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2009年4月30日 (木)

「薬物依存症の恐怖・群馬ダルクを応援」

NPO法人「群馬ダルク」を応援することにした。きっかけは、カトリック新聞にダルクのスタッフ平山君が書いた体験談を読んだ事だ。薬物依存症の恐ろしさを、この記事によって初めて知った。脳が受けた傷跡は完治することがないという。

 平山君は次のように記述する。「薬物依存症とは、生き方、考え方が薬物に支配されてしまう病気です。薬物を使用するために生き、生きるために薬物を使い、行き着くところは、刑務所、精神病院、施設、死しかありません」依存症から抜け出さねばこうなると真剣に訴えている。

 私が群馬ダルクを訪ねた後、しばらくして、代表者のポールさんがスタッフの平山君、ショーンさんと共に、私の事務所を訪ねた。3人とも依存症で苦しんだ過去を持つ。3人は、それぞれ面白いキャラクターだった。

 平山君は、慶応大学附属高校卒で優しそうな好青年である。ポールさんは195cmの長身、ショーンさんは、丸太のような腕と岩のような胸をもつヘビー級のレスラーのような男である。ポールさんは、米国防総省衛生下士官の経歴を持ちサウジアラビアやクエートに勤務し戦場の救護隊で活躍したことがある。肩には撃たれた弾の痕があるという。

 彼らは、「薬物依存症の人々を社会に送り出そうとしている。自立した生活を送れる日まで、生きていくための知恵を学ばせようとしている」

 屈託のない彼らの表情から薬で苦しんだ過去をうかがう事は出来ない。それだけに、彼らの語る事には説得力があった。子どもたちに聞かせたら非常に効果的だろうと思った。

このような事を地元の中学と自治会に話したら、賛同が得られ、7月の終業式の日に、体験を語る会が実現することになった。

◇25日の私の「ふるさと塾」のテーマは北朝鮮であった。金日成、金正日の系譜、朝鮮戦争、軍優先の独裁国家、ソウル五輪を阻止する目的で実行した大韓航空機爆破、実行犯で死刑判決を受けた金賢姫、成田で逮捕された金正日総書記の長男金正男、等々に話は及んだ。

 このふるさと塾には、群馬ダルクの平山君が出席していた。話しが終わった後で、手はず通り私は彼を紹介した。平山君は、薬物依存症の恐さに触れ、それは自分の頭に残り消えることはありません、負けて手を伸ばせば元に戻ってしまいます、今は自分の体験を活かして、依存症で苦しむ人を助ける仕事をしています、と語った。資金不足で困っていることを知って2万円を寄付してくれる人がいた。

 この事も含め有意義な塾だった。北朝鮮に続いて、来月は韓国のことを聞きたいという人がいた。要望にこたえ、韓国の歩みを大統領を中心に話したいと思う。李承晩や金大中を取り上げるつもりだ。東京から拉致され、一度は死刑判決まで受けながら復活した金大中には特に注目したい。私の「日記」を読む人は、塾にも参加して欲しいと思う。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村のりお著「遙かなる白根」を連載しています。

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2009年4月29日 (水)

遙かなる白根(76) 100キロメートル強歩序曲

例えば、それは、喜びや悲しみを深く感じる心であり、あるいは、強くたくましく生きる力である。そして、人々の心の世界は、狭くひからびたものに変わろうとしている。まさに人間が人間でなくなろうとしているのだ。頭の中に、知識だけをつめ込んで、心が育たないとすれば、それはロボットと同じであって人間ではない。人間教育は、自然の中でなければ行なえない。自分が人生をかけて、実現しようとしているのは、そういう教育だ。その実現には、ここが最適ではないか。本吉氏はそう思った。

山口仙十郎さんの方に向きなおった本吉氏の上気した顔には、理想に燃える強い決意があらわれていた。本吉氏は、目の前の白樺の林をもう一度見詰めながら理想の教育の実現を自分に言い聞かせるのであった。

 このあたりは、“原”と呼ばれる所で、昔は、村の共有地で村人がたきぎや馬の飼料の草を刈る所であった。戦後不動産業者が土地を買収し、別荘地をつくろうとして整地し水を引いた。別荘利用者は、草津からヘリで運ぶ計画だったという。しかし、途中で、不動産会社が倒産し、別荘地の計画は実現しなかった。その後、顧みられることもなく年月が過ぎ土地は放置された。そして今、再びこの土地が注目されることになった。高齢化と過疎化の進む山奥の部落の人々は、学校建設の話に期待を抱きつつも、にわかに信じられぬ思いであった。

「あんなところに、どんな学校をつくるのだろうか」

「冬は雪が深く並の寒さではない。まちの子がどうやって生活するのか」

「まさか、生徒をヘリで運ぶのか」

ふもとの村人たちは興味深く、このようなことを語り合っていた。

 本吉氏は、山口仙十郎さんをはじめとする村の人たちに接して、自分が学校をつくろうとしている白根の山が、素朴で心温かい人々によって守られてきたところであることを知った。また、深山幽谷というべき僻地でありながら民話や伝説、歴史の遺物も多く、伝統文化が豊かであることを知った。美しい星空、深い谷、そびえる山、川の流れ、厳冬の氷や雪まで、白根の自然はすべて素晴らしい。これら全てが、長い時の流れに耐えて、今、子どもたちを迎え入れようとしている。本吉氏にはそう思えた。そして、疲れ果てた下界の子どもたちのことを考えると、一刻も早く学校をつくらねばならないと彼の心はあせるのであった。

◆土・日・祝日は、中村紀雄を連載しています。雄著「遥かなる白根」

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2009年4月28日 (火)

「新型インフルエンザの恐怖が現実に!!」

◇遂に恐れていたことが現実となった。新型インフルエンザ現われたことが確認され、世界的大流行の恐れが濃厚になった。このことは、WHOが、フェーズ3を4に引き上げたことによって示された。フェーズとは、新型インフルエンザの流行段階の分類のことで、1から6まであり、3の状態が続いていた。ブタの中で生じた新型ウィルスは、「4」となって人類を襲おうとしている。

 これまで、大変な状況が近づいているといわれながらも、鳥インフルエンザは、「鳥から人」にとどまっていた。その状況が東南アジアや中国で多発していたので、ウィルスが突然変異を起こす可能性が高まっているといわれた。突然変異が生じれば、人から人に感染するようになる。それはいつか、明日かも知れないし、数年後かも知れないと言われた。

 私は、県会でも、地域社会でも、新型の足音が聞こえると警告してきた。そして、この「日記」でも何回となく取り上げた。一度、大流行すれば、通常の災害では考えられない程の多くの人命が失われるのである。

 20世紀に入ってから新型の大流行は3度あった。そのうち、およそ90年前のものは、スペインかぜといわれたが、第一次世界大戦中に発生し爆発的に世界中に広がり、死者は数千万人にのぼった。

 この時の群馬の被害状況が記録に残っている。上毛新聞が大きく取り上げ、群馬県史にはくわしい資料が載っている。それによれば、県内では、1918年(大正7年)10月から小学校ではやり始め11月には全県に広がり、以後断続的に増えたり治まったりしたが、3年間で実に4,454人の死者が出たのである。

 私は、「90年前の惨状を活かせ」と、昨年10月、県議会常任委員会で、これらの資料を示して「常任委員会であれほど警告したのに対策を怠ったと言われないようにして欲しい」と発言した。

 行政関係者の危機意識が低い状態だから、一般の人々はもっと意識が低いのは無理はない。私は、地元の小学校、中学校、自治会関係者に呼びかけ、県の担当者を招いて勉強会を開いた。その後、県衛生環境研究所の小沢さんの講演を聞く会も実現した。

「災害は忘れた頃に」と言われるが必ずやってくる。とにかく備えなければならない。その時がやって来たと私は思う。フェーズ4とは、人から人にウィルスが感染する段階である。人の口から出るウィルスが空気に乗って他の人の体内に入り、次々に感染が広がるのだ。初めてこの世に姿を現わした生物であるから、私たちは宇宙人の襲来にあっているようなものだ。

フェーズ4になると、国では総理大臣がトップに立って対策本部がつくられ、用意されていた行動計画が実行される。群馬県では大沢知事をトップにした対策本部がつくられ、同様に行動計画を実施することになる。私たちは歴史的瞬間に遭遇し、冷静さと勇気をもって行動しなければならない。地域の役割は重要である。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村のりお著「遙かなる白根」を連載しています。

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2009年4月27日 (月)

「新型インフルか。豚インフルの衝撃」

◇チケットが売り切れのサッカーの試合も観客を入れずに試合を行う、すべての学校は休校、公共施設も閉館、市職員がバスや地下鉄でマスクを配布、マスクを求める市民は薬局に殺到、政府の対応の遅れに対する批判等々、今、メキシコで進行している事態は、もしかしたらこれから私たちが迎える出来事の序曲であり、また、多いに参考にすべき先例かも知れない。 メキシコ市では1300人を超える人がウィルスに感染し、ウィルスが原因と思われる死者も86人と伝えられる。人から人への感染が確認されたことで、恐れていた新型インフルエンザ発生の疑いが濃くなった。WHOは「極めて深刻な事態」と発表、アメリカは公衆衛生における緊急事態宣言を出した。衝撃が世界を走っている。 政府は、ウィルスが国内に入るのを防ぐため水際対策を強化すると述べ、成田空港の緊迫した状況が報じられている。本県も、26日午後2時から急拠、「群馬県新型インフルエンザ対策本部幹事会議」を開いた。情報の共有を図り、今後の対応を検討し確認するためである。 私たちは、新型インフルエンザは、東南アジアから、鳥に感染したウィルスが変異して発生するものと予想していた。ところが、まだ事態の真相は明らかにされてはいないが、地球の反対側に近いところの豚から現われたというのだから驚きである。 新型インフルエンザウィルスは、既存のウィルスが突然変異を起こしたものである。この世に初めて現われるものであるから、人間には免疫力がない。これまで、30~40年周期で現われ大きな被害を生じてきた。一度、発生すれば大惨事になるのに、行政の関係者には危機意識が足りないと、県議会でも度々取り上げられてきた。今度、大流行すれば、日本では25万人の死者、また、本県では1,700人の死者が出ると推定されている。 ◇アメリカの専門家が、新型の世界的大流行の特徴の一つと指摘する点は、季節性のインフルエンザとは違った時期に発生していることと、今回の死亡者が、季節性のインフルエンザでは重症になりにくい若い層に集中していることである。メキシコ大統領は、非常事態宣言を発した。大流行となれば、国民の行動の制限や隔離など人権に関わることも強制的に実行せざるを得ない。法律をつくっている余裕もないからだ。日本でも緊急時に、どのような非常措置がとれるのか大きな課題である。その後豚インフル感染の恐れは各国に広がっている。ニューヨークとニュージーランドではメキシコに渡った高校生の間で発症、アメリカでは他に各州に波及している。またスペインやフランスでもメキシコやアメリカから帰国した人に発症例が見られる。世界が一体化している時代のウィルスの流れの速さを示している。豚ウィルスの動きは人類に本格的な新型ウィルスの恐ろしさを教えているのかも知れない。(読者に感謝) ☆土・日・祝日は、中村のりお著「遙かなる白根」を連載しています。

