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2008年10月13日 (月)

遙かなる白根(14)序章 100キロメートル強歩序曲

このような抽象論、一般論が周平を通してにわかに、具体的、切実な問題となって、私達夫婦の上にふりかかってきたのだ。選択肢の中には、いくつかの種類の学校や制度がある。妻と私は、まず、周平を芳賀小学校の特殊学級に入れるべきかどうかを話し合った。妻は、「特学」に反対して譲らなかった。確かに、そこでは、子どもの力に応じて丁寧に指導してもらえる。しかし、学校という社会の中の片隅におかれた特別の枠の中で、特別に扱われることは、子どもにとってよくない。「特学」というレッテルを貼られることに、私は反対だ。妻は、こう主張するのだ。他人の子どもについて話すときは、耳によく響く一般論、原則論は、そのまま実際にも通用する立派な考えだと思えるのだが、自分の子どものことになるとそうはいかない。一般論、原則論がそのまま適合しない現実の重みにたじろぐのである。私は迷っていたが、妻を説得する熱意はなかった。だからといって、妻も私も、現状がよいと思っているわけでは決してない。「特学」がだめだというなら他の学校を探すしかない。私達はいくつもの学校を訪ねその現状を見た。しかし、そのいずれもが、周平がおちつける環境とは思えなかった。周平が5年生の夏休みを間近にした頃のこと、私は、かねて耳にしていた白根開善学校を実際にこの目で見てみようと思いたった。夏休みのある日、私達親子三人は西吾妻へ向けて出発した。親子三人で吾妻の奥地を訪ねることは初めてのことであった。真夏の青空の下に、山々は大波小波が大海原を幾重にも重なりあってうねるように果てしなく広がっている。白根開善学校は、山頂が青空に接しているあの山並の更に向こうにある。そう思うと、自然の美しさより、そんな山奥に周平を入れることの重大さが心にかかり、私も妻も言葉が少ない。道のりがやけに長く感じられ、やっとJR長野原草津口駅に着く。この駅のわずか先にある須川橋の交差点は、その後、我が家と開善学校のつながりが深まり頻繁に行き来するとき、大切なポイントとなる。ここを曲がると急に周平の世界に近づくという感じを受けるのだ。又、後で触れるように周平たちが百キロメートル強歩を行うときも、この交差点は、彼らにとって、行き帰りの重要な分岐点となる。この交差点を北に折れて白砂川に沿った道に一歩入るとあたりの様子は一変する。木々のの繁った高い山あいに道路は入り込んでゆく。 ☆土・日・祝日は、中村紀雄著「遥かなる白根」を連載しています。

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