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2009年5月31日 (日)

遙かなる白根(88) 100キロメートル強歩序曲

  何人かの父母が大声で叫んだ。

すると同時に一人の父親が立ち上がって叫んだ。

「学校に危険な思想を持ち込むな」

「そうだそうだ」

呼応するように一斉に声が上がった。当時を知る人は、「何ともすさまじい光景だった」と言う。父母たちは必死だったのだ。追求は夜になっても続き、深夜11時すぎ、5人の教師と一人の調理師は、ついに下山という事態に追いつめられるに至った。

 このような白根の山中の熱い闇について、県行政は、くわしくは知らなかった。当時の県学事文書課の記録には、短く、「6月中旬、教職員の下山及び補充」とある。

 県行政も含め県民が、開善学校について知る主な手段は新聞である。昭和53年6月8日の上毛新聞は、「正規の授業はいつ?」「待ちどおしい認可、教師の一部が下山、仮開校で1ヶ月も」という大きな見出しで、開善学校の状況を報じた。そこでは次のような記事がみられる。

「先月末で手続きは完了となったものの、この間、14人の教諭のうち6人が下山するなど重なり、6月上旬となっても正式な学校として発足されていない」

「県では、“学校認可がおりてから入校するように指導したが、このままでは私塾と同じで、時間的に経過がたち長期欠席扱いになってしまう”と前例のない学校設置にとまどいの色を濃くしている」

「一方学校側では、“夏までは生徒たちの個性を知るために自由学習という形をとり、生徒と教師の交流を深めていきたい”と話しているが、同校がめざしている理想的な授業とはいまのところ大きな隔たりがあり、下山する生徒も出始めている状態。学校スタートにあたり“正式認可がおりてから生徒をひきとるべき”と批判の声も出ているが、生徒にとっては一日も早い学校としてのスタートが待たれている」

この記事にあるように、緊急父母会後、かなりの生徒が山を下りた。

 山の学校では大変な状態が続いていた。

◆土・日・祝日は、中村紀雄著「遥かなる白根」を連載しています。

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2009年5月30日 (土)

遙かなる白根(87) 100キロメートル強歩序曲

しかし、本吉氏の目指すものと、「ひまわり文庫」の人たちの目指すものとは、完全に一致していたわけではない。徳村氏は、究極には、子どもたちが主人公の共同体の実現を山の学校に求めていた。だから、子どもたちの自由をしばったりしない方がよいと考える。例えば、タバコや酒をやる子どもたちが出てもそれに対する対応の仕方に違いが出てくる。徳村氏のグループは、子どもたち自身に秩序をつくらせた方がよい、そのためには、いちいち上から規制しない方がよいと考えるのである。これは、多数の父母の目には、酒やタバコを是認する態度と映った。

これに対して、本吉氏たちは、子どもたちの自由と自立を尊重し、子どもたちに秩序をつくらせることは理想ではあるが、そこに至るまでは導いてやらねばならない。だから、自由の学園をつくる過程においては厳しくしつけなければならないと考えた。そこで、部屋の中で帽子をかぶってはいけないとか、ラジオは昼聞いてはならないとか、女子の部屋に入ってはならない、といったことを厳しく守らせようとした。

徳村氏たちは、これでは規則づくめではないか、最初の約束と違うではないか、認可を得るために子どもたちの自由を犠牲にするくらいなら、認可は要らないとまで主張するようになった。

父母たちには、このような考えは、非常に過激なものに思えた。だから、一部の人たちが、文庫の人たちを社会主義者の集団のようにとらえたのも無理はない。父母たちは、このような無秩序が続けば、そのために認可は得られなくなると思った。本吉氏としても、資金の問題を中心にして様々な障碍を乗り越えねばならないとき、このような内部の対立は、最も頭を痛める問題であった。

体育館における父母の追及は、このような反主流派の人たちに集中した。

「学校の基礎が全然出来ない中にそんな理想論を持ち出せば混乱するだけです。学校が出来なければ子どもたちはどうなるのですか。そういう理想論を貫きたいのなら、他でやって下さい。そういう先生はおやめになって下さい」

おとなしそうな一人の母親が立ち上がってひきつった表情で叫んだ。

◆土・日・祝日は、中村紀雄著「遥かなる白根」を連載しています。

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2009年5月29日 (金)

「合併後初の富士見地区の市議選が進む」

◇富士見地区の市議選に連日駆けつけている。合併後の市議増員選挙だ。3議席を6人で争っている。私は鈴木としじ候補を応援している。毎晩2カ所の集会に出ているが、公民館に集った人々の顔に富士見村を感じる。この人たちが築いてきた富士見村の文化や伝統が合併によってどう変わるのか、合併はこの人たちの将来にどのような影響を与えるのか、そんな思いを抱きながら私はマイクを握る。 鈴木としじさんは、前橋市政にまつわる政治不信の問題に正義感を燃やす人物である。「前橋市議会に、今、一番求められていることは政治に対する信頼の回復です。それを支える市議会議員を選ぶことが今回の選挙の第一の目的です。今、前橋市議会は新しい大切な役割を求められています。それは、市政を正しくチェックする機能です。皆さん、北海道の夕張市のことをご存知ですね。あのような財政破綻が生じたことは、市議会にも大きな責任があると思います。市長が議会に提案する予算を何でも通してしまった結果なのです。市長に何でも賛成する議会なら、議会は必要ありません。勇気をもって市長に反対意見を言える市議会議員が必要なのです。私は、鈴木としじさんにこのことを期待します」私は、このような調子で鈴木としじさんの支持を訴えた。 前橋市が中核市となったことで、市議会と市議会議員の役割は一層大きくなった。中核市とは、最近の地方自治法改正により制度化されたもので、要件は人口30万人以上、及び、面積100平方キロ以上である。前橋市は富士見村を合併して、その範囲は赤城山の頂上にまで及び、人口は32万人に達した。指定されたことにより、保健衛生や都市計画などに関する多くの権限が県から移譲された。保健所が前橋市に移ったため、さっそく、新型インフルエンザ対策を前橋市が担うことになった。中核市は昨年4月の時点で39市となり、このうち近県では宇都宮市、川越市などがある。富士見地区の選挙は、前橋市が中核市となって初めての市議選であり、市議会の役割が大きくなったことから重要な選挙なのである。「赤城山を活かし農業を再生するために、富士見地区の声を市議会に伝える役割を鈴木としじさんに御願いしなければなりません」私は、この点も強調する。先日の中部県民局の県政懇談会でも赤城山を観光の拠点とする県の政策が話題になった。大澤県政は名山赤城を売り出すことを政策の目玉にしているのである。赤城南麓の農業を再生し、安心安全な食料を供給することは新生前橋の死活問題である。赤城の南面には耕作放棄地や遊休農地が広がっている。農業は危機に直面しているが測り知れない可能性を秘めた産業である。「赤城山を活かし農業を再生するためには、富士見の皆さんの協力が不可欠です。皆さんの声を市政につなげる代表者が必要です」こう訴える私の話に集まった人々はうなずいていた。31日が投票日である。(読者に感謝) ★土・日・祝日は、中村紀雄著「遙かなる白根」を連載しています。

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2009年5月28日 (木)

「議員選任手続きを考える。国防会議厩衛会のこと」

◇腰塚県会議長が辞職を申し出た。理由は一身上の都合である。「賛成の諸君の起立を求めます」議長職を務める小野里副議長の声に応じて47人中37人が起立した。賛成多数で腰塚議長の辞職は認められ、続いて新議長選出の手続きに移った。27日の県議会の一コマである。

 日本中の地方議会でこのような光景が繰り広げられ、慣例となって定着している。議長の任期は一年と思っている人も多い。法律の定めはどうなっているのか。問題は何か。きちんと説明して欲しいという声が私に寄せられている。

 地方自治法は、議長の任期は議員の任期による(103条)、そして、議員の任期は4年とする(93条)と定める。つまり、議長の任期は法律上4年なのである。

 また、議長の辞職については、議会の許可を得て辞職することが出来ると定める(108条)。

 腰塚議長が一身上の都合で辞職を願い出て、それを賛成多数で認めた昨日の議会の出来事は、これらの地方自治法の定めに基づいたものであって、法律上は何ら問題ないといえる。

 歴代の議長が皆、「一身上の都合」を理由に一年で辞職するために、多くの議員が順序に従って議長に就任することになる。かくいう私も、前議長の辞職を受けて議長となり、一年後、一身上の都合によって辞職した。

 問題点は、私に寄せられた次のようなご意見の中に端的に示されている。「議長職は順番が来れば誰でもなれる軽いものになっています。これまでに、首を傾げたくなるような人が議長になったことがありました。議長というのは名誉職なのですか。議会改革が叫ばれていますが、これでよいのでしょうか」県職のBという匿名の人のこの批判に私は適切に反論することが出来ない。一気に慣例を変える事が出来ないとしても、議長選出の過程を工夫する知恵を出すべきだと考える。

◇図書広報委員会が地方自治法の改正で議会の正式な委員会として法的に位置付けられた。昨日、私は、その委員長となった。今まで形骸化していたがこれから改革して役割を果たせるようにしようと委員の山本龍さんが提案した。議会活動に必要な情報を集めたり、大切な情報を外に発信したりする拠点にしたいと、私は委員長の挨拶で話した。

◇国防会議厩衛会の総会があり、大澤知事も懇親会に出席した(27日)。我が友、町田錦一郎さんが30年以上も続けている。私は、「治にいて乱を忘れず」とこの会で挨拶したことがあった。平和ぼけした日本で町田さんは国を守ることを真剣に考え、民間が自衛隊を支えることの大切さを訴えてきた。知事は、知事選でも自衛隊出身の経歴が妨げにならない時代になったと振り返っていた。幕僚長の講和、「北朝鮮ミサイル発射と我が国の安全保障」はタイムリーで有意義だった。平和憲法における日本の国防は国民の健全な意識が支えになる。この会は、この事を実績で訴えてきた。(読者に感謝)

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2009年5月27日 (水)

