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2008年11月 3日 (月)

遙かなる白根(21)序章 100キロメートル強歩序曲

歩くことは人間にとって一つの原点である。私たちの遠い祖先は、その進化の過程で歩くことによって他と別れて人間としての歩みを始めた。二本足で立つことが常態となることで重い脳を支えることが可能となり、脳が発達した。又、前足が歩くことから開放され、手で食べ物を処理して口に運ぶようになり、あごが言葉を話すに適したように変化し、又道具をつくるようになった。脳が発達し、言葉を操り、手で道具をつくる。このようにして人間は文明を発展させた。その出発点は歩くことであった。

ところが、そこから発展させた文明の利器にたよって現代の人間は歩かなくなってしまった。歩かないことによる弊害は予想以上に大きいのではないか。歩くことによって人間となった私達は、歩かなくなって、人間としての大切なものを失いつつある。これは、文明の危機、人類の滅亡にも通じる重大なことである。私達一般について言われているように、歩くことの効果は大きいが、それ以上に、周平には歩くことに格別な効果があると思える。そして、私といっしょに歩くことには更に違った効果があるに違いない。私には、こう思えた。

平成5年12月31日、午後9時、私と周平は、前橋市鳥取町の自宅を出発した。テレビでは、NHKの紅白歌合戦が始まろうとしていた。目指すのは赤城神社である。赤城神社は、勢多郡宮城村三夜沢にある。社のすぐ裏には急斜面の赤城の山が迫っている。そこは、宮城村でも最北の地である。そして、私の家から12,3キロを歩くことはかなりの強行軍である。

「周ちゃん、暗いから迷子にならないように、お父さんの後にしっかりついてゆくのよ」

後ろで、妻は心配そうに言った。強い風に、妻の声がちぎれてゆく。肌を刺すような寒さである。凍った空に半月が光を投げ、その下をレースのような白い雲が流れていく。農家の屋敷森の間から赤城の鍋割の影が墨をにじませたようにうっすらと見える。

俺は赤城神社まで歩けるだろうか。心の片隅に小さな不安があった。それよりも、周平はあそこまで歩けるだろうか。こちらの心配の方が大きい。

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「遥かなる白根」を連載しています。

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