、多くの報道陣が詰めかけていた。彼らにとって意外だったのは、福田康夫前総理の出席だったのではないか。麻生首相と比較されるのが自然な雰囲気の中で、康夫さんの静かで落ち着いた姿が印象的に映った。

 二人の代議士は、公認推薦決定を受けた御礼の挨拶をした。笹川さんは、青春の燃える思いで頑張りますと述べた。福田前総理は、海外へ出ることが多いと近況に触れながら、外から見た日本、そして今後はますます存在感を増す中国との関係につき、日本はどうあるべきか等、所信を語った。

 元首相の話で注目したのは、来月3日からの両陛下の外国訪問に同行すること、及び陛下が帰られる迄解散はないとはっきり発言したことである。私は近くの席に居たので改めてこの点をたずねたら、「ありません」と明言しておられた。

 これは、天皇がいないと衆議院の解散は出来ないことを意味する。解散権の所在について意外に理解されていない。解散を決定するのは内閣総理大臣であるが、形式的には天皇

の国事行為として、天皇は衆議院を解散すると憲法で定めている。天皇が7月3日に出発する前、具体的には7月2日に解散が行われるか否かが注目される点である。皇太子が代行して解散した例はない。

◇私は警察の取調べ室に入った。足利事件の菅家さんは警察の取調べはものすごかったと語った。自白の強要がないように可視化が叫ばれている。私は委員会でその対策を質問した。実際に取調べ室を体験する必要があると思ったのだ。26日、前橋署の取調べ室の被疑者の席に座った。3.3×2.mの小部屋。ドアには30cm四方の透視鏡がつけられていた。ドアの改修を業者に急がせているという。透視鏡の目的は取調べが適正に行われているか監督官が外から見るためだ。取調べ監督の制度は今年4月1日から始まった裁判員制度に備える意味もあるのだ。小部屋の四方の壁は柔らかいゴムが張られた。被疑者が頭を打ち付けるなどの自傷行為をふせぐためというが、取調べ官の暴力が疑われるのを防ぐ目的もあるだろう。取調官と被疑者の間の机の下には取調べ官の足が伸びないように新しい仕切りがつけられていた。夜10時以降の取調べには署長の許可が要るようになったことも知った。狭い取調室で実際の場面の恐さと自白に至る人間の心理を想像した。(読者に感謝)

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2009年6月28日 (日)

遙かなる白根(96)100キロメートル強歩序曲

また、関連して質問された山川教育長は、「今の教育には、落ちこぼれ、ひずみなどの問題がある。白根開善学校は、公立学校で出来ないことをやろうとしている。だから、あたたかく育てていくべきだろう」と述べた。昭和53年も次第に終わりに近づくころ、開善学校を囲む高い山々の頂には雪が降り、気温は日毎に低くなっていた。冬に対する備えは辛うじて出来ているとはいえ、子どもたちは初めて迎える冬はどんなものかと、不安を抱き緊張感を高めていた。山から遠く離れたところにいる父母たちの不安はまた格別なものであった。巨大な魔物に子どもたちがとりこまれてしまう。遠い群馬の方角をうかがいながら、そんな恐怖感にとらわれる父母たちも多かった。このような厳冬の近づきは、父母たちの学校問題に対する不安を一層かき立てるものであった。一部で、下山した父母たちによる訴訟の動きが伝わるなどして、事態はますます紛糾するように見えた。しかし、この時期、底流において重大な変化が生まれつつあった。そのきっかけをつくったものは、切羽詰った父母たちの必死の行動であった。日本消費者連盟への訴え、県議会や知事に対する働きかけなどがそれである。議会の動きは行政に対する強いインパクトになる。教師の経験のある清水知事は、父母の嘆願に対して、自分もこういう学校の先生をしたかったといい、こういう学校は必要だからうまくゆくように協力してやるようにと執行部に指示した。行政の先端にある人たちが前向きの方向で民間を指導するか、否定の方向でこれを指導するかで、全く違う方向の流れが出来る。議会や知事の働きを敏感にキャッチした、担当課・学校文書課の新たな動きが、このあたりから徐々に始まった。 ◆土・日・祝日は、中村紀雄著「遥かなる白根」を連載しています。

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2009年6月27日 (土)

遙かなる白根(96)100キロメートル強歩序曲

本吉校長は、両議員の質問に対し、

「日本の教育で子どもたちの才能を十分に育てている学校があるだろうか。今の社会環境の中ではそれは難しい。私はこの厳しい自然の中で、孤独に耐えてたくましく生きる力を、子どもたち一人一人の個性を大切にしながら、実現したいと考えている」

と建学の趣旨を話した後、次のように答えた。

「私が学校経営に不慣れで4月開校予定が7月の学校法人認可まで開校できなかったことは私の不手際だった。建学の精神が、質素の中で父母相互が協力し合って学校を盛り立てていこうという試みだけに一部の父母の理解が得られなかったことは残念である。県から認可の条件として示された寮の整備、教員の資質向上などは、完璧とはいえないがほぼ整備した。」

角田・松本両県議は、この視察にもとづいて、12月県議会で質問した。12月6日のことである。まず、角田義一氏は、

「教育が抱えている深刻な問題を打開しようとしている同校の存在は温かい目で見守る必要があります」

と前置きして、設立認可の経過、知事の動向に対する考えなどを質問。

これに対して清水知事は、次のように答えた。

「文部省の指導を仰ぎ、また専門家で組織される県私学審議会の答申を待って設立を認可した。同校の建学の趣旨には、これまでの教育に盛り込まれてないものがあり、今後を期待したい。また同校が要望している高等部の新設は、設立認可申請が出された段階で十分検討する」

続いて松本恒治氏は、

「生徒の父母たちの一部が不満を訴えていると聞くが、県の設立認可の時期が早すぎたのではないか。認可取り消しの可能性はあるのか」

とただした。

これに対し清水知事は

「同校は、県が設立認可の時点でつけた13項目の条件を着実に改善しており学校側の努力は評価できる。ユニークな学校だけに、軌道にのるまで難しい問題はあるだろうが、生徒がいる以上、重大な誤りがない限り、認可を取り消すようなことはない」と答えた。

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2009年6月26日 (金)

コンビニの「見切り販売」・「もったいない」を世界に発信

◇コンビニで、消費期限が過ぎた弁当やおにぎりが毎日大量に捨てられていることを知れば誰でももったいないと思う。私がコンビニの経営者なら期限が近づいたとき値引きして売るに違いない。経営者のソロバン勘定からしても、また経営者の社会的責任からしてもそうすべきだと思う。

 セブンイレブンの本部が、加盟店のこの「見切り販売」を不当に制限したことが独占禁止法に違反する行為だと公正取引委員会に指摘された。本部には言い分があるようだが、膨大な食品を捨てることを前提に成り立つ企業経営は、エコの時代に許されないというべきだ。公正取引委員会の今回の判断は加盟店の「見切り販売」を後押しすることになり、コンビニ業界に新しい動きをつくるきっかけになるだろう。

 見切り販売をしないで捨てることになる弁当やおにぎりは、コンビニ一店舗で年間530万円に達しているという。日本の年間の食品廃棄物は約2000万トン、コンビニでは一店舗あたり年間20~30トンといわれる。廃棄されたこれらの食品を飼料、肥料、エネルギーに変えるリサイクルも進んでいるが、廃棄食品を出さない工夫が重要なのだ。

 群馬県内のコンビニでどの位の食品が廃棄されているか、県当局は把握していない。賢明な消費者を育てるための資料とするために調査して欲しいと思う。

◇「もったいない」という言葉を若い世代はほとんど使わない。この言葉が担う価値観を若い人たちがもっていないからだ。亡くなった私の母は、もったいないが身体の芯にしみついた人だった。そうしなければ生きられなかった時代を生きた証だった。私は、米粒を粗末にすると目がつぶれると教えられた。カビが生えたモチは削って食べたし、消費期限などは問題外だった。何でも捨てられない母を哀れに思った事もあったが今は懐かしい。無学な母が人生を貫いて身をもって子どもたちに伝えた教訓だった。

今や、この言葉は社会を変える力を持ちつつある。環境浄化につながり、また、物を大切にすることは、貧しくなったとされる人の心を健全にすることに通じるからである。今度の公正取引委員会の判断もこのような社会の潮流と決して無関係ではない。

◇ワンガリ、マータイ女子のこと。アフリカ人女性として初めてノーベル平和賞を受賞した人だ。05年2月に来日した時、この言葉を知り、この精神こそが環境問題を考える上で重要だと感じ、また3Rの精神を表わすのにわかりやすいとして、様々な国際会議の場で、もったいない(MOTTAINAI)をアピールしている。3Rとは、廃棄物発生の抑制(Reduce)、再利用(Reuse)、再生利用(Recycle)のRである。3Rの取り組みは、04年のG8シーアイランドサミットでの小泉首相(当時)の提唱を受け、05年の閣僚会合(東京)から本格的にスタートした。3Rは日常生活の「もったいない」につながっている。(読者に感謝)

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2009年6月25日 (木)