「本会議初日の出来事・知事発言と議案説明」

◇5月定例議会が始まった(26日)。例によって議長の挨拶に続き知事が登壇する。腰塚さんは、この日が議長として最後の舞台である。大澤知事は県政の重要課題を誇り、続いて議案の提案説明を行った。知事が重要課題として強調したのは、新型インフルエンザ対策と渋川市の静養ホーム「たまゆら」の火災事故についてである。去る3月19日、この火災で10人が死亡し全国紙は一面で取り上げテレビも大きく報じた。大澤知事は、この施設が有料老人ホームとしての届出がなされていなかったために指導が出来なかったとし、今後有料老人ホームに該当する施設には届出を徹底させると決意を語った。

 知事は提案説明として、主要なもの三つを取り上げた。それは、職員及び特別職の期末手当の減額支給、精神障害者援護寮について指定管理者制度の導入、群馬土地開発公社の解散である。

◇本会議初日は一時間もかからず終わり、その後、執行部の予算説明を聞いた。その主なものをここで紹介する。

○精神障害者援護寮(「はばたき」)につき指定管理者制度を導入するための条例改正。県の直営を改め、民間等に管理運営を行わせようとするもの。

○新型インフルエンザ対策について。発熱外来の設置、診療従事者の感染リスク軽減、感染症法に基づく入院費用の公費負担など。

○県立学校授業料の免除要件を改正する条例。「学力佳良、品行方正、身体強健かつ家庭貧困な者で特に授業料免除の必要のあるもの」を次のように改める。「学習意欲を有する者で経済的理由によって授業料の納付が困難と認められるもの」従来は、他県と比べて要件が厳しかった。

○警察本部の組織及び定員に関する条例の改正。被疑者の取調べの適正を確保するための監督の措置に関するもの。裁判員制度の開始と関係するものと考えられる。

○群馬県土地開発公社の解散。上武国道用地などの先行取得のため設立されていた。収支が悪化し改善が見込めなかった。行政改革の一環である。

○県営住宅入居者のうち悪質な長期家賃滞納者に対し法的措置を行う基準が示された。その要点は、滞納額が10万円以上、納入に誠意がない等である。現在、法的措置予定者が82名いる。平成20年までの11年間における対象者の状況は次のとおり。即決和解454名、明渡請求訴訟147名、強制執行174名。

◇今日(27日)は、本会議で正副議長、及び各委員会の委員が決まる。自民党が推す議長候補は原富夫さんで副議長候補は金田克次さんである。自民党が圧倒的多数であるから、この2人が投票によって正式に決まることはほぼ間違いないが、自民党の票が全票予定の候補に行くとは限らない。過去には、おやと思われる例もあった。激変する社会で、議会改革の歯車も、ゆっくりだが大きく動いている。私のこの報告もそのための小さな一助になればと思う。(読者に感謝)

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2009年5月26日 (火)

「北朝鮮の核実験は狂気の瀬戸際政策」

◇25日のテレビ及び各紙の夕刊は「北朝鮮が核実験」と大きく報じた。気違いに刃物とはこの事だと思う。私は、韓国を訪ねた時、北朝鮮との軍事境界線の下に掘られた洞くつに入った。この洞くつは北朝鮮が韓国に攻め込むためにつくられたものだ。地底の黒い岩壁の前に立って、私は「北」の底知れぬ狂気を感じた。このようなトンネルが何本も掘られている。私が入ったのは第3トンネルで、ソウルまであとわずか52キロの所までのびていた。

 北朝鮮の狂気を示す事件として、ラングーン爆弾テロと大韓航空機爆破を忘れることができない。前者はビルマを訪問中の全斗煥大統領を暗殺しようとしたもので、大統領は危うく難を免れたが17人の韓国高官が死んだ。後者は、韓国のオリンピック開催を阻止しようとしたもので115人がベンガル湾上空で犠牲になった。

 これらは、いずれも北朝鮮の国家的犯罪であることが明らかにされている。

 これらの事実は、北朝鮮は何をしでかすか分からない国であることを世界に示している。また、そう思わせることによって対立国との交渉を有利に進めようとしている強(したた)かな国である。今回の実験は、またかと思うとやり切れない。

 更に恐ろしいことは、北朝鮮は軍事優先の独裁国家であることだ。シビリアンコントロールなどはないのだ。しかもこの国は、世界から孤立し国内の経済は破綻し多くの国民は飢え国として追いつめられている。生き残るための最後のカードとして使おうとしているのが長距離ミサイルと今回「核」である。

 日本はわき腹にナイフを突きつけられて脅迫されているようなものだ。怯(ひる)んだら足下を見られてつけ込まれる。冷静で毅然とした態度を示さなければならない。日本は北朝鮮に対抗出来る十分なカードを持っている。それは日米安保条約であり、世界の世論の後押しであり、日本の経済力である。しかし、これらも、私たちの国を守るという意識がしっかりしなければ有効に機能しない。日本は、今や、百年に一度の経済の危機、新型インフルエンザの襲来、北朝鮮の核という三つの難問をつきつけられている。国民の決意が試されているとえる。

◇前橋地域の県政懇談会が行われた(25日)、各種団体の代表者、県執行部の各担当官、県会議員等が参加。21年度県当初予算、地域の重点施策と課題が説明され意見交換が行われた。県民の声を県政に反映させるために定期的に行われる。県会議員の席には新たな顔ぶれとして後藤新さんの姿が見えた。

 予算に関しては、県税収入が前年度比415億円マイナスとなったこと、県の借金である県債の累積が一兆円を超えたことなどが説明された。地域の重要課題として新型インフルエンザ対策の説明が詳しく行われた。県内発生時に設けられる発熱外来の場所は、パニックになるから公表しない方向だと非公式に聞いた。これは事実とすれば、問題ではなかろうか。(読者に感謝)

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2009年5月25日 (月)

「韓国大統領の悲劇・ふるさと塾」

◇今月のふるさと塾(23日)は韓国の大統領がテーマだった。会場へ向かおうとする時、盧武鉉前大統領の死をニュースで知った。大統領在任中、妻などが企業から巨額な不正資金を受けたことで検察の手が伸びていた。前大統領は、遺書を残して30mの岩山から身を躍(おど)らせたのだ。この出来ごとは、私の講演にタイムリーな資料を提供することになった。

 話の筋書きを考えるときは、いかに聴衆をひきつけるかに心を砕く。この日の話は、次のように、盧武鉉(ノムヒョン)の死から入った。「韓国の大統領の悲劇は、余りに強大な権限を自由に出来ることが原因です。今日、報じられたノムヒョンの死も同様だと思います」。

 韓国の大統領は、民主的に選ばれた独裁者といえるのではないかと思う。立法、司法、行政と三権は分立しているが、事実上、大統領は何でも出来る。司法権の決定すら覆してしまう。死刑判決を大統領が特赦で減刑したり、北朝鮮の工作員で服役している者を政治的判断で北に帰してしまうなどが容易に行われる。大統領の権限は事実上三権の上に超越している。だから何でも出来るのだ。強大な権限を手にすれば、濫用に走るのは人間の性(さが)である。

 大統領選では巨額な金が必要で、それを企業から集めるから癒着が生れ、不正蓄財が起こる。全斗煥と盧泰愚(ノテウ)は不正蓄財が発覚し、退任後の裁判で重刑を科された。(全斗煥は内乱罪もあって、死刑、ノテウは懲役22年)

 塾の話は、このようなことにも触れながら、朴正熙と金大中に重点を置いた。朴正熙(パク・チョンヒ)の日本名は高木正雄だったと話すと会場に笑いが起きた。日本の植民地だったころ、創氏改名の制度により日本名を強制されたのである。

 朴は、日本の軍国教育を受け、日本の陸軍士官学校を卒業した軍人である。明治維新を高く評価し西郷隆盛を尊敬していたという。

韓国の歴代大統領の中で最も高く評価されている人が朴である。彼はクーデターにより大統領の座を手にし、「漢江の奇跡」といわれる経済の発展を実現させた。ジョンソン米大統領の要請に応えてベトナムに5万人を派兵。これによって生じたベトナム特需は韓国経済を大いに後押しした。しかし、軍事政権に対する国民の反対は次第に大きくなった。その中心に金大中の姿があった。朴は任期中部下に暗殺されて世を去った。

◇金大中ほど劇的で波乱の政治活動を経て権力の頂点に立った男は稀だ。独裁政権と闘った不屈の人である。東京のホテルから韓国の情報部によって拉致されたことがある。大規模な民主化運動に関わったことで死刑判決を受けた。4度も挑戦して大統領になると、大統領として初めて北を訪ね金正日と頂上会議を実現させ、南北の人々は熱狂した。金大中は、これによってノーベル平和賞を得た。北と南の勝負はついたと見えるが南の民主主義も深刻な問題を抱える。ノムヒョンの自殺はその事を示している。今月も塾は盛り上った。(読者に感謝)

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2009年5月24日 (日)

遙かなる白根(86) 100キロメートル強歩序曲

待望の認可が下りたのなら、何をおいても、その旨を伝える筈だから、そうではない。学校がだめになるのか。だとすれば子どもはどうなるのだ。払い込んだ入学金や寄付金はどうなるのだ。いずれにしろ、山で待ち受ける重大事は、白根開善学校の命運に関わる問題に違いない。山の学校に近づくにつれて、人々の不安と緊張はつのった。

 前日から草津のガーデンハウスに泊まりこんだ人々の耳には、校内の対立が深刻であるとか、それに関連して、私服の警官が入りこんでいるとか不穏な情報も入っていた。

 5月21日、午後三時、人々は、体育館にあつまった。百人を超える父母たちは、教師を取り囲むように半円のかたちに陣取っていた。教師には本吉氏らの主流派とこれに対立する反主流派があった。父母の中には、殺気立つ程に興奮している者もいて、ガランとした体育館には異様な雰囲気がただよっていた。

 父母たちの中には、認可が下りない最も大きな原因は、教師陣の不調和、内部的対立にあると考える者もあった。何人かの父母たちは、この集会のために、本吉校長と、問題点の準備をした上で参加していた。

