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2009年3月31日 (火)

「大不況の中の青島市を見る」

◇中国時間で午前11時50分、青島空港に着く。日中議員連盟の県議7名をガイドの男性王さんが待っていた。小雨に煙る青島のまちは、気温5度Cでかなり寒い。マイクロバスの中で王さんは、青島の歴史と現在を笑顔で語り始めた。青島市は、北緯36度、群馬県とほぼ同じ緯度に位置し、山東省最大の都市である。

 バスは海沿いの高速道を走る。天気が良ければさぞ美しいと思われる海は黄海である。「黄河は水が流れていますか」私が問うと、王さんは「時には流れ、時には流れません」と答えた。私は、「断流」という言葉を聞いていた。「百年河清を待つ」と言われた逆巻く濁流の大河は過去の姿で、水が全く流れないと言う信じ難い、状況が生まれているというのだ。王さんの話では上流に多くのダムが出来、水はかんがい用に使われ、計画的に止めたり流したり管理されているという。

 車は郊外から高層ビルが林立する市街地に入る。百年に一度と言われる大不況を、このビル群はどう受け止めているのかと思った。不況についてたずねると、「家電製品がものすごく売れています」と王さんは話した。家電製品を買うと一割を政府が補助する政策を始めたためだという。

 内需拡大政策の一例だと思った。中国には15億人近い人間がおり、一部は豊かになったが、大部分は、豊かさを求める貧しい人々である。全てが満たされている日本と違って、中国には未開拓の需要が無限に眠っている。

◇青島ビールの工場を見学した。前日、私の後援会のバスツアーで横浜のキリンビール工場を見学したので、図らずも比較することになった。日本の工場のオートメーションシステムには劣るが、なかなかのものだ。見学者に試飲させる光景も日本と似ている。食の安全が叫ばれ、世界から批判されてきた中国の食品産業が、このようにオープンに人々を受け入れている姿は、中国の食品産業が変わりつつあることを示すものかと思った。

◇私たち一行は、斉藤総領事と夕食を共にして生きた中国事情を聞くことが出来た。その中で、中国は国家の権力が強いので、思い切った政策を極めて短期間に行うことが出来るという話があった。これは、民主主義と全体主義の違いでもある。良い悪いを別にすれば、中国のような一党独裁の国は、国家が意思決定すれば、反対する野党はないのだから、大胆な公共工事でも、思い切った政策転換でも何でも出来る。中国は、豊かさを求める限りない人々に向けて、内需を起こすための様々な政策を打ち出しているという。

民主主義はそもそも効率の悪いものだが、自由や平等という換えがたい価値に基づく民主主義が優れていることは歴史がくり返し証明している。

私は中国の躍進を見て日本の民主主義の中味が問われていると感じた。東洋的な伝統や価値を民主主義の中で活かすことが重要である。これから孔子のゆかりの地を訪ねてこのことを確かめたいと思う。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村のりお著「遙かなる白根」を連載しています。

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2009年3月30日 (月)

「北朝鮮の弾道ミサイルに思う」「中国へ出発の朝」

◇北朝鮮の弾道ミサイルに対する破壊命令が出された。万一の場合、ミサイル防衛システム(MD)で迎撃する方針である。1兆円をかけたこのシステムを使う時が来たのは不幸なことだが、このシステムの必要性が明らかになった。北朝鮮の予告では、日本の上空の大気圏外を通過するが、何らかのトラブルが起これば、日本の領域内にミサイルの本体や破片が落下する可能性があるといわれる。

 このような危険性をもつミサイルを日本の上空に向けて発射すること自体が日本に対する攻撃的行為である。日本は北朝鮮に対して毅然とした態度を示すべきだ。県議会は、政府に対して、経済制裁を延長すべきだとする意見書を提出したが当然である。

 今回の北朝鮮の弾道ミサイル実験の陰に寒さと飢えに苦しむ多くの北朝鮮の国民があることを忘れてはならない。政府は何のために存在するのかというロックの思想を考えてしまう。それは、政府は、国民の生命、自由、財産を守るためにある、政府がこの約束を守らない場合、国民は政府をとりかえることが出来るというものだ。この思想に支えられて実現した歴史的事実がアメリカの独立であった。それから230年も経た21世紀にこの思想の標的となるような国家が存在することが不思議である。

 私たちは、このような狂気の国を隣国に持ちながら、国を守るという意識が薄いことに反省しなければならない。平和憲法の下で国を守るという健全な愛国心を持つことの必要を弾道ミサイルは、私たちにつきつけている。

◇佐藤報恩財団、通称「かけこみ寺」が解散することになった。私は、角田儀平治さんに頼まれて、理事を引き受けていたが、現代社会の複雑な状況の中で苦しむ子どもたちの姿を見てきた。解散を決めた理事会で、巣立った子どもたちは、自分のルーツに触れられるのを嫌うことが話題になった。一番優秀でしっかりと歩んだと見られていた子が、これまでの共同生活のことと一切縁を切りたいという手紙を寄せたことを知り、彼らの心の中がいかに苦しかったかを知らされた。捨てた親を恨む思い、学校や世間から冷たくされた思いなどが積もっているのかも知れない。「オバマ大統領の誕生は彼らにも勇気を与えたことでしょうね」と私は言った。(28日)

◇この日(28日)は、フランシスコ会の理事会もあった。この会は、カトリック教会が主体となって、親のいない子どもたちを育てている。この教会は、難民などをお世話する「あかつきの村」も運営している。かけ込み寺が、寄贈された衣類などを多量に抱えており、利用してもらいたいと話したら、神父が、「あかつきの村」で頂きたいと言った。

◇早朝3時40分前橋発のアザレア号に乗る。3泊4日で中国山東省へ向う。日中議員連盟で群馬と山東省との文化交流・経済交流をサポートしようとしている。中国からレポートを送るつもりだ。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村のりお著「遙かなる白根」を連載しています。

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2009年3月29日 (日)

遙かなる白根(67)序章 100キロメートル強歩序曲

花敷ベーカリー前の広場は到着する子どもを迎え入れて熱気につつまれていた。火を囲んで自分の奮闘ぶりや仲間の様子を語り合っている姿が見られる。12時迄に花敷に着くことが完歩の条件なので、誰が12時迄に到着したかということが皆の関心の的であった。時間までにここに到着出来た子どもたちの表情には、濃い疲労の中にもほっとした安堵の様子が伺えた。花敷温泉と呼ばれるあたりには、三件ばかりの温泉宿、それに食堂、パン屋がそれぞれ一軒ずつあった。このパン屋の屋号が花敷ベーカリーで、この店の前の広場が第20ポイントになっているのである。白根開善学校の生徒たちは、週に一度だけこの花敷に下りてきて買物したりすることが許されている。そういう意味で、ここは、白根の子ども達が山の日常生活を繰り広げる領域に属していた。だから花敷に午後12時迄に着くことは、子ども達には、100キロメートル強歩で完歩するための切符を手に入れたということと共に自分達の生活圏に到着したということを意味し、大きな喜びであった。周平は12時前の最後の到着者であった。12時の到来とともに、広場の人々は動き出した。疲れを癒しながら、12時迄に到着する者を見届けようとしていた子ども達は、最後の力を振り絞ってまた夜の道を歩き始めたのだ。広場に置かれたテントや机、イスなどを片付けにかかる人もあった。第20ポイントの花敷ベーカリーに午後12時迄に到着した者は、参加者134名中、47名、そのうち周平の属する中等部では9名であった。周平は拍手で迎えられ、また先生や父母から誉められて壮快な気分にひたっていたが、広場の動きに気付いて立ち上がった。完歩までには、まだ10キロ近く歩かなければならないことを周平は改めて意識したのであった。花敷温泉を出ると、道は白砂川と別れを告げる。長野原の須川橋まで六合村を南北に縦に割って流れる白砂川。須川橋から花敷までのおよそ17キロを子ども達は、その瀬音に支えられるようにして歩いた。花敷からは、長笹沢川がバトンタッチして子ども達に声援を送る。その瀬音は夜の深山に静かに響いていた。 ☆土・日・祝日は、中村紀を連載しています。雄著「遥かなる白根」

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2009年3月28日 (土)

遙かなる白根(66)序章 100キロメートル強歩序曲

周平は胸に湧きあがる興奮に我を忘れて暗い坂道に走り込んだ。暗い森に踏み込むと同時に、激しい水音が聞こえ出した。何とも懐かしい流れの音。歩き通して12時迄にこの音を聞くことを目標にして朝4時から頑張った。白砂川と長笹沢川が合流する音である。花敷の温泉街はこの合流点の北側の突き出た所に、二つの川に挟まれるようにしてあった。そして、合流点の南側、花敷温泉の対岸には二つの川の瀬音に包まれるようにして、入山小学校が眠っている。周平は入山小学校を左下に臨む暗い道を進んで前方間近な距離にうっすらと白く開けた空間を見た。目の前に白砂川にかかる小さな橋があった。開運橋である。白砂川の音がサラサラと聞こえる。左手には、白砂川と長笹沢川がぶつかり合う音がザアザアと響いている。この音に混じって人々のざわめく声が聞こえてきた。叫ぶ声が聞こえる。いっぱいの光が目に飛び込んだ。花敷ベーカリーの前の広場が目前にあった。ざわめきと叫ぶ声と人々の視線が一斉に周平にそそがれている。生れて初めて味わう舞台の主役になった気分で、周平は速度を上げテントに向かって一気に走り込んだ。

母の待つ長平公民館へ

テントの中から、そしてたき火を囲む人々の輪から拍手が起きた。

「周平、よく頑張った」

「周平君、間に合ってよかったね」

 様々な声が周平を迎えた。周平はぜえぜえとのどを鳴らし大きく肩で息をしている。胸がいっぱいになって熱いものが目からあふれた。

周平が第20ポイントの花敷ベーカリーに到着したのは、午後11時55分であった。5分の差でセーフ。危ないところであった。必死で走らなければ完歩の資格を逃したに違いない。自分の意志で判断し実行して得た貴重な成果を周平は大地に尻を降ろし、汗をふきながら味わっていた。ついにやった。周平は夢を見ているような気持であった。

☆土・日・祝日は、中村紀を連載しています。雄著「遥かなる白根」

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2009年3月27日 (金)

「畠山鈴香に二審も無期懲役」

◇「命が保障され、いずれ社会復帰できる判決が下されました。このような世の中でいいのでしょうか」死刑を回避した判決に対して、米山豪憲君の父親はこのようなコメントを発表した。

