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2008年8月31日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(139)第6章 スターリン大元帥への感謝状

「上陸を目前にした心境はどんなだったですか」

私がたずねると、塩原さんはそれまでの深刻そうな表情を急にくずし、懐かしそうな笑顔になって言った。

「実は、日本に上陸したら、共産党の応援ぐらいはしなければと思っていたのです。そしたらこの湾内に、夕焼けこやけの赤トンボー、追われていたのはいつの日か、とあの童謡が海面を伝わって流れてきたのです。この静かな日本の海が私たちを迎えて優しく歌っているようでした。それを聞いたら、そんなことはすっかり私の心から消えてしまって、私は、いっぺんに日本人の心になってしまいましたよ。」

塩原さんはハンカチを取り出して目頭を拭いている。

「世の中、変りましたなあ、本当に夢のようですよ。あのあたりには、崩れそうな小屋が並んでいましたよ。」

青柳さんの指す方向には、近代的な高層のビルが並んでいる。

塩原さんは桟橋を数歩進んでくるりと向きを変えると、こちらへ向ってゆっくりと歩みを進め、この一歩ですと言って桟橋から岸壁の端に足を下ろした。

「高鳴る胸の鼓動を抑えて桟橋を渡り、ここで祖国の大地を踏みしめた時のあの感動は、今でもはっきりと覚えています。ちょうど我が家の庭先に入った感じがして、あの時ほどの安心感は二度と味わうことはないでしょう」

やや緊張気味に話す塩原さんの瞳は若者のように輝いてみえた。

その夜、私たちは、舞鶴港のとあるホテルでカニをつつきながら酒をくみかわしていた。二人の老人は、半世紀前のシベリアの抑留生活が幻のようだ、そして、日本の戦後の復興も夢のようだ、この豊かさを知らずにシベリアで死んだ多くの同胞を思うと胸が痛むと、しみじみと語った。

「スターリンに感謝状を書くほどに、なぜ民主運動は盛んになったのですか」

「日本人には団結心が生まれなかったので、本当に助け合うことができなかったのでしょうか」

塩原さんはグラスを口に近づけながら振り返った。

塩原さんは以前にも、語ったことがある。私が、日本人はドイツ人の捕虜と比べ従順で奴隷のようだったと聞くが、なぜかとたずねたのに対し、日本軍人は階級制度が激しくあのような状況で団結心が湧かなかったためと思うと答えている。

☆土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。

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2008年8月30日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(138)第6章 スターリン大元帥への感謝状

これに対して、当時の増田官房長官は、7月6日、大要、次のような談話を発表する。

「ソ連帰還者諸君、我々は、あらゆる準備をして諸君を待っていた。我々は、諸君が今こそ、正しい認識と理解をもって祖国の現状を直視されることを切望する。諸君が入港されてからそれぞれの郷里に帰られる途上、自由の発言について制裁を受け、仲間から疎外され、命ぜられるままに踊り、歌わされ、発言し、祖国の国旗に対してすら自由な感情の表現を拒否されたと聞く。諸君、これで自由な平和日本の建設が出来ようか。我々は、諸君が祖国の地を踏まれた今日、今までの脅迫と威嚇の残像を直ちに棄てられ真に明朗な日本人と成られることを心からこい願う。そして諸君がその多数の同胞と共に平和日本民主日本建設のために新しい出発をされることを我々は堅く信じて疑わない」(昭和24年7月6日付の朝日新聞)

そして、この年8月には、政府は、引き揚げ業務が秩序正しく行われるように政令を出し、引き揚げ者は、指定列車に乗って秩序正しく帰郷すべきこと、引き揚げ者がこれに違反するように圧迫したり、そそのかしたり、あおったりしてはならないこと、違反者には一年以下の懲役または一万円以下の罰金、等を定めた。

かくして、引き揚げに伴う混乱は次第におさまってゆく。

塩原さんの帰国は、このような騒ぎのあった翌年、昭和25年2月のことであった。このときは、舞鶴港での引き揚げ業務も順調で、東京駅では、誰に邪魔されることもなく、家族をはじめとした出迎えの人たちと涙の再会を果すことができたのである。

平成16年12月21日、小雨が降る中、私は塩原眞資さん、青柳由造さんと共に舞鶴港の引き揚げ桟橋に立っていた。この桟橋は、二人の老人がかつて、引揚船から第一歩を印したそれではない。昔をしのぶために、桟橋の一部を新しく造ったものだ。二人の元抑留者は静かな海面と雨に煙る湾内の光景をじっと見つめて立ち尽くしている。

「ボラがいっぱいはねていて、私たちの帰国を喜んでいるようだった」

青柳さんがぽつりと言った。

「ここに夜着いて、朝目を覚ますと、あのあたりの松や竹の緑が、それはそれはきれいでした」

塩原老人は、前方の小高い山を指して感慨にふけっている。

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2008年8月29日 (金)

「議員日記・第3巻の出版」

◇毎日のブログは月日と共に、膨大な量となっているが、71編を選んで小冊子を作る計画を進めてきた。校正を重ねてやっと近く上毛新聞社から出版される運びとなった。

 茂木紘一さんの「尾瀬の自然」が表紙を飾る。力作である表紙の絵にふさわしい内容でありたいと願う。前2巻は、私の議長時代の日記であったが、第3巻は、議長以後の日記である。副題は、激動の群馬とした。世の中の変化は凄まじい。そして、私たちは情報の弄流の中で生きている。日々の出来事は、瞬く間に流れ去り忘却の渕に消えようとする。

 私の日記は、この流れに対するささやかな抵抗である。流れに身を任すのではなく主体的に泳ぐためには、過去の出来事を振り返ることも必要である。世に出す小冊子がその一助となればと願っている。

 取り上げた項目は、県政に関することが多いが、それに限らず、治安(犯罪)、環境、医療、食品、エネルギー、選挙等々に及ぶ。その時々の出来事を私なりに料理し、解説し、私の考えを述べ、時には提案もしている。難しい問題も易しく面白くと心掛けているが、その通りに行っていない点は私の腕不足が原因である。

 内容をいくつかピックアップすれば、暴力団排除条例を作った経緯、大澤知事誕生の瞬間、中国視察の事、高木建設関連の疑惑などがある。日頃、私のブログを見て下さる方も、改めて読んで頂きたいと思う。9月3日に出版となる。定価は525円、私の事務所で予約の受付を始めた。(TEL:027-269-3954  FAX:027-269-5780

◇前橋日赤が移転されるかも知れないと書いたら移転に反対の方からコメントを頂いた。心配される主な点は、「子どもが重い病気で、日赤を頼って近くに住んでいるので移転されたら困る」「夜間救急診療を現在の場所で続けて欲しい」「東病棟は新しいのに壊すのか」などである。仮に移転するとしても、新たな所で診療体制が出来るまで、日赤の医療は現在の所で継続されるから医療が中断されることはない。東館は壊されることはない。ここは、医療関係の諸施設が入ることが予想される。例えば、夜間診療所、県医師会や県歯科医師会の事務局等である。現在の日赤利用者に迷惑をかけない事が重要だ。メールの発信者は、また「新しいものを建てると、前橋市と大手建築業界との癒着も考えてしまう」とされるが、そのような事がないように見守りたい。

◇夜、雨

の合い間に走った(28日)。11月の県民マラソン10キロコースに備えて調整を始めた。今年は、55分台が目標である。昨年は56分32秒だった。主治医の健康診断を受け、血液の検査を行った。血糖、コレステロール、総蛋白など19項目のうち、中性脂肪の他は、みな基準範囲にあった。体重を減らす事が課題といわれた。内田医師は昔、彼が中学生の頃、週一度、家庭教師をしていた。「昔はタバコをすっていましたね」などと振り返りながら健康管理をしてくれる。好意に報いるために頑張りたい。(読者に感謝)

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2008年8月28日 (木)

「毒ヘビ51匹の恐怖」

◇「同じマンションの人が、ペットにヘビを飼っている。気味が悪い。どうにかならないか」こんな相談を受けた矢先、「毒ヘビ51匹」のニュースがあった(27日)。東京の自宅マンションで毒ヘビを飼っていた男がかまれて一時意識不明になったという。男は動物愛護法違反(特定動物の無許可飼養)で逮捕された。男の部屋には32種51匹の毒ヘビがおり、男が指をかまれたのは、コブラ科のグリーンマンバで、約1,9mあった。かまれると通常死に至るという。押収された51匹は藪塚のスネークセンターに引き取られた。

 ヘビを飼う隣人と壁を隔てて暮らすのは想像してぞっとする。ヘビ嫌いのある女性が暴力団より恐いと言った。逃げ出してすき間から入り込むかもしれないのだ。今回の事件で逮捕された男の隣りの人は昨年マムシにかまれて入院したという。男との関連は不明なのだろう。

数年前、埼玉県で大きなニシキヘビを川原で逃がして大騒ぎになった事件があった。ヘビは運よくつかまったが男も逮捕された。無許可で飼ったからである。この男の部屋にはニシキヘビが入ったいくつもの篭があり、ヘビの巣窟のようだと報じられた。

◇現在ペットブームといわれるが、無責任な愛好家が増えて問題となっている。無責任な管理は動物の虐待に通じ、また社会に迷惑を及ぼす。

 そこで動物の適正な取扱いに関する法律として、「動物の愛護及び管理に関する法律」が存在し、その中で一定の危険な動物(特定動物という)については、知事の許可を得なければ飼うことが出来ないことを定めている。

 また、県には同趣意の条例があって、「特定動物」について具体的な規定を置いている。法律と条例が相まって動物の適正な管理を実現しようとする。

 例えば、本県条例には、次のような定めがある。特定動物が逃げた時は、飼主等は、直ちに警察署長に通報し、知事に報告しなければならない。又、この動物が人に危害を与えたときは遅延なく知事に届けなければならない。

◇特定動物とは、カミツキガメ、コブラ、クロコダイルなどと定められているが、知事の許可を得ないで飼っている例は非常に多いのではなかろうか。因みに、平成20年度に前橋保険福祉事務所が把握する特定動物の数は32である。

◇薮塚のスネークセンターによると、センターに頼んで特定動物にマイクロチップを埋め込む人がいる。これ迄の例では、ワニ、ワニガメ、オオトカゲ、ボワ、ビルマニシキヘビなどがある。逃げた場合見つける手がかりになる。管理の責任を果たそうとする意図だろう。

◇テレビで、特定動物に当る毒ヘビを知事の許可を得ないで扱うペットショップが報じられていた。日本は爬虫類の輸入大国なのだという。法の規制もこのあたりから尻抜けになっているのではないか。(読者に感謝)

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2008年8月27日 (水)

「前橋日赤の移転」「暑い、熱い夏が終わる」

◇前橋赤十字病院の建て替えを検討する委員会が開かれた。「郊外への移転も視野に」と報じられているが、移転に重点があると思う。私は、同病院の経営審議員の一人であるが、審議員会としては、移転という事で合意が形成されていた。新しい委員会は大澤知事の意向をくんでつくられたものと思う。

 移転の問題を考えるポイントは前橋日赤の担う役割を現在の状況で果せるか、どこならそれが可能かと言う事である。前橋日赤の役割の中で重要な点は広域災害に備えて救急医療を提供することである。他の医療機関との連携、交通の利便性などが考慮すべき点である。

