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2009年5月 6日 (水)

遙かなる白根(80) 100キロメートル強歩序曲

教育に関する社会の渦巻く不満、子どもたちの深刻な状況、そういうところに、白根開善学校のニュースは大きな一石を投じた。その波紋の大きさは、恐らく本吉氏の予想をはるかに越えたものであったにちがいない。

しかし、学校の設立は、容易なことではなかった。新聞で報じられてから、学校の設立に至るまで、本吉氏を中心とした学校設立準備グループは文字どおり生みの苦しみを味わうことになる。学校設置の認可がおくれ、行く手に大きな障害が現われたとき、全国から集まった父母や子どもたちは戸惑いと混乱の中になげだされた。先が見えないことに対する不安、期待と現実との差、教育の理念とそれを遂行する方法をめぐる考え方の違い、白根の山奥という厳しい自然環境、新しい事業に対する行政の戸惑い、これらがいっしょになり、あるいは複雑にからみあって、静かだった白根の山は、人々の熱い感情のぶつかり合う戦場と化していった。そして、ついには、入学金の返還を求める訴訟にまで発展する。マスコミも一転して非難の側にまわる。四面楚歌の中、本吉氏は絶望し、途方にくれた。

後に学校づくりを振り返ったとき、本吉氏は私に以外なことを話した。

「その時、私の頭にあったのは、100キロ強歩のことでした」

 「え、先生も100キロ強歩の経験があるのですか」

 私は驚いていった。

 「そうです。鹿児島県の旧制中学のとき、毎年100キロメートルを歩きました。今でも、昔の仲間があつまると、お前はあのときどこまで歩いたとか、必ずこの話が出ます。大変だったです。私より体力があり、スポーツに強い兄貴は完歩できなかった。体力でなく、気力で歩いたんです。あれだけのことをやれたという自信が、この年になっても支えになっているのです。学校をつくることで、苦しかったとき、昔のあのときのことを思い出して、きっと出来ると思って頑張りました」

◆土・日・祝日は、中村紀雄を連載しています。紀雄著「遥かなる白根」

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