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2009年5月31日 (日)

遙かなる白根(88) 100キロメートル強歩序曲

  何人かの父母が大声で叫んだ。

すると同時に一人の父親が立ち上がって叫んだ。

「学校に危険な思想を持ち込むな」

「そうだそうだ」

呼応するように一斉に声が上がった。当時を知る人は、「何ともすさまじい光景だった」と言う。父母たちは必死だったのだ。追求は夜になっても続き、深夜11時すぎ、5人の教師と一人の調理師は、ついに下山という事態に追いつめられるに至った。

 このような白根の山中の熱い闇について、県行政は、くわしくは知らなかった。当時の県学事文書課の記録には、短く、「6月中旬、教職員の下山及び補充」とある。

 県行政も含め県民が、開善学校について知る主な手段は新聞である。昭和53年6月8日の上毛新聞は、「正規の授業はいつ?」「待ちどおしい認可、教師の一部が下山、仮開校で1ヶ月も」という大きな見出しで、開善学校の状況を報じた。そこでは次のような記事がみられる。

「先月末で手続きは完了となったものの、この間、14人の教諭のうち6人が下山するなど重なり、6月上旬となっても正式な学校として発足されていない」

「県では、“学校認可がおりてから入校するように指導したが、このままでは私塾と同じで、時間的に経過がたち長期欠席扱いになってしまう”と前例のない学校設置にとまどいの色を濃くしている」

「一方学校側では、“夏までは生徒たちの個性を知るために自由学習という形をとり、生徒と教師の交流を深めていきたい”と話しているが、同校がめざしている理想的な授業とはいまのところ大きな隔たりがあり、下山する生徒も出始めている状態。学校スタートにあたり“正式認可がおりてから生徒をひきとるべき”と批判の声も出ているが、生徒にとっては一日も早い学校としてのスタートが待たれている」

この記事にあるように、緊急父母会後、かなりの生徒が山を下りた。

 山の学校では大変な状態が続いていた。

◆土・日・祝日は、中村紀雄著「遥かなる白根」を連載しています。

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