 異常気象、新型インフルエンザ、地震等、大規模災害はいつ起きるか分からない。それに対して打つべき手を打っておかなければ、天災は人災に転化する。

 平成21年1月には、ドクターヘリが前橋日赤に配備される。ドクターヘリは、県が配備するもので、救急医療に必要な医療機材、医師、看護士を乗せ、概ね20分以内で県内全域に飛んで、ヘリの中で応急の治療を行うことが出来る。空には交通渋滞もない。時は命なのである。ドクターヘリの有効な活用という事も立て替えや移転の論点となる。

◇前橋商工会議所は、医療機関と温泉施設などの観光を結びつけた「医療観光」に取り組むという。この構想の骨子には、来年度から始まる群大病院の重粒子線治療がある。ガンをきらずに治す世界的にも数少ない画期的な治療法である。

 前橋に重粒子線治療施設が出来ても、それだけに終わらせてはならない。この機会に群馬をガン治療のメッカとし、ひいては群馬の医療全体を素晴しいものにすべきである。かくして、観光との結びつきが活きるに違いない。

 そして、このような医療観光を中国にも働きかけることが重要だ。オリンピック後の中国は、実質的にも文明先進国の仲間に入ることを求め、国民は真の豊かさを求めるに違いない。その時、彼らにとって、医療観光は魅力的に受け取られると思う。

◇暑い夏が終わる。日本中が熱くなった8月であった。高校野球もオリンピックの陰に隠れた感じだった。今回のオリンピックでは、特に中国のきわだった異常さに圧倒された。全体主義の独裁国家でなければあのような事は出来ない。それは、テロを警戒する治安維持、及び報道の規制で著しかったが、五輪選手の国家管理も凄いものだった。中国五輪の代表者が「多くのスポーツが国民の間に浸透していない」と語ったことは、金メダルの数の多さと共に、国が管理してメダルを獲らせた事を物語る。

 日本中が選手に声援を送り選手の物語に感動した事はオリンピックの測り知れないメダル以上の成果だ。若い人たち、そして子どもたちにとっては、これ以上の教育の場はなかった。この盛り上がりをオリンピックだけに終わらせてはならない。(読者に感謝)

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2008年8月26日 (火)

「五輪ソフト優勝報告会」「面白い男がいるものだ」

◇「女子ソフトボールとかけて集団就職ととく、その心は、すべての物語は上野から始まる」ラジオのある番組が取り上げていた投稿作品である。北京における上野投手の熱投ぶりは日本中を沸かせた。その縮図ともいえる状況が25日県庁舎のホールで実現した。上野選手を中心とした6人の女子ソフト代表選手に対して大澤知事は、「子ども達に夢と希望を与えてくれた」と感謝の言葉を述べた。

 選手たちは、インタビューにこたえて、一人一人が思いを話した。選手の話に会場は沸き、前方に陣取った多くのソフト少女たちの歓声は選手たちを包んでソフトボールの未来を示すようであった。

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 限界に挑戦した本物の姿が人々を感動させ子ども達の心をとらえる。日本は病める社会で、人々の心は貧しくなり、子どもは無気力だと批判される。しかし、オリンピックで活躍する若者の姿、それに純粋に熱狂する人々の光景を見て、私はすべての人々の心に健全な熱いマグマがあるのだと思った。心のマグマを動かすものが社会にかけていることが問題なのである。

◇世の中には面白い男がいるものだ。元暴力団の組長が新宿や渋谷のまちで夜回りをしている。NHKが特集で報じているのを見た。71歳の石原伸司さんという人物は、刑務所生活を合わせて30年経験したという。

 私はヤクザは嫌いだが、地獄からはい上がってまともに生きる人間には魅力を感じる。元組長は、援交を求める少女や問題ありげな少年に声をかけ名刺を渡す。相談に乗るから連絡しろよと言う意である。新宿の夜を歩くこの男の姿には、そう思って見るせいか迫力がある。65歳の時、あることがきっかけでこの夜回りを初め、既に5年が経つという。

 人々は初めおかしな男と思ったことだろう。継続は力なのだ。今では、まちの雰囲気に溶け込んでいるように見える。この人との出会いがきっかけで暴力団から抜けて更生しトビ職として働く少年の事も紹介された。元組長は自分の過去を最大限に活かしていると思える。世の中は、様々な可能性を秘めて流れている。元組長の姿は暗い流れの中にも大きな希望があることを示している。

◇オリンピックの花は何といってもマラソンだ。マラソンはオリンピック競技の中で特別の意味を持つ。オリンピックの起源は古代ギリシャであるが、このギリシャがペルシャ軍を破ったのがマラトンの戦いで使者は42.195キロを走って勝利を伝え、息絶えた。これがマラソンの起源である。ケニアのワンジルがこの最高の栄冠を得た。仙台育英高に留学し、日本の「我慢」の精神を学んだ。彼は、「我慢、我慢。それが出来た」と叫んだ。豊かな日本が忘れた日本の精神力を身につけたという点が素晴らしい。日本のマラソンが今度は、ケニアのワンジルから学ばねばならない。(読者に感謝)

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2008年8月25日 (月)

「同級生の死で弔辞」「五輪終る」「不都合な真実」

◇旧宮城村の同級生が急逝し弔辞を読んだ。(24日)。弔辞の中に、次のような下(くだ)りがある。「私たちは、昭和22年に鼻毛石の小学校に入学しました。敗戦の翌々年で時代の大きな変わり目でした。ノートはなく、石板が支給されました。新憲法に基づいた新しい教科書がつくられたのもこの年でした」  私は、教科書の最初のページの詩を読んだ。 「おはなを、かざるみんないいこ。  きれいなことば、みんないいこ。  なかよしこよし、みんないいこ。」 そして続けた。「今日は、同級生が大勢見えていますが、みんなで口を揃えてこの詩を口ずさんだ事が懐かしく思い出されます」と。  そして、最後の部分は、次のようになった。 「あの時代に生きた体験は貴重なものであり、倉橋君はそれを見事生かして地域社会に貢献した、私は同級生として君のことを誇りに思う。」  彼が住んだ三夜沢町は赤城神社を中心にした赤城山の急峻に迫るどん詰まりの町である。倉橋君は、赤城神社の氏子総代として、年に10回以上もある祭典をしきってきた。人望を集めた彼の人間力はあの戦後のハングリーな少年期に作られたと思った。季節外れの冷たい雨の中30人程の同級生が集った。 ◇北京五輪終わる。  最後のメダルセレモニーは、マラソン選手をたたえるものだった。ケニアの金、モロッコの銀、エチオピアの銅と、アフリカ勢がメダルを独占した事は、オリンピック精神を象徴するものだ。閉会式の表彰台で黒い肌が輝き白い歯の笑顔が素敵だった。  オリンピックの理念は、スポーツを通して、人間の尊厳を重視する平和な社会を創出することである。アフリカは人類発祥の地であるが長いこと虐(しいた)げられた暗黒大陸だった。人類史の最大の悲劇は、肌の色による差別観に基づいて、膨大な数のアフリカの人々が奴隷にされたことである。奴隷制度は過去のものとなったが、肌の色による人種の偏見は、今日でもいろいろな形で続く。黒い肌の躍動とそれを心からたたえるオリンピックの姿は人類進歩の象徴である。 肌の色による差別といえば、アジアの黄色人種も白人の支配を受けた時代があった。オリンピックに取り組んだ北京政府の目的には白人の侵略をはねのけて築いた中国の力を世界に示したいという強い意志が含まれていたに違いない。 ◇今回のオリンピックで強く感じたことは、日本女子の活躍である。柔道、レスリング、ソフトボウルなどで死力を尽す日本女性の姿は素晴らしかった。かつての日本女性のイメージからは想像も出来ないことである。そこには、日本社会の進歩が見られる。少子高齢化が進み元気がなくなっていく社会で女性の活躍は救いである。 ◇「不都合な真実」の上映会(23日)は成功だった。地球文明の明日が私たちの手にかかっていることを多くの人が認識したと思う。(読者に感謝) ★土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。

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2008年8月24日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(137)第6章 スターリン大元帥への感謝状

 引揚船上のトラブルは、年により、また「民主化」された人たちの勢力の大小によっても様相を異にした。「民主グループ」の力が大きい船内では、日本海の上でも吊るし上げがあったという。 日本へ上陸した後も混乱があった。特に著しい騒ぎは昭和24年以降のことである。それは、昭和23年頃から「民主運動」の嵐が激化する中で、洗脳され、筋金入りの共産主義者になった者も多かったからである。 舞鶴港では、スクラムを組んだ上陸、日本共産党のための資金カンパ、虚偽の申告、沈黙戦術、診療拒否など、さまざまなトラブルがあった。新聞はこの様子を各社とも大きく取り上げ日本中が注目した。 舞鶴で取材した記者は、引き揚げ者が、自分の祖国はソ同盟だと語ったことに驚いている。騒ぎは引き揚げ列車と共に京都、東京と、各地に広がる。 昭和24年7月3日の各紙の紙面には「当てが外れた歓迎陣・肉親が無理に汽車へ」「家族や出迎人を置き去り赤い行事へ直行」などの記事が大きく躍る。いずれの記事も、出迎えの家族を振り切って共産党の大会に向う品川駅の引き揚げ者の行動を書いている。 読売新聞は、駅の光景を次のように伝える。 「訓練された赤の精鋭たちはこれを迎えるにふさわしい赤旗の嵐の中に降り立った。ごった返すホームの中央では、久しぶりに見る我が子を抱いて涙にむせぶ老母と言葉もなく手を握り合っている中年の夫婦者がいる。しかし、突然労働歌が爆発し、上野駅前で日本共産党の歓迎大会が行われるぞと伝わると引き揚げ者たちは家族を振り切って再び上野行きに乗り込んでいった」と。 朝日新聞は、品川駅から再び上野の大会に出るといって乗り込む男を家族が泣きながら引きおろす様子、「来ない者がいるぞ」「後で吊るし上げだ」と叫ぶ声などを報じている。 妻や肉親との再会を悲願としてあらゆる苦難に耐えてきた人々が、同じようにこの瞬間を夢にまで見て待ちこがれていた家族を振り切って赤旗と労働歌の中へ進んで行く姿はまさに異様であり、家族には言い知れぬ衝撃を与え、一般の日本人には全く理解できないことであった。赤旗の国で何があったのか、日本中の人々が不思議に思った。 また、7月5日の各紙は、1700人の引揚げ者が京都駅で、乗車を拒否して座り込んだことを報じている。これは、京都駅前の集団デモ行進禁止の市条例に違反した共産党員が検挙されたことに対する抗議行動である。 このようなトラブルは引揚船が入港する度に、また、引き揚げ列車が日本各地の駅に到着する度に起きていた。 ☆土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。

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2008年8月23日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(136)第6章 スターリン大元帥への感謝状