「新型インフル遂に県内に。東国原知事の動き」

◇県内初の新型インフルエンザ患者発生。カリフォルニア在住の36歳の日本人男性で、一時帰国して現在、高崎市に居る。感染の確定は昨夜(24日)、11時半過ぎである。日が変わり、深夜12時過ぎ大澤知事が記者会見して発表した。高崎市の男性はタミフルの処方を受け、現在熱も下がり安定した状態で自宅療養している。この男性については濃厚接触者は両親のみで、両親にも現在異常はなく安心できる状態だという。県は、今日(25日)、午前9時30分から対策会議を開く。 県は、県内発生の時点で、発熱外来を開き、感染者は指定医療機関に強制的に入院させる計画を立てていたが国の方針の変更もあり、軽症者は自宅療養させることにした。「新型」の騒ぎはすっかり静まったが、県内発生を重く受け止めねばならない。県は近く開かれる臨時議会で、タミフル、リレンザなど計23万人分を追加備蓄する計画である。本格的な第2波の襲来がにわかに現実味をおびてきた。 ◇風雲急を告げる状況が中央政界で高まっている。政権の交替が実現するのかどうかと全国民の関心も高まっている。そんな中で、東国原宮崎県知事が自民党の総裁に意欲を示したという信じがたいニュースが駆け巡っている。自民党の幹部は、自民党総裁の権威も落ちたものだと語り、橋下大阪府知事はシャレだろうと発言していた。マスコミにとっては格好の話題であり、政治に不信感を抱く国民は、政治を身近にして、その中に面白さを見つけようとして沸き立っている。国民は主権者であるが、大衆は時に無責任である。難しい日本丸の舵取りとして誰が適任かという問題だ。 ◇総理にふさわしい人材は誰なのか。激動の社会で混乱した政局を見て国民は皆このことに関心を高めている。このような状況で、今注目されだした人が舛添厚労相だ。ある世論調査で「今、日本の首相に一番ふさわしい政治家は」ときいたところ、舛添要一厚労相が、小泉元首相、民主党の鳩山由紀夫代表を上回ってトップだった。自民党内では舛添待望諭が出始めているようだ。舛添さんについては、最も難しい問題を抱えた厚労相の職務てきぱきと真剣に取り組む姿が報じられてきた。麻生さんの知性が問題とされることと対比して、この人のメンタリティが注目されるのであろう。舛添要一氏は、国際政治学を専門とする東大法学部の助教授だった。学者時代から話題の人でマスコミをにぎわしていたが、そのバイタリティと野心は自らを学問の世界にとどめることを不可能にしたのであろう。政界に飛び出すと参院選当選2回であっという間に厚労相に抜擢された。民主党の鳩山由紀夫さんも学者の出身である。政治家の知性やレベルが問われているが、桝添さんや鳩山さんのようなタイプが政界で重きをなす動きは、日本の政界の新しい動きとして注目されることだ。(読者に感謝) ★土・日・祝日は、中村紀雄著「遙かなる白根」を連載しています。

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2009年6月24日 (水)

「足利事件の恐怖。それは我が身の問題だ」

◇現衆議院議員で元警察官僚の幹部亀井静香氏は雑誌の対談で語る。「ほとんどの場合、被疑者は拘禁ノイローゼにかかるといっても過言ではありません。手錠をかけ縄をつけて引きずり回されれば人格破壊が起きてしまう。そうなると取調べ官の言いなりになってしまうのです」(冤罪fileno3)。17年ぶりに釈放された菅家さんが記者会見で、自白を強要した警察官を許せないと語った姿が印象的だ。

 足利事件では、2回のDNA鑑定がなされた。有罪の決め手とされた最初の鑑定は今から見れば精度が低いが当時は最先端の科学の成果と見られ、DNA鑑定が「神話のように独り歩きした」。現在のDNA鑑定のレベルは地球上の全人口から1人を識別できるといわれる。菅家さんはこのレベルの再鑑定で犯人とは、別人とされた。正に神の目で無実が認められたことになる。

 菅家さんは再審の結果を待たずに釈放され、公安委員長らは謝罪を表明し、警察本部長は直接菅家さんの前で頭を下げて詫びた。極めて異例とされるが当然だと思う。事の重大性は菅家さんの発言・「人生を返せ」に全てがこめられている。

 再審にこぎつけることは極めて難しい。裁判の威信に関わるからだ。菅家さんの場合、民放テレビが大きく取り上げたことも助けになった。誰もが思うだろう。再審が開かれなかったら菅家さんはどうなったろうと。外にも同じような冤罪があるのではないか。それが死刑判決であったらと想像するとぞっとする。事実、死刑判決が再審で覆った例がいくつかある。古くは有名な八海事件、比較的新しいものでは免田事件、財田川事件、徳島ラジオ商殺し事件等々。このように辿るなら、想像するのも恐ろしい事だが、再審が開かれず無実の者が死刑の執行を受けた例もあるのではないかということが気になる。

 現にその恐れが指摘されているのが飯塚事件である。飯塚市の久間氏はDNA鑑定の結果を証拠として、2人の女児を殺したものとして死刑判決を受けた(確定は06年)。そして、08年10月28日、異例のはやさで死刑の執行が行われた。決め手となったDNA鑑定は足利事件と同じく精度の低い過去の鑑定方法であった。弁護団は、死後再審を準備している。無罪が認められても命は戻らないがその効果は死刑精度の存続を揺らす程のものとなるだろう。

 神の目とも言える程DNA鑑定の精度が上がった現在、出来るかぎり再鑑定を認めることが人権の尊重を国是とするこの国の責務である。最高検は、DNAの資料を保存すべきことを全国の検察に指示した。当然のことだ。現在は科学捜査の画期的転換点に当たる。過去の不運な人を思うと胸が痛む。本県では、国から配備されるDNA型鑑定装置に対応するためDNA型鑑定棟を整備することになった。新しい最前線の動きである。(読者に感謝)

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2009年6月23日 (火)

「臓器移植改正法の重大性、県議会の見直し案」

◇臓器移植法の改正案が衆院を通過した。国内で臓器移植を待つ多くの人の運命にかかわる法改正である。群馬県議会は、臓器移植法の改正を求める意見書を国会に提出していた(平成19年3月5日)

 今からおよそ41年前、日本最初の心臓移植手術を実施した札幌医大の和田教授の事で日本中が大騒ぎしていた事を私は記憶している。移植手術を受けた若者は83日後に死亡し、和田教授は、殺人罪で告発された。

 この事件は、臓器提供につき議論を尽くしその条件を法的に整えることの必要性を社会に訴えるものであった。これを受けて、臓器移植法が成立したのが平成9年のことである。

 しかし、この法律が定める臓器提供の要件は厳し過ぎた。提供者の明示の意思と家族の承諾の両方を必要とし、さらに、提供者は15歳以上であることと定められていたからである。県議会の意見書は、この厳格な要件の見直しを求めるものであった。

 衆議院を通過した改正案は、まず、「脳死」をもって「人の死」とすることを前提とし、提供者の意思が明示されていなくも、家族の承諾があれば、臓器を提供できること、及び、提供者の年令を15歳以下に引き下げた点である。心臓がドキンドキンと動いている状態で摘出することに抵抗感を抱く人は多いが、この状態で敵出しなければ臓器を活かすことが出来ない。

 現在、この改正案の成立を待つ人が数十人もいるといわれる。改正は急がれるが、人間の生命の尊重に直結する問題だから国会で十分に審議しなければならない。参議院が直ちに否決すれば、衆議院は再議決して改正法は成立するが、今回は、道義的にそれは許されない。参議院の陰が薄く、無用論もある位だが、このような重要な法案については審議を尽くすことに意義がある。参議院は頑張って、存在意義を発揮してもらいたい。衆議院の解散時期ともからむ微妙な問題点もあるが法案審議の行方を守りたい。

◇和田教授の「手術」は南アフリカで1967年に行われた世界最初の心臓移植手術の翌年であった。心臓は黒人女性から白人男性に提供された。「この移植には人に一番近い形をしたものを使った」これは記録に残る移植関係者の言葉。南アの極端な人種差別政策・アパルトヘイトが廃止されたのは1991年のことである。この言葉には黒人を人間とみない感情がむき出しになっている。最初の心臓移植がこのような国で行われた事は、人権問題を十分にクリアーしないでスタートした事をうかがわせる。この点は日本でも同様であったと思われる。和田教授は、海で溺れて意識不明になった当時18歳の青年を「脳死」と判定しその心臓を摘出した。人の死の基準を「脳死」に求めるかどうかも議論されていなかった。医が倫理や人権と深く結びつく問題であることを心臓移植は象徴しているといえる。(読者に感謝)

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2009年6月22日 (月)

「市民の集いに出る。男子厨房に入らずは昔のこと。」

◇20日(土)、2つの市民の集いに出た。1つは、地方自治を勉強し、県政にも強い関心を示し提言もしているグループで元群大教授も居れば、私のふるさと塾のメンバーも居るといった具合に多彩な顔触れであった。これまで県会議員は要請しても出る人はいなかったという。県政に対する厳しい批判が出た。それは、県民の視線がどこに向けられているか、そして、県民が県政に何を求めているかを知る上で有益であった。

 厳しい質問の中には、政務調査費、海外視察、膨大な塩漬け県有地、昆虫の森と天文台、などに関するものがあり、また、大澤知事を生み出した自民党は慣れあいになっているようだが、議会でチェック機能を果たしているかという基本的な問題もあった。一つ一つ説明しながら感じたことは、県政に関する情報が県民によく届いていないということであった。次回からも、日程と時間の許す範囲で出席することを約束した。

◇もう一つはNPO連絡協議会が主催した交流会である。県内のNPOは600を超えた。NPOはボランティアの団体だから人々の多様な意思を反映して団体は極めて多種多様である。それを横に手をつなごうとする協議会は有意義で全国にも例が少ないという。私は「群馬情報バンク」代表として参加している。「新型インフル」を例に引きながら、地域力を発揮するためにNPOはますます重要になったと挨拶した。