 集会は、学校側の現状の説明から始まり、父母の学校に対する質問に移っていった。なかには、次のように、本吉氏を厳しく批判する声もあった。

「この学校はまったく準備不足である。教師の研修の期間もなくスタートした。本吉先生は簡単に考え過ぎていたのではないですか。混乱の責任は、先生にあると思います。この学校を今年からはじめたのは間違いだったのではないですか」

 しかし、父母たちの質問は、次第に、反主流派の人に向けられ、質問は攻撃へ変わっていった。

ところで反主流派の教師の周辺には、「ひまわり文庫」の人たちがいた。「ひまわり文庫」とは、徳村彰氏を中心とする、子どもたちに良い本を読み聞かせる地域活動のグループである。この人たちと本吉氏との関わりは、息子の本吉悦理君がこの会の会員だったことに始まる。この会の目的は、単なる文庫活動ではなく、子どもたちに自由と自立を教えることであった。だから、本吉氏の構想の中にある“子どもたちの自由と自立を大切にする新しい学校づくり”という点に共鳴し、その理想の学校づくりを手伝うために「ひまわり」の人々は山に登り、積極的な活動を展開していたのである。

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2009年5月23日 (土)

遙かなる白根(85) 100キロメートル強歩序曲

 ここで、年上の子どもというのは、中学校を既に卒業した者たちで、中学時代に勉強しなかったので是非ここで勉強したいといってやってきたのを、それは立派なことだと本吉氏は認めていたのである。しかし、法律上は、義務教育を卒業した者は再び義務教育は受けられないことになっていて、県からも指摘されていたのである。

 これらは、学校が出来るかどうにかかかわる極めて重要な問題である。そして、全ての父母、生徒、教師にかかわることである。しかも、本吉氏は、これらに答えることが出来ない。本吉氏はゆきづまって悩んだ。そして、ついに、全国の父母に通知が出され、白根の山中で、緊急父母会が開かれることになった。

白根山中の熱い戦い・山を下りる教師たち

昭和53年5月21日、緊急の電話連絡で、急遽、各地から父母たちが白根山中の学校に集まった。緊急父母会である。大変重要な問題のなので必ず出て欲しい、出来るだけ両親そろって出席して欲しいと、学校からだけでなく、父母も互いに連絡をとり合ったから、一人の人に二重三重に電話がかかることもあった。

「全員白根の山へ登れ」

という通信がまたたく間に全国に飛びかい、この日、100人を越す人々が何事かと不安を抱きつつ、山の学校に集った。

 各地の関係者は、みな、やりばのない気持ちで認可がおりるのを待っていた。それぞれの情報網によって様々な情報が飛びかって、それが関係者を一層の不安に陥れていたのである。だから、緊急父母会の知らせをうけて、多くの人々は何か一大事があったに違いないと受け止めた。

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2009年5月22日 (金)

「議長選出の意味・選考委員会のこと」

◇県会議長候補、自民党の役員などを選ぶ会議があった(21日)。幹事長の南波和憲さん、その他の党の執行部、みな異論なく決まった。かつて、福田、中曽根の派閥がしのぎをけずったころの事を懐かしく思い出す。議長や幹事長の重要ポストを求めてどちらも譲らず、代表者が交渉し、中断して、グループのところへ来て説明し、そんなのじゃ納得出来ないといわれてまた交渉に出かける、こんなことが何時間も続き深夜に及ぶことがあった。対立する派閥が解消してからは、このような年中行事はなくなった。 選考委員会で多少時間がかかったのは議長候補を決める時だった。対象者は5期の2人関根圀男さんと原富夫さんに絞られ、このうちの誰にするかは10数人からなる選考委員会に一任された。ここで議論が交わされる中で、さらに5人の選考委員会幹事に一任された。私もこの5人の中の一人であった。結局自民党が推す議長候補は原富夫さんに決まった。原病院の院長である。 県会議長は議員の選挙によって選任されるから、正式には、26日から始まる本会議における投票によって決まる。私は第79代の議長だった。地方の時代が本格化する中で、地方議会の役割が問われ、そのために議会改革が叫ばれている。議長を選ぶ時期になるといつも思うことがある。それは、議会改革の最大の課題は真に議会を代表する議長をいかに選ぶかにあるということである。残念ながら現状は悪しき慣例に流されている。一身上の都合ということで、一年で議長を辞し、期数順に次の者が議長になっていく。原則として、期数が来れば誰でも議長になることが出来る。議長のイスが軽いものになっていると批判されるゆえんである。全国の地方議会の多くがこのような慣例に埋没している。私は、いつかは改められなければならないことだと思う。 ◇期数、つまり当選の回数は、意味のあることである。議員活動の経験が豊かであることと有権者の支持を継続して受けていることは議長の資質を考える上で重要なことだからである。このような実態を踏まえて、段階的な改革案として、次のようなことを実施したらどうだろうか。議長候補予定者を一定の条件の下で2~3人にしぼり、この人たちに県政に臨む抱負と決意を演説させ、これを聞いた上で、自民党内で投票して候補者を決めるのである。自民党の総裁選に似たような型といえる。そして、本会議に於ける議長選挙でも、野党候補者を含めて議場で議長としての抱負と信念を語らせ、それを聞いて投票する。多数を占める自民党の勝利は動かないにしても議長選出過程を生きたものに一歩近づけると思う ◇来期の所属委員会として、私は教育警察常任委員会を選ぶことにした。教育と警察の課題につき初心にかえって勉強しようと思う。(読者に感謝) ★土・日・祝日は、中村紀雄著「遙かなる白根」を連載しています。

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2009年5月21日 (木)

「今日から始まる裁判員制度、その意義を考える」

◇いよいよ裁判員制度が始まる。歴史的な司法改革に多くの人々は戸惑っている。とりあえずスタートさせて改善していけばいいという意見があるが、欠陥がある制度によって、重大な人権が侵害されることは許されない。だから裁判員制度は、スタートから万全を期さなければならない。「なぜ素人が裁判に参加するのですか」といつも聞かれる。裁判に一般市民の感覚を活かすためといってもピンとこないのが実情だ。立法や行政の分野と同様に司法にも主権者たる国民を参加させるべきだという民主主義の原理を踏まえた上で、究極の目的は、「正しい裁判の実現」であると思う。現在の裁判が閉ざされたプロの世界で、形式と慣例に流され、人権を守る正しい裁判が必ずしも十分に実現されていないのではないか。自白とそれを記録した調書を重視した「調書裁判」という批判はそのことを指しているに違いない。 20日の東京新聞の記事に注目した。大学教授が、裁判官だったころの体験を語っている。都内のある名刹の本堂に放火した清掃員の女性の事件である。女性は法廷で犯行を認めたが動機は口をつぐんで語らない。裁判官は、根気よくなぜと語りかけ、女性はついに重い口を開き高僧との交際の事実を告白したという。冷たくなったことへの恨みだった。高僧の証人尋問で女性の供述は裏づけられた。ここまで掘り下げた上での判決と調書裁判といわれるように調書を重視した判決では、刑の重さに大きな違いが出る。素人の市民感覚は、このような点で活かされると思う。 繁発する最近の重大な刑事事件を見ると、それらは一般市民の日常生活と隣接した場面で起きている。だから、それらと無縁なところにいる裁判官や検察官よりも、一般市民の方がある意味で的確に事件を受け止めることが出来る。ここに裁判員制度が活かされる本質があるのではなかろうか。 ◇裁判員制度は今日(21日)からスタートする。21日以降、検察当局が起訴した事件が裁判員裁判で審理される。法廷は、6人の裁判員と3人の裁判官で構成される。この制度下の第一号となる裁判は7月下旬にも始まる見通しだ。東芝、日立、三越、キャノンなど大企業は、裁判員として公判に出る日を有給休暇と扱うなど検討しているらしい。市民が裁判に協力することは国民としての義務であるから、これに企業が協力することは企業の社会的義務なのである。 ◇この制度は、社会を大きく変えることになる。中学や高校では、活きた公民教育に力を入れねばならない。ジャーナリズムは、責任ある報道をしなければならない。市民は、たとい、裁判員に選ばれなくも、裁判員の目で事件を考えることになる。自己主義の殻にこもる多くの市民を公務に参加させることになる新しい民主主義の潮流がつくられていくと思う。(読者に感謝) (読者に感謝) ★土・日・祝日は、中村紀雄著「遙かなる白根」を連載しています。

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2009年5月20日 (水)

「葬儀委員長として、人の死を考える」

◇最近、親しい2人の経営者が相次いで60歳代でこの世を去った。一人は前橋大気堂の会長降旗さんであり、もう一人は、昨日(19日)、私が葬儀委員長を務めたホクト工業の社長である。2つの葬儀から人の生き方と死を考えさせられた。

 大気堂は三代続いた文房具の老舗(しにせ)で四代目となる後継者も育っている。大気堂は優良納税者として毎年表彰される程の良優企業である。前橋で、三代以上に渡って健全に続いている企業や店舗は極く稀である。基盤が余程しっかりしていないとそれは不可能だ。この基盤とは形のあるものだけではない。時をこえて受け継がれていく理念が重要なのだと降旗さんの日頃の姿を見て思った。降旗さんは身体もこわしていたので死を覚悟していたのか、葬儀における挨拶の順番まで指示していたという。65歳だった。生きたい気持ちを強く持ちながら死と真正面と向き合う人間の心を私は理解することが出来ない。

◇ホクト工業の北爪忠男さんは、恐らく自分でも死を意識せずにあの世に瞬間移動してしまった。67歳、心筋梗塞による他界であった。このような死を幸せだという人がいる。しかし、死の恐怖と対面して苦しみながら受け入れていく死こそ生の一コマだとする考えもある。私は、後者を支持したい。

 葬儀委員長の挨拶の取材で、早朝、鼻毛石町の北爪さんの実家を訪ねた。北爪さんは大変母親思いで、はるさんが98歳で亡くなるまで、「かあちゃん」と言ってよく実家を訪ねていたことを知った。

