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2008年11月17日 (月)

「40年ぶりの東大同窓会に出る」

081115_174632 ◇40年間一度も会わない人もいる。是非会いたいと思う者もいた。40年の歳月は、あの頃の温室で純粋培養されたような若者の顔にどのような年輪を刻み込んだのか。私は期待してこの日を待った。

 上野の台地を東に下りると不忍池(しのばずのいけ)が広がる。これを抜けた丘陵地帯が本郷であり、東大はこの東端に位置を占める。私は、昔、隠密の屋敷があったことにその名が由来するといわれる不忍池の風情を楽しみながら歩いた。裏門から東大の構内に入るとなだらかな石畳の坂道が続く。

 このあたりは東大病院の裏手にあたり、昔、前橋との間を行き来する時よく歩いた所である。明治に建てられたレンガ造りのいかめしい建物もほとんどが立て替えられ近代的なビルが並ぶ。やがて安田講堂の前に出た。古い東大とかつての権威を象徴するようないかめしい姿は今も変わらない。ただ、講堂前の広場は庭園風に変わっていた。もうここでは学生の集会は出来ない。そう思いながら時計台を見上げると感慨深いものがあった。私たちが卒業した昭和43年ごろ安田講堂は全共闘の巨大な要塞と化し、塔の上は警察のヘリコプターが何機も舞っていた。時代は変わったのだ。静かな構内で、わずかに色づいたイチョウが小雨に打たれていた。

 5時過ぎに夕闇が迫るころ、文学部の懇親会場で西洋史学科の仲間と再会した。卒業以来初めて会う人たちと固く握手する。頭が薄くなった者、すっかり白髪になりしわがよった顔など、40年の歳月が厳しかった事を物語っている。離れて見て、一瞬、はてと思った顔も近づいて言葉を交わすと、笑顔の中に昔の表情が甦る。

 6時過ぎ、西洋史の仲間11人が本郷3丁目のすし屋の2階で改めてテーブルを囲み近況を語り合い昔を振り返った。現役を退いて自適の生活を楽しんでいる者、大学教授、新聞社の編集委員として活躍している者など様々であった。

私が会うのを楽しみにしていた一人が日笠君である。現在朝日新聞の役員である。彼とは駒場時代語学が同じクラスであり、部屋は違うが共に2年間駒塲寮にいて親しかった仲である。懇親会場で足を引くような歩き方に驚いたが、脳内出血を患い今でも身体に不自由があるという。病から立ち上がり朝日新聞大阪本社で取締役となり、現在、常勤監査役をつとめる。彼は主に営業畑を歩んできたが、歴史的な物の見方が役立ったと語っていた。私は自分の政治生活を振り返って同感だと思った。

やはり駒塲時代から親しい奈良原君とは、大学紛争時のある夜、善福寺の林健太郎先生のお宅を二人で訪ねた事などを懐かしく振り返った。私が元東大総長の林先生の特別の応援を得て県議選に出馬した事を日笠君や奈良君は知っていて、私の政治活動も話題になった。40年は振り返るとあっという間に過ぎたと思える。群馬の現実から離れ夢の世界に浸った一時であった。(読者に感謝)

★土・日・祝日は、中村のりお著「遙かなる白根」を連載しています。

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