「あっ」

男は怯えたような表情で叫んだ。

「ここは日本海だ。ソ連の力も及ばない所だ。もう一度、そこに立って格好いい演説をやってみろ」

「そうだ、ここでやれないというのなら、貴様はソ連の手先だったことになる。さあ、やってみろ。そして、俺たちを吊るし上げて土下座させて見ろ」

二人の男の目は殺気立っていた。先ほどまで騒がしかった船内は静まり返り皆息をのんで見守っている。

「まってくれ、あれには理由が、私にも立場があって・・・」

「何が理由だ、立場だ。どうだ説明はできまい。貴様のような奴は、ソ連に魂を売り渡した売国奴だ。日本に帰る資格などない。わが祖国ソ同盟と言っていたではないか。海へ放り込んでやるから、貴様の国へ帰れ」

「俺たちは、二人だけのことを言っているのではないぞ。お前らにいたぶられ、無理な労働をさせられ命を落とした者はどれくらいいるか分からない。その責任はどうとるのだ。さあ答えて見ろ」

「そうだ敵(かたき)を取れ」

「やっちまえ」

 あちこちから怒号があがった。かつての収容所の吊るし上げの場面の主客が転倒した光景が繰り広げられていた。

 このような復讐劇が帰還船の上で、事実、しばしば行われたらしい。帰還した日本人、帰還船の乗組員の証言によれば、船上での復讐劇はすさまじいものであった。かつて収容所で痛めつけられたのは将校、下士官、特務機関員などである。これらを反動として追求した「民主運動」のリーダーたちは、旧軍隊では下級の位置にいた人たちである。旧軍隊の厳しい規律やしごきが、「反動」「非民主」として吊るし上げの対象となった。元幹部たちは、天地がひっくり返ったような屈辱を、恨みをのんで耐えた。今、帰還船の上で、再び立場が逆転することになった。アクチーブなど目をつけられていた者は、次々と引きずり出され、足腰の立たなくなるほど殴られたり蹴られたりした。さらに、ロープで縛って海中につけたという話もある。

 瀬島龍三はその回顧録で次のように述べている。

「浅原グループに対しては、20代の若い人たちが本気で、海にぶん投げようと相談していたが、彼らにも親兄弟がいると言って指導し船内事なきを得た」と。

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2008年8月22日 (金)

「五輪の終幕が近い。女子ソフトの奇蹟」

◇08年8月8日午後8時に開幕した北京五輪は、204カ国・地域が参加、28競技302種目で競われ、今月24日で閉幕となる。

 いろいろな意味でオリンピックの歴史に残る祭典である。チベット騒乱に始まり、世界各地で抗議のデモがあり、中国では開催後もテロが続発した。中国の力の入れ方は異常ともいえるもので、国の総力を結集している観がある。こんな大がかりなオリンピックは各国の手本にはならないしすべきでもない。

 各種競技を見て思うことは、オリンピックでは人種の差別、肌の色による差別が全くないということだ。陸上競技などでは黒い肌の躍動、そして圧倒的な強さが目立つ。

 人類の歴史は人種差別の歴史であった。白人を頂点にして黒人は最下位に置かれた。平和の祭典とされ、人権の尊重が重視されるオリンピックで黒い肌が生き生きと活躍する姿は人類の進歩を示すものであり、今回のオリンピックの救いでもある。

◇この点で注目すべきことは、ジャマイカ勢の活躍である。陸上短距離でジャマイカの驚異の独走が続く。100mと200mでボルトが世界記録で2冠を達成した。女子100mではメダルを独占した。92年バルセロナの英、96年アトランタのカナダ、88年ソウルの米がそれぞれ男子100mで金を獲ったが彼らは、皆ジャマイカうまれである。

 ジャマイカとは何か。私は、ふるさと塾で、「コロンブスと奴隷制」を話したときジャマイカに触れた。カリブ海、キューバの南方にある島国で、コロンブスがこの島を発見したのは1494年である。

奴隷貿易が始まるとジャマイカは世界最大の奴隷市場の一つとなった。スペインの支配からイギリスの支配に移り、その後独立した。現在、人口の91%は黒人である。奴隷制をのりこえて発展した国の人々がオリンピックで白人を制している姿こそ人類の進歩を象徴するものだ。

◇女子ソフトボウルが奇蹟を起こした。彼女たちはその精神力と団結の力でまさかの金メダルを獲得した。選手たちの顔は一様に輝いていた。元気を失ったといわれる日本人に夢と勇気を与える偉業である。特に若者たちの心に訴える力は大きいに違いない。日本の若者を改めて見直す思いであった。

◇若ノ鵬が薬物で逮捕され、理事会で解雇処分となった。鈴木文科相は、前代未開の出来事で言葉もないと発言した。これもオリンピックの開催中のスポーツに関する不祥事である。相撲は国技とされ、相撲とりは力士と呼ばれる。最近の角会の状況を見ると、国技とか力士とかの自覚がないように感じられる。八百長の話も時々週刊誌で大きく報じられる。かつて土俵の鬼といわれた元・二子山理事長が最近ある紙面で勝負が面白くなくなったと語った。国技という看板を続けるのなら原点に立ち帰るべきである。(読者に感謝)

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2008年8月21日 (木)

「北京市の歴史」「不都合な真実が近づく」

◇連日北京が燃えている。テレビや新聞は、街の様子を伝える。天安門広場が移される。高層建築物の陰から、時々、タイムマシーンに乗って現われたような昔のまち並みが顔を現わす。それらを見て北京は歴史のまち、そして民族の興亡の地だと改めて感じる。今行われているオリンピックも北京政府は、漢民族の存亡をかけて戦っているように見える。

 中学生から、「北京という名はいつから始まったの」と聞かれた。「明の時代、日本では室町時代だ。明は漢民族がモンゴルを北方に追って建てた国だよ」私はこう説明する。

 北京と呼ばれるようになる迄、この地は北方民族の都だった。モンゴル族は中国を支配し、この地に都をつくり「大都」と呼んだ。

 中国の歴史は北方民族との興亡の歴史である。モンゴルを北方に追った漢民族の国、明は「大都」の地を都とし北京と名づけた。今は、故宮博物館となっている紫禁城とその入口の天安門も明の皇帝によって作られた。明を滅ぼしたのは北方民族の女真で、清を建国し、やはり北京を都に定めた。清は近代に入り列強の侵略を受け屈辱の歴史を歩む。 清は滅び、また漢民族が支配する国となる。孫文の中華民国を経て、1949年も毛沢東は、天安門の上で中華人民共和国の成立を宣言する。今や北京政府はアメリカに並ぶ超大国に成ろうとしている。屈辱に耐えて力を蓄えた誇り高い漢民族が世界の主役となって自己をピーアールする舞台が今回のオリンピックである。

 オリンピックも後半戦に入った。中国は金の数でもアメリカを抜いて独走しているが、平和の祭典を脅かす不気味なテロの陰は消えない。オリンピックの成績は国の文化力の現われである。中国は多くの矛盾を抱えた国だが、長い歴史の上で培った高い水準の文化を持つ。メダルの数はこの文化が基礎になって生み出したものだと思う。熱い戦いはいまも続く。平和の祭典が無事に終幕を迎えることを祈るばかりだ。

◇「不都合な真実」の上映は、今週土曜日(23日)、午後7時、総合福祉会館で行なわれる。GTVの「朝なま」に出演したとき、女子アナは「感動した点は?」

とたずねた。私は、2つの映像の話しをした。1つは、ナサが65億キロの彼方から撮った地球の姿である。それは、一点の青白い光である。解説者ゴアは、「あれが私たちの唯一のふる里です。あの点で人類のすべての出来事が行なわれました。それが今危機に瀕しています。その未来は私の手にかかっているのです」と訴える。

もう1つは、宇宙船が、太陽を真後ろにして撮った地球の写真である。それは丸い地球の姿である。満月ならぬ満地球である。子どもの頃、地球は無限に大きいと思っていた。地球は小さな惑星なのだ。この丸く美しい星で全人類の営みが行なわれている。そして、オリンピックも開催中だ。この小さな星を守らなければと思った。当日は、入場券がなくても、受付で求めることが出来る。関心のある方はどなたでも気軽に見に来てほしい。(読者に感謝)

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2008年8月20日 (水)

「野口みずきと劉翔の棄権」「八ッ場ダム中止とは」

◇期待の女子マラソンのエース野口みずきが本番に欠場した事は非常に残念だった。中国では、五輪の国民的英雄劉翔がアキレス腱を痛めたことが原因で棄権し大騒ぎになっている。野口とは、英雄度が違うのだろうが、中国人の国民性が現われていると思った。

 劉翔は、4年前のアテネ大会では世界タイ記録で優勝した。男子トラック種目で、アジアの選手として史上初の金メダリストだった。毎日、テレビのCMに登場し、劉は、北京五輪における中国の象徴的存在だった。

 それだけに中国人の落胆振りは大変らしい。誉めたたえる声は一変して非難の声となった。中国のインターネットは劉翔を罵倒(ばとう)する声であふれたという。「意気地なし」、「13億人を傷つけた」、「脱走兵め」このような書込みが殺到、中には「何千元も出してチケットを買ったのにどうしてくれる」というのもあるらしい。

 チケットの定価は二百元位らしいから、何千元というのはヤミの値段なのだろう。会場周辺では取締りの目をくぐってダフ屋が横行しているという。

◇野口みずきが棄権したことに対し日本では非難の声は聞こえない。仮に北島康介が棄権しても、日本人は、中国人のような反応はしないだろう。国民性の違いと思うが、民度の違いということもあるのではないか。

◇民主党の鳩山幹事長は、18日八ツ場ダム建設現場を視察し、ダム建設の凍結、中止をマニフェストに盛り込む考えを明らかにした。

 現実離れの議論である。私たちは、過日、現地を視察して人々の意見を聞いた。かつては反対運動の先頭に立っていた人たちが、皆、1日もはやく実現して欲しいと訴えていた。今、地元で反対する人はほとんどいないらしい。長い交渉の過程で様々な問題点をクリアしてきた結果である。

八ッ場ダム建設を推進する議員連盟が出来た。この議連で現地を視察したのである。道路は高い位置につけかえる工事が進み、橋が新しく建設され、川原湯温泉も移転の事業が進行し、神社や石仏などの文化財も高い位置に移されていた。

 視察中に激しい雨が降った。吾妻川は、あっという間に増水し、恐いような濁流が谷を埋め盛り上るように流れていた。最近の異常気象を考えると、今まで、百年に一度と予想した以上の事態がいつ起きるか分からない。この点からも治水としての八ッ場ダムは必要である。

 先日、私は埼玉県の自民党幹事長に会った。埼玉県でも八ッ場ダム推進議連をつくることになった。幹事長は、このダムによる利水の恩恵を強調していた。ダムは全ていけないという考えはおかしい。ケースによって事情は異なるからだ。民主党・鳩山幹事長の発言は、ダム中止を叫べば世論の注目が集ることを狙った戦略であろう。(読者に感謝)

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2008年8月19日 (火)

「集中豪雨の恐怖」

◇2、3日前の夕方、時間を見つけて赤城の湖畔まで車を走らせた。下界はうだるような暑さなのに、山の上は別天地だった。山の冷気は生きている。両手を上げて深呼吸すると美味しい空気が身体に流れ込んで、自然と一体となった充実感をおぼえる。

