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2008年11月23日 (日)

遙かなる白根(27)序章 100キロメートル強歩序曲

私の著書、『上州の山河と共に』の中に、私が級友上野和仁の家へ本を借りに行く場面が出てくるが、その上野和仁の生家は、ここから、もうさ程遠くない、赤城神社の近くである。ぶ厚い“太閤記”を小脇に抱えて、夕暮れ時の、まだ舗装もされていないこの南面道路を、とぼとぼと歩いていた姿が、目の前の周平の姿と重なって思い出される。「さあもう一息だ、頑張ろう」そこから1キロ程で、南面道路は、下から赤城神社へ登ってゆく道と交差している。そこまでくると、もう、初詣の車が延々と続いていた。「とうとう着いたね」周平の声は、はずんでいる。そこから、勾配を増した登りの道がかなり続くのであるが、まわりの雰囲気に刺激されたように、周平の足取りは軽かった。11時40分。とうとう、私たちは、赤城神社の鳥居に到着。雑踏の中で手を振る母親の笑顔を見つけて、周平は走って行った。「ぼく、やったよ」その声には、周平が生まれて初めて味わう勝利の快感があふれていた。 私は、杉木立の中に響く除夜の鐘を聞きながら、この強歩の体験をもっと続ける途はないものかと考えていた。そして、この体験が後に周平が取り組む白根100キロ強歩につながってゆくことをこの時はまだ知らなかった。 本吉修二氏との出会い ー周平の決断― 平成6年、周平は6年生になった。重い石臼がギシギシと回るように、時は重苦しく、容赦なく過ぎてゆく。6年生が終わる迄には、周平の進路について、どうしても決断を下さねばならない。重い課題が常に私たちの上にのしかかっていた。もう、待ったなし。周平の暗い表情は、私たちに、そう訴えているように思えた。当時、白根開善学校の創立者・本吉修二氏は、群馬県の教育委員に就いていた。この時点で、学校設立から十数年が経過しており、学校運営は既に軌道に乗っていたことであろう。本吉氏の県教育委員就任は、本吉氏が白根開善学校で成果を上げ、それが世に認められるようになったことを示すものである。 ☆土・日・祝日は、中村紀雄著「遥かなる白根」を連載しています。

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