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2008年9月30日 (火)

「今議会の大きな問題点は」

◇本会議場における私の質問は25日に行ったが、用意しながら、時間の都合で取り上げることが出来なかった質問が2つある。()土地開発基金の問題点及び()指定管理者制度についてである。これらは、行政改革の問題点として取り上げるつもりであった。

 時間が足らなくなった理由の一つに、私が第一に取り上げた元総社の高圧線下の土地取得に関する小寺前知事の責任問題に、大澤知事が、突っ込んだ明確な答弁をし、それにかなり時間をかけたことがある。()()は重要な問題なのでその要点を説明する。

 (イ)・(土地開発基金の問題)。基金の目的は公共の目的のために予め土地を取得すること。基金の額は100億円であるが、既に80億円の土地が小寺前知事の下で買われ、長い間塩づけになっていた。中には、はっきりした目的を定めずに購入した土地もある。

 「なぜ、今まで利用あるいは処分できなかったのか、80億円で購入した現在の評価額はどうなっているのか、当時の価額と現在の価額の間に大きな差ができてしまって、処分すれば赤字が明確になるのでそれを隠すために処分しなかったのではないか、これは臭いものには蓋をしておくという長期政権の弊害ではないか、知事が代わった今こそ、本来の基金の状態に戻すべきである、現実に合った評価をし直し、不要な土地は処分すべきであるし、その他は適切な利用を検討すべきではないか、知事の決意をお聞きしたい」、このような質問を予定していた。10月2日の委員会で改めて質問しようと思う。

 ふるさと塾で、このことを話したら、ある人が、「県民の財産が大きな損害を受けた。責任者に賠償責任を求めることはできないのか」という発言があった。一般の県民の感情だろう。

◇行政改革の大きな課題は、県の仕事を外部にまかせることである。これは、外部委託によってコストを削減させ、サービスを向上させることが目的である。ある調査では、民間に委託することによってコストが半分になる可能性のものもあるという。指定管理者制度は、公の施設を外部に委託する制度である。既に53施設が対象になって外部委託が進められてきた。県営のゴルフ場などもその例である。そして、まだ、52の県直営の公の施設があり、そのうち、24が外部委託の対象として検討されている。それらの中には、北毛少年の家、東毛少年自然の家、妙義青年の家、生涯学習センター、土屋文明記念館、昆虫の森、ぐんま天文台、自然博物館などもある。県民の皆さんには行方を見守ってもらいたい。特に、昆虫の森や群馬天文台は巨額の建設費をかけ、現在も毎年、膨大な費用が出ている。その活用の仕方が問われているのだ。公の施設は、それぞれ、役割と使命がある。それを実現出来る委託先を選ばねばならない。選定委員会の在り方も問われる。この問題も、委員会で取り上げ、ブログで紹介したい。(読者に感謝)

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2008年9月29日 (月)

「注目される最近の裁判(暴力団の抗争)」

◇前橋市民を恐怖の渕につき落とした三俣町の殺人事件は平成15年1月25日の事だった。暴力団の抗争で組員一人と民間人3人が殺されたのだ。この事件に関して、刑事責任を問う裁判では、三人が一・二審で死刑判決を受けている。ヤクザ映画を地で行くような出来事が身近かで起きた事に、私たちは大きなショックを受けた。そして、一見平穏な社会も暴力団の銃口に絶えず脅かされている事を知った。

 そこで、安心安全なまちづくりを目指す県議会として、暴力団に対して毅然とした姿勢を示さなければならないという思いで、私たちは、暴力団員を県営住宅から排除するための条例改制を断行したのであった。その際、私達が痛切に思ったことは、安全安心のまちは、警察の力だけでなく民間の協力がなければ実現できないという事であった。

 この三俣事件に関して民間人が暴力団幹部に賠償責任を求める裁判を起こした事は大きな意味がある。今月26日、指定暴力団住吉会の最高幹部は前橋地裁で遺族に対して1億円近い賠償金を払うことで、和解に応じた。和解には、暴力団の総裁の遺族に対する謝罪及び暴力団構成員を適切に指導して再発を防止する約束なども含まれている。

遺族は、裁判を振り返って、暴力団組織に対して社会的制裁を与えるために起こした訴訟であったこと、また家族が襲われるかも知れないという不安との戦いであったことを語った。

 暴力団組織としては、上級審で争っている死刑判決を考慮しているのではなかろうか。民事訴訟で謝罪することを、死刑判決を回避するための材料にしたい、そんな思いが伝わってくる気がする。暴力団も死刑は怖い、死刑の犯罪抑止力は大きいのかなと思わざるを得ない。

◇成人学校書道クラブ創立50周年記念の祝賀会に出た(27日)。私は県書道協会の顧問なので、このような会にはいつも出席して挨拶をする。この日は、大澤知事が来賓として出席した。書道の会に知事が出席するのは多分初めての事で、西林乗宣会長も喜んでいた。書は伝統の心の文化である。知事の出席は、県が伝統文化を尊重することの現れであると、私は、乾杯の挨拶の中でコメントした。

◇ふるさと塾では、歯舞(はぼまい)・色丹(しこたん)・国後(くなしり)・択捉(えとろふ)の北方領土の説明をした。貴重な映像の資料は、県立図書館の協力を得た。これらの島は昔からアイヌが住み、江戸時代は松前藩が支配した日本国有の領土であることにも話は及んだ。中山大臣が失言で辞職したが、失言の中には、アイヌの人々の存在を無視した「日本は単一民族」の発言があった。

◇月一回の後援会のバス旅行に参加(28日)。靖国神社は、日本の現代史の実態に触れるのが目的でコースに入れた。一角に「文庫」館があり、拙著、「望郷の叫び」が保存されていることを確認した。バスの中では進行中の議会の様子を報告した。実りあるツアーであった。(読者に感謝)

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2008年9月28日 (日)

遥かなる白根(9)序章 100キロメートル強歩序曲

私は、頭を下げながら“周平だ”と思った。

大勢の人々の最前列の片隅に小さな周平が立っていたのである。舞台の上の家族の異様な光景とそれを包む人々の興奮。周平なりに大変なことが行われていると思ったに違いない。じっと、私たちを見詰める小さな姿が私のまぶたに突き刺さるように飛びこんで、重く下げた私の頭にいつまでも残った。あの光景は、選挙という訳の分からぬ重苦しい雰囲気と共に、周平の心に何を残したのか、後に周平の心の中をのぞこうとするときいつも思い出されるのがあの光景であった。

理想を求め、ほとんど無一文でこの世界に飛び込んだ私の姿は、白根の山で確たる資金計画もなく無謀ともいえる学校づくりに取り組んだ本吉氏のそれに通じるものがあるかも知れない。

後に私は本吉氏と出会い、それがきっかけとなって周平は白根開善学校に入ってゆくが、7日間ほどの体験入学を経て、

「ぼく、山の学校へ行くよ」

と周平に決意させたもろもろの要素の中には、厳しさの中で理想を求めて苦しんできた我が家の緊張した状況と、白根開善学校をつつむ雰囲気との間のある種の共通性を周平なりに感じとったという点があるかも知れない。

周平が他の子どもと比べて遅れていることを突き付けられたのはまず、保育園に入ったときである。周平は3歳で前橋市立芳賀保育園に入園した。周平の長く苦しい道のりの第一歩であった。保育園はまた、周平が初めて出会った競争社会でもあった。周平は、言葉も遅れているし、ルールに沿った遊びもできないということで、仲間の中に入ってゆけないという人生最初の難問に突き当たることになった。他の園児たちが飛び跳ねて遊んでいるとき、一人ぽつんと庭の隅でウサギやハトを見詰めて過ごすというのが周平の日常の姿となってゆく。

妻は心配しながらも、やがて追いつくときが来るのではないかという期待を心の隅に持っていた。家庭は「選挙」を通過し、当選を果したとはいえ後援会の行事などで相変わらぬ忙しさにまきこまれていた。

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2008年9月27日 (土)

遙かなる白根(8)序章 100キロメートル強歩序曲

それは、大会の舞台の上で、集まった支援者に対して土下座して頼むことであった。私と妻と、娘のゆり、三人が、そういう形をとって、どうか当選させて下さいと頼めというのだ。当時、自民党の浜幸がよく土下座をやっていたのを私は不快な気持ちで見ていた。あれは、民主主義の根本に反する。あれだけは、やりたくないと思っていた。それが現実の問題として身にふりかかってきたのだ。「もう、選挙はしたくないわ、なぜ、そこまでしなければならないの」私は、妻の言葉に何と答えてよいかわからなかった。広場を埋め尽くした人々の前で、三人が土下座する場面を想像すると、それは、絶え難いものに思えた。しかし、ボランティアで、必死に支えてくれる選対幹部の人たちの苦労を思うと、断れる筈はなかった。選挙とは何か。それは、民主主義を支える重要なものだ。社会のために働こうとするのに、なぜ、卑屈な態度に出なければならないのか。政治姿勢をみて判断してほしい。こんな道を通らねば当選できないとすれば、理想をかかげて選挙に出る人はいなくなる。そんな思いが、私の胸にあった。しかし、前回落選し、この選挙に全てをかけ、その投票日が目前に迫っているという現実の重さは、そんな理屈を口に出すことを到底許さなかった。「土下座という言葉が悪い。そう考えないようにしよう。ものを頼むとき、畳の上に、手をついてお願いするじゃないか。高い台の上で、立ったままで、一番大切なことを頼むのは失礼なことだ。だから、座って、頼む、そういう風に考えようじゃないか」苦しんで、考えた末の私の言葉に対して、妻は何も言わなかった。その時がやってきた。集った人々は、約2千人。「最後のお願いです。どうしても今度は当選させて下さい。お願いです」こう言って私は、計画通りひざを折り手をついた。妻と娘が私にならって行動した。私は、手をつきながら人々の方を見た。人々の姿が、大きなかたまりとなって、ぼうっと、私の目に飛び込んだ。そのとき、そのかたまりの中の小さな一点が、ぼやけた景色の中で、そこだけにはっきりと光があてられたように、私の頭に鮮明に描かれて過ぎた。

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2008年9月26日 (金)

