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2008年12月20日 (土)

遙かなる白根(35)序章 100キロメートル強歩序曲

第一回の強歩は、1980年(昭和55年)10月の「四万温泉強歩」で、暮坂峠を経て学校までの50キロメートルを歩くコースであった。これは白根開善学校創立の2年後のことである。

 その後は毎年コースを変え距離を伸ばしてきた。これは、理想の「強歩」の姿を求めて、模索していた時代のことである。

 次にその主なものをあげてみる。

第2回(昭和56年)「榛名強歩」、榛名湖→須賀尾峠→学校、55キロ

第3回(昭和57年)「軽井沢強歩」星野温泉→北軽井沢→学校、64キロ

第4回(昭和58年)「上田強歩」田沢温泉→鳥居峠→学校、80キロ

第5回(昭和59年)「赤城強歩」赤城山→沼田→学校、92キロ

 初回から、第5回までは、このように一定の場所から学校までを歩く片道コースであった。

 本吉校長の目指すものは100キロメートルの強歩であったが、いきなり100キロメートルに挑戦することは困難であった。50キロメートルから始めて、子どもたちの歩く姿を確かめながら距離を伸ばしていった過程が伺える。また、強歩は、子ども達が主役であるとはいえ、多くの父母や先生達、そして地域の人たちの協力体制がなければ実行できない。歩く距離が伸びていったことは、強歩を支える体制が整っていったことも意味しているのである。

 このような実績を重ねて、第6回あたりから実質的に100キロ強歩が実現する。それは、昭和60年のことであった。

 第6回、1985年(昭和60年)、「吾妻100キロメートル強歩」(実質は96キロメートル)。この回から片道コースではなく周回コースとなる。それは、次のようなコースであった。学校→沢渡温泉→吾妻町→薬師温泉→須賀尾峠→長野原→学校。

 以後、9回まで同じコースがとられ、続く10回目からは、「西吾妻100キロメートル強歩」周回コースとなり、距離も98キロメートルとして定着するようになった。コースの状況は後に詳述するが、概略次のような道順である。学校→長野原→北軽井沢→長野原→学校。

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「遥かなる白根」を連載しています。

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