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2009年4月22日 (水)

「林真須美の死刑確定」

◇「私は全く関係していない。真犯人は別にいる。裁判員制度でも死刑になるのか」死刑判決を聞いた後の林真須美被告の言葉である。最高裁判所は、21日「無差別大量殺人で、全く落ち度のない4人の命を奪った、反省の態度は見られず、責任は極めて重い」として、林真須美に死刑を言い渡した。

 これだけ世の中を騒がした事件は珍しいのではないか。マスコミの報道ぶりは真犯人ときめつけるようなものであった。マスコミにあおられるように容疑者とされた者への非難はすさまじく、その家は放火され全焼した。正にリンチであった。もし、このような状況で裁判員制度による裁判が行われるとすれば、裁判員は、報道に影響されずに判断することは難しいだろう。

 事件発生から10年8ヵ月、逮捕から10年半が過ぎた。事件は、平成10年7月、和歌山市の夏祭りの会場で起きた。カレーを食べた4人が死に60人以上が病院に運ばれた。初めは青酸カリと見られたが後に猛毒ヒソが原因と判明する。

 逮捕された林真須美は警察段階で前面否認、一審では黙秘を貫き、二審では一転して黙秘を撤回し起訴事実を否認したが、一、二審とも死刑判決を受け上告していた。この裁判の特徴は、死という事実と直接に結びつく証拠がないこと、動機がはっきりしないこと、複数ある目撃証言が一致していないことだといわれている。被告は否認しているから、殺意を認定するために、恨みとか金を狙っていたとかの動機が重要な要素になるのである。

 最高裁は、動機が不明でも妨げないとして、多くの状況証拠から林被告を犯人と認めた。林被告の死刑はこれで確定したのである。それほど、難しい裁判だということだ。

 この裁判が私たちに投げかける最大の問題点は、こんな難しい裁判を素人の裁判員がさばけるかということである。様々な問題点を抱えながら、見切り発車ともいえる裁判員制度がいよいよ来月から始まる。

◇この制度が初めからうまく行くとは思えない。重要な刑事事件において、被告の人権がかかっているのだから段々うまくゆくようになるでは済まされない。一つ一つの事件の裁判について誤りは許されない。

 しかし、裁判員制度の実施は、一歩一歩世の中を大きく変えることは間違いない。司法制度が革命的に変わることは持論であるが、それだけでなく、日本の民主主義が実質的に深まっていくと思う。最もシビアな刑事事件を通して、人々は社会問題への参加意識をいやが上にも、高めていくことになるからだ。犯罪をなくすにはどうしたらよいかを真剣に考えることから、健全な社会づくりに主体的にかかわっていくことが自然の流れとなって実現していくと思われる。私たちは、その意味でも、時代の大きな転換点に立っている。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村のりお著「遙かなる白根」を連載しています。

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