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2009年1月31日 (土)

遙かなる白根(47)序章 100キロメートル強歩序曲

周平は、顔を上げて、一瞬この柱の文字を見た。夏休みに父親とコースを研究した時、昔、浅間の大噴火があって、このあたりが大変だったと聞かされたのを思い出したのだ。現在の常林寺は、この道の先の小宿川のほとりにあるが、江戸の天明の頃まではここにあって、浅間の大爆発のとき泥流に呑まれて小宿川に流されてしまったのだ。このとき流された常林寺の鐘は、その後130年近くも経た明治の末に、15キロも離れた下流の川原で釣り人に偶然発見されたという。浅間の大爆発から210数年が過ぎた。焦土から芽生えた木々は大木になって谷をおおう森となっている。しかしもっと驚くべき変化は社会そのものである。この森に、病める現代社会を象徴するようなオウムの施設が出来、そしてまた病める現代社会の難しい教育問題をひきずった白根開善学校の子どもたちがこの森を歩いている。

12時30分、周平は第7ポイントの常林寺に到着した。白根開善学校から42,64キロである。周平と前後して、周平が属する総合科2年の参加者達も常林寺に到達した。ここから先程の食堂・ルート146まで約21キロある。そして、その間、再び国道146号に出るまでに、浅間の高原地帯を約15キロ歩かなければならなかった。そしてこの15キロの間に3つのポイント、つまり、第8ポイントのサンランド、第9ポイントの鬼の泉水、第10ポイントの紀州鉄道庭園閣があった。

この浅間の高原地帯の中程で、周平はまた足の痛みを強く感じるようになった。先輩や後輩が周平を追い越してゆく。畑の中の道がしばらく続いた後、道は、森の中の別荘地に入った。所々、木立の中に都会風の建物があるが、人影はない。道の端にはから松の葉がじゅうたんを敷いたように落ちている。周平はその上を歩いた。滝原の林道を歩いたとき発見したことであるが、落ち葉の上はクッションが利いていて、足の痛みを和らげてくれる。森が尽きる所に3人の女の子が松の根本に腰をおろして休んでいた。その中にあの茶髪でピアスをした可愛い子がいた。彼女はおしゃべりを止め立ち上がって言った。

「周平君、これをあげる、かなり違うよ」

 彼女が差し出したのは細い木の枝で、それまで杖として使っていたものであった。

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「遥かなる白根」を連載しています。

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2009年1月30日 (金)

「慌しい県外調査、京都の収穫・湯浅半月」

◇図書広報委員会が昨年、正式な議会の委員会と位置づけられた。ここは、議会活動のシンクタンクの役割も果たすべき重要な委員会であるべきだと思う。29日は、一泊2日の調査初日。委員長の原さんと私は議会の重要な会議のため出発が遅れた。8時半常任役員会、9時、知事との予算折衝を終えて、10時59分の新幹線たにがわ、12時10分ののぞみを乗り継いで2時半、京都駅に着いた。

 3時からの調査先は京都府立総合資料館。ここでは18642点の国宝の文書を初めとする重要な資料がどのように管理されているかを見た。国宝の文書は昭和42年京都府が1億3千万円で購入したものだという。当時の京都府の予算が40~50億円でその2%に当る額だときいて驚いた。

◇ここで群馬とゆかりの深い事実を学んだ。明治37年京都府立図書館長に就任した湯浅半月の事である。資料館の館長・井口和起博士が京都の図書館、資料館の恩人だと語るこの人は群馬県安中の出身である。この湯浅半月は、当時の日本人としては唯一人アメリカの図書館学校を卒業した人といわれる。彼は、「図書館は大学である」といい、また「図書館員は事務員ではなく思想家でなくてはならない」と語った。

私は半月の実兄、湯浅治郎について研究していたので、資料館の人たちにそのことを話した。湯浅治郎は、日本で初めての図書館ともいわれる便覧舎を安中に作った人であり、新島襄の感化を受けてキリスト教徒となった人である。

県議会の議長室の前には湯浅治郎の写真がかけられている。実は、この湯浅治郎こそ、県議会第二代の議長であり、群馬の廃娼運動を命がけで進めた人なのである。そして、時の県令・楫取素彦と力を合わせて、群馬を全国初の廃娼県とした功績者であった。この湯浅治郎の実弟が京都の文化を支える図書館長として名を残してことを知って私は驚くと共に感動した。この度の県外調査の大きな収穫である。

     「群馬のホット情報」

「土地開発基金を廃止する」

◇本県には100億円の土地開発基金がある。基金の目的は、将来予想される事業のために予め土地を取得しておく。あるいは、土地取得の必要が生じた場合に備えて金を用意しておくことである。

 しかし、最近、この制度の大きな弊害が明らかになった。それは、小寺前知事の時代に、明確な目的もなく、取得された膨大な額の土地が長い間塩漬けにされていたという事実である。土地取得の総額は80数億になる。

 前知事の長期政権の下で封印されていた問題が大澤県政の下で、やっと検討されることになった。県民の貴重な税金が凍結されていたことは重大である。私たちは、未利用地検討特別委員会をつくり検討し、基金の廃止も検討すべきであると主張した。間もなく始まる2月議会で、廃止が検討される。錆びついていた行政改革の歯車がギシギシと回り始めた。

☆土・日・祝日は、中村のりお著「遙かなる白根」を連載しています。

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2009年1月29日 (木)

「自治体病院の医療崩壊」

「自治体病院の医療崩壊」

◇本県のことについて、今日の「群馬のホット情報」の欄で少し触れるが、全般的な医療崩壊について取り上げたい。100年に一度の不況といわれ、社会不安が広がるなか、人々の健康と生命を支える医療の役割は特に大きい。そして自治体病院の使命は、地方の医療の最後の砦とも言われるのだから、それが抱える問題点について私たちは真剣に考えなければならない。

 自治体病院の危機には、病院財政の危機及び医師不足問題という2つの要因があるといわれる。私たちが最近よく耳にすることは、このうち医師不足についてである。

 先日、ある新年会で同席した保健福祉事務所長の宗行さんから医師不足の原因について聞くことができた。それは、新しい臨床研修制度と勤務医の厳しい勤務状態であるとのこと。つまり、こういう事が原因で医師の偏在が起きていると教えられた。

従来の制度では、新人医師は、出身大学の医局に属して研修したが、新しい研修制度では、民間の医療機関も含めて研修先を自由に選べることになった。そこで、かなりの数の研修医は、研修終了後も、研修を行った病院に勤務し、大学の医局に戻らない事態が生じた。

医師の数が大幅に減った大学病院は、医師を派遣していた病院からやむを得ず医師を引きあげる。引きあげを受けた病院では残った医師の1人当りの負担が増え、厳しい仕事に耐えかねて病院を退職せざるを得なくなる。

また、新しい研修制度とは別に、病院で勤務する医師の労働条件は過酷だといわれる。夜でも働かなくてはならない。その点、開業医は自由で楽で収入もよいので、勤務医をやめて開業する医師が増えているといわれる。

私は、これからも県立四病院のことを報告し、県民の理解と協力を得ながら、改革を進めていきたいと考える。

   「群馬のホット情報」

「全国自治体病院の医療崩壊、本県は」

 全国で自治体病院の医療崩壊が続いている。その実態は深刻である。一例をあげると、北海道の夕張市立総合病院及び宮城県公立深沢病院は巨額の借入金を抱えて経営破たん、京都府の、舞鶴市民病院は、常勤の医師が全員退職して混乱が続いている。総務省の資料によれば全公立病院973のうち、75%に当る726病院が経常赤字に陥っている。そこで、国は、すべての公立病院に対して今年度中に改革プランを作り来年度から3年間で経常黒字の達成を目指すよう要請した。

 地方の人々の健康と生命を守るために公立病院の使命は大きい。赤字経営では、この使命を担うことは不可能である。本県も、この度、「群馬県立病院改革プラン」(案)を作り、2月定例会に報告することになった。

 その内容は、改めて報告するつもりである。ちなみに、県立4病院の累積赤字は、昨年、資本剰余金を取り崩して補う前は約120億円、また、病院の未収金は現在約1億円である。

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2009年1月28日 (水)

「県議補選を振り返って」「妊婦を救った県立病院」

◇盛り上がりに欠ける補欠選の中で、我が陣営が力を入れたのは、23日夕の総決起集会であった。各県議が真剣に呼びかけた事もあって多くの参加者が集まった。準備に当り、心配した事のひとつは、小渕優子さんの出欠であった。優子さんに会って話しを聞けることを楽しみにする人々は多いと思われたので、その参加は私が提案したのである。国会開会中であり、幾日か前から答弁する彼女の姿がテレビで放映されていた。

 当日、騒然とした群集を分けて優子さんは現れた。さわやかな笑顔ですらりとした長身の優子さんは、戦場に立つ旗のように見えた。

 全体を45分で終了させることになり、スピーチは、優子さんを除いて各1分ときまった。「1分で何が話せるのか」という人がいるが、かなりのことが話せるのである。尾身さん、佐田さんも1分以内で言うべきことを話していた。

 私は選対事務長としてトップに登壇した。司会者が一分でお願いします。と言ったので、時計で測っていた人がいた。後で、「中村さんの話はちょうど一分だったよ」と言われた。

 実は、一分で収まるように文を作って準備したのである。その要点は次のようなものだった。「皆さん、県政を改革し、県都前橋に真の民主主義を取り戻すためのこの戦い、いよいよゴールが目の前に迫りました。皆さん、私たちは今、未曾有の困難に直面しています。この危機も市民県民が心を一つにして力を合わせれば切り抜けることが出来ます。この選挙はそのための戦です。私たちは山本龍ただ一人を公認しました。これは必ず勝ち抜いて、政治に信頼を回復しこの危機を脱出するぞという私たちの強い決意の現われであります。戦局は、大変厳しい状況です。残された期間、最後まで全力をふりしぼって頑張り抜きましょう。宜しくお願い申しあげます」(読者に感謝)

00128

   「群馬のホット情報」

昨年暮、容態が悪化した妊婦を受け入れる病院を捜して、埼玉の医師は2時間受話器を握り続け、14病院目に、90キロ離れた群馬の病院の受け入れ承諾を得たと読売が報じた。この記事に病院名はなかったが、実は、県立小児医療センターであった。このセンターも満床状態であったが「胎児の状況から何とかしなければいけない」と判断したのである。受け入れ後、慎重に経過を観察し、緊急帝王切開(28週3日)で2児を分娩させた。その後、ふた子の男児と母は落ちついている。妊婦に新聞のコピーを渡したら喜んでいたという。

第Ⅰ子12月6日(土)11時43分出生 体重 1,046g 男児

第Ⅱ子12月6日(土)11時44分出生 体重   532g 男児

 医師不足、とくに、小児科・産婦人科の医師不足が深刻である。これでは少子化対策の実をあげることが出来ない。母子の生命尊重の観点からベッドが満床でも医師が手術中でも絶対に患者を受け入れる病院を作らねばならない。大澤知事は、打開策のひとつとして、大学と病院の連携を考えている。その現れとして、太田ガンセンターは群大病院医局から3人の産婦人科の常勤医師を来年度から迎えることになった。

