« 遙かなる白根(77) 100キロメートル強歩序曲 | トップページ | 遙かなる白根(78) 100キロメートル強歩序曲 »

2009年5月 3日 (日)

「憲法記念日・日本国憲法の価値」

◇また5月3日がやってきた。日本国憲法の施行を記念する日である。新憲法の施行は、1947年(昭和22年)の5月3日であった。この年4月私は

宮城村

の小学校に入学した。振り返れば、社会は貧しい中でも活気があり、山の小学校にも時代の新しい空気が流れていた。学校に関することは新憲法に合わせて全て変わった。それは国語の教科書によく現れていた。前年までの小1の教科書は、従来の日本精神を象徴するような、ハタ、サクラ、アサヒ、などの言葉がかたかなで書かれていたが、新憲法の条文にひらがなが使われたこともあって新しい教科書の文字は、ひらがなとなった。私たちの小1の国語の最初のページには次のような詩があった。

 おはなをかざる、みんないいこ。

 きれいなことば、みんないいこ。

 なかよしこよし、みんないいこ。

今改めて口ずさんでみると、ほのぼのとした明るい社会の息吹きのようなものが感じられる。この詩は、新生の民主主義の社会で初めて教育を受けようとする私たちの門出を祝うにふさわしいものであった。

 1945年(昭和20年)8月15日、天皇がポツダム宣言の受諾を内容とする終戦の詔勅を読み、実質的に終戦となった。そして9月3日、戦艦ミズーリー号で降伏文書に署名し正式に終戦を迎えた。ポツダム宣言に従って作られたものが日本国憲法である。

 日本は有史以来の敗戦を迎え、焦土の中から新しい一歩を踏み出した。この一歩の起点であり、かつこの一歩の目指すものが新憲法の理念であった。新憲法は、それまでの大日本帝国憲法を180度転換するものであり、新憲法の実現は一種の革命であった。

 制定当初は理想に過ぎると思われた憲法も国民の間に定着し、今や地球社会の目指す方向に合致した世界に誇る憲法というべきである。憲法改正論が登場している。「アメリカからおしつけられた」という主張は、論外である。素晴らしいものを押し付けられたことを喜ぶべきだ。改正の必要はあると思うが、それは、憲法の根幹には触れずに、時代の変化に合わせるための枝の部分の改正であるべきである。

 日本は、原則のない国家と批判されることがあるが、憲法こそ、国家の原則である。問題は、従来の政府が、憲法の理念に及び腰で、自信を持って憲法を守るという姿勢を内外に示せなかったことである。憲法擁護を主張するのは、革新勢力など反政府の特権であるかのような風潮が長いこと定着していた。これは家庭内で父母の意見が割れているのと同じく特に戦後教育の面において大きな悲劇をもたらしたと思う。政府と与党が中心となって憲法擁護を掲げる態勢の下で始めて国民の国を守る心を育てることが出来る。個人主義に過ぎる傾向と調和させるために、国民の責任と義務をある程度明確化させるといった改正点が国民的に議論されるべきだと思う。祝日だが、憲法記念日なので特別にこの日記を書いた。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村のりお著「遙かなる白根」を連載しています。

|

« 遙かなる白根(77) 100キロメートル強歩序曲 | トップページ | 遙かなる白根(78) 100キロメートル強歩序曲 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「憲法記念日・日本国憲法の価値」:

« 遙かなる白根(77) 100キロメートル強歩序曲 | トップページ | 遙かなる白根(78) 100キロメートル強歩序曲 »