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2008年10月 5日 (日)

遙かなる白根(11)序章 100キロメートル強歩序曲

しかし、私にとって、わくわくするような刺激と夢に満ちた小学校という競争の海は、周平にとっては、水底へ引き込まれ、どこかへ流されてしまうという不安に絶えず脅かされる恐怖の海であった。そのことが、次第に明らかになり、一年、二年、三年と学年が進むにつれ事態は深刻になっていった。

 周平は、保育園の時と同じように、仲間の中に入ってゆくことが出来ず、休み時間は、運動場の片隅で皆の方を横目で眺めながら一人ポツンと過ごす毎日であった。教室の勉強は日毎に難しさを増し、量も増えてゆく。周平が到底それについて行けないことは、20点、30点というような、時々持ち帰るテストの成績からも歴然としていた。周平が取り残されてゆく学校の授業の光景を想像するだけで、私には耐え難いことであった。

 私たち夫婦は、初めのうちは、家庭で勉強を教え、学校での遅れを取り戻そうと考えていた。元教師の妻は、周平が学校から帰ると、時間を見つけては、一緒に机に向かい勉強に取り組んだ。妻の姿は、側から見ても、全エネルギーを注ぎ、精魂を傾けているように見えた。

 県会議員になる前、前橋市西片貝町で小規模ながら本格的にやっていた学習塾を、私は県会議員になってからも芳賀の鳥取町で規模を縮小した形で続けており、自ら教壇に立っていた。妻も私のアシスタントとして塾を手伝っていた。

 周平の問題は、塾の教壇に立った私に、何かを突きつけていた。それが何であるか、明確には判らないが、それは、周平一個の問題を越えた大きな問題であり、しかも、教育の大きな流れ、また、社会全体のことにかかわる問題とつながっていることと思えた。私は、このことを重く感じ取りながらも苛立つ感情の渦に巻き込まれ、時に、それを冷静に追求する姿勢を失うことがあった。

 私は、西片貝町で学習塾を開いていたころ、私の小さな教室から毎年数名の前橋高校や前橋女子高校の合格者を出すことを、一つの誇りにしていた。そして、これら優秀な子どもだけでなく、学校での勉強に遅れた子どもも、一緒に座らせて、基礎の基礎にある原理原則を徹底的に教えるというやり方で、両方の子どもたちに満足感をもたせ、それなりの成果を上げることに精力を傾け、自分でも満足していたのである。 

☆土・日・祝日は、中村紀雄著「遥かなる白根」を連載しています。

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