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2009年3月27日 (金)

「畠山鈴香に二審も無期懲役」

◇「命が保障され、いずれ社会復帰できる判決が下されました。このような世の中でいいのでしょうか」死刑を回避した判決に対して、米山豪憲君の父親はこのようなコメントを発表した。

 取り巻くマスコミの取材陣に対して「撤収して下さい」と叫ぶ若い女性の姿が昨日のことのように鮮明に思い出される。秋田県藤里町の畠山鈴香だ。

あれから3年が過ぎようとしている。自分の娘(当時小4)と豪憲君(当時小1)の2人を殺害したとされ、検察側は死刑を求刑したが、秋田地裁は死刑とせず無期懲役の判決を下し、二審の仙台高裁も25日一審を支持して無期懲役とした。

 死刑を回避した理由として、一審は、計画性がない、反省がないわけでなく更生の可能性があるなどを挙げ、二審も計画性がない点をあげた。

 最近、検察側が死刑を求め、遺族も死刑を望む殺人事件が非常に多い。それに対して裁判所の判決は、死刑であったり無期懲役だったりする。「裁判官によって違う結論になる。人の命に関わる裁判がこれでいいのか」私のまわりには、このような疑問をもつ人が多い。また、「間もなく始まる裁判員制度では、どのような基準で死刑を判断したらよいのか」このような声もきかれるのである。

 これまで、死刑の判決を下す基準として考えられてきたのは、連続射殺事件に対する1983年の最高裁判決だった。これは、盗んだピストルで4人を射殺した永山則夫に対する死刑判決である。その中で考慮すべき要素として、動機、態様(殺害方法の残虐さなど)、結果の重大性(殺された数)、遺族の被害感情、犯行後の情状等が示された。

 中心となるのは「数」である。2人以上を殺し、その殺し方が残虐で、犯行後の情状として反省が見られず、従って更生の可能性がないと判断されるとき止むを得ず死刑が下されるというものである。

 私は、被害者遺族の感情は参考程度にすべきで、あまり重視し過ぎることは現代の刑法としておかしいと思う。なぜなら、遺族として死刑を強く望むのは当然のことだからである。また、被害者等が裁判に参加することが最近認められるようになり、そこで激しい処罰感情が述べられる例が多くなった。裁判員はそれに大きな影響を受けることは避けられないから、処罰感情を重視すれば、死刑判決は、急増することになりかねない。

◇仙台高裁は畠山被告につき、身代金目的誘拐のような利欲的目的を伴うものではない、用意周到に計画したものではない、被告の凶暴な犯罪傾向が将来とも全く抜き難いとは言えない、殺害の手段方法については、これまでに最高裁判所において死刑相当とされた事案に比べ著しく執拗・残虐な部類に当るとは言えない、等のことを死刑回避の理由に挙げた。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村のりお著「遙かなる白根」を連載しています。

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