 その時、雨が降りだして次第に激しくなってきた。峠の牧場のあたりまでくると、雨は滝のようになり、前方は見えない。7時前なのに急に暗くなり狂ったように動くワイパーの間から見える前方の道は既に川となっている。私は恐怖心を覚え山を追われる心境でハンドルにしがみつくようにして斜面の道を下った。

 大きな駐車場まできた。私は、少しちゅうちょしたがハンドルを切ってふれあいの森の道に入った。近くに世界一といわれるローラーすべり台がある。いつものコースなのでこの道を選んだが、雨の森の谷底に落ち込んでゆくような不安にかられた。雨は益々激しくなって路肩が雨に煙って見えない所もある。沢に落ちたら大変である。「県議遭難」不吉な新聞記事が頭をかすめた。

 後に大雨洪水警報が出ていた事を知った。1時間に100mm以上の雨が降ったに違いない。山に降った雨は斜面を横切る道路に集り、川を作る。カーブを曲がると奔流が音を立て車を押し流さんばかりの勢いである。突然、森の闇を切り裂くように火柱が立って、ドドーンと大音響の雷鳴が森をふるわせる。森が怒り狂っていると思うと鳥肌が立った。

 やっといつものT字路に着く。ホッとして右折する。その先は国立赤城青年の家である。しかし、間もなくあたりの様子がいつもと少し違うことに気付く。曲がるT字路を間違えたらしい。南下する道は山中の水を集めて急流となっている。引き返す事は出来ない。南へ向う道は必ず里に通ずる筈だが、木が倒れていたら、あるいは、道が割れていたらどうしようと不安は募る。木立に覆われた急な斜面を水と共に地の底に引き込まれるような思いで車を走らせる。その時、急に眼下に光の広がりが見えた。前橋市街の光である。荒れた海をさまよって陸地を見つけた思いであった。私は、主要地方道前橋赤城線の旧料金所の辺りに出て無事帰宅したが、集中豪雨下の森の恐怖を味わった。地球温暖化による異常な気象で常識を超えた量の雨が降る。とまどう森が対応出来ない水は森の中の細い道路を川に変える。集中豪雨下の危険地帯は都会ばかりではなく山中にもある事を知った。

◇18日の私のGTV出演、FM群馬の放送により、映画「不都合な真実」への関心が高まっているらしい。異常気象につき、断片的な事実でなく、地球全体で起きている事実を知る意義は大きい。地球文明を救うカギは、政治でも科学でもなく、人々の心だとゴアは訴える。8月23日、総合福祉会館、乞うご参加。詳しくは私の事務所へ。(読者に感謝)

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2008年8月18日 (月)

「オリンピックのドラマに涙・浜口の笑顔」

◇テレビで途中から浜口京子の姿を見て、一瞬、金メダルを獲ったと私は思った。それほど浜口京子の満面の笑みはきれいでさわやかだった。結果は銅であったが会場の雰囲気と取材陣の注目振りは正に金であった。

 私は父親、アニマル浜口の姿を捜した。深刻そうな顔が写った。このガンコ親父も、娘が真に喜ぶ姿を見て顔をほころばせていた。その笑顔も本物に見えた。浜口の銅は、金以上に感動を与えたと私には思えた。

 金を狙って銀や銅を得て不満そうな顔を見せる選手もいた。銅を床にたたきつけてメダルを剥奪された外国の選手もいた。浜口のさわやかさは、今大会を飾る美しい花であり、日本の誇りだと思う。

 昔の日本では考えられない女性のレスリングに子どもの頃から一筋に打ち込んで世界の頂点に立つ程の力をつけるに至りなお、女性らしさを失わぬは浜口の姿に感動した。

 私の目には前回の大会のある光景が焼きついている。浜口に不利なミスジャッジがあって父親は怒った。「許さないぞ」と吼(ほ)える姿には、往年のリングで闘うアニマル浜口以上の迫力があった。奥さんが、「お父さん、そんな事を言ったって」となだめる姿があった。アニマルは、「北京があるからな」と叫んでいた。そこには、家族の熱い絆(きずな)が感じられた。このようにして目指した今回の北京オリンピックだった。

◇柔道連盟の暑気払いがあった(17日)。私は次のように挨拶した。「レスリングのようなおかしな柔道が、今オリンピックで行われています。鈴木選手を破ったモンゴルの選手、タックルして持ち上げてひっくり返して1本をとりました。あれが柔道なのでしょうか。大変苦しいことですが、私たちは、日本の柔道の誇りを守るべきだと思います。それを支えるのが群馬の柔道界です」と。

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◇朝5時、この日記を書いている。今朝は、7時15分にGTVに入り生放送に出る。8月23日(土)に上映する「不都合な真実」の説明である。「上映の目的は」、「どんな映画」ですか、「見どころは」、女子アナがこのような質問をする筈である。溶ける氷河、荒れ狂うハリケーンなど息を含む映像を前に元大統領ゴアは、人類史上かつてない事態が起きようとしている、そしてこのままでは手遅れになると警告する。しかし解決の道はあるのだとゴアは訴える。それは、私たち一人一人が地球文明を救うという自覚をもって行動を起こすことだ、地球の未来は、私の手の中にあると。太陽を真後ろにして宇宙船が撮った地球の写真は宇宙の輝く宝に見える。また、65億キロの彼方からとらえた地球は「青白い点」であり、ゴアは私たちの唯一の故郷だと語る。人類史上の全てはこの一点の中で起きた。それが今、危機にある。今朝の朝ナマでは、このような事を材料にして出来るだけ多くの人の参加を呼びかけてくる。(読者に感謝)

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2008年8月17日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(135)第6章 スターリン大元帥への感謝状

多くの日本人に秘密の誓約書を書かせた。

その内容は、帰国後、ソ連情報機関の指令の下で働くこと、このことは口外しないこと、約束を破った場合はいかなる処罰を受けても異存はない、というものであった。ソ連の恐怖が身にしみている日本人は、約束を破れば、殺されるか、ソ連に送り返されると本当に心配したらしい。

 とにかく、「民主運動」は、洗脳の効果、痛めつけられた者の恨み、「約束」の重圧など、さまざまな負担をソ連の港を離れた後も長く日本人に課することになった。そして、このことは、帰還船上のトラブル、舞鶴港上陸後の大きな混乱へとつながるのである。

 この文章が書かれたのは昭和24年5月である。このころ、日本人収容者のうち短期抑留組の本格的な帰国が行われていた。そして、この帰国は昭和25年の春で一応完了するが、長期抑留者はこの後も長くシベリアに留まる。「限りなき長寿を」と感謝状で書かれたスターリンは、昭和28年3月に死んだ。スターリンの死は、限られた情報しか手に入らないシベリア中の収容所にまたたくまに伝わり、収容されていた人々は、「ヒゲが死んだ」と言って喜んだ。厳しい収容所の環境に変化が起こることを誰もが期待したのである。

二 吊るし上げられた人たちの復讐・家族を振り切って共産党の大会へ

 日本人同士の血で血を洗うような陰湿な争いが「民主運動」の実態であった。密告され大衆の前で吊るし上げられ土下座して謝罪させられ、その他さまざまな痛めつけを受けた日本人の、この運動を指導した活動家・アクチーヴに対する恨みは大変なものであった。それをただ祖国へ帰りたい一心で耐えた。

 ある帰還船が、ソ連を離れ日本海を一路南下していた。今やソ連へ連れ戻される心配はなくなった。

その時、先ほどから鋭い目付きで一方を見詰めていた一人の男が隣の男に目配せをしながら言った。

 「そろそろいいだろう」

「うむ」

もう1人の男は黙ってうなづくと立ち上がった。二人は、隅の方で膝を抱えてうずくまっている男に近づいた。

「おい俺たちを覚えているだろうな」

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2008年8月16日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(134)第6章 スターリン大元帥への感謝状

この感謝状は、最後に改めて、大元師に対して宣誓する。

「敬愛するイオシフ・ヴィッサリオーノヴィッチ!

私たちは、全世界勤労者の愛する天才的教師たるあなたの前に、そして偉大なる社会主義ソヴィエト同盟の人民のまえに、いまここに厳粛なる決意にもえて宣誓せんとするものであります」として、次の4つを誓っている。

①ソヴィエト人民とのゆるぎなき友誼のために献身的に闘う。そして、私たち

 がこの目で見かつ学んだソヴィエトの国の真実を日本のすみずみまで、全日本にひびきわたらせる。

②アメリカ帝国主義、日本軍国主義のやからどもが、私たちを再び犯罪的奴隷兵士と化することを断じて許さない。そして、解放軍たるソヴィエト軍に対し、たとえ大地がはりさけるとも二度と武器をとらない。もし再び、帝国主義者どもが、日本を、ソヴィエトに対する戦争の舞台にしようとするなら、私たちは死をも恐れず決起し帝国主義者と闘う。

③私たちは、社会主義の事業と平和の事業に、あくまで忠誠を守りぬく。

④私たちは、この聖なる誓いを、わが瞳のごとく、わが魂のごとく守りぬき、断固としてそれを果たしぬく。

 そして、スターリン大元師に対して、「全世界勤労者の命であるあなたが、ますます健康に、限りなき長寿を保たれんことを」という言葉を捧げ、最後に、次のような万歳と賛美で結ぶのである。

 日本共産党万歳!

 ソヴィエト同盟に栄光あれ!

 ソヴィエト軍に栄光あれ!

 万国勤労者の師父、敬愛するイオシフ・ヴィッサリオーノヴィッチ・スターリン万歳!この感謝状の中で重要な点は、最後の宣誓の部分である。この文は日本人が自主的に作った形をとっているが、ソ連の指導の下に、また、ソ連の意をくんで作られたことは間違いない。ナホトカで帰還船に乗るとき、署名しなければ乗せないと、ソ連軍将校に言われたという証言の存在はその間の事情を物語るといえよう。

 ソ連とすれば、日本人が、帰国後に感謝状で宣誓した通り共産党を支持する行動をとるかどうかが一番気がかりなことである。だから多くの日本人に秘密の誓約書を書かせた。

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2008年8月15日 (金)

「終戦の年の8月14日、15日。北島の快挙。」

◇天皇の判断で無条件降伏を決めたのは、8月14日の正午ごろと言われる。最後の御前会議で天皇は次のように発言した。

「国民に呼びかけることがよければ、私はいつでもマイクの前に立つ」

 終戦の言葉(詔勅)は14日の深夜に録音され、翌15日の正午に放送された。玉音放送である。

 残念に思うことは、政府の最高会議で終戦を決めた14日の正午ごろから、15日正午の終戦発表までの間に、多くの国民の命が失われた事である。特攻機は飛び立ち、各地の前線では激しい死闘が行われていた。

 そして、この時期に多くの民間人も命を奪われた。その例が、14日夜の伊勢崎市、高崎市の空襲による被害である。両市に対する空襲は、敗戦前夜、日本最後のものだった。被害は、伊勢崎市では、死者21名、罹災者8628人、高崎市は死者14人、罹災者3243人だった。