◇男子厨房に入る。たまに料理をしこのところ少し腕を上げた。きっかけは妻の頭痛であるが、やってみると意外に楽しいし、健康上の問題点に気付くので有益だ。

 地元の人に真竹の竹の子をもらった。むいて刻んで米ぬかでゆでてアクをぬいた。フライパンでひき肉とソーセージをゴマ油でいためタマゴを割って交ぜた。これを竹の子と共に鍋に入れ小量の水で煮て、醤油で味をつけた。皿にもってラー油をたらして食べるとまあまあであった。妻が「まぁー、おいしい」と言った。私は妻の顔を疑いの目で眺めたが、額面通り受けとることにした。いく分負い目を感じているかも知れないが、お世話を言えない妻である。誉められると今度はもっと美味しいものを作ってやろうという気持になるから不思議だ。元教員の妻は、教育効果を狙って持ち上げているのかという思いもチラッと湧く。

◇私は次の一手として、料理集を探し出して書斎の机に密かに備えた。県保険予防課が「元気県ぐんま21推進大会」を機に作ったもので、「簡単朝食」、「うす味・減塩」、「豆・いもを使ったわが家の自慢」の三冊である。私が「食育」などに関して地域の女性たちにすすめたものだ。中をすこしめくってみるとチャレンジ出来そうな料理が二、三ある。本格的に準備してテーブルに並べたら、妻は、私に隠して誰かに料理を習ったのでしょうと言うかも知れない。それを想像すると楽しい。男子が厨房に入る習慣が出来れば、メタボ減少に道が出来て、この面からも世の中が変わるきっかけとなるだろう。(読者に感謝)

★土・日・祝日は、中村のりお著「遙かなる白根」を連載しています。

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2009年6月21日 (日)

父母たち日本消費者連盟に泣きつく。群馬県議会の動き

 この記事にあるように、事実、父母たちに泣きつかれた日本消費者連盟は11月22日、創設者本吉修二氏と開校を認可した清水知事に対して、開設の理想に程遠い、でたらめな教育が行われている、財政的にも破綻寸前で展望が持てない、その責任はどうとるのか、改善の見通しはどうなのか、と公開質問状を送った。

 このとき、父母たちは、日本消費者連盟に、

「海抜1200メートルの高地でとてもこの冬は越せない」

「施設は不備不良で衛生状態が悪く健康が心配」

「教師は少なすぎまた教師経験者が少ない」

「財政的にもこの先いくら父母負担を要求されるのかわからず父母はおびえている」

という深刻な状況を訴えていた。これらはみな事実であった。例えば、8月と10月には、浄化施設・排水施設の不備のため生徒の中に下痢、発熱を訴える者が多数出た。また、下山した父母の一部は、県議会に中等部認可取消の陳情を出すと共に訴訟の構えをみせていたし、在校生の父母は清水知事に次のように訴えていた。

「白根開善学校は、せっかく発足したユニークな学校である。体験学習を主体に孤独に耐えて生き抜く教育方法は今日の課題でもあり、早く高等部を設置して欲しい。理想に向って歩んでいる教育の芽をのばして欲しい」

 このようなマスコミの批判や父母たちの動きに対して、群馬県はどのようにこたえたか。

 昭和53年11月28日、社会党の角田義一氏、公明党の松本恒治氏は、白根開善学校を視察し、本吉校長や父母代表と校長室で会見した。

◆土・日・祝日は、中村紀雄著「遥かなる白根」を連載しています。

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2009年6月20日 (土)

遙かなる白根(93)100キロメートル強歩序曲

父母たち日本消費者連盟に泣きつく。群馬県議会の動き

 

群馬県の資料によれば、次のような動きが記されている。

53年8月11日     父母来庁

 〃 8月中旬      急性大腸炎多発

 〃 10月13日    父母来庁

 〃 11月22日    消費者連盟、本吉氏と清水知事に公開質問状

 〃 11月28日    松本恒治、角田義一県議ら白根開善学校を視察

 〃 12月 6日    県議会で、開善学校につき質問

 〃 12月18日    白根開善学校寄付金返還請求事件訴訟提起

 これら簡単な記録の背景には、関係者のはかり知れないドロドロとした悩みと苦痛そして混乱があった。更に続くこの陣痛は何を生み落とすための苦しみなのか。その跡をもうすこし辿らねばならない。現在の白根開学校の静かなたたずまい、100キロメートル強歩を毎年平然とやり通す学校の自信、それを支える父母たちの姿、そして、時々、周平が私に見せる屈託のない笑顔さえ、学校創設時の苦しみや悲しみ、それを貫いて得た成果によって支えられている。

 昭和53年の秋が深まるころ白根開善学校をめぐる混乱は深刻化していた。秋の静けさ、次第に色を濃くする紅葉さえ「開善学校」で悩む人々には近づく厳冬の不気味さを予感させるものであった。マスコミの批判も強まっていた。

 11月22日の読売新聞は全国版で、白根開善学校について大きく次のように報じた。

 「落ちこぼれ救済偽りあり」

 「すでに30人が退校、父兄や学校へ質問状」。

 この見出しに続けて、記事は、施設や授業内容などをめぐり一部の父兄から不平が噴出し大きな学園騒動となっている、寮を抜け出す生徒も多く、2学期が始まった9月初めには30人が退校した、同校は来年の高校開校を目指しているが、資金のメドがたたず、来年開校は絶望的で、中学3年生の生徒父兄は途方にくれていること、また、一人の父兄の意見として、「こうした学校の必要性は認めるが、この学校は、設立の基本計画がおかしい」などと報じている。

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2009年6月19日 (金)

「ミツバチ失踪の謎、脳死は死の意味」

◇耳慣れない蜂群崩壊症候群(CCD)とは、大量のミツバチが突然失踪する現象のことである。ミステリアスな出来事はアメリカの多くの州で発生し、全米の養蜂家の実に36%が被害を受けたと報じられている。その後、ミツバチの大量失踪はオーストラリア、ブラジル、カナダ、中国、ヨーローッパなどにも発生した。ミツバチの授粉に頼る農産物が大きな打撃を受け、私たちは、この小さな生物の役割の大きさを改めて認識させられたのである。世界の農業生産の1/3はセイヨウミツバチの授粉に依存しているといわれる。

 花粉交配用ミツバチの問題は、今年の2月県議会で大林議員が「イチゴ農家等ではミツバチの供給不足が懸念されていると聞くが状況はどうか」という形で取り上げ、質疑応答の中でこの「症候群(CCD)」のことも話題になった。

 日本では、CCDの発生は確認されていないが、各地で養蜂家からミツバチの失踪を経験した例が報告されているという。そして、日本では海外から女王バチを輸入できなくなった等の事情によりミツバチ不足が深刻になっている。そこで、石破農水相は本格的な対策に乗り出した。群馬県は県内養蜂家からの「借入れ」方式を整える等の対策を立てている。

◇蜂群崩壊症候群(CCD)の発生は、地球的大異変の不吉な前兆かと多くの人が関心を寄せた。最近ミツバチウィルスが一つの原因ではという研究が発表されている。イスラエル急性麻痺ウィルスというもので、CCDをおこしたほとんどの巣箱から発見されているという。ストレスや殺虫剤などの影響で弱くなった蜂群がウィルスに感染し崩壊現象を起こすといわれる。

 私はミツバチの世界も新型インフルエンザに襲われたかと連想した。死骸が見つからないなど依然として謎は残る。敏感な昆虫の世界の異変は私たち人類に突きつけられた何らかのメッセージだと思われる。

◇私の母は生前、角膜提供の手続きをしていたため死後直ぐに摘出され、葬儀の時国から感謝状が届けられた。心臓の摘出となると大変だ。心臓が生きている時に摘出しなければ他に移植できない。心臓が動いている状態は「死」でないとすれば、その摘出は殺人罪につながる問題となる。今回、衆院を通過した改正法案は、心臓移植をやり易くするもの。つまり脳死を人の死とすることを前提にして、生前提供する意思を残していなかった場合でも家族の同意で提供出来るようになる。現在、心臓移植を受ければ助かる人が年間400~500人位亡くなっている。死の認定を早めることが人の命を軽んずることにならないようにしなければならない。

◇カトリックの協議会は、司祭などが裁判員候補に選ばれた場合辞退を促す方針を決めた。裁判員裁判は、死刑に関与する可能性があるからだ。カトリックは死刑制度に反対しているのである。真宗の一派も制度の見直しを求めつつ死刑に関わることに苦慮している。この問題は改めて取りあげたい。(読者に感謝)

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2009年6月18日 (木)

「中学校で薬物の恐怖を語る計画」

◇7月17日に芳賀中学校で薬物依存症の恐怖を「群馬ダルク」のスタッフが語る。その打ち合わせを行った(17日)。

 08年に全国で、大麻取締法違反容疑で逮捕・送検された検挙人数は、2778人で過去最多であり、その中で20代が最多だという。昨年は有名私大の学生が逮捕される事件が相次いだ。みなかみ町と嬬恋村で開かれたライブと呼ばれる野外音楽パーティでは大麻取締法違反などによる逮捕者が続出した。若年層に薬物の陰が忍び寄っている。「かっこいい」、「無害」、「外国では合法」といった認識が広がっている。「ダルク」のスタッフの話は中学生に衝撃を与えることだろう。

 群馬ダルクのスタッフは、薬物依存症の地獄から這い上がった人たちで、自分の体験を活かして、現に薬物依存などで苦しむ若者の救済に当たっている。

 当日の流れは次のように決まった。私がまずこの企画の趣旨などを3分程度話す。次にスタッフの平山君は慶応大学付属高校の頃軽い気持ちで手を出したことがきっかけで依存症の渕におち、一時はすべてを薬に支配され極限にまで追いつめられた体験を約20分話す。