 取り巻くマスコミの取材陣に対して「撤収して下さい」と叫ぶ若い女性の姿が昨日のことのように鮮明に思い出される。秋田県藤里町の畠山鈴香だ。

あれから3年が過ぎようとしている。自分の娘(当時小4)と豪憲君(当時小1)の2人を殺害したとされ、検察側は死刑を求刑したが、秋田地裁は死刑とせず無期懲役の判決を下し、二審の仙台高裁も25日一審を支持して無期懲役とした。

 死刑を回避した理由として、一審は、計画性がない、反省がないわけでなく更生の可能性があるなどを挙げ、二審も計画性がない点をあげた。

 最近、検察側が死刑を求め、遺族も死刑を望む殺人事件が非常に多い。それに対して裁判所の判決は、死刑であったり無期懲役だったりする。「裁判官によって違う結論になる。人の命に関わる裁判がこれでいいのか」私のまわりには、このような疑問をもつ人が多い。また、「間もなく始まる裁判員制度では、どのような基準で死刑を判断したらよいのか」このような声もきかれるのである。

 これまで、死刑の判決を下す基準として考えられてきたのは、連続射殺事件に対する1983年の最高裁判決だった。これは、盗んだピストルで4人を射殺した永山則夫に対する死刑判決である。その中で考慮すべき要素として、動機、態様(殺害方法の残虐さなど)、結果の重大性(殺された数)、遺族の被害感情、犯行後の情状等が示された。

 中心となるのは「数」である。2人以上を殺し、その殺し方が残虐で、犯行後の情状として反省が見られず、従って更生の可能性がないと判断されるとき止むを得ず死刑が下されるというものである。

 私は、被害者遺族の感情は参考程度にすべきで、あまり重視し過ぎることは現代の刑法としておかしいと思う。なぜなら、遺族として死刑を強く望むのは当然のことだからである。また、被害者等が裁判に参加することが最近認められるようになり、そこで激しい処罰感情が述べられる例が多くなった。裁判員はそれに大きな影響を受けることは避けられないから、処罰感情を重視すれば、死刑判決は、急増することになりかねない。

◇仙台高裁は畠山被告につき、身代金目的誘拐のような利欲的目的を伴うものではない、用意周到に計画したものではない、被告の凶暴な犯罪傾向が将来とも全く抜き難いとは言えない、殺害の手段方法については、これまでに最高裁判所において死刑相当とされた事案に比べ著しく執拗・残虐な部類に当るとは言えない、等のことを死刑回避の理由に挙げた。(読者に感謝)

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2009年3月26日 (木)

「サムライジャパンの快挙」「新幹線を乗り越す」「振り込めの新手口」

◇サムライの文字が世界を駆け抜けた。ビールをあびて喜びの声をあげるイチローたちの姿が輝いていた。WBCで原監督ひきいる「侍ジャパン」がついに韓国を破って優勝したのだ。日本中が湧いた。この瞬間、100年に一度の不景気も頻発する不気味な殺人事件も忘れて、多くの人々は純粋な喜びと興奮にひたった。

 高志を持って力を合わせ困難にうち勝った侍ジャパンの姿に、私は武士道を重ね合わせた。日本が大切にしてきた武士道という価値観が忘れられてしまった。物の豊かさに溺れて日本人の心は貧しくなったといわれる。100年に一度の経済の危機は、天が日本人に与えた喝(かつ)ともとれる。「侍ジャパン」がそれにこたえた。

◇心地良い酔いに睡魔が重なって気がつくと新幹線は安中榛名駅に近づいていた。もう電車はなかった。もう一人乗り過ごした人がいてタクシーに相乗りして高崎駅に向った。30分かかり約7千円の料金は折半した。

 この日(25日)夕刻、築地の朝日新聞本社に友人を訪ねた。何十年かぶりで大学の同窓会で会ったとき、そのうちゆっくり話そうと約束したことがやっと実現した。取締役を経て監査役になっている日笠君は、この日大阪本社から東京に出てきた。ビールを飲みながらお互いの人生の軌跡を語った。話がはずみ、席を変え、バーでワインを傾けながら大学時代の事にも話が及んだ。恵まれた環境で学問が出来たことは幸せだったと振り返った。本当においしい酒だった。

◇大がかりな振り込め詐欺事件のトップ等に東京地裁は25日、1億3000万円の損害賠償を命じた。「キング」と呼ばれた戸田被告は、詐欺グループを統括し、「有料サイトの未納金がある」などとだまして金を振り込ませていた。戸田被告の自宅からは現金2億4000万円が押収されたというから驚きだ。

◇新幹線の中で、「振り込め詐欺団全手口」という雑誌の記事を読んだ。振り込め詐欺団のボスに取材した記事である。驚くと同時にあきれた。この男は1年間に10億円以上を稼ぎ出したという。「確定申告で忙しい」のは、自分が納税するのではなく還付金詐欺の稼ぎ時だからだ。

「社長」であるこの男の下に5人の営業部長がそれぞれ得意分野を担当する。高校生等をだまして使って携帯電話を大量に集める部門もある。第三営業部長は元ヤミ金業者でその恫喝ぶりはヤクザ以上の迫力だという。このボスが、今最もチャンスと考え秘策を練っているのが定額給付金をだまし取ることだというから大変だ。

◇定額給付金を狙う振り込め詐欺の動きは全国で始まっている。県と県警は、定額給付金を目的にした新たな振り込め詐欺対策として啓発チラシ約76万枚を県内全戸に配布する。

県内でも定額給付金名目で個人情報を聞き出そうとする不審な電話が確認されている。(読者に感謝)

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2009年3月25日 (水)

「闇サイト殺人、死刑の効果を考える」

◇最近死刑がらみの事件が異状に多い。世の中がおかしくなって人の心も歯止めを失っておかしくなっているのか。とくに衝劇的でわけが分からない事件は、最近の闇サイト殺人だ。闇サイトで知り合った3人の男は金目的に通りがかりの女性を拉致し、命ごいをする女性の頭をハンマーでめった打ちにして殺した。名古屋地裁は先日(3月18日)2人に死刑、自首した男に無期懲役を言い渡した。

 この判決は殺された被害者が1人なのに死刑を言い渡した点に特色がある。従来の多くの裁判では、極刑である死刑は2人以上殺して、酌量の余地がないとか更生不可能という場合に下されていた。今回の事件の残虐性と特殊性からして、1人殺害にも関わらず死刑を下した判決に、多くの人は当然だと思うに違いない。

 簡単に人を殺す事件が余りに多いのを見て、私が思うことは、死刑制度は殺人罪の抑止力になっているのかということである。文明国家では死刑廃止がすう勢になっていて、国連は日本に廃止を求めている。私の疑問は、死刑を廃止したら殺人罪は更に激増するのかという点である。

 死刑になるのは恐いから殺人を思いとどまるというのが通常の人間の感覚だろう。これが死刑の犯罪抑止力であり、死刑制度を存置させる理由の一つは、ここにある。とするなら、死刑の恐ろしさを正しく世間に伝えるべきではなかろうか。

 現状は、死刑が執行されたという事実のみが報道される。絶体絶命の場に追い込まれ処刑される人間の姿は日本では闇の中だ。普通の死刑囚は、執行官にとりすがり泣き叫び、首に縄がまかれて落下するときは、目が飛び出し体液が飛ぶ大変なものだといわれる。

 外国の例では、死刑執行に一定の立場の人々を立ち会わせる場合が多いと聞く。死刑の執行状況を一定のルールの下にオープンにすることが死刑の恐怖を分からせ、殺人を犯そうとする人の心に死刑が抑止力となって作用するのではないか。闇サイト殺人の犯人に、死刑の本当の恐さを知っていたか聞いてみたい。

 死刑執行の状況を知らせることは、間もなく始まる裁判員制度の裁判について大きな意味をもっている。裁判員は、自分が判断する刑の実体を知る必要がある。死刑を知るということは、執行の状況を抜きにしては考えられない。5月を目前にして、死刑制度が耐え難い重さをもって私たちに迫っている事を感じる。

◇小学校の卒業式に出た。壇上には日の丸が掲げられ、校長も来賓も日の丸に礼をし、生徒たちは国歌を歌った。心地よい緊張感が流れる中で、当たり前のことが自然に行われる様は見ていて気持ちがよい。名前を呼ばれた子どもたちは、「ハイ」と答えて壇上に進み卒業証書を受け取る。凶悪な犯罪を犯す人にもこのような小学生時代があった。何が人間を誤らせるのか。子どもたちの行く手の厳しい社会を思った。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村のりお著「遙かなる白根」を連載しています。

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2009年3月24日 (火)

「せんたく幹事会」、「女子大入学式」、「公衆トイレのネーミングライツ」

◇「せんたく」の拡大幹事会に出る(22日)。ANAインターコンチネンタルホテルの広間には、新しいメンバーを加えて、これまでにない多くの人たちが口の字型のテーブルについた。私の近くには、東国原宮崎県知事や山田京都府知事がいた。

 「せんたく」は、洗濯と選択を意味する。洗濯の言葉は、坂本竜馬が「日本を洗濯して洗い直さねばいかん」と言ったとされることに由来するもので、これまでの中央政府と地方自治体の在り方などを根本から問い直すことを目的とするもので、具体的には地方分権を大胆に進めることである。

 選択は、選挙における国民の選択を実りあるものにするために、マニフェスト政治の発展を目指すことである。そのための基本的な指針として私たちは、「せんたく八策」を設けた。これも、竜馬の「船中八策」にならうものである。

 主な点を紹介すると、一策・天下の政権を官僚から国民に取り戻すこと、二策・中央集権型の陳情政治、バラマキ型の補助金政治と決別すること、三策・行政の無駄遣いをなくすこと、六策・地方議会は、その役割、使命を根本から見直すこと、等がある。

 この日は、出席者が一人ずつ意見を述べた。私は、日本人の心を洗い直すことが大切で、そのために「せんたく八策」の中に、教育に関することを入れるべきだと発言した。一人一人の発言を聞いて、日本が大転換期にあることを改めて感じた。

◇県立女子大の卒業式に出た(23日)。色鮮やかな着物姿が並ぶ光景はお花畑のようだ。国際コミュニケーション学科の生徒が代表して答辞を読んだ。仲々よく出来た内容で私は感心して聞いていた。富岡学長が、うちの大学はレベルが高いと評議委員会で自慢していたことを思い出し、なるほどと納得した。私は、今年からこの大学の評議員になった。