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2009年1月27日 (火)

「選挙が終わってほっとして」「ぐんまホット情報を始める」

◇朝から2月議会に向けた政調会があったが、気分は一安心である。政調会は5時に終って、6時からテルサで行われた美容組合の新年会に出席した。

 隣の席は、いつもの通り宗行保健福祉事務所長。宗行さんは、この会に出席するのもこれが最後ですと語った。前橋市が中核市に移行するに伴い、昭和19年にスタートした前橋市における県・保健福祉事務所はなくなるのである。宗行さんは、医療福祉行政のスペシャリストであると共に医師なので、現在の医療行政が抱える深刻な問題について有益な話をしてくれた。

 私は新年会に出ても、すぐに次の会場に向けて退席することが多い、多くの人と心の交流を図るには、これではいけないと反省していたので、この日は、すすめられるままに、カラオケを一曲やった。裕次郎の「泣かせるぜ」である。私に続いて尾身代議士の奥さんが美しい声で「ここに幸あり」を歌った。

◇26日午前、東京地裁で検察側は「鬼畜の所業だ」として星島被告に死刑を求刑した。実は、東京地裁では、この裁判を、裁判員制度に備えて目で見てわかりやすい審理にしようとして、法廷に大型テレビを設けた。検察官は、下水道から回収した49個の骨片と172枚の肉片をスライド形式で上映した。耐えられず、トイレに駆け込む傍聴人もいたらしい。私は、このような状況で裁判員は冷静な判断が出来るのか心配である。

 遺族は、「瑠理香が味わった以上の恐怖と痛みをもった死刑を望みます」と証言、検察側は、「遺族の悲しみから目を背けてはならない」、「酌量の余地は全くない」、「生命をもってその罪を償うしかない」として死刑を求刑した。星島被告は「一刻もはやく死刑にして欲しい」と述べた。弁護士は、「遺族、検察官、被告人本人が望むから死刑にするというのでは裁判は無意味になる」として無期懲役を求めた。判決は来月18日になされる。刑事事件の裁判につき考えさせられる論点が多い。見守りたい。

20127◆「群馬のホット情報」の欄を設けることにした。

第一回は、群馬県警察本部が実施している「上州くん・安心メール、登録者募集中」の紹介である。県警は、「不審者情報などもEメールで配信しています。配信を希望される方は登録いただき自主防犯活動などにお役立て下さい」として、次のような登録方法を示している。登録方法― 配信を希望される方は、

(1)県警ホームページ(パソコン用) http://www.police.pref.gunma.jp/

(2)県警モバイルサイト(携帯電話用)http://www.police.pref.gunma.jp/k

(3)登録用専用アドレス

http://mcs.biglobe.ne.jp/wrp/gpmail_kanri/ma.cgi?a=r&g=000001

私の携帯に次のような配信があった。「本日(26日)午後6時8分ころ、前橋市元総社町地内のディスカウントショップから、拳銃のようなものを持った男が侵入して現金を奪われた、との110番通報を受理、犯人は黒色ヘルメット黒っぽい上下の服を着用、現在逃走中。本件に関する情報は前橋警察署に、また、緊急時には110番通報をお願い致します」。いち早い情報は安全な地域づくりにも欠かせない「地獄の沙汰も情報しだい」とも。

(読者に感謝)

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2009年1月26日 (月)

「県議補選、自民が一議席を死守。被害者参加制度がスタート」

◇総決起大会と補選の結果。

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 23日の総決起大会は盛会だった。グリーンドームのサブイベントエリアは、二千数百人の人であふれた。中村後援会のテーブルで受けつけた人は420人に達した。小渕優子少子化担当大臣も駆けつけた。私はこの大会の雰囲気の中で、当選は間違いないと思った。

いよいよ25日の投票日を迎えた。前日から、期日前投票がにぎわっていると報じられていた。この事は何を意味するのか不気味でもあった。関心が高いことの現われか。それとも他陣営が組織的に期日前投票を呼びかけた事の影響なのか。

午後8時、私たちは県連に詰めかけた。9時、GTVは第一回の速報で山本、後藤の当確を報じた。二人の当選は大方の予想通りといえた。投票率は、33.28%。前回は約26%であるから、かなりよかったことになる。山本龍30,054票、後藤新22,689票。不可解なのは民主党の戦略である。桑原16,712、亀田10,710。2人でこれだけ取れるならなぜ一本化できなかったのか。来る衆院選にも影響を与えるに違いない。当選の会場には亡き金子泰造さんの奥さんの姿も見えた。

◇今から32年程前、私の弟の幼い子どもが交通事故で死んだ。私たちの父の葬儀の花輪が並ぶ前の事故という事もあって、弟の悲嘆は大変なものであった。この業務上過失傷害のその後については、遺族である弟には一際知らされることはなかった。その時、私たちは、司法制度の仕組みについて何かふに落ちないものを感じた。

 その後、様々な事件が起きる中で、犯罪被害者が蚊帳(かや)の外に置かれているのはおかしいという声が盛んに聞かれるようになった。被告の身勝手な主張に反論する機会もなく悔しく思う被害者や遺族も多かったと思う。

 全国犯罪被害者の会の活動の成果もあって被害者が刑事裁判に参加して被告人に質問したり求刑や量刑について意見を述べる被害者参加制度が07年に実現した。そして、その初めての適用が、23日、東京地裁の法廷で、二つの事件に関して展開された。

 その一つは、自動車運転過失致死罪で、被害者の妻は、「前方不注意などという簡単な言葉で終わらせたくない、殺人だと思う、実刑を求める」と意見を述べたという。

 このような被害者参加制度は裁判員制度に重大な関わりを持つに違いない。被害者の生々しい悲しみや怒りに接して裁判員が感情に動かされることが懸念されるからである。同様に、裁判員制度との関係で、マスコミの報道のあり方が問われている。あたかも犯人であるかのような報道は、裁判員に大きな影響を与えるからだ。遺族など被害者の法廷における発言は、場合によっては、マスコミの報道以上の影響力を持ちうると思われる。司法の改革は、難しい問題に直面している。裁判官の適切な訴訟指揮が求められる。

(読者に感謝)

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2009年1月25日 (日)

遙かなる白根(46)序章 100キロメートル強歩序曲

食堂・ルート146の主人は豪快な人物で、毎年100キロ強歩のために一肌脱いで協力している。子どもたちは、ここで休憩し、カレーやうどんを食べ、エネルギーを蓄えて出てゆく。

「頑張れよ。根性だせよ」

店の主人は奥のイスにどっかりと座って、出てゆく子どもたちにドスの利いた声をかけている。

入口には、幼児の背丈程の一抱えもある木彫りの男根が無造作に置かれているが、子どもたちはそれに目をくれる風もない。林道を出た子どもたちは、次々にこの食堂に入り、また、次々に出てゆく。ここから国道146号を3キロほど南下してから、コースは右に外れて北西の方向にやや逆行するように広い畑の中を進む。このあたりは応桑(おおくわ)という。畑が見わたす限り続き、農家が点在し、彼方には紅葉の森が静かに広がっている。第6 ポイントの田通しの公民館に立ち寄り、すぐ歩き出して小夜で来ると、道は森の中へと伸びる。このあたりには、道の端に「オウム反対」、「オウム出て行け」と書かれた木の板が沢山立てられているのが目につく。畑が尽きて森に入った所に鉄筋コンクリート4階建ての建て物がひっそりと建っていた。今は人影もみられないが、これが例のオウムの施設である。この建物と道を隔てて、検問中と書かれた臨時派出所が出来ていて警察官が待機している。その前を周平が過ぎて行った。後を追うように一人、二人と、子どもたちが歩いてゆく。学校のマイクロバスがゆっくりと子どもたちを追い抜いて行った。学校の車は常に何台かがコースをまわっていて、歩けなくなってギブアップする子、また、ワープといって、途中のある区間だけ車に乗る子などを拾い上げてゆく。記録には、ギブアップ組はリタイア(RETIRE)ということで「R」が、そして途中飛ばしはワープ(WARP)ということで「W」と記されるのである。「W」と記録された者が完歩の資格を失うのは当然のことである。周平は車の中を見た。車の中には、まだ、RWもいないようであった。

うっそうと茂る木立の下を長い下り坂が続いていた。このはるか下を小宿川が流れている。坂の中腹あたりの道の端に、“史跡常林寺跡入口”と書いた柱が立っていた。子どもたちはこの柱に目もくれず黙々と歩いている。

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2009年1月24日 (土)

遙かなる白根(45)序章 100キロメートル強歩序曲

ところが、今、林道を歩いている子どもたちは、一様に緊張し一点を見詰めるような表情で歩いている。現代の若者が、こんな真剣な表情を見せることがあるのかと思わせる顔付きである。周平も別人のように、幾つも大人になったような表情で歩いていた。周平の中の未知なる可能性が表に出ているようにも感じさせる顔付きである。

林道は進むに連れ、紅葉が盛りであった。黄色と紅の燃えるような森の中を、舗装された道は長い登り坂と下り坂をくり返し、またくねくねと曲がっていた。道の端には、から松の葉や萩の葉、楢やくぬぎの葉が敷き詰めたように厚く落ちている。周平は、その上を歩いた。ふわふわとした足裏の感触が辛さをいやしてくれるようで心地よい。

目の前を小さな流れが横切っていた。森の奥から湧き出した水が、松の根本からちょろちょろと道に落ちて流れているのだ。周平は、膝を着いて水を両手ですくって飲んだ。冷たい感触が喉を伝わって胃の奥まで突き刺さってゆく。あたりには誰もいなかった。そのとき周平は、不思議な音に気付いた。

サラサラ、サラサラ。

微かに鳴っている。耳を澄ますと、雨のような音は森中から聞こえてくる。

サラサラ、サラサラ。

なんの音だろう。目を凝らすと楢やくぬぎの幹の間に、小さな木の葉が舞うように落下している。から松の葉が金色の糸を引くように落ちている。森が合唱しているのだ。周平に何かを囁くように。周平は不思議な光景にしばし我を忘れていた。その時、後ろからひたひたと足音が近づいてきた。汗を拭きながら仲間が歩いて行く。周平は立ち上がって歩きだした。足の痛みは幾分薄らいでいた。落ち葉の合唱が静かに声援を送っている。周平は身内に

力が湧くのを覚えながら林道を進んで、やがて人家が何軒か見える所まできた。出口は近い。林道に入ってからおよそ一時間が経過していた。

 林道を出て、村の道を少し行くと国道146号に出る。そして、この道を2、300メートル下った所に、国道の名をとってつけた食堂・ルート146があった。食堂・ルート146は、行きは第5ポイント、帰りは第13ポイントにあてられた所で、100キロ強歩の重要な拠点である。

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2009年1月23日 (金)

「県議補選、中村紀雄氏乱戦を制す」

1123 ◇補欠選挙で頭を痛めることはいつも投票率が低いことである。過去3回の前橋市選挙区における県議補選の投票率と有権者数を次に示す。

 昭和63年 7月10日 202、155人 (48.11%)

 平成 8年12月 1日 219,079人(29.40%)

 平成17年 5月22日 223,985人 (26.21%)

