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2008年12月 8日 (月)

「20年前の私の補選を振り返ると夢のようだ」

◇師走の慌ただしさを加速させる事態とは県会議員補欠選挙に関する動きである。前橋・勢多郡区では、自民党県議2人の欠員が生じた。定数8で自民党は5議席を占めていたが、金子泰造、金子一郎両氏の議席が失われて、中村、中沢、狩野の3議席になってしまった。

 1月25日が投票日となる公算の補選は複雑な要素が絡みつつ激戦となる見通しである。

 自民党は両金子氏の分の議席を回復しなければならない。故金子一郎氏のある幹部が「富士見から必ず候補者を出すから少し待って欲しい」と早朝支部長の私のところへ電話をかけてきた。またある元代議士が夜、この問題で私を訪ねてきた。水面下の動きは急である。関係者は、それぞれの場で人生の決断を迫られているに違いない。昭和63年(1988年)7月の補欠選に出馬した時の私のことが昨日のことのように思い出される。

◇昭和62年4月の県議選で、初出馬の私は、263表の差で次点となり涙を呑んだ。そして翌年7月早くも補選の機会を得た私は、天の助けとばかり捲土重来を期すことになった。藤井精一前橋市長がなくなり、当時のアカネ淑郎氏が県議を辞して市長選に出馬した。公選法では二人以上欠員の場合に補選を行うと定めるが、別に、欠員が一人であってもその地方に於ける上級の選挙が行われる場合には、特別に補欠選挙を実施すると定めている。「上級の選挙」とは、昭和63年7月、群馬県知事の任期満了に伴って行われる知事選であった。

 県議補選は昭和63年7月1日告示され投票日は知事選と同じく7月10日であった。知事選では、現職で四期目を目指す清水一郎氏が共産党の小野寺慶吾氏と争っていた。県議補選の立候補者は私・中村紀雄、菅野義章氏、社会党公認の宮川邦雄氏、共産党の長谷川薫氏の4人であった。

 選挙事務所は、西片貝町の通称大胡県道沿いに設けた。我が陣営には勢いがあった。前橋全域に運動を展開し支援の輪は日を追って広がった。そして、7月10日を迎えたのである。午後7時半ごろには選挙事務所も広場も詰めかけた人々であふれた。午後8時から県議補選と知事選の開票速報が群馬テレビで始まった。清水知事の当選ははやばやときまり、人々が固唾を呑んで見守る中、午後8時30分頃、テレビの速報は、私の当確を報じた。仮設の壇上に立った私と妻に握手を求める人々が殺到した。広場に置かれたいくつもの照明灯は騒然とした人々の姿を照らし出していた。あの夜の光景は今も私の瞼に焼きついている。翌日の新聞は、「中村氏激戦を制す」という見出しで私の勝利を報じた。その結果は次の通りであった。中村紀雄・34831票、菅野義章・29663票、宮川邦雄・23842票、長谷川薫・6690票。あれから20年の歳月が夢のように過ぎた。補選にしっかり取り組みたいと思う。(読者に感謝)

★土・日・祝日は、中村のりお著「遙かなる白根」を連載しています。

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