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2008年10月26日 (日)

遙かなる白根(18)序章 100キロメートル強歩序曲

「学校などなければよい」

かつて妻がぽつりと呟いたことがあったが、私の心にも、今、それに似た思いが起こる。そして、教科書の勉強は少しにしてあとは自然の中で手足も伸々とさせ、自然の中で学ばせる、そんな環境が周平のためにあればよいと思うのだった。

今の学校制度にはいろいろな問題がある。一人一人を大切にしなければならないという教育の目標を掲げているが、実際は、そうなっていない。多くの子どもの才能や個性を抑え込んでしまっているのが、今日の社会であり、学校教育である。子どもたちの世界で学校の占める比重が多くなりすぎている。学校という枠の中で子どもたちは才能を伸ばし個性を発揮しなければならない。では今の学校にその寛容さがあるかと問えば、“否”と答えねばならないのだ。良い成績をあげることを第一の目標とする学校制度の下で、才能を発揮できず、個性を埋没させてゆく子どもがいかに多いことか。

「一人一人を大切にする教育なんてどだい無理なことだよ。きれいごとを言っても駄目だ」

この問題に対して、このように考える人が私の回りにも多くいる。

理想と現実の乖離(かいり)。今の教育制度の中で待ったなしの深刻な状況が進んでいるのだ。周平を通して突きつけられた問題に目を向けると、周平のようにハンディのある子だけでなく、無数の子どもたちの病める姿が周平の後ろに続いているのが見えるのである。

では、一人一人の子どもを大切にする教育を実現するにはどうしたらよいのか。この大きな理想に近づくための第一歩は、まず、いろいろな種類の学校をつくって、いろいろな子どもの学ぶ要求にこたえる体制をつくることである。国の教育行政は、不十分ながらこの方向に大きく動き出した。この点で、社会の変化に柔軟に対応できる私学の役割は大きい。

しかし、学校の種類を増やすだけでは、この目的は達せられない。教育の現場を支配してきた成績第一主義ともいうべき傾向を改めなければならないのだ。

そして、学校を改革すると共に、子どもにもっと自然を与えてやらねばならない。今の子どもには、自然の中で心と体をきたえ、自然から学ぶ機会があまりに少ない。

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「遥かなる白根」を連載しています。

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