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2008年12月31日 (水)

「2008年が終る。一年を振り返り新年を臨む」

◇怒涛の中を行くような一年であった。このような状況で、自分の指針にしたいという気持ちもあって、毎日の「日記」と月一回の「ふるさと塾」を続けてきた。ブログの日記は、定着したかたちで多く人が読んでくれるようになった。私の「日記」を通してつくられる県民の皆さんとの接点が、県政の発展と民主主義に寄与できることを思うと厳粛な気持ちになる。来年もしっかりと続けていきたいと思う。 私の書斎に「フラット化する世界」上下がある。これは、今年の10月中国大連市を訪ねた時、夏市長から贈られたものだ。この本は、ベルリンの壁崩壊に象徴される社会主義の変化によって世界の市場はフラット(平板)化し、どこまでも広がる。従って経済の発展も続くという事が書かれている。 ところが予想も出来ない金融の危機があったという間にアメリカから世界に広がり、それが引き金となって実態経済も極めて深刻な事態となった。またたく間に、百年に一度という大不況となり、この大波は地方の中小企業をおびやかすに至っている。 このような状況で09年を迎えるのである。失業者が増え新たな路上生活者も生まれている。大不況の原因は一概に論ずることは出来ないが社会のカジ取りである政治にも大きな責任があることは間違いない。だから政治に対する世論は一段と厳しくなっている。 ◇新年は、早々に、選挙がある。1月25日は、県議補選の投票日である。準備期間が短いこともあって出馬出来る人は限られそうだが、激戦は避けられない。続いて、2月15日は、前橋市議選の投票日である。現在の定数は46であるが、40に減る。そして、予定候補者は50人を超えるらしい。いずれの選挙も、県都前橋の明日がかかった極めて重要なものである。 県議会の地図も大きく変わりつつある。金子泰造氏と金子一郎氏が亡くなった上に、五十嵐、長谷川両県議が市長選に転出することになった。県政の重要性を改めて認識し、200万県民のために、県政の場で全力を傾けることが今、県会議員に求められている。 ◇新年を迎えるに当たり、懸念されることは、新型インフルエンザの襲来である。大不況の恐さもさることながら、こちらは直接人の生命と健康にかかわることである。更に、大流行となれば、人の動きが大きく規制されるから、経済活動にも深刻な影響を与えることになり、経済不況に追い打ちをかけることになるかも知れない。地方社会の底力が問われることになる。 今月19日、私は地元の主な人々に呼びかけて新型インフルエンザの勉強会をした。地域社会が来るべき事態に備えて共通のコンセンサスをもつことは何よりも重要だと思うからだ。この日の会合をステップにして、新年には、もっと輪を広げて、講演会を開こうということになった。新年の道を開くカギは地域社会の知恵を活かすための団結である。良いお年をお迎え下さい。(読者に感謝) ☆土・日・祝日は、中村のりお著「遙かなる白根」を連載しています。

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2008年12月30日 (火)

「今年を振り返る。10月の日記から」

2008年12月30日(火)「今年を振り返る。10月の日記から」 ◇10月1日・「一般質問の最後は充実して面白かった」、これは、この日のタイトルである。真下県議は「新型インフルエンザ」及び「レイブと薬」を取り上げた。真下さんは、新型は必ず起こる、しかし一般の危機意識は極めて低い、笛吹けど踊らずという言葉があるが、笛を吹かない状況というべきではないか、新型発生を想定した大規模な実地訓練をすべきだと主張した。 また真下さんがとりあげたレイブに関する事件とは、水上町のレイブで20代の女性が薬物が原因で死亡した件である。大音量の中で、興奮が薬物を求め、薬物が興奮を更に高める。放置すると本県の若者にも大きな悪影響が生ずると、私もこの日の日記で指摘した。 ◇10月6日、「常任委員会で新型インフルを取り上げた」、この題の下で私が発言したのは総務常任委員会で、危機管理の観点から質したのである。真下県議と同様、私は危機意識の低さに対し警鐘を鳴らしたいと思った。日記ではスペインかぜの時の群馬県の被害を委員会で示したことを書いた。その内容は次のようなものだ。およそ、90年前、スペインかぜは、第一次世界大戦中に起きた新型インフルエンザの大流行のことで、全世界で3千万人ともいわれる死者が出て、群馬でも約4500人の人が亡くなった。「常任委員会であれほど警告したのに県は対策を怠ったと言われないようにして欲しい」と発言したのである。 ◇10月8日のタイトルは「85億円が50億円になった。土地取得の失政」である。7日の行財政特別委員会で私は、この問題を取り上げた。県には、土地開発基金という制度がある。これは、公共の目的のために予め土地を取得することを目的とするもの。県は、総額85億で土地を取得したが現在の価額は約50億円になっている。調べてみると、はっきりした目的も定めずに取得して塩漬けになっている土地が多い。県民の血税を使ってこのように基金を運用することが許されるのかと私は追及した。 ◇10月9日は、「県が進める内部告発制度の拡大」である。次は、日記の冒頭の私の文である。「食の安全に関する虚偽の事実が次々に明らかにされる。これらは社会に衝撃を与え企業は時に、倒産に追い込まれる。その多くは内部告発による。かつての日本企業の常識では考えられない事が日常茶飯事のように起きている。内部の通報者を裏切り者と恨む時代は過去のものとなった」このような動きは、全体とすれば社会をよくする力となっている。その起点は平成16年に施行された「公益通報者保護法」である。県は、この動きに応じて、県行政の違反を内部通報する職員を保護するための要綱を作った。私の日記は、この事を説明している。 ◇10月20日から23日までの日記は、長崎県を視察した事を報告した。キリシタンの歴史を踏まえた遺跡群を世界遺産に登録しようとして真剣であった。キリシタンの受難の歴史は、長い時の壁を越えて私の胸に迫るものがあった。(読者に感謝) ☆土・日・祝日は、中村のりお著「遥かなる白根」を連載しています。

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2008年12月29日 (月)

「今年を振り返る、9月の日記から」

◇9月1日「未曾有の豪雨、自然が狂ったか」という見出しで、私は次のように書く。「8月29日午前3時頃テレビをつけると、記録的な豪雨ですと報じていた、岡崎市では1時間に146ミリの雨量を観測したという。夜があけると水びたしになった街、堤防を破って海のように濁流が流れる光景が報じられる。正に異常気象だと思った」

◇9月2日・「福田首相の辞任」、誰もが驚いた。私の日記の次の文からも驚きが伝わる。「正に青天の霹靂である。誰がやっても大変な時期に総理大臣になった。福田さんをよく知る者としてよくやっている、耐えるのも限界に近いだろうと思っていた。私としては、捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、という武士道の精神で頑張って欲しかった。心のエネルギーを使い果たしたのかもしれない」

◇9月8日の日記は、「大阪維新の本気」と題して県外調査で大阪府庁を訪れた時の感想を語る。私たち行政改革特別委員会の一行が最も驚かされたのは大阪府の改革であったとして、担当官の次の発言を紹介している。「大阪府は民間企業でいえば破綻状態です。再び大阪を輝かせるために、過去のしがらみや経過に一切をとらわれない大阪発の自治体革命を起こします。これが大阪維新です」。県外調査は、3日から5日にかけて行われ、私は、出先から日記を書いたのである。

◇9日10日の日記は、「疑惑に立ち向かう特別委員会」として6回目になる特別委員会の様子を伝えた。この委員会で注目された発言として私が伝えることは、小寺前知事の責任問題である。10億を越える値で元総社の土地を買ってその後14年間も放置した。小寺前知事が主宰する庁議にも出されたこの問題につき小寺前知事は知らないといっているが、そんな馬鹿なことが通用するのかという声が聞かれたと私の日記は書いた。この部分は後の大澤知事の重大発言につながるのである。

◇9月26日の日記は、「本会議に登壇、知事との真剣勝負」と題して、私が本会議場で大澤知事と交わした質疑応答について伝える。私は、「特別委員会の経過を踏まえ、行制改革の観点からお尋ねします」と切り出し、次のように質した。「15万ボルトの高圧線が上空を走り、中央に川が流れ、進入路もない土地を10億円以上の高額で買って一年後には前知事の考えで計画変更し県営住宅は建てないことにした。以来土地は、14年間も放置されたままである。小寺前知事は個別案件については感知しないと発言したが、こんな事が許されるのか、大澤知事はどうお考えか」

 私は、責任の所在が明らかにされなければ行制改革など実現できないという思いで大澤知事に迫ったのである。大澤知事は、行政のトップたる者、その組織の中で起きたものは当然知事の責任であります。小寺前知事の責任は極めて重いと言わざるを得ませんと明言した。(読者に感謝)

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2008年12月28日 (日)

遙かなる白根(39)序章 100キロメートル強歩序曲

小学生の頃、周平と前橋の家から赤城神社まで歩いたあの情景が蘇る。あの時の私達にとっては、10数キロの距離を歩くことが「強歩」であった。そして、あの「強歩」が白根の100キロ強歩につながっていたと思うと不思議でもあった。

100キロ強歩に臨む周平の胸にも、私と歩いたあの小さな「強歩」があった。周平が「強歩」という言葉を頻繁に耳にするようになったのは、白根開善学校に入ってからのことである。それが長い時間と長い距離を頑張って歩くことだと知って、周平は、小学生の頃、父親と夜の道を頑張って歩いたのも「強歩」であったと振り返るのであった。そして、「僕にも強歩の体験がある、大晦日の夜、痛い足を引きずって大人でも歩けない距離を歩ききって皆を驚かせた体験がある」、そう思うと目前に近づいた「強歩」に対して、周平はそれ程の恐怖感を抱かなかった。

 周平が描く100キロ強歩は、小学生の頃体験した強歩の延長上にあるのだった。100キロを歩くということがどういうことを意味するのか、そして、これから挑戦しようとする「100キロ強歩」という未知なるものがどんなに恐ろしい怪物であるかを周平は知らなかった。

 開善学校では、学園最大の行事である100キロ強歩が近づくと、学園全体が緊張感に包まれ、生徒の間でも緊張感が日毎に高まってゆくのであった。

「去年は誰が完歩した」

「あいつはもう一歩の所でへたばってしまった。それは途中で飯を食いすぎたせいだ」

「いや、初めから飛ばし過ぎたからだ」

「今年は俺は必ず完歩する、おやじがわざわざ来るんだから」。

こんな風に、寮内では100キロ強歩のことが専ら話題になって、周平たち一年生もこの緊張した雰囲気の中に、いやがおうでも巻き込まれていった。

「僕も頑張って完歩するよ」

「小学生の頃、あんなに頑張れたんだから、周平はきっとできる。苦しくても歯をくいしばって、頑張れ。完歩すれば周平はうんと立派になれる。完歩したらごほうびに中国に連れていってあげる」

