「常任委で新型インフルを取り上げた」
2008年10月6日(月)
「常任委で新型インフルを取り上げた」
◇総務部関係の常任委員会の重要な課題は危機管理である。危機といえば、最大の関心事は迫り来る新型インフルエンザをおいて他にない。そこで、私は、危機管理官にかつてのスペインかぜで群馬県でどの位の死者が出たかご存知かと尋ねた。管理官は正確な数字を把握していなかった。これでは、過去の大きな犠牲を活かせない。
私は、新井委員長の承認を得て、当時の新聞等の資料のコピーを委員と答弁席の幹部に配った。新聞の記事は、先日のブログで紹介した。次の表は、群馬県史(通史編7)に載る群馬県統計書から作成したスペインかぜによる死者の数を表すものである。
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(大正元年~15年) |
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年度 |
死者数(人) |
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大正元年(1918年) |
18 |
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大正2年 |
40 |
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大正3年 |
113 |
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大正4年 |
155 |
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大正5年 |
29 |
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大正6年 |
6 |
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大正7年 |
766 |
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大正8年 |
1677 |
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大正9年 |
2011 |
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大正10年 |
321 |
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大正11年 |
371 |
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大正12年 |
89 |
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大正13年 |
92 |
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大正14年 |
138 |
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大正15年 |
39 |
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これは、90年前の恐るべき事実である。このスペインかぜは、第一次世界大戦の最中に起きてまたたく間に世界中に広がった。日本でピーク時(1920年、大正9年)の群馬県の人口は現在の約半分、105万人であった。90年前とは、医学の進歩など社会状況が大きく異なるから当時の被害を基礎にして来るべき新型インフルの被害を単純に推計することは出来ないが、対応を誤ると大変なことになることを、この資料は私たちに突きつけている。「常任委員会であれほど警告したのに対策を怠ったと言われないようにして欲しい」と私は発言したのである。
◇県議OBとの懇親会があった(4日)。自民党の力を回復するために力を合わせることを目的とするもの。松沢さん、柳沢さんなどの懐かしい面々が顔を揃えた。車イスの元県議もいた。先輩の顔ぶれは昔の県議会の姿をしのばせる。現在の県議会執行部の顔ぶれと比べ、県議会が大きく変わったというひとしおの感慨を抱いた。
◇市民スポーツ祭の少年少女柔道大会に出た(5日)。ぐんま武道館の柔道大会で私はよく挨拶をする。いつもは、岩のような巨漢が会場を埋めるが、この日は、ほほえましい様な子どもたちが集まっていた。私の前で白帯をしめた小さな女の子がしきりにあくびをしている。小学校1年生から学年別の女子の試合が行なわれるのだ。豆つぶのようなかわいい女の子がこんなに多く柔道に集まっているのは、オリンピックで女子が活躍した影響だろう。「日本の柔道は君たちが担うんだ」と私は挨拶の中で言った。
◇中国帰国者のマス釣り大会があった(5日)。元残留孤児を中心とした中国東北部から移り住んだ人々である。私はこれらの人々がつくる協会の顧問である。満州開拓移民、敗戦による動乱の中の親子離散、国交回復による孤児の帰国、彼らはこのような日中の歴史を引きずって逞しく生きている。この日は、県国保援護課の課長も出席した。敷島公園の釣り堀は明るい笑顔でにぎわった。(読者に感謝)
★土・日・祝日は、中村のりお著「遙かなる白根」を連載しています。
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