「本会議に登壇、知事との真剣勝負」

◇本会議の初日は4人が登壇し、私は3番目、午後の最初だった。答弁者である知事と対面して、一問一答のやりとりをする。その有り様をGTVが生中継するのである。これらは、私が議長のとき取り入れた議会改革の一端である。この改革によって議会は一変したと思う。それ以前は、議長席の前から同僚議員に向って全部の質問内容を発言し、終わると自席に戻り、代わって答弁者が登壇した。ほとんどの議員が原稿を読んだ。今は、対面し、一問ごとにキャッチボールである。原稿を読む姿もなくなった。

 大澤知事と向き会って先ず感じたことは、そのいつにない真剣な眼差(まなざ)しである。本気だな、と私は思った。実は、私は質問通告とは別に質問の要旨を大澤知事に渡してあった。私の質問の真意が伝わり的確な答弁が得られることを期待したのである。「特別委員会の経過を踏まえ、行政改革の観点からお尋ねいたします」私は、切り出した。特別委員会とは、元県議の疑惑を追及することを実質的には目的とした委員会である。「15万ボルトの高圧線が上空を走り、中央に川が流れ、侵入路もない土地を、10億円以上の高額で買って、一年後に、小寺前知事の考えで計画変更し県営住宅は建てないことにした、以来、14年間近くも放置した、この事実に対して責任の所在がはっきりしない、こんな事が許されるのか、小寺前知事は、個別案件については感知しないと発言した、これに対して大澤知事はどうお考えか」

 このような私の質問に対して、大澤知事は、「小寺前知事に最終的な責任はある」と明言した。私の質問はさらに次のように続く。

「前知事のもとで起きたこれらの問題を大きな教訓として活かすことをこれからの大澤県政の原点としなければならない。そのために事実の解明を一層進めなければならないが、知事は、部下の職員をさらに督励する気持ちはありますか」と。大澤知事は、その通りだと決意を述べた。元総社の土地取得について、更に県土木整備部長、総務部長に、具体的な問題点について質問した。大澤知事の決意が表明されたためであろう、両部長も、特別委員会の時にはみられなかった積極的な答弁をした。

◇この日の私の質問でもう一つの大きな論点は、政治家の「不当な働きかけ」にどう対応するかということであった。特別委員会では、高木元県議の働きかけがあったこと、元県議、当時の出納長、前知事のトライアングルで決定されたという趣旨の証言がなされていた。この事件を今後に活かすために、規制のルールをつくるべきである。その際「不当な働きかけ」の定義はどうするか、公表するとして、その基準はどのようにするのか、という私の質問に対して、知事は、今後、議会にもはかりながら積極的に取り組んでいきたいと答えた。65分はあっという間に過ぎた。(読者に感謝)

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2008年9月25日 (木)

「麻生内閣誕生・本県から2人が入閣」

◇本県出身の国会議員が2人入閣した。参議院議員の中曽根弘文さんが外務大臣に、衆議院議員の小渕優子さんは少子化担当大臣に、それぞれ就任した。2人とも元総理大臣の子どもさんである。優子さんは、昨年の知事選のときは大きなおなかをして、応援演説にかけつけ、2人で頑張りますと張り切っていた。その後、長男を出産した34歳のママである。少子化担当大臣として適任である。県議の間からは、あと2人位産んで欲しいという声もきかれた。

 興味ある顔ぶれとして、私は、総理大臣の麻生太郎、法務大臣の鳩山邦夫、厚生大臣の舛添要一、経済財政担当の与謝野馨の各氏を挙げる。

 麻生さんは吉田茂の孫、鳩山邦夫は鳩山一郎の孫である。吉田茂は日本の独立を実現させ戦後の日本の基礎を築いた大宰相といわれる。そして、鳩山一郎は、日ソ国交回復を実現させた。二人とも骨太な、そして、高い見識と理念をもった立派な政治家であった。孫たちが偉大な祖父と比べて小粒とか軽いと言われるのは止むを得ないことだ。

 舛添厚労相は、新進の東大助教授であった。現在政治家として活躍している姿を見ると、もともと彼の性格は、おとなしく学者として東大にとどまっているタイプではなかったのだと思える。麻生さんが官僚は使いこなせといっていたが、そのためには、舛添さんのような存在も必要だと思う。

 与謝野馨氏は与謝野鉄幹、晶子の孫である。一般には鉄幹より晶子のほうが有名だ。日ロ戦争のとき、「君死にたもうことなかれ」と歌った情熱の詩人である。経済財政大臣に就任した与謝野氏は今回の閣僚の中では第一の政策通といわれる。喉頭がんを克服して政治に臨む決意の底には晶子から受け継いだ情熱が流れているのかも知れない。

 麻生総理は、この閣僚で選挙を戦い抜くと語った。小沢民主党との天下分け目の戦いが刻々と近づいている。南波幹事長を囲んで、1区から5区までの代表世話人を務める県会議員が、各区の情勢を話し合った(24日)。1区は尾身代議士(中村)、2区は笹川代議士(田島)、3区は谷津代議士(金田)、4区は福田代議士(関根)、5区は小渕代議士(南波)。( )内は、代表世話人の県議である。厳しい情勢ではあるが、群馬県は全区で自民党が勝てると思う。私は、既に、尾身さんのすさましい気迫に接している。

◇今月のふるさと塾は、「北方領土」をとりあげる。歯舞・色丹・国後・択捉の北方四島を、映像を使って説明する。平和に慣れ、現状に満足するくせがついた日本人は、北方領土についても関心が薄い。これらの島々は、古くからアイヌ人が住み、松前藩が支配していた日本固有の領土である。ソ連、そしてロシアが不法に占領している状況は、日本の島々が拉致されているようなものだ。北方領土全体の面積は、福岡県に相当する大きさである。それを囲む豊かな海の大きさを考えれば、北方領土の価値は測り知れない。ふるって参加して欲しい。(読者に感謝)

 

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2008年9月24日 (水)

「総裁予備選の有様」「尾身さんと県議団の会合」

◇自民党総裁選は、22日午後投開票され麻生氏が351票を得て当選した。この票の中には、地方票が134票含まれているが、そのうちの3票は群馬の票である。

 群馬の総裁予備選挙は、中央と同じく22日に行われた。その様子を紹介しよう。開票作業にたずさわる多くの人は午前9時に県連に集合し、役割ごとにテーブルにつき、リハーサルが行われた。そして、郵便局に保管されていた投票ハガキが台車で運び込まれた。

 午前10時、私の開票宣言と共に開票作業が始まった。投票ハガキを候補者ごとに分ける作業、数えて束にする作業、疑問票を審査する作業等、テーブルごとの作業はてきぱきと進められ、投票用紙の束は、前方の候補者の名前を表示したテーブルの上に重ねられる。圧倒的に多い束は麻生太郎のテーブルであった。私たちは、少し離れた席から、2位以下の順位に強い関心をもって、それぞれのテーブルに運ばれる票の束を見守っていた。

開票の結果は次の通りであった。

〇選挙人の数、25,366人(基本的には自民党員のこと)。

〇投票総数、12,671票(投票率は49,95%)。

〇有効投票数、12、588票(無効83票)。

群馬の投票数の内訳

麻生太郎8,139 小池百合子1,550 石原伸晃1,180 石破茂930 与謝野馨783

 群馬県連に割り当てられた票は3票である。この3票は、最多得票者に全部与えられる。そこで麻生氏が3票を得他の4氏は0票であった。

 無効票83票の中には山本一太、山本龍、関根圀男(県会議員)などがあった。中央における無効票の中には、小澤一郎というのがあったといわれる。

◇憲法の規定により、内閣総理大臣は、国会の議決で指名する(憲法67条)。自民党の総理大臣候補は麻生太郎氏に決まった。国会では自民党が多数であるから麻生さんが24日に召集される国会で総理大臣に指名される事は確実である。

 これまで、麻生さんは、総理大臣に指名され組閣を終えたら予算審議をせずに衆議院を解散させるだろうと見られていた。ところが状況が変わった。原因はアメリカの金融危機の影響である。補正予算を組んで不況対策に取り組むことが避けられなくなったのである。

◇早朝7時から尾身代議士と自民党一区の県議との会合があった(23日)。一区県議団の代表として私が呼びかけて集まってもらった。県議団の中ではこれまでに尾身さんを公認しないといった動きもあったが、この日の会合で、この問題も乗り越えることが出来た。「今日の状況は日本の危機であり、自民党の危機だから、来る総裁選では、力を合わせて勝ち抜こう」、私はこのように挨拶した。尾身さんは、何としても勝ち抜くつまりなのでよろしくお願いしますと発言した。佐田さんも同席し、全面的に応援すると述べた。

◇両代議士は県議の質問にこたえて、それぞれ政局について語った。尾身さんは、補正予算を審議するために解散は少しずれこむだろう。そして、投票日は、早ければ11月2日、遅い場合でも11月9日になるだろうとの見解を示した。金融危機のグローバルな嵐に加え、身近かな風雲が起きてきた。(読者に感謝)

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2008年9月23日 (火)

遙かなる白根(7)序章 100キロメートル強歩序曲

 幼かった頃の周平の姿が目に浮かぶ。親子の葛藤があった。まちの幼稚園、小学校での周平の辛そうな姿。純真な笑顔が次第に失われていった日々。今思えばあの過程も百キロメートル強歩であった。それを乗り越えてまた今朝の周平の姿があった。新たな挑戦、それは、白根開善学校という試練の場で寝食を共にする仲間たちと、厳しい大自然の中で行なわれる。周平はそこで何をつかむのか。周平の歩く姿を描きながら私は六合の坂道を下っていった。 第一章 出会い  選挙の中で  私たちが白根開善学校と出会うまでの歩みもまた、「百キロ強歩」と似て苦しいものだった。いや、「百キロ強歩」が目的地とそれに至るコースがきめられていることを考えるなら、目的地を捜してさまよい途方にくれていた私たちが歩んだ道は、それとはまたちがった茨の道であった。 思えば、周平は選挙の中で幼少期を過ぎしてきた。だから、選挙を離れて周平の幼い頃を語ることは出来ない。第1回の県議選は昭和62年4月で、周平は4歳であった。約一年前から我が家は、選挙の準備にあけくれており、妻は、周平の成長の様子を気にしながらも、それに十分の時間をかけることが出来ず、時はかけ足で過ぎていった。周平は、投票日を迎える家の中の張りつめた空気を、良く分からないまでも異様なものと受けとめていた。そして、落選の夜、母親の落とす涙をみて、周平も声をあげて泣いた。母の悲しむ姿が周平にとって悲しかったのだ。 翌、昭和63年7月、また、県議選の機会が訪れた。県議の議席に欠員が生じたための補欠選挙であった。かなりの年月が経過した今でも、私の胸の奥に鉛の玉のように重く沈みこんでいる一つの光景」がある。前年の落選の辛さは、選対幹部にとっても、私たち夫婦と同様であった。だから幹部の人たちは、天の恵みのように訪れた補欠選挙の機会を、どうしても生かさねばならないと思っていた。そして、総決起大会の日がやってきた。選対幹部の提案は、私が密かに恐れていたことであった。ついにきた、という思いで、私は受けとめた。 ☆ 土・日・祝日は、中村紀雄著「遙かなる白根」を連載しています。

