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2009年5月10日 (日)

遙かなる白根(82) 100キロメートル強歩序曲

 校舎が出来、教師や教材が整い、生徒が集まっても、それだけでは学校は実現しない。県の認可があって初めて学校が誕生するのだ。その認可が容易に得られそうもないことが分かったのである。 開校予定日は5月1日とされていたが、一週間前になっても認可は下りない。草津のホテルには、山の学校へ入れると期待した多くの生徒たちが父母と共に待機していた。彼らにとって戻る学校はなかった。いつまでもホテルにいるわけにゆかない。不安とあせりは募るばかりで、人々の間には大きな動揺が広がっていった。本吉氏は悩んだ末、ついに決断し、4月28日、生徒を新築の寮に入れ、5月10日、授業を開始する。これは、学校ではない、塾であった。それでも生徒たちは、新天地に足を踏み入れた喜びにわいていた。 県学事文書課の資料によれば、行政の側は次のように動いていた。 4月25日、私学審議会現地調査 4月28日、私学審議会開催、同日付で中等部認可を可とする答申を行う。又、同資料によれば、学事文書課は5月上旬、問題発生として次の点を指摘している。 許可前の生徒募集 準備財団の父兄寄付金などに関する支出不明金の存在 飲用水の無断受水建設基準法違反中卒者の再入学問題私学審議会が認可を可とする答申を出したにもかかわらず、県学事文書課は、認可することを渋っていた。そもそも、行政は、新しい分野に踏み出すことには極めて慎重である。時には、臆病なほどだ。県学事文書課は、かつて一度だけ、中学校の設立認可を手がけたことがあったが、その担当者もいなかった。

◆土・日・祝日は、中村紀雄著「遙かなる白根」 を連載しています。

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