 葬儀委員長の挨拶の中に、次のような部分がある。「北爪忠男さんは、宮城村小学校では私より一学年下でありました。昭和20年代の初め、物のない貧しい戦後の時代でした。私たちは赤城山の懐にいだかれた山野を裸足で走りまわっていました。忠男さんの負けず嫌いの精神、人を思いやる人情、社会貢献を重んじる価値観は、この宮城村の少年時代に培われたものに違いありません。忠男さんは大変な母親思いで、98歳で亡くなられた母のことを、その生前、よく私に語っていたことが思い出されます。」

 棺が厚い鉄扉の中に消えた。人の死とは何なのだろう。まだ、生々しい私の心では理解できない。

◇表に示した数字は、私の携帯に入ったニュースで、世界でも日本でも「新型」が刻々と広がっていることを示す。県は、「発熱外来」を「県内」で発生した場合に設置するとしていたが、「県内又は隣接県」に変更した。前橋市は、保健所に設置されるのではないか。教育長は、県内の学校で発生した場合、学級閉鎖を飛び越え学校閉鎖から実施する考えを示した。正確な情報を得て冷静に対応することが何より求められる。芳賀地区では6月7日研修会を行う。

        

日本国内の感染者

19日

午後3時

174人

19日

午後9時

182人

19日

午後9時15分

187人

19日

午後10時半

189人

世界の感染者

(42の国と地域・日本時間)

19日

19時37分

,845人

20日

午前10時

10,211人

★土・日・祝日は、中村紀雄著「遙かなる白根」を連載しています。

(読者に感謝)

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2009年5月19日 (火)

「疑惑の報告会は盛会だった」「新型は加速する」

◇いわゆる高木疑惑の報告会があった(18日)。「ひとの噂も七十五日」というのは昔の事で、目まぐるしく激変する今日には通用しない。新聞の報道も絶えて久しく、社会の表面からはこの問題に対する熱いものが消え失せたかと思われた。会場の盛り上がりは、この懸念を吹き飛ばす程であった。座席はいっぱいで、強引な動員は全くなかった事を考慮すると、市民の間には、この問題に対する熱意が消えていないことをうかがわせた。

 壇上の大きなスクリーンでは、特別委員会副委員長の織田沢県議が本会議場で演説する様子が紹介された。ここでは、元総社の土地購入についての高木元県議の関わりや小寺前知事の責任に大澤知事が言及したことが織田沢さんの声で紹介された。

 私は、署名を寄せた多く人に対するお礼を述べ、元総社の用地とみずき野分譲住宅用地問題をとり上げた。先ず、元総社の土地問題は、高木元県議の口利きで県が元総社の土地を10億円以上で購入し、一年後には住宅を建てないことに方針を変え、以後、14年間も土地を塩漬けにしたもので、私は、参考人の証言などを紹介した。

 次に、みずき野用地は、土地購入後、その一部に大量の建設残土が埋められていることが判明、その後、高木市長の下で、この土地は準工業地域に用途変更がなされた上、市長の親族企業の介入で譲渡がなされ、現在は大型ショッピングセンターがオープンしている。この流れの要点を証言を紹介しながら説明した。

 その他、日赤移転問題や駒形会議所問題なども取り上げられ、最後に、町田県議によって決議文が読まれた。それは、この成果を活かして高木市政の追求を続けようというものであった。

 この報告会の成果を今後どのように活かすかが私たちの最大の課題である。県都前橋の明日がかかった問題であり、また、市民の良識が試されている。

◇大阪と兵庫の新型感染者は、18日夜の段階で159人となった。人から人への感染は、感染者が増えれば増えるほど加速する。関西から関東へ広がるのは時間の問題だろう。WHOは、日本の状況に強い関心を寄せている。警戒レベル「6」は、今まさに世界的流行が持続的に起きているという状態のことで、北米大陸以外で広がっていることが判断のポイントになる。そこから日本の状況が一つのカギになるのだ。ただし、この指標は、症状の深刻さや毒性とは関係ないから、混乱やパニックに陥らないことが必要である。厚労省は、今の「新型」が季節性のインフルエンザと同程度とみている。現在の対応は強毒性を想定したものなので厚労省はこれを緩和し軽症者は自宅療養させることを検討中という。

◇タミフルやリレンザは、インフルエンザと診断され、処方箋をもらえば、通常のインフルエンザでも、薬局で買える。隔離等行う感染症指定医療機関は日赤である。知識の蓄積が大切だ。(読者に感謝)

★土・日・祝日は、中村紀雄著「遙かなる白根」を連載しています。

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2009年5月18日 (月)

「国内の感染が爆発的に広がりつつある」

◇新型インフルエンザの国内感染が急速に広がりつつある。16日に、兵庫県神戸市の2高校、17日には大阪府の高校で確認された。18日午前0時半、兵庫県と大阪府の感染者は計92人が確認されている。16日に神戸の高校生8人が確認されて以来、あっという間の出来事である。この地域で見る限り爆発的な広がりと思える。今後、感染は、更に広がるに違いない。主に高校生の間で広がっていることが注目される。一部のマスコミは校名を発表している。兵庫県の県立神戸高校と兵庫高校、大阪府の私立関西大倉高校である。

 中国でも17日、北京で初の感染確認が報じられ、「新型」の広がりは地球規模になりつつある。18日、午前3時3分現在、41の国と地域で「新型」感染者は8786人に達した。

 私たちは、正にウイルスとの戦争に突入したといえる。いたずらに怯える必要はないが対策を怠ってはならない。有効な備えとして、先ず挙げられるのは、的確な情報と地域社会の対応である。それを支える県を中心とした自治体の役割は極めて大きい。

◇私は、これから、学校などで感染者が出た場合、高名などは発表した方がよいと思う。感染の広がりを少しでも防ぐために有効だからである。その場合、感染者に対する理解と思いやりが必要である。

 伝えられるところによれば、「責任をとれ」とか、「帰ってくるな」等の声が、感染国から帰国した感染者によせられたという。心の狭い自己主義の現われであり情けないことだ。

 北朝鮮のテポドンに対しても未知のウイルスに対しても国や社会を守るという、個人の利害を超えたところに目を向ける公共心が必要である。特に、この「新型」に関しては、私たちの社会の質が試されているといえる。

◇国内初の「新型」の発生を受け、県は16日、対策本部会議を開き、大澤知事は、「国内発生宣言」を行った。その要点を紹介する。

先ず、この度、日本国内での新型インフルエンザ感染者の発生者が確認され、国内では人から人への感染が強く疑われていること、県としては、発熱外来の設置、指定医療機関の対応をはじめとして、対策に全力で取り組んでいるので県民には、正確な情報に基づく適切な行動をお願いすることが表明され、次のような要望に続く、「新型インフルエンザに感染したのではないかと不安に思われる方は、先ずは、各地域の保険福祉事務所及び県庁保険予防課の電話相談に御相談下さい。なお、現在のところ、県内での感染者は確認されていませんが、うがい、手洗い、せきエチケット(マスク等)といった個人的予防策を行うようにしてください」

県は県内の医療機関から感染が疑われる情報を集めるように徹底すべきである。芳賀地区では、私の呼びかけで、6月7日、県の担当者を招いて2度目の対策会議を開くことになった。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「遙かなる白根」を連載しています。

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2009年5月17日 (日)

遙かなる白根(84) 100キロメートル強歩序曲

しかし、父母たちの不安と苛立ちは、日毎に大きくなっていった。子どもたちが、認可が下りないまま山にいることは、たとえ授業を受けていたとしても、欠席状態を続けることを意味した。もはや下界の学校に戻ることは出来ない。多額の入学金や寄付金も払い込んでいる。人々の感情は不安を通り越して危機感に変化していった。混乱と無秩序の中で、酒やタバコをやる生徒も出てきて、その規制をめぐって、教師たちの間に対立が生じた。小さな対立はやがて、教育の理念をめぐる深刻な対立にまで発展した。「認可を受けるために子どもたちの自由を犠牲にするくらいなら、あえて学校にする必要はありません」遂にこのように主張する教師も現われた。 山の学園の混乱は、その欠陥を自らさらけ出すもので、認可はますます遠くなる、認可は不可能なのではないか。父母も、教師たちも、危機感をつのらせ、それはどうにもならないところに近づいていた。 5月17日、京王プラザで一部の父母と主流派教師とのあつまりが行われた。ここで、いくつかの深刻な問題が出された。「本吉先生の建学の精神を理解しない教師がいる。そのような教師としての適格性を欠く者は、遠慮して欲しい」一人の教師が鋭く切り出した。「思想的にだめな教師には断固たる決意をします」普段は温和な吉本校長がその目に悲壮な決意を浮かべてきっぱりと言った。「学校はひどい混乱状態です。中学生でない年長の男の子がいて女の子が首っ玉にかじりついたりしているんです」一人の母親が思いつめた表情で指摘した。また、一人の父親が自らの調査に基づいて次のような発言をした。「群馬県が認可しないのは、基本財産が足りないからです。現在、学校建設の金が足りなくなっています。入学金や寄付で1億5100万円集まったが、用地に5500万円、校舎が6700万円、寮に500万円かかっています。そして現在1700万円の借金があって米などの食糧をつけで買っているのです。寮はプレハブなので、とても冬を越すことは出来ません。また高等部建設の資金については、財政上、全く見通しがないのです。このままでは、更に父母から集めるしかありません」 ◆土・日・祝日は、中村紀雄を連載しています。紀雄著「遥かなる白根」

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2009年5月16日 (土)

遙かなる白根(83) 100キロメートル強歩序曲

 主管課の学事文書課が認可を渋っていた大きな理由は、本吉氏の掲げる理念、理想を直ちに理解出来なかった点にある。人里を遠く離れた、厳しい自然の山奥。入学試験はない。学年末の試験もない。学年の壁も取っ払って能力に応じて教える。そんな学校が、この世に存在出来るのだろうか。第一、文部省が認めるだろうか。当事の学事文書課長はこれらを信じることが出来なかった。