 ダルクの代表者であるアメリカ人のポールは、ソマリア、ナイジェリア、クエートなどの戦場でコンバット看護士として働いた経験を持つ。体には弾の跡が10ヶ所程あるという。死線を超えて生きてきたのだ。彼には、アメリアの事情にも触れて欲しいと頼んだ。ポールはアメリカでは薬物は厳しく禁じられており、薬物を使ったスポーツ選手は全てを失うことを話すと言った。中学生にとって、活きた体験学習の機会になることだろう。

◇「長い間辛い思いをさせた事を心からお詫びします」栃木県警本部長は震える声で言って菅家さんに深く頭を下げて詫びた。このような事は全く異例のことで、事態が如何に深刻であるかを示すものだ。菅家さんは、本部長の態度に心を動かされ「許す」といい、また、自白を強要した警察官や検察官を許さないとも語った。DNA再鑑定の結果、無実が確実になり17年ぶりに釈放された管家さんの姿を見て、冤罪は、これだけかと誰もが思うだろう。

今月27日(土)の私の「ふるさと熟」は冤罪をテーマとすることになった。死刑判決確定後再審で無罪となった、免田事件、財田川事件、松山事件、徳島ラジオ商殺し事件、島田事件などに触れ、いわゆる飯塚事件を取り上げるつもりだ。

飯塚事件とは、福岡県飯塚市で平成4年、小学生の女児2名が殺された事件で、逮捕された久間三千年(くまちとし)氏は、否認を続けたがDNA鑑定の結果を決め手とされ死刑判決を受け昨年10月28日処刑されてしまった。弁護側は再審を準備しているという。冤罪は構造的なものらしい。裁判員制度との関係は重要だ。無実で死刑を施行される可能性は死刑制度存続を根底からゆり動かすことではないか。ふるさと熟に参加して頂きたい。(読者に感謝)

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2009年6月17日 (水)

「日本を活性化させる道州制を知ろう」

◇5月議会で議長に選ばれた原富夫さんは、議会で道州制について何度か発言した人である。他にも議会でこの問題を取り上げる人は増えてきた。しかし、一般には、このもんだい道州制について関心は薄い。「道州制」は、私たちの現在と未来に大きく関わることだから県民の間で関心を高め議論すべきだと思う。

 先日私は、赤城山の清掃に集った人々に赤城山と結びつけて道州制を話したが、その時、人々がこの問題に高い関心を示したことに驚いた。

 私は、現在の日本の民主主義は、形だけになりつつあると思う。国民は主権者とされているが、その実感が得られずもどかしさと閉塞感を抱いているのが現実である。これを突き破る改革が道州制の導入なのだ。

 赤城山で私の話を聞いた人から、「道州制実現の可能性はあるのですか」と質問があった。現状はかなり進んでいる。地方制度調査会は道州制導入が適当とする答申を06年2月に出し、政府の道州制ビジョン懇談会は08年3月中間報告をまとめた。そして、安倍内閣では初めて道州制担当大臣がおかれた。また、自民党の道州制推進本部は10年以内の実現に照準を定め基本法策定に乗り出した。このように大きな歯車が回りだしているのである。

 現在、地方分権の大きな流れの中で、国、県、市町村は上下の関係ではなく、役割の違いによる横の関係であるとされるようになったが、中央集権的な実態はあまり変わっていない。地方が閉塞感を抱き活力を出せない主な原因はここにあると思う。道州制が実現すれば地方が現実に大きな力を持つことになる。例えば、群馬、埼玉、茨城、栃木の4県が一つになった北関東州は、教育、福祉、産業など多くの分野で地域の特色を活かした大胆な政策を打ち出すことが出来るのだ。そして、地方政府を支える人材も育ち地域の人々は新しい国づくりに参加するという気概を持つことが出来る。

 中央の政府は、外交、防衛、金融などの限られた分野を担うことになるから国会議員の数はずっと数なくてすむ。新しく出来た州間では、善政の競争をすることによって、日本全体が活力を甦らせることになる。道州制は、明治の廃藩置県にかわる21世紀の廃県置州なのである。

◇16日私の「携帯」に県警本部から「死亡事故連続多発」の知らせが入った。県内で15日から16日の夜にかけて5件の事故が発生し5人が死亡したというもの。5人のうち4人は69歳から79歳までの高齢者である。6月16日午前11時現在で、県内の交通事故死亡者は45人となり、前年同日比で7人増となった。

 県警は、「歩行中、自転車運転中の高齢者を見かけたら、その動向に注意して減速や一時停止するなどの思いやり運転を実践しましょう」と呼びかけている。発生場所と死者は、前橋市三俣町地内(59歳女性)、前橋市粕川町地内(73歳男性)、高崎市新保町地内(69歳男性)、東吾妻町地内(71歳女性)、邑楽町地内(76歳女性)となっている。高齢者の交通事故対策は県政の大きな課題である。(読者に感謝)

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2009年6月16日 (火)

「宥座の器を進める中国の便り。がんとの闘い」

◇中国山東省の外事弁公室から県国際課にメールが届いた。「宥座の器」にそえる「題名」が出来たこと、孔子廟への寄贈は今年9月下旬曲阜市で行われる「孔子文化祭」開催の期間に行うこと等が書かれていた。今年2月私を団長とする日中議員連盟の訪中団は山東省政府に「宥座の器」の見本を贈呈し、孔子廟で受け入れてくれるなら本格的な物を作りたい、その場合には、「題名」は中国の方で書いて欲しいと申し入れをし、快諾を得ていた。メールは、この提案に対する返事である。山東省の曲阜(きょくふ)市は、孔子生誕の地であり、ここに存在する2つの孔子の遺跡、孔子廟と孔子府は、中国が誇る世界遺産である。

 私たちが山東省を訪ねたとき、中国では孔子ブームが起きていた。13億の国民が金もうけに走ることの反省から文化大革命で非難された伝統の哲学と道徳が改めて重視されることになったのだ。その意味で孔子ゆかりの宥座の器をこの時期の孔子廟に群馬県民から贈る意義は大きい。

 宥座の器(ゆうざのき)とは孔子が中庸の徳を教えるのに使ったといわれる器である。これは、2千年の昔、物作りの技術によって巧妙に作られたもので、つり下げられた壺は水を八分目いれると正しく上を向きいっぱいにすると傾いて逆さになってしまう。孔子は、満ちて覆らぬ者はいないといって人々を諭した。

 群馬の名工館林市在住の針生誠吉さんが現在の中国にこの「器」がないことを知り文献を研究し13年の歳月をかけて完成したものである。物づくり群馬の技術と日中両国民が今必要としている道徳を再現したこの「器」がいよいよ近く孔子廟に納められることになった。

◇先日、49歳でなくなった女性の葬儀に出た。さわやかなコスモスの花を思わせる遺影の前で長男が別れの言葉を述べ、夫は喪主の挨拶で妻を語り言葉をつまらせていた。

 私は、この光景に接して、20年以上も昔の出来事を思い出していた。私の前妻ががんで亡くなったのは40歳になったばかりであった。当時と比べてがんへの取り組みは大きく変わり隔世の感がある。

かつては、医師も近親者も、がんを患者に隠すことが常識であった。今は、医者がずばり説明することが当然となっている。大きな進歩である。医師は患者に事実を隠したままでは十分な医療行為が出来ない。医師側の最善の努力と患者の自助努力が相まって難敵に向かい合うことが出来る。患者は事実を知らなければ自助努力もしようがない。昔を振り返ると、隠すことが疑心暗鬼を生み恐怖心を大きくしたと思う。

今日の変化の背景には治療の技術や薬の大きな進歩がある。しかし、がんと闘うには個人の力は弱い。社会が一丸となって支える必要がある。群大で進めている画期的な重粒子線装置の完成が近づいた。私は、これを機に、群馬県をがん治療の先進県にすべきだと思う。がんと闘う人々に県を挙げて勇気と希望を送る体制をつくりたい。(読者に感謝)

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2009年6月15日 (月)

「大沼湖畔の清掃で道州制を話す」

◇14日未明、ただならぬ大音響が轟いた。一瞬浅間の大爆発かと思った。雷鳴と気付くと同時に、赤城大沼の清掃はどうなるかと気になった。野外活動がだめなら私の話に重点が移るかも知れないから急がねばと思い家を出る。「倫理の会」の人々の早朝ボランティアは、小雨の中、予定通り6時から行われ、7時に人々は続々と分校の体育館に集った。

 軽食をとりながらおよそ30分赤城を話すことになっていた。群馬の山を代表する名山赤城を全国に売り出そうとする時、私たち県民が赤城山を知り赤城山を愛する事が重要だ。私は、こういう切り口で赤城山を語り始めた。

 この朝、県道赤城線を登りつめた所の新坂峠の牧場では大勢の人々がカメラを構えていた。白い霧の中に今を盛りと咲く赤いレンゲツツジが浮き出てその間を牛が草を食べていた。山が朝を迎える生き生きとした光景だった。あのレンゲツツジは「県花」ですと話すとうなずく人がいた。「晴れやかな赤城の朝はよろこびの歌声高く、光とび花はひらいて、こだまする未来のかなた。この丘に、つどうわれらは、栄えゆく、群馬のいのち」この「県の歌」の意味を私は今朝実感しました。私は、こう前置きし赤城が太古、大爆発しカルデラに水がたまって大沼が出来た、かつては新坂平湖もあった事などを話した。

 そして、次の点に話を進めた。「今、時代は、道州制の方向へ動こうとしています。群馬、埼玉、茨城、栃木の4県が一つになって北関東州となる案があります。そして、関東平野を一望できる赤城山をバックに州都を作るのはどうでしょうか。上武道路、北関東道が完成に向っています。明治時代には上州遷都論もありました。赤城山という大自然と共に生きる州都の実現、そういう夢を私は、皆さんに提案します」どっと拍手が起き明るい笑い声が体育館に響いた。私は、今、世の中に必要なことは、社会が夢を持つことだと思う。先日、道州制の研修会を開いたとき、講師の江口氏が日本の深刻な閉塞感を打ち破るために道州制が必要だと語ったことを思い出した。

