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2009年6月 6日 (土)

遙かなる白根(89)100キロメートル強歩序曲

 調理師が山を下りたあとは、母親たちが交替で食事作りをしなければならなかった。それは大変なことであった。生徒たちの健康にもかかわることで、母親たちの手におえることではなかった。6月になって、やっと、巨人軍の長島茂雄氏の夫人の計らいで調理師が一人つくことになった。長島家は長男の一茂を入学させていたのである。

 生活環境もまったく整っていなかった。暗い山中なのに夜は外灯もなく、風呂へゆくにも懐中電灯を使った。又、洗濯場の不備や生活雑排水のたれ流しといった状況があり、ハエがひどかった。生活用品の不足は、各家庭からの寄贈にたよった。

 寮の様子はといえば、1メートルほどの間隔で2段ベッドがぎっしりと並べられ、電気スタンドもなく、生徒の中には、ベッドにねころんで懐中電灯で本を読む子もいた。女子のための部屋や机やロッカーもなかった。女子のためには、一角が仕切られていただけである。父母たちは、この状況をみて、どんなに不安であったことか。しかしこの年、7月1日、ついに待ちに待った中等部設立の認可が下りるのである。

中等部認可・だが新たな混乱と対立が始まる

 昭和53年7月1日、白根開善学校中等部設置の認可が下りた。寮の整備、教員の資質向上などかねて指摘されていた問題点13項目の改善が条件としてつけられていた。一時は絶望的かと思われていた中等部開校がこれでやっと実現したのだ。本吉氏は、暗中に光明を見たような思いであった。

 十三項目の留意事項、条件が付けられたことが示すように、認可は、県がぎりぎりの段階でやむを得ず下した判断であった。多くの生徒が長期欠席の状態で宙ぶらりんでいることは、人道上も、教育上も好ましくないと考えたのである。だから、中等部の認可が下りたから次はすぐに高等部が実現すると期待するのは甘いことであった。

◆土・日・祝日は、中村紀雄著「遥かなる白根」を連載しています。

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