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2009年2月14日 (土)

遙かなる白根(52)序章 100キロメートル強歩序曲

「いいでしょう」本吉校長は承知してくれた。 しかし、その後100キロメートル強歩の担当の先生から電話があった。「それは認められません」という。父母には、100キロの道中の安全のためにそれぞれ協力してもらわなければならないというのが、その理由であった。その点は、妻と周平の姉がポイントに立って全面的に協力すると話したが、それでも認めることは出来ないと言われた。先生の言葉には、かなり強い意志が感じられたのである。考えてみれば、それはもっともなことであった。それで私は周平と一緒に歩くことは断念し、後で一人で歩くことにしたのである。「お父さんも歩く」と周平に約束した手前もあった。 その年の11月3日、私は娘と共に車で山に登り、午前4時少し前に白根開善学校に着いた。リュックを背負い、熊よけの鈴をつけ懐中電燈を持って、午前4時にスタートした。娘は車を運転して坂道を下って行ったが、心配らしく時々車を止めて、私の懐中電燈が後ろから近づくのを確認している風であった。午前5時、尻焼に着く。待っていた娘は、“本当に大丈夫なの”という目で私を見、私が頷くのを確認すると車に乗って去っていった。六合村の道は既に何回となく通っていた。しかし、今は全く別の道を歩いているという感じであった。これが周平が歩いた道なのだ。土を踏む足の感触がそれを伝えていた。白砂川の瀬音が近くなったり遠くなったりする。この音は周平の耳にも響いていたに違いない。この新鮮な川の息吹は周平の心に届いたろうか。私はこう思いながら、人影も見られない白砂川に沿った早朝の国道を下っていった。白砂川にかかる出立大橋を渡り、広池公民館を過ぎて、やっと六合村と長野原町の境である峠の切り通しまで来た。時計の針は午前8時30分を指していた。振り返ると四方を山で囲まれた六合の村々が一望できる。この時、私はもう爪先の痛みを覚えていた。大変な距離を歩いたつもりでいたが、まだ出発点から20キロ位しか歩いていないのだ。100キロのコースを頭に描くと、今私は途方もなく巨大な怪物の尾の先に立っているような恐怖に似た気持ちにかられるのであった。  ☆土・日・祝日は、中村紀雄著「遥かなる白根」を連載しています。

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