因みに昭和63年7月の補選は、私が初当選したときの県議補欠選挙で、これは知事選と同時に行われたもので、他の2つは単独の選挙である。そして、現在進行中の県議補選は、前橋市・勢多郡選挙区で行われており、有権者数は278、146人である。

 私は、今、20年前の自分の補選を懐かしく振り返る。当時の上毛新聞は、「中村氏、乱戦を制す」の見出しで初当選の状況を大きく報じた。

その中に、次のような記事が見られる。「アカネ淑郎氏の前橋市長選出馬に伴う県議補選は、中村紀雄氏(47)が菅野氏等3人を破り保革乱戦を制した」、「中村氏は、昨年4月の県議選に初挑戦したが、最下位当選者との得票差263票というわずかな差で涙をのんだ」、「自民党公認が見送られた中村、菅野両氏はともに地盤とする市北東部で激突、激しく競ったが、『フレッシュ』さを協調する中村氏が浮動票を集め勝利を収めた」この時の私の得票数は34,831。この数字を「見よ万ざい」と読む人がいた。

◇早朝6時40分前橋青果市場へ(22日)。小雨が落ち、まだ濃い闇が漂う中、野菜や果物の山の間を、人々が動き、威勢のいい声が飛びかっていた。選挙のたびに候補者は必ずここにやってくる。市場は公平に受け入れているようだ。7時少し過ぎ放送が流れると野菜の山に囲まれたスペースにハチマキや仕事帽のおじさんたちが集ってくる。選挙のたびごとに人数が少なくなることを感じる。政治に対する関心が低下しているのか、それとも農業や市場の活気が落ちているためか。特に県議補選に対する関心は低い。私は、選対事務長としてマイクを握りながらオバマの就任演説に集った大群衆を思い浮かべた。

◇夜、旧勢多地区の2つの決起集会に出た。ここでは山本龍さんの老いたお母さんがマイクを握った。息子を頼みますと訴える母親の姿には心を打たれる。正直でいかにも善人という母の姿そのものが龍さんの人柄を雄弁に語っているように見えた。

 ある会場で、私は次のように語った。「皆さん、大統領の就任演説に集ったあの熱気を御覧になったでしょう。政治に参加して、大統領と力を合わせて危機を脱出したいと願う人々の姿です。ここにお集まりの皆さんも同じだと思います。日本もいま大変な危機にあります。政治家と市民が力を合わせなければなりません。そのためには、信頼できる政治家を選ばねばなりません。政治に対する信頼が失われている今、政治に対する信頼を回復しなければなりません。それが今回の県議補選の目的であります」

(読者に感謝)

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2009年1月22日 (木)

「選挙は終盤戦に。オバマの就任演説を読む」

◇21日8時、最後の選対会議が行われた。富士見村の村会議員も数名参加。決起集会の成功に向けて力を合わせることなどが話し合われた。

◇大澤知事を囲む政策懇談会が正庁の間で(21日)。南波幹事長は冒頭の挨拶で、100年に一度の経済危機と叫ばれているが、100年に一度の経済対策がとらわれているかが重要だと述べた。

 大澤知事は、県税収入が大幅に減少するために、県債発行に頼らざるを得ないが、

県有地の売却などによる自主財源の確保、既存の政策の見直しなどを検討すると発言した。

 私は前橋市の保育園に対する補助の問題を取り上げた。県が補助を打ち切ろうとしていると言って、相手陣営は県議選の材料に使っているので、きちんとした県の説明が必要だが、県の基本姿勢はどうなっているかと、私は質問したのである。

 知事及び副知事は次のように答えた。「前橋市が中核市に移行するので、前橋市は中核市としての自覚をもって福祉政策を進めるべきだ。中核市移行に伴い、交付金がトータルで5億円増えるから、その中で、保育行政が後退しないようにとアドバイスしてきた。本来そうすべきことだが、今回保育園のために特別に6千万円の助成をすることにしたい」と。

◇オバマの就任演説を読んだ。理路整然ではないが、格調の高さと熱いものが伝わってくる。嵐の吹き荒れるような時を米国が耐え抜いてきたのは、「我ら合衆国の人民が先人の理想に誠実で、建国の文書に忠実だったからだ」とオバマは語る。建国の文書とは、独立宣言のことである。それに対して「忠実だった」とは、そこに書かれている「すべての人は平等かつ自由で幸福を最大限に追求する権利をもつという神の約束」を「世代から世代へと大切に受け継いできた」ことであり、今、「この気高い理念を前進させる時が来たのだ」とオバマは訴える。

 この部分を私は次のように解釈する。それは、すべての人が平等かつ自由で幸福を追求することが出来る。しかも、それを神から約束されている。このことは、国民にとって何にもまさる励ましであり、勇気の源泉である。合衆国は、この励ましによって試練を乗り越えてきた、今、また大きな困難に直面して、この神の約束を信じて力を合わせよう、ということである。

オバマは、経済の疲弊と国民の自信の喪失が深刻だと認めて、「私たちは、今日から自らを奪い立たせ、ほこりを払い落として、アメリカを再生する仕事をもう一度始めなければならない」と呼びかけた。

200万人の人々がオバマの演説を聞くために集まった光景は正に息を呑む凄さだ。人々を衝き動かしたものは、「世代から世代へと受け継いだ」建国の理念だと私は思う。アメリカは、民主主義の理念に基づいて建てられた最初の国である。そのために戦い、血を流した先人の熱い血が人々に受け継がれている、と就任式のドラマを見て確信した。素晴らしいことだ。(読者感謝)

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2009年1月21日 (水)

「裁判員に備えて。質屋殺しに無期、闇サイト殺人に死刑求刑」

◇中之条町の質屋経営者を殺し金品を奪った男に前橋地裁は、19日無期懲役を言い渡した。5月から裁判員制度が始まるが、もし裁判員に選ばれたらその人は、この種の事件をどう受け止めるであろうか。

 男は、交際女性との遊興費のため、女性の首を締めて殺した。裁判長は、「利欲的かつ自己中心的で酌量の余地はない」、「矯正には相当長期間を要する」、「妹が極刑を望む気持ちも当然と理解できる」等と述べ無期懲役を言い渡した。

 交際女性との遊興費欲しさ、74歳の女性に馬乗りになって両手で首を絞めた、動かなくなった後もタオルでさらに首を絞めた等の事情、特に遺族が極刑を求めているといった事情は、裁判員によって受け止め方がかなり違うのではなかろうか。

 5月から始まる裁判員制度は、有罪か無罪かだけでなく刑罰の種類まで決めるのだからその責任は重い。

 前橋地裁は無期懲役を言い渡したが、これは、終身刑とは異なり、制度上は、刑の執行10年後から仮釈放が可能である。しかし、実際は、仮釈放は簡単には認められない。06年の無期受刑者は135人で、そのうち、在所期間20年を超えた4名のみが仮釈放を許可された。

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◇名古屋地裁において、20日、検察側は、闇サイトで知り合いになり、若い女性を拉致し殺して金品を奪った3人の男に対し、「人間性のかけらも認められない残虐極まりない犯行。極刑をもって臨むしかない」として死刑を求刑した。

 この求刑に先立って、被害者の母は意見陳述の中で「最愛の宝物を奪われ私も娘と一緒に殺された思い。命をもって償(つぐな)って下さい」激しい処罰感情を表した。

 また、この母親は、裁判に先立って次のように述べたといわれる「絶対にこの人たちを社会に戻してはいけないと思った。二度と同じような被害者を絶対に出してはいけない。こんな人が無期懲役で社会に戻ることがあれば日本の司法はおかしい」

◇日本の刑罰は軽すぎるという意見がある。その一方で先進国では数少なくなった死刑存置国である。また、死刑と、その下の無期刑に差がありすぎるから、仮釈放のない終身懲役刑を設けるべきだという意見が多い。

 憲法は、残虐な刑罰を禁じている。かつて、死刑は残虐な刑罰だと争われたが、最高裁は現行の絞首して行うという死刑は残虐ではないと判断した。はりつけ、火あぶり、車ざきなどの死刑のやり方は、残虐な刑に当ると言われる。

 だとすれば、餓死刑は典型的な残虐な死刑であろう。ナチのアウシュビッツ収容所で身代わりとなって餓死刑を受けたコルベ神父の名残りに接したのは、昨年長崎の大浦天主堂を訪ねた時の事である。人間の精神の極限の気高さを見た思いであった。神父のために餓死刑を免れた人は生き延びで91歳まで生きた。

「コルベ神父原画展」が新島短大で19日から行なわれている。(読者に感謝)

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2009年1月20日 (火)

「大統領の言葉。アメリカは熱狂をエネルギーに変えられるか」

090114_093031 ◇県議補選も折り返しにかかって熱が入ってきた。毎日、午後8時半から選対会議である。私は、朝、5時に起きるのが習慣となっているが、それほど疲れない。昨年暮、県民マラソンを機に、バナナダイエットによって体重を8キロ減らしたせいか快調である。人間の体は、意志が支配するのもだと思うが、無駄な肉がついていると体の隅々に意志の支配が及ばぬことを感じる。山本龍候補は体力は抜群で、毎日、かなりの距離を走っている。前回の県議選の時、私が運動靴で走っている姿を見て参考にしたと、龍君の仲間が語っていた。政治家にとって必要な要素は、いろいろあるが、体力と気力は不可欠な要素である。候補者の走る姿を見て有権者は、偽りのない候補者の力の一端を見て評価するのかも知れない。龍君は大変感触が良い、と興奮気味に私にささやいた。

◇オバマ新大統領の就任を前にして、先日のブログで、ルーズベルトとケネディの就任演説中の一節をとりあげたら、それらについて私の考えを知りたいというアクセスがあった。

 フランクリン・ルーズベルトは、「恐れるべきものは恐れそのものだ」と語った。その意味は、恐ろしいと思う心が問題で、これが恐れるべきものだという事である。人間の力は精神が生み出すもの。恐れていては、この力は生まれない。国民が皆、心に恐れを抱き、心の力を失ってしまう。これが大恐慌の特色である。

 ルーズベルトが登場するのは、1929年に始まった世界大恐慌の最中である。その頃の世界の人々の心と今日の大不況に怯える人々の心は似ているのではないかと思われる。それは、あたかも、新型インフルエンザに襲われた状況ではなかろうか。

 今、私たちの心を襲っている恐怖は、かつて経験したことのない高度な金融システムから始まった大不況に対するものである。それに対して、私たちは免疫力を持たない。それは、未知のウィルスに侵されたようなものだ。新型インフルエンザの出現が近いといわれているが、現在の大不況の状況は、世界中が新型インフルエンザに侵されているようなものである。抗インフル薬・タミフルに当る薬は、「勇気」である。ルーズベルトの言葉は日本人にもあてはまる。

ケネディは、「松明(たいまつ)は新しい世代の米国民に引き継がれた。国が皆さんに何をしてくれるかではなく、皆さん一人ひとりが国のために何が出来るかを問うて欲しい」と訴えた。これは、主権者である国民に国政への参加を呼びかける言葉である。国の主役は国民なのだ。国に任せきりでなく手を差し出して松明(たいまつ)を受け取れと訴えている。