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2008年9月22日 (月)

「新型インフルの恐怖」「暴力団と公営住宅」

2008年9月22日(月) 「新型インフルの恐怖」「暴力団と公営住宅」 ◇早朝、友人のTさんが訪ねてきた(21日)。私が25日に新型インフルエンザ対策を本会議で取り上げると知っていたたまれず飛んで来たらしい。「シュミィレーションはしているのか」、「県は危機管理に危機感をもっていない」などと相変わらずTさんは行政に対して厳しい。  Tさんの危機意識に対して行政の担当官の危機感はいまいちと思えてしまう。新型インフルエンザは、「もし来たら」ではなく、来ることは確実で、問題は「いつ来るか」だと専門家は言っている。私は何度も、このブログで新型インフルを取り上げてきた。一般の人々の危機意識は極めて低いのである。  だから、政治や行政が先頭に立って危機を訴え、備えを急がねば取り返しのつかないことになる。そういう意識で私は25日に登板するつもりでいたが、「新型インフル」の問題は、真下県議がやることになった。だから、ここでは、私の危機意識の一端を書こうと思う。  20世紀に入ってからの大流行は3度ある。スペインかぜ、アジアかぜ、ホンコンかぜである。90年前に世界中で爆発的に流行したスペインかぜのときは死者4000万人とも8000万人ともいわれたが、今回の予想されるものはその比ではないとの見方がある。なぜならスペインかぜは弱毒性であったため、呼吸器を中心に感染したが、今回予想されるH5NⅠ型は強毒性であって全身に感染し致死率も高いといわれるからだ。国は、今回の新型インフルで日本全体で64万人の死者を予想し、群馬県は、県内の死者を1700人と想定している。最悪の場合これよりも大きな被害が発生することも考えねばならない。  新型のウイルスが大流行した場合、人々は行動を制限しなければならない。人が行動することによってウイルスが広がるからだ。市町村自治体との連携、経済界・地域社会・ボランティア団体等の協力、こられを活かすことが行政の役割であり使命である。その準備と覚悟は出来ているのか。Tさんも、私も、そのことを行政にたずねたいと思っている。 ◇新型インフル対策に限らず、行政トップの責任は極めて重要である。知事の足もとで、何か重大な問題が生じたら、「私は知らない」といって逃げるようなことは、知事として許される筈はない。私は25日、大澤知事に、この問題をだだすつもりである。これは、大澤県政が、真に新たな一歩を踏み出すための原点になると思う。 ◇暴力団を公営住宅から退去させることの難しさが報じられている。群馬県も同様だと思うがあせらずじっくりと取り組むことが重要である。暴力団排除の条例改正がなされたこと自体が大きな前進である。群馬は、都県としては3番目に改正を実現させたが、議員発議として改正を成し遂げたのは全国最初なのである。県議会に続いて県下ほとんどの自治体で今年中に同様な条例改正が行なわれる。安全安心なふるさと群馬をつくるために県議会が一つの役割を果たした。(読者に感謝) ★土・日・祝日は、中村のりお著「遙かなる白根」を連載しています。

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2008年9月21日 (日)

遙かなる白根(6)序章 100キロメートル強歩序曲

都会の学校の生徒を見慣れた目で、白根の生徒を見るとき、初めは異様な感じをうける。規則のない自由な環境の中でそれぞれの個性をありのままに発揮しているのが彼らの日常の姿なのだ。彼らの姿を何度も見ているが、今日ほどそれぞれの個性が光って見えたことはない。私は、胸がふくらむ思いで彼らの動きを見詰めていた。一人一人が主役なのだ。みな、それを自覚しているに違いない。広い体育館に緊張した空気がみなぎる。若いエネルギーがこの空間に凝縮され、一気に爆発する。その瞬間が近づいているように思えた。遠く人里離れた山中の異様な集団。彼らは、これから何をしようとするのか。私の目には、腐敗した下界に、これから攻め下ろうとしている軍勢のようにも見える。入口から周平が入ってきた。私の方をチラッと見て、無視するように通り過ぎてゆく。その横顔に周平の決意が現われているようだ。他の人たちと同じように装備を整えている。そして、仲間の中に入り込んで見えなくなった。あの中に周平がいる。私は満足であった。本吉校長の話が始まろうとしていた。私は、時計を見ながら慌てて体育館を出た。生徒たちがスタートする前に山を下らないと、生徒の妨げになるし、また、車は走れなくなるのだ。山の道を下りながら、周平の完歩を祈った。そして、ここに至るまでの様々な出来事を思った。長い道のりの先に、先程のクラスメートと語る周平の姿があった。その周平が更に成長する場が、100キロ強歩であるように思える。今、自分が走っているこの道路も、100キロ強歩の舞台である。山の生徒たちはこの道を、何を思いながら歩くのであろうか。そして、100キロ踏破を目前にして、この坂を今夜歩く生徒の胸に何があるのか。その中に、周平は果して残っているであろうか。様々な思いを胸に、私は、前橋に向けて車を走らせていた。今日は、仕事の都合で、100キロ強歩の様子を見ることは出来ないのだ。花敷温泉からしばらく下ったところに、JR六合山荘がある。ここは、100キロ強歩の行き帰りのポイントで、妻は、行きのポイントを引きうける。六合の朝日が谷を染めるころ、周平はここに着くだろう。私は、JR六合山荘の広場を見て、そこに展開される生徒たちの姿、親と子が出会う場面を想像しながら車を走らせていた。 ☆ 土・日・祝日は、中村紀雄著「遙かなる白根」を連載しています。

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2008年9月20日 (土)

遙かなる白根(5)序章 100キロメートル強歩序曲

芳賀小学校の6年間、周平が友と呼べるものはおそらく一人もいなかったことであろう。周平と話し合って、周平のいうことに耳を傾ける生徒は、一人もいなかったであろう。休み時間も、校庭の片隅でぽつんと一人で遊んでいた周平の姿が急に思い出された。<周平はなんとかなる>、胸に熱いものがぐっとこみ上げた。

私は音をたててドアを開けた。二人の少年は、突然の闖入者に驚いて振り向いた。

「あ、お父さん」

「もう集合の時間だな。準備はできたのか」

「うん、準備はできたよ。今、裕介と完歩の話をしていたんだ。ぼく頑張るよ。お父さん、何しに来たの」

周平は、同室の者を気にしているらしい。この学校では、親が面接に来ることをあまり歓迎しない。それは、生徒が全国の遠い地域から集っていて、めったに親が来られない子の立場を考えてのことだ。

「君たちに、頑張れと言いたくて来たんだ。裕介君も頑張っておくれ。周平、頑張れよ。お母さんは、JR六合山荘に居る。完歩を期待しているよ。お婆ちゃんもお姉ちゃんも、頑張るように言っていた。では、お父さんはこれで帰る。周平頑張れ、裕介君も頑張ってね」

強歩は、午前3時30分集合、4時スタートである。集合の時が近づいていた。

私は体育館の片隅で生徒たちの様子を見ていた。ぞくぞくと生徒たちが各寮から集っていた。背にはリュック、手に懐中電灯、胸にはゼッケン。黙々と動いている。やはり、一様に緊張しているようだ。これから、それぞれの体力と気力の限界に挑戦して100キロ強歩という大事業に臨もうというのだ。

肩に届くほど髪を長くした男子生徒、ちょんまげのように髪を後ろで束ねた少年、茶髪の可愛い顔をした女子高生、耳にイアリングをした女の子もいる。みな真剣な目つきだ。それぞれの服装や身なりがそれぞれの個性をよく発揮しているようで、彼らの一人一人が、私には魅力的に見える。

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2008年9月19日 (金)

「9月議会が始まった」

◇朝7時半、自民県議団総会(18日)。開会日の恒例の行事である。総裁選予備選の事などが話し合われ、五十嵐県議が伊勢崎市長選転出の挨拶をした。

 10時、本会議開会、冒頭、私は登壇し、小林義康県議追悼の辞を述べた。小林さんは、高崎選出で5期の途中であったが病に倒れ、59歳で急逝された。在りし日の小林さんの議席には花と遺影が置かれ、傍聴席にはご遺族など関係者の喪服姿が見られた。

 テレビで生中継される本会議の質問は、25日から始まる。私は25日の午後1時に登壇する。大澤知事には行政改革の観点から「知事の責任」について質問する。私の頭にある質問の流れを紹介したい。

◇行政改革は、今、県政の最大の課題です。行政改革は県民のためのよりよい行政のあり方を追求するものであります。私は、行政改革を進める上で非常に大切なことは、行政の重要な立場にある者の責任をはっきりさせることであると思います。特に何か問題が起きた場合に責任の所在をはっきりさせなければ、解決に向けた前進は不可能であります。そして、行政のトップにある知事が責任ある態度を表明することが極めて重要であると思います。

 私は「県有地等の処分、取得に関する特別委員会」のメンバーとして、いわゆる疑惑問題に取り組んできました。特別委員会は既に6回を重ねました。その過程で県民に説明できない、また、私たちも納得できない疑惑が次々に出てきました。もどかしく思うことは、一連の問題で、行政のトップの責任を明らかに出来ないことです。

 小寺前知事は、新聞報道によれば、元総社の土地に関して、記者会見で関与を否定し、「あんな大きな物件でと思うかもしれないが、全く感知していない」と発言しました。これは、参考人の証言を否定する目的でなされた発言と思われます。残念ながら行政トップにあった者の責任についての発言はありませんでした。