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2009年4月26日 (日)

遙かなる白根(75) 100キロメートル強歩序曲

栗や楢やくぬぎの木々は、小枝の先にまで雪を乗せ、それらがいく重にも重なり合い、林全体が白い花が咲き乱れるようである。澄んだ鳥の声があたりの冷たい空気に染み込むよう響く。坂を登りつめると、白樺の林に変わった。雪の中に立つ白樺の木々は、それぞれが何かを語りかける雪の精のようで、林全体が静かで幻想的な白の世界をつくっている。そこは、見渡す限りの広い台地状の地形で、はるか先には、白根山の白い姿が抜けるような濃い青空を背景にそびえている。

「ほう」

男は、そういったまま、目の前の背景をじっと見詰めた。

この男は、白根開善学校の創立者、本吉修二氏である。そして、もう一方の老人は、この村の長老、山口仙十郎さんであった。本吉氏は、目の前に広がる自然を飽くことなく眺めている。今、彼の前には、白根山を背に白樺林の中に建てられた校舎、その中で学ぶ生徒、白樺の木々の間を走りたわむれる子どもたちの姿があった。子どもたちの明るい歌声は木々にこだましている。走る姿はかもしかのように軽くたくましい。そして、表情は生き生きとしている。都会の子どもたちとは違う世界の子どもたちだ。

「こんな山の中、どうしようもないでしょう。自動車も来ないし」

沈黙を破る山口老人の声に、本吉氏は、はっと我に返った。

「いや、このどうしようもない所がいいのです」

本吉氏は確信のこもった声で言った。

彼は長いことこのような土地を求めていたのだ。学校を建てる土地は、人里離れたところがよい。現代の子どもたちは文明に害されている。子どもたちを甦らせるには、なるべく文明から離れた所がよい。そして厳しい自然の中で心と体をきたえなければならない。現代の子どもたちは、自然から離れ、コンクリートと騒音と不必要な刺激の中で暮らしている。これでは、人間としてのやさしい心や本当のたくましさは育てられない。かつて、人間も森の中で暮らしていた。森から出ても、人々は、自然との関わりを大切にして暮らしてきた。今、自然とのつながりが、どんどん薄れている。森からの距離が大きくなるにつれ、また文明の波に深くつかるにつれ、人々は大切なものを失っていった。

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2009年4月25日 (土)

遙かなる白根(74)100キロメートル強歩序曲

「お父さんは、最後まで歩けなかったけど、君は完歩できた。えらかったね」

 私の耳は、はっきりと、校長のこの言葉をとらえた。隣りで妻がそっとハンカチを目に当てた。100キロメートル強歩と同じような苦しい中学の3年間を頑張り通して、周平は白根開善学校中等部の卒業式を迎えたのである。私の方をチラッと見た周平の視線にそれが現われている。

「お父さん、僕、頑張ったよ」

 周平の表情は、こう私に語りかけていた。本当によく頑張った。私は、目からこぼれ落ちそうになるものをこらえていた。この年4月、周平は、白根開善学校高等部に進んだ。

第3章 つくり出す苦しみ

本吉修二氏の決意

険しい100キロの道程を昼夜にわたって歩き通す「強歩」を支えるものは何か。自然の中で心身を鍛えるという建学の精神だけでは不可能なことである。白根開善学校の設立は文字通りの苦闘であったがそれを貫いて目的を達成した自信と信念こそ100キロメートル強歩を支えるものである。学校設立の過程も人々が限界に挑む「100キロメートル強歩」であった。

昭和52年3月のある日、白根の山々は、まだ一面の雪に被われていた。二人の男が、長い雪の坂道を時々汗をふきながら黙々と歩いていた。一人は40代のがっしりとした男で、身なりはかまわないが、その知的な風貌から、土地の者でないことが一見して分かる。もう一人は、かなり高齢の老人である。土地の者らしく、その歩き方は、歳を感じさせず、雪を少しも苦にしていない風で、若い方よりむしろ元気であった。

「もうすぐだよ。あの上だ」

老人は、坂の上を指しながら振り向き、息を切らせている後ろの男に声をかけた。

「そうですか。あそこですか」

男は、白い歯を見せていかにも嬉しそうに笑う。眼鏡の奥の細い目が少年のように光った。

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2009年4月24日 (金)

「草彅剛の犯罪・脳の深層にあるもの」

◇人気アイドルの草彅剛が公然わいせつ罪容疑で逮捕され、世の中がひっくり返るような騒ぎである。深夜、公園で若い男が酔って素っ裸になって騒ぐ行為は、普通なら警察で厳しく咎められるくらいの事であろう。大騒ぎになっている最大の理由は、彼が日本を代表する企業や政府の広告に使われ、テレビや映画で脚光を浴びる存在だからである。

それは、彼の実像ではないかも知れないが、世間は、謀体から伝わるものに価値を認めている。草彅の行為は、この価値を打ち壊すものであった。

 私は、警察が家宅捜査をしたと聞いて薬物使用を疑った。もし彼の行為が薬物によるとすれば話は全く別のものとなる。家宅捜査で押収したものはないといわれる。薬物使用の有無は検査によってはっきりするであろう。

◇彼は、自分の行為を全く覚えていないという。だとすれば、わいせつ行為をする意思がなかった事になり、わいせつ罪にも問えない筈だ。そんなにまで酒をのんで自分が世間に与えていたイメージをぶち壊した結果責任を問われているのである。

◇ある専門家がブラック・アウトという言葉を使っていた。脳には理性をつかさどる部分と原始的で野性とでもいうべき部分がある。何百万年という進化の歴史が脳に蓄積されているとすれば、理性を司る部分は、ほんの表層に過ぎないだろう。過度の飲酒によってこの表層が機能しなくなり、深層の野蛮な部分が草彅の行動を引き起こしたのかも知れない。ブラックアウトとは、このような現象を指すのであろうか。フロイトの「深層心理」と通じるものがあると思った。

◇人間の脳は不思議だ。人の行動を支配するものは脳である。最近、裁判の場で責任能力という言葉がよく聞かれる。事の是非を判断する能力がある場合に責任能力が認められる。例えば、人を殺すことは良くないと分かっていてあえて殺人行為に出た場合に責任能力者として罪に問われるのである。自分の娘を橋から突き落として死に到らしめた畠山鈴香も責任能力が問題となった。責任能力は、脳が正常か否かの問題である。脳の機能は科学的に未知の領域が多い。従って責任能力ということもかなりあいまいで微妙な点があるのではなかろうか。来月から始まる裁判員制度では、裁判員は、このような問題とも向きあわなければならない。

◇また嫌な事件に発展しそうだ。大阪市の小学生松本聖香ちゃんが行方不明になっているが、母親と同居している男が奈良の墓地に遺体を埋めたと警察に供述したという(23日、22時50分のケータイニュース)、続いて、警察は、母親ら3人の逮捕状を取ったと報じられている(23日、22時52分のニュース)。裁判員制度の対象になる可能性が高い事件であるから、多くの人は、従来の刑事事件とは違った思いで推移を見守ることになるだろう。(読者に感謝)

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2009年4月23日 (木)

「ケータイの恐怖、県議連の役割」

◇県議会には、何々議連というものがいくつも存在する。最近の議会の顕著な傾向である。例えば、日中議連、八ッ場ダム推進議連、ケータイ議連等々である。これらの議員連盟は、議員が自主的に立ち上げる勉強あるいは研修を目的とするサークルである。法律に基づく委員会が、ともすれば、形式的となり硬直化しがちであるのと比べ、議連は、議員が日常活動の中で必要性を感じて、「この指止まれ」的に立ち上げるものであり、会の企画や運営も議員の責任と工夫に支えられて行われる。そこには、議会の活性化につながる新たな動きが生み出されていることが感じられる。

 ケータイ議連第1回の勉強会は、タイムリーで中味の濃いものであった。講師の下田教授の指摘や訴えについて、その一部を私は「日記」で触れたが、今回、再び、示唆を受けた点や関連して気付いた事について触れたい。

◇下田教授は子どもが好き勝手にケータイを使うことを許すべきでないと訴えている。昨年、ある中学校のPTAの人が、ほとほと困った様子で相談に来た。24時間、食事のときも寝ている時も子どもはケータイに縛られているというのだ。それは、先輩や友人などとのケータイ関係の事であったが、それが、いじめと結びついたら、そして、匿名の多数の者からの干渉にあったら、逃げ場のない子は自殺に追い込まれるのも無理はないと思われる。

 日本のケータイ事情の際だった特色は、更にケータイから容易にインターネットに接続できる点である。ワイセツ物を子どもたちから遠ざける法律や条例があっても、それらはケータイとインターネットの前では全く無力である。指先の操作で、インターネットの中のワイセツの海に自由に入り込んでいけるのだから。

 IT大国のインドのある地方では、子どもの携帯を禁じ、インターネットへの接続も認めないという。アメリカでは、家族が子どもの携帯やインターネットに責任をもつ「ペアレンタルコントロール」の習慣が定着しているという。