Images ◇13日2つの「ほたる祭り」に出た。田口町の祭りは歴史を重ねて大規模なものに成長した。文字通りまちを挙げての一大イベントで、子どもたちがはしゃぎ、自治会の人たちが手づくりの食べ物などを売るテントが並び、治安維持のため数名の警察官が詰めていた。ホタルを育てる環境づくりが人々の心を育てる環境づくりに結びついていると感じた。

もう一つのホタル祭りは小神明町の畑の中で行なわれた。細長いビニールハウスの中に裸電球が何個かつり下げられ、楽しい懇親会が行われていた。ホタルはすぐそばを流れる小川の繁みに出ている筈だ。市の教育長、地域の中学校の校長も箱を並べたテーブルの前のムシロに座っていた。村のお母さんたちの手作りの料理をつまみながら飲むビールがうまい。本音の話が飛び交う。まちづくりのエネルギーが生み出されているのを感じた。(読者に感謝)

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2009年6月14日 (日)

遙かなる白根(92)100キロメートル強歩序曲

「本吉校長は、確かな見通しや計画性を持たないで始めた。教育者としては立派でも、経営者としては失格ですよ。そして、経営者として責任がとれないのなら、今の状態では、教育者としても責任をとれないということではないですか」

「このままでは、生徒たちの生命の安全性に関わる問題が起きます。今は、夏だから、このプレハブの寮でもよい。厳冬になったらどうして生きてゆくのですか。また、このまま時が過ぎて年度末になっても高校がダメということになったら、子どもたちの将来を傷つけることにもなります。校長は、その責任をどうとる考えなのですか」

 今まで、校長を支持していた人たちも、このような厳しい非難をぶつけるようになった。本吉氏は、これに対し、返す言葉もなく、ただじっと耐えているだけであった。

 こういう状況の中で、学校の前途に見切りをつけ山を下りる生徒がかなり出た。

「学校をやめられる人はよい。もはや、やめることも出来ない私たちは、この学校をなんとかしなくてはならない」

 踏みとどまった父母たちの中には、学校任せにしておくのでなく、自分たちも何かをしなくてはと考えた。彼らは、何人か集っては、前橋市の群馬県庁に出かけて陳情したが、壁は厚く、落胆させられることが多かった。

 子どもたちの共同生活は、5月10日の授業開始以来、混乱の中にも活気あるものであった。朝6時起床し黙想。7時、一斉に朝食。都会の子どもたちは、徐々に山の生活に慣れ逞しさが身についていった。

 今はなき、村の長老山口仙十郎さんの回想によれば、開校から間もないころ、山口さんは、子どもたちを山へ案内したら、学校から約6キロの距離を半数近い子が歩ききれなかったという。あれから約20年たった現在、開善の子どもたちは、130数名中50人以上が100キロを完歩する。そこには、子どもたちを支える開善学校の苦難の歴史がある。昭和53年当時の白根開善学校は、100キロ強歩に臨む子どもたちが、歩き出して間もなくペースがつかめず、苦しむ姿に似て、その苦痛と混乱は深まってゆくのである。

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2009年6月13日 (土)

遙かなる白根(91)100キロメートル強歩序曲

 この開校式で、人々の頭に冷水を浴びせるような出来事が発生した。

 開校式の来賓として出席した群馬県学事文書課・木暮課長が意外な発言をしたのである。

「高等学校の認可は極めて困難です」

というものだ。これを聞いた父母たちは大きな衝撃をうけた。会場にざわめきが広がり、落胆のためいきがあちこちで聞こえた。

 県行政とすれば、中等部について、認可したくないのに、やむをえず、多くの条件をつけて見切り発車を許したというところであった。だから高等学校を続いて認可するなどとんでもないことで、それは、中等部認可に付けた条件が達成され、さらに、高等部設立の条件が整うのを見てという考えであった。

 しかし、父母や生徒たちにとって、高等学校まで進めるかどうかということは極めて重要なことである。中高一貫教育といううたい文句を信じてあつまったことであるし、中学校だけで、高等学校は、また、下界の学校に戻るというのでは、下界の学校を抜け出してきた意味がない。そんなことなら、はじめから山の学校へ入らなければよかったと人々は考えるのであった。とくに、翌年は高等学校へ進むという3年生にとっては、事態は深刻であった。

 53年7月9日、父母たちの不安にこたえるかたちで父母会が開かれる。そして、8月6日には3年生の父母会が開かれた。ここでは、高校設置の見通しとその問題点にしぼって話し合いがなされた。そこで、高校設置の最大の問題点は資金不足だということが父母たちにも明らかになった。しかも、高校設置のためには、校舎などの施設だけでも一億数千万円が更に必要であるのに、その資金計画はほとんど見通しがついていなかった。

 頭をかかえた父母たちの会が各地で開かれた。その中で本吉氏に対する非難の声も次第に強まってゆく。

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2009年6月12日 (金)

「道州制は日本を救う道か、研修会の成果」

◇「日本は道州制でこう変わる」。これは8日に行われた県議団研修会のテーマである。熱っぽく話す講師の姿から日本を変えたいという真情のようなものが伝わり思わず引き込まれて聞いた。県職員も多く参加して自民党県連のホールはほぼ満員であった。話す人は、PHPの代表江口克彦氏。日本中を回って同趣旨の講演をしているのだという。閉塞感を抱きつつ惰性に流される者にとって、江口氏の話は説得力があった。

 江口氏は、現在の中央集権的な国の在り方が日本中に閉塞感を生み気慨のない国民をつくり出し元気のない日本の原因となっていると説く。この状態を改める道こそ道州制だというのである。

 実は、道州制は、このところ議会でしばしば取り上げられるようになり、庁内には職員の研究会も出来ている。日本全体をいくつかのブロックに分けて、それぞれに大きな権限を与えるという壮大な改革案は決して夢ではない。江口氏の話はそれが大きな潮流となりつつあることを実感させた。

 例えば、群馬・埼玉・茨城・栃木の4県を一つにして、北関東州をつくる。4つの県がばらばらで行政を行うより一つになった方が、無駄のない、効率のよい、そして海外とも直接に大きな交流や取引をする力を発揮できるのである。

 また、現在の都道府県は140年も前の廃藩置県の頃の政治経済の状況に基づいているが、現在は、高速交通が発達し経済圏、生活圏は県境を越えて広がっている。従って、道州制は21世紀の現実とも合致した制度なのである。

 また、道州制は、司馬遼太郎のいうように、「この国のかたち」をどうつくるかという問題である。江口氏は日本を牛耳る官僚制の害を痛烈に批判した。中央集権の実態は官僚の支配だというのである。道州制の実施は、地方住民が政治を官僚の手から取り戻すことを意味する。道州制では、今まで、国が決めていた多くの事を地方で決めるから国民(住民)は政治の主人公になった事を実感することが出来る。道州制は地方分権を超えて民主主義を発展させる制度といえる。この意味で、道州制は、新しい「この国のかたち」を築くことになる。

江口氏は、新型インフルエンザ対策を例にして、今は、大阪の感染者が直ぐに他県に散ってしまうが、関西州が出来れば広域で総合的効果的な対策をとることが出来ると話していた。県議会では、群馬に州都をという声があがっている。

WHO(世界保健機構)は、遂に、「新型」の警戒度が最高の「6」になったと宣言した。世界的大流行のことをパンデミックという。前回のパンデミックから41年ぶりの事だ。WHOは弱毒性だから過剰に反応せず冷静にと呼びかけている。私たちは、「新型」を学習し、知識を蓄え、秋から冬にかけての「再来」に備えるべきだ。(読者に感謝)

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2009年6月11日 (木)

「新型の世界大流行、秋に備えるには」

◇9日の「安心安全なくらし特別委員会」でも新型インフル対策を複数の議員が取り上げた。その一人である私は、現在直面している問題点を活かして、本格的な被害が予想される秋から冬に備えるべきだと発言した。 南半球で爆発的に感染が広がっている。WHOは世界的な大流行を示すフェーズ6を間もなく宣言するだろう。南半球のオーストラリアで広がっているのは、そこが秋を迎えているからだろう。新型ウィルスは夏の湿気を嫌うらしい。南半球で高くなった波が北半球の秋に巨大な津波のように押し寄せる。専門家は、現在の状況は軽いくすぶりでいわば前駆波であって、今年の秋に第一波が来てその後に第二波が来ると警告している。 過去の「新型」として各高いスペインかぜのときの本県の状況を群馬県史は次のように記す。大正7年10月から小学校ではやり始め11月には全県に広がり、その後いったん治まったが大正8年10月から再び流行しだした。ピークは大正9年まで続き、その年1月日赤群馬支部は「流行予防注意書」を10万枚作り各戸に配布して予防を呼びかけた。 私は、県が考えている、発熱相談と発熱外来による対応に疑問を抱く。発熱外来の場所は一度に押し寄せるとパニックが起きるから公表せず、発熱相談を窓口にして発熱外来に振り向けるという。このような中途半端な発熱外来があるために多くの医療機関は「新型」の患者の受け入れを避ける。命にかかわる子どもなどの重とくな患者がどっと現われたとき、県が考える生ぬるい体制では、物理的に対応できないだろう。まさかの時には、全ての医療機関が戦線に参加することが必要である。民間から出た大澤知事は腰が引けて勇気のない役人を叱咤激励して陣頭に立つ決意が必要だ。私たち議会は、そういう知事を応援したい。 ◇「安全安心のくらし特別委」で、私は、外国の武力攻撃等に対する取り組みを取り上げた。国には国民保護法があり、これを受けて県でも平成17年に条例が出来た。当時は現実味が薄かったが、最近、北朝鮮の日本上空へのミサイル発射、核実験再開などによりこの問題がにわかに身近となった。「北朝鮮は狂気の国です。私たちは国を守るということに無関心ですが、郷土を守るという県民の自覚が求められる時が来ました。県は最近の事態に対しどのような対策を考えているのですか」私はこのように当局に資した。危機管理官は、今年11月中に、初の国民保護図上訓練を実施すると答えた。JR高崎駅の化学剤散布テロ、及び、日本オイルターミナルにおける爆破テロ等を想定するという。 ◇自民党前橋支部の役員会を開いた(10日)。今年の衆院選を目指す尾身、佐田、及び来年の参院選を目指す中曽根の各氏を支部として公認推薦することを万場一致で決め、支部長である私は、同日、推薦書を整えて県連に提出した。各支部の同じような動きが続くだろう。(読者に感謝) ★土・日・祝日は、中村紀雄著「遙かなる白根」を連載しています。

