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2009年2月28日 (土)

遙かなる白根(56)序章 100キロメートル強歩序曲

冷たい風が頬を撫で、私ははっと我に返った。上体を起こすとキラキラと光る星の下に六合村の人家の明かりが見える。あそこまであと30キロ。それは、私にとって絶望的な距離に思えた。私には自分をふるい立たせる気力も既に失くなっていた。

 私は、与喜屋公民館の庭にある公衆電話で白根開善学校に電話を入れた。本吉校長には予めこの日の計画は話してあった。そして朝、白砂川に沿って歩きながら六合村役場のあたりから電話をかけ、100キロメートルのコースを一人で歩いていることを知らせてあったのである。

「今、与喜屋公民館まで来ました。頑張ったつもりですが、これが限界です、周平に、お父さんはお前に負けた、与喜屋までしか歩けなかったと伝えてください」

「よく頑張りましたね。100キロはしんどいですよ。周平君にはその旨話します」

本吉校長の明るい声を聞いて、私は妻の車に乗り岐路についた。

私の強歩は70キロメートルで終わった。しかし、白根開善学校の子どもたちの努力の意味を知ることができた。そして、私が強歩の道々で考えたことは、周平や白根開善学校を理解する上で有益なことであった。

ここでまた、周平の100キロメートル強歩に話しを戻すことにする。

周平は須川橋の信号を越えた

与喜屋公民館を出た周平は、吾妻川にかかる新戸橋の上まで来た。深い吾妻渓谷は墨を塗り込めたような闇の中に姿を隠し、遥か下で流れの音がザアザアと響いている。渓谷を越えてしばらくゆくと第15ポイント・長野原町の学校給食センターに至る。ここを過ぎてゆるやかな坂道を登りつめると交通の激しい国道145号に出る。そして、間もなく周平は長野原町の明るい夜の市街に入った。白根の子ども達はまちの明かりで照らされた道を、足を引きずるように人々の目に異様に映る姿で黙々と歩いている。

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「遥かなる白根」を連載しています。

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