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2009年5月 4日 (月)

遙かなる白根(78) 100キロメートル強歩序曲

本吉氏が、六合村のてっぺんの広大な白樺林を訪れ、ここだと心に決めたという昭和52年頃、教育界の状況は深刻であった。受験戦争という言葉に象徴されるように受験競争はますます激化し、子どもたちの世界には、その健全な成長を妨げる様々な現象が生じていた。競争に破れた子、落ちこぼれた子、このような学校の体制に反発する子などが至る所に生まれ、いわゆる問題児が多く現われ深刻な社会問題となっていた。 私は、当時、前橋市西片貝町で中村塾を開き教えていたが、勉強にふり回されて、精神的に萎縮したり、暗くなってゆく子どもたちを身近に見ていた。又、勉強の出来る子も、成績がよいことが人間としても価値あることという考えをもち、点数によって仲間を評価するようになり、知識の量はあっても判断力や洞察力は身につかず偏狭な自己主義に陥ってゆくといった、深刻な事態が生じていた。このことは、東大の学生生活の中でも、いやというほど経験してきたことでもあった。自分の体験を少しでも生かして、塾では、人間的な触れ合いを大切にし、点数だけが人間にとって重要なことではないことを教えようと務めていたが、社会の潮流の中で、自分があまりに非力であることを歯がゆく思っていた。 そんなとき、吾妻の山中の白根開善学校のことを耳にすることがあった。そして、新聞の記事も見る機会があったが、それほど大きな問題として把えることは出来なかった。今から振り返ると、この問題を一般論として自分の頭の中だけでとらえていたのだと思う。もしあのとき、周平を抱えて悩んでいたら、全く違った反応を私はしていたことであろう。白根の開善学校の記事が、朝日新聞によって報じられたとき、すさまじい反響があったというが、それは、いかに多くの人々が教育の問題について深い関心をもち、また悩んでいたかを示しているといえる。 昭和53年1月14日の朝日新聞夕刊は、非常に大きなスペースをさいて、開善学校のスタートを報じた。今それを読むと、理想の学校のほぼ完璧な内容を伝えている。まず、次のような見出しがおどる。「落ちこぼれ集まれ!」「6年、全寮教育で再生」「群馬山中、春に開校、学者らの夢が実る」 ◆土・日・祝日は、中村紀雄を連載しています。紀雄著「遥かなる白根」

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