 10億を越える土地の売買に関し、庁議にも報告された問題であります。上空には15万ボルトの高圧線が走り、出入りに不便で、中央には川が流れ、専門家によれば県営住宅には全く不向きといわれる土地を、高い値段で買った。そして直後に、小寺知事の考え方によって住宅を建てないことに方針を転換し、以来、14年間も塩づけになったままでいる。このような事実に対して、責任の所在が分からないという奇怪な状況が続いております。これで、県政に対する県民の信頼を獲得出来るのでしょうか。そこで大澤知事におたずね致します。

(1)先ず一般論として、このような問題について誰に責任があるとお考えでしょうか。

(2)次に、仮に、この種の問題が、大澤知事の下で起きた場合、大澤知事は、感知しないという態度をおとりになるのでしょうか。行政のトップとして、県民に対してどのような姿勢を示されるのかお伺い致します。

(3)今、問題解明に向けて、職員の皆さんも真剣です。私は、この出来事を最大の教訓として生かすことが大澤県政を前進させる第一歩だと思いますが、知事の決意を聞かせて頂きたいと思います。また、真相解明に向けて職員を督励するお考えがあるか合わせてお伺い致します。原稿は読まないで、このような発言をしようと思う。(読者に感謝)

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2008年9月18日 (木)

「リーマン,メリルリンチ、どこまで続く金融危機」

◇ニューヨーク市長がテレビに登場し、AIGの危機に関して「アメリカ経済は耐えられない」と訴える姿が印象的であった。その直後、米政府はAIG救済を発表した。AIGは、アメリカン・インターナショナル・グループの略で、グループ全体の資産総額は110兆円に達する。米政府は9兆円を緊急融資して救済する姿勢を示した。直前に大手証券のリーマンブラザーズが米史上最大の負債を抱えて破綻した。もし続いてAIG

が破綻すれば、米国経済は耐えられず破綻の連鎖が一気に進んだかも知れない。金融不安の不気味な闇はまだ続いている。

 アメリカの経済はどうなっているのだろう。底なしの沼に巨大な金融機関のビルが沈んでいく光景を想像してしまう。今年3月には、米証券第5位のベアー・スタンズが実質破綻した。証券第3位のメリルリンチも経営危機に陥り、最大手の銀行バンク・オブ・アメリカに身売りした。

 ニューヨークのウォール街とは壁(ウォール)の街を意味するのだろう。天にそびえる巨大なビルは、難攻不落の鉄壁に見えるが意外にもろいものであることがわかった。電波に乗って動く金融の流れにちょっとした狂いが生じればあっという間に壁は崩れてしまうのである。

 私は、1929年ニューヨークのウォール街で始まった経済大恐慌を思い出す。衝撃は直ちに世界に及んだ。大恐慌を通常の政治で乗り切れぬ国々が生れた。ドイツではナチスが日本では軍部がそれぞれ民主主義を否定する暴走を始め、世界は第二次世界大戦に巻き込まれていった。

 経済は人間の生活の基盤であり、国家存立の基礎であるから経済の世界恐慌は世界の秩序を破壊しかねない。今日の世界は、歴史の教訓から様々な危機回避の手段を持つに至っている。しかし、今回のアメリカの金融危機が全世界に波及する様子を見ると、アメリカ経済のかじ取りを一歩間違えば大変なことになる事を肌で感じることが出来た。

◇早朝5キロ程走った。11月3日の県民マラソンに向けて調整を始めたのである。   2004年、59分34秒

      2005年、57分27秒

      2006年、57分28秒

      2007年、56分32秒

これは、県民マラソン10キロコースの私の記録である。今年も無理をしないで、この位のペースで10キロを走りたいと思っている。朝の走りを終えて、あと2~3キロ体重をおとさねばと痛感した。これは、かかりつけ医から指摘されている健康上の私の課題でもある。走ることは私にとって体力ばかりでなく、精神力を鍛える手段である。10キロの距離に圧倒されるところから心の老いが始まる。走ることは闘争心のエネルギー源となる。県民マラソンはあと一ヵ月半に迫った。(読者に感謝)

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2008年9月17日 (水)

「上州八策をつくりたい」「リーマン・ブラザーズ破綻の衝撃波」

◇リーマン・ブラザーズ破綻の衝撃波が世界に広がっている。まず、世界の株が暴落した。アメリカの経済が世界の経済に強く結びついていることがまざまざと示された。米政府は公的資金の導入を認めなかった。民間企業を国民の税で救わないという考えである。金融破綻の連鎖反応は起こるのか。山一証券のことを思い出す。私たちが考えるべき基本的問題点を明日書くことにしたい。

◇昨日は、坂本竜馬の「船中八策」と「せんたく八策」に触れた。ともに、行き詰った日本の壁を崩し、新しい日本をつくることが目的である。地方分権が強く叫ばれ、地方の改革こそ焦眉の急という時、地方の「八策」こそまず取り組まねばならない課題である。そこで私は、「上州八策」をつくり、自分の政治行動の目標にしたいと考えている。

 坂本竜馬は、長崎から京都へ向う船中で「八策」をつくった。恐らく国を思う命がけの行動の中で考え抜いたアイディアが胸にたまっていた事であろう。私は竜馬の足もとにも及ばないが、議会改革、行政改革、教育、農業、環境、福祉等の中から一策、一策を考えていきたい。

 ここでは、先ず竜馬の「船中八策」の中からいくつかを取り上げ竜馬のたぎる思いを想像してみたい。

 一策、天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令宜しく朝廷より出ずべき事。

(いわゆる大政奉還で、竜馬の死の翌年実現し、江戸幕府にかわった近代国家がスタートする。)

 二策、上下、議政局を設け、議員を置きて万機を参賛せしめ、万機よろしく公議に決すべき事。(二院制の議会を設けることを提案している。)

 三策、有材の公卿諸侯天下の人材を顧問に備え、官爵を賜い、宜しく従来有名無実の官を除くべき事。(有名無実の官を除くとは、今日でいえば行政改革に当たる。)

 五策、古来の律令を折衷し、新に無窮の大典を選定すべき事。

(これは、憲法を作ることを言っている。)

昨日の「日記」で触れたが、竜馬が「船中八策」を作ったのは1867年である。そして竜馬はこの年暗殺された。32歳であった。もう少し生かしたかった歴史上の人物である。「せんたく・地方政府創造会議」は、「せんたく八策」を作ったが、竜馬のそれと比べ、迫力に欠ける。作者の決意の差が大きいのだからやむを得ぬことである。

◇9月会議で、私は25日の本会議一般質問に登場する。それに備えて質問項目を選んでいるところである。

行政改革では知事の責任の在り方を取り上げるつもりだ。小寺前知事は、庁議に出された重要事項について知らないと会見で語ったが行政トップとして、このようなことが許されるのか。知事初め重要な地位にある者の責任の所在をはっきりさせることが行政改革の大前提だと思う。その他、土地開発基金、財政民主主義、指定管理者制度等を考えているが、新型インフルエンザを取り上げるつもりだ。

「新型」が現われるのは確実といわれるが人々の危機意識は低い。この状態に警鐘を鳴らす意味で取り上げる。日本で60万人、群馬でも1700人の死者が出ると推定される。現在の危険度は、タミフルの備蓄状態は、市町村や経済界との連携は、病院、医師会の対応は等々、明日起きるかも分からぬ危険に対し、行政はどのように備えをしているのかただしたい。(読者に感謝)

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2008年9月16日 (火)

「竜馬の船中八策を今に」「敬老の日の事」

◇せんたく「地方政府創造会議」の幹事会が如水会館で行われた(14日)。「せんたく」の目標は「政治改革」であり、次の総選挙に向けて日本を建て直すための議論を興すことである。総選挙が目前に近づくという事態が出現したため、今回の会議はより重要なものとなった。これ迄数回にわたり議論してきた「せんたく八策」を急いで成案として、総選挙に向けて政党や社会に問うことになったからである。

 船中八策は坂本竜馬が1867年(明治維新の前年)船中で作成した、新しい日本をつくるための八つの方針である。大政奉還、議会開設などがあり、正に新しく生れる日本の方向を示すものだった。

 今日の日本の危機を救うためには、竜馬の八策に当たる改革案をつくって行動を起こそうというもが「せんたく」の狙いである。群馬では、理解を示す政治家はまだ少ない。

「せんたく八策」の内容には次のようなものがある。一策、国と対等な地方政府を確率すること。三策、行政の無駄づかいをなくすこと。そのため、国の出先機関・外郭団体を廃止縮小するとともに、国に対する国民監査請求制度を制定すること。五策、首長と地方議会は利益誘導的な口利き、斡旋(あっせん)を禁止すること。八策、政治家は、国民との約束を守り、国民はおまかせ「民主主義」をすてさること。そして、マニフェスト選挙を徹底し、国民の「選択」による政治を実現すること。その他地方議会の役割や「多選」に関する提案がある。

 この日の会議は、京都府知事の山田啓二氏が座長をつとめた。その他の主な出席者は古川佐賀県知事、東国原宮崎県知事、篠田新潟市長(市長は7名)、県会議員3名等であった。県議会議員は群馬(私)、神奈川、熊本から各1名が幹事となっている。

 せんたく「地方政府創造会議」は衆院の総選挙の終了と共に当初の目的を達してひとまず幕を閉じることになる。この「会議」のその後について議題となった。政治改革は、これからが正念場であると私は発言した。そして名称を変えて存続することになった。

◇市内各地で一斉に敬老祝賀会が行なわれた(15日)。私の事務所では4人が手分けして十数ヶ所に出席した。事務員の香織さんは初登場とあって前日からやや緊張気味であったが立派に役割をはたしてくれた。各地で百歳を超える高齢者にお会いした。人生50年といわれた時代はそう遠い昔のことではない。私は、次のような挨拶をした。「日本は世界一の長寿国になりました。心も体も健康で長生きする事が本当の長寿です。それを支えるものは温かい地域社会です。皆さん、外に出て、人と交わり、からだを動かして、いつまでも明るく元気に頑張って下さい」。元気な日本は高齢者のパワーにかかる。高齢者の知恵と経験を活かせる新しい社会を作らねばならない。それは敬老の基盤を作ることであり、政治改革の重要な課題でもある。(読者に感謝)

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2008年9月15日 (月)