 その上、手続きをルールに従って進めていない、指摘したような法律違反をしている、本吉という男には何かうさんくさいところがあるような気がする。学事文書課の人々は、一様にこのような疑念を抱いた。

 私は、かつて塾の教壇にいたとき、生徒たちが楽しそうに歌っていた様子を思い出す。“ゲゲゲの鬼太郎”の歌だ。

「ゲ、ゲ、ゲゲゲのゲ、みんなで歌おうゲゲゲのゲ。夜は墓場で運動会、楽しいな、楽しいな」

と生徒たちは、いかにも楽しそうに歌う。とくに、「試験も何にもなーい」というところがいかにも面白くてしかたがない風であった。

 鬼太郎の歌は、世の受験地獄をあざ笑うように日本中に響いていた。中間試験、期末試験、学外の業者テスト、偏差値、入学試験、そして行く手に山のように立ちはだかる学歴社会、これらは、変えることの出来ない世の中の潮流であって、試験も何にもない学校などは、まさに、妖怪の世界のもの、世の人々には、このように思えたのである。現実とかけ離れた理想の教育を熱っぽく語る本吉氏のことを、県当局の人たちは、初めのうち、迷い出た妖怪のように思ったとしても無理はない。

 5月、白根の山は、最もよい季節を迎える。白樺に青い葉がつき、まわりの山々も、目にしみるような緑につつまれ、山つつじが咲き乱れ、ウグイスの声は谷にこだまする。そして流れる風に乗って子どもたちの喜々とした声が伝わる。この場面だけ取り出して見れば、本吉氏が描いた理想の学園が実現しているかのようであった。

◆土・日・祝日は、中村紀雄著「遥かなる白根」を連載しています。

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2009年5月15日 (金)

「自殺者3万人が続く異状事態」

◇警察庁によると、昨年中の自殺者は3万2249人であり、これで、3万人を超える自殺者は11年連続である。自殺者は、毎日、どこかでひっそりと亡くなっていくが、3万2千人の人が一ヵ所で一度に死んだら想像を絶する出来事になる。事態はそれ程深刻だということだ。今回発表の統計の特色は20代30代の自殺が増えていること、及び、原因として「うつ病」が最多となっていることである。

 若い人が心の病で自ら死を選ぶ、この異状さをどう受け止めるべきか。社会の異状さが背景にあって自殺に影響を与えていることは間違いない。06年に成立した自殺対策基本法は、自殺防止のための社会的な取り組みを国や地方自治体の責務としている。

 この法律は、未遂者に対する支援や自殺者の親族の心のケアにも言及している。自殺未遂者は、既遂者の10倍はあり、自殺の未遂や既遂が1件生じると、関係の深い人が最低でも5人、深い心の傷をうけるという推計がある。これによれば、年間に、約150万人の人が心の健康を害していることになり、自殺は社会全体の深刻な問題なのだ。群馬県及び本県の各自治体は、自殺対策基本法の趣旨をどのように受け止め、いかなる政策を展開しているか調べてみたいと思う。

◇自殺を望む人は非常に多いから簡単な方法が教えられればそれに飛びつく者が出ることは容易に在り得ることだ。私たちは重大な事件でもすぐに忘れるが、昨年の硫化水素自殺は記憶に新しい。昨年1月から5月までに硫化水素による自殺は489件、517人にのぼったと、警察庁は発表した。

 この硫化水素による自殺者の多くは20~30歳代で、彼らは、インターネットに記

された発生方法に学んで硫化水素を手に入れたものであった。この事態に対して警察庁は硫化水素の原料となる薬品の販売を慎重にすべきことを薬局等に要請し、ネット上の製造や利用を誘う書き込みを新たに「有害情報」に指定した。

自殺者を生み出す、病める社会の陰で、死を誘う毒蛇のようにうごめくのが「ネット」である。ネット自殺という不可思議な出来ごとが数年前から次々に起きるようになった。自殺サイトで知り合った若者が練炭を使って集団自殺する事件が、03年に大きな社会問題となった。

私の家は、子どもの頃、「ミツウロコ、高4寸」という規格の練炭を毎日使っていた。21世紀の最新技術の時代に、あの練炭で集団自殺する若者を哀れに思う。埼玉県の20代の男が「一酸化炭素で逝こうと思っています。自殺したい方を募集しています」とネットに書き込んだら2人の女性が応募してともに自殺した。03年に12件34人、04年19件55人と、このような自殺が次々に起き増えていった。

多くの若者が命を木の葉のように軽く考えているに違いない。他人の命も軽く考えるから簡単に人を殺す。生きる力を教える教育をあざわらうような社会現象だと思う。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「遙かなる白根」を連載しています。

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2009年5月14日 (木)

「新型インフルの猛威は全世界へ」

◇新型インフルは増加の一途をたどっている。13日の時点で、感染者は34の国と地域で6千人に迫っている。WHOは、現在、警戒度「5」としているが、専門家は、最高度「6」に当たる状態と指摘しているのだ。

 私たちは現在、「新型」発生という歴史的な出来事の中にいる。しかし一方では、過剰気味といわれる国の取り組みがあり、他方では、取り組みに極めて温度差のある地方自治体と危機につき半信半疑の大多数の国民の姿がある。これが私たちの社会の現実である。私はリード役の国が危機感をあらわにして目の色を変えるのは当然だと思う。

 じたばたしてもしようがないが、まさかの時に備えるために情報を整理しておくことが重要である。この2週間の間に、「新型」インフルは世界中に広まった。これは、世界がひとかたまりになって激しく動いていることを示している。

 WHOが新型インフルエンザ発生を宣言したのは4月28日であった。この時点でフェイズ、つまり警戒度は「4」であった。舛添厚労相が大きな目玉をむいて、深夜の緊急記者会見を行ったのは5月1日であった。その内容は、「カナダから帰国した横浜の高校生が新型に感染した疑いがある」というもの。これは、その後、感染はなしと判明した。

 我が国最初の感染の確認が発表されたのは今月9日である。ノースウェスト航空25便でカナダから帰国した3人の高校生と一人の男性教師である。この便の同乗者に本県在住者2人がいたことは、「新型」が身近かに迫ったことを感じさせた。

◇本県は、「新型」発生宣言によって対策本部を立ち上げ、庁内に発熱相談所を設け、発熱外来の準備を始めた。発熱外来は、県内に「新型」が発生した段階で、公民館などに設けられる。県内では35ヶ所の発熱外来を予定しているが現在、医師確保の困難などから15ヶ所の確保にとどまっている。(前橋は予定は5で確保は1)

◇本県において、「新型」感染が疑われるケースが2例発生した。アメリカから帰国した母子とノースウェスト航空25便の搭乗者2人である。感染国からの帰国者はリストに乗せられ追跡調査をうける。母子は、一時連絡がとれなかったが、その後の検査でシロと判明した。ノースウェストの搭乗者は自宅で健康観察を受けている。国の水際作戦も対応しきれない状態に至っているから本県で「新型」が発生するのは時間の問題だろう。

◇ノースウェスト25便で帰国した我が国初の感染者4名は、感染症指定医療機関の成田赤十字病院に隔離され、同乗した濃厚接触者12名は、成田市内のホテルに「停留」されている。これらの対応の根拠となるのは検疫法である。同法では感染者の隔離と感染の疑いある者の「停留」を定めている。

◇現在のウィルスが変異を起こして強毒性のものになる恐れが指摘されている。そして、かねてから間近かだと呼ばれている鳥インフルからの「新型」が恐い。第三次世界大戦は目に見えない微生物との戦いかも知れない。人類は一つにならなければ敗北する。日本の役割は大きいのだ。(読者に感謝)☆土・日・祝日は、中村紀雄著「遙かなる白根」を連載しています。

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2009年5月13日 (水)

「防災ヘリに乗る。八ッ場ダム訴訟判決」

◇総務企画常任委員会で防災ヘリコプターの活動状況を視察した。ヘリコプターの機能は驚異的である。時速250キロメートルで空中を移動して人や物を運び、空中で静止して地上の物をつり上げることが出来る。防災活動においてヘリコプターは魔法の力を発揮する科学の利器であることを実感した。 前橋市下阿内町の群馬ヘリポートでは、防災航空隊員が訓練をしていた。バリバリと轟音をあげて飛来した防災ヘリ「はるな」が、地上50mの空中に止まると、ロープにすがった隊員は、スルスルと地上におり、横たわる人を抱きかかえてヘリコプターに引き上げられていく。それを見て、私は、直ぐに日航ジャンボ機墜落の現場を思い出した。1985年(昭和60年)、ヘリコプターから伸びたロープの先には、自衛隊員に後ろから抱きかかえられた生存者川上慶子さんの姿があった。この時は、まだ、県の防災ヘリはなかったのである。 防災ヘリ「はるな」の就航は、1997年(平成9年)のことである。以来、病人の救急搬送、山の遭難者の救出、地震や水害で孤立した人の救出、森林火災における消火等々防災ヘリは大きな成果をあげてきた。 ◇約40分ヘリに乗った。地上500mを時速220キロで飛ぶ。眼下に、ミニチュアのようなまちや田畑や道路が過ぎていく。 鳥になった気分である。空の道は信号がなく山や川も関係なく一直線である。県内全域に約20分で達することが出来る。時間と距離を短縮するこの移動技術こそ人命救助のカギである。 ◇コース上に八ッ場ダムの建設現場があった。全体を一望したのは初めてである。新しい道路や橋がつくられ、山の斜面には人々の移住地建設が進められている。あちこちで動く重機が、土に首をつっ込んで餌をついばむ鳥のように見える。吾妻渓谷の流れは白く細い帯ののようだ。 首都圏の水がめをつくるために壮大な時代の歯車が回り出したのだ。激しく反対していた住民も建設が進み早く生活が安定することを願っている。 県議会でもダム建設の是非をめぐって激しい議論が闘わされてきた。私たちは、推進議連をつくって研修会も行ってきた。治水、利水の点からダムは必要である。ダムに反対する人々が原告となった八ッ場ダム訴訟の判決が11日、東京地裁であった。ダムをストップさせる会の主張は退けられ原告全面敗訴となった。予想していたことではあるが、私たちはほっとした。 同様の訴訟は利根川流域の5県で起こされており、前橋地裁の判決は6月26日である。長野原町の高山町長はほっとした表情で今後も住民の生活再建に全力で取り組みたいと語った。私はヘリの上から眺めた静かな自然が突如として荒れ狂う姿を想像した。このダム建設は、大自然との新しい調和をつくる問題である。 ☆土・日・祝日は、中村紀雄著「遙かなる白根」を連載しています。