◇文科省は、1月、「小中学校では、やむを得ない場合を除き携帯電話を原則持ち込み禁止、高等学校では校内での使用制限を行う」という方針を打ち出したが、地方がこれをしっかり受け止めなければ効果は上がらないと思う。

◇「青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律」が4月に施行された。目的は、青少年をインターネットの有害情報から守りその適切な利用を可能にすることである。そして保護者の責務として、青少年のインターネットの利用状況を把握、管理すること、不適切な利用により、売春、犯罪の被害、いじめなどの問題が生じることに特に留意することをあげる。ケータイとインターネットから子どもたちを救わなければならない。(読者に感謝)

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2009年4月22日 (水)

「林真須美の死刑確定」

◇「私は全く関係していない。真犯人は別にいる。裁判員制度でも死刑になるのか」死刑判決を聞いた後の林真須美被告の言葉である。最高裁判所は、21日「無差別大量殺人で、全く落ち度のない4人の命を奪った、反省の態度は見られず、責任は極めて重い」として、林真須美に死刑を言い渡した。

 これだけ世の中を騒がした事件は珍しいのではないか。マスコミの報道ぶりは真犯人ときめつけるようなものであった。マスコミにあおられるように容疑者とされた者への非難はすさまじく、その家は放火され全焼した。正にリンチであった。もし、このような状況で裁判員制度による裁判が行われるとすれば、裁判員は、報道に影響されずに判断することは難しいだろう。

 事件発生から10年8ヵ月、逮捕から10年半が過ぎた。事件は、平成10年7月、和歌山市の夏祭りの会場で起きた。カレーを食べた4人が死に60人以上が病院に運ばれた。初めは青酸カリと見られたが後に猛毒ヒソが原因と判明する。

 逮捕された林真須美は警察段階で前面否認、一審では黙秘を貫き、二審では一転して黙秘を撤回し起訴事実を否認したが、一、二審とも死刑判決を受け上告していた。この裁判の特徴は、死という事実と直接に結びつく証拠がないこと、動機がはっきりしないこと、複数ある目撃証言が一致していないことだといわれている。被告は否認しているから、殺意を認定するために、恨みとか金を狙っていたとかの動機が重要な要素になるのである。

 最高裁は、動機が不明でも妨げないとして、多くの状況証拠から林被告を犯人と認めた。林被告の死刑はこれで確定したのである。それほど、難しい裁判だということだ。

 この裁判が私たちに投げかける最大の問題点は、こんな難しい裁判を素人の裁判員がさばけるかということである。様々な問題点を抱えながら、見切り発車ともいえる裁判員制度がいよいよ来月から始まる。

◇この制度が初めからうまく行くとは思えない。重要な刑事事件において、被告の人権がかかっているのだから段々うまくゆくようになるでは済まされない。一つ一つの事件の裁判について誤りは許されない。

 しかし、裁判員制度の実施は、一歩一歩世の中を大きく変えることは間違いない。司法制度が革命的に変わることは持論であるが、それだけでなく、日本の民主主義が実質的に深まっていくと思う。最もシビアな刑事事件を通して、人々は社会問題への参加意識をいやが上にも、高めていくことになるからだ。犯罪をなくすにはどうしたらよいかを真剣に考えることから、健全な社会づくりに主体的にかかわっていくことが自然の流れとなって実現していくと思われる。私たちは、その意味でも、時代の大きな転換点に立っている。(読者に感謝)

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2009年4月21日 (火)

「子どものケータイに国民的議論を」

◇「ケータイは電話だと思って疑わない人が多い」、「ケータイからインターネットにつながり、子どもは有害な情報にアクセス出来る、これは日本だけだ」、「アメリカのメディア研究者は、日本の子ども達が使っているケータイの利用の仕方を大変心配している」現代日本の病理をえぐるような下田教授の言葉に私たちは時が経つのも忘れて耳を傾けた。

 ケータイ議連の勉強会が午後3時から開かれた(20日)。講師の群大教授下田博次氏は、これまで、NPOに関する企画をいっしょにした事もあり、また研究室を訪ねたことも何度かある間柄であった。

 「ケータイは、もしもしも出来るインターネットです。有害なアダルトメディアです。思春期の子どもに好き勝手に使わせてはいけません。この常識が日本にはないのです」下田教授はこう訴える。

 テレビ、電話、インターネットを教授は比較する。テレビにはひどい情報は基本的には流れない。また、親は、電話もおかしな話は子どもにつなぐ前にチェック出来る。しかし、インターネットの世界には子どもにとって有害な情報が氾濫している。子どもたちは、ケータイで、好き勝手に、このインターネットに接続出来るのだ。

 また、ケータイとつなげてインターネットを使えば、子ども達は、有害情報を発信したり、他人を傷つけたりすることも簡単にできてしまう。下田教授は有害情報発信の例を映像で紹介した。そこには、女子生徒が裸を見せているところや、教授が声ではあらわせないと言った4文字のタブー語などもあった。

 学校うらサイト、ワイセツマンガ、援助交際を扱ったケータイ小説、あふれるNG語、このような世界に子ども達は、ケータイから入り込んで遊び場にしている。これを規制する有効な手段を私たちは持たないのが現実である。フィルタリングが今、叫ばれているがケータイのフィルタリングは非常に不十分なのだという。

ネットいじめも深刻だ。だれからいじめられているか分からない。どこにいても、24時間、いじめの対象になる。また、ネットによる命令からどこにもいても逃れることが出来ない子もいる。アドバイスを求めてネットに書き込むと、逆にからかわれたり、無責任な攻撃を受け、怒りを増幅させ、犯罪に走る例もあるという。

インターネットを生み出したアメリカではパソコンから入ってくる有害な情報から子どもを守るために、親が様々な努力をしてきた。これをペアレンタルコントロールというのだそうだ。これに対して日本人の大人は子供たちに好き勝手にインターネットの情報を使わせている。親がのぞき込むこともできないケータイ電話で子どもが有害情報に接しているのに真剣に考えようとしない。日本の親もペアレンタルコントロールの努力が必要だと、下田教授は訴えた。行政の責任も大きいと思った。(読者に感謝)

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2009年4月20日 (月)

「死刑囚・処刑前夜の手紙を読む」

◇死刑囚Aに、その日は突然やってきた。明日が<ソノ日>だと朝告げられる。執行は、午前中に行われるのが通例である。加賀乙彦の「ある死刑囚との対話」にある死刑囚Aの最後の手紙を読んだ。

 Aは大学を出て証券会社に勤めたが強盗殺人を犯し死刑の判決を受けた。事件は1953年(昭和28年)のことで、多くの日本人の心に敗戦の傷が残っていた。Aは獄中でキリスト教の信仰に、目覚めた。<ソノ日>は、1969年2月29日であった。前夜、母及び文通していた教会の女性にそれぞれ最後の手紙を書いたのだ。

 女性への手紙は、「実は明日が<その日>だと朝告げられ、最後のごちそうもきました」で始まり、「もうすぐ7時。8時にここを出るということなので今しがた洗面しみなりをととのえました。いよいよお別れです。ほんとうに悲しいけれどみんなぼくの責任です。ゆるして下さい。ぼくは今、ニッコリほほえみつつきみに手を振っていますよ。さようなら、でもまたすぐに!!」と結んでいる。すぐにとは天国でという意味である。

 同じ夜、Aは母に手紙を書いた。いくつかの部分を抜き出してみる。

「おかあさんあたたかい晩ですね。ほんとに思いがけないことになってしまい、おかあさんに最後の、そして最大の親不孝をしてしまい、ほんとうにすみません」先に逝く事を詫びている。

「そのうえなによりお母さんはじめ皆さんと別れるのはつらいけど、しかし、この与えられた<>は絶対的な意味をもっており、ただ、耐えつつ、受け入れる以外にはありません」、「おわびのしるしに、天国へ行ったら、きっとおかあさんのために山ほど祈り、守ってあげますね。だから、おかあさん、もう泣くのはやめなさい」、「ほんとに、長いようで短い一生でした。40歳と7ヶ月とすこし。おかあさんの半分です。いろんなことがありましたねえ」、「きょうは久しぶりにおかあさんの肩をたたき、髪をくしけずり、手をさすることが出来ました。すっかり白髪になって、シワだらけになって、小さくなって、でもやっぱり幼いころに知ったおかあさんと同じでした」。Aはよく母の夢をみたのであろう。最後の夢かそれとも老いた母を回想しているのか。「あすに備えて手ぬかりがないかと考えてみたり、おかあさんが、わたしが代わってやりたいと言ってくださったことばを思ったり、ほっぺたのあたたかみを思い出したりしています」、「髪とツメのことをよく頼んでみます」、「さあ、おかあさん、七時です。あと一時間で出立する由なのでそろそろペンをおかねばなりません。ぼくの大好きなおかあさん、優しいおかあさん、いいおかあさん、愛に満ちた、ほんとうにほんとうにすばらしいおかあさん、世界一のおかあさん、さようなら!今こそ、ぼくはおかあさんのすぐそば、いやふところの中ですよ、おかあさん!!」裁判員は、それぞれの死と対決する被告人の姿を想像しながら判決に取り組まねばならない。間もなく始まる裁判員制度を前に死刑の重みを考えたい。(読者に感謝)

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2009年4月19日 (日)

遙かなる白根(73)序章 100キロメートル強歩序曲

 学校の教育は子ども達の成長のために本来の役割を果たしているかのか。学校の教育も、豊かな自然の中での子ども達の生活と相まって本来の成果を生むことができる。ところが現代社会では車の両輪の筈の一方が失われ、学校教育が空回りをしている状態である。教育がつくり出した現代文明は、今巨大な怪物のように変化して、教育の世界をも踏み潰そうとしている。100キロメートル強歩は、この現代文明に対する挑戦である。そして、現代の崩れゆく教育に対する挑戦である。

 いじめられて山の学校に逃れた子、教護院の経験をもつ子、暴走族に入り失恋に涙した子、火傷によって心にまで傷を負った子、その他様々なハンディを持った子が白根の学校に集まり、100キロメートル強歩を体験して社会へ出てゆく。彼らを待つ社会は今ますます混乱し深刻の度を増している。それは、かつて彼らを取り巻いていた都会の環境とは比較にならぬ程怖い世界である。しかし、子ども達は、今度は、逞しい精神と鍛えられた身体でその世界に踏み出してゆく。彼らの行く手には、無数の100キロメートルのコースが待ち受けている。その時、思い出すのは白根開善学校の100キロメートル強歩に違いない。