 100キロ強歩の直前に帰省した時、親子の間でこんな会話が交わされた。

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2008年12月27日 (土)

遙かなる白根(38)序章 100キロメートル強歩序曲

中止の報が伝わると、先頭を走るように進んでいた子どもはがっかりした様子であった。しかし、中には「やったぁー」とガッツポーズをとる子どももいて様々である。

生徒を回収する車が走るころ、山の夜はようやく明けた。姿を現した尾根の上をちぎれた雲が矢のように飛ぶ。風は強くなって、尾根の向こうから、また周りの谷底から不気味なうなり声のような音が伝わってくるのだった。

台風19号は、この日間もなく日本列島を通過し、群馬県には特別の被害はもたらさなかったが、白根開善学校の強歩を痛撃し中止せしめることになった。この中止は、強歩実施以来初めてのことであった。そして、その後の開善学校の強歩に、多くの教訓を残すことになった。

 例えば、強歩中止の一因となった子ども達の雨対策の不十分な点。肌着までずぶ濡れなのに、替えのソックスや肌着をもっていない子がいた。

「前日までの準備で何度も点検していますが、出発時点で荷物を軽くするために出してしまう者がいるんです。一人一人が自分に責任をもたなければなりません。この雨で病人や怪我人が出ては大変なのです」

 本吉校長はこう語って中止の理由を説明した。

 100キロメートルの道中は長い。途中で何が起こるか分からない。少数の人の失敗は、全体に影響する。輝かしい完歩もその完歩者一人の力では実現出来ないのだ。白根の100キロメートル強歩は、毎回の教訓を積み重ねて揺るぎない伝統を築き上げてきた。

 私の長男周平もこのような伝統に支えられて、強歩に参加することになる。周平初めての挑戦は、平成7年10月の強歩であった。

周平、100キロメートル強歩に参加

平成7年は、周平が前橋市の普通の学校から白根開善学校に入って初めての年で、周平にとって強歩も初めての挑戦であった。周平が歩くことについては、以前から特別の思いを抱いてきた私であったが、開善学校の100キロ強歩に参加することが現実になって、改めて歩くことの意味を考えるのであった。

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2008年12月26日 (金)

「今年も大詰めを迎へた。8月のブログから」

081130_124900  今年を振り返る中で今日は8月の「日記」である。8月は、かつて、日本の歴史上最も悲惨な出来事があった。

◇8月5日・「前橋市、灰燼に帰す」、63年前の8月5日、県都前橋は一夜で焦土と化した。B29の92機が691トンの焼夷弾を落とし全市の8割が焼かれ死者は535人であった。若宮国民学校は30分で焼け落ち前橋女子高等学校もほとんど焼失。阿鼻叫喚の地獄がこの前橋にあったことが忘れられようとしている。それを再び記憶の中に呼び戻す事が今求められている。私の「日記」にはこのような記述が見られる。

◇8月7日・「そう文の開会式・原爆投下の朝」、全国高等学校総合文化祭(そう文)の開会式がアリーナで行われた(6日)。この日、広島は原爆の日を迎えていた。原爆の投下は昭和20年8月6日午前8時15分であった。私は、肉が溶け人間が蒸発するような地獄の光景を中学生に正しく教えるべきだ、戦争の悲惨さが分からなければ平和の価値も分からない、と日記で書いている。

◇8月8日・「日本の運命を決めた暑い夏の出来事」、昭和20年の7月から8月にかけて日本の運命を決定づける出来事が集中的に起きたとして、私は主な出来事をあげた。

7月16日、アメリカの砂漠で、原爆実現成功。

8月 6日、広島市に原爆投下。

8月 9日、長崎市に原爆投下。

8月14日、ポツダム宣言受諾決定。

8月15日、天皇、終戦の詔書放送

また、この日の日記で私は、ある戦争体験者の「原爆予告をきいた」を紹介している。サイパン島から発するアメリカの放送は・「8月5日に特殊爆弾で広島を攻撃するから非戦闘員は広島から逃げていなさい」と数回繰り返したという。私は、アメリカのせめてもの人道主義の現われと思いたいと書いた。

◇8月11日・「度肝を抜く開会式」、北京五輪は8月8日午後8時8分に開かれた。私は、この開会式につき、次のように書いている。「開会式は、空前の警備の中で行われた。その異常さは、世界から北京に集まった人々が大きな危険にさらされていることを意味している」と。

◇8月12日・「高木疑惑を追求する特別委員会の光景」、ここでは、高圧電線下の元総社の土地などに関していわれていた「トライアングル」の意味が確かめられた。参考人は、前知事・高木元県議・住宅公社を指すと証言した。この日の日記で取り上げているもう一つの大きな問題は、建設残土や産廃が埋められた土地を高木市長の親族が経営する企業の仲介で県が購入した件である。県は契約を解除したが、二束三文の土地は、「親族企業」の関与で準工業地域に用途変更され価格が一変した。

◇8月14日・「北島の快挙」、8月14日は日本中が北島で湧いた。100m200mで「金」、号外も出た。こんなに純粋に日本中が喜びにわく事は他にない、と私も胸をはずませて書いた。

◇8月22日・「女子ソフトの奇蹟」、彼女たちは精神力と団結の力でまさかの「金」を獲得した、と私は興奮気味に書いている。

(読者に感謝)

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2008年12月25日 (木)

「クリスマスのミサに出て」、「今年を振り返る

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◇前橋カトリック教会は国際色豊かだった。それは、国際化時代の反映であるが同時にカトリックの歴史が凝縮されているように思える。物理学が究極まで進歩し、宇宙の構造が解明し尽くされたとしても神の存在は否定されないだろうと思う。およそ二千年前にキリストが十字架にかけられ事実を通して人々は神を信じる。それは偏狭なユダヤ教のナショナリズムを克服して生まれた壮大な人類のドラマである。乾いた日本人の心に今必要なものは何かを考えさせられた。

 激流に身を任せるのが精一杯の現状の中で一年を振り返ることの大切さを感じる。今日は、7月の「日記」からいくつかを取り上げる。

◇7月7日・「群馬情報センターの開所式」、銀座5丁目の交差点のビルの一角に群馬を売り出す基地がつくられた。大澤知事のマニフェストの目玉である。東京から群馬を発信して群馬の活性化につなげることを目的とする。家賃は1ヵ月450万円。安いか高いかはこれからの利用の仕方にかかる。私の「日記」は、このような指摘をしながら、地方自治研究機構会長の石原信雄さんの挨拶を紹介している。それは、東京から離れた地方の方が古里のピーアールに熱心で東京に近い関東の各県はあまり宣伝しないというもの。東京は日本の中心であると同時に世界に向けた窓である。情報センターの活用の意義を今改めて思う。

◇7月8日・「特別委員会、市長親族企業の疑惑追及」、県住宅供給公社が買った土地はボウリング調査の結果建設残土や廃材などが入っている最悪な土地と分かり県公社は契約を解除した。二束三文の土地を取得したのは高木市長の親族企業のアイワである。その後、この土地は準工業地域に用途変更され価値が一変した。アイワはこの土地を転売した事を読売が大きく報じていた。行政が関与する手品のような手法に大きな政治力が働いたのではないかという疑惑である。巨額の利益を得たことが推測される。特別委員会はこれらについて午後6時迄儀論が湧いた。

◇7月9日・「サミット一色の毎日」、日本が議長国になって7日に開幕し9日に閉幕となる。地球温暖化、食料・原油の高騰といった全人類が直面する最大の課題が討議される歴史的に重要な会議だ。サミットは、山の頂上を意味する言葉であるが首脳会議の意で使われる。G8は、8つのG(グループ)を意味する。G6でスタートし、その後カナダを加えてG7となり、更にロシアが加わってG8となった。私はこのように解説し、福田首相はよく頑張ったと感想を述べている。

◇7月11日・「教育汚職不正合格と不正不合格の地獄」、大分県の教育委員会幹部はワイロをもらって合格者に至らない者を合格させた。合格者のうち半数が不合格者と報じられた。これは、合格点に達した者がその分不合格にさせられたことを意味する。不正に合格した教員が教壇に立っている。信じ難い事だと私は日記で書いた。(読者に感謝)

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2008年12月24日 (水)

「一年を振り返る。6月の日記から」

1213 激流の一年を「日記」で振り返る。今日は、6月の日記からいくつかを取り上げる。「 」で示すのは、その日のタイトルである。

◇6月5日・「本会議一般質問の2日目」、この日橋爪洋介議員は酪農の危機を取り上げ、「現場の状況を肌で感じなければだめではないか」と農政部長に鋭く切り込んだ。飼料価格は2年間にトン当たり2万円も上昇し群馬県の酪農は激減した。議場に配られた新聞には、「飼料高騰により中核農家が廃業に追い込まれている」という酪農家の悲痛な声が載せられている。本県は対策の一つとして遊休の水田に飼料用のコメ栽培を進めることを示した。飼料の高騰は、アメリカが、原油に替わるエネルギー源としてトウモロコシ栽培を大規模に始めたことに起因する。この事が世界の食糧危機も招いている。

◇6月9日から12日まで私は続けて秋葉原の通り魔を取り上げた。歩行者天国で25歳の男によって7人が殺され、10人が負傷した。逮捕された男は東北の高校で優等生だった。携帯のサイトにこの男のおびただしい書込みがあった。私の日記は、その中か次のようないくつかをピックアップしている。「私より幸せな人を全て殺せば私も幸せになれますね」、「みんな敵、本当の友だちが欲しい」、「他人の不幸は蜜の味、みんな死ねばいい」。男は、相手は誰でもよかったと、話している。私は、「社会の暗部が口を開いた。そこにうごめく黒い影は死を求める人たちだ」と表現している。

◇6月16日・「また、東北で大地震、赤城南面にも大地震があった」、ここでは冒頭、私は次のように書いている。「中国の四川大地震から1ヶ月が過ぎ世間の関心もやや静まったかと思ったとき、14日午前東北で大地震が起きた。私の目はテレビの画面に釘付けされた。緑の山並がすっぽり消えて赤い土がむき出しになっている。森を走る一本の道が赤い崖の上で切れている。あの細い道を走っていた車があったとすれば車はどこへ消えたのかと思った」と。