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2009年5月12日 (火)

「子を背負う若い夫、県内に新型発生のおそれ」

◇ゴールデンウィーク中、私が心で受け止めた一つの光景がある。友人と松代の大本営地下壕を見た帰りのコースで、とあるレストランに寄った時の事である。隣のテーブルに、若い夫婦が向き合って歓談している。私が「ほー」と思ったのは、男が背中に赤ちゃんを背負ってゆすっている姿を見た時である。若い父親は私たちを意識している風は全くない。私は友人と顔を見合わせてうなずいた。

 最近、若い男が赤ちゃんを乗せた乳母車を押す姿を見ることがあった。このように、男が子育てに協力することが若い夫婦の間に定着しつつあるのだと思われる。

 昔は、「男子厨房に入らず」といって、男は台所に入らないことが常識とされた位だから、公衆の前で赤ちゃんを背負ったり乳母車を押すことなどはもってのほかの事であった。時代は大きく変わったのだ。

 このような父親を法的にサポートする制度が育児介護休業法である。子どもの虐待が毎日のように報じられる。子どもを育てるのが難しい社会環境が広がっている。夫が積極的に子育てに協力することが少子化対策として重要である。

 ここで公務員の役割を期待したい。公務員は社会の手本を示すべきだから進んで育児休業を利用すべきであるが、利用者は非常に少ないのが現実だと思う。職場で、若いカップルが誕生し、奥さんが妊娠したら職場の上司は、育児休業の利用を勧めたらよいのではなかろうか。

◇新型インフルエンザが本県に近づいている。県内初の感染が疑われたのは、アメリカから本県に入った後に発熱した母子である。感染国、メキシコ、アメリカ本国、カナダからの入国者はリストに名がのって、追跡調査をすることになっている。母子はリストに名前があったが、電話番号が記入漏れで県は連絡がとれなかった。帰国者が急増する中で、このような記入漏れはかなり起こり得ることだ。水際対策としてこのような不備をチェックすることが非常に重要であることを母子の例は示している。

家族が県の発熱電話相談に連絡したことがきっかけで、前橋市下沖町の県衛生環境研究所が検査し、感染なしが確定した。もし感染していたら、この間県内にどっとウィルスが広まっていたかも知れない。他では現実にこのような感染が生じている可能性が考えられる。

次に、また本県で感染の疑いが発生した。国内初の感染者が4名出たノースウェスト航空25便の同乗者2名が本県在住者であることが判明したのである。この人たちは、感染者とは離れた席にいたので、検疫法に基づく宿泊施設での停留対象ではない。自宅で待機し、10日間の健康観察を受けている。朝夕体温も測っており、発熱などの症状が出たら検査することになるが、現在、異常はないという。このような状況の中、自治体や学校などの役割は極めて大きい。県教委は、各県立学校等に適切な判断と対応を求めて通知した。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「遙かなる白根」を連載しています。

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2009年5月11日 (月)

「劇団代表の死、尾身幸次の辻説法」

「劇団代表の死、尾身幸次の辻説法」 ◇劇団「ブナの木」の代表、大野俊夫さんの告別式に出た(10日)。脳卒中で倒れ3年にも及ぶ闘病生活をしていた。63歳とは若い。10年ほど前、私は劇団代表という男の訪問を受けた。これが大野さん、そして「ブナの木」との最初の出会いであった。「ブナの木」には、大野さんが演出した何本かの宮沢賢治ものがあり、子ども達の心をとらえていた。 弔辞の用意はなかったが、これが最後と思うとたまらずに私は遺影の前に進み出た。「もう一度あなたと話したかったですね。日本人の心は貧しくなったといわれる中で、あなたの演劇は多くの子どもに夢を与えました。志半ばで倒れたことはさぞ残念だったでしょう」私はこのように語りかけた。わずかにほほえんだ大野さんの遺影は、自分の人生の演出に失敗しましたとつぶやいているように思えた。「ブナの木」はNPOの資格を得て奉仕活動としても盛んな活躍をしていた。教育の面で与える効果は大きかった。大野さんの志をつぐ劇団はしっかりとした歩みを続けている。「大野さん、これもあなたの演出ですね」私は、心の中で、遺影に向って語りかけた。 ◇尾身代議士の辻説法に同行した(10日)。前橋は33度を越える真夏日である。予定の場所に数人しかいないところでも、尾身さんは平然とし、トーンを落とすことなく、時局を語る。いつものことながら、歳を感じさせないこの人の迫力には圧倒される。尾身さんは、100年に一度の不況を脱出するために今審議中の補正予算はどうしても必要なのだと施策の具体例をあげて熱く語った。 尾身さんの情熱と若さの秘密は何かと考えたとき、私は、サミュエル・ウルマンの詩を思い出す。「年を重ねただけで人は老いない、理想を失うときに初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失うときに精神はしぼむ」この詩は、私が自分に言い聞かせるために親しむものである。人生をぎりぎりまで生きようとする者にとって心に響く言葉ではないか。この部分に続くウルマンの次の言葉は更に強烈で、私の胸をあつく打つ。   人は信念と共に若く疑惑と共に老ゆる   人は自信と共に若く恐怖と共に老ゆる   希望ある限り若く失望と共に老い朽ちる ◇予定地の一つである私の事務所前には、この日数十人の人が集まった。この種の集会には余り興味を示さないと思われる団地の新住民の人々の顔が多く見られたことは嬉しかった。実は、この日の朝、公園の草とりの時、私は、今日、この公園に尾身幸次が来て重要な時局について話しますと紹介した。町内の草とりの場で政治を持ち出したのは初めてのことである。草とりの場は町民にとって大事なコミュニケーションの場だ。出来るだけ政治色を出さずに大切な情報を伝える場に出来ればと密かに思う。(読者に感謝) ☆土・日・祝日は、中村のりお著「遙かなる白根」を連載しています。

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2009年5月10日 (日)

遙かなる白根(82) 100キロメートル強歩序曲

 校舎が出来、教師や教材が整い、生徒が集まっても、それだけでは学校は実現しない。県の認可があって初めて学校が誕生するのだ。その認可が容易に得られそうもないことが分かったのである。 開校予定日は5月1日とされていたが、一週間前になっても認可は下りない。草津のホテルには、山の学校へ入れると期待した多くの生徒たちが父母と共に待機していた。彼らにとって戻る学校はなかった。いつまでもホテルにいるわけにゆかない。不安とあせりは募るばかりで、人々の間には大きな動揺が広がっていった。本吉氏は悩んだ末、ついに決断し、4月28日、生徒を新築の寮に入れ、5月10日、授業を開始する。これは、学校ではない、塾であった。それでも生徒たちは、新天地に足を踏み入れた喜びにわいていた。 県学事文書課の資料によれば、行政の側は次のように動いていた。 4月25日、私学審議会現地調査 4月28日、私学審議会開催、同日付で中等部認可を可とする答申を行う。又、同資料によれば、学事文書課は5月上旬、問題発生として次の点を指摘している。 許可前の生徒募集 準備財団の父兄寄付金などに関する支出不明金の存在 飲用水の無断受水建設基準法違反中卒者の再入学問題私学審議会が認可を可とする答申を出したにもかかわらず、県学事文書課は、認可することを渋っていた。そもそも、行政は、新しい分野に踏み出すことには極めて慎重である。時には、臆病なほどだ。県学事文書課は、かつて一度だけ、中学校の設立認可を手がけたことがあったが、その担当者もいなかった。

◆土・日・祝日は、中村紀雄著「遙かなる白根」 を連載しています。

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2009年5月 9日 (土)

遙かなる白根(81) 100キロメートル強歩序曲

「白根開善学校の恒例の100キロ強歩は、先生のその体験と関係あるのですね」

「そうです。学校をつくったら、子どもたちにやらせよう、そればかり考えていました」

 学校づくりの苦労を語る本吉氏の顔に、このときはじめて会心の笑みが浮かんだ。私は、その笑顔と、目に浮かぶあの苦行僧のような子どもたちの姿を重ね合わせていた。

吹雪の中の建設工事、混乱と対立が始まる

 昭和53年の初頭、白根の山中では、吹雪をついて学校の建設工事が進められていた。4月の開校を実現するためには、真冬の厳しい条件の下でも一刻の猶予もならなかった。工事は難航した。資材を運び上げる細い林道は雪で覆われているので、ブルドーザーで除雪しながらの工事となった。鋼材を大型車で運び上げるときは、花敷からの道は狭すぎて通れないので、草津から小倉へ通じる道を使った。乗用車ならわずか20分で行けるところを8時間かかったし、一つの橋を渡り切るのに一日かかったこともあった。まさに、この村の開闢以来の大工事であった。今まで見たこともない大きな車が来て立ち往生しているというので、村人は、夜、堤灯を下げて大勢で出かけたこともあった。

 昭和53年4月10日、ついに、校舎と寮が完成。本吉氏は感激で胸がいっぱいであった。残雪の白樺の林の中に赤い屋根の建物が二つ。それは、信じられない夢の世界が忽然と姿を現したようであった。全てはうまくゆく、湧きあがる思いの中で、本吉氏は確信した。入学予定者は68名であった。開校予定日は5月1日となっていた。開校に向けて教材・教具の搬入など慌しい準備が進められる。教職員たちも全員山へ移った。

 しかし、目の前に大きな障碍が待ち受けていた。

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2009年5月 8日 (金)

「新型は若者を襲う、発熱外来の状況」

◇県議会の「危機管理対策研究会」が新型インフルエンザに関する緊急勉強会を開いた(7日)。「新型」に関する現状と対策について県担当課の説明とそれに対する質疑が行われた。