 平成10年は、白根開善学校にとって特別の年である。中等部が認可されてから、この年で20年目を迎え、7月1日に創立20周年記念の行事が行われた。そして、これに先立つ3月1日、中等部・高等部の卒業式が行われたのである。広い体育館で大勢の父母や来賓の見守る中、本吉校長は、一人一人の卒業生に言葉をかけて、卒業証書を渡した。本吉校長の頭には白いものが目立ち、それは学校創設期の苦悶を振り返らせると共に、年月の経過を物語っている。しかし、おだやかなその表情には、かつての苦悶のあとは見られない。今でも創立時とは違った様々な問題がある。しかし、本吉氏は自分の理念の正しいことを信じいつもおだやかに子ども達を見詰めているのだ。

「中村周平君」

 呼ばれて、周平は静かにイスを立ってしっかりした足取りで校長の前に進み出た。私は校長の言葉に神経を集中させる。

土・日・祝日は、中村紀雄を連載しています。雄著「遥かなる白根」

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2009年4月18日 (土)

遙かなる白根(72)序章 100キロメートル強歩序

 遂に急な坂道が終わりに近づき、ライトの光は白樺の幹を照らしていた。白樺の林もいつものそれではない。今は一本一本の白樺が周平を迎えている。

 最後のゴールが近づいた。白樺の林の中に校舎の輪郭が現われる。校門に近づいた。“人はみな善くなろうとしている”と書かれた門標が目前にあった。周平は自分の“善さ”をぎりぎりの限界まで求めて、今、この門の下に到達した。行く手の校庭はいっぱいの明かりの中に大勢の人々の影が動いていた。100キロメートル強歩のフィナーレである。人々は、少し前かがみに黙々と近づく少年を拍手で迎えた。周平の努力が認められた瞬間であった。周平の到着は、午前2時19分。遂に周平は100キロメートルのコースを歩ききって完歩した。それは、前橋市の芳賀保育園、芳賀小学校を経て、さまよいながら苦しい歩みを続けてきたもう一つの強歩を征服した瞬間であり、これからチャレンジするであろう、いくつもの100キロメートル強歩の新しい原点ともなる瞬間であった。そして周平が新しい自分、つまり、第19ポイントの滝見ドライブインから花敷温泉までの間を必死で走ったとき、もやもやした周平の心の霧を破って現われ、周平を突き動かしたもう一人の自分を発見した人生の重要な場面でもあった。

 周平は人ごみを抜け出して校舎の玄関の石段に腰を下ろした。早朝4時に出発して20時間以上かけて100キロメートルを歩き通した。浅間の高原地帯の沈む赤い夕陽、夜の滝原林道、白砂川に沿った長い六合の道、まだ興奮の醒めない周平の頭に今辿ってきた100キロの道々の光景が甦える。そして、僕にも出来たというずしりとした感覚が周平の胸に静かに広がるのであった。

 人間は未知なるものである。それは無限の可能性を秘めているということである。様々な可能性は外の刺激に触発されて発見されたり芽が出たりする。人間も本来動物だから、外の刺激として自然環境は人間にとって不可欠である。ところが、現代文明は人間をますます自然から遠ざける。そればかりではない。人間は自らつくり出した人工物に押し潰され、その害毒に心まで侵されつつある。一番影響を受けるのが子どもたちである。

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「遥かなる白根」<を連載しています。

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2009年4月17日 (金)

「週刊新潮の誤報・ニセ実行犯の意図は」

◇週刊新潮に4回にわたって載った朝日新聞襲撃犯の手記を私は興味深く読んだ。半信半疑ながら詳細にわたる迫真の記述に引き込まれ闇の社会にはこんなことがあるのかと驚いた。ところが犯人だと告白した男が突如「自分は実行犯ではない」と証言を覆し、週刊新潮は誤報を認め、「ニセ実行犯に騙された」という記事を載せるに至った。いったいどうなっているのだろうか。

 朝日新聞阪神支局が襲撃され1人が殺され、1人が重傷を負ったのは、1987年(昭和62年)5月3日のことで、2002年(平成14年)5月3日、時効が成立した。

 朝日の論調に対する攻撃と受け取られてきた。犯人は赤報隊を名乗り、「反日朝日は五十年前にかえれ」などという犯行声明を送りつけた。この事件の本質は、朝日新聞だけでなく、言論の自由を暴力によって脅かすもので、日本の民主主義に対する卑劣な攻撃であった。

 だから、犯人はどうしてもつかまえねばならなかったのである。時効完成後とはいえ、真犯人が名乗り出たということで、日本中が色めき立った。誤報となれば、これだけの大事件を報道するに足る慎重さが週刊新潮には果たしてあったのかが問われねばならない。

 週刊新潮の編集長は、4月23日号で、「事件についての証言が詳細でリアリティがあったため真実であると思い込んでしまった」、「虚言を弄(ろう)する証言者の本質を見抜く眼力がなかったことも深く恥じ入る」、「週刊誌の使命は、真偽がはっきりしない段階にある事象や疑惑にまで踏み込んで報道することにある」等のことを述べているが、この言葉の中に、大週刊誌のおごりが現われていると思う。

 週刊新潮は次の号から編集長が交代するという。今回の出来事は、メディアの誤報の歴史に残るだろう。最近の似たケースといして、日本テレビの「真相報道バンキシャ!」の裏金づくり報道がある。岐阜県のことを報じたものだが情報提供者が証言を翻したのである。日本テレビの社長は引責辞任した。

 誤報の影響は大きい。報道されたらその被害は大きく回復は不可能である。小さなスペースにお詫びの記事を載せて済まされる例が非常に多い。報道にたずさわる者は、日常化している誤報に慣れてしまっているのではないか。言論の自由を守る立場にある者が言論の自由を傷つけているおそれがある。

◇島村という男はなぜ嘘の証言をしたのか。私は今面白い空想をめぐらす。島村氏は網走刑務所に服役中、自分を主人公にした朝日襲撃事件を創作し週刊新潮に発表させたのだ。小説としてみれば、児玉誉士夫、野村秋介、アメリカ大使館などを材料として巧みに使った仲々の出来だと思う。真犯人とされれば面倒なことも生じるので、頃合を見て証言を覆すことは初めから計算していたに違いない。週刊誌などは、このように利用すればいいと考えていたかもしれない。(読者に感謝)

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2009年4月16日 (木)

「闇サイト、控訴取り下げ、死刑確定」

◇名古屋市の女性(当時31歳)を拉致し殺害した闇サイト事件で、名古屋地裁は2人に死刑1人に無期懲役を言い渡した。それぞれの被告は控訴していたが、死刑を言い渡されていた被告の1人は、14日までに控訴を取り下げた。

 これで、元新聞セールススタッフ神田司被告の死刑は確定した。その心裡は全く理解できない。普通の人間なら死刑を免れたい、一秒でも長く生きたいと思うだろう。サイトという虚構を介して殺人までやってしまう短絡的精神構造は、自らの生も短絡的に断ち切ってしまうのか。そんな若者が増えているとしたら怖いことだ。病める現代社会の暗い渕がこの男を呑み込もうとしているようだ。

 この事件の特色は、被害者が一人であるのに死刑を言い渡した点、及び、闇サイト上で偶然知り合った男たちが、残虐極まりない犯行に及んだという事だ。この点は、サイトの呼びかけに応じて集った若者が集団自殺したケースとどこか似ているように思える。

 心に基盤があり、そこに基本的な道徳感が根を下ろしていれば、人間はぎりぎりの所で生や死について真剣に悩む筈である。現代の若者たちの異常な行動を見ると、基盤を持たない浮き草の漂うような心をもっているように思えてならない。そのような心しか育てられない教育の無力さを感じる。

そのような若者の心の世界に侵略者のように登場したのが、携帯サイトなどに代表される電子機器の世界である。新しい社会現象に対して法律も教育界も無力である。虚構と現実の闇をさまよう若者で犯罪におちる人は跡を絶たない。

◇振り込め詐欺のいわゆる「出し子」が逮捕された。杉沢忍容疑者は、昨年、女性から196万円をだまし取った。顔写真が公開された14人の中で、逮捕に結びついたのは初めてだという。アルバイト感覚で多くの若者が振り込め詐欺に関わっているとされ、各地で支給が始まった給付金を最大のターゲットにしているらしい。県警も注意を呼び掛けている。

◇行政委員の報酬が問題になっているが、私は、前から行政委員の資質を問題にしてきた。行政委員会には身近なものとしては、教育委員会、公安委員会、選挙管理委員会などがある。政治的な中立性が求められる合議制の行政機関である。法律上は極めて重要な役割と権限をもちながら、中には、形式化あるいは形骸化していると批判されるものもある。よく矢面に立たされるのが教育委員会である。最高意志決定機関であるにもかかわらず、実際は、事務局が動かしている。他の行政機関にも共通の問題があるのだろう。

教育委員長などは、名誉職的になっている面がある。事務局とすれば、委員長は、異議をとなえないイエスマンの方が楽である。しかし、それでは済まされない時代が到来している。報酬を論ずる前に、見識と信念をもった行政委員を選ぶことが本質的問題なのだ。(読者に感謝)

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2009年4月15日 (水)

「満員電車の痴漢・最高裁の逆転無罪」

◇最高裁で初の逆転無罪判決が出た。「痴漢です」と言われたら、証拠を示してこれを否定することは極めて難しい。東京の満員電車は痴漢電車といわれる程痴漢が多いと言われる。女性の身体にどこから手がのびているか分からない状況があると思う。現行犯として逮捕され、認めれば比較的簡単に済まされるが争えばいく日も拘留されるというのが実状である。執念をもって証人を捜し出し身の潔白を勝ち取る例も時々見られるが、大変な犠牲を払ったことであろう。痴漢とされたら、ほとんどアウトなのだから、逮捕や事実認定は慎重でなければならない。私は、満員電車に乗るときは、自分の手の位置に注意することにしている。