オバマは、最近、ボランティア活動に参加して、「アメリカの再生に向け、国民一人ひとりが力を合わせるべきだ」と語った。20日、アメリカの壮大なドラマ・就任式が始まる。国民の熱狂を再生のエネルギーに転換できるか見守ろう。(読者に感謝)

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2009年1月19日 (月)

「総決起大会、大統領の演説」

◇選挙戦の渦中にいると時の流れが速く感じられる。16日の告示から早くも4日目、中盤戦に入った。23日午後7時、グリーンドームで決起集会を開くことになった。短時間の計画で千人からの集会を開くことは容易ではない。人の集り方と盛り上がりの様子からマスコミは、当落の予測をし、その事が有権者の心理に微妙な影響を及ぼし、選挙戦の実態をつくる一因にもなる。

 各地の小集会に出て演説をしながらアメリカの大統領選を思い出した。選挙のルール、国民性、民主主義の歴史等が違うから一概に比較できないが、アメリカの大統領選ではいつも、理念や理想が語られ、それらを表現するフレイズに聴衆が敏感に反応するが、日本ではそういう場面が少ないのは淋しいことだ。

 16日夜の演説会場におられた方が、私のブログにメールを寄せて、「理路整然、短時間で明瞭」と私の演説を誉めてくれた。神経をすり減らすような日々を送る私にとって何よりの心の栄養剤であった。

Dsc_0373_3 ◇大統領の就任式が近づいた。ニューヨークの観光名所・「マダム・タッソー蝋人形館」には、35人の芸術家が4ヵ月かけてつくったオバマ大統領の等身大の人形が人気を集めている、また、オバマを乗せた特別列車が着く駅にはどこも興奮した人々が群れている、一方、インターネットの掲示板に暗殺予告を書き込んだ男が逮捕された、こんなニュースが伝えられている。アメリカの興奮と緊張が海を越えて伝わってくるようである。

◇オバマの就任演説を世界が注目している。100年に一度の大不況とは、1929年のニューヨーク発の世界大恐慌を念頭においている。この恐慌の中で登場したのがフランクリン・ルーズベルトである。失業率は25%に達し、銀行はほとんどが業務を停止したというすさまじい状況であった。

 ルーズベルトは、次のように訴えた「私たちが唯一恐れなければならないものは、『恐れ』そのものである。名状しがたく、不合理な実体のない『恐怖心』が後退を前進に変えようとしている、それが今必要としている私たちの意志を麻痺させるのだ」。ここで言っていることは、見えない不安におびえる現在の私たちの心理に共通なものがあると思う。オバマは、この恐怖心を乗り越えるために、どんな言葉を歴史に刻むつもりか期待される。ケネディーの就任演説も時代の転換期における格調高い、国民へのメッセージであった。「松明(たいまつ)は、新しい世代の米国民に引き継がれた」、「国家が皆さんのために何をしてくれるかを問うものでなく、皆さん一人ひとりが国のために何ができるかを問うてほしい」

アメリカ大統領の就任式では必ず聖書が登場する。オバマは、リンカーンが就任式に使った聖書を使うという。政教分離は民主主義を支える大前提であるが、それよりも深い社会の基盤にキリスト教文明がある。日本の政治にも哲学や信念が求められる。(読者感謝)

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2009年1月18日 (日)

遙かなる白根(44)序章 100キロメートル強歩序曲

「周平君、頑張るんだよ。痛いのを通り越して、またきっと速く歩けるようになるから」

周平は、うんうんと首を振ってうなづいている。子どもたちは次々に到着し、少しの間休憩し、その間励ましあい、情報を交換しあって、また出掛けてゆく。

100キロのコースは六合村を流下する白砂川に沿った部分と浅間山麓の高原地帯に大きく分けられ、この二つのエリアの中間に長野原の町並みと滝原の林道があった。この林道は、“行きはよいよい帰りは恐い”という場所なのであるが、周平にとっては、行きの段階で早くも恐い道になりつつあった。与喜屋公民館の入口近くには「滝原林道」の標識が立っている。林道の長さは約6キロ。ここを通過すれば国道146号に出る。そしてその先は、浅間火山の北麓につながる広い浅間高原地帯である。滝原の林道は、吾妻川に注ぐ熊川の斜面から浅間の火山地帯へ通じる緑のトンネルである。例の二人組も出発した。茶髪の女の子も、新たな道づれの女の子をみつけて元気な足どりで林道に向った。周平は足の痛みがまだ治らないまま、先へ行った仲間を追うように林道をめざして歩きだした。

 秋が深まっていた。赤と緑を織りまぜたような山波が、煙るように熊川の谷を埋めて遠くまで広がっている。

 その昔、源頼朝が「よきや」と叫んだことが地名の由来だという言い伝えがあるが、よきやとはこの当りの自然の美しさを誉めたのかと想像されるほどの目を見張る景観である。

滝原林道を越えて

林道に踏み込んだ子どもたちの表情は変化していた。尻焼や花敷のあたりでは話し合う声も聞かれたし、緊張感のない顔つきでだらだらとした足どりで歩いている子もあちこちで見られた。それは、JR六合山荘や六合村役場の近くの青年婦人会館あたりでも同様であった。ところが、

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2009年1月17日 (土)

遙かなる白根(43)序章 100キロメートル強歩序曲

その中に、第二ポイントのJR六合山荘で見た二人の男の子、がにまたの太った子、茶髪の女の子、そして周平の姿もあった。周平は吾妻渓谷を越えて対岸のゆるやかな斜面の道を黙々と歩いていた。午前9時を少し過ぎていた。周平は立ち止まり、腕時計を見ながら指を折って数えた。もう5時間以上歩いているのだ。周平は、長野原の街並に入ったあたりから足の痛みを感じていた。だんだん痛さが増すようである。前方に目をやると、畑の中の道は遠くの森の中に伸びている。前に進んでいた人たちはもう見えなくなっていた。周平の胸に不安が広がる。まだ3分の1も来ていないのに足が痛い。最後まで歩けるだろうか。夜、長平公民館で待つ母の顔が浮かんだ。

この時、後ろから足音が近づいてきた。

「周平どうしたんだ。足が痛いのか。僕も痛いんだ。この先がポイントの与喜屋公民館だからそこまで頑張ろうぜ」

 一学年上の先輩であった。周平は、励まされて力が湧いてきたように感じた。頑張って小高い丘の上に出ると、前方の曲がりくねった道を二人組と茶髪の女の子が歩いているのが見える。よし、負けるものかと、周平は足を引きずるようにして歩き出した。周平の頭の中の地図では、前方の畑が尽きた先を少し行った所に与喜屋の公民館があって、そこから滝原の林道が始まる筈であった。

 このあたりは、浅間山麓から北流して吾妻川に注ぐ熊川が深い谷をつくり、静かに流れていた。この熊川に落ち込むゆるやかな斜面に農家が点在し、畑と農家の間を縫うように細い道が伸びている。この道の端の小高い所に第四ポイントに当てられた与喜屋公民館があった。周平が足を引くようにしてここに到着したのは、午前9時21分であった。鎌倉哲君を先頭にした一団の子どもたちは、この与喜屋公民館に7時48分に到着し、周平がここに着いた時には10キロ以上も先の、第七ポイント、常林寺を目指してエッサエッサと急いでいた。スタート地点からの距離は28キロである。村の協力で公民館は開放されていて、畳の上に大の字になって寝ころぶ者、足をさすってもらうもの、水をごくごくと音をたてて飲む者など、多くの生徒が集っていた。周平の様子に気付いて誰かのお母さんが靴を脱がせ、足のふくらはぎを両手で揉んでくれる。

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2009年1月16日 (金)

「いよいよ、県議補選の出陣式」

◇2議席をめぐって5人が争う戦いの火蓋がいよいよ切られる。2議席は自民党が占めていたものなので、自民党として2議席の確保を目指したかったが、様々な事情から山本龍氏に候補者を絞ることになった。だから負けられない戦いである。

 今朝8時、八幡宮で必勝祈願祭を行い、その後15ヵ所で出陣式を行う。選挙のたびに思うことであるが、必勝祈願とか出陣とかは、戦(いくさ)の用語である。選挙戦も戦いであることから、おそらく、戦国時代の慣(なら)わしに習って、これらの行事が始まったのであろう。挙を空に突きあげて気勢をあげる光景もすっかり見慣れたものになった。

 現代社会の民主主義を実現するための選挙戦という戦いは、負けても首を切られることはないが、負ければ深刻な痛手をこうむる。勝敗は戦略によって左右される。だから戦略をつくる参謀の知恵は重要だ。

 出陣式は、15ヵ所で行うが、その第一歩は、8時40分、県庁前における第一声である。続いて、南橘、富士見、芳賀、宮城と時計まわりに動き、最後は、19時、県庁裏の自民党県連の会場で行う。

 不況の風、政治不信の風、自民党に対する逆風、そして、身を切るような赤城おろしなど、様々な風が吹いている。さあ、この風の中で10日間の戦いが始まる。(早朝5時)

◇選挙戦の中でも使える一つのフレーズは、「危機をチャンスに変えよう、そのためのリーダーを選ぼう」である。

 実は、多くの新年会の挨拶で、私は、この不況の中で、物を大切にするという原点に立とう、それが危機をチャンスに変えるカギだと語ってきた。物があふれる中で日本人の心は貧しくなったといわれ、私たちは、ハングリーな、強い心を失った。この不況は、それを戒める天のムチかも知れない。

 農水省の資料によると、年間に捨てられる食品1100万トンで、これは、日本人が1日に食べる量に換算すると3000万人分に当るという。食べ残しや賞味期限切れなど、食べられる食品廃棄物が、毎日、家庭から大量に捨てられる。コンビ二やレストランから出る食品廃棄物も膨大である。世界には食べ物が不足して飢える人が多いというのに、日本の状況は、正にもったいないの極みである。

百貨店、スーパー、レストラン、家庭などから出る食品廃棄物の再生利用率は約1%にすぎない(平成20年版環境白書)。

◇前橋市が中核市に移行することに伴い、県は、保育園に対する来年度の県の助成(現在2分の1)を打ち切る方向で動いていたが、前橋の三県議(中村・中沢・狩野)は、大澤知事に、方針の変更を強く求めた。知事は、保育園の状況等を熟慮の上、来年度の助成を現在の2分の1にして続けることを、保育園協会の幹部等に伝えた(15日午後)。大不況の中の朗報である。(読者に感謝)

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2009年1月15日 (木)

「五人殺害、裁判員なら死刑か無期か」

◇家族5人を殺害した男に岐阜地裁は無期懲役を言い渡した。検事の求刑は死刑だった。裁判官は、「一抹の酌量の余地がある。極刑の選択にはちゅうちょが残る」と述べた。「酌量の余地」とか「ちゅうちょが残る」という点は裁判官によって判断が分かれると思う。

 5月から裁判員制度が始まる。対象になるのは、死刑もあり得る重大な刑事事件である。そして、裁判員は、有罪か無罪かだけでなく、どのような刑罰に処するかについても結論を下す。もし、5人を殺したこのようなケースの裁判員に選ばれたなら、その人は大変悩むに違いない。