 また、この日の日記では、類聚国史に、弘仁九年(818年)、赤城山麓に大地震があり多くの死者が出たことが記されていると紹介した。

◇6月18日・「衝撃の幼女連続殺人犯の死刑執行」、幼女連続殺人犯の宮崎勤が鳩山法相の命令で死刑に処された。犯行時25歳の若者は45歳でこの世を去った。鳩山法相の命令で執行された死刑は13人になった。そして法相は、「正義を実現するために粛々と執行している」と発言したことなどが書かれている。

◇27日・「鳩山法相は死に神か」、朝日が鳩山法相のことを「死に神」と書いたことに対して法相が激怒し被害者の遺族も抗議した事を書いた。朝日に寄せられた抗議は千件を超えたという。そして、私は、「来年から裁判員制度が始まり、私たちは死刑判決にかかわる可能性をもつ。今回の騒ぎは死刑と裁判員制度を考える格好の材料を提供した」と書いた。現在裁判員候補者の中から辞退が続出し、世論もこの制度に反対している。来年、果たして軌道に乗れるのか心配だ。(読者に感謝)

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2008年12月23日 (火)

遙かなる白根(37)序章 100キロメートル強歩序曲

 父母たちは、前日の午後9時頃までに、それぞれの宿に着いて明朝の仕事に備えていた。花敷温泉や尻焼温泉の旅館、小倉の民宿、なかには、草津に宿をとる者もあった。子どもたちのスタートは午前3時なので、スタート地点に近いポイントで待機する父母は午前2時には起きねばならない。小倉に宿をとったある父母は、午前2時に起きて外に出て呆然となった。雨足が強まっているのだ。時折強い風が吹いて森がざわめき、横なぐりの雨が激しく降っていた。こんな雨の中で強歩をやるのだろうか。不安にかられながら、小倉の広場から車に乗って学校への坂道を進もうとすると、行く手の森の中から突然一台の車のヘッドライトが現れた。車の上には、「強歩実施中」の文字が闇の中に明るく浮き上がっている。「もう上がらないで下さい。子どもたちがすぐにおりて来ますから」車の窓を少し開けて、先生が言った。間もなく前方の森の暗がりから懐中電燈の輪がいくつか揺れ動いて、ザワザワと足音が近づいてきた。ヤッケのフードを頭に深くかぶった子ども達が次々と現れる。中には頭を雨にさらしてずぶ濡れの子どももいる。10月の半ばで普段はかなり寒いのに、この日はやけに温かい。頭上の木々が激しく動いて枝を鳴らしている。ドングリの実がパラパラと子どもたちの頭に落ちる。時々、「ゴー」という音が暗い一方の谷底から聞こえる。近くにある魔の沢・ガラン沢を強い風が吹き上げているのだ。台風に包まれた山の気配は、子どもたちの心を刺激し駆り立てているようであった。子どもたちは例年よりも早いペースでポイントを過ぎてゆく。雨はまだ降り続くのだろうか、このまま強歩は続けられるのであろうか、ポイントで待機する父母は皆心配であった。午前6時32分、強歩中止の報が伝えられた。本吉校長は迷ったあげく遂に中止の決断を下したのだ。明るくなるまでには雨が止むだろうと予想をしていたが、集ってくる情報を前に中止はやむを得ないと思われた。暮坂峠の風は、夜明けにかけて非常に強くなっていた。ちょうどこの時間に、この峠にかかる者が多いのだ。危険は避けねばならない。また、霧のため、分岐点の道を間違える子どもも出た。強い雨の中、雨に対する準備を十分にしていない子も多かった。 ☆土・日・祝日は、中村紀雄著「遥かなる白根」を連載しています。

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2008年12月22日 (月)

「一年を振り返る。5月のブログから」

081222_100257 ◇5月8日の「日記」の表題は、「サイクロンの被害と政治の貧困」である。そこには、私の次のような記述がある。ミャンマーを襲ったサイクロンによる犠牲は死者、行方不明数万人といわれ、被害拡大の一因は政治の貧困にあるといわれる。軍事政権は、民主化を求める国民と対立し、国民を救済することが出来ない。来日した、シルベスター・スタローンは、映画「ランボー」の舞台であるミャンマーのサイクロン被害に触れ、「軍事政権がいかに人々を支援していないかが露見した」と語った。

◇5月9日の「日記」は、前日に続けて、ミャンマーの災害に触れ、人口増加もあって地球的規模の食糧危機が迫っている。今こそ、日本の農業を考える好機だと述べている。

 また、この日の「日記」では、中国の聖火隊がエベレストに登るシーン及び折りしも来日中の胡錦涛主席の事を書いている。首席が、早大の講演で、「中国は世界最大の途上国であることを認識している」「発展の中で生じた矛盾や問題は規模も複雑さも世界でまれに見るもの」と語った事に対し、首席が日本に来て謙虚さを示したことに私はホットしたと記述している。

◇5月14日の「日記」は、「中国に天が与えた試練」と題し、四川大地震の事を次のように書いている。「チベット騒乱や聖火リレーに対する世界の抗議を受けて苦しむ中国にまた大災害が見舞った。中国は重さなる試練をどう乗り越えるのだろう。世界の注目が一点に集る。平成7年に阪神大震災を経験し、大地震が近いといわれる地震国日本としては他人事ではない」。

 この「日記」を読みながら、12月議会で中島県議が群馬の危機管理を取り上げたことの意義を思った。

◇5月21日の「日記」からは疑惑の生々しさが伝わってくる。高木建設から県が取得した元総社の用地のことである。「県の損害はどの位か」とこの日問われたとある。そして、担当官は、10億8千万余りで買ったものが現在5億3千万余りに下落している、又、これまでにかかった経費は3億円を超えると答えた。そして、大澤知事が、前の議会で、「一連の疑惑につき、過去をしっかり検証しなければ次につなげることが出来ない、買ってすぐに目的を変えてしまうようでは県民の信頼は得られない」と述べたことに触れ、その通りであると私は述べている。

◇5月30日は「金子泰造さんの急逝」である。早朝、泰造さんの死を知って愕然とした。県議選ではライバルだったが、知事選、市長選と力を合わせた。きちんとした理論を組み立てて話す剛直な人柄でプロの政治家であった。前橋市の明日を思う情熱には頭が下がる思いであった。金子氏の思いを今後の運動の中で生かさねばならない。私のブログはこのように書いている。金子泰造さんの死に続いて今度は金子一朗さんが亡くなった。悪いことは続くものだ。自民党にとって大きな打撃である。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、中村のりお著「遥かなる白根」を連載しています。

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2008年12月21日 (日)

遙かなる白根(36)序章 100キロメートル強歩序曲

第8回は台風の中のスタート

毎回の「強歩」は熱いドラマの展開であるが、特に「第8回」は、強歩史上初めての出来事が生じた。この強歩の実施は、昭和62年10月17日であったが、その前日、台風19号が日本に上陸した。台風は、恒例の白根開善学校の強歩をも直撃することになったのである。

台風19号は近畿、中国、四国、東海地方に大きな災害をもたらした。当時の新聞によれば、鳥取県、香川県などで死者8人、また徳島県の海岸では、外国の大型貨物船が浅瀬に乗り上げ、船体が壊れるなどの被害が報じられている。同時に新聞は、「16日夜から麻痺状態に陥っていた陸海空の足は、17日早朝から徐々に平常に向っている」と報じていた。

開善学校の全国の父母たちは、前日の金曜日から学校へ向っていた。子ども達の歩くコース上の各ポイントで、それぞれ決められた役割を果たすためである。父母たちは皆心配だった。積み重ねてきた準備、今年こそはとこの日にかけてきた子どもたちの努力、それが無駄になるかもしれないと思うと、誰もが気が気ではないのである。

「強歩、ほんまにするねんやろか」

「夜中にでも台風、逸れたらええのに」

ある関西の父母は雨の高速道路を飛ばしながら心配していた。このとき、ラジオのニュースは台風の進路は日本列島を継壇断し、新潟県佐渡島に向うと報じていた。

白根の山中では、先生も生徒も刻々と変わる台風情報に前日から神経を集中させていた。子どもたちには、それぞれ、今年こそはという思いがあるのだ。そして、先生には、一緒に暮らしている彼らの気持ちが痛いほどよく分かる。それだけではない。本吉校長を初めとする先生達は、強歩の意義やその教育効果を信じている。今年も子ども達に是非、強歩を体験させてやりたいと、祈るような気持ちであった。

前橋気象台の最新情報によれば、翌17日は、朝のうち雨は残るが天気は急速に回復するということであった。先生たちは、本吉校長を囲んで協議を重ねた末、多少雨が残っても決行するということになった。

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2008年12月20日 (土)

遙かなる白根(35)序章 100キロメートル強歩序曲

第一回の強歩は、1980年(昭和55年)10月の「四万温泉強歩」で、暮坂峠を経て学校までの50キロメートルを歩くコースであった。これは白根開善学校創立の2年後のことである。

 その後は毎年コースを変え距離を伸ばしてきた。これは、理想の「強歩」の姿を求めて、模索していた時代のことである。

 次にその主なものをあげてみる。

第2回(昭和56年)「榛名強歩」、榛名湖→須賀尾峠→学校、55キロ

第3回(昭和57年)「軽井沢強歩」星野温泉→北軽井沢→学校、64キロ

第4回(昭和58年)「上田強歩」田沢温泉→鳥居峠→学校、80キロ

第5回(昭和59年)「赤城強歩」赤城山→沼田→学校、92キロ

 初回から、第5回までは、このように一定の場所から学校までを歩く片道コースであった。

 本吉校長の目指すものは100キロメートルの強歩であったが、いきなり100キロメートルに挑戦することは困難であった。50キロメートルから始めて、子どもたちの歩く姿を確かめながら距離を伸ばしていった過程が伺える。また、強歩は、子ども達が主役であるとはいえ、多くの父母や先生達、そして地域の人たちの協力体制がなければ実行できない。歩く距離が伸びていったことは、強歩を支える体制が整っていったことも意味しているのである。

 このような実績を重ねて、第6回あたりから実質的に100キロ強歩が実現する。それは、昭和60年のことであった。

 第6回、1985年(昭和60年)、「吾妻100キロメートル強歩」(実質は96キロメートル)。この回から片道コースではなく周回コースとなる。それは、次のようなコースであった。学校→沢渡温泉→吾妻町→薬師温泉→須賀尾峠→長野原→学校。

 以後、9回まで同じコースがとられ、続く10回目からは、「西吾妻100キロメートル強歩」周回コースとなり、距離も98キロメートルとして定着するようになった。コースの状況は後に詳述するが、概略次のような道順である。学校→長野原→北軽井沢→長野原→学校。