今年は、この大学に「群馬学センター」が出来た。大学は国際化を目指しているが、国際化を進めるためには日本や郷土の文化を理解することが原点として求められる。群馬学センターの狙いもそこにあるだろう。大学のレベル低下が深刻といわれる中で、しっかりとした女子大学が郷土に根づくことは救いである。

◇破綻した夕張市が公衆トイレのネーミングライツを売り出したことを携帯のニュースで知った。ネーミングライツは、公共施設に名前をつける権利で本県でもこの2月議会で、自主財源の一つとして注目された。例えば、県民会館のネーミングライツが「ベイシア文化ホール」として一千万円で売られた。日本で、最初の導入例は、調布市の「味の素スタジアム」である。

夕張市の公衆トイレの命名権は、40万円で売り出されグループホームを運営する会社が権利を獲得した。夕張市の公衆トイレは水道代などが賄えず3年間閉ざされていたがこれで5月から再開する。破綻から立ち上がるための懸命な一歩だ。本県ももっともっと工夫の余地があるだろう。(読者に感謝)

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2009年3月23日 (月)

「狂気の北朝鮮」「10人の死者を出した施設を見る」

◇議会最終日(18日)は、盛り沢山であった。ここで報告したい事の一つに北朝鮮に対する制裁の延長を求める意見書の採沢がった。拉致の被害者は本県からも出ており、拉致問題は議会でも重大な関心事なのだ。経済制裁の期限が4月13日に到来することから、「北朝鮮による日本人拉致問題の解決に向けて、経済制裁を含めた積極的な行動を進めるよう強く要望する」という県議会の意志を内閣総理大臣や拉致問題担当大臣あてに提出することを決議した。

 北朝鮮は、国家の意志をもって犯罪を実行する狂気の国である。インド洋ベンガル湾上空で大韓航空機を爆破し115人の命を奪った事件は、総書記金正日の命令であった。忘れかけていたこの事件も、最近、実行犯で元死刑囚の金賢姫が拉致被害者と面会したことがクローズアップされ、にわかによみがえった。

 日本国内に北朝鮮の工作員が侵入し、日本人を拉致する行為は、誘拐罪であると共に、日本国の主権侵害という極めて重大な国際法上の犯罪である。これに対して国民は強く抗議するのが当然だから県議会が抗議の意思を示すことも当然のことであり、意義のあることなのだ。

 折りしも、北朝鮮は、日本上空を目がけて弾道ミサイルを発射しようとしている。山本一太参議院議員が、国会で麻生首相に、発射したら制裁を拡大する意志はあるかと質していた。政府は万一の場合、このミサイルを迎撃して破壊する準備を進めている。にわかに北朝鮮の問題があわただしくなった。

◇三重県の県民防災室の人を県庁の防災センターに案内した(20日)。災害はいつ来るか分からない。県民の生命を守るためのこのセンターの役割を実感した。防災対策本部室から赤城山をみながら、あれも活火山であること、昔、赤城山麓に、大地震があったことなどを、私は遠来の客に説明した。類聚国史には、弘仁9年(818年)に上野国に大きな被害が出たことが記されている。同席した危機管理官は、この日、北橘町の、多くの死者を出した老人施設「たまゆら」を視察すると話していた。

◇「静養ホームたまゆら」を視察した(21日)。田畑が広がるのどかな丘の斜面に生々しい惨劇の跡はあった。火災の死者は10人に達した。木造建物の黒く焼かれた柱や壁面は猛火が激しかったことを示していた。認知症や身体の不自由な高齢者もいた。夜、宿直の職員は一人、「中は迷路のよう」、「夜は施錠」、こんな事実も伝えられている。

この施設は民間の無届けのものといわれるが、社会の高齢化が進む中でこのような施設は多数存在するに違いない。高齢者の人権と生命に関わる問題である。徘徊対策として夜、カギをしていたところに火が出たとすれば、逃げられずに猛火に包まれた人もいたかも知れない。県はこのような施設を徹底して調査すべきだ。公明党の国会議員の姿も見られた。(読者に感謝)

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2009年3月22日 (日)

遙かなる白根(65)序章 100キロメートル強歩序曲

周平は何かに命令されるように走った。走りながら今まで経験したことのない不思議な気持ちが心の中に広がってくるのを覚えた。「僕の脳味噌は腐っている」と言ったことがあるが、周平はいつも自分が嫌で、何故か分からないが心の中に変なものが住んでいるようで気持ちが悪かった。ところが今は違う。初めて自分の心を持ったような気分なのだ。脳細胞の奥の、いつもは眠っているふわふわした部分が蘇って自分の足を動かしているようである。それは、心の奥にもう一人の自分がいて、もやもやしたいつもの自分を押し分けて表面に出て自分の手足を動かしているようにも感じられるのであった。周平は身体の奥のわからないところから力が湧いてくるように感じて疲れを忘れて走った。周平のことを馬鹿と言った小学校の頃の同級生の顔が浮かぶ。また陰でささやいたりいじめたりしたいろいろな顔が一つまた一つと浮かぶ。周平の心に激しい怒りが湧いた。怒りはエネルギーを生んで、更に周平を突き動かした。周平は夢中で走った。

目の前にガソリンスタンドが近づいた。その回りに2、3の人家の影も見える。このあたりの集落は引沼である。その先はまた登り坂となり、道は林の中へと伸びる。曲り角の所に、カーブミラーがあって、その先に弁天食堂があった。一つ一つが見慣れた景色である。弁天食堂を過ぎて少し進むと道は、左の方向にカーブし、その辺りが明るくなっている。やがて街路灯と自動販売機が現れ、その明かりの中に、金丘屋という大きな看板が浮き出ている。引沼の商店街なのだ。山本屋酒店、清水屋商店などが並ぶ。「やったー」周平は心の中で叫んだ。

この商店街のすぐ先が花敷温泉なのだ。小さな商店街を走り抜けると目の前に道路の分岐点があった。100キロメートルのコースは、ここで国道405号線と分かれ、左折して細い下り坂の道へと進むのである。分岐点の左側に清水屋商店という立て看板があって、引沼の商店街の明かりもそこで尽き、100キロメートルのコースは岩山の中の暗闇の中へ落ち込むように伸びていた。周平は、ここで「やったー」と叫んだ。今度は、思わず口に出して叫んでいた。夢にまで見た第20ポイント・花敷ベーカリーの拠点があと数百メートル。それは、この暗闇の向うにあるのだ。最終の白根開善学校には、まだ10キロメートル近くあるが、とにかく100キロメートル完歩のための最大の関門の手前まで来た。

☆土・日・祝日は、中村紀を連載しています。雄著「遥かなる白根」

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2009年3月21日 (土)

遙かなる白根(64)序章 100キロメートル強歩序曲

山の中の物音一つしない夜の道を誰にも指図されずに一つの目的に向って走っている。それは、周平にとって自分が主役となった、かつて経験したことのない瞬間であった。苦しさを乗り越えて100キロを完歩することは、数学や英語で良い成績を取ることよりもずっと価格のあることだとお父さんが言っていた。僕は今、それを実行しようとしている。そう思うと周平の心に緊張感と共にやはり今まで味わったことのない充実感がじわじわと広がるのであった。

巡回車がまた坂の下から登ってきた。車は、「ブッ」と小さな警笛を鳴らしただけで、周平の所で速度を落とすことなく過ぎてゆく。小さな警笛は「完歩を目指せ」と励ます声に聞こえた。いままでの車は、周平の所で速度を落として周平の意志を確かめる仕草をとったのに、今の車はむしろ速度を上げて走り去った。あの車は、僕が完歩を目指すことを知っている。車が走り去ることが周平を認め、励ましているように思えるのであった。

坂道を登り詰めた先の下は白砂川の深い谷で、平らな道はここから大きく右折して渓谷に沿って伸びる。樹間から対岸の人家の明かりが僅かに見えた。京塚の集落である。谷のこちら側の行く手には世立や引沼の集落が待ち受けていた。進むにつれて、木立の陰の暗闇にうっすらと輪郭を現して佇む建物がいくつか目に入るようになった。窓から幽かな明かりが漏れている家もある。花敷に一歩一歩近づいている。国道405号に入ってから人気のない渓谷をくぐり抜け、今人々の生活の温もりが伝わってくる人里に入りつつあった。周平はわが家に近づいているように感じた。そして、走りながらこれから先のコースを頭に描いた。左下の深い渓谷を流れる白砂川は、この先で長笹沢川と合流する。その合流点が花敷温泉である。花敷温泉の所から長笹沢川に沿って進めば、すぐに尻焼温泉だ。その先の坂の上に第21ポイントの長平公民館がある。頭の中でそこまで辿るとそこで待つ母親の姿が浮かんだ。お母さんは僕がこんなに頑張っているのを知らないだろう。12時までに花敷に着いて、長平公民館まで行ったら、お母さんはどんなに喜ぶだろう。そう思うと走る足に力が入るのであった。

☆土・日・祝日は、中村紀を連載しています。雄著「遥かなる白根」

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2009年3月20日 (金)

遙かなる白根(63)序章 100キロメートル強歩序曲

 時計は11時20分を過ぎようとしている。このままのペースでは間に合わないかもしれない。去年はこの先の第19ポイント、滝見ドライブインのところで時間切れとなり、バスに乗せられてしまったのだ。周平は急いだ。ごつごつの山道で、時々突き出た石や窪みに足を取られそうになる。いつしか杖はどこかに放り出していた。

 花敷が近い。周平は走った。

 沢にかかる橋を渡る時、流れる風に乗った冷たい霧が頬を撫でて過ぎる。周平は暗い霧の中を泳ぐように歩いていた。登り坂になり、白砂川の瀬音が遠のいたと思うと、また下り坂となり瀬音が近づいてくる。その白砂川の流れの音が前方から一段と高く聞こえてきた。目の前に白砂川に架かる滝見橋があった。白砂川は前方左の深い谷を抉り、滝見橋の下で大きく曲がり込んで右手の谷に流れ下っている。滝見橋に近づくと、流れを変えた水が激しく岸を洗い瀬音は夜の谷に響いていた。

 周平はこの音に鞭打たれたように橋の手前で走り出した。昨年は、このあたりで12時となり、車に乗せられてしまったのだ。橋を渡って進むと前方は登り坂となり、道は左にカーブしている。この坂道の中腹の、白砂川に臨む高台に、第19ポイントの滝見ドライブインがあった。周平は息をぜえぜえさせながらドライブインの庭に走り込んだ。テントには数人の父母が待機している。