◇毎年、8月15日に戦没者追悼式が行われる。全国の会場には、正午、東京会場における天皇の言葉が流れる。また今年も、8月15日の正午がやって来た。

 昭和20年8月15日の正午、終戦を国民に伝える天皇の言葉、いわゆる玉音放送が行われた。長く苦しい戦いの終わりを告げるこの天皇の言葉が、毎年8月15日に行われる戦没者追悼式の原点であることを、私たちは改めてかみ締める必要がある。

 この玉音放送に次の一節がある。

戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク

非命とは天命ではないことで災難による死のこと、五内(ごだい)とは内臓のことで、五内為に裂くとは、その為に内臓が裂けるという意味である。

 玉音放送は、歴史上初めて天皇が全国民に呼びかけた言葉であり、平和を実現する決意を述べたものである。ここに挙げた一節は、戦没者等に対する慰霊の言葉なのである。

◇今回の8月15日は、オリンピックと重なった。今、北京では、世界の国々から集った人々が平和の戦いを繰り広げている。

 戦没者は天国から水泳の北島や女子柔道の谷本に熱い声援を送っているに違いない。そして日の丸の新しい光景に涙を流しているだろう。

◇8月14日、日本中が北島で湧いた。100mと200mの平泳ぎで、2大会連続で金メダルを獲得した。100mの時は号外まで出た。こんなに純粋に日本中が喜びに沸く事は他にない。

勝負は一瞬で決まるが、その陰には長い間の厳しい試練があった。今の若者は根性がないとか批判されるが、北島の快挙は若者像を見直させ、全国の若者に希望を与えるものだ。25歳、未だ若いが引退するという。貴重な体験と実績を第二の人生で活かして欲しい。(読者に感謝)

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2008年8月14日 (木)

「谷本の金に溜飲を下げる。金正日の死?」

◇私は五輪競技の中では特に柔道に関心を持つ。それは、群馬県柔道連盟の顧問をしている関係上日頃から柔道を見たり話題にしているということもあるが、それ以上に少年の頃、柔道に熱中した経験をもつからである。

 私は背が低いので、ひたすら背負いの練習に励んだ。電柱に布を巻きつけて、その上の方に帯を縛りつけ、相手のふところに飛び込むことを想定して背負をかけるという練習を毎日続けた。一級戦に出て大きな選手をきれいに投げた時の快感は忘れ難い。以来柔道は「一本」で決めることが原則と思ってきた。

 日本の柔道が変質し、せこい姿になったのは、柔道の国際化が行われたこと、特にオリンピックの種目になったことが原因だと思う。

 柔道、弓道、剣道というように、日本の伝統のスポーツには「道」がつくが、道には人の踏み行うべき道理という意味がある。お互いが正々堂々と戦い勝敗を決める。「一本」にはこのような日本の柔道の理想が結びついているのである。

 現在のオリンピックの柔道は勝敗にこだわりすぎている。なりふり構わずポイントを挙げて逃げ切ろうとする。くち木倒し、裏取りなど日本の柔道から外れたものが中心となって変な格闘技になってしまった感がある。

 谷本選手が一本で勝ち進んで金を獲得したことは、日本の伝統文化たる柔道とはこれだと世界に示したことになる。これから、重量級が進む中で、一本勝ちが増えることを期待したい。

◇総社神社の納涼祭に出た(13日)。毎年成人を迎えた若者が中心となって行われる。私は子どもの頃からこの明神様の祭に親しんできた。時代の流れは恐い程速いがこの神社が地域社会の分解を辛うじて食い止めていると感じた。はだけた若者の肌に汗が光る。

 数百年を経た欅の巨木が、歌い踊り太鼓を叩く若者たちの姿を静かに見下ろしている。ゆかたの娘さんに導かれてやぐらに登った。

「せい年会が中心になって、こんな立派な祭を続けている所は他にありません。元中を卒業した私は誇りに思います。地域発展のすばらしい力がせい年会の中から湧き起こっています」私がこのような挨拶すると、「イエイ、イエイ」と若者たちの声があがった。

◇拉致問題が大きく動いているようだ。県議会にも拉致議連があり県議も高い関心を持つ。ある議員が「北朝鮮になめられている」と言った矢先のことだ。北朝鮮は、中味のある再調査に応じる構えだという。

 食料、エネルギーなどにつき世界的な異変が続く中で、北朝鮮はこれらの問題で深刻な事態に追い込まれているらしい。意地を張りながらも日本の支援を切望しているに違いない。

 このような中、独裁者金正日は既に死んでいるという情報がある。小泉さんが会った人はダミーだという。重村早大教授はかなりの根拠を挙げて分析する。21世紀のミステリーである。(読者に感謝)

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2008年8月13日 (水)

「かけがえのない人に弔辞。不都合な真実の上映」

◇その人は私の後援会の地区支部長であった。眉目秀麗だが軽くはなく、素朴なところがあって、どこか日本昔話に登場する吾作なる人物に通じる雰囲気をもっていた。農業と林業一筋に生きた人である。ゴルフと酒が趣味で健康には強い自信を持っていた。78歳で他界したが昨年の10月まではつらつと仕事に取り組んでいた。

「私は、今、かけがえのない人を失ったという思いであります」これは私の弔辞のスタートの部分である。そして、次のような表現でしめくくった。「今日の社会は、道義が地におち、人の心が貧しくなったといわれます。喜代松さん、あなたのような生き方は、地域を支える真の力であり、多くの人の手本でありました。あなたの肉体は亡びるとも、あなたが大切にした価値観やあなたの生き様は、多くの人の胸にいつまでも行き続けるに違いありません」

 大地を踏みしめて社会貢献に関わりながら骨太に生きる人が少なくなった。この人と2人きりで一度、酒を酌み交わしてみたかったと今にして思うのである。

◇私が関わっている二つのボランティア団体が主催して、映画・「不都合な真実」を上映することになった。二つの団体とはグリーンサークルとぐんま情報バンクである。

 群馬県、県地球温暖化防止活動推進センター、朝日、読売、上毛の各新聞社の後援を得て、今月23日、午後7時から日吉町の総合福祉会館で、この上映会は行われる。入場料は300円である。チケットの配布が既に始まっている。配布先には、小、中の学校も含まれている。

 この映画を上映することの意義を理解して下さったFM群馬、及び群馬テレビ(GTV)がP・Rに協力してくれる事になった。GTVの朝の番組・「あさいち朝生」に私が出て映画の説明をする。18日、早朝7時35分台に7、8分、生出演の機会を得た私は次のような事を語ろうと今頭に構想を描いている。

◇元・米副大統領ゴアは、スライドを使って全米各地で「地球の危機」を講演していたが、その姿を中心にして映画化されたものが「不都合の真実」である。2部門でアカデミーショーを得た。

 衝撃の映像が次々と紹介される。例えば、アポロが唯一の瞬間をとらえて撮った地球は、隅々まで輝いている。この美しく素晴しい星に何が進行しているかを映画は語ろうとする。

 ゴアは次のように訴える。「人類の文明史上最悪の破滅的事態がやってくるかも知れない」、「私たちが大胆かつ迅速に温暖化の根本的な原因に取り組まないかぎり、この世界は恐ろしい破局を体験することになる」、「今、動かなければ地球は手遅れになる。地球のためにあなたができる最初の一歩は、この事実を知ることだ」。恐怖の巨大ハリケーンが画面で迫る。この映画の訴えるものを改めて考えて見たい。(読者に感謝)

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2008年8月12日 (火)

「高木疑惑を追及する特別委員会の光景」

◇手さぐりの特別委員会も回を重ねてかなり手ごたえが感じられる問題点も出てきた。トライアングル(三つの角)という言葉の意味が証言者によって確かめられた。前知事と高木元県議(高木建設)と公社の三者を指す。この三者の間で事が進められたという内容である。県の幹部は「重大な証言だと思う」と発言していた。私は勇気ある証言だと思った。

 トライアングルで巧みに処理されたのではないかといわれる問題の一つが元総社の土地である。上空に高圧電線が走る土地を県は、県営住宅建設の目的で住宅供給公社に高額で取得させ、一年後に県営住宅を建てないことに方針を変え、以後十年以上も塩漬けにした。

 背任罪にも当たると言って迫る委員もいた。また、「県営住宅用地として購入しながら現在まで塩漬けになっているのは、小寺前知事がこの土地を特別な土地と認識し、公にされることを嫌がっていたためではないか」と言って当時の担当官に意見を聞く委員もいた。

◇もう一つ大きな問題は、建設残土などの産廃が埋められた土地を、県が高木市長の親族が経営する会社の仲介で購入したことに関する件である。

 みずき野用地と我々が呼ぶ広大な土地は、以前、高木市長の親族の企業が中心となって砂利を採取した。ここは昔、利根川が流れていた所で建設用の砂利が取れたのである。砂利を採取した後の穴を産廃で埋め戻して県(公社)に住宅団地用地として売った。後に、軟弱な地盤と判明し、県は契約を解除する。解除されたくずのような土地は、また、高木市長の親族企業が関与して様相を一変させる。手品のような手法で準工業地区に用途変更がなされたのである。現在、この地域には大規模な商業施設の建設が進む。

 「建設残土が埋められていることを知りながら、これを隠して売ることは詐欺罪に当るのではないか」「何ヵ所も調査のためにボウリングしたこと、及び、当初の目的を達成出来ないことから生ずる損害はどの位か」等の質問がなされた。

◇水泳の北島と柔道の内柴が金メダルを獲得した。歓喜の表情がクローズアップされる。内なるものを全て出して喜びを表現している。長い間の苦しい試練が報われた一瞬なのだ。その感激の深さは私たちの想像をはるかに超えるものだろう。しかし、期待されたメダルを獲れなかった選手の落胆は大変なものであろう。正に天国と地獄だ。平和の祭典は喜びと楽しさに支えられるものでなければならない。余りにも勝敗にこだわる世論はかえって選手を萎縮させるのではないか。

◇五輪に対する中国国内のテロの脅威が高まっている。古代オリンピックは競技開催中は戦闘を中止したという。反対勢力は故事にならい、五輪開催中はテロを中止するというメッセージを出したら彼らのためにも効果的ではないか。(読者に感謝)

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2008年8月11日 (月)

「度肝を抜く開会式、しかし、」

◇いろいろな意味でオリンピックの歴史上特筆される開会式が遂に実現した。多くの人がさすがは中国と驚いている。中国が国を挙げて取り組んだ成果を全世界に見せつけた開会式だった。

 しかし、開会式は、空前の警備の中で行われた。その異常さは、世界から北京に集った人々が大きな危険にさらされている事を意味した。

 こんな危険に満ちた国にオリンピックの開催を認めたオリンピック委員会の判断は間違っていたと思う。中国国内でオリンピックをターゲットにした反乱やテロが起きている。チベットの騒乱、昆明やウイグル自治区のテロなどが続き、まだ、オリンピック開催中に何が起きるか分からない。平和の祭典は、薄氷の上で行われている。24日までの17日間、氷が割れないことを祈るばかりである。

◇北京五輪の開会式の日に、大規模な軍事衝突が起き、1600人の人々が死亡したと報じられた。グルジア軍とロシア軍の交戦である。

 国連総会は、北京五輪中のあらゆる戦闘の停止を呼びかける決議を行ったが、グリジヤ、ロシア両国は、この決議を、五輪開会式の日に踏みにじった。これは、オリンピックと国連の権威を打ち砕くものだ。