◇最高裁は14日、一・二審で実刑判決を受けた人に無罪を言い渡した。この男性は防衛医科大学の教授である。小田急線の車内で女子高生に痴漢をしたとして、強制わいせつ罪に問われ、実刑判決を受けていた。

 最高裁は、「満員電車内の痴漢事件では被害者の供述が唯一の証拠である場合、特に慎重な判断が求められる」とし、この事件については「唯一の証拠である女性の供述の信用性には疑いを入れる余地があり、一・二審の判断は慎重さを欠くものだ」と述べ逆転無罪を言い渡した。ここまで闘えずに泣き寝入りした人、痴漢をしながら罪を免れている人、それぞれの思いでこの判決を受け止めたのではないか。

◇「内々定」の取り消しは違法であるとする福岡地裁の決定が、13日に下された。結ばれた契約は守られねばならない。だから、取り消される理由もないのに一方的に取り消す行為が違法であることは、一般論として素人でも分かる道理である。だから、問題点は。「内々定」で契約が成立していたかということである。

 内々定は、内定に至らない段階のもので、企業とすれば、唾(つば)を付けておく位に軽く考えていたと思われるが、この大不況下において、学生としては「内々定」にわらにもすがる思いであったかも知れない。裁判所は、内々定でも労働契約が成立していると認めて学生を救済する立場をとった。

 企業の社会的責任を考えるなら、学生の人生を軽視した対応はとるべきではないというべきだ。厚労省は、「内定式前といっても労働契約が成立していないことの合理的理由にはならない。事業主の一方的な都合による取り消しには厳しい姿勢で指導していく」と見解を述べた。

 内定取り消しについて、企業はハローワークに事前通知することが義務付けられた。また企業名については、厚労省は、1年度内に10人以上の内定取り消した場合に公表するとしている。深刻な雇用問題につき企業の社会的責任の在り方が問われている。本県では3月23日現在、7事業所で17名が内定を取り消されている。その内訳は高校生7、短大生1、専門学校生9である。(読者に感謝)

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2009年4月14日 (火)

「薬物依存症の恐怖・群馬ダルクを訪ねる」

◇テレビが薬物依存症に患った人々の悲惨な状況を報じていた。薬物依存症は、その人の行き方、考え方などすべてが薬物によって支配されてしまう病気である。テレビは、最近の傾向として低年齢化と女性の増加をあげていた。

 大麻に関する事件が連日のように報じられている。特に大学生が頻繁に摘発される状況は、学園で大麻が日常化している印象を与える。これが大学生にあこがれる少年たちに強烈な影響を及ぼすことは当然である。大麻に限らず、薬物の害が広がっている。薬物に近づくきっかけは簡単であるが、そこには恐ろしい底無し沼に通じる道が隠されているのだ。

 最近、私が関係するカトリック教会の新聞に、過去の薬物依存症の生々しい体験を語る記事が載った。記事の主(Hさん)は、薬物依存症回復支援施設・「群馬ダルク」で働く。

 Hさんは、私立有名大学の付属高校の時、先輩からすすめられて薬物を使った。系列の大学ではやっていたせいか、高校でもまわりで薬物を使う者が多かったという。「薬がかっこよいもののような気がした」と語る。気がつくと薬がないと動けなくなっていた。仕事のために薬を使い、薬を使うために仕事をするという狂ったサイクルに陥っていく。仕事も続けられなくなり、離婚する。死ぬ事も考えた。犯罪を起こして捕まれば薬が止まるかも知れないと考えたが何も出来ない。ついに、Hさんは家族に助けを求め、たどりついたのが「群馬ダルク」だった。

 Hさんは、ダルクで助け合う仲間と出会う。「一人で薬を使い孤独だった僕に仲間が出来た、仲間に助けられ支えられて仲間から与えられたものを新しい仲間に渡していく、僕がもらったものは、薬物依存症でも笑える、楽しく生きられるという仲間の姿です、僕は薬を止めて生きていきたいと思い始めました」Hさんの手記は薬物の恐ろしさを全く知らない私の胸を打つ。

 私は群馬ダルクを訪ねた。Hさんは、今、この回復支援施設で働くスタッフである。穏やかで優しい表情から、地獄を通り抜けた過去を想像することは出来ない。

 カトリック教会の岡神父も関わるこの施設は民間の古い建物を利用したアットホームな雰囲気だった。Hさんを初めとした何人かのスタッフと話が出来た。依存症は脳に変化が生じたことが原因なので完治する事はないという。テレビのコメントも「脳の要求なので意志ではかてない」と語っていた。

◇倒産、転職などの苦しさの中で一時薬物に頼ったというⅠ君が訪ねてきた。薬がきれた時お花畑が見えて恐くなって止めたという。現代社会には薬に頼りたくなるストレスの原因が渦巻いている。刺激と不安の海を漂う少年たちが安易に薬物に救いを求める心理も分かる。しかし、薬物は彼らを暗い海に引きずり込む悪魔のささやきであることをしっかりと教えなければならない。(読者に感謝)

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2009年4月13日 (月)

「北朝鮮に対する非難」「アマゾンの裸族」

◇テレビで見ていると、北朝鮮の代表は憤然として記者の示す書類を叩き落した。それは、議長声明に対する不満を表明するものであるが、同時に、国連安保理の成果を物語るものであった。私は、多少溜飲が下がる思いがした。

 日本の求める通りにはならなかったが、北朝鮮のミサイル発射は、安保理決議に「違反する」ものとして、「非難」されるという強い内容が全会一致で採択さえる模様だ。国連の北朝鮮代表の態度は、味方をしてくれると期待していた中国とロシアまでがこの声明に同調したことに対する不満を現すも現すのであろう。

 国際社会が正式に一致してミサイル発射を非難したことは、金正日の国防委員長3選の栄誉を傷つけることを意味する。なぜなら、金正日が国防委員長に就任するのに合わせ、彼の偉大さを示すメッセージとして、ミサイルが発射されたといわれるが、そのメッセージが国連により、つまり、国際社会の一致した意見として否定されたからだ。

 北朝鮮は、党よりも軍が上位にある国である。だから国防委員長が国の最高の地位にある。金正日は、総書記であるが、3たび国防委員長に選ばれた。私は、金正日は、発射されたテポドンのようなものだと思う。国際社会から非難を浴びて姿を消す運命にある。

◇NHKスペシャル「ヤノマニ」を見た。私は平成8年に南米アマゾンの支流に入り、いたる所、巨木についた黒い大きな塊を見た。アリの巣だと教えられた。アマゾンにはアリが多いのだという。

 文明と隔絶して生きるヤノマニ族の未婚の少女が妊娠した。家族は共同体から抜け出すが、しばらくして戻って来た。娘の身に起こる事を悩んでいる姿に見えた。14歳の娘は出産するが、赤ちゃんを人間として迎えるか精霊として天に帰すかは娘が一人で決めねばならない習わしである。じっと思い悩む娘の姿が映される。命を断たれた子どもは葉に包まれ白アリの巣に入れられ、巣は焼かれた。

 ヤノマニ族は、毎年20人ほどの子どもが生れ、半分は精霊として天に返されるという。娘は未婚なるが故に一人で決めねばならなかった。

 生れた子を天に返す習わしは人口を増やさないための知恵であろう。彼らの考えでは、人間は死んで精霊となり、虫となって地上に戻るという。1万年も前から同じ生活をくり返す人々。彼らを文明化させることが、彼らの幸せに通じるかは難しい問題だ。政府は、保護区域を設けて、彼らへの接近を禁じているという。呪術師が部落の中心にいる。遠い過去には私たちの祖先もあのような社会で生きたのだろうか。時間が止まったままのアマゾン奥地の人々の生活。楽しさと悲しさが両面から伝わる。上空にジェット機が飛ぶ場面が見られた。

 ヤノマニは人間を意味するという。少女が生んだ子どもは白ありに食べられて天に昇り、白ありは焼かれて天に昇る。ヤノマニの人々は、森で生まれ森で食べ森に食べられる、と解説者は語った。アマゾンの森が破壊されつつある。彼らの運命はどうなるのか。

(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村のりお著「遙かなる白根」を連載しています。

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2009年4月12日 (日)

遙かなる白根(71)序章 100キロメートル強歩序曲

周平たちは夜の森をしばらく歩いて、暗い谷を臨む所に来た。道は北に向う坂道を白渕沢の流れまで下り、小さな金山橋を経て、対岸の斜面を南に向かって伸び、山の中腹にある高台へと続く。その高台が小倉の集落の広場である。近づくにつれ前方に光が揺れ、人々のざわめく声が聞こえてきた。ここは「ポイント」ではないが、各地から引き上げてきた父母たちが集まり100キロメートル強歩の終演を見守ろうとしていた。この広場を通って南に下れば小倉の集落を過ぎ、長笹沢を越えて草津温泉に至る。そして、広場を右折して山の頂上を目指せば一気に白根開善学校に近づく。この広場は学校に至る正に玄関であった。

広場の人々は、完歩を目指す最後の一団を拍手で迎えた。パチパチとたき火の中で燃える木がはじけ、炎が人々の姿を赤く照らす。

「頑張れ」

 「もう少しだ、上でみんなが待ってるぞー」

 周平は戦いに勝利して歓呼で迎えられる兵士のような気分で、休むことなく入山の頂上を目指して深夜の杉林に踏み込んで行った。

 小倉の広場から学校まではおよそ30分はかかるが、この道は周平たちにとって我が家の庭のようなものであった。父母達の車は通行を禁止され、強歩にたずさわる学校の車だけが走っている。周平は足下を見詰めて一歩一歩ゆっくりと歩いている。100キロメートル強歩のゴールに確実に近づいていた。周平は呼吸と足の運びにリズムをとるようにして歩いた。こうすると少しは楽に歩けるのだ。苦しい強歩のコースでいろいろなことを学んでいた。足が痛くても工夫して耐えればまた歩くことが出来る。歩きづらい道であっても、必ず次には楽な道に出る。目の前に最後の急な坂が近づいた。これを登れば、学校まで続く白樺林が現われる。