「周平君、急ぎなさい。急げばまだ間に合います」

テントで記録をとっている父母の一人が大きな声で言った。周平は頷いて再び暗い坂道へ飛び出して行った。この時、時刻は午後11時30分を過ぎようとしていた。花敷温泉まではまだ2,17キロメートルある。

 周平は走った。足の痛みは消えていた。滝見ドライブインから先は、大きくカーブした坂道が続き、頭上を樹木で覆われた暗い道には周平の他に誰もいなかった。暗い夜道に一人でいることが今は少しも恐くない。花敷に近づいているということもあったが、今まで味わったことのない緊張感が周平の心を満たしつつあった。

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2009年3月19日 (木)

「2月議会・小寺前知事の責任」

◇2月議会が終わった(18日)。小寺前知事が記者会見をした内容が17日の各紙で報じられたこともあって、この問題を扱った特別委員会の報告には議場の関心も高かったようだ。そして、委員長報告に対する織田沢さんの賛成討論における小寺前知事の責任に関する部分は注目された。

 織田沢さんは、昨年の9月議会における私の質問に答えた大澤知事の発言を引用し、主要部分を読み上げた。それは、小寺前知事の記者会見における抗議に対する明確な回答の意味を持つと思われるので、ここで、再現したいと思う。

「行政のトップたる者、その組織の中で起きた事は当然知事の責任であると理解しています。民間企業においても社内で起きた不祥事はすべて社長が責任をとるのは当たり前の話です」大澤知事は、土地購入につき利用目的、必要性、価格等が十分に検討されなかったことを指摘し、「土地購入の1年後には早くも小寺知事の方針が変更され、以後14年も用地を利用することもなくまたしっかりした検討もされることなく、私が知事になるまで、言ってみればタブー視され放置されてきたのが現状だと思います。知事並びに県トータルとしての意思決定の所在があいまいにされたまま、巨額の土地の買収を可能ならしめる体制、組織が運営されていたわけでありまして、出納長、部長、公社理事の任命も知事である事等から考えますと、この事についての最高責任者としての小寺前知事の責任は極めて重いと言わざるを得ません。(中略)新聞報道によりますと、小寺前知事は、公社の用地取得など個別事案に関与しない方針だったとのことでありますが、報道が事実なら、そのような発言は知事の責務を放棄していると思うし、そのような県政への姿勢がこの問題を生じさせた遠因ではないのかと考えております」

 織田沢さんは、この大澤発言に「全く同感です」と述べ、更に、日本テレビが、「バンキシヤ」の番組で、虚偽の証言に基づいた報道をした問題で、日テレの社長が責任をとって辞任したことにも触れた。久保社長は、「重大な監督指導不行き届きの責任をとりたい」と述べた。織田沢さんは、久保社長と小寺前知事を重ね合わせ比較したかったのであろう。

◇議会は、この問題のしめくくりとして、「県有地等の取得及び処分の適正化並びに有効活用に関する決議」を可決した。その中味は、「前知事の責任は誠に大きいと言わざるを得ないところ」として、次の4項目の決議事項を挙げた。①土地取得の意思決定について権限や責任の所在を明確にすること、②土地買収に際し利用目的、必要性、適地性・価格等を十分に検討しその記録及び書類を適切に保存すること、③未利用地、低利用地は処分を含め利活用等の方策を検討すること、④県が出資する公社・事業団についても土地の取得及び処分並びに保有地の利活用について、より一層の適正化を図ること。(読者に感謝)

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2009年3月18日 (水)

「人類が宇宙で暮らす日」「国会議員との懇談」

◇日本人が宇宙で暮らす時代がスタートした。国際宇宙ステーションで3カ月間の長期滞在を目指す宇宙飛行士若田光一さんを乗せたロケットが16日午前飛び立った。限りない夢と可能性を地上でしっかりと受け止めなくてはならない。

 私は、この議会で、群馬天文台を子どもたちの理科離れ解決策に活かすべきだと主張した。

理科離れは深刻だが最大の原因は、理科が面白くないことである。理科の教室にわくわくする感動を持ち込んで子ども達に夢を与えることが大切だ。天文台の存り方が批判を受けているが、専門家が学校に飛び出して易しく宇宙を語るなら子どもたちの瞳は輝くに違いない。

 人類が初めて月に一歩を記してから40年が経った。この間の、人類の宇宙への関心の高まりと技術の発展は目ざましいものがある。人類が本格的に宇宙空間で暮らす時代が近づいている。遠い未来、人類は太陽系から抜け出して他の惑星に移り住む日が来ると科学者は考えている。

 宇宙開発の先頭に立つのはアメリカである。アメリカは、未来を見詰めて夢を追う点が素晴しい。オバマを誕生させたアメリカンドリームの国は、遠い惑星の知的生命を求めるロケットを既に旅立たせている。夢は人々にフレッシュなエネルギーを与える。平和国家日本、科学立国日本は、宇宙に目を向けなくてはならない。

◇若田光一さんは、今回の宇宙滞在に関し、宇宙が限りない夢を与えてくれる創造の空間であるという思いを抱いているという。

 若田さんが属する宇宙航空研究開発機構では重要は長期ビジョンを発表している。その中には、宇宙と地上の観測網により地震や津波などの大災害に関する最適な情報を個人の携帯端末に伝えるシステムを世界に先駆けて実現する、宇宙機器産業と宇宙利用サービス産業を日本の基幹産業に成長させる、太平洋を2時間で横断できる極超音速機の技術をつくりだす、などをあげている。限りない宇宙は地上の限りない夢と結びついている。若田さんの旅立ちは、限りない夢の中につき進んでいる。

◇国家議員と県議団の会合が伊香保のひびき野で行われた。国会議員では党総務会長で県連会長の笹川さん、それに尾身さんが参加した。どちらも話題の人である。

 笹川さんは、衆議院の解散は海水パンツの頃と語っていた。尾身さんは、国際競争力調査会の中心としてまとめた中間提言の資料を配布した。その中には、羽田・成田間をリニアモーターカーで結び約15分で移動できるようにし、国際空港と国内空港を一体化させる構想がある(総工費約2兆円)。100年に一度の大恐慌に対応するため、当面、内需主導の景気回復を優先するという考えであるが、同時に国際競争力の強化を狙うものである。(読者に感謝)

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2009年3月17日 (火)

「妻の頭痛に付き添う」「性教育と不当な支配」

◇妻の頭痛は長い。散歩が出来るようになり、たまに車で外出できるようになり、少しはよくなったかと思っていたら、最近また深刻な状態である。万策尽きた思いで、ペインクリニックのブロック注射という治療法を試そうかということになり、県病院局に相談し、心臓血管センターの麻酔科のドクターに会うことになった(16日)。私も同伴し、妻の隣りから、「危険性は」とか、「先生から紹介して頂けますか」などと口を挟む。ドクターは誠実に対応してくれた。頭痛の事で妻に付き添って医師にあったのは初めての事である。私は、この診察室から何か明るい道が見つかるような感じを抱いた。妻は、この日の午後、紹介されたペインクリニックを訪ねた。ブロック注射は危険性があるのでやらないが、他の方法があるらしい。医師は、「もっとはやく来ればよかったですね」と話したという。「自信がありそうでした」と妻も期待をのぞかせる。女房が青息吐息だと力が出ない。たまに頭の中が晴れた日に見せる妻の笑顔は青天の太陽のように私に勇気を与えてくれる。経過はまたブログで書きたいと思う。

◇また死刑判決が出た。07年に香川県坂出市で当時58歳の三浦啓子さんと2人の孫の姉妹を殺した知的障害がある川崎政則被告に、16日、高松地裁は死刑を言い渡した。

 最大の焦点は責任能力の有無だった。弁護側は、犯行を自らの意思で踏み止まる力が弱かったことを主張したが、裁判長は、精神科医の鑑定結果を容れて完全責任能力があったと判断し「人間性のかけらも見い出せない」として死刑を言い渡した。弁護側は控訴した。この日、約500人が傍聴席を求めて列を作ったという。関心の高さをうかがわせる。

 この事件を裁判員が判断したらどういう結論を出すであろうか。3人を殺した結果の重大性と知的障害がある点をはかりにかけて迷うのではなかろうか。それにしても死刑の判決が多い。

◇性教育判決で東京地裁は、都議等の行為は、教育への不当な支配に当ると指摘し賠償を命じた。問題の難しさにうーんとうなってしまう。東京都内の養護学校で、性教育を視察した都議会議員が教員を非難した。

都議などは性器のついた人形などの教材を見て性教育の方法が不適切だとして、女性教員に対し、「こういう教材を使うのはおかしいと思いませんか」、「感覚が麻痺している」、「常識では考えられない」といって非難した。

女性教員は、性器を教材と信じたが、都議たちはわいせつ物と考えたに違いない。私は昔、ある県議が性器をリアルに描いた性教育の小冊子を議会に持ち込もうとした時、神聖な議場を汚すとして認めなかった例を思い出す。その時は、資料だから構わないと思った。

東京地裁は都議などの行為を、政治的な主義・信条に基づく学校教育への介入であり、教育への「不当な介入」だと判断した。教育行政への影響は大きい。(読者に感謝)

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2009年3月16日 (月)

「疑惑の特別委員会の報告書」「神社例大祭で思うこと」

◇疑惑の追及を主目的とした特別委員会が終局を迎えた。一年間、計13回に及んだ委員会の記録は、335頁の大部のものとなり、委員会報告書として腰塚議長に提出されることになった。

 この報告書には、様々な事実と問題点が盛り込まれている。それは、単に疑惑に関することだけでなく、行政・議会の役割、行政トップの責任、行政改革が抱える問題点等に及ぶ。これらを今後いかに活かすかが行政と議会にとって最大の課題になる。そして、その事を明らかにした事が特別委員会の大きな成果である。

 長い間、15人の委員は真剣に取り組んだ。14年も経過しているという壁に拒まれながらも明らかになった意外な事実も多くあった。

 これらの事実や問題点を県民に分かりやすく説明することが私たちがこれから行うべき第一の任務だと思う。大体のことはマスコミによって報じられてきたが、私たち議員の視点に基づいて、私たちの伝えたい事を報告することに大きな意味がある。この報告会の実行をいま検討している。

◇総社神社の春季例大祭が行われた(15日)。神社本庁の使者を先頭に進んでくる神官達を私たちは参道に立って迎えた。樹齢何百年という神木の欅の上空には澄んだ青空が広がっていたが流れる空気はまだ冷たい。一段高い所にある儀式の間は北風を受けて身を切るように寒かった。儀式の間、神様のいる北側の本殿との間を閉じることは出来ないからである。