遥かなる白根(4)序章 100キロメートル強歩序曲

「ここは別の世界なのだ」私は、都会の喧騒を思い出しながら呟いた。そして、「ここは、周平たちの世界だ」そう叫びたかった。別の世界に通じる入口が、周平たちの白樺の林とつながっている。いや、この白樺の林そのものが別の世界なのだ。そう思うと胸に幸福感が静かに広がるのを覚えた。

私は、白樺林の奥へと足を進めた。右手には図書館とその奥の校舎が、左手には数棟の寮がある。校舎の方角は、明かりがついているものの、物音や人の動きは感じられない。これから、この学校の最大の行事である100キロ強歩が始まろうとしているのに、この静けさはどうしたことであろうか。心を高ぶらせているのは私だけで、山の生徒たちにとっては普通の年中行事ということなのか。不思議な静けさの中を進む私の目の前に木造二階建ての建物が現われた。

周平の住む寮である。周平の部屋とおぼしき二階の一角に明かりがついている。玄関に立った。目の上に「ほうが寮」の文字が見える。「ほうが」とは萌芽のことだ。ドアを開けると、履物入れの木製の棚が置かれ、その前に雑然と数足の靴が脱ぎすてられたようにころがっている。暗い奥から住人たちの生活の臭いが漂ってくる。男子寮の臭いだ。私の頭に、その昔学生時代を過ごした懐かしい東大駒場寮のことがよみがえる。ほほが自然にゆるむのを感じながら、目の前の階段を足音を忍ばせて登り始めた。

廊下のつきあたりの部屋から光がもれている。私は、ドアに手を伸ばした。そして、次の瞬間、はっとしてその手を引いた。ボソボソと話す人の声が耳に入ったからだ。

周平らしい声が混じっている。改めて音を立てぬように、そっとドアを少し開けた。その時、私の目がとらえたものは、思いがけない、私には信じ難い情景であった。二人の少年が天井から下がった電灯の下で、布団の上に向きあって座り、何かを話し合っている姿である。その一人は紛れもなく周平であった。相手は同室の裕介君であろうか。私がじっと見詰めているとも知らず、周平は、相手の話を聞き、次には、自分が何やら真剣に話しかけている。今日の強歩の作戦のことを話しているのだろうか。

目の前で、周平が人と語り合っている。しかも、対等の姿勢で真剣に語り合っている。そのことが、私にはにわかに信じ難いことなのだ。

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2008年9月14日 (日)

遥かなる白根(3)序章 100キロメートル強歩序曲

しばらく進むと、白砂川と長笹沢川が左右から合流し扇の形をつくっている所に至る。そこに二つの川の瀬音に包まれるようにして花敷温泉があった。

昔、源頼朝が狩りに来て、この湯を発見し、「山桜夕日に映える花敷きて谷間にけむる湯にぞ入る山」と詠んだという言い伝えがある。花敷と入山の名は、ここからきているという。この歌と結びつけると、いかにも、このあたりの光景を表すのにふさわしい、ロマンと歴史を感じさせる地名である。

さらに長笹沢川に沿った道を辿ると、花敷とは一キロも離れぬところに尻焼温泉がある。初めてここを訪れたとき、周平とこの湯につかって楽しんだことを思いうかべながら、急な道を奥へと向った。

細い道は、雑木林の中へ伸び、谷を越えて大きくいく度も曲がりながら上へ上へと続く。やがて急な坂道にかかり、そこを登り詰めると広い平らな林が広がっている。ヘッドライトの中に白樺の白い幹が浮き上がる。

「着いた」私の胸に熱いものがこみ上げる。白樺の中に、静かにたたずむ建物の陰があった。私は車を止めた。ライトに照らされた目の前の板に、「人はみな善くなろうとしている」と書かれている。白根開善学校の入口である。私の長男周平がここで学んでいるのだ。私は心に快い緊張感を覚えながら白樺の林の彼方を見詰めた。

これから一つのドラマが始まろうとしている校舎は、物音一つせず静かであった。

私は、車を止めて、白樺の林の中へ足を踏み入れた。時計は、午前3時20分を少し過ぎている。周平は、もう起きて準備をしている筈だ。うまくゆくであろうか。

これから始まることに対する期待と不安が、私の中でぶつかり合うようにしてふくらみつつあった。高ぶる心をしずめようとして立ち止まり、くちびるをかんで上を見た。

「あー」私は、心の中で叫んでいた。樹間から見上げるはるかな空間に、無数の星が輝いている。先ほど六合村の入口で見たのとはまた違った美しい星空である。長いこと忘れていた懐かしい光景を思い出していた。

それは、幼かったころ、勢多郡宮城村の山奥の開墾生活の中でいつも見上げた星空である。小さな星の先に、またいくつもの微かな星が重なりあって見える。そこは、無限に続く星の世界の入口のように思えた。

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2008年9月13日 (土)

遙かなる白根(2)序章 100キロメートル強歩序曲

「これが六合村か」私は、まわりの山々に囲まれて静かに眠る村々の方向を透かし見るようにしてつぶやいた。幾度となく見ている光景であるが、今日はなぜか、目の前の六合の姿に一しおの感慨を覚える。

入山、生須、小雨、太子、赤岩、日陰の六つの集落が合わさって出来た村だから六合村なのだ。では、なぜ、これを「くに」と呼ぶのかといえば、古事記の中にある、東西南北天と地の六つを合わせて国をつくるというところから、この読み方をとったという。関東平野のどんづまりの、他と隔絶されたような地形の所、そして歴史がいっぱい詰まったこの地方に、いかにもふさわしい六合村(くにむら)という名称である。この中に周平はいるのだ。そして、彼の住む入山は六合村の最北端にある。

「周平はあのあたりか」私は、そう思いながらはるか前方の闇を見詰めた。足下では、白砂川の瀬音が快く響いている。

「三時半までに着かねば」星明りの中、時計を透かし見て思った、時計は午前二時半を回ったところである。

私は再び車を走らせた。道は白砂川に沿って北上する。今は闇の中に姿を隠しているこの川は死の川と言われてきた。それは西の谷から流れ込む強酸性の水のために魚が住めなかったからである。とくに湯川には草津の湯釜の水が流れ込んでいるので、その酸性度は、自然界では世界一、まさに生き物のすめぬ死の川といわれた。強い酸性の水が流れ込むのは花敷温泉より下流である。かつて、花敷より南を須川と呼んだが、それは、酸っぱい川というのが始まりだという。この川の下流にある信号に今でも須川の名が使われているのはその名残であろう。

今では、この湯川の流域に中和工場が出来て酸性を中和しているので、死の川もよみがえったと言われている。その湯川が白砂川に合流するあたりの荷付場と呼ばれる所まで車は来た。車の窓を開けると、よみがえった川の息吹を伝えるように清らかな流れの音が夜の谷に響いている。

いよいよ六合の奥へと入り込んだ感じだ。このあたりは、もう入山と呼ばれる地域である。

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2008年9月12日 (金)

「また、3人の死刑が執行された」

◇極悪人でも死刑執行の場面を想像するとやり切れない思いがする。11日、3人の死刑囚が刑を執行された。ほとんどの死刑囚は腰が抜けて歩けず、ひきずられて死刑台に登るという。

 私の知る限り、多くの人が死刑制度に賛成である。理由として、人を殺した者は殺されるのが当然だというものが多い。また、死刑がなくなったら凶悪犯罪がもっとふえるからというのもある。一般人の感覚としていずれも最もである。私は死刑制度に反対であるが、私は反対ですと発言するのは勇気がいるし、なぜと聞かれた場合に、説得力ある説明をすることは容易ではない。個人の感情や思想と、国の政策としてどうあるべきかは別の問題なのだ。

 憲法は残虐な刑罰を禁じているが、最高裁は、はりつけ、車裂き、火あぶりなどは残虐だが、現行の絞首刑は残虐な刑に当たらないという。現代社会に於いて、車裂きとか火あぶりなどは、野蛮な国でも存在しないのだから、そのような執行方法と比べて残虐性を論ずることはおかしいと思う。

 日本は先進国の中で数少ない死刑存置国である。そして、死刑制度は、正義を守る象徴の如く厳として存在する。社会は理想論では成り立たないことを感じる。死刑の執行には法務大臣の命令が必要である。前法相の鳩山邦夫氏はしゅくしゅくと正義を実現するといって、在任11カ月の間に13人の死刑を執行した。

 私が注目した法務大臣に後藤田正晴と三ヶ月章(みかずきあきら)がいる。三ヶ月は東大法学部の民事訴訟法の教授であった。在任8ヵ月で4人の死刑を執行した。今回の3人の死刑囚の執行は、保岡法相によって在任一ヵ月で行われた。

◇来年からこの死刑制度が、いままでとは違った意味で身近な重圧となって私たちの前に立ちはだかる。裁判員制度の開始である。重大な刑事事件の裁判に民間人が参加する。死刑判決を下すことに私たちが関わる可能性があるのだ。今までのように、死刑を遠くの存在として見ているわけにはいかなくなる。空極の刑である死刑は、裁判員制度の登場によって改めてその存在の意味が問われることになる。

◇9月11日を私たちは何も考えずに通過しようとしている。ニューヨークで起きた同時多発テロが9月11日だった。早いもので7年が過ぎた。あの時、私たちは、映画のシーンのようなテレビの映像にくぎつけになった。信じられないような光景は今でも脳裏に焼きついている。そびえる高層ビルに飛行機が突きささって、ビルは簡単に崩れた。火山から吹き出た火砕流のような煙のかたまりがビルの谷間を埋めて人々を追った。数千人の人が死に、ブッシュは「戦争だ」と叫んだ。世界はあの事件から一変した。アメリカの正義は世界の正義なのかが問われている。とても理解できない自爆テロに今では驚かなくなった。大統領選、日本の選挙、いずれも民主主義の在り方が試されている。(読者に感謝)

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2008年9月11日 (木)

「県立女子大と提携・調印式で訪中決まる」

◇大連外語学院大と県立女子大が提携し調印式の日程も11月27日と決まった。昨年10月私を団長とする訪中団が同大を訪ねて基本的な方向が決まった。同大は日本語を学ぶ学生が2000名以上おり、日本語を学ぶ学生数に於いて国外の大学では世界最大である。中国を訪ねるといろいろな分野で同大出身者が活躍している姿に出会う。四川大地震のお見舞いに中国大使館を訪ねた時、応対に出た女性外交官も大連外国語学院の出身であった。