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2009年6月10日 (水)

「取調べの可視化と冤罪の恐怖」

◇警察の取調べで嘘の自白をしたことが死刑とか無期懲役という冤罪につながってしまう例が多い。今、大きく報じられている足利事件が最もホットな冤罪の例となるのは確実である。先月スタートした裁判員裁判は素人の市民が参加するのだから冤罪が増えると考えるのが常識だろう。そんなことを意識しながら、私は先日、常任委員会で警察の取調べを「可視化」することの重要性を指摘した。可視化とは取調べの状況を見られるようにすることである。具体的には録音、録画することだ。その資料を今日(9日)入手した。

 資料によれば、警視庁は、埼玉、千葉、神奈川などの各警察で取調べの録音録画を今年2月迄の半年間で試行しその結果を検証した。それを踏まえて、今年4月以降全国の都道府県警察に試行を拡大した。対象となるのは、裁判員裁判にかかる事件の一部である。

 本県では、捜査が一定程度進展した時点で調書を作成する場合に、録取内容を被疑者に読み聞かせ、署名指印を求めている状況、自白内容に間違いないことを確認している状況等を録音録画する。理想からすれば不十分だが捜査の歴史を振り返れば画期的なことだ。裁判員は録音録画のDVDを見て自白の任意性等を判断することになる。司法改革の歯車が回り出したことを身近に感じる。

◇「なぜ嘘の自白をするのですか」こういう疑問の声をよく聞く。強制されないのにやってないことをやったと認めることは不思議だ。これは、一般の人がうなずく素朴な意見である。しかし取調室という異常な環境に置かれ、追いつめられた精神状態では、人は冷静さを失って異常な行動に出てしまうらしい。自白の任意性は、こういう事を踏まえて考えねばならない。

 私は、最近、岩波新書の「自白の心理学」を読んだ。著者は奈良女子大教授の浜田寿美雄(心理学)である。普通の市民にとって警察の取調室に入れられたこと自体大きな恐怖に違いない。そのような状況に耐えられず、頭が真白になって「どうなってもいい」、「早く楽になりたい」という気持から「やりました」と言ってしまう人間の心理はあわれだ。この本にはそんな例がいくつも克明に書かれている。

 人間は過ちを犯す。捜査官も裁判官も人間だから過ちを犯す。裁判員裁判には、更に一般市民が裁判に参加する。一般市民が過ちを犯すことは当然と考えるべきだ。この事を前提にしてさまざまな司法改革が進められようとしている。取り調べの可視化もその一つである。

◇「安全安心なくらし特別委員会」でケータイの害が取り上げられた。日本のケータイは、簡単にインターネットに接続でき、そこには児童にとって有害な情報があふれている、今や小学生をケータイから如何に守るかが課題になっている。このような事が報告された。県は、ケータイの事を詳しく説明できるインストラクターを養成しようとしている。私たちは、下田博次教授の話でケータイの深刻さを知った。インストラクターには、下田教授のような役割が求められているのである。

(読者に感謝)

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2009年6月 9日 (火)

「新型の研究会、薬物依存の体験学習会」

◇伊勢崎市民球場で行われたボーイズリーグ全国予選大会の開会式に出た(8日)。

朝8時30分、球場には夏の陽光が降り注いでいた。エイ、エイと声を上げ、腕を上下させ隊列を組んで進む中学生の姿から新鮮なエネルギーがあふれる。野球少年を迎えた球場は、新型インフルエンザとも、百年に一度の不況とも無縁の世界であった。先頭に立つ少年は見上げる程背が高く逞しい。最後尾の小さな少年がきびきびとして可愛らしい。子どもの頃の自分の姿と重ねて思わず口元がゆるむ。疲れを知らなかった遠い過去が懐かしく思えた。「人生はフェアプレーの闘いです。皆さんの頑張る姿とはその縮図です。ベストを尽くして下さい」私は、このような挨拶をした。

◇芳賀公民館で新型インフルエンザの研修会が行われた(8日)。講師は、県保健予防課感染症危機管理室の係長である。日曜にも関わらず出向いてくれた。

 私の呼びかけで行われるこの研修会は2回目である。前回は、鳥インフルエンザに起因する「新型」が近いといわれる中で行われたが、人々は半信半疑で、危機意識も低かった。

 今回は、予想外のかたちで、「新型」が現実となったことに対応するために行われた。弱毒性ではあるが、来る来るといっていた「新型」が本当に来たのだ。地域社会の協力体制が大切だという私の主張が説得力を示しているようだ。

 初めの挨拶で私は次のように話した。

「いったん下火になってこの秋に再び力を盛り返すと思います。だから現在の状況は、天が与えた壮大な予行演習のチャンスだと思います。子どもたちに手を洗う習慣を今から身につけさせること、新型感染者を非難したり中傷したりすることなくいたわり助けることを今から教えることが必要です。知識をたくわえて、まさかの時、この地域の被害を最小限にするための努力が安全安心な地域をつくることになります」

県の担当官は、「新型」に備えるための身近な基礎知識を分かりやすく話した。小学校、中学校の校長先生が熱心に聞いておられた。これらの方々は、まさかの時、学校現場で活躍されるに違いない。

◇7月17日、芳賀中学校で、地域の人々も参加して薬物の害を学ぶ研修会が開かれる。「新型」インフルと並んで恐ろしいものは、子どもたちを襲う薬物である。そこで、薬物依存症の人を助けるNPO・群馬ダルクのスタッフが薬物の恐怖を体験を通して語る。かっこいいといった感覚で手を伸ばす先に恐ろしい暗い渕が口を開けている。薬物依存症は薬物に支配された状態で完治はないという。地獄を抜け出した好青年の体験談は胸を打つ。私は中学生に聞かせるべきだと直感し企画した。アラブの戦場で活躍したポールさんも話す。子どもは地域が育てるという事を示したい。血管の中を虫がはうという体験者の言葉が耳をはなれない。(読者に感謝)

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2009年6月 8日 (月)

「冤罪の恐怖・DNA鑑定、イノセンス・プロジェクト」

◇足利事件で菅家さんは無期懲役の判決を受け長期服役中、DNA再鑑定の結果、無実を示す新たな証拠が得られた事から再審を前にして釈放された。仮に、死刑執行の後、無実を示す新たな証拠が出たら取り返しのつかないことになる。今回の足利事件に見るDNA鑑定の結果は、この取り返しのつかない恐怖が現実的であることを私たちに突きつけている。それは、この何年かの間にDNA鑑定の精度が飛躍的に高まったことと、その結果、それ迄の鑑定の結果が覆される可能性が生じたことである。

◇「取り返しのつかない恐怖」を想像させる例として、昨年08年10月28日に死刑が執行された久間元死刑囚のケースがある。この場合も決め手とされたDNA鑑定は菅家さんの無期懲役を決定づけた古い方の鑑定と同じ手法だった。

 地名から飯塚事件と呼ばれたこの事件は、登校中の小1の女児2名が殺された。逮捕された久間氏は一貫して否認したが06年9月8日最高裁で死刑が確定、その2年後に死刑は執行された。久間氏は、死刑確定後も無実を訴えて再審請求の準備をしていた。飯塚事件の弁護団は、現在死後再審の準備を進めていると報じられる。

◇アメリカの「イノセンス・プロジェクト」は、有罪判決を受けた被告人をDNA再鑑定によって救済する非営利機構で、08年までに237人が再審で無罪判決を受けている。死刑判決を受けた後、無罪が明らかになった事件は17件あるといわれる。何とも、想像をはるかに超えた恐怖ではないか。イノセンスは英語で無罪・潔白を意味する。イノセンス・プロジェクトは、無罪獲得を目指す企画といった意味だ。アメリカでは、すべての死刑囚や懲役囚にDNA鑑定を受ける権利が法律で認められている(イノセンス・プロテクション・アクト)。日本も同じ問題を抱えていると考えざるを得ない。

◇冤罪、つまり無実の罪は跡を絶たない。最近の富山県の強姦事件では服役後真犯人が分かり再審で無罪が言い渡された。また、死刑確定後の再審で無罪判決を受けた主なものを挙げると、免田事件(48年、熊本県で発生した強盗殺人事件)、財田川事件(50年、香川県、強盗殺人)、松山事件(55年、宮城県、強盗殺人及び放火)、徳島ラジオ商殺し事件(53年、請求人の死後に無罪判決)、島田事件(54年、静岡県、幼女誘拐殺人)などがある。