 国連が五輪開催中の戦闘停止を呼びかけた事には歴史的な意味がある。オリンピックは紀元前、古代ギリシアで始まったが。オリンピックが開かれる前後は、参加する全ての地域が戦争を止めた。

 近代オリンピックはフランスのクーベルタンの呼びかけで始まったが、彼は古代オリンピックに込められていた平和への思いを引き継ごうとした。国連の決議にも、古代オリンピックの精神を実現しようとする決意がこめられていたのである。

◇入場行進を見て、世界には様々な国があることを改めて思った。日本は、選手339人、役員を含めると576人の選手団である。わずか数人で参加している国もある。行進の様子はそれぞれの国の国情を物語る。

 日本も、1912年(大正元年)の第5回のストックホルム大会に初出場した時は、行進に参加した人は2人であった。今回の576人という数は、初出場から96年間の日本の発展ぶりを示すものだ。

 日本人が初めて金メダルを獲得したのは、1928年(昭和3年)9回アムステルダム大会である。三段跳びの織田幹雄が第一号の金メダリストに、次いで200m平泳ぎの鶴田義行が金を得た。正に値千金であった。

 北京五輪を見て思うことは、今から44年も昔、1964年(昭和39年)東京大会が行なわれたことである。この時、日本は、金16、銀5、銅8メダルを獲得した。日本は今回、2けたの金メダルを目標とする。赤い日の丸は胸に迫るものがある。

◇8月に入り日本で2つの平和の祭典が行なわれた。6日の広島市、9日の長崎市、それぞれ原爆の日である。(読者に感謝)

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2008年8月10日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(133)第6章 スターリン大元帥への感謝状

また、アメリカを厳しく非難し、ソヴィエトこそ真の友だと叫ぶ。「アメリカ帝国主義は再び戦争をくわだてソヴィエトに襲いかかろうとしている。日本を戦略基地にして、日本国民を彼らの肉弾とし、彼らの泥靴の下に植民地奴隷にしようとしている。しかし、歴史の歯車を逆転させることはできない。私たち勤労者は命をかけて立ち上がり、彼らの頭がい骨を一撃のもとに粉砕せんとの決意に燃えている。強力なソヴィエトこそ民主主義と社会主義の勝利の保証である。あらゆる大国のうち、ソヴィエトのみが、日本の民主化と非軍国化、日本の勤労者の利益と幸福を守って徹底的に闘っている。ソヴィエトこそ日本人民の夏に頼むべき友なのだ」と。

 このように、アメリカを非難し、ソヴィエトをたたえつつ、いよいよ、自分たちの決意と誓いの部分に入ってゆく。

「現在の私たちは、もはや過去の私たちではない。私達は民主主義と社会主義の陣営の一部であり、平和の軍隊の戦士である。この神聖な任務のため、日本共産党の指導のもとに最後の血の一滴まで捧げて闘う用意がある。」と。

 そして、いよいよ究極の佳境に至る。日本人のプライドも何もない。自虐ということも通り越して、作文の世界に入って言葉に酔っているともとれるのだ。

「私たち日本人捕虜の帰国も最終段階に入ったが、私たちは断じて祖国なつかしとのみ帰るのではない。私たちの人生における最大の感銘に満ちた4年間を、わが再生の宝とし、その懐かしい思い出を変えることなく抱き続け、私たちの聖なる誓いを固く守り、わが人民開放の闘いに必要とあらばわが生命を捧げようとする確固たる決意に燃えて進撃するために帰国するのだ。私たちは戦争の間はかりしれぬ罪悪をソヴィエト市民にかけた。このことについては限りな

い自己嫌悪の念に耐えない」と。

そしてしめくくりの宣言となるが、その文は、そのままここに掲げることにする。

「私たちは、今こそわが日本に帰国したその時は、日本海の波濤遠く、レーニン、スターリンの国を仰ぎみつつ、ソヴィエトの国の偉大な模範に無限の勇気をくみとりつつ、日本人民の利益のために、全世界勤労者の自由と幸福のために、果敢に、献身的に闘うでありましょう。社会主義ソヴィエトの国に過ごした4ヵ年の思い出は、終生私達の心を、大いなる喜びと感激をもって充たすでありましょう。そして偉大なる人民、建設者たる人民、真のヒューマニストたる人民についての思い出は、永久に日本勤労者の心のうちに生きるでありましょう」

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2008年8月 9日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(132)第6章 スターリン大元帥への感謝状

「ソヴィエト軍が日本人を奴隷から解放した」

次の文は、収容所生活を夢の楽園のように描いており、あきれるというよりむしろこっけいに感じられる。

 即ち次のようなものである。

「私たちの行くシベリアは、荒涼たる氷雪以外なにものもなくおそるべき“酷使”と“死”が待つと言われていたが、実際は、並々ならぬ寛大さと人道主義によって迎えられ、あらゆるさサービスが完備し夢のようだった。厳正な八時間労働。十分なカロリー計算のもと一点の汚れのない調理場で日本料理風の料理がつくられ食膳をにぎわす。あたたかい寝具と被服、立派な宿舎が保証されあらゆる日用品と嗜好品が販売され、食事、菓子、飲料をも備えたレストランも開催され、下着もまた、毎週清潔なものと交換され、立派な施設をもった入浴場、洗濯場が設けられている。医療に至っては日本では夢にも見られないもので、幾多の高価な薬品や医療器械が備えられ完治するまで良く見てもらえる。その他、文化教養を高めるための施設や配慮が行き届きソヴィエト映画も楽しむことが出来る」等々、次々と素晴らしいことを並び立て、「このようなことがいかなる資本主義国の捕虜収容所でありえようか、自分たちの生活は、いかにしても捕虜生活と呼ぶことは出来ない、歓びにみち自由にあふれた生活なのだ」と。

 毎日体中しらみだらけになるほどの不衛生、死に行く友の手から落ちる一片のパンを奪い合うほどのひもじさ、ノルマに追い立てられ、精も根も尽き果てるほどの過酷な労働等々、現実の収容所生活は生き地獄であった。なぜ、事実と全くかけ離れたこのようなことを感謝文の中に書くのか、その真意が測りかねるが、多くの日本人捕虜が、祖国へ書く手紙に、検閲を意識して、収容所では夢のような生活を送っていると書いたと述べていることからすれば、これが、ソ連当局の意にかなう方法だと真剣に考え、また、これが帰国を実現させる手段だと信じて書いたのであろう。

 そして、在ソ4年間を次のように総括して振り返るのだ。

「私たちは4年前の自分たちを振り返るとき、みずからの巨大な変化に打たれる。私達は、日本では到底学び得なかった巨大なものを学びとり、身につけた。だから、社会主義の国で過ごした4ヶ年は幸運であり、誇りである。日本軍兵士の時は奴隷であったが、ソヴィエトで解放され、はじめて自由を得た」と。

 

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2008年8月 8日 (金)

「日本の運命を決めた暑い夏の出来ごと」

◇63年前の1945年(昭和20年)の7月から8月にかけて、日本の運命を決定づける出来事が集中的に起きた。主な出来事を列挙する。

7月16日 米、ニューメキシコ州の砂漠で原爆実験成功。

7月26日 米、英、中によりポツダム宣言が発せられる。

7月28日 鈴木貫太郎首相「宣言」黙殺を声明。宣言を受諾していれば原爆投下はなかっただろう。

8月 6日 広島市に原爆投下、人類史上最初の出来事。

8月 8日 ソ連、日本に宣戦布告し満州等に侵入。

8月 9日 長崎市に原爆投下。

8月14日 天皇の裁断によりポツダム宣言受諾決定。

8月15日 天皇、終戦の詔書放送。

平成20年の8月15日が近づいた。群馬アリーナで、群馬県戦没者追悼式が行われる。

◇語りつぐ戦争体験・「原爆予告をきいた」を読む。

 体験をつづる宮本広三は爆心地から近い広島逓信局で無線の仕事にたずさわっていた。受信機を動かすとサイパン島から発するアメリカの放送「ボイス・オブ・アメリカ」が入ってくる。当時、これを人々は、デマ放送と呼んでいたという。内容には空襲の予告がよくあった。日本の新聞の空襲のニュースはまったく予告どおりなので宮本はデマではなく本当ではないかと思うようになる。

 8月1日に、いつもの放送は、「8月5日に、特殊爆弾で広島を攻撃するから非戦闘員は広島から逃げていなさい」と数回くりかえした。上司に話すと、「適性放送を聞くとは何ごとだ」とひどく怒られる。5日は何事もなく過ぎて6日の朝、上司に「やはりなにもなかったではないか」とまた怒られ、宮本は、「でも、はっきり聞いたんです」と言いながらひょいと窓の外を見ると、飛行機雲が南へ動いている、そして何か白いものが飛行機から離れるのが見えた。宮本は、これだと直感して「みんな、伏せろ」と叫んだ。ピカッと光ったのは覚えているが後は分からない。意識を回復して窓の外を見ると広島城の五層の天守閣が消えていた。宮本のからだは腰の革バンドだけでズボンもシャツもなくなっている。建物の外は大変だった。「いたい いたい」と泣き叫ぶ者、目玉が飛び出て垂れ下がっている人、全身の皮フがぼろきれのように垂れている人、おばけのように両手を上げてよろよろしている人など。黒い雨がスコールのように降っている。臨時の患者収容所では、マスイがないままどこかを切断され「ギエーッ」と叫ぶ娘の声が聞こえる。宮本は、このような生々しい描写を記している。

◇東大法学部教授川島武宣が、サイパンの放送を隠れて聞いたことを回想している。教授はこの放送が、民主的な占領政策を表明していることに驚き、初めは疑っていたが次第に信じる気持ちになったと振り返る。そして、教授は、当時心配されていた米兵による女性への暴行や報復的な残虐な圧政はないだろうと思えるようになった。そしてその後の実際の占領政策は、サイパン放送で予告したとおりだったと述べている。(「ある法学者の軌跡」)原爆の予告も、アメリカの人道主義の現れであったと私は思いたい。原爆投下に反対の米要人もいたのだ。(読者に感謝)

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2008年8月 7日 (木)

「そう文の開会式・原爆投下の朝」

◇午後1時半、第32回全国高等学校総合文化祭(そう文)の開会式がぐんまアリーナで行われた。(6日)。二人の高校生が司会をした。前高と前女の生徒である。各県の代表が登場し一言ずつふるさとを語る。鹿児島県の方言は分からなかったが地方の特色がにじんでいた。

 6日から10日まで、「上州に舞え創造の風」をテーマに高校生の文化活動が展開される。囲碁、将棋からミュージカル、オペラまで内容は多彩である。文化活動に力を入れる高校生の姿は平和な国日本の象徴である。秋篠宮殿下が御挨拶されていた。

◇群馬で「そう文」の開会式が行われた日、広島は、原爆の日を迎えていた。昨日の「日記」で触れたが原爆の投下は午前8時15分。この時間に合わせ、平和の鐘が鳴らされ、市長は、「核攻撃から市民を守る唯一の手段は核兵器の廃絶」と表明した。これは、核兵器が存在する以上核攻撃の可能性があり、市民はその恐怖にさらされていることを訴えている。