大連外国語学院との最初の出会いは、10数年前、私がこの大学で日本語を学ぶ学生に講演をした時である。私は、明治以後の日本の歩みと現代日本の状況について日本語で話したが、生徒たちの熱心な表情は私の話を理解しているように見えた。驚いたのは、私の話が終わった後で、何人かの学生が日本語で的を得た質問をした事である。日本はかなわない、と私は秘かに思った。この事が縁で私は日本の書物を贈る運動を始めた。現在、日中友好中村文庫が出来ている。

昨年、この大学は大連市内から旅順にキャンパスを移した。日ロ戦争の激戦地はすっかり近代的な都市に生まれ変わっていたが、大学は引越しが終えたばかりで、広大な構内には、まだ建設中の部分が残されていた。今度の訪問では、すっかり完成した大学の姿を見ることが出来るだろう。私が記念講演をすることになっている。

◇9月議会が18日に始まり、10月10日まで続く。国政の激しい動きと重なるから、それを意識した県議会になるだろう。厳しい財政状況の中で、改革を迫られながら難局に立ち向かう状況は国政と変らないからだ。

 総裁選による首班指名 9月24日

 首相の所信表明演説  9月29日

 各党代表の質問が2~3日続き、10月2日又は3日に解散が行われる。

そして、10月29日に総選挙の告示となり、12日間の選挙戦を経て11月9日が投票日となる。このような日程で動くのではないかというのが大方の見方である。このような流れの中で県議会本会議の一般質問は、9月25日、26日、30日の3日間で行なわれる。

初日(25日)の午後一番に私が登壇することになった。久しぶりの事である。質問項目はこれから検討するが、行政改革の分野から一題はやらねばと思っている。

先日、大阪府庁で、大阪府は財政的に大変な状況にあることを知ったが、日本全体が財政的に危機にある。国、地方合わせて800兆円の借金を抱えながら、高齢社会を生き抜かなければならない。打開するために大胆な改革が求められる。国の改革と地方の改革がかみ合って連動しなければならないが、うまくいっていない。この状態の中で地方議会の役割は非常に重要である。県議会も変わりつつある。9月議会には初心に立ちかえって臨みたい。(読者に感謝)

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2008年9月10日 (水)

「疑惑に立ち向かう特別委員会」

◇自民党県議団総会が開かれ重要事項が話し合われた。その一つは総裁予備選挙に関すること。県内の党員が総裁選候補者に投票する。かつては、総裁選に参加出来るのは国会議員のみであったが、現在は国会議員以外に、一般党員も参加できる。群馬県に3票が割りあてられていて、一番多くの支持を得た候補者が3票を獲得する。

 群馬県の党員数は25,368名であるが、仮に麻生さんが一位であれば、群馬の3票は麻生さんに与えられる。山本一太氏が立候補すれば、本県では一太氏が一位になることも予想されたが、立候補しないことになった。

 10日、候補者の届出が締め切られ、総裁選が告示され、この日に党員に往復ハガキが発送され、党員はハガキで投票する。郵送は21日に締め切られ、22日、県連で開票が行われる。このような流れが県議団総会で説明された。

◇高木疑惑追及の特別委員会は6回目である。後から後からいろいろなことが出てくる。元総社の土地は、どう見ても住宅建築に適さないものを県は公社に買わせて、直後、小寺知事(当時)の意向で住宅は建てないことにし、その後13年間も放置した。その間、金利等の負担だけでも3億円の損害が生じた。こんな行政の無駄が許されるのかと私のところへ多くの意見が寄せられていた。

 その中に、「違法性の根拠となる法律はないのですか」と問う人があった。この日、私は法的根拠として2つの条文を示した。一つは、地方財政法第八条、「地方公共団体の財産は、常に良好の状態においてこれを管理し、その所有の目的に応じて最も効率的に、これを運用しなければならない」二つ目は、地方自治法第百三十八条の二、「地方公共団体の執行機関は、(中略)地方公共団体の事務を自らの判断と責任において誠実に管理し執行しなければならない」これらの規定は説明の必要もない程明瞭である。関係する役人は、意見を求められて「反省しています」と述べた。

◇元総社の土地は10億を超える巨額のものであるが、県が住宅公社に依頼して高木建設から買わせた。この額では、通常は、知事の決済が必要なのだが、公社が買う場合にはこの決済が要らない。では、公社に依頼する事につき知事の決済が必要ではないかと問われたが、これも規定上不要とされる。いかにもおかしいので今後制度を改めるという。

 小寺前知事は知らないといっているが、知事が主催する庁議に書類が出されても、知事が実際に目に止めなければ知らないで済むという理屈らしい。そんな馬鹿な事が通用するかという声が聞かれた。

◇特別委員会の審議を通じて執行部も改革に真剣に取り組んでいることが感じられる。過去をしっかり清算しなければ、前へ進めないという大沢知事の意思が伝っていると思われる。特別委は高木疑惑の追及を通して行政改革の上で大きな風穴を開けようとしている。(読者に感謝)

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2008年9月 9日 (火)

「角界の不祥事と教育界の不祥事」

◇北の湖理事長が辞任し、露鵬と白露山の二人の力士が解雇された。大麻の尿検査で陽性反応が出た。露鵬は基準値の5倍、白露山は10倍の数値を示した。先月、若ノ鵬が大麻所持で逮捕されたばかりであった。

 すもうは国技とされ、日本を代表する特別のスポーツである。若い人は国技と言う意識を持たない人が多いと思うが、天皇が臨席したり、優勝者には天皇の腸杯がおくられることから特別の扱いを受けているスポーツだという認識はあるに違いない。

 大麻取締法は、その所持や使用等につき5年以下の懲役に処すると定める。重大な犯罪なのに、芸能人などには気軽に扱って逮捕される事件が跡を絶たない。

 国技たるすもうの世界に大麻の害が広がっていることは、とくに青少年に対して大きな悪影響を及ぼす。一種のファッションのように受け取る若者もいるだろう。大麻の害を考えるなら厳しく処罰するべきである。この点・若ノ鵬が処分保留で釈放されたことは、お灸の据え方が足りないと思う。

  かつて、嫌いなものとして、「江川、ピーマン、北の湖」といわれたが、北の湖の名が加えられたのは、強すぎたからとも言われた。それ程の名力士であったが故に、サミットで有名になった洞爺湖畔には北の湖記念館が建てられており、今年の6月には、ここに北の湖の銅像もつくられた。

 北の湖の弟子の中から大麻事件を起こすものが出て北の湖が理事長を辞任した事は、名横網の名と大相撲の歴史に汚点を残すことになった。国際化時代が進む中で、伝統文化を維持することがいかに難しいかを示す今回の大麻事件である。

◇大分県の教員汚職は、教育界の一大汚点として歴史に残る事件である。大分県教育委員会は21人の不正合格を確認したが、そのうち6人の採用を取り消し、退職者は15人となった。この退職者のうち、13人は臨時講師として雇用されるという。不正の実態は、逮捕された被告を裁く公判の中でいろいろ明らかにされている。この事件でやり切れないことは、全国の教育委員会と政治家が疑いの目で見られていることだ。教育委員会は他山の石としてしっかり受け止めて改革をしなければならない。この事は、私たち県会議員も同様である。

◇総裁選の中で、行政改革が論点になることは必至である。私は、先日、大阪府で「大阪維新」につき学んだが、同じことが国についてもあてはまると感じた。大阪府は、府の役割を見きわめて、市町村に任せるべきものは任せようとする。国も国の役割を、国防、金融、外交等 国が本来なすべきものに限定して他は地方に任せれば膨大な経費の削減になるだろう。しかし、そのような事は、この国を一度壊さねば不可能だろう。明治維新に学ぶことは大きい。(読者に感謝)

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2008年9月 8日 (月)

「にわかに 慌しくしくなった政局と社会」「大阪維新の本気」

◇総裁選に向けた自民党の動きをマスコミの中には国民の人気取りを目的とした演出と見る向きがあるがそれは当たらないと思う。派閥の拘束力がなくなった事と、自民党の国会議員の中に情熱と危機意識を合わせもつ者がいる事、この二つの要素の現われである。

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県外調査で京の町に出た時(4日)、伊吹文明氏や前原誠司氏のポスターを目にして、明治維新の志士のことを思った。幕末、この町で多くの志士が命を落とした。日本の将来に強い危機感を持った男たちだった。時代が志士を生み、そういう志士たちが新しい日本を創った。

私たちが食事をした店の近くに「幾松」の看板を揚げる料亭があり入口に、桂小五郎の石碑が見えた。今の日本が大きな危機にあるなら現代の危機は志のある政治家を生む筈である。自民党の今の動きにそんな時代の要請を感じる。天下分け目の戦いの口火となる衆院の解散は、10月2日か3日になりそうである。

◇3日~5日の県外調査で、私たち・行財政改革特別委員会の一行が最も驚かされたのは大阪府の改革であった。かねて話題となっていた橋下知事の改革とは如何なるものかという期待を胸に私たちは府庁舎に向った。

 貸し切りバスのガイドは、府民気質について面白い事を話した。「大阪は最も交通マナーが悪いと言われます。黄色は注意して進め、赤は一気に進めです。また、命が惜しければ車に乗るなといわれます」と。府民は政治をどのような目で見、行政改革にどう協力するのかと思った。

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古い庁舎は趣があった。その一室で改革の担当官は次のように言った。「大阪府は、民間企業でいえば破綻状態です。再び大阪を輝かせるために、過去のしがらみや経過に一切とらわれない大阪発の自治体経営革命を起こします。これが大阪維新です」

 そして、財政再建の基本方針として、「収入の範囲内で予算を組む」を徹底させることをあげ、すべての事業についてゼロベースでの見直しを行なっていると説明した。渡された資料にざっと目を通すと、廃止や見直しの事業が続く。また、府の経費を削減する手段として、府の役割をしっかりと定め、民間で出来ることは民間に任せ、市町村がやるべきことは市町村に権限を移すことを大胆に実行し、スリムな府行政を目指す。