 周平の後から周平が歩く速度に合わせて学校の車がじりじりと進む。低く下げたライトの輪に押し上げられるように周平は歩いた。いつも歩いている道であるが、今周平が歩いているこの道は、初めて出会う未知の道に思える。未知なる道は、周平に何かを語りかけるように、また、100キロを歩いた周平をいたわるように、周平を導く。

☆土・日・祝日は、中村紀雄を連載しています。雄著「遥かなる白根」

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2009年4月11日 (土)

遙かなる白根(70)序章 100キロメートル強歩序

「ワンワン」

「チリンチリン」

二つの音は交互にしばらく続いたが、犬の声は止んで鈴の音が次第にはっきりとしてきた。やがて鈴の音と共にチカチカと揺れる小さな明かりが現れた。鈴の音と光が近づくにつれ、人の影がうっすらと認められるまでになった。

「周ちゃん」

母が声をかける。人の影は変化して動いた。周平が公民館の明かりの輪の中に現れた。

「偉かったね。12時に花敷に間に合ったのね。今年は完歩。凄いね」

 母は周平の肩に手を回し、抱くようにしてテントに招き入れた。周平は鼻をすすりながら、しきりに手で目をこすっている。張りつめたものが急に緩んで自分の感情を抑えることが出来ないのだ。

 周平が長平公民館に着いたのは午前0時50分。スタート地点からここまで93.59キロを歩いたのであった。何人かの仲間が火を囲んでいる。周平は照れたように母親から離れ、火を囲む仲間の輪に加わった。そして母に向って安心したように笑顔を投げた。それは、周平の心裡に覆いかぶさり陰を落としていたものを跳ね除けて現われた、長いこと見ることの出来なかった屈託のない笑顔であった。またそれは、100キロメートル強歩を闘い抜いた自信を表す会心の笑顔でもあった。周平の母は、その笑顔を見て、長いこと出口を求めて迷っていた暗い洞窟の中で一条の光を見つけた思いであった。

周平、ついに100キロを征す

火を囲んでいた子ども達は間もなく立ち上がった。彼らは、これから白根開善学校までの最後の行程を征服しなければならない。周平たちは声援に送られて長平公民館を後にした。道は集落を出て再び森の中へと伸びる。子ども達の懐中電燈の光が樹間の闇に消えて、鈴の音が静かな森に染み込むように次第に小さくなる。微かな音が周平の母の耳の底にいつまでも残った。

☆土・日・祝日は、中村のりお著「遙かなる白根」を連載しています。

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2009年4月10日 (金)

「フジモリ哀れ、禁固25年」

◇私たち県会議員がペルーを視察したのは、平成8年4月であった。そして、リマ市の日本大使館公邸がテロ集団に占拠されたのは、同年12月のことであった。以後4ヶ月間私たちの目は毎日テレビにくぎ付けにされた。

 私は当時のフジモリ大統領に特別の関心を持っていた。だから、ペルーを目指す機上にあって、フジモリが両親の故郷熊本県で語った言葉を、思い出していた。「私は百パーセントペルー人です。そして百パーセント河内の血が流れています」日本移民の子が大統領になる壮大なドラマ、スペインに征服されたインカ帝国、インカの末えいであるアンデスの人々と私の熱い思いはペルーが近づくにつれてふくらんでいった。

 ペルーの首都リマは、その昔、征服者ピサロが建設した。西欧風のいかめしい建築物と対照的に雑然とした露天商がまちの一角を埋めている。

 日本大使館公邸は厳重な警備の中にあった。青木大使は、私たちにフジモリ大統領のことを熱く語った。フジモリを高く評価する青木大使が強調したことは次の点であった。

「フジモリになってペルーは奇跡的に復興しました。フジモリの功績の最大の特徴は、命がけでテロとインフレを解決したことです。彼は大変な行政改革を断行し、不要な省庁の職員を徹底的に点検し職員の数を大幅に削除しました。ゲリラが駆遂されたのでゲリラに対する警備の予算が不要になり、その分を道路の整備や教育に当てています。フジモリの支持率は最も貧しい層に於いて一番高い。そして基礎教育が最も大切だといって学校の建設を強力に進めています。これは私が最も尊敬している点です」

◇南米移民は、ブラジルが最初と思う人が多いが実は、ペルー移民が約10年早い。1899年(明治32年)、790人の日本人が契約労働者としてペルーに渡り、多くは帰国できず移民となった。91年後にフジモリ大統領が誕生する。フジモリ大統領誕生の背景には、選挙権を得たアンデスの貧しい人々があった。スペイン人に征服されたインカの末えいである。支配者への抵抗はテロでは目的を達することが出来ない。そういう彼らの思いが、移民の子であり日本人の血が流れるフジモリ大統領を実現させたのだと思う。

 フジモリが大統領に就任する前、インフレは年間2775%、潜在失業率は48%、テロによる死者は10年間で17,000人に達した。

 フジモリ大統領はテロを徹底的にたたいた。青木大使には油断があったかも知れない。天皇誕生の祝いが行われた日本大使公邸は2千人が招待されたが、その中にテロリストが紛れこんだのだ。青木大使と会談した県議の中には故金子泰造さん、矢内前伊勢崎市長、五十嵐現伊勢崎市長もいた。フジモリ元大統領は、テロ対策の行き過ぎの責任が問われ、禁固25年の有罪判決を下された。唇を固く閉じて判決を聞くフジモリの表情は印象的だ。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村のりお著「遙かなる白根」を連載しています。

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2009年4月 9日 (木)

「北朝鮮の地下トンネルを振り返る」

◇8日の日記で県議会も北朝鮮のミサイル発射に対して抗議を表明すべきだと書いたが、9日議会に出て、4月7日付けで議長声明を行う決定がなされたことを知った。議会閉会中のことでもあり、迅速に事を進めるために議員には時後の説明がなされるということであろう。

 「北朝鮮の飛翔体発射に対する声明」の結論部分は、次のようになっている。「よって、この北朝鮮の行動に強い遺憾の意を表明するとともに、政府に対し、北朝鮮に厳重に抗議することを求め、国際社会と連携して必要かつ適切な措置を講じるよう強く要請する」

◇北朝鮮は近くて遠い国である。今回のミサイル発射が示すように北朝鮮は、日本の安全保障にとって極めて関わりが深いにもかかわらず、私たちはその実態をよく知らない。いや、知ろうとしないといった方が正確かも知れない。それは、平和ぼけといわれる日本人の姿を示すものといえるかも知れない。

 北朝鮮の飢えた国民の姿が時々テレビで報じられる。常識的にいえば北朝鮮は恐怖の軍備だけで成り立った破綻国家である。そして、私たち隣国にとって迷惑至極なことは、先軍政治といわれる軍事最優先の国家体制である。

 それは、軍による国家指導体制のことだ。戦前の日本を誤らせた一因は軍の暴走であるといわれた。それは軍が国のルールを無視して行動した結果であった。北朝鮮は、憲法によって軍が先に走る仕組みになっているのだから無茶苦茶である。

 北朝鮮は、1998年9月5日に憲法を改正して、それまでの「党による軍の指導」から「軍による国家の指導」に改めた。そして、軍の最高指導者のポストである国防委員長に金正日が就いた。

◇私が北朝鮮の狂気の実態を肌で感じたのは、平成19年11月20日、北朝鮮が掘った第3トンネルに入ったときのことである。私は、韓国を訪ねた折、意を決して、国境線の非武装地帯にあるといわれた地下トンネルを見ることにした。

 パスポートを示して専用バスに乗った。検問所では機関銃を持った兵士が乗り込んで点検した。いくつかある地下トンネルは、北朝鮮が南に侵入するために岩盤をくりぬいて作ったもの。私が入った第3トンネルは、1978年に発見された。ソウルまでわずか52キロの所までのびていた。完全武装した兵士3万人が1時間以内で移動できる規模だという。

 急角度のトンネルは途中までは観光客に見せるために整備されており、その先はごつごつの堅い岩面が突き出た水平の穴が続いていた。黒く光る岩面、地底の空間の重圧感に北朝鮮の狂気がこめられているようで私は前方の闇を見詰て立ちすくんだ。トンネルは、時代錯誤の狂った暴政の象徴だと思った。核を持ち、それを運ぶミサイル技術を磨き、北朝鮮の暴走はエスカレートしている。そういう隣国を持つ日本の覚悟が問われている。(読者に感謝)

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2009年4月 8日 (水)

「県議会も北朝鮮に対する抗議文を出すべきだ」

◇北朝鮮の弾道ミサイル発射は一応事なきを得た。しかし、全てが終わったと考えるべきではない。日本に向けてミサイルを発射した行為に対して、日本が時後にいかなる対応を示すかが非常に重要な意味をもつ。日本は、攻撃をうけ、この上なく侮辱されたのであるから、毅然とした姿勢を示さなければならない。麻生首相の緊張した表情が初めて頼もしく見えた。

 県議会は、この2月議会において、北朝鮮に対する経済制裁の延長を求める意見書を国の機関に提出した。その内容は、経済制裁の期限が4月13日に到来するが、拉致問題解決のそのために経済制裁を含めた積極的な行動によって北朝鮮に圧力をかけることが必要だというもの。

 日本に侵入して日本人を拉致する行為は、日本の主権を侵害する行為であると共に誘拐罪である。そして、日本の上空に向けてミサイルを発射する行為は、北朝鮮が核の技術を持つことを考えるなら、核攻撃と結びつく可能性がある。日本は世界で唯一の核被爆国なのだから隣国のこのような挑発的行為を許してはならない。

 「拉致」に対して制裁延長の意思を表明した県議会は、ミサイル発射に対しても抗議の意思を表明すべきである。国が北朝鮮に対して抗議することは当然であるが、私は地方の議会が抗議することに意味があると思う。

 国防は国の第一の任務であるが、現在日本に欠けていることは国民の国防意識である。国民の国を守るという意識がなければ、国がいくら力んでも国を守ることは出来ない。地方議会が北朝鮮に抗議を表明することは、地方住民の国防意識を高める上で意義がある。