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2008年12月19日 (金)

「議会最終日、私は表彰を受ける」「3月のブログを振り返る」

◇逆巻く激流に揉まれて今年も終わりが近づく。振り返れば、私のブログは、この激流の中を必死で泳いだささやかな証である。今年一年の社会を振り返る意味で私のブログを辿ってみた。今年3月の私のブログからいくつかの重要な項目を紹介したい。

 3月3日(月)のブログのタイトルは、「知的障害者に警察が自白誘導」である。栃木県警が扱った事件で、知的障害をもつ男性が2つの強盗事件で起訴された後、真犯人が判明し無罪が確定した。裁判長は「警察官が知的障害者の迎合的である特性を利用し虚偽の自白調書を作成した」とある。

 私がこのブログに注目するのは、12月6日千葉県東金市の女児遺棄容疑で逮捕された勝木という男にも知的障害があると報道されている点である。私は、ここで、警察は知的障害者の取り調べについて特に慎重であるべきこと、間もなく始まる裁判員制度の下では警察官の作成した取調べの資料は非常に重大な結果をもたらすと指摘している。

 3月6日(木)のブログでも富山県の冤罪事件など全国の警察の失態をあげ、警察庁が「取調べ適正化指針」を公表したこと、そして、裁判員制度との関係で適正な捜査資料提供が重要であること、等を指摘している。

 3月13日(木)のところでは、公安委員長が戦後初めて常任委員会に出席したことを書いている。治安の最高責任者の職務が単なる名誉職であってはならないと考えて出席要求したのである。公安委員長は神谷トメさんだった。

 3月18日(火)の項では、自民党の29名の議員が参加して日中議員連盟が出来、私が会長に就いたことが書かれている。そして、毒ギョウザ事件に象徴される危険な製品のことが絶えず報じられ、突然欲望に目覚めた15億の中国国民が金もうけに向けて一斉に走り出して手のつけられない状態になっていると私は述べている。この日中議員連盟の活動の成果とし11月27日、県立女子大と大連外国語学院が交流のための調印式を行った。私も立ち会った調印式のことにつき、18日のGTV・ジャストナウが取り上げた。

3月21日(金)は、「波乱の2月議会が終わる」(19日)と題して、議会最終日の委員長報告の事を書いている。この議会では高木元県議と高木建設の土地疑惑が盛んに取り上げられた。委員長報告では、予算特別委員会、決算・行財政改革特別委員会、県土整備常任委員会がこの問題の審議状況を述べた。決算・行財政改革特別委員会の報告では元総社の土地が不透明な経緯で取得されその後13年間も放置されたことが指摘されている。また、この日(19日)、高木疑惑等を審議する特別委員会が新たに設けられたことも記されている。

◇12月議会が今日(19日)終了する。私は、今日、全国都道府県議会議長会の表彰状及び群馬県議会顕彰状を受ける。平成20年の激流は勢いを増して21年に流れ込もうとしている。(読者に感謝)

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2008年12月18日 (木)

「高木市長に対する辞職勧告決議可決さる」

080111_09290001 ◇表記の決議が市議会で可決された。主な内容は、前工跡地問題に関する市長の失態及び信頼の失墜に対する責任の追及である。 前工跡地問題とは、市が、県との交換契約によって取得した前工跡地の土壌汚染に関することだ。市長は、「県にだまされた」と言って県を非難し、県を相手に訴訟を提起しようとした。しかし、市長は事情を知った上で、自ら交換契約書と合意書に調印したのだから、むしろ軽率な市長に責任がある、と決議は指摘する。この間の事情は、9月議会における私と大澤知事との質疑応答から知ることが出来る。 ◇高木市長が「県は三笠フーズと似ている」、「県にだまされた」といっていると新聞が報じているが、事実はどういうことなのかと質(ただ)した。 これに対して大澤知事は次のように説明した。「旧前橋工業高校については、工業化学科等の実習の必要性から一部の施設に水質汚濁防止法に定められた特定施設が設置されていた。だから、廃校後に使用するためには土壌汚染調査を行う必要があった。そして土壌汚染が確認された場合には汚染の除去対策を講じる必要があることは、県と市は互いに認識していた。このような事情のもとに当時の小寺知事と高木市長との間に契約書と合意書が締結された。その内容は、前橋市の費用で土壌汚染の調査を行い、汚染の除去等の費用も市が全額負担し、県は一切の費用を負担しないこと、また、契約締結後、隠れた瑕疵等(きずのこと)が発見されても損害賠償の請求、及び契約の解除は出来ないことなどである」と。 そして、大澤知事は、契約書・合意書に基づいて粛々と事を進める考えであり、県には責任はないと答えた。 ◇新型インフルエンザの見えない影がひたひたと近づいていることを感じる。私の呼びかけで19日夜、地元の自治会、PTA、校長などが集って協議をする。いざという時のために主な関係者が共通の認識をもつことは絶対に必要だと思う。専門家は、新型の世界的大流行は目前に迫り、来春の可能性は35%とも言っている。新型ウィルスの発生の危険性が最も高いのはインドネシアと言われる。この国では、約5年間で鳥インフルエンザの発症者は139人、死亡者は113人である。世界全体では、この5年間に発症者389人、その中での死者は246人とされる。このように、鳥から人にウィルスが伝わるうちに、そのウィルスが突然変異を起こし、この世に今まで存在しなかった新しいウィルスとなって現われ人から人に伝染するようになる。これが恐ろしい「新型」である。推定による日本人の死者は60万人、最悪の場合は200万人といわれる。これだけの恐怖が近づいているのに、教育の現場をあずかる責任者の中には、行動を起こすことをためらう人がいることに驚かされる。県のある部長が言った。「空振りの三振は許されるが、見逃しの三振は許されない」と。同感である。(読者感謝) ☆土・日・祝日、中村のりお著「遙かなる白根」を連載しています。

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2008年12月17日 (水)

「決算行財政改革特別委員会での発言」

◇私は、表記の特別委に属する。私はトップバッターで二、三の質問をした。行政改革とは県民のためのより良い行政を目指す改革である。とかく、コスト、倹約が重視されるが、「安かろう悪かろう」ではいけない。コストと共に良質のサービスを実現させるための改革である。このような認識に立って私は先ず職員の意識についてとりあげた。

◇現在、大不況の中で県政も税収不足がますます深刻になるのは必至で、行政改革、財政改革は最も重要な県政の課題である。そして、この改革を進める上で最も重要な要素は県職員のやる気と資質である。私は、このことを踏まえて次のように主張した。

 9月議会で大澤知事は、高木建設との土地取引に関して小寺前知事の責任は重大であると発言した。この発言は、私に答えただけでなく、職員に対するメッセージでもある。職員一人一人が県民に対して責任を担うという決意と自覚が必要である。稲山副知事は、「県職員の資質によって自治体に大きな差が出る時代である」、「職員は宝である」と述べた。職員が宝として認められることは、その意識改革にかかっている。

次に取り上げた指定管理者制度とは、県などの地方自治体が所管する公の施設の管理運営を民間の会社など外部の団体に委託できる制度である。公の施設とは、スボーツ施設、公園、文化施設、ゴルフ場などである。この制度が出来る迄は、外部に委託する場合は公共的団体に限られていたのを、この制度の下では民間事業者に委託することが可能になった。民間等のノウハウを導入しサービスの向上と経費節減を図ろうとするもの。委託する団体は議会の議決を経て自治体が指定する。

 県は平成18年に53施設につきこの制度を導入。このうち指定期間が3年のものは20年度末に期間が終了する。そして、27のうち25施設につき引き続きこの制度を適用することにした。残る2施設のうち、女性会館は廃館に、みかぼみらい舘は、藤岡市に移管となる。

 応募の実態を見ると、ほとんどの施設につき応募件数は1であり、民間はほとんどない。私は、この制度が十分に活かされていないのではないかと質(ただ)した。対象となっている施設には、赤城森林公園、敷島公園、群馬の森、馬事公苑などもある。馬事公苑は廃止の意見もある。

081217_102435 ◇前橋高校OBの県職員や県議等の忘年会がロイヤルホテルで行われた(16日)。現在、前高出身の県職員は400人を超える。そのうち60人以上が参加した。県議では、現職として、田島雄一、原富夫、塚越紀一、南波和憲の各氏そして私が出席。県議の職を離れている者として菅野義章、星野寛、中島資浩の各氏が参加した。中島さんは挨拶の中で、県議補選には出馬せず、来年2月の市議選を目指すと語っていた。同氏については、利根西から県議補選に出馬すると見る向きが多かったが、本人の口から、明確にその事は否定された。この会に今回、出席しなかった元県議に山本龍氏がいる。同氏の選挙に関する動向も、今、注目されている。(読者に感謝)

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2008年12月16日 (火)

「今年最後の疑惑を追求する特別委員会」

◇特別委員会は15日をもって最終会とする予定であったが様々な新事実が出てきたことから、当分継続することになった。高木建設に関する疑惑及び高木元県議の関わりについては時の経過や関わった県職員の死亡などで核心がつかめない状態が続いた。しかし、継続は力である。忍耐強い努力に基づく継続は威力を発揮する。

 成果といえるポイントをあげると、まず、9月議会の私の質問に答えた大澤知事が、「小寺前知事の責任は極めて重い」と思い切った発言をしたことである。それまでに、小寺前知事の責任に言及した参考人の発言に対して、記者会見をした小寺氏は、個別問題に関する責任を強く否定し、責任を問題にする動きに対しては法的措置も辞さないという態度を表明した。大澤知事の発言は、小寺氏のこの態度表明を十分承知の上でなされたものである。

 私は、昨日(15日)の特別委で、この大澤知事の発言を活かさねばならない。そのために資料の提出に件執行部はもっと真剣にならねばならないと重ねて協調した。また、元総社の土地について高木建設などが絡む二重売買などの不可解な動きに乗せられて、県(住宅公社)は、高額な金で購入し県民の血税を使ったことに、件は責任があるのではないかと資した。

 この日の特別委員会における注目すべき動きは廃棄処分になって存在しないとされた重要な書類が発見され提出されたことである。

 私が8月の特別委員会で提出を求めた「国土利用計画法届出書」については、10年の保存期間がすぎて廃棄されたと報告されていた。ところがその後の調査で県立文書間に保存されていたことが判明したのである。土地水対策課長は、13日、私のところにわざわざ経緯を説明にこられ詫びていた。

◇15日の特別委では荻原委員が二重売買と課税の問題を取り上げたことが注目された。それは、高木建設が同じ土地を津久井建設と県に二重に売買した。津久井建設への譲渡について納税義務が発生した筈ではないかというもの。