これらの例は、死刑執行者の中にも冤罪が絶対にないとはいえない事を示している。前記の飯塚事件で再審無罪ということになれば、その実例が示されることになる。国民の世論の多くは死刑賛成である。また、凶悪犯罪抑止の点で死刑は効果があるに違いない。しかし、無罪の者を国家が殺す可能性がある以上、国家の意思で死刑は廃止しなければならないと思う。また、市民が参加する裁判員制度で死刑判決を支えることが出来るか疑問である。今、日本の死刑制度が改めて問われている。(読者に感謝)

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2009年6月 7日 (日)

遙かなる白根(90)100キロメートル強歩序曲

7月22日、開校式が行われた。山頂の学校目指して大勢の人が登ってゆく。それを眺めて、村人たちは目を見張った。正装して集ってくる生徒の家族たちの様子は、村人の目には、都会の裕福で偉い人と映ったのだ。事実、開校当時の父母たちには、医者や学者や事業経営者などが多かった。この日、村の女たちはゾロゾロと学校へ出かけていった。巨人の長島茂雄の奥さんを一目みようというのが目的であった。長男の一茂が開善学校に入学し、長島夫人が、時々山へ来ているらしい、開校式には正装してくるだろう、という話しが伝わっていたのである。

 開校式には六合村の村長をはじめ、群馬県の行政にたずさわる人々、政治家など多数の来賓が参加した。そして、学校建設に尽くした多くの人が本吉校長から感謝状を贈られた。その中には、冬の難工事を敢行した長岡組や、本吉氏を山へ案内し、その後も何かと父母たちの世話をしてきた山口仙十郎さんの姿もあった。

 本吉氏校長は、高鳴る胸を抑えるようにして演壇に立った。

「この学校づくりは、新しい試みであり、冒険でもありました。この学校づくりが、まだ軌道に乗らないときから、多くの父母の皆さんが参加をしてくれました。これら父母の皆さんの努力に支えられて、開校にこぎつけることが出来たのです。まさに、父母立学校の実現であります。明治以来の我が国の教育の中で父母立学校を実現させたのは、これが初めてのことであります。そして、父母の皆さん、私たちは、この学校を、自分の子どものためだけでなく、広く日本の教育の発展のために役立てたいと願って、努力してまいりました。このような父母の皆様の願いと努力が、やがて日本全体に波及して、一人一人の子どもを大切にする新しい教育の潮流となってゆくことを願っております」

 本吉氏の格調高い挨拶を、会場の父母たちは、それぞれの思いで受け止めた。ある人は、その通りだと胸をはって、自分も大きな意義のある事業に参加しているという誇りを抱いて聞いた。しかし又、ある人は、この先、学校はどうなるのだろうか、高等学校は出来るのだろうかと、いくつもの難問を頭に描きながら複雑な気持ちで聞いていた。

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2009年6月 6日 (土)

遙かなる白根(89)100キロメートル強歩序曲

 調理師が山を下りたあとは、母親たちが交替で食事作りをしなければならなかった。それは大変なことであった。生徒たちの健康にもかかわることで、母親たちの手におえることではなかった。6月になって、やっと、巨人軍の長島茂雄氏の夫人の計らいで調理師が一人つくことになった。長島家は長男の一茂を入学させていたのである。

 生活環境もまったく整っていなかった。暗い山中なのに夜は外灯もなく、風呂へゆくにも懐中電灯を使った。又、洗濯場の不備や生活雑排水のたれ流しといった状況があり、ハエがひどかった。生活用品の不足は、各家庭からの寄贈にたよった。

 寮の様子はといえば、1メートルほどの間隔で2段ベッドがぎっしりと並べられ、電気スタンドもなく、生徒の中には、ベッドにねころんで懐中電灯で本を読む子もいた。女子のための部屋や机やロッカーもなかった。女子のためには、一角が仕切られていただけである。父母たちは、この状況をみて、どんなに不安であったことか。しかしこの年、7月1日、ついに待ちに待った中等部設立の認可が下りるのである。

中等部認可・だが新たな混乱と対立が始まる

 昭和53年7月1日、白根開善学校中等部設置の認可が下りた。寮の整備、教員の資質向上などかねて指摘されていた問題点13項目の改善が条件としてつけられていた。一時は絶望的かと思われていた中等部開校がこれでやっと実現したのだ。本吉氏は、暗中に光明を見たような思いであった。

 十三項目の留意事項、条件が付けられたことが示すように、認可は、県がぎりぎりの段階でやむを得ず下した判断であった。多くの生徒が長期欠席の状態で宙ぶらりんでいることは、人道上も、教育上も好ましくないと考えたのである。だから、中等部の認可が下りたから次はすぐに高等部が実現すると期待するのは甘いことであった。

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2009年6月 5日 (金)

「菅家さん、無期懲役から17年ぶりの生還」

◇警察関係の常任委員会で、私は次のような質問をした(4日)。「裁判員制度が始まり、第一線で取り調べに当たる警察官の役割が増々重要になりました。取調べの段階で自白したことを公判で否認する例が多くなっています。適正な取調べをしないと被疑者の人権を傷つけ、さらに、警察への信頼も失われます。この点の取り組みはどうなっておりますか」

 これに対し県警は、裁判員制度対象事件で自白が問題となる取調べに録音と録画を行うと答えた。裁判員制度の対象となる事件とは殺人、強盗、強姦などの重い刑事事件である。裁判員制度導入の目的は裁判に対する信頼の回復である。ところで、取調べ段階の調書は裁判の行方を左右する程重要なものだ。しかし、一方で、素人である一般市民が裁判に参加することで間違った裁判(冤罪)が増えるという心配がある。とすれば、正しい取調べを担保するための工夫が求められるのは当然で、録音と録画はそのための手段である。

◇無期懲役が確定し服役していた菅谷利和さんが17年ぶりに釈放された。捜査段階では自白していた事件である。菅谷さんは記者会見で「間違いでは済まされない。私の人生を返して欲しい」と話した。当然である。菅家さんの姿を見て、正に地獄からの生還だと思った。再審が開始されて無罪が確定することになるが一度確定した裁判に対して再審が開かれるのは、極めて難しい。最高裁まで保障された手続きで審理を尽くしたことを簡単に覆すことは裁判の威信にかかわるからだ。余程しっかりした証拠が発見された場合に限られる。今回のそれはDNA型鑑定の結果である。

 鑑定の精度は急速に上がって2年前は800人に1人だったが、現在は4兆7000億人に1人となったと専門家は解説する。DNA型鑑定の結果が同じになる人の数である。

「自白して自分で罪を認めているのに」と人は言う。昔は、「自白は証拠の王」は言われ、自白させるために拷問が行われた時代もあった。それは過去のものとなったが人間は、取り調べ室という特殊な環境で「お前がやったのだろう」と執拗に繰り返されると認めてしまうことがあるのは数々の例が示している。菅家さんの場合、体液が付いた女児の下着が保存されていたから再鑑定が出来た。もし保存されていなかったらと考えると恐ろしい。他のDNA鑑定によった事件も間違っていたかも知れないと考えるのは当然だ。今後、再審請求が出るだろう。最高検は、体液の試料などの証拠品を保管するよう全国の地検に通達するという。

◇あべともよさんが女性の性犯罪被害者の事情聴取につき女性の立場から質問をした。被害者に選択させるが、強姦罪などはほとんど女性警官が当りその他の強制ワイセツ罪では男性警官が当ることもあるがその場合女性警官が同席するという。被害女性の心を傷つけてしまわないための配慮である。(読者に感謝)

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2009年6月 4日 (木)

「元東大総長・林健太郎の墓を訪ねる」

◇3日は議案調査の日で、今日(4日)から始まる各種の会議の打ち合わせ等の準備が行われた。各種委員会と本会議の関係を知らない人が多い。委員会は本会議から付託されたことを審議する。本会議で多種多様な問題を審議することは不可能に近くまた適切でもないからである。委員会の審議の結果は、本会議場で委員長によって報告され、それを踏まえて本会議で議決される。委員会の審議の状況は本会議とは違った面白さがある。かつては非公開であったが、開かれた議会を目指す議会改革の一環として傍聴が可能になった、傍聴席は限られているが、傍聴者はいつも少ない。残念なことである。

 この日、私が委員長を務める図書広報委員会と「みやま文庫」理事会の打ち合わせも行われた。文庫の方は、理事及び運営委員長を務めることになった。

 図書広報委員会は、議会図書室を擁して、議会活動に必要な情報を扱うものだから、その役割は大きい筈なのにこれまであまり存在感がなかった。この度、地方自治法が改正されてこの委員会が法的にもきちんと位置づけられた。議会改革を支える役割を果たさなければならない。副委員長はポラリスの今井哲氏、委員の顔ぶれは、山本龍、松本耕司、狩野浩志、岩上憲司、舘野英一、石川貴夫、後藤新の各氏である。

 ◇議会の仕事を済ませ、新幹線に飛び乗り、夕刻青山霊園に着いた。実は、この日、林健太郎先生の墓参りが計画されていたのである。林家の墓の世話をする「ちとせ」という花屋に落ち合ったのは、朝日新聞大阪本社の重役日笠修宏君と東京の出版社を退職した奈良原洋君と私である。

 元東大総長の墓は、意外に質素だった。墓誌には平成16年8月10日歿、行年91歳と刻まれている。私たちは、墓石の前で昔の思い出話に耽った。それは、恩師に人生の報告をしている姿でもあった。日笠君は、当時の西洋史の研究室は、村川堅太郎、林健太郎、堀米庸三などがいる最高の環境だったのにそれを十分に活用しなかったこと、特に林先生には敬遠して近づかなかったことが悔やまれると話していた。