◇事件は、05年岐阜県中津川市で起きた。原平(はらたいら)という男は、母や孫ら5人を殺害し1人に怪我をさせた。被告は、母チヨコさんが妻のことを泥棒扱いすることに耐えかね「母がいなくなれば楽になれる」と考え殺意を抱くようになった。85歳の母、33歳の長男30歳の長女、及びその2人の子(2歳の長男と生後3週間の長女)を殺した。生後間もない幼児は口を手でふさいで窒息死させ、他の4人はネクタイで絞殺した。被害の責任能力が問題になったが裁判長は完全責任能力を認めた。

 死刑は極刑であるから、酌量の余地がない場合に科される。通常は複数を殺し、更生の見込みも酌量の余地もない場合に言い渡される。

 この事件のような場合、裁判官によって結論に差があるのではなかろうか。そして、裁判員制度の下では、どのような人が裁判員になるかによって結論が大きく異なることになるのではないか。被告に運不運が生じるのは裁判員制度の下ではやむを得ないことなのか。一市民として素朴な疑問がわく。

◇昨年11月前橋市民文化会館の駐車場で3人の少年が集団で暴行を加えて少年を死亡させた事件について、私は、このブログで取り上げ、3人の少年は厳しく追及されるだろう、この少年犯罪の行方を注目したい、と書いた(昨年11月13日のブログ)。今月13日、前橋家庭裁判所は、3人の少年に対し、「刑事処分」が相当として前橋地検に「逆送致」する決定をした。

これはどういうことか。少年法は、少年については、保護と健全育成の見地から刑事事件を起こした少年を家裁の審判に付することになっている。しかし、近年、凶悪な少年犯罪が多くなったことから、01年4月、少年法が厳罰化の方向で改正されたのである。つまり、16歳以上の少年が故意の犯行で被害者を死亡させた場合原則として検察官に送致して刑事裁判にかけることになった。これが「逆送致」である。

3人の少年は、成人同様、起訴されることになり、公開の裁判で、傷害致死罪、監禁罪などの点につき刑事責任の有無を問われる。最近の耳を疑うような残虐な少年犯罪に対する警告となるであろうか。(読者に感謝)

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2009年1月14日 (水)

「秋葉原の惨劇で使われたダガーナイフの規制」

◇昨年6月、25歳の男が秋葉原で17人を殺傷した事件は、異常な殺人事件が日常化している今日の社会状況の中でも脳裏に焼きついて忘れ難い。その時使われたダガーナイフの所持が規制されることになった。

 ダガーナイフは両刃の短剣型ナイフで、人を殺す武器として作られている。専門家によれば、このナイフは刃が薄く細いため力がなくとも一刺しで人を殺すことが出来、刃先に血がつきにくいので何度使用しても殺傷能力が落ちないという。白昼、歩行者天国を襲った男は、このダガーナイフで7人を殺し10人を負傷させた。男は、事件の2日前に合法的にナイフを買った。こんな危険なナイフがなぜ自由に買えるのかと多くの人は疑問に思ったのである。

 従来の銃刀法は刃渡り十五センチ以上の刀剣の所持を禁じていたため、十五センチ未満ならダガーナイフの所持も規制外だった。そこで事件直後、「このような凶器となる武器の販売を規制すべきだ」という議論が起きていた。そして東京都は、18歳未満の者へのダガーナイフの販売・譲渡を禁止する方針を決めたのである。

 この度の改正銃刀法は、刃渡り十五センチ未満、五,五センチ以上の柄のついた両刃のナイフで先が著しく鋭いものの所持を禁止する。ダガーナイフがこれに該当する。

 改正法の施行は今月5日で、施工後6ヵ月間の猶予期間がある。その期限は7月4日である。その後の所持は銃刀法違反となるので、県警は、「規制の対象となる刃物を所持している人は猶予期間中に警察に提出して欲しい」と呼びかけている。(銃刀法とは、銃砲刀剣類所持等取締法のこと、不法所持は一年以上十年以下の懲役)

090114_093031_2 ◇今月のふるさと塾は、いつもの通り、私が講師で、31日(土)、午後7時から前橋総合福祉会館2Fで行われる。テーマは「アメリカ合衆国の歴史とオバマの誕生」である。昨日、次のような案内文を書いた。「世界最強の国アメリカは、今、ある意味で建国以来の危機に直面しています。時、あたかも黒人大統領オバマの誕生です。この事は、アメリカ史の上で何を意味するのでしょうか。アメリカ史の壮大なドラマを振り返ることは、アメリカを理解し、そして、世界のこれからの進む方向をさぐる上でも意義のあることだと思います。オバマ大統領の就任演説をリンカーンやケネディの演説と比べながら紹介することも考えています。アメリカ発の大不況の中で危機をチャンスに変えることが求められている今、オバマの出現とその語る言葉は、私たちにとっても大きな示唆になると思います」

 首都ワシントンでは、11日、就任パレードのリハーサルが行われた。今月20日の就任式当日は、史上最高の200万人以上が首都に詰めかける見通しだといわれる。オバマが乗る特別列車は独立宣言が行われたフィラデルフィアからスタートする。史上最大のドラマが近づいた。(読者に感謝)

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2009年1月13日 (火)

「深夜、少女とボウリングをするとどうなるか」「処女じゃないでしょうはセクハラ」

090112_102502 ◇深夜、前橋市内の娯楽施設(ボウリング場)で15歳の少女と遊んでいた男が書類送検された。意外に思う人がいるに違いない。この事件は、昭和36年に制定されて以来、初めて平成19年の県議会で全面改正された県青少年健全育成条例違反に問われたもの。青少年をかこむ社会環境の大きな変化の中で少年非行の低年齢化や凶悪化などが進んでいる。このような状況に対して青少年の健全育成のために社会が新たな姿勢で取り組もうとするのが条例改正の狙いである。

 同条例は、正当な理由がなく、深夜、18歳未満の少年を連れ出したり同伴することを禁じている。深夜とは午後10時から午前4時迄。罰則は30万円以下の罰金である。この条項で摘発されたのは、改正以来始めてのことだ。

 なお同条例が新設した主な禁止事項として、他に青少年に対して入れ墨をする事、使用済みの下着等の買受け、風俗店等への勧誘行為などがある。 

 氷山が溶けるように社会が崩れていく危機感を抱くのが今日の社会状況である。青少年の健全化のための条例は、それを食い止めるための試みである。そして、条例というかたちで地方が取り組むことに意義がある。

◇言葉だけでもセクハラに当るという東京高裁の判決に驚いた。風月堂の店長が、20代の女性に、「君は秋葉原のメイド喫茶の方が似合うんじゃない?」、「処女に見えるけど処女じゃないでしょ?」、「あの男と寝たでしょ?」などという言葉による執拗な性的嫌がらせを東京高裁はセクハラと認め女性に170万円の損害賠償をするよう会社に命じた。東京地裁は損害賠償請求を棄却したが、東京高裁はこれを逆転させたのである。

 従来、この種の言葉による嫌がらせは会社でよく見られたことだと思う。からかわれた女性の精神的苦痛は、状況によっては耐えられない程のものであろう。職場の責任者は、適切な指導や注意をしないと、このケースのように誰訟の場に引き出されることになる。しかし、言葉による嫌がらせが直ちにセクハラになるわけではない。このケースは、両親が会社に謝罪と善処を求めたが、会社はセクハラとは一切認めなかったという事情があるらしい。

◇ストーカー行為をした裁判官が弾刻裁判によって罷免されるという出来事が最近あった。裁判官は、司法権の独立を尊重するために、その身分は強く守られ、裁判官の罷免は国会内に開かれる特別の裁判所である弾刻裁判所によってのみ可能である。罷免された裁判官は、「裁判員制度開始を目前にして司法の信頼を傷つけてしまった」と語ったという。

◇家裁の元書記官がその立場を悪用して、債権があるとする判決文を偽造して多額の金を詐取したとして逮捕される事件があった。これは裁判官の事件ではないが、国民の司法に対する信頼を失わせる出来事であることは間違いない。間もなく始まる裁判員制度は司法への信頼を回復するための改革である。司法の動きを注目したい。(読者に感謝)

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「深夜、少女とボウリングをするとどうなるか」「処女じゃないでしょうはセクハラ」

◇深夜、前橋市内の娯楽施設(ボウリング場)で15歳の少女と遊んでいた男が書類送検された。意外に思う人がいるに違いない。この事件は、昭和36年に制定されて以来、初めて平成19年の県議会で全面改正された県青少年健全育成条例違反に問われたもの。青少年をかこむ社会環境の大きな変化の中で少年非行の低年齢化や凶悪化などが進んでいる。このような状況に対して青少年の健全育成のために社会が新たな姿勢で取り組もうとするのが条例改正の狙いである。

 同条例は、正当な理由がなく、深夜、18歳未満の少年を連れ出したり同伴することを禁じている。深夜とは午後10時から午前4時迄。罰則は30万円以下の罰金である。この条項で摘発されたのは、改正以来始めてのことだ。

 なお同条例が新設した主な禁止事項として、他に青少年に対して入れ墨をする事、使用済みの下着等の買受け、風俗店等への勧誘行為などがある。 

 氷山が溶けるように社会が崩れていく危機感を抱くのが今日の社会状況である。青少年の健全化のための条例は、それを食い止めるための試みである。そして、条例というかたちで地方が取り組むことに意義がある。

◇言葉だけでもセクハラに当るという東京高裁の判決に驚いた。風月堂の店長が、20代の女性に、「君は秋葉原のメイド喫茶の方が似合うんじゃない?」、「処女に見えるけど処女じゃないでしょ?」、「あの男と寝たでしょ?」などという言葉による執拗な性的嫌がらせを東京高裁はセクハラと認め女性に170万円の損害賠償をするよう会社に命じた。東京地裁は損害賠償請求を棄却したが、東京高裁はこれを逆転させたのである。

 従来、この種の言葉による嫌がらせは会社でよく見られたことだと思う。からかわれた女性の精神的苦痛は、状況によっては耐えられない程のものであろう。職場の責任者は、適切な指導や注意をしないと、このケースのように誰訟の場に引き出されることになる。しかし、言葉による嫌がらせが直ちにセクハラになるわけではない。このケースは、両親が会社に謝罪と善処を求めたが、会社はセクハラとは一切認めなかったという事情があるらしい。

◇ストーカー行為をした裁判官が弾刻裁判によって罷免されるという出来事が最近あった。裁判官は、司法権の独立を尊重するために、その身分は強く守られ、裁判官の罷免は国会内に開かれる特別の裁判所である弾刻裁判所によってのみ可能である。罷免された裁判官は、「裁判員制度開始を目前にして司法の信頼を傷つけてしまった」と語ったという。

◇家裁の元書記官がその立場を悪用して、債権があるとする判決文を偽造して多額の金を詐取したとして逮捕される事件があった。これは裁判官の事件ではないが、国民の司法に対する信頼を失わせる出来事であることは間違いない。間もなく始まる裁判員制度は司法への信頼を回復するための改革である。司法の動きを注目したい。(読者に感謝)

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2009年1月12日 (月)