 慰霊碑の真後ろに原爆ドームが見える。原爆の恐ろしさを知る者から見れば、この残骸からいまだ高熱が発せられているように見えるだろう。世界遺産に等級を付けるとすれば、このドームこそ超一級の人類の遺産というべきだろう。核の悲惨をこれ程雄弁に語るものはない。

 現在、前橋の中学で使われている歴史の教科書(東京書籍)では、「アメリカは、原子爆弾を8月6日広島に、9日長崎に投下しました」と簡単に触れている。残酷な事実を教えることを批判する人もいる。しかし、そうではない。肉が溶け、人間が蒸発するような地獄の光景を中学生に正しく教えることに大きな意義があると思う。そのような極限の状態で人は必死で生きることを求めたのだ。戦争の悲惨さが分からなければ平和の価値も分からない。私が「ふるさと塾」でやっているように映像を使って語りかければ、中学生は眠っている心の目を開くに違いない。

◇敗戦により女性は悲惨な目にあうと当時の政府は恐れた。それは過去の歴史が教えるところでもあった。県は回覧版で県民に注意を呼びかけた。その中の婦女子心得に次のような事が挙げられている。(群馬県史)。(1)服装は何時も正しく且つ地味なものを用い、薄物とか肌を見せるようなかっこうはしない事。特に事故の未然防止はモンペイ着用に限ることを忘れぬこと。(2)派手な服装は勿論厚化粧・濃い口紅・眉墨等をなす女子は外国の習慣では商売女と見られ接近される危険があるから厳に慎むこと。(3)事故防止の要諦は、断乎とした態度で最後の一線を死守する心構にある事を忘れぬこと。戦に勝てば女は戦利品として扱うことが歴史の過程ではあった。アメリカ軍は、ポツダム宣言を突きつけて、民主主義と人権を日本に植えつけようとしたから、兵士に対しても規律を厳しく守らせた。裸に近いような姿で女性がいられるのは、正に平和のたまものである。(読者に感謝)

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2008年8月 6日 (水)

「改めて北京五輪は大丈夫か」

「改めて北京五輪は大丈夫か」

◇ウイグル族の犯行といわれるテロの衝撃が全世界に及んでいる。武装警官が16人死亡した。北京五輪が近づく中でチベットの暴動が注目されてきたが、北京政府が最も恐れていたのがウイグル族の反乱であった。今までも数多くの反乱があり、それに対する過酷な弾圧があった。

「国外で軍事訓練を受けた危険分子で存在を完全につかめていない者が4000人から6000人位いるから必ず何かが起こる」と中国当局はテロの発生を恐れていたという。先月の昆明のバス連続爆破事件の後だけに、テロの本番は、これからかと思ってしまう。

 昨年10月私が北京のオリンピック施設の建設現場を訪ねた時、「ひとつの世界、一つの夢」という大会スローガンがいたる所に掲げられているのを見た。また胡主席は、「五輪で最も重要なことは、団結、友好、平和」と訴えている。これらのスローガンが空しく思われる。それは、友好や平和という事は、オリンピックの時だけ呼び掛けても実現するものではないからだ。普段が重要なのである。中国政府は、天安門事件にみられる人権の弾圧や少数民族の圧迫など、無理の上に無理を重ねてきた。そのつけが今、突きつけられている。競技の行方と共に何が起こるかという事に世界が固唾を呑んで見守っている。カウントダウンが始まった。

◇ぐんま総文が始まる(8月6日~10日)。全国高等学校総合文化祭の事である。約20,000人の高校生が群馬県に集い文化芸術活動を展開する。

 私が注目する上演作品は、前橋女子高校音楽部が行うミュージカル「灰になった街」である。副題に「昭和20年8月5日前橋が焼かれた日」とある。前女の前身、前橋高等女学校は63年前の8月5日午後9時半すぎB29の爆弾で焼失した。桑町商店街、片原饅頭などの懐かしい名前も飛び出す。それよりも注目すべき点は前女の生徒たちが灰になった街・前橋市の人々をどのように演じ何を訴えるかだ。総文で地元の戦争の風景を訴える意義は大きい。

◇63年前の8月6日の朝、前橋市の人々は、前夜の大空襲で打ちのめされ茫然自失の状態だった。この頃、広島市に原爆が投下された。早朝、8時15分である。原爆の瞬間、爆心の温度は数百万度、その時生じたか火球の表面は30万度、爆心地附近は、3,000~4,000度に熱せられ、半球1キロ内の瓦の表面はあわ状に火ぶくれを起こした。人間などは蒸発してしまう熱である。惨状は日本人が想像した地獄をけた外れに超えていた。ニューメキシコの砂漠で行なわれた人類史上初の原爆実験の成功は7月16日である。ポツダム会談に臨んでいた米大統領トルーマンに実験成功は直ちに伝えられた。7月25日、トルーマンは原爆投下を命令。7月26日原爆は早くも太平洋のテニアン島に運ばれていた。8月5日午前0時37分原爆搭載機エノラゲイ離陸、8時15分17分原爆投下。今日、63回目の慰霊式典が行われる。日本人は忘れる事の天才と言われる。無関心の人が多いのだ(読者に感謝)★土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。

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2008年8月 5日 (火)

「終戦の日、8月5日前橋市、灰燼(かいじん)に帰す。中国のテロ遂に」

63年前の85日、県都前橋市は一夜で焦土と化した。今、前橋市の再生が叫ばれている折、瓦礫と化した前橋市の姿を振り返ることには格別の意味があると思う。

 昭和2085日昼ごろ前橋市では空襲警報のサイレンが鳴った。そして、2機のB29が悠々と市の上空を旋回して去った。恐らく偵察機であった。

 当時の上毛新聞は、司令部発表の事実として、5日、午後1030分頃、約60機のB29が前橋市を無差別に爆撃し、我が高射砲隊は反撃を加え1機に火を吐かしめたと記す(87日付)。

 しかし、後に前橋市長がアメリカ大使館に照会(問い合わせ)したら同大使館から次のような返信があった。「マリアナ群島テニアン北飛行場から発信したB29120機のうち92機が前橋を襲撃、焼夷弾691トン、破砕爆弾17.6トン、一般爆弾15.2トンを前橋市に投下した」(前橋議会史第二巻) 

 又、別の記録には、「米軍機から落とされた一発の照明弾に始まり豪雨の音のように焼夷弾が降った、まず、岩神付近に火の手が上がり、それを合図のようして、前橋は火の海となり、全市の八割が焦土と化した」とある。そして、前橋市の人口、79155人中死者は535人であった。

 学校関係も甚大な被害を受けた。若宮国民学校は30分で焼け落ちた。県立前橋高等女学校もほとんど焼失、御真影は芳賀国民学校に疎開させ無事だった。

 前橋カトリック教会、桃井小学校などを含む県庁、市役所などの一角は焼失を免れた。このあたりは曲輪町といって当時4歳の私が住んでいた所である。裁判所の通りの松山病院の玄関口で、リヤカーのような車で運ばれた全身火傷の人がいつも治療を受けていた。恐る恐る近づいた私の目には衝撃的な光景が映った。それは、黒く焼かれたオチンチンをつまみ上げて治療しているのであった。

 阿鼻叫喚(あびきょうかん)の地獄が、それほど遠くない過去に、私たちの前橋に実現した事が忘却の彼方に消え去ろうとしている。それを再び記憶の中に呼び戻す事が今求められている。今月の最大の課題だと思う。

◇北京五輪が秒読みに入った。五輪を迎える中国の姿は異常というほかない。色彩華やかなる祭典の施設建設が進む一方でこれを破壊しようとするテロの陰が蠢(うごめ)く。

 先月、昆明市で連続バス爆破事件が起き死者が出た。全世界の人々は、これを北京五輪に対するテロ攻撃の予兆と見た。今月4日、未明、ウイグル自治区で武装警察が襲われ16人が殺害された。北京市では、民間人、警察、軍隊等100万人を超える人がテロに目を光らせているといわれる。この狂態がテロの危険の高さを物語る。オリンピックを支えきれず、中国が崩壊していく姿を見ているような気がする。屋外の長いキョリを走るマラソンも心配だ。(読者に感謝)

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2008年8月 4日 (月)

「29日のブログは事務員のミスで載らなかった」

◇ブログが入らなかったと何人かの人から問い合わせがあった。何があっても休まず続けているので、どうしたのかと不審に思った人が多かったと思う。実は、文章は出来上がっていたが、それをブログに載せる操作を事務員が忘れたのである。操作の時、別の急ぎの用事が重なったのだ。

 謝る香織さんを私はすぐに許したが、彼女は翌日、私の好物であるがんこ堂のカリントウを2袋買って来て黙って差し出した。目がごめんなさいと訴えている。それを見て時々カリントウを持ってくることを条件に許すのも手だなと思った。29日の「日記」は、今日の文の後に改めて載せることにした。

◇土、日は、超忙しかった。土曜日は28ヵ所、日曜日は18ヵ所の夏祭りに顔を出した。昔は、夏祭りに「お祝い」を持って回ったこともあった。時代は変り、みかん一箱でも寄附として書類送検されるようになった。名刺と手作りの県政報告を持って回った。

県OBが自治会の役員となっている所も多い。祭りの会場は地域の実態が口を開く窓である。市政に対する批判も聞かれた。祭りによって地域の連帯が保たれていることを感じる。

◇教育書道展の表彰式で挨拶した(3日)。

2万点以上の出展があり受賞者の中には小学1年生が10人以上いた。登壇して小さな手を伸ばして賞状を受けとる豆粒のような姿がほほえましい。

「間もなく63年目の終戦記念日が来ます。62回目の書道展ということは終戦直後から始まったことを意味します。全ての伝統的価値が否定される混乱期に書道展が始められ営営と続けられた事は素晴しいことです。小さな子ども達が姿勢を正して筆をもつ姿が目に浮かびます。子どもたちは筆を動かす技術だけでなく自ら心を育てているのです。日本人の心は貧しくなったといわれる今日書道の役割はますます重要です」

 これは私の挨拶の要点である。会場の外でよい挨拶だったですよと声をかけてくれる人かいた。嬉しかった。

◇先日、前高の先輩が「終戦の詔書」を届けてくれた。もちろんコピーであるが、驚いたことは昔、この家の人が迫水久常から直接うけとったと聞かされた点である。コピーの最後にえんぴつで迫水久常と自署されている。迫水は、当時の書記官長で紹勅を準備した人である。

原案は加筆訂正された。「戦局日に非にして」という一句が阿南陸相の希望で「戦局必ずしも好転せず」に直されたといわれるが、コピーからは、この部分の訂正の跡が分かる。この事も驚きであった。

これが815日正午天皇の声となって放送された。これを聞いた人々の反応はどうだったか。妙義町に疎開していた当時5年生の少年は、天皇の声は理解出来なかった、先生が戦争が終わりましたと言った時、両親の元に帰れることを思って嬉しかったと記す。また、ある人は、その夜、黒い幕をとって電灯をつけたまま居られることがどんなに安らぎを感じたことかと記す。(いずれも群馬県史)。815日の日本人の心境は戦後社会の原点である。(読者に感謝)

2008

729日(火)

