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2009年4月18日 (土)

遙かなる白根(72)序章 100キロメートル強歩序

 遂に急な坂道が終わりに近づき、ライトの光は白樺の幹を照らしていた。白樺の林もいつものそれではない。今は一本一本の白樺が周平を迎えている。

 最後のゴールが近づいた。白樺の林の中に校舎の輪郭が現われる。校門に近づいた。“人はみな善くなろうとしている”と書かれた門標が目前にあった。周平は自分の“善さ”をぎりぎりの限界まで求めて、今、この門の下に到達した。行く手の校庭はいっぱいの明かりの中に大勢の人々の影が動いていた。100キロメートル強歩のフィナーレである。人々は、少し前かがみに黙々と近づく少年を拍手で迎えた。周平の努力が認められた瞬間であった。周平の到着は、午前2時19分。遂に周平は100キロメートルのコースを歩ききって完歩した。それは、前橋市の芳賀保育園、芳賀小学校を経て、さまよいながら苦しい歩みを続けてきたもう一つの強歩を征服した瞬間であり、これからチャレンジするであろう、いくつもの100キロメートル強歩の新しい原点ともなる瞬間であった。そして周平が新しい自分、つまり、第19ポイントの滝見ドライブインから花敷温泉までの間を必死で走ったとき、もやもやした周平の心の霧を破って現われ、周平を突き動かしたもう一人の自分を発見した人生の重要な場面でもあった。

 周平は人ごみを抜け出して校舎の玄関の石段に腰を下ろした。早朝4時に出発して20時間以上かけて100キロメートルを歩き通した。浅間の高原地帯の沈む赤い夕陽、夜の滝原林道、白砂川に沿った長い六合の道、まだ興奮の醒めない周平の頭に今辿ってきた100キロの道々の光景が甦える。そして、僕にも出来たというずしりとした感覚が周平の胸に静かに広がるのであった。

 人間は未知なるものである。それは無限の可能性を秘めているということである。様々な可能性は外の刺激に触発されて発見されたり芽が出たりする。人間も本来動物だから、外の刺激として自然環境は人間にとって不可欠である。ところが、現代文明は人間をますます自然から遠ざける。そればかりではない。人間は自らつくり出した人工物に押し潰され、その害毒に心まで侵されつつある。一番影響を受けるのが子どもたちである。

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「遥かなる白根」<を連載しています。

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