◇北朝鮮は、何をするか分からない狂気の国だから、核を持ち、これを運ぶミサイルを手にすれば正に気狂いに刃物である。私たちは、過去の2つの爆弾テロ事件を思い出すべきだ。ラングーン爆弾テロ及び大韓航空機爆破である。

 1983年のラングーン事件は、社会主義国ビルマを公式訪問中の韓国の全斗煥大統領を暗殺しようとしたものである。韓国は、社会主義国との関係改善を図ろうとしていた。北朝鮮とすれば、自国の立場がなくなると考えこれを阻止しようとしたのだ。大統領暗殺は失敗したが韓国高官17人が死亡した。中国の最高指導者鄧小平は激怒したといわれる。

 1987年の大韓航空機爆破事件は、実行犯の一人で元死刑囚の金賢姫が最近マスコミに登場したため、再び注目された。韓国のオリンピック開催を阻止するために金正日の命令で行われたとされる。韓国に五輪を成功されたら北朝鮮のメンツは丸つぶれになると考えたのだ。インド洋ベンガル湾上空で115人が犠牲になった。このような事を平気で実行する隣国が日本をターゲットにしているのである。(読者に感謝)

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2009年4月 7日 (火)

「中国・曲阜の旅・そして孔子を振り返る」

◇山東省人民政府から箱に入った和綴じの「論語」を贈呈された私は、曲阜の孔子廟の前に並ぶ店で、竹片を糸で綴った「論語」を買った。40枚の細い竹には、「子白学而時習之不亦説手」(子いわく学んで時にこれを習うまたよろこばしからずや)で始まる孔子の教えが書かれている。帰国して早速事務所の壁に貼った。論語は私の愛読書である。

 山東省西南部の都市曲阜(きょくふ)は、かつて周の時代、魯(ろ)国の都であった。孔子は、曲阜に生まれ魯につかえた。論語は孔子の言行録である。

 曲阜の町を走る多くの車は魯ナンバーをつけている。このことからも二千数百年前の歴史が現代社会に活きていることを感じる。曲阜における孔子の遺跡が文化大革命で破壊された傷跡は生々しく残っていた。ガイドの説明では北京から紅衛兵の先頭に立ってやってきた女性教師が孔子をしのぶ石碑を片はしから倒していたという。折れた石碑は鉄片で接合されているが亀裂は痛ましい。

 論語には、「過(あやま)ちて改めず是を過ちという」という言葉がある。孔子が見たら、過ちを改めた現共産党政権を誉めるのだろうか。

◇今、中国では論語の学習がブームになっているといわれる。私は済南の人民政府との会談で、日本人の心が貧しくなっていることを話したが、中国政府も中国人の道徳を心配しているのだ。

 鄧小平に始まる改革解放政策は、長く閉じ込められていた中国人の精神的エネルギーを一挙に解放した。欲望を求めて走り出した人々は止まるところを知らない。その結果、経済の格差が広がり対立や争いが多発している。そこで求められているのが中国社会の伝統的な倫理観である孔子の教えなのであろう。私たちが乗った新幹線の名は和諧号であった。

◇旅の中で天安門事件も話題になった。ガイドの王さんも当時学生運動に参加したという。豊になると共に価値観が多様化した社会を孔子の教えだけでまとめることは不可能であろう。中国では、これから、日本とは別の意味で政治に対する信頼が問われることになるに違いない。

 日本の政治家がよく使う「信なくば立たず」は論語の言葉である。帰国してこの意味を友人に聞かれた私は、贈られた「論語」を調べた。

 弟子から為政者の心構えを聞かれた先生は、民の生活の安定(食)と十分な軍備と政権への信頼だと答えた。弟子は三つのうちどうしても棄てなければならないものはどれかとたずね先生は軍備と答えた。次に、更に弟子は残った二つのうちどうしても棄てねばならないものはと問い、先生は、それは「食」だ、食がなければ人は死ぬが、人間はいつか必ず死ぬ、しかし為政者への信頼がなければ国家も人も立ちゆかないのだと答えた。これが、自古皆死有、民無信不立、(いにしえよりみな死あり、民、信なくば立たず)である。日本も中国も同じ問題を抱えていると思った。(読者に感謝)

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2009年4月 6日 (月)

「北朝鮮のミサイル発射、群馬の対応は」

◇5日午前11時40分、後援会のバスツアーで上京中、県警から私の携帯にメールが入った。「さきほど北朝鮮が飛翔体を発射したとの情報が入りました。テレビ・ラジオ等の情報に注意して下さい」というもの。バスのテレビでは、政府の記者会見の様子等慌しい状況が映しだされていた。「国民は冷静だった」と報じたマスコミがあるが、平和ぼけの現われに過ぎないのではないか。また政府の対応を「大げさすぎ」と指摘する報道もあるが、事態の深刻さを理解しないものと思う。

 県は、危機管理室が動いた。先日、ここを見学したとき、有事には、同時に一斉に情報を伝えるシステムの説明を受けたが、今回の「発射」情報を、30秒で各市町村等に伝えた。

 北朝鮮の暴挙は、長距離弾道ミサイルと核の技術をもった狂気の隣国の存在を改めて私たちにつきつけた。飢えた国民をかかえ、国際的にも孤立した北朝鮮は、追いつめられれば何をするか分からない国である。多くの拉致事件、航空機爆破、偽札や麻薬の製造などは、その事を物語っている。テロ攻撃の第一のターゲットは日本であると考えねばならない。

 県は、テロ対策の図上訓練を国と共同で今秋にも実施することも決めた。全国の多くの県が既に実施していると思われる。関東一都六県では未実施は栃木県と群馬県だけだった。今回のミサイル発射によって危機意識を高めたものであろうが、遅きに失した感がある。

 百年に一度の経済危機が現在叫ばれているが、今回の事件は、質的に違うものである。経済の状況はいずれは回復するが、北朝鮮の行為は、日本と私たちののど元に凶器を突きつけるものであり、国の安全と国民の生命に直ちに関わるものである。

 北朝鮮のミサイルの発射は、図らずも、政府、各地方自治体、そして国民に、国防ということの重大さと現状をつきつけることになった。

◇群馬県議会は、平成17年に、武力攻撃の事態等に備え県民を保護するための2つの条例を議決した。それは、群馬県国民保護協議会条例及び緊急事態対策本部条例である。協議会は、55人の専門委員等で事態を調査することになっており、対策本部条例は、本部長以下の組織を設けることを定め対策本部の事務を総括することになっている。

これらの条例は、武力攻撃事態等に対して国民を守るための国民保護法に基づいて定められたものであるが、当時、県議会内においてもテロ等を現実のものと受け止める意識は薄く、十分な議論はなされなかったと思う。

この条例の意義が、今、にわかに強調されるべきことになった。私たちは、国を守るという問題をどうしても避けたがる傾向にあるが、平和憲法の下で、国民が国を守るという自覚をもつことの大切さをかみしめなければならない。(読者に感謝)

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2009年4月 5日 (日)

遙かなる白根(69)序章 100キロメートル強歩序曲

入山字長平というこの集落は、周平たち白根開善学校の子どもたちにとっては特に親しみの深い所である。帰省するとき、帰校するとき、また、時々花敷温泉に出かけるとき、必ず通過するのがこの長平である。村の人も温かく見守り、時には子ども達と会話を交わす。大昔からの歴史や文化、それに人情を受け継いで、この村もまた、白根の大自然と共に開善学校を支える重要な柱であった。長平の村の入口に近い小高い所には、ちょっと名の知れた双体道祖神があった。ほほえましい愛の姿が石に彫られているが、言い伝えによると、その昔、美男美女の兄妹が禁を犯して結婚し処刑された。この道祖神はその霊をとむらうものだという。歴史と伝承が豊かな長平の人々は、重荷を背負った開善の子ども達に優しい。周平はほっとするものを感じながら集落に近づきつつあった。長平の集落は静に眠っていた。この集落が尽きる高みに長平公民館はあった。平屋建ての小さな建物である。今はこの集落の公民館として使われているが、昭和62年までは入山小学校の分校であった。道路に面した長平公民館の庭にテントがはられ、数人の父母がたき火を囲んでいた。午後12時が大分過ぎ、そろそろ最後の子ども達が近づくころである。周平の母は先程からしきりに時計を見たり、外の闇に耳をすましたり落ち着かなかった。10軒たらずの長平の家々は、渓谷の闇に飲み込まれたかのように静かである。「あっ、犬の声だ」誰かが叫んだ。「ワンワン」また聞こえた。遠くで鳴く犬の声である。それは人がこの集落に近づいたことを知らせている。周平の母は、暗い道へ飛び出して行った。長平公民館に至る道は、村の真中をくねって緩やかな登り坂になっている。耳を澄ますと犬の鳴き声に混じって微かなチリンチリンという音が聞こえる。周平の鈴の音であろうか。そうであってほしい。彼女は、じっと足もとの闇を見詰めた。 ☆土・日・祝日は、中村紀雄を連載しています。雄著「遥かなる白根」

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2009年4月 4日 (土)

遙かなる白根(68)序章 100キロメートル強歩序曲

霧は去って、見上げると切り立つ岩壁の上に幽かな星のまたたきが見える。道は断崖の壁に張りつけた細い帯のように続く。昔は、昼間でも薄暗い深山幽谷であったに違いない。六合村誌によれば、この先の尻焼温泉は、かつて、道の険しさと、温泉周辺に生息するおびただしい蛇のために人が容易に近づき難いところであったという。

花敷温泉と尻焼温泉の間は約一キロ。周平は、その尻焼温泉に近づいてた。目の前に長笹沢川に架かる尻明橋があった。対岸の橋のたもとには旅荘光山荘がひっそりと立ち、その窓の下を旅荘の淡い明かりに照らされて長笹沢川が静かに流れている。橋の上から川上を窺うと渓谷は濃い闇につつまれ、川幅いっぱいに広がる温泉場も、赤く焼けた川原の石もその闇に姿を隠している。道はその温泉場を左下に臨みながら、対岸の急な斜面を上へと伸びる。岸壁からはみ出すような細い道を小さな光が間隔を置いて進む。前の光が岩の陰に消えると小さな鈴の音が流れてくる。花敷から上は、あの滝原の林道の時と同様、子どもたちは、熊除けの鈴を腰に付けることになっていた。坂の下から見上げると、懐中電燈の光が蛍が舞うようにゆっくりと動いてゆく。そして、谷底から離れるにつれて澄んだ鈴の音が闇に漂うように響いていた。

