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2008年10月25日 (土)

遙かなる白根(17)序章 100キロメートル強歩序曲

職員室らしき所に人影が動いたのを、周平は目敏く見つけたのだ。その人は当直の先生で、今は夏休みで生徒はいないこと、そして今日は他の先生方もいないと話した。私は、学校の様子を一、二聞き、学校案内のパンフレットをもらって学校を去ることにした。周平が人影に気付かなければ、職員室に近づく気にもならなかったかも知れない。私の心は重くなった。この人里離れた山また山の中の学校に、周平を連れてくることは到底無理なことと思われた。私は、長い道中、既に、開善学校で周平を学ばせることの望みをほぼ捨てていたのだ。妻も、道中、開善学校のことをほとんど口にしなかった。

この頃の私は、白根開善学校創設時の苦しみとその後の歩みをまだ知らなかった。この学校の歴史に支えられて力強く生きる生徒たちを見れば、また違った感慨をもったであろうが、山の学校の主人公たちは、全員山を下りていなかった。彼らのいない山の学校は、山中に脱ぎ捨てられた衣類のように、事情を知らない私たちに、ただ異様な感じだけを与えたのかも知れない。

太陽は西の山に傾きかけ、ちぎれた雲を黄金色に染めていた。樹間からこぼれる陽のかけらも次第に薄くなり、道に落ちた木々の陰は逆に濃くなっていた。私たちは、道を覆うから松のトンネルを走り抜け、尻焼、花敷の温泉を過ぎ国道に出ると、夕暮近い六合村を白砂川に沿って下っていった。

六合村と長野原町の境の峠に着いたとき、私は車を下りて今来た方向を振り返った。白根山に抱かれた白根開善学校のあたりに、今まさに沈もうとしている陽光がかすかに届いている。あの学校は何なのか、心にかかるものを感じながら私は再び車を走らせた。

夏休みが終わり新学期が始まった。年があければ、周平はすぐ6年生になる。私も妻もそのことがいつも頭にあって、深まりゆく秋の静けさは、沈みがちな私たちの心を一層重くしていた。

白根開善学校を訪ねてからしばらくしたある日、私は、尻焼温泉で周平とたわむれた情景を振り返っていた。私が飛ばした水をかぶりながら見せた周平の笑顔は、頭上の陽光のように眩しく美しかった。それは、周平が久しく見せたことのない表情であった。

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「遥かなる白根」を連載しています。

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