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2009年5月 9日 (土)

遙かなる白根(81) 100キロメートル強歩序曲

「白根開善学校の恒例の100キロ強歩は、先生のその体験と関係あるのですね」

「そうです。学校をつくったら、子どもたちにやらせよう、そればかり考えていました」

 学校づくりの苦労を語る本吉氏の顔に、このときはじめて会心の笑みが浮かんだ。私は、その笑顔と、目に浮かぶあの苦行僧のような子どもたちの姿を重ね合わせていた。

吹雪の中の建設工事、混乱と対立が始まる

 昭和53年の初頭、白根の山中では、吹雪をついて学校の建設工事が進められていた。4月の開校を実現するためには、真冬の厳しい条件の下でも一刻の猶予もならなかった。工事は難航した。資材を運び上げる細い林道は雪で覆われているので、ブルドーザーで除雪しながらの工事となった。鋼材を大型車で運び上げるときは、花敷からの道は狭すぎて通れないので、草津から小倉へ通じる道を使った。乗用車ならわずか20分で行けるところを8時間かかったし、一つの橋を渡り切るのに一日かかったこともあった。まさに、この村の開闢以来の大工事であった。今まで見たこともない大きな車が来て立ち往生しているというので、村人は、夜、堤灯を下げて大勢で出かけたこともあった。

 昭和53年4月10日、ついに、校舎と寮が完成。本吉氏は感激で胸がいっぱいであった。残雪の白樺の林の中に赤い屋根の建物が二つ。それは、信じられない夢の世界が忽然と姿を現したようであった。全てはうまくゆく、湧きあがる思いの中で、本吉氏は確信した。入学予定者は68名であった。開校予定日は5月1日となっていた。開校に向けて教材・教具の搬入など慌しい準備が進められる。教職員たちも全員山へ移った。

 しかし、目の前に大きな障碍が待ち受けていた。

◆土・日・祝日は、中村紀雄著「遥かなる白根」を連載しています。

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