 野菜や果物の供物を見て、これが農耕民族の神が求めるものだと思った。のりとや笙(しょう)の音を聞きながら、私は今月のふるさと塾のテーマである、アステカの神のことを考えていた。カトリックを信奉する侵略者コルテス達を驚愕させたことは、生きた心臓を神に捧げる生贄の儀式だった。

 アステカの人たちの神話では、神は人間を作るために自分の血を差しだしたとされる。そこで、その返礼として、神に喜ばれる捧げ物は人間の血と肉だと人々は信じた。そしてこの考えに独特の宇宙観が結びついていた。神がつくった太陽が力尽きて昇らなくなったら全ては終りである。力をつけるために、生命の源であるドクドクと動く心臓を捧げなければならないというのだ。私たちの神はせいぜい北風の寒さに耐えることを求める優しい神であると思った。

直会(なおらい)の席で私は代表して、今年の大祭はこの不況の中で特に重要であること、そして激変する時代にあってこのような伝統の行事は地域社会の安定のためにますます大切であると述べた。

◇メディカル専門学校の第一回卒業式に出た。設立時難産の学校であったが3年が経った。私は挨拶で、鍼灸学科、柔整学科で学んだ東洋医学の大切さを述べたが、学園長は、人の身体に触れる仕事なのでモラルを守り問題を起こすことがないようにと話していた。卒業式でずばりと卑近な話をすることに驚いた。(読者に感謝)

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2009年3月15日 (日)

遙かなる白根(62)序章 100キロメートル強歩序曲

周平は時間がないのに気付いていた。JR六合山荘をすぐに出発して坂道をしばらく進むと、道は二つに分かれている。この分岐点のあたりを荷付場といった。国道292号線をそのまま直進すれば草津温泉である。そして、右折すればそこからは、国道405号となり、道は白砂渓谷に沿って北上し、花敷温泉を経て、野反湖に至るのである。周平は右折して国道405号に入った。分岐点から、道はやや下り坂となり、進むに従ってまた途絶えていた白砂川の流れの音が聞こえてきた。夜の森に川の音だけが鮮明にざあざあと響いている。白砂渓谷には、大小さまざまな沢の流れが合流している。荷付橋、湯川橋、境橋と沢にかかる橋を越えて進むにつれ、道は次第に細く険しくなった。いよいよ六合村の奥地に入りこんだのだ。周平の疲れた心に白砂川が「お帰りなさい」と呼びかけている。

 学校のバスが登って行く。一台また一台と。バスは子どもたちに近づくと速度を落とし、その様子を見てまたゆっくりと過ぎてゆく。コース上の動きが慌ただしくなっていた。100キロメートル強歩が大詰めに近づいているのだ。山の天気は変化して白砂渓谷には濃い霧が流れていた。車の光線を受け、乳を流したように漂う霧の中を影絵のような子ども達の姿が次々と現われる。大地に重くはりつく足を引きはがすようにし一歩一歩ゆっくりと歩いている姿がある。また、腰を曲げ、這うような格好で歩く子どもがいた。ライトに照らされたその表情は、少年の顔ではない。それはぎりぎりのところで頑張る思い詰めたような人間の顔であった。その中に泳ぐように進む細い女の子の影があった。あの茶髪でピアスをした女の子である。その後を杖をついた少年の影が続く。周平の姿であった。

一台のバスが下って行った。「ブーブー」細い道をバスが行き交う。周平のすぐ後ろで擦れ違ったバスが登ってゆく。中にはかなりの子ども達が乗っているようだ。続いてまた一台が登ってゆく。100キロのコース上に展開していた学校のバスが任務を終えて引きあげてゆくのだ。深夜の白砂渓谷に緊張感が走っていた。一台のバスが近づいてきて周平の所で速度を落とした。周平は車の方を見ずに歩き続ける。車の窓が開いて叫ぶ声が聞こえた。

「周平、12時が近い。急げ」

窓の声は周平の耳に強い一撃を加えた。周平は過ぎてゆく車の明りで時計を見て事態の重大さを知った。

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2009年3月14日 (土)

遙かなる白根(61)序章 100キロメートル強歩序曲

テントで待機する父母達の緊迫度も増していた。旅荘の客らしい人も出てきて応援している。

「3人ほど登ってきまーす」

 誰かが叫んだ。坂の下の闇に懐中電灯の微かな光が揺れている。ばらばらと人々が道路に飛び出していった。

「頑張ってー」

「もう少しでーす。頑張ってくださーい」

人々は小さな光に向かって叫ぶ。豆粒ほどの光は次第に大きくなって、やがて光の輪の背後の黒い影がゆっくりと近づいてきた。

「あっ」

誰かが叫んだ。背の高い先輩が後輩を抱きかかえるようにして歩いていた。重なるようにして一つになったその姿に人々は驚きの目を向けたのであった。

「今年は、この子をどうしても完歩させます」

のっぽの少年は、僅かに唇を開いて言った。

二人の後ろに、腰を曲げて老人のようによろよろと歩く子どもの姿が続いた。

「また、二人近づいていまーす」

 到着した子等を迎え入れていた女性がテントに向って叫ぶ。光と共にコツコツという杖の音が近づいてきた。杖の主は周平であった。

「周平君、頑張ったね。もう少しですよ」

 迎え入れた女性は、周平に手を差し出して言った。周平は無言のまま女性に従ってテントに入った。

時計の針は、午後10時40分を指していた。第17ポイントからここまでに周平は予定より多くの時間をかけてしまった。途中どうしても足の痛さに耐えられず、道端に腰を下ろし休んでしまったのである。周平は靴を脱いで痛い所をさすった。側にある拳ほどの石を拾って足の裏を叩いてみた。それから尖った部分を痛い所に、ごりごりと突き立てた。どういうわけか大変気持ちがいい。それを繰り返している中に、不思議なことに痛みが少しずつ消えてゆくのであった。それから周平は遅れを取り戻すために速度を上げてこのJR六合山荘にやっと辿り着いたのであった。

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2009年3月13日 (金)

「金元死刑囚・狂気の独裁国家北朝鮮」

◇金賢姫が22年ぶりに新聞、テレビを騒がせている。大韓航空機爆破事件は、アジアで東京についで2番目となったソウルオリンピックの前年に起きた。実行犯の一人である金賢姫の自白により、北朝鮮によるオリンピックを妨害するための犯行と判明、世界は騒然となった。自殺防止用のマスクをつけられ、両わきを抱えらえてタラップを降りる女性の姿を私ははっきり覚えている。25歳、蜂谷真由美と名乗る女性は大変な美貌と当時の新聞は報じた。

 後にこの女性の自白から、信じられない衝撃的な国家による犯罪が明らかになった。北朝鮮は、この20世紀において国家の行為として犯罪を犯す国なのだと私は確信した。そして、民間人が乗った航空機を爆破するのだから、他国に潜入して日本人を拉致する事位は平気でやってのける恐ろしい国なのだと思った。

 1987年11月29日、115人を乗せた大韓航空機は、インド洋ベンガル湾上空で爆破され、機は空中分解され、遺体も粉々となり完全な形のものは一体も発見されなかったといわれる。

 この航空機に乗った2名の男女が、爆破の直前、経由地のバーレーンで降り、ローマ行きの飛行機に乗り換えようとしているところを拘束された。男は、事情聴取されるときタバコを吸うふりをして、カプセル入りの毒を飲んで自殺、女も服毒したが一命を取りとめた。2人は、北朝鮮工作員の金賢姫(当時25歳)と金勝一(当時69歳)で、彼らは金正日の「ソウルオリンピックの妨害のため大韓航空機を爆破せよ」との命令に従ってテロ行為を実行した。

 金賢姫は外交官の父を持つ恵まれた家庭の出身で、子どもの頃から美貌で知られ南北会談の折に、花束贈呈役をつとめたりした。平壌外国語大学日本語科に在籍中に北朝鮮の工作員としてスカウトされた。

 この事件が北朝鮮の犯行であることが明らかになると、ソ連や中国など当時の社会主義国からも北朝鮮は「卑劣なテロ国家」とみられるようになり、北朝鮮の狙いに反して社会主義国もオリンピックに正式に参加を表明した。

 昨年の北京五輪もチベット暴動など、さまざまな出来事があって開催が危ぶまれたが、ソウル五輪も開催までに大変な出来事があったことが今さらのように思われる。

 金賢姫は韓国の裁判所で死刑の判決を受けたが大統領により特赦を受けた。昔、拉致被害者の田口八重子さんから日本語を学んだとされる金賢姫元死刑囚は47歳になっていた。

 誤った国家体制の下で飢えと寒さに苦しむ北朝鮮の国民は気の毒だ。グローバル化が進む中でますます孤立していく独裁国家は、追い詰められた狂犬が牙をむくようにミサイルを発射しようとしている。国民を欺いて独裁を貫くのもそろそろ限界に近づいているのではないか。百年に一度というこの不況は、北朝鮮の人々にどのような影響をおよぼしているのか気になる。(読者に感謝)

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2009年3月12日 (木)

「凶悪な少年事件と被害者参加制度」

◇教材にもなる少年の凶悪事件だ。7人の少年は玉村町の駐車場で被害少年に殴るけるの暴行を加えた。この少年は前橋市民文化会館の駐車場で意識不明の状態で発見され、一週間後病院で死亡した。本人も家族もさぞ無念であったろう。

 少年法は、少年の将来性を考えて刑罰よりも保護による矯正を原則としているが、少年の凶悪事件が増える社会状況の中で少年法は厳罰化の方向で改正された。16歳以上の少年が故意で人を死亡させた場合、原則として、家庭裁判所から検察官に逆送して刑事裁判にかけられるのである。玉村町で集団暴行を加えた少年たちは、強盗致死罪、傷害致死罪の容疑で前橋地裁に起訴されていた。

 この少年事件につき新たに注目される動きが報じられた。それは、被害少年の両親が公判への参加を申し出て、前橋地裁はこれを認める決定を下したことである。母親は「息子がなぜ死ぬまで暴行を受けなければならなかったのか、公判で少年らの目的を直接聞きたい」と話したと伝えられる。

 被害者参加制度は、07年、国会で成立し、08年12月1日に施行された。これは、裁判員制度対象事件や業務上過失致死傷等の事件について、被害者や遺族が裁判所に参加を申し出た場合に、公判への出席、被告人に対する質問、証拠調べ後の意見陳述などを認める制度である。

