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2009年6月14日 (日)

遙かなる白根(92)100キロメートル強歩序曲

「本吉校長は、確かな見通しや計画性を持たないで始めた。教育者としては立派でも、経営者としては失格ですよ。そして、経営者として責任がとれないのなら、今の状態では、教育者としても責任をとれないということではないですか」

「このままでは、生徒たちの生命の安全性に関わる問題が起きます。今は、夏だから、このプレハブの寮でもよい。厳冬になったらどうして生きてゆくのですか。また、このまま時が過ぎて年度末になっても高校がダメということになったら、子どもたちの将来を傷つけることにもなります。校長は、その責任をどうとる考えなのですか」

 今まで、校長を支持していた人たちも、このような厳しい非難をぶつけるようになった。本吉氏は、これに対し、返す言葉もなく、ただじっと耐えているだけであった。

 こういう状況の中で、学校の前途に見切りをつけ山を下りる生徒がかなり出た。

「学校をやめられる人はよい。もはや、やめることも出来ない私たちは、この学校をなんとかしなくてはならない」

 踏みとどまった父母たちの中には、学校任せにしておくのでなく、自分たちも何かをしなくてはと考えた。彼らは、何人か集っては、前橋市の群馬県庁に出かけて陳情したが、壁は厚く、落胆させられることが多かった。

 子どもたちの共同生活は、5月10日の授業開始以来、混乱の中にも活気あるものであった。朝6時起床し黙想。7時、一斉に朝食。都会の子どもたちは、徐々に山の生活に慣れ逞しさが身についていった。

 今はなき、村の長老山口仙十郎さんの回想によれば、開校から間もないころ、山口さんは、子どもたちを山へ案内したら、学校から約6キロの距離を半数近い子が歩ききれなかったという。あれから約20年たった現在、開善の子どもたちは、130数名中50人以上が100キロを完歩する。そこには、子どもたちを支える開善学校の苦難の歴史がある。昭和53年当時の白根開善学校は、100キロ強歩に臨む子どもたちが、歩き出して間もなくペースがつかめず、苦しむ姿に似て、その苦痛と混乱は深まってゆくのである。

 ◆土・日・祝日は、中村紀雄著「遥かなる白根」を連載しています。

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