「いくらスリムな行政を目指すといっても、削れない分野があるでしょう」という質問に、「障害者、いのち、治安に関する施策には特に配慮しました」と答えた。また、府民にも負担と互助を求める点につき、府民は納得するかと問われて、職員が先ず痛みを受け止めるとして給与のカットをあげた。知事30%、副知事20%、部長級14%、管理職11%、管理職以下9.5%~3.5%等である。行政改革には、府職員のやる気が問われるが給料カットで志気がおとろえないかとの質問に、担当官は大丈夫と答えていたが、後で会った議長は、その点に問題があると言っていた。群馬の行政改革に参考になる点はおおい。(読者に感謝)

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2008年9月 7日 (日)

遥かなる白根(第1回)序章 100キロメートル強歩序曲

 平成7年10月14日のことである。あわただしく準備を終え、時計を見ると午前0時半であった。私は、眠い目をこすりながら前橋の自宅を出た。まだ頭の芯を眠気が包んでいるようで朦朧とした気分である。それでもかなりのスピードで国道17号を走っていた。強いライトを光らせた大型トラックが、次々に、轟音をたて大地を揺すって疾駆している。緊張感でハンドルを握る手に力が入る。眠気は既に去っていた。

 渋川の先で吾妻川を渡ると鯉沢の信号である。車は、信号を左折し、吾妻川に沿った国道353号に入り、一路西吾妻の奥地を目指して走った。程なく岩井洞の岸壁を過ぎ車は吾妻渓谷にかかる。昼間であれば、稜線を幾重にも重ねた美しい山々や変化に富んだ岩山が目を楽しませるが、今はそれらも漆黒の闇の中に姿を隠している。私は、ライトの中に浮き出る岩や樹木からあたりの光景を想像しながら走る。

 その時、周平の顔が浮かんだ。「今ごろどうしているだろうか」この闇の先に周平がいると思うと自然とアクセルに力が入る。「おまえなんか死んでしまえ」と叫んだとき、周平はかつて見せたことのない鋭い眼差しを私に投げた。私は、はっとして周平の表情を見た。言ってはならぬことを言ったという思いが私の胸を深く抉ったのだ。周平の視線は、理不尽にあびせられた攻撃に対する鋭い反撃の一閃であった。私にとっても、恐らく周平にとっても、生涯忘れられない出来事である。思えば、あのことは、私の心の世界を変えてゆく大きな一つの契機となった。

 胸の奥から湧き出る思いに耽っていると、車はいつしか長野原草津口の駅の所まで来ていた。その先の須川の信号を右折して国道292号に入るとここからは行き交う車もなく、一層濃い闇が被っている。しばらく行くと上り坂になって、森の中の道は急な斜面を巻くようにしていくつかのカーブをつくり、やがて車は、前方が開けた小高い峠の切り通しの所に出た。ここから先が六合村である。

私は車を止めて外に出た。深呼吸をすると空気がうまい。大きく伸ばした拳の先に星が輝いている。久しぶりに見る美しい星空は、引き込まれるようで、別の世界に立っているような不思議な気持ちにかられる。目を移すと、広がる闇の中に微かな光が点在している。静かに眠る六合の村々の灯なのだ。目を凝らすと、黒い海を囲むように遠くの山々の微かな輪郭が星明りの下にうっすらとうかがえる。

☆ 土・日・祝日は、中村紀雄著「遥かなる白根」を連載しています。

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2008年9月 6日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(140)最終回 第6章 スターリン大元帥への感謝状

「団結心が湧かない」というのはどういうことか。日本軍は鉄の結束を誇った。それを維持したものは冷厳な階級制度と上官による厳しい鍛錬であった。私的な制裁は禁じられてはいたが、軍人魂を養うということで何かというと殴った。そのようなしごきによって世界に誇る無敵な軍人をつくることができると軍全体が確信していた。その目指すところは、天皇のため、国を守るため、ということであるが、外からの強い力によって人を動かそうとすると、人の心に真の力が育たないのだ。そして、軍が瓦解し、天皇の権威もなくなると、人々を動かしていた外からの力もなくなった。

 シベリアの日本人捕虜は、魂を失ったような状態で過酷な環境の中に放り込まれた。そして、ソ連のなすがままに何でもする奴隷のような日本人になっていった。その一つの現われが「民主運動」であった。

 「民主運動」が掲げた社会主義の理念自体は、一つの理想であり、多くの人々を動かす魅力を持ったものといえるが、収容所のほとんどの日本人は、これをよく理解できず、ただ帰国したい一心で運動に盲従していた。あのような過酷な状況で運動に参加した日本人の心情は痛いほど分かるが、日本人を運動に駆り立てた要素あるいは背景には、日本人の心理的特性や日本の文化の特色があるものと思われる。このことを今、見つめることが、抑留者の犠牲や苦しみを今後の日本及び日本人のために生かす上で重要なことである。

 私たち日本人は、孤独や淋しさに弱い。そしてまわりの仲間と同じ行動をとらないと不安を感じる。これは、日本人が農耕民族として、また、島国で他民族との交流もない村社会の文化の中で生きてきた結果、個人としての自立が養われていない結果だと思われる。だから、日本人は、一つの方向、一つの理念でまとまったときは強い力を発揮するが、一人一人が自分の価値観で動くことは非常に苦手である。

 二人の老人は、日本の戦後の復興は夢のようだと語ったが、自覚した個人に支えられることのない物質的な豊かさは幻のように瓦解する危険性を孕んでいる。

 戦後、世の中は180度転換し、人間は世界でも最も理想的な部類に属する民主憲法を手に入れた。その中枢をなすものは、人間の尊重、即ち個人の尊重である。しかし、その前提である個人の自立は実現しているとは言えない。

 戦後社会において、自由を声高に叫び、民主主義一色の流れが続いてきたが、その姿は、シベリアの「民主運動」と共通な面がないとは言えない。今こそ、個人の自立を重んじた真の民主主義を確立させなければならない。シベリアの民主運動は、今、私たちに大きな歴史的教訓を突きつけているといえる。(完)

☆明日から、土・日・祝日は、新しく「遥かなる白根」を連載します。

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2008年9月 5日 (金)

「面白くなった総裁選」・「2日目は京都府庁と群馬大阪事務所」

◇与謝野、小池の両氏が推薦人20人を確保したもようだ、そして、石原氏もあと5人で20人に達するという。これに対して民主党は小沢氏に対立する候補者は今のところない。自民党は本来人材が豊富である。しかし、これまで、政権党であることに慣れ、真の危機意識を持てず、自民党の真の力を発揮出来なかった。それが今回はぎりぎりの所まで追い込まれて背水の陣の覚悟で立ち上がろうとしている。

 私は、前回の総裁選で、福田さんと麻生さんが各地の街頭で舌戦を繰り広げた時の盛り上がりを思い出す。今回は、役者がそろってあの時以上の盛り上がりとなるだろう。地方の党員も参加した総裁選で、各候補が政策を闘わす、それをマスコミが全国民に伝える、そこには劇場型の民主主義の過程が実現する。日本の危機を救うためのエネルギーが生れるに違いない。

◇調査の1日目は、国会議員との会議で参加できなかったが、調査先は滋賀県立成人病センターであった。どこの自治体病院も、今、難問をかかえている。公立病院としても使命として良質な医療を安定的に提供していくとともに経済性を念頭においた病院経営が求められるからだ。群馬の県立病院も膨大な累積赤字を抱え、巨額の未収金に頭を痛めている。他県の自治体病院の実態と工夫について学びたかった。参加者から聞くところでは、やはり100億の累積赤字が存在する、未収金の回収は民間に任せている、とのことであった。後で資料を整理するつもりである。

◇早朝ホテルを出て、バスで京のまちを走る。近代的な高層ビルの間に間口の狭い古びた木造家屋が並ぶ。京都は、旧い歴史と現代の新しさが調和しているまちである。歴史を語るまち並みを見て、京都が危なく原爆から免れたことを思い出した。太平洋戦争で京とは原爆投下の第一候補だった。木造の家屋が密集していることが原爆の効果を測る上で適していると考えられたのである。しかし、日本の文化の象徴たる京都を破壊する事は日本民族の恨みをかうとして中止されたという。一度は原爆の候補地とされた為にB29の爆撃も免れたのである。

府庁では分権改革への取り組みを調査した。京都は分権改革が沖縄に次いで遅れている県である。後発の県は、他県の成功例と失敗例をみてスタートするから、その取り組みは大いに参考になるのである。分権改革を推進させる力として議会の役割は非常に大きいが、それを見ることが出来なかったことが残念であった。道州制については「消極的賛成」という考えをもっていることも参考になった。

◇群馬の大阪事務所が議会の調査を受けるのは初めてだという。今回、多くの点で指摘を受けたことは今後の改善に役立つことだろう。関西全域を対象とした群馬の拠点として十分な成果をあげているとは思えない。所長自ら「群馬の知名度が低いのに驚いている」と話していたが、最前線におけるチャレンジ精神が必要だ。行財政改革の対象として注目していきたい(読者に感謝)

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2008年9月 4日 (木)

「尾身・中曽根公認問題のわだかまりは溶けた」

◇国会議員と県連幹部との会合がホテルニューオータニで行われた(3日)。予定の日が延びたため、首相辞任直後の実現となった。公認問題は選挙に直結するので、私は、県連選対部長として参加したのである。

 知事選のわだかまりが、事実上、この席で消えた。昨年の知事選で尾身・中曽根両氏が積極的に支援しなかったということで、次の選挙で公認しないという意見が出て、その賛否を自民党県会議員の投票できめるという事態に至った。そして、党内のこの動きは、県民の批判を受ける面もあり私たちは収拾に頭を痛めてきたのである。

 やっと実現したこの会議には、二人の当事者の他、笹川会長、谷津、小渕、山本の各議員が参加した。谷津さんは、今日限りでわだかまりをなくしたいと発言した。尾身、中曽根の各氏も発言を求められ、これから宜しく頼みますと挨拶した。その中に、遺感を表す意味がこめられていて私たちに伝わってきた。

 私は選対部長として発言を求められ、「今、自民党は危機にあります。群馬の自民党は特に力を合わせなければなりません。今日の会合の成果を踏まえて、県会議員は力を合わせたいと思います。」と挨拶した。その後、尾身、笹川両氏は固く握手を交わした。