 この意見陳述では求刑も含まれるため、最近の裁判では、怨みをむき出しにした遺族が死刑を望むという処罰感情を述べる場面がよく伝えられる。このことは、間もなく始まる裁判員制度に関して重大な意味を持つに違いない。なぜなら、一般市民である裁判員は、遺族や被害者のこのような処罰感情に大きく影響を受けると思われるからである。このような状況の下で公正な裁判が実現出来るのであろうか。裁判員制度による裁判は、5月から始まるのである。

◇11日の常任委員会で私は、公益通報者保護制度、財政健全化法のこと、天文台の活用と理科教育などについて取り上げた。

公益通報者保護とは内部告発者を守ることである。様々な企業の偽装等が明るみに出るのは内部告発がきっかけである。私が取り上げたのは県庁内部の告発者保護についてである。制度を始めてから3年間に告発例はゼロだという。

制度が機能していないから改善すべきだというのが私の考えである。疑惑追求の特別委員会で様々な事実が明らかになったが、この制度を利用した職員の自発的な動きは見られなかったのである。

担当課長は、受付けの窓口を総務部から外部の弁護士に移す、弁護士に通報する時は身分を明らかにする必要があるが、弁護士から庁内に連絡するときはその身分を明らかにしなくもよい、というように制度を改めると答えた。この制度も、県政の透明性を高める一手段であり、行政改革の一環なのである。(読者に感謝)

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2009年3月11日 (水)

「裁判官の犯罪」、「揺れる指定管理者制度」

◇「司法に対する信頼を大きく傷つける事態が再び引き起こされたことは誠に遺憾だ」。最高裁のコメントである。先月、準強制わいせつ罪で起訴された福岡高裁の一木泰造判事の件である。容疑では、高速道路のバスの中で寝ていた女子短大生の下半身を触ったとして準強制わいせつ罪に問われている。

 「再び」とは、まだ記憶に新しい事件で、裁判官がストーカー行為をしたとして訴えられ、弾刻裁判所で罷免された件を指す。この時、罷免された元裁判官は裁判員制度の開始を前にして司法の信頼を傷つけてしまったと反省の意を現わしていた。

 一木判事の件に、またかという感を強く抱く。最高裁は、9日、国会の裁判官訴追委員会に罷免のための訴追を求めた。訴追委員会が訴追を決めれば、国会の弾刻裁判所で罷免すべきかどうかの裁判が始まる。

 人を裁く立場にある裁判官の身分は強く保障されている。さもなければ、公平な裁判を行うことが出来ないからである。そこで、憲法は、裁判官が身分を失う場合を二つに限っている。一つは、心身の故障のため職務を行うことが出来ないと裁判により決定された場合、そして、もう一つが弾刻裁判である。

 弾刻裁判所は、国会の中に設けられ裁判員は議員の中から選ばれる。弾刻に当る事由は著しい職務上の義務違反、甚だしい職務怠慢、著しい威信失墜行為と定められている。バスの中で女性の下半身を触るなどは、裁判官の威信を失墜させる最たるものである。

 モラルが崩れていく社会の最後の砦が裁判所である。その裁判官がこのような事態を頻繁に起こすことは、「世も末」なのかもしれない。私の事務所を訪ねた人が、この事件を指して「世も末」と言っていた。また、ある人は、「こういう裁判官がいて、裁判官に任せられないから民間人が入る裁判員制度が始まるのですか」と言っていた。ひやっとさせられ、笑っていられぬ発言だと思った。

◇指定管理者制度が揺れている。10日、常任委員会開始前に自民党県議団総会が開かれ、指定管理者制度に関する判断は各委員会に任せるということになった。「県立群馬の森」は、この日の県土整備常任委員会で、指定管理制度から除外され県直営に戻る方向となった。

 指定管理者制度とは、自治体設置の公の施設を民間企業、公益法人、NPOなどに管理運営を任せるもの。行政改革の一環であり、コスト面も含めて効率的になりサービスも向上することが期待されている。

 県議会では民間業者が外され県OBが代表を務める協会が管理者の候補に選任された点等に批判が集まった。しかし、特に文化施設については、「民間」とか「コスト」を重視し過ぎてはならない。施設の使命、役割がよりよく果たせるかが基本なのである。議論を深めてこの制度を活かさねばならない。(読者に感謝)

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2009年3月10日 (火)

「浅間のマグマを透かし見る技術」・「道州制」

◇「ヒツシホ、ヒツシホ、ワチワチ」火口から迫る熱泥流の異様な音を当時の人々はこのように表現した。天明三年の浅間爆発の惨状は正に想像を超える地獄で、嬬恋村誌によれば死者は640人に達した。大噴火の前兆は3ヶ月も前から起きていたが当時の人々にとってなす術はなかった。今日の技術をもってすればこのような被害は避けられる筈である。

今年になって浅間山の動きが活発になっている。大火山が本格的に目を醒ます前兆かどうかは分からないが、備えを怠ってはならない。吾妻郡出身の萩原議員は、浅間の山麓には大変多くの別荘があるが状況の把握と対策は大丈夫かと質問し、私は先日の総務企画常任委員会で最新技術による火山の危機管理について質した。

私が取り上げたのは、東大地震研が開発した火山内部のマグマを透かし見る技術である。宇宙から降り注ぐ素粒子「ミューオン」は地球を貫くから火山の内部も通り抜ける。しかし、マグマに当ると微妙に変化することから、マグマの状態がレントゲンで写すように分かるらしい。

 東大の地震研究所は、昨年秋から、浅間山の東方1.2キロの位置にこの装置を設置してマグマの動きを観測している。

 日本独自のこの技術を今後、海外の火山観測にも役立てる方針だという。まず、今年4月、ポンペイの遺跡で名高いイタリアのベスビオス火山を観測する計画といわれる。大災害を繰り返してきた世界の火山の生の動きを日本の技術で事前にキャッチ出来ることは素晴しい。

◇道州制が本会議で、毎回取り上げられるようになった。群馬県が近い将来なくなるかもしれないのだから、県議会で問題にするのは当然のことだ。これまでも、原県議が群馬の地に州都を実現するために今から動きを起こして備えるべきだと主張したことがあった。今回の本会議でも、萩原県議が稲山副知事に見解を求め本県の取り組みについて質した。

 本県では、道州制研究会を作って情報を集め問題点の検討等を行っている、また、道州制は新しい国のかたちを創ることであり国と地方の役割を見直して地方分権を進めるものだと副知事は答えた。

 国は10年後の導入をめざし、経団連会長の御手洗さんは道州制は、ぜひとも実現させたい私の夢であると語る。

 道州制の基本的な狙いは、東京集中、霞が関主導から道州主導の国をつくることによって真の地方分権を実現することである。道州という大きな力をもった自治体がその広域圏の特色を活かした広範囲の内政を行うことになるから、国は、外交、防衛、司法など本来国が行うべき任務だけを担うことになる。国会議員の数や現在の各省庁が途方もなく削減される。道州制は、国と地方のあり方を根本的に問い直す問題である。(読者に感謝)

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2009年3月 9日 (月)

「予算特別委は知事が出席して。大麻の害は少年にまで」

「予算特別委は知事が出席して。大麻の害は少年にまで」

◇この議会中に予算特別委員長の選任が行われ私が選ばれた。6日の特別委は、執行部から、大澤知事、茂原、稲山の両副知事、そして、各部の部長等が出席した。知事が出席する委員長は、この会だけである。

 私は冒頭、大要、次のような挨拶をした。「未曾有の不況で税収が大きく落ち込んでいます。財政健全化法が出来、地方の財政をしっかり守っていかねばならない時であります。歳出を厳しくチェックして、限られた予算を有効に使うために、この委員会の役割は極めて重要です。このことを念頭に置いてしっかりと審議してまいりたいと思います」

 この日、傍聴者が定員を超えるらしいという話が担当書記から入った。かつては、委員会は非公開であったが、開かれた議会を進める議会改革の動きの中で、傍聴を認めることになり、定員は5人となっていた。通常どの委員会でも、傍聴はほとんど見えない。

 私は、「委員会傍聴規則の規定を適用し定員を超える傍聴を認めることにしたい」と提案し、意義のない事を確認した。

 情報では、傍聴者の何人かは山本龍議員の支持者との事であった。龍ちゃんの質問ぶりは傍聴者を意識してかテンションがワンランク上がって選挙の時のパフォーマンスを感じさせるものであった。面白かったのは、財源確保策として、知事などの公舎を賃貸マンションに集約したらどうかという提案であった。

◇大麻の広がりは異常だ。高1、16歳の少年が、4日大麻取締法違反の現行犯で京都府警に逮捕されたと報じられた。これまで、有名大学の学生の逮捕が、次々に報じられることから、逮捕に至るのは氷山の一角で大学生の間の広がりは想像以上のものに違いないという感を抱いていた。

 大学生の姿は、中学生、高校生にとって、手本であるから大きな影響を与えることは必至である。高1の逮捕は起きるべくして起きたと思われる。有名な大学の学生が多く大麻を吸っているということは、後に続く少年たちの規範意識を益々希薄なものにする。

群馬県の少年たちは大丈夫なのか。現在のような社会状況下では決して安心できないと思う。警察・教育委員会は連携を密にして大麻を中心にした薬物教育を小学生の段階から徹底して行うべきである。

その際重要なことは、大麻に接することの違法性と有害性をよく認識させることだ。大麻をみだりに所持、使用した者は、5年以下の懲役に処せられる。有害性については、小学生低学年から発達が始まる脳の重要部分に重大な悪影響を及ぼし、一回の薬物使用でも脳内にその痕跡が刻まれるといわれる。

本県では、昨年レイブに参加した前橋の女性が薬物中毒で死亡した事件以来、若者の薬物乱用の場となるレイブ追放と自治体・地域住民連携の薬物乱用防止の気運が高まっているが、しっかり取り組まないと大変な事になる。(読者に感謝)

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2009年3月 8日 (日)

遙かなる白根(60)序章 100キロメートル強歩序曲

  長野原との境をなす峠の切り通しからは道はだらだらとした下り坂となり、しばらく進むと白砂川の瀬音がざあざあとはっきり聞こえた。六合村に入って初めて聞く白砂川の音。それは懐かしい故郷の音であり、周平を勇気づける音であった。この音は花敷温泉まで続いている。そう思うとゴールがぐっと近づいたように思えた。出立大橋を渡り白砂川の右岸に出るとなだらかな坂道が続く。黒い塊のようなカーブをまわると、前方に第17ポイントの青年婦人会館の明かりが目に入った。