急な坂を登り詰めると道は二つに分かれていた。右に進めば根広、矢倉、和光原に至る。左は、熊笹が密生する雑木林の中を長平、小倉、田代原に通ずる道が伸びている。周平は左の道に入った。左手の下の方から谷川の音が聞こえる。寂とした夜の森に谷川の音が近づいたかと思うと遠ざかる。それと交互するように鈴の音が流れ、懐中電燈の光が樹間に点滅する。しばらく進むと上方がやや開けた所に出る。そこからは松の林であった。いくつかの沢の流れが右手の高みから道を横切って谷に流れ下っている。一つの流れに昭和橋という小さな橋が架かり、その先が長平という小さな集落であった。周平の胸は高鳴っていた。母の待つ二十一ポイントが、手の届く位置に感じられた。

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2009年4月 3日 (金)

「泰山の偉容のこと、3700段を下る」

Photo_2 ◇「宥座の器のこと、超党派で取り組みます、ハハハ」山東省人民政府の張東波(ちょうとうは)さんは丸い顔に笑みをたたえて大きな声で言った。「うまい洒落(しゃれ)ですね」と私たちも笑った。2日、早朝6時40分の私たちのスタートに合わせ、張さんは、ホテルのロビーまで見送りに来てくれたのだ。

 新幹線と高速道を使った過密なスケジュールの旅は終わった。それは、二千数百年の時を駆ける旅でもあった。私は、済南から青島に向う新幹線の中で、果てしなく広がる平原を見つめながら今回のツアーを振り返った。

◇4月1日、人民政府を訪ねたとき、私たちは日本から運んだ「宥座の器」を贈呈した。「孔子は、満ちて覆らない者はいないといって、中庸の徳の大切さを説きました。現在、中国にもないと聞いて現代の名工針生さんがつくりました」と須藤和臣議員が説明した。

 私は、水を運んでもらって実演した。ひしゃくで適量を入れると、鎖で下げられ斜めに口を上に向けていた壷は正しく上を向き、水を更に入れると口を下に向けて覆ってしまった。近く、等身大の本格的な宥座の器を孔子廟に置くことになったのである。

◇「泰山の安きに置く」などと諺につかわれる泰山とはなぜ中国人にとってそんなに重要な山なのか確かめてみたいという期待があった。2日、曲阜から高速道で1時間半、大平原の行く手に峨峨とした褐色の山が見えてきた。近づくにつれ、すそ野は短く、いきなり岩肌をむき出して屹立(きつりつ)する姿が迫る。昔の人が神の山と考えた事がうなずける迫力と荘厳さが伝わってきた。

 ガイドの王さんは、朝から泰山の事を話していたが、その説明に熱がこもる。高さは1545m、古くから道教発祥の地として信仰を集めてきた聖山である。

 歴代の皇帝は、この山に来て、神に自分の業績を報告し国の安泰を祈った。この封禅の儀式は天子(皇帝)が行う最高の儀式であり、皇帝は、この儀式を行うことによって、初めて天下に皇帝として認められるという重みのある儀式であったといわれる。秦の始皇帝以来72人の皇帝がこの山に登って封禅の儀式を行った。

◇私は7000段の石段に登ろうと考え運動靴を用意した。聖なる山に体力と気力の限界をぶつけてみたいと考えたのである。時間の制約でそれは初めから無理なことであった。

夕陽が傾きかけたころ、中天門から頂上の南天門までロープウェイで登り、私は、この間の3700段の石段を下りることにした。若い須藤議員が私の身を案じて参加した。杖にすがる年配の女性や黙々と登る若者の姿があった。振り仰ぐと切り立つ断崖が頭上に迫り細い石段が天に届くように見える。私と須藤君は47分で小走りで駆け下り下で待つ仲間に拍手で迎えられた。聖山の懐に飛び込んで全てを忘れて頑張ることで中国の歴史を肌で感じることが出来た。(読者に感謝)

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2009年4月 2日 (木)

「曲阜・泰山で世界遺産を見る」

◇山東省人民政府は私たちを温かく歓迎してくれた。済南駅から省庁に至る途中に済南事件を伝える碑があった。旧日本軍が多くの中国人を殺したとされる事件である。美しい名泉を誇る済南市に残る日本人の汚点と思えた。 私は、省政府要人たちとの会見の席で次のような挨拶をした。「私たちは、かつて皆さんに大変迷惑をかけました。過去を反省して、新しい良い関係を築きたいと思います。100年に一度といわれる経済の危機は、行き過ぎた経済の機械化に一因があると思います。孔子のゆかりの地に来て信や義といった人間の心を重視することの大切さを感じます」 外事弁公室副主任の劉文華氏は、立派な箱に入った和とじの「論語」上下を贈呈された。日本人の心を憂えつつ翌日孔子の遺跡を訪ねようとしていた私は、タイムリーな贈り物を有り難く頂いた。 ◇曲阜(きょくふ)まで、済南から高速道で約2時間50分かかった。今回のツアーで初めての気持ちのよい朝日である。陽光の下、果てしなく広がる中国の農村地帯は、激しく変化する中国をしっかりと支える基盤に違いないと思った。 孔子誕生の地曲阜は人口約60万の歴史のまちである。私たちは、孔子の遺跡である、孔子林、孔子廟と孔子府を訪ねた。孔子廟と孔子府は、この日の午後に訪れる泰山と共に中国が誇る世界遺産である。「林」は墓を意味するといわれ、広大な孔子林には、10万人といわれる孔子の子孫の墓石が林立していた。孔子廟は、歴代皇帝が寄進した孔子の霊を祭る神殿であり、孔子府は、孔家歴代の嫡子が住んだ邸宅である。 孔林の孔子の墓の前で私たちは簡単な式典を行った。人類共有の文化遺産、とくに、東洋の価値観の象徴ともいうべき文化遺産に肌で触れ、群馬の文化行政の糧としたいという願いを確認するためである。一同は、墓に頭を下げて礼をし、私が私たちの意志を表明する簡単な挨拶をした。 ◇「林」、「廟」、「府」を訪ねて衝撃を受けたことがある。孔子の墓に立つ「大成至聖文宣王」と刻まれた大きな石碑は斜めに亀裂が入っている。切断され、接合されたことが一目で分かる。このような石碑が、三つ遺跡のいたる所にあった。文化大革命の時に紅衛兵によって引き倒されたものだという。孔子の教えの中心には「孝」や「信」や「義」があり、これらは、封建秩序維持に役立ち、労働者の掲げる革命思想に反するとされたのだが、それは、歴史遺産の受け止め方として明らかな誤りであった。丁寧に修復された石碑の姿は、現共産党政府が過去の過ちを認めたことを物語っている。このような事実を知ったことも、私たちにとって、大変有益なことであった。曲阜から再び高速道にのって私たちは、山東省のもう一つの世界遺産である泰山を目指した。泰安の町は曲阜から約1時間半のところにある。(読者に感謝)

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2009年4月 1日 (水)

「新幹線で中国の農村地帯を走る」

◇王さんの説明の中で、どうしても報告したいことは五・四広場のことだ。「五・四運動がなかったら、今日に続く中国の変化はなかったことです」王さんは広場をさして熱く語った。ドイツにかわって日本が山東省(青島)を支配するために無理な要求を尽きつけたために、北京の学生が中心になって中国全体の若者が抗日に立ち上がったのだ。日本の悲劇もそこから拡大したことを思うと複雑な気持ちになった。かつてドイツ人が住んだ赤い屋根の街並を見て、日本人の支配の跡を伝える大連市の一角を思い出した。

 青島総領事の斉藤法雄さんは、伊勢崎市出身、前橋高校卒の外交官で中国に対して熱い思いを抱いている。青島の大きな可能性を群馬の農業や観光につなげる魅力的な話の中で、私は総領事に一つの提案をした。

「これから群馬と青島の交流を有効に進めるために、斉藤総領事さんに、日中議員連盟の顧問になっていただきたいと思います」

総領事は快く引き受けてくれた。今回の日中議員連盟訪中の一つの成果が生まれた。

◇2日目(31日)は、新幹線で済南市へ向った。最高速度242キロで中国の農村地帯を突き進んで、今まで主に都市部を見てきた私は中国の懐に初めて飛び込む思いがした。

 新幹線といっても日本のそれと比べると質素なものである。乗客は満足しているように見える。中国は段階を追って近代化を歩んでいる。いきなり日本の新幹線を持ち込むことは中国の現実にそぐわないと思った。

 2時間も過ぎたころ、驚くべき光景が私の目に飛び込んできた。「私たち中国人はビニールの海と言います」ビニールハウスが視界の限り日光を反射して広く展開する様子は王さんの言葉を待つまでもなく正に海である。スイカをつくっているのだという。新幹線は海面を分けるように進む。スイカ畑の長さは30キロである。このような農業の新しい姿が、国家の政策に支えられて、今や中国全土で展開されているに違いない。日本も今農業の重要性を叫んでいるが、しっかりしないと中国の巨大な農業の波にのみ込まれてしまうだろう。

◇済南駅では、山東省人民政府外事弁公室の日本事務担当科長李雪岩さんが出迎えてくれた。日本人と全くかわらない流暢な日本語を話すこの青年に案内されて、私たちはハイテクのソフトウェア産業基地・斉魯ソフトウェアパークを視察した。産官学連携で最近のハイテク産業を育成する実態は、躍進する新中国の凄さを示していた。壮大なパークの一画には人材を育成する大学まであった。

 案内をしてくれた担当者の話では、せっかく育てた人材がすぐに転職する時代だが、山東省の人は信義誠実を重んじるので転職が少ないという。孔子誕生の地なので、家庭や地域で孔子の教えを尊重しているからだ。二千数百年を貫く東洋の価値観と時代の最先端を動かす力が調和している姿を見た思いであった。夜は人民政府が府庁の一画で盛大な歓迎会を開いてくれた。(読者に感謝)

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