 県民の生命と健康を守ることは県議会の第一の使命だから「新型」発生という歴史的危機に際して行動をおこすことは当然である。県会議員は住民と密着した立場にあるから、いざという時には、住民に直接働きかけ、あるいは住民と行動を共にすることが出来る。また、行政機関は、「法に従って公平公正に」動くことを旨とするから臨機応変の大胆な決断には不向きなところがある。だから、大規模な災害こそ県議会の真価が問われる場面であり、「新型」の大流行はその典型例といわねばならない。

 新型インフルエンザは、フェーズ5に達し全世界に広がっている。現在24の国と地域に広がり、感染者は2119人、死者は31人(7日の午後現在)と報告された。

 この日の勉強会では「発熱外来」設置状況が問題にされた。発熱外来は県内に36ヵ所計画しているが現在15ヵ所で準備が整ったことが分かった。前橋市は5ヵ所を計画しているが確保できたのは1ヵ所である。

 「発熱外来」は、公民館、体育館などに設置される。これらの設置は新に診療所として許可を取得して診療を実施することになる。「それは、具体的にどこか」という質問に対して、当局は、「まだ外部に知らせることは出来ない」と答えていた。発熱外来は県内に「新型」が発生した場合に備えるものである。その設置目的は、感染防止、診療の効率化、混乱を最小限にすることである。県当局は、36ヵ所の設置目的を満たすよう引き続き努力すると答えた。現在機能しているのは、保健所、保健予防課で実施している発熱相談である。

◇蔓延国(メキシコ、カナダ、アメリカ本土)に10日以内に旅行していた者で、38度以上の発熱、または、鼻水やのどの痛みなどの症状があった場合に「疑いのある例」として検査の対象となる。

◇現在の「新型」は、強毒性でないこと、感染者は、蔓延国で見る限り若者がほとんどであることなどが特色であるといわれる。政治や社会問題にそっぽを向く若者に、新型ウィルスという社会問題が襲いかかっているのは皮肉である。「新型」問題には、医療とその運用が深く関わることであり、それは、すぐれて政治、社会問題なのだ。現代の若者に対する天の戒めかも知れない。

◇90年前のスペインかぜも、群馬ではいったん終そくして再び勢力をふるった。現在の「新型」も一度静まって秋に再び流行するという見方がなされている。それまでに強毒性に変化する恐れもある。また、従来心配されていた、鳥インフルから「新型」が発生する可能性が大きいことも忘れてはならない。いずれにしても、現在進んでいる状況は、本格的な嵐に備える壮大な予行演習としての意味を持っている。(読者に感謝)

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2009年5月 7日 (木)

「松代大本営・象山壕」と「佐久間象山」を訪ねる

◇太平洋戦争末期、本土決戦に備えて空前の地下壕建築が進められた。本土決戦となれば日本国にとって最重要なものは堅固な岩盤のしたに隠さなければならない。そこで天皇の住居と大本営の拠点等を長野県松代の地下につくることになった。私は、6日、激しい雨の中象山壕(ぞうざんごう)と呼ばれる地下壕に入った。鋼鉄のような岩山を穿ったトンネルは、北朝鮮が休戦ラインの下に掘った南侵のための地下壕を思わせた。信濃毎日新聞と地元高校生から受取った資料によれば、数千人の朝鮮人が工事に強制的に従事させられ、多くの犠牲者が出た。

 太平洋戦争末期、軍の中枢には、本土決戦を強く求める人々がいた。ポツダム宣言の受諾をめぐって天皇の誓断を仰ぐ場面で阿南陸相は天皇にとりすがるようにして決戦を哀願したといわれる。

 私は知人と地下壕を進みながら、本土決戦となっていたら、このあたりは大変であったろうと黒い岩面を見詰めて思った。ボランティアの案内人から鎖でつながれた朝鮮人や慰安所のことなども聞いた。

◇注目されることは、地元の高校生が地下壕の研究に大きな役割を果たしていることだ。長野俊英高校の郷土研究班である。取り組みは、先輩から後輩へと引き継がれ、活動状況は「高校生が解き明かす松代の真実」など多くの冊子にまとめられ、強制立ちのきや、朝鮮人労働者の壮絶な証言などが紹介されている。そして、彼らの活動が文科相の視察、日本史の教科書への取り上げ、などという成果を生み出している。

◇地下壕が通称象山壕(ぞうざんごう)と呼ばれるのは象山(ぞうざん)という象の形に似た山に掘られているからである。この山の麓に象山神社があり、近くに象山記念館がある。これらを訪ね幕末の秀才、佐久間象山の実像に近づくことができた。

 佐久間象山(ぞうざん)は松代藩士で幼少から秀才の誉れが高かった。彼は西洋列強の科学技術を高く評価し戦えば勝ち目はないとしてその技術を学んで国力を高めることを主張、自ら研究して大砲の鋳造などを行った。記念館には彼が作った写真器もあった。象山神社には「余、年20以後匹夫も一国に繋(つなが)るを知り、30以後天下に繋るを知り、40以後は5世界に繋ることを知る」という彼の生き様を刻んだ碑があった。彼はこのように世界を視野に日本を救うために動いたが54歳で暗殺された。

 江戸で開いた塾の門下生には勝海舟や吉田松陰がいた。黒船に衝撃を受け、吉田松陰にアメリカ密航をすすめ幕府に捕らえらえる。明治維新は彼の死の4年後に実現した。

◇「しようざん」が「ぞうざん」か。両方の記述があり不思議に思っていたが、「ぞうざん」だと分かった。彼は、生家の近くの象山の名をとって号としたと自ら書いているのである。アメリカ映画で話題となった硫黄島総指揮官栗林中将も松代の出身であることを知った

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2009年5月 6日 (水)

遙かなる白根(80) 100キロメートル強歩序曲

教育に関する社会の渦巻く不満、子どもたちの深刻な状況、そういうところに、白根開善学校のニュースは大きな一石を投じた。その波紋の大きさは、恐らく本吉氏の予想をはるかに越えたものであったにちがいない。

しかし、学校の設立は、容易なことではなかった。新聞で報じられてから、学校の設立に至るまで、本吉氏を中心とした学校設立準備グループは文字どおり生みの苦しみを味わうことになる。学校設置の認可がおくれ、行く手に大きな障害が現われたとき、全国から集まった父母や子どもたちは戸惑いと混乱の中になげだされた。先が見えないことに対する不安、期待と現実との差、教育の理念とそれを遂行する方法をめぐる考え方の違い、白根の山奥という厳しい自然環境、新しい事業に対する行政の戸惑い、これらがいっしょになり、あるいは複雑にからみあって、静かだった白根の山は、人々の熱い感情のぶつかり合う戦場と化していった。そして、ついには、入学金の返還を求める訴訟にまで発展する。マスコミも一転して非難の側にまわる。四面楚歌の中、本吉氏は絶望し、途方にくれた。

後に学校づくりを振り返ったとき、本吉氏は私に以外なことを話した。

「その時、私の頭にあったのは、100キロ強歩のことでした」

 「え、先生も100キロ強歩の経験があるのですか」

 私は驚いていった。

 「そうです。鹿児島県の旧制中学のとき、毎年100キロメートルを歩きました。今でも、昔の仲間があつまると、お前はあのときどこまで歩いたとか、必ずこの話が出ます。大変だったです。私より体力があり、スポーツに強い兄貴は完歩できなかった。体力でなく、気力で歩いたんです。あれだけのことをやれたという自信が、この年になっても支えになっているのです。学校をつくることで、苦しかったとき、昔のあのときのことを思い出して、きっと出来ると思って頑張りました」

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2009年5月 5日 (火)

遙かなる白根(79) 100キロメートル強歩序曲

  その下には、白根開善学校の建設予想図として素晴らしい校舎の姿まで描かれている。続いて記されている学校の説明の中味は、その後、長い茨の道をのりこえて到達する目標であった。建学の思想と学校スタートに至る経緯を知る上で、今でも興味深く読める文である。当時の教育の深刻な状況からして、この記事を読んだ多くの人々の反応が理解できるのである。

「―― 私大で教育学を研究している学者たちが、激しい受験戦争の中で落ちこぼれてゆく子どもの姿を見るにしのびず、草津温泉の近くに全寮制の6年制中高校を建て、みずからも先頭に立って人間回復の教育にあたる。学校運営には、父母はもちろん、最近の教育にあきたりない思いの人たちの力も集め、ユニークな教育を展開しようとしており、6年後にはどんな問題児も、りっぱな高校卒業生に変身させてみせると張り切っている。学校の名は白根開善学校。人間はだれでも善くなるために自分の能力、才能を伸ばそうとしているものなのだから、それを積極的に援助して行こうという意味から、この計画の応援者の一人の村井実・慶大教授(教育学)がつけた。いまの学校教育が受験にゆがめられ、さまざまの問題を抱えこんでいることは言い尽くされた。しかし、実際には何も直らないし、落ちこぼれた子どもは精神的にも萎縮し、問題児として成長してゆく。逆に頭が良すぎて学校がつまらなくなり、落ちこぼれて行く子もいる。そんな子どもたちを引きとり、親から離れた山中の寄宿舎で、質素に厳しくしつける。わからなければ中学三年生の子が中学一年生の教室で勉強をする。その逆もやる。本吉さんを支援する村井教授をはじめとする教育学者グループ、その他のボランティアの人たちに泊まりがけで来てもらい、それぞれ得意のところを指導してもらうー」

ざっと、このような内容の記事である。これらは、塾経営者だった私の経験から言っても、公教育が実現出来ないところをカバーする理想の教育といえる。学校教育の現実の中で悩む親たちにとっては、旱天の慈雨のように思えたことであろう。果せるかな、本吉校長の家の電話は連日のように朝から夜まで鳴りつづけ、各地からの問い合せは、400人以上にのぼったという。他の新聞もとり上げたが、朝日の記事は特にインパクトが強かったようである。

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2009年5月 4日 (月)