六合村大字日陰の青年婦人会館は国道沿いにぽつんと立つ村の小さな集会所である。周平はここに午後9時35分に到着した。この時点で100キロメートル強歩参加者134名中、ワープまたはリタイアした者は合計54名にのぼっていた。この強歩で「完歩」と認められるためには、まず、第20ポイントである花敷温泉の花敷ベーカリーに午後12時までに着かなければならない。この青年婦人会館から花敷温泉までは、また約10キロある。ここでゆっくり休んでいる余裕はなかった。周平は、痛い足を揉んだり叩いたり、テーピングしたりといった応急の手当てを終えて、再び白砂川に沿った国道292号を辿り始めた。花園大橋を渡り六合村役場を過ぎ、単調な登りの道はどこまでも続く。

周平は腕時計をチラと見た。12時までに、あと2時間と少し。去年の悔しかった情景が蘇る。花敷温泉まであと僅かの所で12時になって車に乗せられてしまったのだ。今年はそのようなことがないように、歩く速度を上げて余裕をもって花敷に着こうと計画していたのに、また時間がたりなくなりそうだ。周平は、総合課の2、3の仲間と歩いていたが、仲間を追い越して先頭に出た。心が逸る。足が痛いなどと言っていられないと思った。

青年婦人会館から4,18キロの所に第18ポイントのJR六合山荘があった。ここは旅荘や売店もあるかなり広い一角であり、テントが張られ学校のバスも出入りする100キロコース上の重要拠点であった。スタート地点からここまで約85キロ。この間多くの子ども達が力尽きて戦列を離れた。歩き続けている者もほとんどは疲れ切っている。テントの側では焚き火を囲む子どもたちのさまざまな表情があった。虚ろな目で黙って火を見つめている顔。また、これから歩くコースを頭で辿っているのか、仲間が出てゆく方向へさっきからじっと視線を投げている顔。それぞれの顔にはそれぞれの苦闘の姿が刻まれている。

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2009年3月 7日 (土)

遙かなる白根(59)序章 100キロメートル強歩序曲

僕はあの人たちに勝った。周平は車の光が見えなくなったとき、ほのぼのとした温かい充実感が心に湧いてくるのを覚えた。

長野原町と六合村は険しい山で分けられている。周平は暗い夜道をかなり歩いたが、六合村に入るにはまだ長い坂道を越えなければならなかった。坂の登り口の所に第16ポイントの貝瀬集会所があった。集会所の前では当番の父母達が火をたいて子どもたちを迎えている。

周平たちは歩いているので汗を流すほどであるが、気温はかなり低いのである。100キロのコースの上で初めて見るたき火であった。いよいよ六合村に入るのだ。

貝瀬集会所を後にして周平は登り坂にかかった。ゆるやかな登りの道はやがて急な坂道となり、真暗な山の斜面を巻くように森の中を上へ上へと伸びる。白砂川の瀬音も微かになり、ついに聞こえなくなった。周平の前を行く懐中電燈の光りがふと見えなくなった。周平は汗を拭きながら顔を上げて前方に目を凝らした。空間の一角がぽおっと白んでいる。少し進むと、目の前は峠の頂きで、左右の黒い岸壁の間に夜空がのぞいていた。周平はいそいで峠の切り通しの所へ出た。眼下に大きな黒い空間が静かな湖のように広がっていた。湖底の深い所であちこちに小さな光が見える。白砂川に沿って点在する集落の明かりである。今朝ここから見た六合の村々が静かに眠っている。歩き通してとうとう僕たちの村に帰ってきた。白根開善学校はあの辺りか。周平は北の方向に視線を向けて思った。このとき、忘れていた足の痛みがまたずきずきと始まった。

遂に六合村に入る

周平の足の痛みは次第に増してゆくようであった。今朝、六合村で早くも始まった足の痛みはその後の道中で大きくなったり小さくなったり、消えたかと思うとまた頭をもたげ複雑な変化を見せていた。周平は自分の足に得体の知れない虫が執念深くくいついているのかと思った。時に痛さを忘れて気持ちよく歩いていると、それを責めるかのようにその虫は足の裏の表面から肉の中まで食い込んでずきずきと神経を痛めつけるのであった。

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2009年3月 6日 (金)

「中国の賓客、宥座の器、私の中国語」

◇山東省人民政府外事弁公室室長で対外友好協会会長の張偉齢女史の日本語は流暢で日本人と全く変わらない。5日午後、私たち日中議連は、中国人訪問団を県議会議長特別応接室で迎えた。この日の会見の発端は、平成19年に福田前総理が総理大臣として山東省を訪問した際に、群馬県との交流を提案したことに遡る。以後、平成20年3月には山東省政府外事弁公室の3名が県庁産業経済部を訪れ、同年9月には県生活文化部長が山東省を訪ねた。

 このような相互交流に、日中議員連盟としても役割を果たしたいという思いで、かねてから山東省訪問を計画していた。いくつかの選挙があったりして計画がスムーズに進まなかったが、3月30日から4月2日迄の3泊4日の日程がようやく決まった。今回の訪中の主な目的は山東省政府の訪問であるが、世界遺産の孔子廟も見ることになっている。

 日中議員連盟は、日本と中国の交流を県会議員として推進し県政に寄与することを目的とする団体で、現在28名が加盟し私が会長を務める。これ迄の主な活動としては、昨年の県立女子大と大連外国語学院の提携に中心的な役割を果たしたことなどが挙げられる。

 この日の訪日団との会見では、先ず私が挨拶した。私の中国語は、暗記したセンテンスを機械が再生するようなものだが、強心臓を支えとして、数多くの場で実行してきた。張さんに、「きれいな中国語ですね、どこで習ったのですか」といわれて戸惑う思いであった。

 私たちは、山東省訪問の日程を説明し、張さんたちは、楽しみにお待ちしますと言った。

2009306_2 ◇中国の客を迎える議長応接室に奇妙な銅(あかがね)の工作物が置かれていた。館林市在住の「現代の名工」・針生清司氏作の「宥座の器」である。針生さんが13年の歳月をかけて完成したこの「器」を針生さんのご好意と間に入った須藤和臣議員の尽力により訪中の土産として持参することになった。張さんは、孔子廟の博物館に展示すると言った。宥座の器を説明しよう。銅(あかがね)の壷は口を斜め上に開いて2本の鎖によって吊られている。適量の水をすくって入れると口はまっすぐ上を向いて姿勢を正したが、更に水を加えると口は下を向いて水はこぼれ出してしまった。孔子は、宥座の器を見て「満ちて覆らない者はいない」と弟子たちに諭(さと)したという。つまり、孔子は、中庸の徳・謙譲の徳の大切さを、この器によって教えたのだ。針生さんは孔子以来長い年月が経ったが機能する宥座の器がないことに目をつけ試行錯誤を経てこれを完成した。現在、館林市役所に展示され、世界遺産厳島神社にも献納されている。また中国では既に孔子の77代直系孔徳成氏に寄贈されている。非常にシンプルに見えるが精巧な技術の結晶であることが分かる。心の貧しさを歎(なげ)く今日、孔子の教えを現わす器を創ることは素晴らしい。また、物づくり群馬を世界に示す貴重な機会となる。(読者に感謝)

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2009年3月 5日 (木)

「疑惑追及の特別委に幕・その総括がなされた」

◇約1年間、計11回にわたる審査の幕を閉じる時が来た。執行部の幹部は、長い年月を経た事が壁になったと感想を述べたが、茂原副知事は、表に現われない裏側に測り知れない大きな事実があることが分かったと述壊した。また、ある野党の議員は、大澤知事が小寺前知事の責任は極めて重いと明言したことが最大の成果だったと振り返った。

 私は、最後に聞きたいことがあると言って発言した。大澤知事は、私の質問に答えて小寺前知事の責任は重大だと明言したがその責任とは、法的にどういうものか明らかにする必要があると思うが、執行部はどう考えているのか、民間の企業なら経営のトップは、背任罪に問われることもあるし、厳しく経営者責任を問われる、公務員の場合、地方自治法、地方公務員法、地方財政法などいろいろな法律があるが、前知事の責任はこれらの法律との関係でどうなるのかと質(ただ)した。

 これに対し、総務部長は現在調査中であると答えたので、私は重ねてその結果を我々に報告して欲しいと求め、委員長も、そのことを確認した。

◇織田沢委員が副委員長として総括意見を述べた。その要点は、元総社町の県営住宅用地、下大島町のみづき野住宅用地、元総社町芦田の東芝南の土地などの購入に関する元県議の不当な働きかけや行政側の不可解で不透明な働きに対する指摘である。

 この中で、元総社の県営住宅用地については、特にスペースをさいて次の点を強調した。平成6年の購入額は10億8千万円だったが、平成20年の不動産鑑定額は5億3千万円となり、差額7億8千万円が損害額となった。この土地は上空には高圧線があり、一級河川で分断され、県営住宅用地として甚だ疑問の土地である。そして、購入先は当時の高木県議の親族企業で、以前に国土法違反によって全国で初めて告発された企業である。これらの点について誰からの発言もなく、問題にされなかった。更に購入の1年後に小寺前知事は、県営住宅を建てないことに方針を変え以後14年間も土地を放置した。

織田沢副委員長は、更に次の事実も明らかにした。それは、この元総社の土地には多額の根抵当権が設定されていたが、二重譲渡の手法を使って、根抵当権の抹消及び多額の差益を生み出したことである。

◇実は、この委員会の冒頭、この二重譲渡に不当に関し名義を使われたという人の委員長宛文書が読み上げられた。石井久氏という人は、高木建設に元総社の土地を売った一人であるが、同氏の署名と印が偽造されて、同じ土地を津久井建設に二重譲渡されたことが判明した。石井氏は全く身に覚えがないと怒りを現している。なお茂原副知事は、石井さんの訴えは大澤知事にも出されていることを明らかにした。

特別委員会は終わるが、未解決の問題は引き続き関係する各委員会で取り上げていくべきだと私は主張し、同意を得た。(読者に感謝)

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2009年3月 4日 (水)

「常任委員会、県民に知らせたい事がいっぱい」

◇私が属する総務企画常任委員会では、3日、県政の重要課題が多く議論された。その中から私が取り上げたことをいくつか紹介したい。

 県は、新エネルギー計画として、マイクロ水力発電、畜産バイオマスエネルギー利用、バイオディーゼル燃料の利用を推進する。

 マイクロ水力発電は、私の家の近くにも既に大正用水を利用した小坂子発電所が動いているが、他に県内では7箇所に設置されている。小さな水流の落差を利用して発電機を回し電気を作る。重油を使わないからCO2を出さない。クリーンなエネルギーである。