「今月のふるさと塾は鈴木貫太郎」

◇第四土曜日は、夏祭りが多く、今月は月曜日に実施。話は、昭和庁舎に展示する「上州の宰相」の映像から入った「実は、群馬ゆかりの宰相はもう1人いました」、という切り口である。終戦記念日が近づくこともあり、鈴木貫太郎を取り上げることはタイムリーだと思った。

 鈴木貫太郎は前橋市桃井小を卒業し、前中(現前橋高校)で学び、海軍兵学校に進んだ。連合艦隊司令長官、侍従長などを歴任、誠実な人物で昭和天皇の信任は厚かった。母校桃井小には、貫太郎の言葉、「正直に腹を立てずにたゆまず励め」と書かれた石碑が立っている。昔の小学生は、よくこの言葉を復唱させられた。ふるさと塾にも復唱の体験を持つ人が何人かいた。塾では、「いまでもやればいい」という意見が出た。私もそう思った。

鈴木貫太郎が日本を救った総理大臣といわれるのは、戦争を終結させた業績の故である。昭和204月、総理大臣に鈴木の名が上がった時、鈴木は固辞した。しかし、昭和天皇に頼むからといわれて引き受けたのである。

 昭和天皇は、「この重大な時にあたって、もう他に人はいない、頼むから、どうか曲げて承知してもらいたい」と言った。天皇の命令で総理の職につく時代である。それが、天皇に頼むからやってくれと言われた人物は鈴木以外にいない。

 7月、連合国からポツダム宣言が発せられると、その受諾か否かをめぐって政府中枢で激論が交わされ結論が出ない。86日広島に原爆が投下され、続いて、9日、長崎に原爆が投下された。その直後に、ソ連が日本に参戦した。二度目の御前会議でも、阿南陸相等は、本土決戦を、東郷外相等は「宣言」受諾をそれぞれ主張して譲らない。

 鈴木首相は、誠に恐れ多いことだが、陛下のご意見を仰いで結論にしたいと発言し、進み出た。天皇は、ポツダム宣言受諾に賛成する、自分の身はどうなってもいい、国民を救いたい、必要があれば、自ら国民に語りかけたい、と述べた。ここでポツダム宣言受諾は決定された。814日のことであった。

鈴木の胸に筋書きは出来ていたに違いない。議論が出尽くした段階で、仮に、鈴木首相が受諾に賛成して結論を出したとしても、その後収拾がつかない事態が生じたであろう。天皇の決断の力は絶大であった。侍従長の回想などを読むと、この午前会議の異様な状況が分かる。男たちのすすり泣く声が次室にまで伝わったという。

私は、天皇に戦争の責任がなかったとはいえないと思うが、戦争を終決させ国民を救った天皇の力は大きいと思う。そしてその結論を導いた鈴木貫太郎の功績も偉大だと思う。ふるさと塾には、「玉音放送」を聞いたという人が二人いた。その一人は、よく聞き取れなかったが、午後、鈴木首相が終戦という言葉を使ったのを聞いて全てが分かったと話していた。今年も8月が近づいた。風化して、歴史の中の出来事になっていくあの戦争をもう一度、しっかりと見詰めたいと思った。(読者に感謝)

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2008年8月 3日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(131)第6章 スターリン大元帥への感謝状

文の表題は「ソヴィエト諸民族の偉大なる指導者・全世界勤労者の師父にして日本人民の最良の友、スターリン元大師へ」となっており、書き出しは、「敬愛なるイオシフ・ヴィッサリオーノヴィッチ」で始まる。スターリンというのは、通称であり、鉄の男を意味する。イオシフ(またはヨシフ)・ヴィッサリオーノヴィッチ・ジュガシヴィリが「大元師」の正式な名前である。

 次は冒頭の全文である。

「旧日本軍捕虜である私たちは、人類の最大の天才、全世界勤労者の導きの星であるあなたに、そしてあなたを通じソヴィエト政府ならびにソヴィエト人民に、偉大なるソヴィエトの國が私たちに与えられた光と歓びにたいし、私たちの心からの感謝とあつき感激をこめてこの手紙をおくります。

あなたの配慮のもとに、そしてあなたの教え子、あなたの愛児であるソヴィエト市民、ソヴィエト軍将兵の指導のもとに、ソヴィエトの地におくった4ヶ年の生活こそ、私たちにとって偉大なる民主主義の学校となったのでありました。それは私たちにとって終生忘れえぬ感銘として残るでありましょう」

 ソヴィエトの地に送った4ヶ年は、事実は、6万人以上が死に、それ以外でも死の瀬戸際まで追い詰められた日本人は無数に存在し、まさに生き地獄の「4ヵ年」であったが、この文を書いたような「民主運動」のリーダーにとっては、偉大なる民主主義の学校であり終生忘れえぬ感銘を与えたのであろう。

この初のメッセージに続いて、文は、ソヴィエト軍こそ日本人を目覚めさせ、日本人を救ったと訴える。

即ち、日本の勤労者は、「あまりにも長い間、真実と自由の光から二重、三重もの厚き壁によって閉ざされ、地主資本家どもの盲目の奴隷」となってきた。

そして、「強盗的日本帝国主義者」は極悪非道の「極東の憲兵」として隣接諸民族を略奪したが、偉大なるソヴィエト人民とソヴィエト軍が「日本の帝国主義野獣ども」を粉砕したので、日本人民の民主勢力も目ざめ、「わが愛する日本共産党」の指導のもとに、いまや、日本の民主化と非軍国化、日本民族の独立のために、米日反動に抗して、献身的闘争を続けているのであり、ソヴィエト軍こそ、わが人民を「強盗的戦争」の無益な犠牲と惨苦から救ったのだと。

強盗的日本帝国主義、極東の憲兵、帝国主義野獣どもといった表現を使ったこの部分は、ソ連人になりきって日本を攻撃しているような印象を受ける。

さらに進んで、次の文は、収容所生活を夢の楽園のように描いており、あきれ返るというよりはむしろこっけいに感じられる。

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2008年8月 2日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(130)第6章 スターリン大元帥への感謝状一「ソヴィエト軍が日本人を奴隷から解放した」

シベリアの収容所で展開された「民主運動」の象徴とも言えるものが「スターリン大元師への感謝状」である。私は、これをハバロフスクの国立古文書館で入手することができた。

 女性館長のエフドキーモヴァは、日本人に渡すのは初めてですと言って、34ページからなるコピーを、持ち出し許可証明書とともに私に手渡した。この感謝状は、岩槻泰雄の『シベリア捕虜収容所』によれば、日本人として持ち帰ったものは誰もいないという。この点は、恐らくその通りであろう。なぜなら、この種の文書は帰国に際し持ち出すことが厳禁されたということの他に、自分たちの恥を示すこのような内容のものを持ち出す気になる日本人は特別の意図を持つ者であろうし、それも大きな危険を冒してまでとなるとさらに考えにくくなるからだ。それほどに、文章の内容は、一読して唖然とするものである。それは、ソ連を理想の国として最大限褒め上げ、日本軍のことを極悪非道の極東の憲兵と決めつけ、強盗とか野獣といった表現で非難する。まさに自虐的な文章が大半を占めるが、最後の、日本共産党に入って闘い抜く等の誓いの部分に書かれていることは、絵空ごとではなく、深刻な意味を持つといえる。

「民主運動」の目的は、すでに書いたように、ソ連の指導の下で、日本人の頭の中を親ソに洗脳し、資本主義と闘う闘士に変えることである。教育の効果が上がることで帰国が許されると信じた日本人は、そのために仲間を密告し吊るし上げることまでやった。この運動は異常な高まりを見せ、それは、まさに狂態であった。その間に、帰国を果せずに多くの仲間はバタバタと死んでいった。そして、やっと帰国が許される寸前まできた。今こそ、「民主運動」の成果を最大限アピールしなければならない。人々は、目前の帰国を確実に実現するためには、どんなことでもしなければならないと考えていた。このような状況で書かれたものが、この「感謝状」である。

 この感謝状は、1949年(昭和24年)5月から8月にわたり、ハバロフスク、沿海両地方の日本人捕虜大集会で審議採択されたもので、64、434人が署名したと添え書きされている。

 以下この文の主要部を紹介する。

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2008年8月 1日 (金)

「桐一野球部の悲劇」

◇桐一野球部員(16歳)が強制わいせつ容疑で逮捕された。被害者は16歳の女子高生である。このニュースが注目を集めるのは桐生第一高校が群馬県を代表して甲子園に出場するからである。果して出場は可能なのか県民は固唾を呑んで推移を見守る。JR桐生駅の出発式では、県高野連会長が「優勝旗には群馬大会で戦った全てのチームの熱い思いが込められている。その重みを受け止めて、県代表としてプレーしてきて欲しい」と激励し、チーム主将は「悔いのないプレーをしてきたい」と決意を語ったばかりである。

 野球部員の破廉恥な行為は、群馬大会で戦った全てのチームの熱い思いに汚物をかけるようなものだ。29日に、本格的な練習を始めた球児たちの衝撃は測り知れないものだろう。

 連帯責任という声も聞こえるが、私は出場を認めるべきだと考える。部員の行為とはいえ野球とは全く関係ないところで起こしたものだからであり、また、長く厳しい練習に耐えた桐一の生徒、及び、これに寄せる県民の思いを活かしたいからである。しかし、世間の目は野球道を汚すものと厳しく迫るに違いない。桐一野球部は重圧をはねのけて、潔よい純粋なプレーをして汚名をそそいでもらいたい。

8月に入った。63年前の8月を振り返るときが来た。そのための資料を少しづつ提供したい。今月15日正午、群馬アリーナで慰霊祭が行われる。15日の意味を知らない若者も多い。

 63年前の昭和20814日、皇居の地下では最後の御前会議が開かれていた。ポツダム宣言の受諾に賛成した天皇は最後に言った。「私としてなすべきことがあれば何でもいとわない。国民に呼びかけることがよければ私はいつでもマイクの前に立つ」と。

 こうして日本の敗戦が決定された。会議の終了は、14日正午少し前であった。天皇の声の放送は翌・815日正午になされた。

 中央で、戦争終結に向けたこのような熱いドラマが進んでいることを当時の県民は全く知らなかった。

 85日、県都前橋の大空襲が、14日の夜には、高崎市、伊勢崎市の空襲があった。当時4歳の私は、曲輪町(現大手町)に住み、空襲の時は県庁の北、現“幸の池”のところにあった防空壕に入ってB29の爆音の下で息を殺していた。

群馬県史の記録によれば、昭和2085日、2230分、B2992機が前橋及び周辺に約2時間猛爆を行い、6ポンドの焼夷弾、爆弾を投下、前橋市及び周辺町村が甚大な被害を受けた。

前橋市の被害は、人口の87%が罹災し、死者535、傷者600。そして焼失した主な施設は次の通り。県立高等女学校、県立工業高校、平方実業女学校、共愛女学校、若宮・中川・久留万各国民学校、日銀支店など銀行10行、市立前橋病院など。

815日になると、「正午から重大放送があるから聴くように」との通達が県から各市町村に流れた。来週の「日記」では、敗戦にとまどう県議会や県民の状況を書く予定。(読者に感謝)

★土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。

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