◇雑談の中で重要な情報が交わされた。福田首相の辞任に対する党内の反応を話す人、総選挙は年内に必ずある、小沢一郎のイメージと世間の評判はよくないから自民党の新しい顔(総理)が生れた直後に勝負した方が得策だ、総裁選は自民党をアピールし、沈滞しているエネルギーを盛り上げる絶好の機会だ、総裁選の地方大会は全国11ヶ所で行われる、等々である。

◇この日は、行財政改革特別委員会の県外調査の第1日目であった。私、南波幹事長、須藤県議団長もこの委員会のメンバーであったが、ニューオータニの会議の後、新幹線のぞみで京都へ向った。午後6時少し前に京都駅に着く。

委員会の夕食会場へ合流すべくタクシーを走らせると、京の街のあちこちに自民党の議員のポスターが目に付く。既に臨戦態勢に入っていることを肌で感じた。私は改めて、昼の国会議員との会合を思い出していた。

私はこの席で総裁選は絶好のチャンスである、このチャンスを活かすためには、複数の候補者が国民の前で論戦する事が必要だと発言した。国会議員はうなずきながらも20人の推薦人を集めるのが容易でないのだと語っていた。マスコミでは小池百合子氏の名をあげ始めた。

民主党は支持率の低い福田政権と闘うことを予想していたが、福田さんの突然の辞任でその期待は崩れた。にわかに生まれた新しい政治状況の中で民主党の存在感は薄くなりつつある。仮に麻生氏に対立する女性の総裁候補が現れ、全国的な激しい討論会を経て新しい総理が誕生すれば、自民党は総選挙で勝てるに違いない。全国11ヶ所で行なわれる総裁選の討論会で、関東ブロックは前橋になる可能性もある。夜の京で急を告げる風雲を感じた。(読者に感謝)

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2008年9月 3日 (水)

「災害時の略奪・日本では起きない」

◇ハリケーン・グスタフの接近上陸に関してニューオーリンズ市周辺では略奪防止のため夜間外出禁止令が出されたという。かつて、ニューヨークで大停電があった時、略奪に備えて警察官が総動員された。警察官がずらっと街に立つ光景は異様だったと、ある旅行者は語っていた。阪神淡路大震災の時、外国のメディアは、略奪が一つも生じないことを不思議なこととして報じた。

 大災害はあらゆるものを打ち砕く。それは、社会の治安を支える力をも壊してしまう。だから社会の裏面に抑え込まれていた矛盾も表に現われる。災害に際して日本で略奪がないということは、まだまだ日本人の心の本体が健全であることを示すものだ。救いである。

◇大分県の教員採用取り消し処分は、何とも割り切れない。また、やり切れない気持ちだ。採用を取り消された21人の教員に同情する声、不公平だと教育委員会の対応に不満をぶつける声が聞かれる。不公平だという声は、08年度の小中のみを対象にしている点に向けられている。背景には教員世界の身内意識があるといわれる。悪い習慣が継続して構造的な欠陥が生れていたという声もある。

 不正に合格した者は、合格を取り消されることは当然だから、「俺だけではない」という事は理由にならない。私が割り切れないと思うのは、08年度だけで打ち切った点である。それは、不公平ということよりも、不正に目をつぶったという感を免れないからである。

 裁判ならば、手続きが保証されるが教育委員会の判断は果して適切だったのか。判断の過程は妥当なのか。取り消しという結果は、有罪判決を受けたのに等しい。当人(教員)の立場で論ずべき点が全くなかったとはいえないだろう。採用取り消しになった人の中に、訴訟を起こす人はいるのだろうか。この問題は、全国の教育委員会に深刻な衝撃を与えたに違いない。

◇私のブログで、土・日・祝日は、私は著作を連載している。シベリア強制抑留を描いた「望郷の叫び」は、9月6日(土)で終了する。翌7日(日)からは、「遥かなる白根」を連載する。煥乎堂から出版され、反響を呼び、好評を得た拙箸である。

 知的ハンディを持つ周平は、中学一年の時、六合(くに)村の北端にある白根開善学校に入学した。教育者本吉修三氏が心血を注いで創立した全寮制の学校である。冬はマイナス10℃にもなる厳しい自然の中で周平は孤独に耐えて中高の6年間ここで学んだ。

 この学校の最大の行事は、毎年の「百キロ強歩」である。吾妻の自然の中を子ども達は24時間かけて百キロを歩く。周平は6年間に3回完歩を果たした。極限に挑戦して夜の渓谷をひたすら歩く子ども達。「周平頑張れ」闇の中から父親の声がひびく。父親とは私であり、周平は私の長男である。社会に一石を投ずるつもりで書いた。周平は、開善賞を得て卒業した。(読者に感謝)

★土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。

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2008年9月 2日 (火)

「福田首相の辞任」「ハリケーン・サイクロン・台風が狂い出した」

◇福田首相の突然の辞任。正に青天の霹靂である。誰がやっても大変な時期に総理大臣になった。福田さんをよく知っている者として、よくやっている、耐えるのも限界に近いだろうと思っていた。安倍さんの時と似ているという人もいるが、熟慮して決断したに違いない。私としては、「捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という武士道の精神で頑張って欲しかった。心のエネルギーを使い果たしたのかも知れない。 ◇また、アメリカ南部・ルイジアナ州に大型ハリケーンが近づいている。3年前のカテリーナより強烈という見方があり、ブッシュは非常事態宣言を出し、共和党の大統領候補マケインは、党よりアメリカが重要と発言し、ハリケーンに取り組む姿勢を示した。地球全体に異常気象が発生している一環であることを思うと対岸の火事と軽く考えることは出来ない。  先日(8月23日)、私たちは映画「不都合な真実」を上映した。約400人が参加し、反響を呼んだが、この映画は、05年のハリケーン・カテリーナの事を大きく取り上げ、ゴアは、「まるで地獄絵巻のようだった」と語り、このような現象が今後世界各地で多発するだろうと警告した。  ゴアの警告を実証するような暴風雨が、その後世界各地で起きている。今年5月ミャンマーのサイクロン・数日前の名古屋の集中豪雨、現在米南部に接近中のハリケーンもその例である。  9月、台風の季節がやってきた。自然の脅威に太刀打ちは出来ないが出来る限りの備えはしなくてはならない。事態の深刻さを個人が受け止めて個々に対応することが重要だと思う。今回のハリケーンの推移とアメリカの人々の対応を見ることは大いに参考になる筈だ。  ある中学生に、サイクロン・ハリケーン・台風はどう違うのか、地球温暖化とどう関係するのかときかれた事がある。三つは、強い熱帯低気圧という点では同じもので、名前の違いは発生場所による。サイクロンは、インド洋、ハリケーンは大西洋(カリブ海・メキシコ湾など)台風は北西太平洋(日本近海)などで発生する。温暖化によって海面の温度が上がるとより強い上昇気流が生れ、大量の水分を取り込んだ巨大な暴風雨が発生する。 ◇上野村の地下発電所を大型バス一台で見学した(31日)。前から計画していた事なので強い雨でも変更は出来ない。予報では降水確率60%となっていた。各地でゲリラ豪雨が続いている中なので、前日から、私は非常に心配した。予報は良い方に外れて終日旅行日和だった。正に天の助けである。 バスの中で最近の異常気象のこと、水力発電はCO2を出さないことなどを話し、我が事務所のツアー担当・瀬下さんは、お得意の電気について説明した。東電が進めている揚水発電所は壮大なものである。全てが完成すれば282万キロワットを発電する世界最大級の揚水式発電所となる。人々はいい勉強になったと話していた。(読者に感謝) ★土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。

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2008年9月 1日 (月)

「未曽有の豪雨、自然が狂ったか。」

◇29日午前3時頃テレビをつけると「記録的な豪雨です」と報じていた。岡崎市では1時間に146㍉の雨量を観測したという。夜が明けると水びたしになった街や堤防を破って海のように濁流が流れる光景が次々と報じられる。正に異常気象だと思った。マスコミは、ゲリラ的豪雨と言っている。

 テレビの異常な場面をみながら、先日の私たちが上映した「不都合の真実」を思いだした。そこでは、温暖化の影響として集中豪雨や台風、ハリケーン、サイクロンの多発を予想し、このままでは、人類はかつて経験したことのない破局を迎えると警告していた。1時間に146㍉という今回の豪雨の状況を見るとこの予言が刻々と迫っていることを感じざるを得ない。

 ここで、最近の地球規模の異常気象を振り返りたい。ミャンマーを襲った大型サイクロンである。ナルギスと名付けられた大型のサイクロンがミャンマーを直撃したのは5月2日だった。これは未曽有の災害をもたらしたが、その直後の5月12日に中国四川省で起きた巨大地震に世界の目は奪われ、サイクロンの影は薄くなったように見られた。 

しかし、ますます深刻化する地球環境の危機という点から見れば、ミャンマーのサイクロンはより重大ともいえる。

 ミャンマーを襲ったサイクロン・ナルギスは、瞬間風速60mで、3mも高い高潮が海岸から100キロも奥地まで押し寄せ、死傷者は、国連推計で120万~190万人に達した。サイクロン・ナルギスの被害が大きかった原因は、このあたりが低いデルタ地帯であることであるが、同時に、政治の貧困が指摘されている。

 ミャンマーはかつてビルマと呼ばれた。私たちが注目することは、民主化を求めるスーチーさんが軍事政権によって軟禁されていることだ。国民の人権を抑えつける軍事独裁政権では災害を守ることが出来ないことを如実に示した。ミャンマーの軍事政権は、自由主義陣営に対してかたくなな態度をとり続け救援を受け入れることも拒絶した。

地球温暖化が加速する中で、大型・かつ強い台風が増えることが予想されている。この度の異常な豪雨はその予兆ともいえるだろう。私たちは大災害もすぐに忘れるが、2007年の台風4号はナルギス級のもの凄いものだった。この台風は、最大瞬間風速は70m、徳島県那賀町に一日に降った雨は533ミリを記録した。先月29日岡崎市では24時間に302ミリを超える雨が降った。

◇アメリカでは毎年ハリケーンが、アメリカ南部に大きな被害をもたらしている。31日の報道では、現在、カトリーナより強いハリケーンがアメリカ南部に接近中で、ブッシュ大統領は非常事態宣言を出した。私たちも、このような地球全体の異常事態の中にいることを認識すべきだろう。(読者に感謝)

★土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。

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