遙かなる白根(42)序章 100キロメートル強歩序曲

六合村を、その最北端から、南北に貫いて流れ下る白砂川は東西の谷間から多くの流れを受け入れ水量を増やし、長野原地内で吾妻川に合流している。二つの川の合流点は、周平たちが歩いている国道292号と吾妻川に沿って東西に走る国道145号との合流点と重なっている。二つの国道がTの字型に合流する点が須川橋の信号なのである。

 白砂川が尽きるこの須川橋の信号が、100キロ強歩に臨む子どもたちにとって、行きも帰りも大きな区切りの場所として格別の意味をもっていた。

 普段の帰校日、全国から集まる子どもたちの多くは、この信号を曲り込んで、左に白砂川の流れの音を開き、右にそそり立つ岸壁を見たとき、ああ別の世界に、そして俺たちの山に帰ってきたのだという感慨を抱くのであった。同様に、今100キロのコースを歩む子どもたちも、白砂川とそれを囲む山々に別れを告げて須川橋の信号を右折し、長野原町の市街に足を踏み入れたとき、古里を離れて異郷に踏み込んだという気持ちを抱くのであった。

 そして、山と谷と川、上りと下りの長い単調な道程に飽きていた子ども達は、ここで街の賑わいに接して、しばし疲れを忘れ、都会出身の子どもたちは懐かしい故郷に思いを馳せるのであった。

 長野原の市街地を抜けて少し進むと大津駅前信号に出会う。これを左折すると、道は吾妻渓谷に向って緩やかな傾斜を作って伸びる。ここまで来ると子ども達の他、人通りも絶え、今までの街の音は途絶えて、周りの光景も一変し、不思議な静けさが支配していた。対岸はなだらか丘陵が続き、その先は折り重なるようにどこまでも続く山波が深く静かに広がっている。渓谷にかかる新戸橋からは、切り立つ岸壁の遙か下に吾妻川の流れが岩に砕けて白い波を立てているのが見える。新戸橋を子どもたちが一人、二人、と黙々と歩いてゆく。

 かつて浅間山の大爆発の時、巨大な火砕流は天地を揺るがす凄まじい勢いで浅間山の北面をおそい、人馬も家も田畑も呑み込んで吾妻川に流れ込んだ。そして火砕流は、この当たりの渓谷をせき止めたため、溢れた泥流は逆流して近隣の村々に甚大な被害を及ぼしたという。阿鼻叫喚の地獄が200年前に繰り広げられた跡とは信じられないほどの不気味な静けさであった。その静けさの中に呑み込まれて行くように子どもたちの無言の列が続く。

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2009年1月11日 (日)

遙かなる白根(43)序章 100キロメートル強歩序曲

「お母さんが待っているポイントは、ずっと先の夜のポイントがいい」

 こう主張する周平の言い分はもっともなことと思われたので、今年は、母親は最後の第21ポイントの長平公民館で待機することにしたのである。

「母が待つポイントまでは元気よく、あとは迎えの車を待つ子ら」と、誰かが「白樺」に投稿していたことがうなづける。

「周平君、頑張ってね」

 周平は、背後から聞こえる当番の父母たちの声に励まされながら、今夜はどうしてもお母さんの待つ長平公民館まで頑張るのだと、自分に言い聞かせるのであった。

第1ポイントを様々な子ども達が通り過ぎてゆく。先輩と後輩の関係と思われる二人組が足早に進んでいた。先へ行くひょろっと背の高い少年が、身体を曲げて後ろの小柄な少年に視線を向けた。後ろの少年はそれを受け止めて、肯くようにして足を速める。今年こそ俺が面倒を見て、お前を完歩させてやると、のっぽの背中が語っているようだ。この二人組に前後して、太ったややがにまたの男の子が下を向いて黙々と歩いてゆく。この子ども達に少し間隔を置いて、茶髪の可愛い女の子がスタスタとテントに近づいてきた。父親らしい男が待っていたように2、3歩進み出て、手を振って迎えいれようとした。女の子は男と視線が合うとプイと顔をそむけ、向きを変えてテントの前を通り過ぎてゆく。親子の間にどんな事情があるのか。テントにいる他の父母たちは一瞬驚いた様子であるが、男を気遣うかのように、後続の子らに関心を移して声援を送っている。

周平について言えるような様々なドラマを、子どもたちと父母たちは引きずっている。白根開善学校の子と父母は、既に長いこと苦しい人生の100キロ強歩を歩いているのだ。周平たちの姿は前方のカーブを過ぎてやがて見えなくなった。

 すっかり夜が明け、東の山際を朝日が赤く染め始めた。白砂川を隔てた対岸の段丘に所々、人家の集まりが見える。そこでも朝の営みが始まっていた。人家の間からゆっくりと立ち上がる白い煙が見え、犬の声がかすかに伝わってくる。白砂川の流れは渓谷の遥か下を流れていて、今はその瀬音も聞こえない。子どもたちは黙々と歩き続けている。

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「遥かなる白根」を連載しています。

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2009年1月10日 (土)

遙かなる白根(42)序章 100キロメートル強歩序曲

周平は、今年こそはどんなことがあっても完歩するのだと言った父の声が、どこかから聞こえてくるような気がした。

花敷の先で、道は国道405号に合流し、それは白砂渓谷に沿って南下する。ここまで来ると子どもたちもばらばらになって、足の速い者は遥か先を進み、後続の遅いグループとの距離を広げていた。

100キロメートルの全行程には21のポイントが設けられ、各ポイントにはテントが張られ、予め決められた時間帯に何名かづつの父母が割り当てられて待機する。父母たちは通過してゆく子どもたちを記録し、コース上の情報の入手や怪我などの事故にも備える。また、ポイントには簡単な飲み物や食べ物も置かれていて、子ども達はしばし休憩を取ることもできるのだ。

スタートしてから2時間と少しが過ぎていた。雨もあがり、周りの山々もくっきりと姿を現した。白砂川の対岸の山の斜面を、白い霧がゆっくりと流れている。白砂渓谷の所々にはまだ夜の残りの黒い影が澱んでいるが、そのあたりから谷川の音が勢いよく響いている。谷底の瀬音に交じって、鳥のさえずりが聞こえてくる。

周平の前に、湯川にかかる湯川橋が近づいた。橋を渡って坂道を少し進めば荷付場といわれる所に出る。ここで周平たちが歩いてきた国道405号は、草津から長野原に至る国道292号に合流する。そしてこの合流点から程近い所に、第一ポイントのJR六合山荘があった。ここは、JRが経営する山荘の一角であり、民芸品や村の農産物などを売る商店もある。

白砂川に沿って下る

 周平は、このJR六合山荘を6時33分に通過した。先頭を行く5年生(高校3年生)の鎌倉哲君は、このポイントを5時35分に通過して、周平が第1ポイントに着いた時は、既に、4.18キロ先の第2ポイント、青年婦人会館を小走りに通過していた。驚くべき速さである。周平は第1ポイントでは、休むことなく先へ急いだ。「昨年、お母さんはこの第1ポイントの当番で、もっと休んでゆけと引き止めたため、ここで遅れをとった」そういう思いが周平の胸にあった。

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2009年1月 9日 (金)

「商工会の新年会は勉強になった」

◇恒例の前橋商工会議所の新年会(7日)は例年の通り乾杯までちょうど一時間かかった。各界の代表の挨拶にはなるほどとうなずかせる点がある。気付いたポイントを紹介してみたい。

◇大澤知事は来賓のトップで登壇。深刻な不況に触れ、雇用問題の解決には企業の発展が必要で、「企業力なくして雇用なし」である、そこで中小企業をサポートし、県外からの企業の誘致に力を入れると力強く語った。

◇尾身代議士は、重粒子線を群大に誘致した立役者として、今は治療に300万円程かかるが一年のうちに保険の適用が可能になるだろうと述べた。

◇日銀支店長の柴山氏は、最近のムードで心配なことは、暗いニュースばかりで、気持ちが沈んでしまい財布のヒモが固くなり行動も萎縮してしまうことだ、景気は気からという、日本がこれ迄着実に積み上げてきたものが虚(うつ)ろに映るようなことではいけない、今こそ平常心を持つべきだ、我が国はこれまでも土俵際ではね返してきた、自信をもとう、と訴えた。

◇山本一太さんは、消費税増税の時期を3年後と今明記することは景気にとってマイナスとなる、また増税する前に議員は身を切ることが大切で、議員定数を削減すべきだと主張した。

◇来賓の最後は、金融界を代表して群銀の頭取、四方さんが登壇し次のように語った。大不況でアメリカ型の経済より日本的なやり方がよいことが分かった。日本は物作りが基本で金融はそれを支えるものだがアメリカのは金融が主になり過ぎた。円高は日本のやり方への評価を意味する。アメリカの経済は見直しの必要があるが日本の経済は今までのやり方でよい、と。

 来賓の挨拶の様子を見て感じた事は、書いたものを読む人は皆無で、皆自分の言葉で語ったことだ。腰塚県会議長も自分の言葉で中味のある挨拶をしていた。私は、かつて私が議長だった頃の事を思い出した。私は一部の反感を承知で議長時代を通して巻紙は読まなかったのである。小さな一石は形式主義の打破にいくらか役に立ったのかも知れない。

◇世界的な金融危機の影響で自治体は大幅な税収減におちいっている。新年会で皆が口を揃えたように100年に一度の経済危機といっているが、その実態は、企業の業績悪化による法人税の減収というかたちで、数字になって現れている。昨年の段階で県の法人税は約160億円の減収となっていた。

 対策として重要なことは、特定企業からの法人税に頼ることがないように、多種多様な企業を誘致することである。大澤知事のトップセールスや銀座の群馬総合情報センターの役割は、このような状況と結びついている。

 特定企業に頼ることのマイナス点は、景気の動向にそれらの企業が動かされると、それが直ちに税収に響くことだ。税の問題は難しいが、今年は是非学びたいという声が寄せられている。情報を提供することに心がけたい。(読者に感謝)

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2009年1月 8日 (木)

「県議団総会、議会新春交流会、上毛新聞交歓会等」

Photo ◇新年の行事が洪水のように始まった。6日の行事を紹介したい。先ず自民県議団総会が10時に開かれた。主な議題は県議補選についてである。いつものことだが地区外の県議にも応援を求めるのである。頃合いを見て山本龍が現われ挨拶をした。いつもながら、どこか素頓狂な雰囲気を漂わせた男である。正直な人物だと思った。

11時、庁舎32Fで、県議会新春交流会。県議会が主催であるが、知事以下執行部の主な人たち、そして市町村の首長なども参加する。腰塚議長に続いて登壇した大澤知事は、大不況の中の難しい県政を語る中で上武大学が初めて箱根駅伝で健闘したことを取り上げ、県政も今年一年頑張って、タスキを来年につなげたいと決意を述べた。大澤さんは私との歓談の中で、細かい陳情の電話が家にかかってくるので、奥さんが頑張っていると話していた。県会議員の経験をもつ知事の特色だと思った。

◇上毛新聞の交歓会はマーキュリーホテルで12時半から行われた。中央演壇近くに進むと小寺前知事がいたので驚いた。「前橋は大変ですね」と小寺さんは笑いながら近づいて私と握手した。小寺さんと言葉を交わし、握手するのは久しぶりのことだ。緊張関係にあったころの出来事が頭をかすめた。髙木市長も近くにおられた。ごった返す交歓会は様々な立場の人が久しぶりに様々な思いで言葉と視線を交わす交流の場なのである。