遙かなる白根(78) 100キロメートル強歩序曲

本吉氏が、六合村のてっぺんの広大な白樺林を訪れ、ここだと心に決めたという昭和52年頃、教育界の状況は深刻であった。受験戦争という言葉に象徴されるように受験競争はますます激化し、子どもたちの世界には、その健全な成長を妨げる様々な現象が生じていた。競争に破れた子、落ちこぼれた子、このような学校の体制に反発する子などが至る所に生まれ、いわゆる問題児が多く現われ深刻な社会問題となっていた。 私は、当時、前橋市西片貝町で中村塾を開き教えていたが、勉強にふり回されて、精神的に萎縮したり、暗くなってゆく子どもたちを身近に見ていた。又、勉強の出来る子も、成績がよいことが人間としても価値あることという考えをもち、点数によって仲間を評価するようになり、知識の量はあっても判断力や洞察力は身につかず偏狭な自己主義に陥ってゆくといった、深刻な事態が生じていた。このことは、東大の学生生活の中でも、いやというほど経験してきたことでもあった。自分の体験を少しでも生かして、塾では、人間的な触れ合いを大切にし、点数だけが人間にとって重要なことではないことを教えようと務めていたが、社会の潮流の中で、自分があまりに非力であることを歯がゆく思っていた。 そんなとき、吾妻の山中の白根開善学校のことを耳にすることがあった。そして、新聞の記事も見る機会があったが、それほど大きな問題として把えることは出来なかった。今から振り返ると、この問題を一般論として自分の頭の中だけでとらえていたのだと思う。もしあのとき、周平を抱えて悩んでいたら、全く違った反応を私はしていたことであろう。白根の開善学校の記事が、朝日新聞によって報じられたとき、すさまじい反響があったというが、それは、いかに多くの人々が教育の問題について深い関心をもち、また悩んでいたかを示しているといえる。 昭和53年1月14日の朝日新聞夕刊は、非常に大きなスペースをさいて、開善学校のスタートを報じた。今それを読むと、理想の学校のほぼ完璧な内容を伝えている。まず、次のような見出しがおどる。「落ちこぼれ集まれ!」「6年、全寮教育で再生」「群馬山中、春に開校、学者らの夢が実る」 ◆土・日・祝日は、中村紀雄を連載しています。紀雄著「遥かなる白根」

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2009年5月 3日 (日)

「憲法記念日・日本国憲法の価値」

◇また5月3日がやってきた。日本国憲法の施行を記念する日である。新憲法の施行は、1947年(昭和22年)の5月3日であった。この年4月私は

宮城村

の小学校に入学した。振り返れば、社会は貧しい中でも活気があり、山の小学校にも時代の新しい空気が流れていた。学校に関することは新憲法に合わせて全て変わった。それは国語の教科書によく現れていた。前年までの小1の教科書は、従来の日本精神を象徴するような、ハタ、サクラ、アサヒ、などの言葉がかたかなで書かれていたが、新憲法の条文にひらがなが使われたこともあって新しい教科書の文字は、ひらがなとなった。私たちの小1の国語の最初のページには次のような詩があった。

 おはなをかざる、みんないいこ。

 きれいなことば、みんないいこ。

 なかよしこよし、みんないいこ。

今改めて口ずさんでみると、ほのぼのとした明るい社会の息吹きのようなものが感じられる。この詩は、新生の民主主義の社会で初めて教育を受けようとする私たちの門出を祝うにふさわしいものであった。

 1945年(昭和20年)8月15日、天皇がポツダム宣言の受諾を内容とする終戦の詔勅を読み、実質的に終戦となった。そして9月3日、戦艦ミズーリー号で降伏文書に署名し正式に終戦を迎えた。ポツダム宣言に従って作られたものが日本国憲法である。

 日本は有史以来の敗戦を迎え、焦土の中から新しい一歩を踏み出した。この一歩の起点であり、かつこの一歩の目指すものが新憲法の理念であった。新憲法は、それまでの大日本帝国憲法を180度転換するものであり、新憲法の実現は一種の革命であった。

 制定当初は理想に過ぎると思われた憲法も国民の間に定着し、今や地球社会の目指す方向に合致した世界に誇る憲法というべきである。憲法改正論が登場している。「アメリカからおしつけられた」という主張は、論外である。素晴らしいものを押し付けられたことを喜ぶべきだ。改正の必要はあると思うが、それは、憲法の根幹には触れずに、時代の変化に合わせるための枝の部分の改正であるべきである。

 日本は、原則のない国家と批判されることがあるが、憲法こそ、国家の原則である。問題は、従来の政府が、憲法の理念に及び腰で、自信を持って憲法を守るという姿勢を内外に示せなかったことである。憲法擁護を主張するのは、革新勢力など反政府の特権であるかのような風潮が長いこと定着していた。これは家庭内で父母の意見が割れているのと同じく特に戦後教育の面において大きな悲劇をもたらしたと思う。政府と与党が中心となって憲法擁護を掲げる態勢の下で始めて国民の国を守る心を育てることが出来る。個人主義に過ぎる傾向と調和させるために、国民の責任と義務をある程度明確化させるといった改正点が国民的に議論されるべきだと思う。祝日だが、憲法記念日なので特別にこの日記を書いた。(読者に感謝)

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2009年5月 2日 (土)

遙かなる白根(77) 100キロメートル強歩序曲

 山口仙十郎さんたちが住む麓の部落が小倉である。ここに人々が住んで千年以上になるという。小倉部落の白根神社に有名なしだれ桜があるが、この桜は信州からもちこまれ植えられたもので、樹齢千百年を超えるといわれ、従ってこの村の年齢もこの桜と共に古いとされるのである。

 小倉から開善学校に至る林道を、途中でガラン沢の方へそれてしばらく進むと、栃洞と呼ばれる所があり、かつては、人目を忍んで暮らす人々がいたという。この部落の最後の住人は若くて美しい女性だったというが、今はその人にまつわる興味ある伝説と共に、数個の墓標がひっそりと残されているだけだ。

 言い伝えによれば、このあたりは、木曽義仲の残党が落ちてきて隠れ住んだという。そういえば、源頼朝が狩りに来て、この小倉の下を流れる長笹沢川の下流で温泉を発見して歌をよんだという言い伝えも、当時の武士たちの興亡と関連のあることであろうか。

 静かな山里に生きつづける伝説や歴史、村人たちの温かい心、これらは今、下界の子どもたちを待っている。悠久の時の流れの中でつちかわれてきた小倉や長平の部落、そして、これらを含めた六合村全体が彼らにとって学校となるのだ。その拠点となる学舎を、今、本吉氏はつくろうとしている。山の高みに立つと、はるか彼方から潮騒のように、山の学校を求める声が聞こえるような気がする。本吉修二氏は、理想の土地を見つけた喜びと興奮にひたりながら、学校づくりに、がむしゃらにまい進する。

 

“理想の学校”の報道に全国からすごい反響

 白根開善学校は、時代が生み出した学校である。計画性、緻密性、先を見通す力等、事業経営者に求められる資質については、恐らく欠けるところがあったと思われる本吉氏は、無理な条件の下で、ただ教育に対する理想と情熱に燃えて突き進んだ。そして、様々な障害に突き当たった。それを乗り越えることが出来たのは、本吉氏の執念もさることながら、時代の強い要請があったからである。

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2009年5月 1日 (金)

「新型インフルエンザの恐怖に地域力が試される」

◇深夜、今朝午前1時半過ぎのこと、テレビをつけると、舛添厚労相が緊急の記者会見をしていた。舛添さんは緊張した表情で、「日本でも、新型インフルエンザに感染した疑いのある患者が発生した」と語り始めた。横浜市の17歳の男子高校生でカナダに修学旅行に行き25日に帰国した。せき、たん、熱の症状が見られ入院中である。「対応が遅かったのではないか」という記者の質問に舛添さんは、「新型発生を宣言したのは28日で、25日の段階では、検査の対応がとれていなかった」と述べ、また、「現在、知事、市長と電話がつながらない状態となっている。極めて遺憾だ」と語った。舛添さんは、今後の対策として、高校生が乗った飛行機の便名、高校生の行動の範囲、接触の範囲を、政府の総力を上げて調査するという。

◇メキシコで、176人もの死者が発生する中で、「なぜメキシコだけに」という声が聞かれていたが、遂にアメリカでも死者が発生した。そして感染者は世界に広がっている。

 こうした状況を踏まえ、WHOは、フェイズを5に引きあげた。「5」は、「新型インフルエンザの大流行の恐れが極めて高い段階」のことだ。「世界的大流行が起きている」状勢を示す「6」に至っている根拠はないというが油断は出来ない。

 フェイズは、英語の「phase」で、「段階」あるいは「状勢」を意味する。世界保健期間(WHO)は、新型インフルエンザの発生段階を1から6に分類。最近、急速に「4」から「5」に変わったが、「4」は、ヒトからヒトへの感染が確認された段階、つまり突然変異による新型ウィルスの発生である。「5」は、世界的大流行の前段階である。

 1918年から始まったスペインかぜでは、全世界で4000万人、日本で39万人、群馬県でも4000人以上の死者が出た。新型インフルエンザとの戦いは長期に及ぶことを覚悟しなければならない。スペインかぜは、あしかけ3年に及んだといわれているが、群馬県では、300人以上の死者の発生は数年間に及んだ。各年の死者数は、「群馬県史・通史編7」に記されている。

アジアで猛威をふるう鳥インフルエンザによる死者は257人に達した。これまで、ここからの「新型」発生が時間の問題だといわれてきた。「ブタ」と「鳥」が重なる危険性もあるのである。

災害の防止は、国まかせではいけない。それは地域の受け止めにかかっている。「新型」が発生した場合に公民館などに設けることになっている「発熱外来」の準備が群馬県では遅れている。県当局の危機意識の欠如が一因であることは否定出来ない。新たな事態に対して県議会も行動を起こすべきだと私は呼びかけている。多くの子どもたちをあずかる学校関係者も危機意識を高めて欲しい。地域が力を合わせなければならない。私はとりあえず、マスク3,000枚を確保した。(読者に感謝)

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