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2009年1月12日 (月)

遙かなる白根(42)序章 100キロメートル強歩序曲

六合村を、その最北端から、南北に貫いて流れ下る白砂川は東西の谷間から多くの流れを受け入れ水量を増やし、長野原地内で吾妻川に合流している。二つの川の合流点は、周平たちが歩いている国道292号と吾妻川に沿って東西に走る国道145号との合流点と重なっている。二つの国道がTの字型に合流する点が須川橋の信号なのである。

 白砂川が尽きるこの須川橋の信号が、100キロ強歩に臨む子どもたちにとって、行きも帰りも大きな区切りの場所として格別の意味をもっていた。

 普段の帰校日、全国から集まる子どもたちの多くは、この信号を曲り込んで、左に白砂川の流れの音を開き、右にそそり立つ岸壁を見たとき、ああ別の世界に、そして俺たちの山に帰ってきたのだという感慨を抱くのであった。同様に、今100キロのコースを歩む子どもたちも、白砂川とそれを囲む山々に別れを告げて須川橋の信号を右折し、長野原町の市街に足を踏み入れたとき、古里を離れて異郷に踏み込んだという気持ちを抱くのであった。

 そして、山と谷と川、上りと下りの長い単調な道程に飽きていた子ども達は、ここで街の賑わいに接して、しばし疲れを忘れ、都会出身の子どもたちは懐かしい故郷に思いを馳せるのであった。

 長野原の市街地を抜けて少し進むと大津駅前信号に出会う。これを左折すると、道は吾妻渓谷に向って緩やかな傾斜を作って伸びる。ここまで来ると子ども達の他、人通りも絶え、今までの街の音は途絶えて、周りの光景も一変し、不思議な静けさが支配していた。対岸はなだらか丘陵が続き、その先は折り重なるようにどこまでも続く山波が深く静かに広がっている。渓谷にかかる新戸橋からは、切り立つ岸壁の遙か下に吾妻川の流れが岩に砕けて白い波を立てているのが見える。新戸橋を子どもたちが一人、二人、と黙々と歩いてゆく。

 かつて浅間山の大爆発の時、巨大な火砕流は天地を揺るがす凄まじい勢いで浅間山の北面をおそい、人馬も家も田畑も呑み込んで吾妻川に流れ込んだ。そして火砕流は、この当たりの渓谷をせき止めたため、溢れた泥流は逆流して近隣の村々に甚大な被害を及ぼしたという。阿鼻叫喚の地獄が200年前に繰り広げられた跡とは信じられないほどの不気味な静けさであった。その静けさの中に呑み込まれて行くように子どもたちの無言の列が続く。

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「遥かなる白根」を連載しています。

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