◇この日の特別委の注目される出来事として、「県会議員の政治論理の確立に関する決議」が可決された。この文書の要点をあげる。「県が、元県議の親族企業から購入した元総社の土地等が長期にわたり塩漬けになっていることに関し元県議の働きかけや関わりが明らかになった。元県議の行動は著しく県議会の信頼を失墜させるものであり由々しき事態である」「県会議員は、県民の厳粛なる信託により県民の代表として県政に関わる権能と責任を有している」、「県会議員は、公正、誠実を旨とする厳しい政治論理によって自らを厳しく律しなければならない」等である。

◇若手経営者政策研修会に出た。中小企業振興条例を県議が作ることを求めるグループである。厳しい不況の中をたくましく乗り切っている姿に中小企業の底力を感じた。(読者に感謝)

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2008年12月15日 (月)

終身犯・郷隼人の「LONESOME隼人」を読む。

◇久しぶりに郷隼人の次の短歌を朝日新聞の歌壇に見つけた(14日朝日)。

☆ハロウィーンの夜(よ)に独房の

格子越しキャンディーをねだるおかまの囚友(とも)は

アメリカの刑務所から投稿されたものだ。次の歌は、過去に、私の手帳に書き止めたものだ。

☆老い母が独力で書きし封筒の歪んだ英字に感極まりぬ

☆口笛でクリスマス・キャロルを奏ずれば更に淋しき聖夜の獄舎

郷隼人は、鹿児島県出身の人である。アメリカで殺人罪を犯し終身刑で服役中ということだけは知っていた。幻冬舎から「LONESOME隼人」が出版されている事を知り、図書館から借りて読んだ。以下はその中からの引用である。

 「老い母が」の歌について郷隼人は次のようにつづる。「服役生活の最初の十年の間、母は一度も手紙を書いてくれなかった。あまりのショックと失望、落胆のために書くことが出来なかった」、ある日受けとった母からの封筒には「ミミズが這(は)ったあとのような英字で宛名と住所が書かれていた」、「一度も英字などを書いたことがなかったであろう年老いた母がいじらしく、英字を見つめながら涙があふれてくるのを禁じえなかった」

 この書物には母への思いを詠ったものがいくつもある。

☆十年の歳月を経て初めての母の便りに胸がつまりぬ

☆母さんに「直ぐ帰るから待ってて」と告げて渡米し、二十七年も経ちぬ

☆獄に読む老母(はは)の文こそ哀しけれ父の介護に疲れ果てしと

一つ一つの歌に説明はいらない。過酷な体験がストレートに伝わってくる。

 最初は最も警備が厳重な監獄で毎日のように食堂で刺殺事件が起きたという。次の歌は獄内の残酷さを十分過ぎるほどに伝えている。

☆囚人の撲殺されし午後に受くる全裸検査の屈辱感よ

☆血塗(まみ)れの囚徒を担架に乗せ走る静寂(しじま)の中のガードの鍵の音

☆異常なる静けさの中看守らの笑う声する刺殺事件の夜

更に次のような、欲望に苦しむ歌もある。

☆煩(わずら)わす「性」への煩悩絶ち難し収監十五年目いまなお

☆蟲惑(こわく)する女体の如き雛罌粟(ひなげし)の

蕾(つぼみ)に見とるる刑庭の午後

☆人間の欲望の多きを改めて思い知らさるる服役期間

長い刑務所の生活は耐えがたくそして、望郷の念は狂おしいものだろう。次の三首は望郷の叫びである。

☆もし海を眺めることができたなら祖国に向いてなんと叫ぼう

☆年ごとにその希望(のぞみ)すら否定され二度と逢えぬか桜島山  

郷隼人の人間性を支えられたものは短歌であった。

☆人間(ヒューマニティー)を失いがちな獄中に磁針の如き短歌の役目

郷隼人にはアメリカで生れた一人娘がいるという。一度も会ったことはない。どんな乙女に成長したか、ときおり、無性に会いたくてたまらないことがあるという。しかし彼女のためにはこのまま会わないほうがいいのだと思う、と語っている。   

☆十三年会ったことなき我が娘(こ)の幸福(しあわせ)祈る獄中チャペルに

これは1998年6月の歌である。終身刑にも仮釈放の制度があるらしい。郷隼人がどんな罪を犯したかは知らないが、老いた父母に会わせてやりたい気がする。イチローによく似た男だという。(読者に感謝)

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2008年12月14日 (日)

遙かなる白根(34)序章 100キロメートル強歩序曲

「時々、脱走する子がいるんだって。冬は雪で大変だけど、スキーで脱走した先輩もいたそうだよ」また、新しい情報が報告される。「この山の学校で頑張るのは大変なんだな」「やめろよ、そんな話ばかりしていると周平君がいやになって、もう山へ来なくなるぜ」「おい周平、大丈夫か、入学するのか」めいめいの者がいろんなことを言っている。聞きながら周平は、小学校時代の情景を振り返っていた。この山の学校でどんなことがあっても、あの小学校よりいい。僕は耐えられる。じっとうつむきながら周平はそう思った。平成7年4月22日、周平は体験入学を無事終了し、合格と認められた。そして4月28日、正式に白根開善学校に入学した。 第2章 100キロメートル強歩 「強歩」の歩み100キロメートル強歩は、白根開善学校を象徴する一大行事である。開善学校の「強歩」には長い歴史がある。学校創立者の本吉氏は、鹿児島県の旧制中学の時代にこの強歩を体験した。今でも昔の同級生が集ると、必ず強歩の話が出る。忘れることのできない懐かしい思いでになっているのだ。開善学校をつくる時の困難も、この体験が支えになり乗り切ることができたという。本吉氏は、学校をつくったら生徒にこの強歩をさせたいと、以前から考えていたのである。今日、白根開善学校の多くの生徒が100キロメートルを堂々と完歩する。これは、かつて学校創立の頃、地元の長老山口仙十郎さんが、都会から来た子どもたちを案内して歩いた時、僅か数キロの距離が子どもたちにとって大変なことであったと、父母機関誌「白樺」の中で述懐されているのを振り返るとき、その凄さに驚くばかりである。これは多くの子ども達、そして父母や先生が、汗と涙で築き上げた伝統の力なのだ。またこれは、厳しくも美しい白根の自然、そして開善学校が子ども達を鍛え、育て上げた成果を示すものである。 ☆土・日・祝日は、中村紀雄著「遥かなる白根」を連載しています。

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2008年12月13日 (土)

遙かなる白根(33)序章 100キロメートル強歩序曲

校内で身なりや服装をきちんとすることは大切なことであるが、そのことが個性の発揮を抑えこんだり、様々な人格の存在を認めることの妨げになってはならない。白根開善学校のような自由を認めることは、一般の学校では、未だ無理な面もあるだろう。とにかく、白根開善学校に関する限り、子どもたちの身なり、服装の自由な様子はこの学校のふところの深さを物語るように感じられる。

このことはまた、周平のような子どもも、一つの個性として存在することが許されることを示しているのだ。こういう子どもたち全体が動き回る姿と彼らのつくり出す雰囲気が、周平にも何となく分かるのであった。その実態は同室の者との寝起き、夜の黙想、大食堂での共同でする食事等々のふれ合いの中で、一つ一つ確かめられていった。

周平が入った建物は萌芽寮といい、原田瞬君と渡辺裕介君など4月に入学したばかりの新一年生がいた。原田君は神奈川県、渡辺君は九州熊本の出身であった。同室の者が白根開善学校に入学して間もない人たちであったことは、周平も含めて全体の間で仲間意識を育てるには好都合であった。行動を共にするうちに、周平の心も次第にほぐれていった。周平とすれば、同室の者ばかりでなく先輩たちまでが、自分を差別しないで平等に見てくれるということが、最初は驚きであった。

同室の者がどこかから情報を仕入れてきて、夜、ぼそぼそと話し出した。

「ぱしりというのがあるんだって。使いはしりをさせられることらしい。先輩が、夜、花敷とか草津まで、タバコとか何かを買ってこいと言うんだって。前に、体入した子がいてぱしりをさせられて、夜中に、2~3人で花敷まで行かされたんだって。その子は、とうとう白根に入学しなかったそうだよ」

体入とは体験入学のことである。周平は、聞いていて、あの親切そうなお兄さんが、そんなことをするのかと信じられない思いであった。そして、目を閉じて花敷温泉までの道を想像した。花敷温泉までは片道一時間はかかる山道である。ここを深夜歩くなんて考えただけでも恐ろしい、周平はそう思いながら、先輩たちのいる寮の方角を伺った。

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2008年12月12日 (金)

「財団法人に関する疑惑を質す」

◇自民党役員と記者クラブとの懇親会があった(11日夜)、笹川県連会長が出席し政局を語った。その中で、群馬は保守王国といわれるがこの言葉は好きではない、王国は必ず崩壊する、真剣に努力を重ねた結果が現在の自民党だ、そのことを忘れてはならない、同じように日本を経済大国と呼ぶのも好まないと語っていた。批判するものと批判を受ける者、立場は違うがよい社会をつくるという目的は同じだ、と記者の代表が挨拶した。立場の違いを越えてしばし同じテーブルでうまい酒を飲んだ。記者も私たちも共通の目的を追求するために絶えず学ぶことが必要だと思った。

◇9時から図書広報委員会が開かれた(11日)。この委員会は、議会図書室の管理運営と議会の広報活動にあたる。県民参加の時代である。県民に開かれた県政を実現するために、県民のための窓口となる重要な委員会なのだがいままでこの委員会は法律上の位置づけがあいまいだった。この度、地方自治法が改正されて地方自治法に基づく正式な委員会となった。県議会を支えることが出来る委員会に発展させたい。

◇私の属する常任委員会は午前が企画部関係午後は総務部関係をそれぞれ審査した。ここで、私は、60年ぶりに全面改正された群馬県統計条例について質(ただ)した。非常に重要で運用を誤れば人権を侵害する危険を伴う条例に対して執行部職員の説明は1分間位で終わる。ここで、質問を、なければ委員会審査を経たものとして本会議では簡単に可決されてしまう。このように扱われる審議事項が何と多いことか。我々議員の責任である。

 この条例は行政運営に必要な資料を得ることを目的とする。第五条は、必要あるとき、知事は職員に命じて必要な場所に立ち入り書類等を検査させたり質問させたり出来ると定める。私は、強制力はあるのか、運用を誤るとプライバシーの侵害など人権侵害に及ぶ恐れがあること等を指摘して質問した。