◇3時から選対会議。重要な議題は、選対の組織づくり、そして、出陣式及び決起大会の日程等である。選対事務長には私、選対本部長には中沢県議がそれぞれ就いた。16日告示、25日投票である。まだ印刷物なども準備が整わない。補欠選の慌しさを改めて感じた。

◇6時、地元自治会の新年会に出た。この席で、高花台では最近、数件の空き巣狙いがあったことを聞いた。大不況の影響であろうか。大阪を中心にタクシー強盗が頻発していることを直ぐに連想した。

 私は次のような挨拶をした。「今日は、どの新年会でも百年に一度の不景気という話が出ました。治安にも悪い影響が出ています。安全安心な生活を守る為にいまこそ、地域社会の力が求められています。日本人は、これまで物を粗末にし、ぜいたくに慣れ、逆に心を貧しくしました。だから、この経済の危機は私たちが反省して新しい道を開くチャンスだと思います。」

◇大阪、兵庫では昨年末からタクシー運転手が襲われる事件が続発している。関西では昨年末タクシー運転手が首を刺され殺される強盗殺人事件が2件起きた。そして今月5日大阪松原市で、また、タクシー運転手が首を刺され意識不明の状態と報じられた。このタクシー会社は車内のカメラ設置を検討中という。

 事件は連鎖することが恐い。県内のハイヤー協会は防犯ガラスの設置を会員に促し、前橋地区のハイヤー協会は前橋署と合同で防犯訓練をするという。不況の波は深刻な影響を生じ始めた。(読者に感謝)

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2009年1月 7日 (水)

裁判員、時効、社会内処遇、司法も変革の時だ」

107 ◇御年始で後援会の役員を訪ねたら奥さんが裁判員の候補者になったと困った表情。私の知る限りでは、知人の中でこの奥さんが初めてである。「断ろうかと思っているのですが」と心細そうである。今、この制度の開始を目前にして、世間では反対の合唱が響いているようだ。

 この制度の導入は、従来の刑事裁判の在り方だけでなく、日本の社会を大きく変える要因になると思う。現在の刑事裁判は書面審査に傾き形式化している点に問題がある。だから、普通の市民の感覚を活かして司法の民主化を図ることには大きな意義がある。しかし、理想を前にして現実は容易でない。プロの裁判官3人が加わるとしても、無差別に選ばれた市民に人を裁くことが果たして出来るのか、しかも、死刑もありうる重大な刑事事件が対象なのだ。これが多くの人が戸惑い不安を抱く点である。元最高裁判事の団藤さんが、「死刑廃止なくして裁判員制度なし」とかつて発言したことが、今、重みをもって思い出される。

 この制度の導入に備えて審理の迅速化、捜査や取調べの過程の透明化などの改革が行われている。また、一般の人々の刑事裁判への関心が高まっている。前記の奥さんも候補者になってから刑事事件の行方を注意して見守るようになったと語っている。国民全体がこの制度を前にして刑事裁判について学習していることは、大変意義のあることだ。私は、少しずつ歩みを進めてやがて良い制度に定着すればと願っている。

◇世田谷の一家皆殺し事件から8年が過ぎた。遺族が記者会見して時効の停止を訴えている姿に心を打たれた。

 死刑に当たる罪についても時効があることに疑問を抱く人は多い。時効制度を支える一つの根拠は時が経つと証拠もなくなるというものだが、DNA鑑定などの科学捜査が進歩していることは無視できない事であるし、遺族の無念さも考えるべきである。そこで、法務省は、殺人などの重大事件につき公訴時効の撤廃や延長も含め、時効制度を見直す方向で検討を始めたという。もっともな事だ。その行方を注目したい。

◇刑務所に勤務する知人から刑務所が満員で困るという話を聞いた。かなり前からどこの刑務所も同様な状態であるらしい。このような状況に対する対策という意味もあって、受刑者の処遇の在り方を改める動きが始まる。比較的罪の軽い犯罪者を刑務所に入れずに老人ホームなどで社会奉仕をさせる「社会奉仕命令」及び、刑期の途中で刑務所から釈放して社会の中で更正させる「一部執行猶予」の制度である。こちらは、薬物犯罪の被告などが対象になるらしい。

 日本は量刑が軽すぎるという批判が一方にあるが、刑罰の目的の一つは更正させることである。その為には社会内処遇が最適なのだから、新しい制度が有効に生かされることを期待したい。(読者に感謝)

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2009年1月 6日 (火)

「『書き替えられた国書』を読む」

◇議員の意見交換会が行われた(5日)。朝8時、自民党前橋支部長の私の呼びかけで国会、県会、市会の議員等約20人が参加、県議補選、市議選、衆院選等につき意見交換を行った。前回の市長選の反省を活かそうという意見も出た。短期決戦の臨戦態勢が進む。

106 ◇対馬の事を紹介したい。昨年末、忘年会の日程も尽きた頃、私は対馬に飛んだ。辺境の島の特殊な事情を知りたいとかねて予定していたのである。財部市長は、かつて対馬は、朝鮮との外交及び貿易の中心だったが、明治以降中央集権体制の下で辺境の地になってしまったと語った。そして、市長は、私に、「書き替えられた国書」という本を紹介した。電話で調べると、その本は書店にも出版社にもなかったが、県立図書館にあることが分かった。私の事務員に頼み暮の閉館間際に借り三が日の寸暇をさいて読んだ。中公新書で著者は田代和生である。

 実は国書偽造の話は、対馬空港に向う機の中で偶然に言葉を交わした島の女性からも聞いたし、市長が紹介してくれた島めぐりの船の案内をした阿比留氏からも聞いた。島では一般に知られた史実なのだと思う。

◇国書偽造の中心点は次のような事である。秀吉の朝鮮出兵で壊れた李朝との関係を修復したい家康は対馬藩主の宗氏に、朝鮮から使節を送ることと国書の交換の件につき、交渉を命じた。これに対し、秀吉に傷められた朝鮮は2つの厳しい条件をつけた。一つは秀吉の出兵の時王墓をあばいた犯人を引き渡すこと、もう一つは、家康が先に国書を出すことであった。いずれも受け入れ難い条件であった。特に、先に国書を出す事はその国に対する恭順を意味するから家康が承知する筈はなかった。そこで、宗氏は、入牢中の罪人を墓をあばいた犯人に仕立て朝鮮に送る。二人は直ちに斬首された。そして、偽造した国書を送ったのである。李朝では数年はかかる筈の国書が三ヶ月程で届けられたことに驚き真偽をめぐって激しく議論されたがそれにより体面が保たれたことと、国交の回復を望んでいたこともあって、受け入れることにしたという。かくして宗氏の面目も施(ほどこ)されたわけである。この国書偽造は発覚し大問題になるが、宗氏は処罰されなかった。この間の事情は対馬藩のお家騒動もからみ興味深い。財部市長は、国書に押す偽造印が太宰府の国立博物館に貴重な資料として陳列されていると語っていた。

 宗氏が処罰を免れたのは、対馬藩が朝鮮との外交になくてはならない存在であったからである。私が対馬を訪ねてみたいと思った直接のきっかけは、昨年11月議会の県外調査で五島列島を見たことである。対馬は、古代から大陸の文化を伝える窓口の役割を果たしてきた。鎖国の時代にあっても、対馬は特殊な存在として、朝鮮との外交や貿易が盛んに行われていた事を知ることが出来た。20世紀に入り日本が朝鮮を支配した為に日朝間に緊張関係が生まれている。対馬はその歴史と地理的条件を活かして韓国との友好関係を再び発展させたいと、市長は語っておられた。(読者に感謝)

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2009年1月 5日 (月)

「激動の年の決戦の1月が始まった」

◇恒例の尾身後援会の新年会がグリーンドームで行われた(4日)。例年以上の緊張した空気が流れていた。1月の県議補選、2月の前橋市議選、その後の衆院選の勝敗に強く関わる集いだからである。来賓としては、大沢知事、中曽根外相、山本一太氏等が席を連ねた。

 尾身さんは、壇上の市会議員、県議補選に立候補する山本龍氏たちを紹介し、この人達を必ず当選させなくてはならないので宜しく頼みますと訴えた。そして自らの選挙については、正に正念場です、人事を尽くして天命を待つと思える心境に至れるまで頑張ります、と決意を述べた。

◇尾身さんのこの新年会で、山本龍さんは、特に許されてマイクを握り、県議補選で頑張りますので皆さん宜しくお願いしますと訴えた。昨年末、自民党は山本龍氏一人を公認する方針を固めたのである。

昨年末、私は山本夫妻に同行し、今は亡き金子泰造氏と金子一郎氏のご自宅、並びに両氏の後援会の幹部を訪ね、両金子氏の遺志を継ぐかたちで出馬することになったと告げて挨拶を済ませていた。そして、1月3日、再び龍さんを伴って芳賀地区と宮城地区の私の後援会幹部を訪ね協力をお願いした。

山本龍さんに同行する私の胸には20年前の私自身の補欠選挙の事が甦っていた。補選の機会は予定されたものではなく、ある日突然にやってくる。私の場合は、昭和63年の7月、アカネ県議が市長選に出馬したことによる一議席の欠員に当時の清水知事の任期満了による知事選の実施が重なったために、補欠選が実現した。そして、今回は、金子泰造、金子一郎両氏の急逝による補選である。

私の場合、一人の県議の欠員であったが、同時に知事選というその地方の上級の選挙が同時に行われる場合には、例外的に補選を行うという法の定めに従ったのである。

 このように補欠選の機会は偶然にやってきて短期間で行なわれるから、直ちに決意して陣容を整えねばならない。それ故に出馬する人は限られることになる。自民党が2人の候補者の擁立に苦しんだ一因もここにある。

 今回、今のところ、5人の候補予定者が立候補を表明している。5人が争う議席の数は2である。民主党は今回も2人を立てる方針である。前回の轍(てつ)を路んで共倒れということになれば、来る衆院選にもひびくことになるだろう。市議選と県議補選は、衆院選の前哨戦なのだ。

◇元旦の初詣は地元の二つの神社で手を合わせた。小坂子神社では若者の数が多いことに驚いた。不安の年の幕開けにあたり若者も心に期するものがあるのかも知れない。

 一年の計は元旦にありで、光る星の下、未明の道を走った。午前8時、恒例の鳥羽町の新年会に出た。金子泰造さんのいつもの姿がないことが残念に思えた。(読者に感謝)

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2009年1月 4日 (日)

遙かなる白根(41)序章 100キロメートル強歩序曲

強歩はスタートした

 平成8年10月12日午前4時、小雨のパラつく中、周平にとって2回目の100キロメートル強歩がスタートした。この年の強歩参加者は、総勢134名である。天気予報では、日中、雨は止むと言っていたので、雨具を身に付けてはいるが、子どもたちに中止の不安はほとんどなかった。