3人の中で在学中一番勉強せず林先生と離れた所にいた私が図らずも一番深い縁を結ぶことになった。奈良原君が「林先生のお宅へ一緒に行ったな」と振り返った。県議選初出馬の時、杉並のお宅を2人で訪ね応援を依頼したのだ。先生は快諾し県民会館の大会に出て、私のところで歴史を学んだ中村君はきっと立派な政治家になるからと応援演説をしてくれた。ポスターやパンフレットに写真や推薦文を載せることも承諾してくれた。以来、お亡くなりになるまで、不肖の弟子は一方的にお世話になった。その夜報告の電話をしたら、かね子未亡人は、たった今、主人が可愛がっていた犬が息を引き取りましたと話した。林先生との不思議な縁を感じた瞬間であった。(読者に感謝)

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2009年6月 3日 (水)

「本会議、北関東道の効果、武道の必修化」

F1000019_thumb  ◇近頃の本会議は昔と比べ格段に面白くなった。八百長なしの本格的論戦度が増したからだ。かつては役人に原稿をつくらせたのではという批判も時にはあった。議会改革の流れを議員が本気で自覚するようになったことの成果である。質問者と答弁者が対面してやりとりする方式の採用とGTV実況放送の実現も議員の熱心な演出を支える柱となっている。最近の若手の議員を見て、押しとあくの強さを表に現したいわゆる政治屋臭をする人が姿を消したことを感じる。これは有権者の意識が変化していることの現われでもある。県議会の大きな前進なのだ。

 2日のトップバッターは一期の須藤和臣さんで、よく勉強した成果を踏まえ、格調のある論理の展開をしていた。私が注目して耳を傾けた論点を二つ紹介したい。

◇一つは、両毛広域都市圏の連携の問題である。須藤さんは館林市という県境に住んでいるために群馬と栃木両県の違いや連携の必要性がよく分かるのだろう。両県にまたがる地域は既に生活圏、経済圏が一体化しているが、2年後に開通する北関東自動車道によって、その一体化は一層促進され、経済ばかりでなく医療や教育などの分野における連携のメリットは大きい、その可能性を実現するために両県の知事は話し合うべきだと須藤さんは主張した。この提言は、これから大きな課題となる道州制につながる問題だと思いながら聞いた。

 一例として須藤さんは、医療連携を提言する。現在医師不足が深刻だが、両県が協力すれば、それぞれの医療資源を相互に利用し医師確保に活かすことが出来る。「命に県境はない」という表現に説得力を感じた。

◇次に、須藤さんは、新しく始まる中学校における「武道の必修化」を取り上げた。教育基本法の改正と関連し新しい学習指導要領では、我が国固有の文化と伝統を理解させるため中学生に武道を必修として学ばせることになった。制度上は24年度から始まるが、前倒しで今年度から導入することが可能である。

 須藤さんは、日本の伝統文化である武道を教えることが有害とされる時代もあったこと、中曽根元首相は教育に魂を入れるという信念でこの問題に取り組んだことなどに触れ、武道の必修化に何を求めるのか、教えるのはスポーツか徳育か、そして「必修」をどのように進めるのかと、教育長に資した。

 福島教育長の答弁のポイントは次のようなものだった。「体力をつける事に加え礼に始まり礼に終る、他をいたわり自らを律するという日本の文化を教え国際化時代の日本人を育てたい。武道の専門家の協力を得て進めたい。」

 国際化時代の日本人に求められることは、日本の伝統文化を深く理解することである。武道必修を国際理解教育の一つの柱に位置づけることに私は賛成したい。合わせて、日本人の伝統的精神文化である新渡戸稲造がとなえた「武士道」を子供たちに少しでも理解させることが出来れば教育の目的である生きる力を育む上で大きな成果となるのではないかと期待する。(読者に感謝)

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2009年6月 2日 (火)

「本会議で取り上げた新型インフルの課題」

1日の一般質問では、1人65分の持ち時間で4人が登壇した。トップバッターは自民党の岩井均さんで傍聴席には奥さんの姿が見られた。岩井さんが第一に取り上げたのは新型インフルエンザ対策である。国会でも野党が政府の対策を追及している。恐らく全国の地方議会で「新型」が議論されているに違いない。そこから如何なる成果が生まれるのか。こんな思いで私は耳を傾けた。

 知事の発言で注目されたのは次の点である。「感染力は強いが弱毒性である。この秋どういう状況が生じるか分からない。強毒性に変化する恐れがある。国の行動計画は鳥インフルという強毒性を想定したものだった」

 私は、この知事の発言に、今回の「新型」の特色と今後に活かすべきポイントが集約されていると思う。過去の記録でも、「新型」は一度終息に向かい再び勢いを盛り返している。今回のも、間もなく落ち着いて秋以降に第二波が襲うと予想されている。だから、今回のウィルスが弱毒性だった事は不幸中の幸いで、私たちは、壮大な予行演習の場を与えられたと考えるべきである。

 そのために今回の出来事から学ぶべき点を明らかにすることが重要だと思う。第一に、空港で食い止める水際作戦はあまり効果が無いといわれる事だ。弱毒で潜伏期にあるため発見されずくぐり抜けた人が多いに違いない。国内で初の感染例となった神戸高校の生徒も校医が偶然に検体調査を専門機関に依頼した事で発見出来たという。この事は、発表されない感染者が非常に多くいることを示すものだ。本県は発熱相談の対応を24時に広げたが、電話する人は一部に違いない。「新型」とされれば隔離され仕事に差しさわりが生じまわりに迷惑が及びその上非難される。となれば熱があってもフトンをかぶって耐え回復を待つ人は非常に多いのではないか。次に感染者は被害者なのに非難や中傷する電話が多いと報じられている。これでは、一番大切な市民間の助け合いが出来ない。秋の第二波までに是非とも反省して乗り越えねばならない社会の課題である。リベラルの大沢幸一議員がこの日の「新型」の質問で、県民の「予防の風土と文化」という事に言及していたが、感染者を理解し助け合う文化を作らなければと思う。

◇松本耕司さんが教育委員会の形骸化を取り上げた。女性教育委員長の杉原さんは白いスーツをびしっと決めて議員と向き合う委員席最前列にあった。杉原さんは、「教育委員会の形骸化と名誉職化の指摘があることを承知しております」と発言していた。松本さんは、市町村教委の形骸化も意識しているように見えた。形骸化や名誉職化があるとすれば、任命権者にも責任がある。見識と勇気と行動力のある教育委員を選任しなければならない。あべともよ議員から教育委員の会議を傍聴したと聞いた。私も傍聴してみたい。一般の人々にも勧めたい。(読者に感謝)

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2009年6月 1日 (月)

「フランシスコの町理事会」

◇前橋カトリック協会で開かれた「フランシスコの町」の理事会に出た(30日)。これは、教会が母体となっている社会福祉法人で2つの施設を運営している。同名の「フランシスコの町」は、高崎市金古町にある児童養護施設で身寄りのない子どもを育てている。約60名の児童がいるが世相を反映して離婚孤児といわれる子どもが多い。また外国人ではフィリピン人の子どもが多い。フィリピンは伝統的にカトリックの国であることと関係があるだろう。

 もう一つは前橋市西大室町にある「あかつきの村」だ。ここでは、難民で精神障害を患っている人々のお世話をしている。現在、ベトナム国籍の方9名がおられる。難民という悲劇を背負ううえに異郷にあって言葉が通じないことによる精神的苦痛は大変なものであろう。この「あかつきの村」で週1回ボランティアで働くアメリカ人がいる。プロレスラーのような巨体で子どものような人懐っこい表情をしたショーンさんは「群馬ダルク」のスタッフである。

 私は理事会の席で、ダルクを手伝うことになったいきさつを説明した。群馬ダルクは、薬物依存症の若者を助けるNPOである。若者に広がる薬物の害は深刻だ。依存症の体験者の話では、脳の中や血管を虫がはうような苦痛だという。私が知りあったダルクのスタッフのポール、ショーン、平山君たちはみな薬物依存の地獄を体験した。彼らの体験に基づく話は説得力抜群である。来月、芳賀中学の体育館でこれらの人々は、薬物の恐怖を語る予定である。代表のポールは2メートル近い巨漢でイラクやクエートの戦場で傷ついた兵士の介護に当たった経験をもつ。銃の扱いが得意で自身も肩に弾の傷跡を持つ。中学生たちはダルクの人たちの話に引き込まれるだろう。国際理解教育にも資するに違いない。

◇社会福祉法人「フランシスコの町」の理事長は歯学博士大国勉さんである。大国さんは、県警の「警察医」である。死者の身元を歯で識別することで活躍してこられた。大国さんが警察医となった昭和47年ごろは、歯科医が「県警察医」になることは全国的にほとんど例がなかったという。大国さんは、この頃起きた大久保清の連続女性殺人事件(昭和46年)、連合赤軍集団殺人事件(昭和47年)の検死に参加し、その後、史上最大の航空機事故である昭和60年の日航機墜落の現場では大変奮闘された。その著書「歯や骨からの個人の識別」では、頭部や顔面が欠落、腹部臓器がシートの上に流れ出るような状況を見て惨状の凄絶さに衝撃を受けたと語る。大国さんの意識の底には流血の中で生きたかつてのカトリック殉教者の姿があったかも知れない。

◇31日、毎月1回のバスツアーを実行した。葛西水族館は人であふれていたが、マスクの姿は見えなかった。私はバスの中で「新型」の恐怖はこれからかもしれないと話した。ダルクのスタッフ平山君も参加した。楽しく有意義な「ツアー」への読者の参加を望んでいる(読者に感謝)

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