1212 ◇総務委員会では、財団法人・駒形会議所に関わる問題を質(ただ)した。財団法人は公益を目的として、財産を基礎に、厳格な手続きに従って設立される公益法人であるから、その財産を理事会が処分することは原則として出来ない。一部を処分する場合には厳格な要件が求められる。駒形会議所の場合も、理事会の特別承認及び知事の承認が必要と定めらていたが、これらの承認なしで市の所有する土地と交換契約がなされた。その際、財団の土地の価値が少なかった分を補う多額の金を自治会の金から流用した疑いがもたれている。私は事実関係を、県として監査すべきであると求めた。

◇次に、私は、県立女子大事務局長に大連外国語学院との提携の内容につき説明を求めた。私も調印式に立ち会ってよく承知しているが、総務委員会の場で正式に説明することに意味があると思ったのである。続いて、私は、私の同大における記念講演に際し学生の質について感じた事にも触れた。そして、この提携を、大連と群馬との文化や経済の一層の交流発展のために、他の部局と連携して活かして欲しいと求めた。

(読者に感謝)

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2008年12月11日 (木)

「金子一郎さんの葬儀の光景」「慶応大学生に会う」

◇8時半から特別委員会に備えた打ち合わせがあった(10日)。高木建設がらみの件は、「不勧告通知書」、「根抵当権抹消」、「二重売買」等の用語が絡み合う複雑怪奇なものだ。しかしようやく核心の一部に近づいた感じもする。 ◇9時、予定の来客が見えたとメモが入り、会議を中座して1階の応接室に入る。慶応大学大学院生のT君が待っていた。朝5時に出発したという。地方議会におけるマニフェストに関して研究論文を書いている。教授に私の取り組みを紹介されたのだという。 T君の研究のテーマの一つは、「地方議会において、マニフェストがどのようにつくられ、それが如何に実現されるか」ということ。そこで、私が中心になって実現した県営住宅から暴力団を排除する改正条例に注目したらしい。T君に説明した「条例改正」について、ここで改めて振り返りたい。 07年の6月議会に県営住宅管理条例の改正条例案が出され、6日、私は本会議で提案説明をした。改正の目的は県営住宅から暴力団を排除することである。改正案の案文は私が作った。その後、県土整備常任委員会でも私の提案説明と質疑応答がなされ、この委員会で全会一致の賛成を得た。 そして本会議最終日、県土整備の平田委員長は、「画期的な条例として審査した」と委員会の状況を報告、その後、本会議で全会一致で可決された。 この条例改正を実現させた社会的背景には、平成15年の三俣町のスナックにおける暴力団による殺傷事件などがあった。この暴力団排除の条例改正は、都道府県レベルでは、群馬県は、広島県、福岡県に次ぐ3番目で、その後東京都以下が続いた。群馬が画期的といわれる理由は、議員発議の政策条例として実現させた点である。群馬県条例の改正にならって、富士見、上野、昭和の3村を除く全ての市町村で同趣旨の条例改正が行われた。富士見等の3村は対象住宅がないのである。私は大学院生に対して、地方議会がマニフェストを実現させる可能性は大きいこと、また、これからは、条例づくりなど立法に地方議会が関わることが多くなるだろうと話した。 ◇金子一郎さんの葬儀が行なわれた(10日)。職業柄多くの葬儀に出るが、葬儀の場では、故人の意外な面が明らかになることが多い。それは友人の弔辞や遺族の挨拶などで語られることもある。とくに政治家は世間に対しは身構えた姿勢で生きているから葬儀の場で普段見せぬ顔が現われたりすると驚くのである。金子さんの葬儀では同級生である村長が弔辞を読み、「いっちゃん」と呼びかけ金子さんの素顔を語っていた。また、奥さんが文章にしたためた挨拶を読んだが心を打つ立派な内容であった。奥さんは、看護士に聞かされたとして金子さんが「女房を呼んでくれ」、「女房が来るまでもつのか」と言ったこと、自分は夫の死が現実とは思えずどうしたらよいか分からなかったこと等を語っていた。うらやましいような夫婦愛を感じた。(読者に感謝) ★土・日・祝日は、中村のりお著「遙かなる白根」を連載しています。

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2008年12月10日 (水)

「本会議2日目、注目された群馬の危機管理」

◇自民党の中島篤議員は、持ち時間の65分全部を危機管理にあてた。項目として、学校の危機管理、新型インフルエンザ対策、その他があった。「新型」については前日の須藤さんに続いて大きく取り上げたわけで、これは、私たち議員の危機意識が高いことを示すものだ。

 中島さんは、今年の11月、文教警察常任委員会の視察で大阪の池田小を訪ねた。「惨劇は1階で起きたが、2階の人は気づかなかった」、「先生のいるところでは死者は出なかった」、「重傷者を先に搬送できず死者が増えた」「息絶えたところで卒業証書の受け渡しが行われた」等、中島さんはなまなましい状況を語った。千葉県東金市で5歳の幸満ちゃんが遺体で見つかった直後だけに中島さんの取り上げた問題には高い関心が集っていたようだ。

◇この際、池田小児童殺傷事件を振り返ってみたい。これは、01年(平成13年)6月8日、大阪教育大学付属池田小学校に包丁をもった宅間守が侵入し、8人の児童を殺し、15人に重軽傷を負わせた事件である。宅間は、離婚した元妻や自分を勘当した父親への恨みを社会にぶっつけたとされた。大阪地裁は03年死刑を言い渡し被告が控訴を取り下げたため死刑判決は確定し、異例にはやい一年後に刑は執行された。

 この事件が社会に与えた衝撃は大きく、学校の安全と危機管理を根本的に考え直すきっかけとなった。池田小では、死亡した児童のうち当時2年生だった7人に06年3月卒業証書を贈った。中島さんが「息絶えたところで卒業証書の受け渡しが行われた」と語ったのは、この児童たちのことであろう。

◇福島教育長は、学校の危機管理について次のように答弁した。「責任者には不測の事態を予想する姿勢が求められる。不審者の情報をあつめ、訓練して備えることが重要だ。

日常的に危機意識をもち関係機関と連携を保つこと。不審者が侵入した場合に備えて、不審者対応マニュアルがつくられており、警察に通報するとともに刺股(さすまた)や催涙スプレーを使う・・・。」

◇中島さんは、新型インフルエンザに関する危機管理については、非常事態宣言、ボランティアや医師の保障、搬送トリアージ、市町村との連携等を取り上げた。

県は、パンデミック(大流行)時、国が非常事態宣言をするのに対応してこの宣言を出す。人が外出して動くことによって感染が広がるから、外出の制限を求めるが、強制力がないことが問題だ。外出の制限を求めながらいかにして安全を図りボランティアの協力を得るか難しい要素がある。搬送トリアージとは、搬送の優先順位を決めること。(トリアージは選別の意のフランス語)。救命効果を上げるためには緊急性によって順位をつけねばならない。池田小でも問題になったという。優先順位は、限られた薬の投与についても検討されねばならない。「新型」が県議会に大きく現われてきた。(読者に感謝)

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2008年12月 9日 (火)

「本会議場一般質問の初日・新たな疑惑の事実」

◇南波幹事長が元総社の土地に関する不可解な新たな事実を取り上げた。驚くような資料が寄せられているが、それらは、今後、専門家を入れて精査することになる。ここでは、本会議で明らかにされた事実の中の要点のみを報告したい。 資料によれば高木建設は、元総社の土地を住宅供給公社と民間のT社に二重譲渡した。T社とは伊勢崎市の建設会社で社名も分かっているが、南波氏はT社と表現した。問題はなぜこのような事をしたのか、このことに県はどうかかわっていたか、高木元県議はどのように関わったか、等の点である。 詳しいことは11日の総務常任委員会及び15日のこの問題を扱う特別委員会で再度取り上げる予定であるが、一つの論点をここで指摘したい。高木建設は、T社には1㎡あたり46,888円で、公社には同じく1㎡当たり65,000円でそれぞれ売った。こまかい点を抜きにして話すとこの差から生じる巨額の益金を抵当権の解除に使ったらしい。T社からノンバンクの武州商事に6億8千万円余が払われて抵当権が抹消されたことが資料から伺える。抵当権がついていたため県は購入を断った経緯があった。県は「不勧告通知書」を出して、売買を認めた点、6万5千円(1㎡当たり)についても「著しく適正を欠かない」と評価した点等について資されることになる。 ◇この日、自民党の須藤和臣議員は、職員提案制度と新型インフルエンザ対策を取り上げた。 県職員の政策提案件数が平成4年からほぼ一直線に右下がりが落ちている。平成4年には2268件あったものが19年度はたったの1件である。職員の志気や政策能力を高めるために意義のある制度である。県政が様々な難問を抱えるいまこそ職員の積極的な姿勢が求められるのに、これはどうした事かと思いながら私はやりとりを聞いた。 稲山福知事の答弁の中で次のような言葉があった。「職員の資質によって自治体の差が出る時代である」「職員は県民の財産である」「人材は仕事の達成の中で育つ」。これは、政策を立案させ、よいものを採用して達成感を味わわせることが重要という意味である。今年は、テーマと期間を定めて政策提案を求めたら300以上の応募があったという。新型インフルエンザの危機につては、須藤さんは大正7年8年の上毛新聞の記事からパネルを作って説明した。私が委員会で使った資料であり事前に私の了解を求めていた。およそ90年前群馬で4500人近い死者がでた事を本会議で示し警鐘を鳴らす必要があったのである。 ◇私は、地域の小中学校、自治会、PTAなどが力を合わせ、いざという時、どのようにして子ども達を「新型」から守るかにつき協議して対策を立てようと呼びかけることにした。昨日(8日)早速行動を起こし、三人の校長と連合自治会長の賛成を得た。地域が力を合わせれば被害を減少できることは歴史が証明している。(読者に感謝) ★土・日・祝日は、中村のりお著「遙かなる白根」を連載しています。

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2008年12月 8日 (月)

「20年前の私の補選を振り返ると夢のようだ」

◇師走の慌ただしさを加速させる事態とは県会議員補欠選挙に関する動きである。前橋・勢多郡区では、自民党県議2人の欠員が生じた。定数8で自民党は5議席を占めていたが、金子泰造、金子一郎両氏の議席が失われて、中村、中沢、狩野の3議席になってしまった。