 あたりは濃い闇に包まれ、学校を囲む森も山もまだ深く眠っていた。ザクザクと霜を踏む子どもたちの足音にもこれから100キロを歩くのだという決意が感じられる。

 周平は、父親と練った作戦に従って、今回はスタート時からやや速度をあげていた。早朝のまだ体力がいっぱいある内に距離と時間を稼いで、午後の苦しい時に休憩の時間を取るという作戦である。昼の休憩は浅間高原のあのあたりかと周平はスピードをあげながらコースの先を想像した。

林の中の坂道を一気に下って小倉の広場にかかる。帰りのコースでは学校への玄関口となって、焚き火とライトと人々の動きや声で緊迫感が漂うこの広場も、今は音もなく黒々と広がっている。ここから沢を越えてしばらくゆくと長平公民館である。今は人影もないが、帰りのコースでは最後の第21ポイントになるところだ。

 今年は、ここがお母さんの受け持ちだ。お姉ちゃんも一緒に待っていてくれると言っていた。ここまで頑張れるだろうか。周平の頭にチラと今夜の苦しい場面がよぎる。

 急な坂道を長笹沢川の流れの所まで下る。黒い谷間に流れの音が静かにこだましている。坂道を下りきった所に尻焼温泉があり、その先1キロ足らずの所に花敷温泉があった。花敷温泉は、子どもたちが週に一度、外出が許されている所であり、ここまでは歩き慣れた道であった。子どもたちの足取りもまだ軽い。長笹沢川の流れを呑み込んで一際高くなった白砂川の瀬音に包まれるようにして幾棟かの建物があった。周平は花敷ベーカリーの前を通りながら、ここで繰り広げられるであろう夜の光景を想像した。ここは帰りの第20ポイントで、夜は明かりがいっぱいで賑やかな筈だ。東京のテレビ局も来るとか聞いている。夜の12時迄にここに着いて、自分の名前を記録することが完歩の条件なのだ。

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遙かなる白根(41)序章 100キロメートル強歩序曲

強歩はスタートした

 平成8年10月12日午前4時、小雨のパラつく中、周平にとって2回目の100キロメートル強歩がスタートした。この年の強歩参加者は、総勢134名である。天気予報では、日中、雨は止むと言っていたので、雨具を身に付けてはいるが、子どもたちに中止の不安はほとんどなかった。

 あたりは濃い闇に包まれ、学校を囲む森も山もまだ深く眠っていた。ザクザクと霜を踏む子どもたちの足音にもこれから100キロを歩くのだという決意が感じられる。

 周平は、父親と練った作戦に従って、今回はスタート時からやや速度をあげていた。早朝のまだ体力がいっぱいある内に距離と時間を稼いで、午後の苦しい時に休憩の時間を取るという作戦である。昼の休憩は浅間高原のあのあたりかと周平はスピードをあげながらコースの先を想像した。

林の中の坂道を一気に下って小倉の広場にかかる。帰りのコースでは学校への玄関口となって、焚き火とライトと人々の動きや声で緊迫感が漂うこの広場も、今は音もなく黒々と広がっている。ここから沢を越えてしばらくゆくと長平公民館である。今は人影もないが、帰りのコースでは最後の第21ポイントになるところだ。

 今年は、ここがお母さんの受け持ちだ。お姉ちゃんも一緒に待っていてくれると言っていた。ここまで頑張れるだろうか。周平の頭にチラと今夜の苦しい場面がよぎる。

 急な坂道を長笹沢川の流れの所まで下る。黒い谷間に流れの音が静かにこだましている。坂道を下りきった所に尻焼温泉があり、その先1キロ足らずの所に花敷温泉があった。花敷温泉は、子どもたちが週に一度、外出が許されている所であり、ここまでは歩き慣れた道であった。子どもたちの足取りもまだ軽い。長笹沢川の流れを呑み込んで一際高くなった白砂川の瀬音に包まれるようにして幾棟かの建物があった。周平は花敷ベーカリーの前を通りながら、ここで繰り広げられるであろう夜の光景を想像した。ここは帰りの第20ポイントで、夜は明かりがいっぱいで賑やかな筈だ。東京のテレビ局も来るとか聞いている。夜の12時迄にここに着いて、自分の名前を記録することが完歩の条件なのだ。

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2009年1月 3日 (土)

遙かなる白根(41)序章 100キロメートル強歩序曲

「周平よく頑張ったな。ここまで歩けたんだ来年は間違いなく完歩だよ」

先生が周平の肩をたたいて言った。修平はこぶしで涙をぬぐいながらうなづいた。

「俺なんか六合山荘の下でギブアップだ。周平はすごいよ」

隣の席の先輩がいたわるように言った。周平は滝見ドライブインまで歩いたことの意味を知った。ここまで歩けたんだ、よし来年はきっと完歩するぞ。周平は窓の外の闇を見詰めて思った。

100キロメートル完歩に向けて

 周平が、更に完歩を達成するために必要なことは、作戦を練ることであった。そして、作戦の中で重要なことはコースをよく研究することである。こう考えた私は、次の年、夏休みに周平と共に、コース何回か車で回り、コース上の山や谷や川、登り坂下り坂、高原や林道などを入念に調べた。その結果、私達の頭には、全行程の地図がかなり明確に描きこまれたのである。

「あの橋を渡って坂道を行くと広地の発電所があるよ。その先が長野原だね。長野原の町を過ぎて左に曲がってゆくと滝原の林道だよ。林道の入口に与喜屋公民館がある。あの林道は行きは楽しいけど、帰りは真っ暗で怖いよ。林道を出ると食堂・ルート146があって、そこからずっとゆくと気味の悪いオウムの施設があって、その少し先がポイントの常林寺だ」

 周平は得意気に自分の頭の中の地図を辿ってみせた。

「常林寺という寺は、浅間山の大爆発の時、溶岩に流されてしまって、今の寺は、その後は再建したものだよ。この近くには、日本のポンペイと呼ばれる、有名な鎌原観音堂があるんだ」

 こんな風に、私たちは折に触れコース上のことを話題にした。

 コースを調べる前は、100キロメートルという途方もなく大きな距離をただ想像して恐れていた私であったが、コースを回って調べた後は、不思議なことに、その距離がぐっと小さくなったように感じられ、恐怖感が薄らいだのであった。同じことは周平にも、その表情から伺えた。

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2009年1月 2日 (金)

遙かなる白根(40)序章 100キロメートル強歩序曲

平成7年10月14日未明、白根開善学校はまだ暗い闇に包まれ、上空にはきれいな星が輝いていた。校庭にいる子どもたちの吐く息が、電燈の下で白く光って流れる。午前4時スタートと共に、子どもたちの黒いかたまりははじけるように展開し、先頭は暗い林の中に勢いよく流れ込んでゆく。それぞれが手に持つ懐中電灯が樹間にチカチカ揺れて、点滅する光の列の先は弧を描くように、早くも曲がりくねった道の、はるか下の方を進んでいる。小倉の広場までの急坂の道を子ども達はかなりのスピードで進んでいた。暗い中、無言の集団の足音だけが雑木林に響く。周平の後ろにいた者が次々に追い越してゆく。小倉を過ぎ長平公民館あたりまで来ると、周平のまわりはまばらになっていた。    前方に懐中電灯の光が進んでいる。皆すごい速さで進んでいる。そう思うと周平は取り残されていくような不安を覚えた。100キロとはどの位の距離なのか。コースについては良く説明を受けたし、実際に学校の車で下見もした。しかし、実際に歩き出してみると車で走った時とは全く感じが違う。まだ歩き出したばかりなのに周平は不安であった。不安に追い立てられるように周平は速度を上げた。尻焼を過ぎやがて花敷温泉に着く。今夜12時までにここに着かなければならない。尻焼の谷から流れ下る水が花敷で白砂川に合流しその瀬音が谷間の静けさを破って響いている。瀬音にせきたてられるように、周平は小走りに花敷を通り過ぎた。

花敷温泉から2.17キロの所に滝見ドライブインがある。行きは通り過ぎて

ゆく所であるが帰りのコースでは第19ポイントとして子ども達にとって重要な関門である。花敷を目の前にしながら精根使い果たして、あるいは午後12時というタイムリミットにぶつかり、このあたりでギブアップする者も多いのである。

 実は周平もその一人であった。初挑戦の100キロ強歩で周平はよく頑張った。道中、足が痛くなり何度かもう歩けないと思いながらも歯を食いしばって頑張った。しかし、ついに、この滝見ドライブインの近くで午後12を迎えてしまったのだ。スタートから約88キロであった。巡回して来たスクールバスの中で周平は涙を流した。お父さんに完歩すると約束したのに果たせなかったことが悔しかった。

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2009年1月 1日 (木)

「新しい年、日記の一ページの始まりです」

謹賀新年

◇「日記」の読者の皆様、明けましておめでとうございます。今年も日記で、コミュニケーションをお願い致します。

 新しい心で新しい年の一歩を踏み出しました。100年に一度といわれる不況の中にいます。日本中、いや、世界中が大混乱の状況にあり、人々の心はすっかり萎縮しているようです。

 しかし、これは日本にとって、100年に一度のチャンスだという人がいます。それは、円高のメリットを活かすとか、難しい専門家の理論に基づくものですが、私は、それとは別に、現在の危機を100年に一度のチャンスとして活かすべきだと思います。

 物の豊かさの中で溺れ心の豊かさを失ったといわれる私たち日本人が冷水を浴びて目を醒ます時がきたのです。日本人は貧しさに耐える事をすっかり忘れてしまったようです。貧しさの意味を知ることは社会的弱者に対する理解の前提です。この大不況は天のいましめかも知れません。

 世界を回り、日本各地を見て思うことは、日本には素晴しい文化や技術が沢山あるということです。63年前、廃墟の中から立ち上がって創り上げたものは凄いと改めて感じます。これらを活かせないまま漂流している姿が私たちの現状に思えてなりません。心の持ち方で、私たちは社会を再生するための大きなきっかけを摑むことが出来ます。大不況の中で新年を迎えるのも、こう考えると大変意義のあることです。皆様お一人お一人にとってビッグチャンスになる年であることをお祈り致します。

◇オバマの大統領就任が今月20日に行われます。アフリカ系の黒人が選挙によって世界最大の権力の座につくことは、人類史上の素晴しい出来事です。リンカーンが奴隷解放宣言を出したのは、日本の明治維新の直前の事です。どん底のアメリカ国民は、オバマ新大統領の姿に限りない誇りを抱き苦境脱出のために力を合わせるに違いありません。アメリカ発の大恐慌の黒い波の後ろから、同じくアメリカ発の新しい希望の波が押し寄せることを願わずにいられません。

◇今年も、ブログで「日記」を続けますので、ご覧頂きたいと思います。私には、議員になる前、県政や県議会は遠い存在、そして自分たちとは無関係なものに見えました。現在、こういう方が沢山おられると思います。それでは、開かれた県政は実現できないし、地方分権も、民主主義も進みません。私の「日記」が、多くの方にとって、県政を身近かにする一助になればと願っています。皆様のご意見や励ましや、時には叱正を頂いて、「日記」を育ててまいりたいと考えます。どうか宜しくお願い致します。

一月元旦

☆土・日・祝日は、中村のりお著「遙かなる白根」を連載しています。

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