 小坂氏発電所では、170軒分の電力、年間62万4千キロワットを生産する。重油を使う火力発電でこれを生産する場合、ドラム缶790本分の重油を使い、発生するCO2は240万トンになるという。

 本県には、マイクロ水力発電に適した水流は限りなくある。県は、今後5年間で10ヶ所作る予定だという。私はもっと高い目標を立てるべきだと主張した。

 畜産バイオマスエネルギー計画は、家畜排せつ物をガス化させてエネルギーを取り出すもので、今後5年間以内に赤城山南面地域の大規模農家へ優先して導入しようとしている。また、バイオディーゼル燃料の製造は、廃食用油を回収して原料にする。県内の廃食用油は、家庭だけで年間300万ℓが出され、そのうち使われるのは10%だという。これら「新エネルギー」の生産は行政が中心となって民間と力を合わせれば大きな成果が期待できる。県行政の腕の見せ所であり、その使命と役割が問われている。

◇県が有する未利用地は膨大だ。県民の血税が活かされないで眠っている状態は許されない。今、県政では、この事が、大きな問題になっている。未曾有の不況で税収が大きく落ち込んでいるから、これらの財産を活用して、自主財源の確保を図らねばならない。この日の委員会に提出された資料によれば、県有の未利用地は大小合わせて80箇所ある。その中には、特別委員会で大問題になっている土地もある。高木建設から10億円以上で購入し14年間も塩漬けになっている元総社の土地である。

 私は、「これらは、埋蔵金である。もっと他にもあるかも知れないから徹底的に探し出すべきである、また、これらの土地を有効活用するために、民間のプロの力を上手に利用すべきだ」と主張した。

◇救急車で運ばれながらどの病院も受け入れない事案が大問題となっている。県は、本県の実体を調査した。受入照会回数が11回以上になった事案が平成19年は11件あった。照会8回、救急車内で出産というケースもあった。

救急車を動かす側と医療機関との間で連携をとって、人命を救うために最大限の可能性を活かすという関係者のコンセンサスと態勢を整えるべきだと私は主張した。その他、高齢化と人口減で崩壊の危機にある限界集落をいかに救うか、災害時の孤立化集落対策等も取り上げられた。(読者に感謝)

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2009年3月 3日 (火)

「温暖化と農業・ミツバチ崩壊のなぞ」

◇本会議の農業に関する質問で、「へぇー」と思わせる質問があった。「地球温暖化と本県農業」、及び「ミツバチと農業」だ。後者はニュースでも騒がれたミステリアスな問題とも関連していそうで注目した。

 温暖化は確実に進み、本県農業にもじわじわと影響を及ぼしている。前橋気象台によると100年で、気温は、1.76度C上昇し、現在の群馬県の温度は、100年前の福岡県、50年前の愛知県に当るといわれる。

 マイナス面の影響としては、今までいなかった害虫の発生、麦が早く成長するために春先に霜害にあうことが多いなどがある。

 気温の上昇によって産地が移動する現象が見られる。コンニャクはかつては、標高700mまでといわれたが、今は800mまで可能になった。また、これまで採れなかったうん州みかんがつくれるようになった。このような環境の変化に対応するには農業技術の研究が必要である。技術力によって温暖化のマイナス面を克服し、メリットをひき出すことが求められる。農政部長は、「温暖化を逆手にとった農業も考えられる」と発言していた。

◇北米で、億ともいわれる数のミツバチが突然いなくなるというミステリアスな出来事がニュースや週刊誌で報じられたことがある。死骸も見つからないというので不思議な事もあるものだと思った。何か天変地異の前兆かといぶかる人もいた。

 「本県の花粉交配用のミツバチが不足しているらしいが」という質問に関して、農政部長の口から「蜂群崩壊症候群」という言葉が出た。例の北米における異常現象のことである。平成18年秋頃から米国各地で発生し、その発生数は米国で飼養するミツバチの約25%~40%に及んでいるといわれる。原因については、環境の変化によるストレス説など諸説あるが解明されていない。なお、アメリカでは、このミツバチ異変により穀物価格が37%も上昇したといわれる。本当だろうか。日本でもかなりの養蜂家が原因不明の蜂群逃去を経験しているといわれるが、米国における蜂群崩壊症候群に当るとは断定するに至っていない。日本では、特に、平成20年夏、北海道、東北でミツバチの大量死が多発し原因は究明中とのことだ。本県で、ミツバチがなくては成り立たない作物は、いちご、うめ、さくらんぼ、りんご、すいかなどである。平成20年は、14園芸組合、31農家へ3,454群のミツバチが供給された。今後、供給不足も予想されるという。

◇この度、県立女子大の評議員に選ばれ、2日、就任後初めての評議員会に出た。元県議の松沢さんと同席するのは久しぶりのことで懐かしかった。富岡学長はこの大学の発展に並々ならぬ情熱を注いでいる。この日のメインの議題は「群馬学センター」の設立である。大学の国際化を進める上で、群馬を知ることが大切であるとして評議員会の同意が得られた。(読者に感謝)

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2009年3月 2日 (月)

「本会議・後藤新氏の登壇」「前東商の閉校」

◇先月27日の本会議の質問に、注目の新人後藤新は4人目に登壇した。全ての質問は知事に向けられたが、ここでは、「ネーミングライツ」について触れたいと思う。ここでいうネーミング(名前)、ライツ(権利)とは、公共施設に名前をつける権利(命名権)のことで、これを県は売って収入の確保を図ろうとしている。

 具体的には次の三つの公共施設のネーミングライツ(命名権)が売却された。

 群馬県民会館、「ベイシア文化ホール」(一千万円)

敷島公園野球場、「上毛新聞敷島球場」(五百万円)

敷島公園陸上競技場、「正田醤油スタジアム群馬」(七百万円)

それぞれの企業が、いくらで権利を買ってどのようにネーミング(命名)したかが分かる。

 後藤さんは、「名は体をあらわすというが、(これでは)名は体をあらわしていない」と述べた。彼の懸念は、名前をこのように変えることは、「群馬県民会館は、群馬百年事業の一環として始めた、また、敷島公園野球場は、高校野球の聖地である」という「体」を尊重しないことになるという点にあるらしい。そして、後藤さんは、「公」とは何かが問われている、県民の財産を金で売ってよいのか、と知事に迫った。

 大澤知事は、少しでも自主財源を確保しようと考えている、また、単なる売却ではない、(文化で)地元への貢献を考えている企業や、スポーツ振興を考えて貢献する企業への売却なのだと答えた。

 この問題は、28日夜の、私の「ふるさと塾」でも話題にした。塾生の中には、公共施設の実際の運営にまで権利が及ぶと誤解する人がいた。広告として、名前を使用させるだけのことである。それぞれの公共施設には、設立の使命や目的がある。それが損なわれないように運営されることに全てがかかっている。「名」が「体」を傷つけることのないように議会はチェック機能を果たしていきたいと思う。

 参考までに全国の例をあげると、最初の導は、東京都調布市の「味の素スタジアム」である。最近では横浜市の「日産スタジアム」、仙台市の「クリネックススタジアム宮城」、福岡市の「福岡YAHOOJAPANドーム」などがあり、スポーツ施設以外の例では、渋谷区が渋谷公会堂を「渋谷CCLemonホール」としてサントリーにネーミングライツ(命名権)を売却した。

◇未曾有の不況のため、県税収入の減額は膨大である。それを少しでも埋めるための窮余の自主財源確保策がネーミングライツの売却であるが、他に、自動販売機の設置許可の料金などもある。県立高校32校における設置台数は142台で、収入額は約5700万円である。

◇前橋東商業高校の閉校式で挨拶した。高校再編整備で59年の歴史の幕を閉じ県立前商に統合される。一つの高校が閉校になるとき、築き上げてきた伝統と実績を、県行政は大切に守り活かして欲しい、59年の前東商の歴史に敬意を表します、と私は挨拶の中で述べた。(勇気を出して頑張ろう)

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2009年3月 1日 (日)

遙かなる白根(58)序章 100キロメートル強歩序曲

街の家々では家族が夕食のテーブルを囲んで、楽しい団欒の一時を過ごしている時刻であった。子どもたちはテレビの前で画面に熱中しているかもしれない。あるいはゲームの最中か。街の明かりは白根の子ども達を魅惑するように眩しい。子ども達は足下を見つめながら故郷の家族のことを思った。周平も前橋の自分の家族を懐かしく想像しながら歩いた。すると六合村の奥の第21ポイントの長平公民館で待機する母の姿が浮かんだ。あそこまではまだまだ大変な距離がある。周平は何としても頑張らねばならないと思った。街の明かりに顔をそむけるようにして、周平は速度を上げた。町並みを抜けるとまた、流れの音がはっきりと聞こえてきた。白砂川と吾妻川が合流する音である。須川橋の信号が目の前にあった。

須川橋の信号は100キロメートル強歩で特別な意味を持つ。このことは昼間の通過点としても既に触れたが、帰りのこの通過点はまた別な意味あいがある。須川橋は国道145号と国道292号がTの字型に合流するところにある。長野原の明るい町並みを後にこの信号を左折して国道292号に入れば、状況は一変して険しい夜の山中となる。また、この信号を直進すれば、ほんの僅かな所に長野原草津口という電車の駅がある。これは、周平たちが帰省するとき、そして帰校するとき必ず乗り降りする駅である。電車に乗ればあっという間に家が帰ることができる。懐かしい家庭に直結する駅がすぐそこにあった。

周平は絶ち難い引き寄せられるような力を振り切るようにして、須川橋の交差点を曲がり、真暗な夜の山道に入り込んで行った。右手には岸壁が切り立つように迫り、左手からは白砂川の瀬音が近くなったり遠くなったりしながら岩山の中に響いていた。この道路沿いには、所々、畑や人家もあるが、いまはそれらも姿を隠し頭上に張り出した森の木立は、夜の闇を一層濃くしていた。

周平は、前方に懐中電燈が一つ二つ揺れ動くのを認めた。振り返ると後ろにも懐中電燈の光がチカチカと動いている。その時、巡回車が近づいてきて周平のところで速度を落とした。周平は車の方を見ずに足を速めた。車は周平の姿からその意志表示を受け取ったらしく、また速度を上げて去って行った。周平は、車の中にチラと視線を走らせ、そこにかなりの数の仲間の姿を見た。

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