 1月25日が投票日となる公算の補選は複雑な要素が絡みつつ激戦となる見通しである。

 自民党は両金子氏の分の議席を回復しなければならない。故金子一郎氏のある幹部が「富士見から必ず候補者を出すから少し待って欲しい」と早朝支部長の私のところへ電話をかけてきた。またある元代議士が夜、この問題で私を訪ねてきた。水面下の動きは急である。関係者は、それぞれの場で人生の決断を迫られているに違いない。昭和63年(1988年)7月の補欠選に出馬した時の私のことが昨日のことのように思い出される。

◇昭和62年4月の県議選で、初出馬の私は、263表の差で次点となり涙を呑んだ。そして翌年7月早くも補選の機会を得た私は、天の助けとばかり捲土重来を期すことになった。藤井精一前橋市長がなくなり、当時のアカネ淑郎氏が県議を辞して市長選に出馬した。公選法では二人以上欠員の場合に補選を行うと定めるが、別に、欠員が一人であってもその地方に於ける上級の選挙が行われる場合には、特別に補欠選挙を実施すると定めている。「上級の選挙」とは、昭和63年7月、群馬県知事の任期満了に伴って行われる知事選であった。

 県議補選は昭和63年7月1日告示され投票日は知事選と同じく7月10日であった。知事選では、現職で四期目を目指す清水一郎氏が共産党の小野寺慶吾氏と争っていた。県議補選の立候補者は私・中村紀雄、菅野義章氏、社会党公認の宮川邦雄氏、共産党の長谷川薫氏の4人であった。

 選挙事務所は、西片貝町の通称大胡県道沿いに設けた。我が陣営には勢いがあった。前橋全域に運動を展開し支援の輪は日を追って広がった。そして、7月10日を迎えたのである。午後7時半ごろには選挙事務所も広場も詰めかけた人々であふれた。午後8時から県議補選と知事選の開票速報が群馬テレビで始まった。清水知事の当選ははやばやときまり、人々が固唾を呑んで見守る中、午後8時30分頃、テレビの速報は、私の当確を報じた。仮設の壇上に立った私と妻に握手を求める人々が殺到した。広場に置かれたいくつもの照明灯は騒然とした人々の姿を照らし出していた。あの夜の光景は今も私の瞼に焼きついている。翌日の新聞は、「中村氏激戦を制す」という見出しで私の勝利を報じた。その結果は次の通りであった。中村紀雄・34831票、菅野義章・29663票、宮川邦雄・23842票、長谷川薫・6690票。あれから20年の歳月が夢のように過ぎた。補選にしっかり取り組みたいと思う。(読者に感謝)

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2008年12月 7日 (日)

遙かなる白根(32)序章 100キロメートル強歩序曲

 白根の山へ体験入学で出かける周平の緊張した姿は、私の目には、これから戦いに出かける少年兵士のように見える。私の選挙戦は勝利だった。周平よ、お前も人生の初陣で勝ってくれ。私はそう祈らずにはいられなかった。

 それにしても、周平はよく決断したと思う。ゆくところがない、という追いつめられた気持ちがあったであろう。そして、本吉氏と心の交流が出来て、山の学校に対する漠然とした信頼と期待の気持ちが少しずつ生れていたであろう。また100キロ強歩の話を聞いて、大晦日の私たちの強歩とのつながりに心をふくらませたのも事実であろう。

 このようないろいろな事情と共に、長い間に蓄積したものが作用し合って、いよいよ機が熟したということであったかも知れない。

 白根開善学校は周平を待っていた。山の学校を囲む山々には、新緑と鳥たちのさえずりがあふれ、長い冬から抜け出した山の命の喜びがみなぎっていた。その中で、白根開善学校の人々も、回りの自然と同じように春を迎えた喜びに浸っていた。

 周平は身を固くして白根開善学校に一歩を踏み入れた。期待もあるが不安の方が大きい。今までの学校では、周平は異質の存在であった。異質のものに注がれる視線に怯えながら、周平は長いこと過ごしてきた。怯えることに慣れると、僕はそういう存在なのだというあきらめに似た気持ちがいつも心の表面を支配し、おどおどした態度がいつしか習性のようになってゆく。しかし、心の底には、そういう心の表面の出来ごとに承服出来ないもう一人の周平があって、表層を突き破って、表に顔を出したいと常に叫んでいた。

 身構えて踏み込んだ開善学校の空気は、周平がこれまで経験したものとは違っていた。周平に向けられる視線は、周平に突き刺さるものではなかった。校舎の外で新緑の木々の間を通り過ぎる風のように、人々の視線は周平の頬をなでて過ぎてゆく。周平の中の一部の感性は、6年間の学校生活の中で、異常に研ぎ澄まされて、軽蔑や差別の目にはとくに敏感になっていたが、この学校の人々の目は周平の心をずきずきと刺激することがなかった。茶髪の子、耳にピアスをした子、頭髪を耳の下まで垂らした男の子、服装も様々な子どもたち、彼らの姿は、この学校が彼ら一人一人の存在を認めていることを物語っている。

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2008年12月 6日 (土)

遙かなる白根(31)序章 100キロメートル強歩序曲

  周平がこういう態度に出るのはめずらしいことである。

「朝暗いうちから夜中まで歩く、20時間以上も歩くんだよ。みんなが、助け合って、励まし合って、かなり多くの人が完歩するんだ」

「かんぽって」

「最後まで歩き通すことさ。すごいだろう」

 周平はしばらくの間、本吉氏の顔を見たり、外の景色に視線を移したりしていたが、やがて本吉氏の顔を正視して言った。

「僕、山の学校へ行くよ。入試試験があるの」

「体験入学があります。実際に山の学校の生活をしてみるんだ。約1週間。それが試験なのだよ。立派に耐えられれば試験は合格だ」

本吉氏は改まった口調で言った。

「ぼくやります」

 周平はきっぱりと言った。私たち夫婦が6年間迷ってきたことに、周平は自ら決断を下した。私たちは選挙戦の忙しさで同席することは出来なかった。もちろん、それを承知の上での二人の会見であった。結果的には、これがよかったのである。私たちが、同席していれば、つい私たちが多くを話すことになって、周平はわきにおかれ、大人が主役の会話になってしまったであろう。本吉氏は、周平と対等の姿勢で、周平の心に届く言葉で語りかけた。周平は、それを正面から受け止めて判断し結論を出したのだ。正に会見の一方の主役は周平であった。これは白根開善学校へ向けて小さな一歩を踏み出すに誠にふさわしい場面であった。

 そして、それは小さな一歩ではあるが、周平の人生の方向を決定づけてゆく極めて重要な一歩であった。私は、周平の生まれて初めての合格答案を見る思いで、周平の決断に大きな拍手を送った。

体験入学に入る

体験入学の日程は、平成7年4月17日から22日迄と決まった。この体験入学の少し前、4月9日、私は県会議員3期目の選挙で上位当選を果した。周平の体験入学の日を間近にして、我が家は当選の興奮いまだ冷めやらぬ中にあった。

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2008年12月 5日 (金)

「金子一郎県議の死」「九月議会における大澤知事の重大発言」

◇昨日(4日)早朝7時、電話で金子さんの訃報を受けた。正に寝耳に水である。重体は脱したと聞いていたが実際は危険な状態だったのか。昨年3回目の当選を果たし自民党総会長の要職にあった。まだ59歳であった。病名は間質性肺炎だという。これは非常に致命的で治療も難しい難病で、美空ひばりは、特発性間質性肺炎により52歳でなくなった。

 今年になって2人の現職県議と1人の元県議が亡くなった。金子泰造氏(5月死亡・64歳、市長選のため今年になって県議を辞職していた)、小林義康氏(8月死亡・59歳)、そして今回の金子一郎氏である。人生80年時代なのに、余りに若いこれらの人々の死である。

 金子一郎さんの死によって前橋市・勢多郡区では補欠選挙が行われる。選管へ欠員の届出をしてから50日以内に行う。原則として、一つの選挙区で2人以上の欠員が生じた場合に補選は行われる。金子泰造さんの死があったので、金子一郎さんの死によって、補選の要件が整ったのである。今回の補選の投票日は1月25日に決まりそうだ。前橋市議会議員の投票が2月15日だから、来年は新年早々慌しくなる。

◇12月議会は県政の一年を振り返る機会である。そこで、8日から始まる本会議一般質問を前に、9月議会における大澤知事の重大発言を確認することが必要である。小寺前知事は、元総社の土地に関する県の関わりにつき一切の責任を否定した。このことに関して私は9月議会で大澤知事の考えを質した。次に、私の質問に答えた、大澤知事の発言の要点を揚げる。

「一般論として、行政の組織の中で起きたことは、当然、行政のトップたる知事の責任である、と私は理解しております」「明らかになった問題点の一つは、土地を購入する際、その利用目的をしっかりと見極め購入の必要があるか否か、利用目的にとって適切であるか否か、価値は適切か等、必ずしも十分な検討がなされてこなかったのではないかということであり、これは言いかえれば、お預かりした県民の大切な税金を使って県民のための県政をおこなっていなかったのではないかということであります」「元総社の土地については、高木元県議からの口ききがあり、当時の出納長の指示もあり、高木建設との間で、10億円を超える用地の売買契約に至っておりますがその間しっかりとした検討がなされてこなかったのであります」

「土地購入の一年後には早くも小寺前知事は方針を変え県営住宅建設は凍結され以後14年間も放置されてきました。小寺前知事の責任は極めて重いといわざるを得ません。責任がないという小寺前知事の発言は知事の責任を放棄していると思うし、そのような県政への姿勢がこの問題を生じさせた遠因ではないかと考えております」

 大澤知事のこの発言は、小寺県政を痛烈に批判し、大澤県政の新しい方向を県民に示すものであった。私たちは今、この発言の意味をかみしめる必要がある。(読者に感謝)

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2008年12月 4日 (木)

「NPOの社会的役割と題して講演をした」

◇NPO法人の職員として働こうとする人たち、あるいは、NPO法人を自ら立ち上げようとする人たち等を前にして表記の題で講演をした(3日)。これは再就職のための職業訓練の一環として県がNPO法人に委託して実施するもの。

 前橋テルサの研修室に集った今年の受講生は皆熱心に耳を傾けていた。昨年、別の会場で行ったときの事が思い出された。一人の若者が初めから私の話を聞かずに他の作業をしているのである。私は注意しても聞かないその若者を教室から退出させた。最近の大学の授業風景が時々話題になる。私語が多く飲んだり食べたりする学生もいるとか。それを放置して授業をする講師も理解できないことだ。

 平成7年の阪神大震災に際し、延べ約140万人のボランティアの人々が救済にかけつけた事がボランティアの意義を国に認めさせることになり、NPO法成立のきっかけとなり、この年はボランティア元年といわれている事、及び、今日の日本では、行政や企業と並んでNPOが社会を支える大きな存在になりつつあるが、それは、自分の好みや特性を発揮して社会貢献することによって生きがいや満足感を求める人が増えているという社会的背景があることなどから話を進めた。

 そして、アメリカではなぜNPOが盛んなのかをアメリカの歴史と関連づけて話した。アメリカは、法の下の平等と民主主義を理念として作られた国であり、個人主義の伝統が強い。だから政府に頼らず住民の共通なニーズは自分たちのグループ活動によって提供するという行動様式が伝統的に確立しているのである。

 ボランティアが熟しているアメリカでは、NPOを支える市民の寄付も盛んである。それは、オバマを当選させた選挙の際の寄付の凄さにも現れている。私の話は、アメリカの歴史のところでは、知らずに熱が入り「ふるさと塾」のようになっていた。

 学校教育の場にボランティアを積極的に取り入れるべきことにも触れた。ここでは例として私が提案して実現した「高校生ボランティア・チューター・小学校派遣事業・ようこそ先輩」を紹介した。平成15年にスタートしたこの事業は高校生が自分の母校の小学校でお手伝いする。高校生はお兄さん先生、お姉さん先生と慕われ、自分たちも生きがいを感じているようである。ボランティアと教育はもっと結びつけるべきだと思う。

◇尾身さんの国政報告会が嶺であった(3日)。寒い夜の公民館に集まった住民は10人であった。尾身さんは落胆した様子は少しも見せず、熱心に国政と自分の信念を語った。私はその姿に心を打たれた。尾身さんは、目の前の人は例え少人数でも自分の訴えることがこの人々を通して波及していくことを信じているに違いない。「一人一人の有権者を信じて大切にするという尾身さんの姿勢は初当選以来少しも変わりません。今日の集いにそのことはよく現われています。皆さん、このことを今日来られなかった人に伝えてください」私はこのように挨拶した。(読者に感謝)

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2008年12月 3日 (水)

「12月議会が始まった。朝食会と本会議初日」

◇恒例の自民党朝食会が7時半より群馬会館食堂で行われた。南波幹事長によると最近の全国県連幹事長会で麻生総理が次のように語ったという。「来年1月20日総理として米大統領就任式に出るのでそれまでは解散は絶対にない、解散は、桜の花の咲く頃かも知れない」と。

 朝食会では、金子一郎さんが倒れて入院し目下治療中であること、疑惑追及の特別委員会のこと、政治家の口利き等に関して政治論理を確立するための条例づくりのこと、八ッ場ダム議連のことなどが話題になった。

Pb260016 ◇本会議前に、議会運営委員会と議員総会が行われる。議員総会では、本会議の議事順序の説明等がなされた後で、私が発言を求め、中国を訪問して、県立女子大と大連外国語学院の提携の調印式に立ち会ったこと、及び、私が記念講演を行ったことなどを報告した。この訪中については本会議後、記者会見を行った。

◇定刻10時に本会議が開かれ、最初に決算特別委員会の委員長報告が行われた。この中で注目されたのは、「不適正な予算の使い方」に関することである。主なものは、「年度またぎ」といわれるもので2千万円以上が指摘されたとされる。そして、特別委は次のような「意見」を付して認定したと報告。「会計検査院から不適正な経理処理を指摘された事は誠に遺憾である。これは、県民の信頼を著しく失墜させるもので由々しき事態であり決して容認されるものではない。今後は、このような事態が生ずることのないよう、行政執行の適正化と県政の信頼回復に真剣に取り組むことを要望する」

 また、今回の不適正経理処理は、平成8年のカラ出張問題(2年間で7億1千万円余の不正が発覚)の反省が活かされなかった結果であることも報告の中で述べられた。

◇続いて次のような大澤知事の発言があった。知事は、冒頭、不適正な経理処理につき、誠に遺憾、議会及び県民に深くお詫びすると述べた。また、知事は、11月26日から29日にかけ、名古屋・トヨタ自動車・中国広東省において、企業や観光客の誘致に向けトップセールスを行なったことを報告した。これは、私たちの中国訪問(26日~28日)と重なっている。

 知事は、ここで、次のような説明をした。名古屋では、群馬は交通の便がよく災害がなく企業立地の環境に優れていること、トヨタでは、「ぐんま新工法・新技術展示商談」を開催し本県企業の高い技術力と自動車産業集積地として層が厚いことをPR、そして、広東省では、「広東国際旅遊文化節」に出席して群馬の観光をPR、等である。

◇12月議会は、2日に開会し、19に開会となる。この間、GTVで生中継される本会議の一般質問は、8日と9日に行なわれる。また、常任委員会は11日、12日の2日間である。本会議や委員会のポイントは、このブログで、私の目を通して紹介したいと思う。是非、読んで頂きたい。(読者に感謝)

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2008年12月 2日 (火)

「特別委の参考人として川崎市副市長が」

◇いわゆる高木疑惑を追求してきた特別委員会も終局が近づいている。昨日は、元群馬県住宅課長、現・川崎副市長の高井憲司氏が参考人として出席した。

 いくつもある疑惑の中で注目すべきものの一つが元総社の土地に関する件である。上空に十数万ボルトの高圧線が走り、誰が見ても県営住宅建設に不適切な土地を高い値で県(住宅供給公社)は高木建設から買った。その口利きをしたのが高木元県議であるとされた。

 これまでに、高木元県議の関与を高井・長部の二人の元県住宅課長が証言していた。(1)高井憲司氏は、高木不動産関連の不動産業者から土地購入を打診された際、根抵当権が設定されていることなどを理由に断ったところ、「高木氏が断った理由を聞きに来た」と回答、(2)長部英二氏は、当時県議だった高木氏から「高木建設の話を聞いてやってくれないか」と土地購入を持ち掛けられたと証言した。これは、高木氏の直接的な働き掛けが公の場で指摘された最初だといわれている。

 そして、この(1)、(2)について、高木氏は、「そういうことは絶対にない」と否定したとわれる(今年426日の上毛新聞)。

 私は(1)について、高井憲司氏に質した。「高井さんは、根底当権がついているから購入を断ったら、高木県議が断った理由を聞きにきたと述べ、高木氏は、そのようなことは絶対にないと発言しているがどちらが本当なのですか」と。高井さんは、自分は間違いなくそのように述べたと、明言した。

◇実は、県住宅課は、元総社の土地取得につき、担当者から聞きとりを行い、内部調査報告書を作成した。その中でも、(1)、(2)のことは確認されているのである。私の高井さんに対する質問は、特別委員会の場で直接本人から(1)について確かめた点に意味があった。その他の点についても高井さんに、二、三質問し得るところがあった。

◇一連の疑惑は、県の行政改革につながる問題でもあった。この点に関し、9月議会の私の質問に答えた大澤知事の発言は注目すべきものであった。私は、行政改革を進める上で重要なことは、行政の施策につき、責任の所在をはっきりさせること、特に行政のトップに立つ者の責任を明確にすることが重要だとして大澤知事の考えを質した。小寺前知事が元総社の土地に関して、一切関与していない、自分に責任はないと発言したことを私は問題にしたのである。大澤知事は、高木元県議の口ききなどをあげ、10億円を超える土地をよく検討しないで買い、購入後1年後には方針を変え、以後14年間も土地は放置された点につき、小寺前知事の責任は極めて重いと明言した。私は、このような大澤知事の決意を踏まえて、参考人も県の職員も、問題の解明のために積極的に取り組むべきだと発言した。12月の議会が始まる。(読者に感謝)

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2008年12月 1日 (月)

「中国から帰国して。ナナとトコの出迎えぶり」

◇28日夜、9時過ぎに自宅に着く。タクシーから降りると、バッグを引く音にナナがすぐに反応して鳴きだした。私には、「ヒーヒー」と聞こえる。わずか3日間の別れなのに大変なものだ。旅から帰るときの私の楽しみの一つは秋田犬(あきたいぬ)ナナとの再開である。玄関に荷物を下ろし、ナナを小屋から連れ出す。飛びついて私の顔をなめる。思い切り頭を抱きしめてやった。

 妻の部屋に入ると、トコが丸くなっている。「ただいま」と声をかけると、薄く目を開けて尻尾を振っている。犬と猫の違いである。猫は感情を現さない。尾を振ることが感情の現し方だとすれば、犬と比べて感情が乏しいというべきか。

 感情は知能の働きである。ナナは特に私になついていて細やかな、時には激しい感情を現す。トコと比べ知能が高いのであろう。

 知能の問題は、好き嫌いとは別である。妻はベタベタしないトコが好きだという。妻とトコは波長が合うのだろう。トコはいつも妻の側にいる。夜、妻が散歩に出ると、トコトコと付いていく。そして、一定の距離まで行くとうずくまって妻の帰りにを待っている。そんなトコの存在は、妻にとって大きな癒しとなっている。そして、こんな我が家が私の癒しである。

◇29日、二つの忘年会に出た。早起き野球愛好者と、だんべえ会である。いよいよ忘年会の季節が始まった。

◇中村後援会のバスツアーは、好天に恵まれて楽しかった。昨年に始めてから19回になる。旅は何といっても天気次第である。特に海辺は明るい太陽の有る無しで行って来る程の違いとなる。この日は、終日素晴しい太陽に恵まれた。コースは、葛西臨海公園、お台場海浜公園、台場1丁目商店街、横浜ベイサイド(三井アウトレットパーク)、そして、キリン横浜ビアビレッジ、と盛り沢山である。

早朝6時に集合出発。まだ夜の闇が立ちこめて、空には星が光り、東の地平線が微かに明るい。バスは高速道の朝日の中を走る。途中富士山がくっきり見えると喚声が上がる。富士山を見て私達日本人は、いつも心に特別のものを感じる。秀麗な姿は、何かよい事があるような明るい希望を与えてくれるのだ。

葛飾臨海水族館では、入口のプールの水が彼方の海と一体となって光っていた。お台場海浜公園では砂浜に腰を下ろして弁当を食べる。青い海に白い橋、弁当は質素だが人々は最高の御馳走を味わっている気分に違いない。1丁目商店街では昭和の商店の懐かしい雰囲気が味わえる。私は、女性画家に肖像画をかかせた。横浜ベイサイドはヨットが並びアウトレットは若い人であふれていた。ビアレッジではビールの歴史と製造過程を見、出来たてのビールを味わった。12月は21日(日)が今年最後のツァー。ブログの読者も参加して欲しい。全てこみで5500円。心の交流が楽しみである。(読者に感謝)

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